「嫌な奴」問題。

2022-09-28 21:11:29 | Weblog

ロッド・スチュワートがすっごい嫌な奴で

そのことは業界では有名な話・・・というのは

ダイアモンドユカイくんがラジオで言ってたのだけれど、

そんなの音楽には関係ねえよ、と僕は思いたいのだが

思えないのだ。

あ、僕だってけっこう(人によっては)嫌な奴なのだろうけど、

自分のことはとりあえず、棚の上に置いておく。よいしょっと。

さて、ちょっと前にアレサ・フランクリンが亡くなって、Pさんのラジオ番組でいっとき、

やたら彼女の歌が流れた。その都度、Pさんはアレサに関しての

エピソードをお話になるのだが、

そのエピソードがけっこう嫌な、・・・・というか

欲深くて、傲慢で、気が強くて、嫉妬深くて・・・と言う様な人柄しか

思い起こさせないものばかりで、何だか僕はアレサの歌を聞く気が失せてしまった。

いや、、人柄と音楽は関係ないんだけど・・・それでも。

 

最近、久しぶりに買った洋楽誌「ロッキングオン」に載ってた、

ストーンズの、わりと最近のインタヴューで

ロンウッドが「ミックは(歳を取って)、

昔みたいな暖かい人柄に戻ったんだよ。キースもだよ」

というようなことを言っていた。

ミック・ジャガーは・・・・そうなのだ、インタヴューで読む限りでは

かなり嫌な奴だな、と僕はだいぶ以前から思っていたのだけれど、

それは当たっていたのだ。

じっさい、ヒドかったんだろうな・・と推測する。

まあ、ストーンズくらい超大物になったらそんなもんか、とも思うが。

 

あと、ガンズのアクセルも、相当 嫌な奴っぽいのだが、

アクセルの場合は、有名になる以前からかなり壊れた人格のようで、

それはそれで・・・・いいのか悪いのか。

 

それに比べて、

売れる前のカート・コバーンはそれなりに感じのいいひとだったのではなかろうか。

しかし爆売れしてしまって、ストレスからか、嫌な奴に変貌してしまった。

MTVのアンプラグドのライヴのMCなんか、はたから聴いててもトゲトゲしい。

痛い。嫌ーな感じ。

1990年代初頭、ニルヴァーナが爆売れしてた頃、僕は

ニルヴァーナよりホールの方が気に入っていた。

カートと結婚したコートニー・ラヴのバンドである。

しかしあのコートニーというひとは・・・・後々にわかって来たのだけれど、

背筋が凍る程 嫌な奴である。

 

しかし、そのコートニーのバンド、ホールのセカンドアルバム

「リヴ・スルー・ジス」は、

その、歌ってる人の「嫌な感じ」を超えてしまう。

作品は、コートニーに幻滅した今聞いても「切実に素晴らしい」のだ。

(あ、でもホールが良いのは、そのセカンドアルバムだけなんだがね。)

 

これは冒頭で言ったロッドにしてもそうで、

例外的に「アイム・セクシー」なんかは聞くと辟易するのだが、

「ガソリン・アレイ」とか「マギー・メイ」とか「セイリング」とか

フェイセズのロックンロール、例えば「ステイ・ウィズ・ミー」とか、

もう全部、

最新の新譜に至るまで彼の歌はやはり、「素晴らしい」のだ。

 

でも考えてみたら「マギー・メイ」の歌詞って、ちょっと嫌味だな。

やっぱ嫌な奴なのかなー?、あの人・・・・とも、ちょっと思う。

 

 

この問題は実は深いのだ、少なくとも僕にとっては。

 

 

アーティストにはやはり、「感じのいい人」であって欲しい。

 

 

しつこいようだが、自分の事棚に上げて言ってるからね。

 

 

 

 

 

 

 

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ラジオ番組「GOING BACK」最終回は「60年代のローリングストーンズ、その4」だった。

2022-09-27 21:32:47 | Weblog

ピーター・バラカンが ふくしまFMでやっていたラジオ番組

「GOING  BACK」が終了した。

1960年代を中心に、過去の音楽を紹介する・・・という趣旨の番組で、

すごーく濃くて、すごーく良かった。

今日ラジコで先週土曜日に放送された最終回を聞いたのだ。

全部で47回やった、とピーターさんが言っていたのだが、

たぶん僕はほとんどの回を聞いたはず。

一回、確か聞き逃したかもしれないのだけれど。

でも47回もやったんだっけな????

