何も言わないんなら出てくんな

2024-02-29 21:34:23 | Weblog

政治倫理審査会とやらに史上初、ということで

岸田首相が出てきたようだが

どうやら見事に

中身のあることは言わなかった。

あんなのほとんど、「何も言ってない」のと同じだ。

 

あの・・・・・・

こういうやり方ってさ、

あの最悪の首相、アベを見本にしてるのかな?

ごにょごにょとありきたりな、型通りのこと(もしくは無意味なこと)言って、

「何か発言した」ことにする。

それで終わりにする。

 

あのさ、

 

何も言わないんなら出てくんな、と言いたい。

 

形だけの謝罪なんて要らないから、責任取って、

即刻、辞めてくれ。

 

裏金議員たちも、即刻、議員辞職してくれ。

 

願わくば、捕まってくれ。

 

 

もう、自民党政治家にはうんざりだ。

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言っても言っても言い足りない。

2024-02-29 20:33:35 | Weblog

言えば言うほど深みにはまる、というようなこともある。

 

先日の私ときたら、ビートルズの凄さを、

「三声コーラスが出来る」ということに焦点を当てて称賛したのだが、

違う違う、と

読み返したもう一人の私が言うのだった。

三声コーラス出来る人が偉大なのならママさんコーラスのメンバーは皆ビートルズだ。

学校の合唱部員も、みな最強だ。

あああ、そう、彼ら、彼女らも偉大なのだが

ビートルズが特別なのは他に理由が、山ほどもあるのだ。

そのことを忘れてはいけない。

 

例えば・・・・ビートルズは「自作自演」であった。

 

ちょっと話はそれるが

この「自作自演」と言う言葉自体は本来、違う意味で、しかも悪い意味の言葉だった。

誰かが人騒がせな事件を起こしたがそれは嘘で、加害者が被害者を演じていた・・・というような悪質な

ことに対して「自作自演」と呼ばれた。それが、日本語本来の意味だった。

でもある時、椎名林檎がシンガーソングライターと同じ意味で「自作自演屋」と言った。

それ以来、自分で歌を作って自分で歌う、というひとも「自作自演」と呼ばれるようになった。

最近はピーターバラカンでさえ、椎名林檎的な意味でこの言葉を使う。

(それはそれで、いいと思う。)

辞書を引いたらどんなふうに載っているんだろうね?

「現代用語の基礎知識」なら、今言ったようなことが書いてあるかもしれない。

 

話を戻す。

 

ビートルズは、作詞作曲を自分たちでやったのだ。

その楽曲が、天才的に・天上的に・素晴らしかった。

ジョン、ポール、ジョージ。三人とも天才的なソングライターだと思う。

初期はカヴァー曲も多いけど、それでもオリジナル曲が、抜きん出て良かったのだ。

当時の音楽業界ではそれは異例だった。

彼らはチャック・ベリーとかをお手本に考えたのかもしれない。

 

そして、髪の毛。デヴュー時の、マッシュルームカットと言われる髪型は、

今見るとそう長くも思えないが、あれは堂々たる「男の長髪」なのだ。

タブー破り、である。

保守的なオッサン達は、絶対に 忌み嫌ったはず。

革命的である・・・っていうか革命だ。

しかし思うのだが、

デビュー直前の、革ジャン、リーゼントの時代から、わりと短期間で・・・・・・・・・

どうして長髪嗜好に変わったのか???

リーゼントと長髪は、3億光年の違いがある、と僕は思う。

彼らに何があったのか???興味は尽きない。

 

そして

メンバーは全員、細身の、背の高い、白人の、ハンサムな若い男。

 

インタヴューでは、ユーモア爆発。

権威もこき下ろす。

にこやかでユーモラスだが、言ってることは反体制的だ。

 

そしてここで三声コーラスの件がやっと出てくる。

ロックンロールの楽曲にメロディアスな歌、そしてゴージャスな三声コーラス。

歌詞も面白い。

カヴァー曲は黒人音楽の物がとても多い。

当時は強固な人種偏見もあり、一般的ではなかったブラック・ミュージック。

ビートルズはチャック・ベリーやリトル・リチャードを心から尊敬していて、

当時のアメリカで、彼らと一緒にツアーを廻ったし、

ある時、黒人の観客だけを違う席に押しやる「人種隔離席」をメンバーが拒否した。

人種差別に堂々と「ノー」を言ったのだ。

この行動はこの後、1960年代後半アメリカ全土で爆発的に広がる「公民権運動」を

後押しすることにもなった。

 

 

これだけの革命的な要素が全部、それまで、

世界中の何処を探しても・・・なかったものだった。

 

これは本当に「革命」だったよね。

 

だから、ビートルズは本当に「奇蹟」としか言いようがない。

 

 

でも本当は、その当時にリアルタイムでその革命を体験できた人にしか、

その真の凄さは、

わからないのかもしれない。

 

 

 

ああ、

言っても言っても、言い足りない。

 

 

 

 

 

 

 

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ビートルズは凄すぎる。

2024-02-26 21:06:11 | Weblog

ビートルズをマニアックに聴くことが決してかっこ良くない、と

僕は実は思っていて、

だからラジオ番組の「ディスカヴァー・ビートルズ」も、

後ろめたい感じで聴いたりする。でもやっぱ、聴くと面白い。

この番組のDJの和田唱くんは、キャラクター的に嫌味がなくて、面白い。腰も低い。

でも音楽的能力は異常に高い。

聴くたびに彼の好感度が増す。音楽への愛情も半端ではない。

今回の番組で彼はビートルズのコーラスを解析して見せた。すごい。

 

そう・・・・・・・・・・・ずっと前から思ってはいたのだ。

ビートルズは「コーラス・グループ」としての側面もある。

3声のコーラスを、さらっとやっているのだ彼らは。

3声のコーラスって、やってみるとわかるけど、すっごく難しい。

 

で、

 

ビートルズはコーラスに関しては「譜面」を使っていたのではないか・と僕は推測する。

このことは「ばるぼら」時代にメンバーの間で激論になったのだが、

3声コーラスは、適当に出来るものではない。

2声なら・・・・・3度とかのコーラスをつけるのは難しくない。

その場ですっとできる。感性でやってしまえる。

ストーンズのキースのコーラスって死ぬほど魅力的なのだが、あれを真似するのは一応、出来る。

(あそこまで魅力的には、誰もできないが。)

でも3声のコーラスは、簡単に真似できない。

 

「デイスカヴァー・ビートルズ」の今週の番組内で和田唱くんも、

「これは・・・ジョージ・マーティンとポールが考えたんでしょうねぇ」と言っていた。

「これ」というのは3声のコーラスのメロディ・ラインである。

ビートルズのレコーディングのプロデューサーであるジョージ・マーティンは

作曲するし、譜面も書く人だ。音楽教育を受けている。

 

 

「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」では何と、5声のコーラスである、と

和田君は言う。

5声!

頭がくらくらする。

あと、あれもだ、ジョージの曲「ペーパーバッグ・ライター」も緻密な5声。

 

 

ビートルズ初期の時代は、ステージでのモニターもなかった。

だから自分の声も聞こえない。

特に・・・ビートルマニアの女の子の嬌声で、何も聞こえなかったらしい。

その状況で、彼らは3声コーラスをこともなげに、やっているのだ。

 

やっぱ、ビートルズは凄すぎる。

天才集団だったのだなぁ、とつくづく思う。

 

作詞も作曲もしないリンゴ・スターも、どう考えてもリズムの、

そしてドラムスの天才プレイヤーである。

ビートルズの楽曲のドラムスはどれも、ぶっ飛びの面白さだ。

インタヴューでの発言もリンゴが面白い。

名前も、面白い。

 

 

もしも僕が

ビートルズ、「この一曲」を選べ、と言われたらやはり

「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」を選ぶと思う。

 

この世で一番不吉で奇妙なポップソング。

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ノイズ・ギター 追想。

2024-02-21 20:09:38 | Weblog

そう・・・・・

僕がノイズ・ギターに興味を持ったきっかけは、浅川マキさんだった。

考えてみたら1990年か91年かのどちらかに、

ランブルフィッシュは、マキさんとの即興的、セッション的なライヴをやっているのだ。

インプロビゼーションの極致とも言う。

関西学院大学の文化祭で。

前座、とかではなく、ランブルの演奏の上でマキさんが歌った。

マキさんと一緒に、大阪某所でスタジオ入りまでやった。

呼んでくれた関西学院大学の人から資料として、マキさんのそれまでの音源を頂いた。

「夜が明けたら」とかの初期の物もあったが。

ジャズの大物ミュージシャンたちとの共演モノも、ばっちり入っていた。

そのアヴァンギャルドさは僕がそれまで、触れたことのないものだった。

影響を受けないでいられるわけがない。物凄い音を聴いて、本物に会って、本物に触れたのだ。

 