(確認してないのだが、聞き間違いで「17回」かもしれない。)

あまりにも面白いから、すごく短く感じたみたいだ。

先週土曜、9月24日放送分の最終回は、

「60年代のローリングストーンズ」の4回目で、

68年とか69年とか、そのあたりの曲が流れた。

そのあたりの時代がやはり、ストーンズの黄金時代であろう。

若かったころに聞きすぎて、ほとんど聞き飽きたくらいの曲たちだったが、

最近はライヴヴァージョンを聞くことはあっても、オリジナル音源は

全然耳にしてなかったので、やはり感動があった。

全曲良かったのだが

特に・・・「ストリートファイティングマン」の音と歌詞。

僕は昔、この曲がストーンズのすべての曲の中で一番好きだ、

と言っていた時代があった。

アコギのザラザラしたリアルな音。

グルーヴィなベース。

今日知ったのだがこのベースはキースが弾いているらしい。えええ???

「悪魔を憐れむ歌」のベースも確かそうだし、

ビルの立場無いなあ。いや、でもビルのベースは、あれはあれで最高なんだが。

それで、「ストリートファイティングマン」は歌詞も味わい深くて、

有名な「WHAT CAN POOR BOY DO EXPECT SING FOR R&R  BAND?」

のくだりはいつ聞いても素晴らしい。そして

今日気付いたのだが三番で「KILL THE KING」とか言ってるんだけど、

ここで「女王」ではなく「王」にすることで

ちょっとフィクショナルになる。

1968年の英国には「キング」はいないから、

これは現代ではない、もしくは、イングランドではない、というような

「逃げ」にもなる。

それに、権力者であったとしても・・女性に暴力をふるうなんてあり得ない。

「王」ならいいのか?

・・・むむむ。暴力は「絶対悪」だけどね。

(だから僕はアベを殺した男にも共感はしない。)

それはまあとにかく。

そしてそして、「SLEEPY LONDON TOWN」って言ってるのだけど、

これは当時言われてた「SWINGING LONDON」のもじり・・

もしくは「ひっくり返し」だよね。

歌詞の「面白さ」はとても大事なのだ。僕は本当にそう思う。

面白い題材、面白い言い回し、詩的言語、言葉遊び、そして

場合によっては政治的主張。

 

ピーターさんの「GOING BACK」は、

いつまでもいつまでも続けて欲しかったのだが、

いろいろ事情もあるのだろう。

 

でも聞けて良かったし、すごく芳醇な時間だった。

ピーターバラカンとふくしまFMに感謝します。

どうもありがとう。

 

 

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幾つかの台風過ぎ去りし後 我、秋の入り口に立つ。

2022-09-25 18:50:51 | Weblog

とか言ってさ、

秋の入り口って、以前はもっと早い時期に感じられたモンだけどね。

オンガクカ・・・ではない、オンダンカのせいで恐らく、

地球の、というかとにかく我々の「四季」はズレてしまった。

いつ頃からだっけ?と考えるのだが、

佐治くんが逝ってしまった2007年9月27日は猛暑で、

こんなのはおかしい、異常だ、と さんざ言っていたのを思い出す。

あれから15年、9月の後半が暑いのはフツーだ。

 

もっとさかのぼって子供だった頃、小学生だった頃は

9月に入ったその日にもう、気温とが違ってた気がする。

僕は昔から9月4日が誕生日だから(そらそうだ)、そのあたりの気候のことは

何となく、少しは覚えている(つもり)。

そして、秋はもっと長く続いた。

9月初旬から、10月は頭から尻尾まで、11月後半も秋だった。

12月に突入すると秋は、「遂に」という感じで終わり、

あの重々しい冬が到来した。毎年そうだった気がする。

 