でも考えてみたらそのことがあったのと同時期に僕は、

そのこととは関係なく、ソニック・ユースを聴き始めている。

ソニック・ユースは・・・ニューヨーク・アンダー・グラウンドの、

「NO  NEWYORK」直系のアヴァンギャルドである。しかしポップな側面もあり、

なかなか一筋縄ではいかない。

ちなみに、 ばるぼら  で、後の1998年に出場したアメリカ・テキサス州でのSXSWは、

その年の出演バンドの中にソニック・ユースもいた。

その年の出場バンドのリストの中に BALBORA  と SONIC YOUTH がいるのだ。

(他に ROYAL TRAXもいる。CLOUDBERY JAMも、いる。特別ゲストはJOHNNY  WINTERだった。)

何か液体を漏らしそうなほど嬉しかった。

 

さて、それ以前に僕は、不協和音ギターというものに感銘を受けている。

1980年代後半の、トム・ウェイツの衝撃的なアルバム「レインドッグス」のなかの、

多分、マーク・リボーが弾いているギター。

わざと音を外しているように聞こえる。そしてそれが、死ぬほどかっこよかった。

それで、僕もランブルフィッシュの後期くらいから、そういう不協和音ギターには挑戦していた。

 

その状態の時に浅川マキとソニック・ユースに出会う。

ノイバウテンのブリクサが、ニック・ケイヴのバッドシーズにギタリストとして参加していたのも

その頃で、来日もしている。

僕はそのニック・ケイヴ&バッド・シーズの来日コンサートを見に行って、

ブリクサの、あまりにもマトモでない、ピキッピキッ、ガシャ、ガシャとしか鳴らさないギターにも衝撃を受けた。

普通の音は一音もなかった。

ブリクサの本業、というかアインシュツルツェンデ・ノイバウテンの音楽にはあまり、感銘を受けなかったのだが。

 

あ、もうひとつあった。

1980年代後半・・・・ラウンジ・リザースというバンドのレコードを友達が貸してくれた。

俳優業の方が有名なジョン・ルーリー率いる”フェイク・ジャズ・バンド”の1STアルバム。

ギタリストはアート・リンゼイ。正メンバーである。

ラウンジ・リザース自体、死ぬほどお洒落でかっこいいのだが、このアートリンゼイが物凄くて。

レコードのライナーノートによれば「アートリンゼイは、

エレクトリック12弦ギターに8本だけ弦を張り、チューニングは しない。」とのことだった。

は?何???

チューニングは、しない?????????????

この時期のアートリンゼイは確信犯的なノイズ・ギタリストで、

その音はノイズ、強いて言えばメタル・パーカッションに近い感じの音だった。

擬音で言えば ピキッピキッ、ガシャッ、ガシャッだ。

和音とか、合ってる音は一切、使わない。でもそんなに音量はデカくない。耳障りではない。

しかし相当、「異質」な音だ。一言で言えば「変」である。

すげえ。と僕は思った。

僕もそのスタイルで・・・演ろうかな?と一瞬思ったのだが、

ちょっと極端すぎだ。

 

チューニングしたギターでも不協和音は出せるし、

和音と不協和音の落差も出せる。

 

ソニック・ユースだって、さまざまな「変則チューニング」を駆使するが、

「完全無調」ではない。

「完全無調」は、「純粋ノイズ」である。

 

純粋ノイズ、といえば僕は1999年に、

新宿ロフトで「非常階段」のライヴを体験している。

モノ凄かった。圧倒的だった。轟音だった。気が狂ってるようにも見えたし、理知的にも見えた。

「純粋ノイズ」のすさまじさを体験出来て、本当に良かった。

 

その1999年の末に、僕ら(ボケロウ、俺、マーボー、キヨシ)がやっていた ばるぼら は、消滅した。

それと同時に、

1993年の11月に結成して以来、ずっと存在していた ばるぼら という人格がふっと、

消え失せてしまったのを、僕は感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも彼女(ばるぼら)は実は僕の赤いギターの中に今でもいて、

時々は目を覚まして、大暴れしてくれるのです。

 

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フリージャズ、そしてノイズギター。

2024-02-19 21:22:38 | Weblog

今日の昼間、例によってトラックを運転しながらラジオを聴いていたら

ほぼ毎日やっている東京FMの坂本美雨の番組に山下洋輔がゲストで出て来た。

そこで、去年(だったと思う)にあった、早稲田大学の大隈講堂での

「村上春樹PRESENTS再乱入ライヴ」の話をしていた。

それは学生運動最盛期の1969年に早稲田大学の、

学生たちのバリケードの中で山下洋輔トリオが演奏した、過去の伝説のライヴを再現する、というか、

再び大隈講堂で山下洋輔トリオに演奏してもらう、という趣旨の物だった。

春樹さんはその当時、早稲田の学生だったのだがその当時のバリケードの中のライヴ、聞き逃したのだそうだ。

そのライヴでは、

学生運動で荒ぶる学生たちが暴れ出すのではないか?という予想は外れて、

みんな静かに音楽に聞き入っていたそうだ。

多分そのときのもの(1969年の物)であろう動画がYouTubeにあった。

山下洋輔トリオ「バリケードの中のジャズ」というタイトルの動画。

山下洋輔トリオの演奏は、いわゆる「フリージャズ」(の先駆)である。

もう何と言うか、秩序のない、無茶苦茶やってるだけのようにも見える。

しかし凄い。鬼気迫るものがあるし、何と言うか・・・・深みと知性と説得力がある。

素晴しい。

しかし、当時の運動家の学生ならこれを

「ブルジョアのご子息の高尚なお遊びだ」と、断罪することは簡単だったはず。

でも、そうはならなかったのは・・・この山下洋輔トリオの音楽が本物の輝きを放っていたからなのだろう。

僕は、この「バリケードの中の音楽」を含めていくつかの映像で

山下洋輔トリオの、物凄いフリージャズを聴いたのだがやっぱり全部素晴らしかった。

で、思ったのだが

ノイズ・バンドの先駆けにして最高峰である「非常階段」の、純粋ノイズ・パフォーマンスと、近い。

フリージャズと純粋ノイズはやっぱ、共通点が多い。

でも、決して「同じ」ではないのだ。

 

音楽家(ギタリスト)の大友良英さんが、以前、何かの動画で

ノイズギターの実践をやっていたのだが、

「はは、これだとフリージャズって言われちゃうんですよね」みたいなことを言った。

興味深い。

大友さんは実際、昔、フリージャズの高名なギタリストの弟子であった、という過去もある。

 

 

フリージャズとノイズの差異とは?

って考えだすと面白すぎて、夜眠れなくなる。

 

例えば、

かの不世出のフリージャズの天才サックス奏者、阿部薫にエレキギターを持たせたら、

彼はどんな音を出しただろうか?

 

僕は「ばるぼら」のギタリストだった時に、浅川マキの歌とバックの演奏(ジャズ期の)にインスパイアされて、

兎に角、頑張ってノイズギターを弾いていたつもりではあった・・・・から、

このことは冗談ごとでは済まないのだ。

僕だって、本気で、

それこそ「差し違える覚悟で」、不協和音を鳴らしていたのだ。

でもお客さんの一部から「滅茶苦茶やってるだけでしょ?」などという

心無い言葉もをかけられたこともある。

 

ただ無茶苦茶やってたわけではない。

全身全霊で無茶苦茶やってたのだ。

それで、そのことで実現出来た音楽的な到達点、というのも確実にあった。

僕は間違ってなかった、という自信がある。

 

あれがあったからこそ、

今の、そーゆーのとはかけ離れた・・・フォーキーなロック、みたいなのもあり得るのだ。 

ノイズも、自然に、そういう音楽に混ぜられる。

 

 

 そして「文学的」という要素は変わらない。

 

 

 

 

全然上手く言えなかったけど・・・・・・・・・

 

色んな物事を超えて、

我々(僕)は今、ここにいるのだ、という思いを

強くした。

 

 

 

 

坂本美雨と山下洋輔に感謝。

 

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「ウィー・アー・ザ・ワールド」メイキング映像を、今更・・見た。

2024-02-18 20:18:10 | Weblog

1985年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」の録音のメイキング動画が

YOYTUBEにアップされていて、今更ながら、見て、予想外に感動があった。

1985年当時、僕は19歳・・・9月以前は18歳。

この音源はラジオとかで、耳タコってくらいに、よくかかったから、よく聞いた。

当時は「ふん」と鼻で笑っていた。

マイケルジャクソンなんか屁だったし、馬鹿にしていたのだが・・・・

今、メイキングを見ると、なかなか興味深い。

(マイケルに関しては、今でも変わらず、評価に値しない。)