今、というか近年は冬も、あんまり寒くならないから重々しくもない。

確かに寒いときは寒いけど、

昔なら「凍え死ぬ~」と言うのがあながち、冗談ではなかった。

特に・・・というか僕自身は偏食児童で、

ほとんど栄養失調寸前か?というような食生活だったので、

余計に寒さは身に応えた。

ちょっと寒かったら風邪を引いたし、

ひと冬に何度も風邪を引いた。悲しくも情けない。

今思えば、手を洗ったり全然しなかったし、

うがいなどしたこともない。歯磨きすら・・・あまりしなかった。

原始人か俺は。

 

もう一つさかのぼって、小学校一年生以前は東京で暮らしていた。

あの頃の東京は冬に、よく雪が降っていた。そして、積もっていた。

雪は、特に珍しくもなかった。

今は、そうでもないよね?そんなしょっちゅう降らないよね?

たぶん、やっぱり、オンダンカと言うのは我々の日常を

浸食しつつあるのだ、もうすでに。

 

でも、たまに思うのだけれど(前にも言ったか??)、

これが逆に「地球寒冷化」でなくて良かった・・・・・・・・・

と思ってしまうのは不謹慎だろうか。

 

我々のような「生き物」にとっては

寒いより暖かいほうが、断然、いいのだ。

 

雪だって降らないほうが全然、助かる。

雪道や凍った道は、本当に本当に恐ろしいのです。

 

とは言え、やっぱ一番いいのは温暖化もせず

寒冷化もせず、標準、というか中庸、というか、

「まずまず」のところで温度や季節が移り変わって行ってくれることでありましょう。

 

現代は夏の盛りには、

ほとんどの家庭がクーラーをつけて過ごしてると思うのだけれど、

それって冷静に考えたらクレイジーな状況だ。

江戸時代の人がそれ知ったらきっと、びっくりするぜ。

 

江戸時代の人までいかなくても もしかして動物の目から見たら、

冬だって暖房を焚かなきゃ過ごせない我々人間というのは、

だいぶクレイジーなのかも知れませぬ。

 

 

 

 

草々。

 

 

 

追伸・今日は念願の「墓じまい」ならぬ「花壇じまい」をやった。

感慨深かったアルよ。

写真は、片付ける前の、枯野のような花壇・・・・・と自転車。

 

 

 

向日葵たちありがとう。感謝してます。

 

 

 

 

 

 

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ドキュメンタリー作品の存在(一部加筆あり)。

2022-09-23 16:46:07 | Weblog

もうすぐ訪れる9月27日は、

ランブルフィッシュのヴォーカル・佐治朝吉の命日である。

彼が逝ってしまったのは2007年だったから、

あれからもう15年も経つ。

 

去る9月18日には奈良で、

彼の奥さんと、息子と、

残された「ネクスカ」のバンドメンバーが集まってささやかに、

彼の思い出話などをして時間を過ごした。

 

ランブルフィッシュにはその「前身」ともいえるバンドがあって、

それが「ネクスカ」というのです。

佐治、庄司、ベース岩佐、ドラムズ モ吉。

高校2年の時にギターの僕と、サックス三太が加わって完成したバンド。

 

一番初めは佐治がドラムズで、岩佐がヴォーカル、庄司はベース、

モ吉がギター、という編成だった。

 

高2で僕が加わったときも、佐治はドラムを叩きながら歌っていた。

でもどういう経緯かはわからないのだが、

岩佐はベースを始め、モ吉はドラムズを始めた。

 

僕が呼ばれて、とりあえずは秋の学園祭に出演するのが目標だった。

驚いたことに、オリジナル曲をやるのだ。

そんなことは、他に誰もやっていなかった。

オリジナル曲をやるバンドなんて、他にはひとつもなかった。

もちろん「軽音」の中にもなかった。

でも僕はそのとき既に、自作曲を作り始めていて、

何曲か「持ち曲」があった。

佐治の「持ち曲」はまだ1曲だけだったのだが、

その後、彼は曲作りに目覚め、学園祭出場の頃は10曲以上

オリジナル曲があったと思う。

 