まず、時間設定。

これは・・・一晩、完全徹夜というスケジュールったのか。

午前3時に、本番の録音がスタートしている。クレイジー。

今現在だったらあり得ないと思う。俺だったら断る。

そして、録音の方式。

2019年に、怒髪天がこのスタイル(歌リレー方式)で「オトナノススメ」を録音したが、

それは各アーティスト、日にちも完全別個だった。別々に録るのだ。そりゃそうだろう。

チバユウスケも参加していた。

別々の録音は、今のデジタル録音なら、可能だ。

この「ウィーアーザワールド」は、どうも一日(一晩)で、全員集めて録ってるみたいだ。

スケジュール調整が死ぬほど大変だったろう、と推察する。

そして録音も・・・・すっごい、大雑把。

ほとんど一発録りに近い。

3人くらいが、ひとつのコンデンサーマイクを共有して歌う。

録音技術の問題(トラック数とか)でそうなってるのだとは思うのだが、

こんな超有名アーティストがこれだけの数、一か所で録音する、というのはやはりすごい。

あと思ったのが、アーティストの心の広さだ。

録音スタッフの不注意のせいで歌録りが止まったりするのだが誰も怒らず、なだめる。

大物はすごいなあ。こうありたいものですね。

そしてやはり、スプリングスティーンや、シンディ・ローパーが若い。

まだ30歳代半ばであろう両者とも。ダイアナ・ロスも若い。妖艶な色気がある。

いや、当たり前だがみんな若い。ボブ・ディランですら若い。今の僕より若いだろう。

レイ・チャールズに至っては、生きて動いている。すごい。

そして、ディランのイケてない感じが、とても面白い。なんか、イジけている。

国宝・・・ではない、ノーベル受賞者のディランも人間なのだ、と思えて嬉しい。

当時からこの企画は奇蹟・・・というか、ありえないほど豪華、と言われていたのだが

今見ると、それが実感できる(当時は実感できなかった)。

それにしても「人付き合い」というのは大事なものだな・・・と改めて思う。

 

僕はこの映像が撮られた翌年(1986年)に大阪城ホールで

ブルース・スプリングスティーンのライヴを観ている。

当時は余りにもいろんなことを理解してなかったが、それでも、

ライヴを観れたことは良かった、と思っている。

 

 

 

 

付記

 

出来るものなら、今やるとしたら、

「ストップ・ジェノサイド」という趣旨でやりたい。

イスラエル(=アメリカ)が国家的にパレスチナ難民を殲滅・虐殺しているのは、どう考えても

道義的に間違っている。

人として、やってることがおかしい。

もっと我々は、そのことに注目しなければならない、と切に思う。

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無題

2024-02-18 00:33:57 | Weblog

本日は大阪某所にて、ROCA’66のスタジオ入り。

我々は快調で、それに勝る喜びはない。

音楽は自由で、我々の思い通りである。

光あれ、と望めば光が降ってくる。

これ以上、何を望むのか?

いつまでも落ち込んでてはいけない。

とにかく、メンバーと楽しんで、

ぶっ飛んだ、「何処にもない音」が、鳴らせていれば、それでいいのだ。

それが最上だ。

自分の主観は、間違いではない。

俺が正しい、と思えればそれが正しい。

間違ってるのは、奴らの方なのだ。

厚かましいヤツ等、というのはこの地球上に、どこにでもいる。

だから俺は、繊細になり過ぎてはいけない。

ある程度、厚かましくなるべきなのだ。

俺は生き延びてやるぜ、クソ野郎ども、みてろよ。

悪い時期、というのは誰にでもある。

ちょっと前にはコロナもあったし、

同じような問題で苦しんでるのは俺だけではないはず。

抜け出そう、

そして先のことを考えよう。

ライヴだ、それを止めたら駄目なのだ。

音楽を続けよう、

そして

冒険を続けよう。

確かに、世界は矛盾だらけだ。

マトモなことの方が少ない。

でも、簡単に絶望してはいけない。

少しでも「マシ」なほうを選択して、

最終的に・・・・・・・・・・・・・今より良い場所を目指す。

そうだ本当に、イチから始めてやろうではないか。

いや、ゼロから。

何もないところから始める。

いや、何もないわけではない

暖かく、強力なメンバーと、最強の楽曲がある。

辞めずに続けよう、と思う。

応援して欲しい。

 

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嬉々として生きたい。

2024-02-15 20:46:01 | Weblog

生きることを面倒くさい、と思いたくはない。

出来るならいつでも、嬉々として生きていたい。

面倒ごとをさらっと片付けて、いつも穏やかな気分でいたい。

もしも自分自身が今現在、おかしな状況にはまり込んでいる(かもしれない)のなら、

頑張って踏ん張って、自分を解放してあげなければ。

他人を憎んだっていいのだ、

誰かを傷付けたっていいのだ、

・・・・・・・・心も痛みもわからないような奴らに限っては。

 

自分が正しい、と思いすぎるのは良くないが、逆に

自分が間違ってる、と思い過ぎるのも良くない。

他人と、戦わなければならないことは、あるのだ。

悪い状況を打破するために。

他人を利用するのが上手いヤツ、というのはこの世界に確実に存在する。

逃げられるなら、逃げればいいと思う。

逃げ道を作るために、壁を打破しよう。

こなさねばならない雑事は本当に・・・多すぎるほど多いが、

生きることそのものは、面倒ごとではないのだ。

どんな事でも楽しめるくらいに、僕は・・・・タフになるべきだ。

そして、少々のことは痛くも痒くもない、ってくらいに、ラフに。

 

僕はもっと、粗雑に生きよう。

そして必要な時にはもっと慎重になろう。

 

 

この先、近いうちに

僕は

僕を縛る様々な雑事から解放されるだろう。

 

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一昨日はありがとう。

2024-02-12 13:31:42 | Weblog

2024年2月10日の、

京都・祇園・シルバーウイングスでのROCA’66のライヴ、

無事終えました。

お客さん、シルバーウイングスの人、共演バンドの人、バンドメンバー、

どうもありがっとでした。

せっかくの真冬のライヴなので

革ジャンを着て出たのですがやはり、暑かった(当たり前だ、という説もある)。

いつもそうなのだけれど

僕の場合特に、大声で歌うことに体力を出し切るタイプ、というか

全身を使って踏ん張らないと、大きな声が出せないのです。

だから大汗をかいてしまって、もうヘトヘトではあったけど、

やはり、ライヴはいいものだ・・・・という感慨を強くします。

そして

今後、どうやって動いていこうか、と考えます。

ライヴを、そしてバンドを

やり続けていくためにはどんな風に生きたらいいのでしょう。

ひとのとっての「幸せ」とは一体、何なのか?

と、いつもいつも考えてしまいます。

もう止めたって、それでも全然幸せな気もするし、

いやいや、止めたら何もかもが終わりだ、という気もします。

きっと、後になって考えてみれば

あの頃が一番幸せだった・・・みたいに思うのかもしれません。

渦中に居ると、いろんなことが見えにくい。

闇雲に動いてるから、実感も・・・後になってやってきます。

とにかく

続けるには、どうしたらいいか?が今の最大の焦点。

次のライヴは

4月20日、土曜日

新しく大阪・西成区に再オープンした「CLUB WATER」に出演が決まってマス。

春になれば、

少しは状況も好転するかもしれません。

それだけを願いつつ、ミノムシのように冬を超えます。

 

 

 

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人生いろいろ・・・だわよ(今夜は祇園でライヴ)。

2024-02-10 12:31:32 | Weblog

怒髪天、ベースのシミーの解雇発表には、驚いた。

 

何度も一緒に飲んだのだけど、

あいつはいつもニコニコして、楽しく飲んでいた。

俺の方が悪酔いしてしまって誰かにクダを巻いて、

シミーに「まあまあ」って言って、たしなめられたことがある、そういえば。

(あかんやん。)

人生、いろいろあるなあ。

誰もがそれぞれの問題を抱えているのだ。

 

何年か前にウルフルズからケーヤンが抜けたし、

たこさん は活動中止だし、

ほろほろ鳥も活動してないし。

こないだ対バンしたWALKERSは、テナーサックスとトランペットが抜けた。

 

 

やっぱ変わらずに活動を続けるのって難しい。

いちばん大事なのはメンバーの結束なのだ。

幾つもバンドを経てきて、心からそう思う。

 

 

 

 

ROCA’66は今日は京都・祇園の素敵なライヴハウス

「シルバー・ウイングス」に出演。

我々は有難いことに、結束している。バンドはとてもいい感じ。

対バンはコズミック・スプーン、ザ・ルーラ、モンスターロシモフ、ストレンジバンビ。

 

我々の出番は4番手、オンタイムなら8時半ごろから。

 

たった30分のステージだけど、

もちろん、全力で挑みます。

 

 

泥酔しないようにしなきゃだわね。

 

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