僕が一発で佐治に気に入られたのは、

彼の持ち曲の「コード進行」を発見することが出来たからだ。

メロディからコードを模索していくようなことはその当時、誰もできなかった。

(その記念すべき曲のタイトルは「ひなたぼつこ」という。

いつか演るから、タイトルだけ覚えといてくれ。)

 

そして僕の後にサックス三太が呼ばれて、バンドは完成した。

 

佐治はそれ以前から映像作家に憧れていたようで、

彼の家にあったソニーのベータマックスの、

当時は高価で貴重だったビデオカメラで短いSF作品などを撮っていたみたいだった。

彼は学校ではヤンキーみたいな態度と恰好でさんざんイキがっていたから、

そういう面を見て、僕はすごく意外だった。

 

そして我々は学園祭のための練習に入った。

場所は佐治の部屋である。ドラムセットがあるのだ。アンプもある。

だが防音はされていない。さぞ近所迷惑であったろう。

で、その部屋に行くたびに、ビデオカメラが置いてあって

RECの赤いランプがついているのだ。

全然そんなこと、気にもしてなかったのだが、佐治は練習風景をずっと録画していた。

 

そして学園祭当日。ライヴは盛況だった。緊張したけど、

底抜けに楽しかった。

 

で、僕はバンドはそれで終わりなのかな?と少し思っていた。

当初、学園祭に出ることが目的だったのだから、

僕はもう、彼らに呼ばれないのかもな、と思った。

 

でも全然違った。

学園祭から数日後、「おいミチ、次練習いつやるねん?」と佐治が言ってきたのだ。

あ、終わってなかったんだ・・・と気づいて、僕は少し嬉しかった。

 

それが1984年の話。

バンドは続いて、オリジナル曲もたくさん増えて、

カセットテープに多重録音したものを「アルバム」と称して作成して、

10本くらいつくって、友達の間で流通させたりした。

 

そして年を超えて1985年に入って、

佐治がニヤニヤしながらバンドメンバーに「おもろいモノつくってん」

と言った。

佐治の部屋でみんな集まって、

自分たちのバンドの「ドキュメンタリーフィルム」としか言いようのない、

40分くらいの作品を見た。

学園祭に出るために練習していた風景・を録画していた膨大な動画を、

佐治が一人で編集して作品に仕上げたのだ。

 

自分たちがビデオに写ってるだけでも新鮮なのに、

演奏している姿や、インタヴューの真似事、当日のライヴ風景とか

それだけではなく、彼らはユーモラス・・・というか、関西人なので

全力でふざけるのだ、カメラの前で。細かい、短いギャグの連発。

ほとんど「ギャグ集」のような作品でもある(お笑い系なのか???)

面白過ぎた。みんなで何度も見た。

 

 

その後、バンドはいろいろあって、あり過ぎて、

メンバーも何人か替わり、名前も「ランブルフィッシュ」になった。

 

その後またいろいろあって、岩佐は事故で亡くなり、

ランブルは解散し、佐治は癌になった。

(モ吉は2020年に亡くなった。)

長い長い闘病の末、佐治が亡くなったあと、

遺品となってしまった膨大なビデオテープやカセットテープの中から

僕はこれを見つけ出した。

断言するが、僕にしか見つけることは不可能だったはずだ。

 

ベータマックスのビデオカセットに「1985」とだけ書いてある。

ぼくは「あれだ」と確信してそれを借りて帰り、

業者に依頼して、テープの修復とDVDへのダビングを、した。

ベータマックスのビデオデッキなど現代では何処にもないのだ。

それは何年か前のことだった。

 

その作品をこないだ(2022年)の9月18日の集まりで、

見たのだ。

映像は1984年だから、38年前!!!!!!!!!

38年前の「ネクスカ」。

 

ビデオテープのラベルには「1985」と書いてあるのだが、

映像は1984年の物で間違いないと思う。

編集を終えたのが1985年だったので何も考えずにラベルに書いたのだろう。

我々は16歳前後である。

 

 

久しぶりにその作品を見て、色々と感慨深かったのだが

面白いのは、その1984年の学園祭ライヴ、

幕が開いて、ヴォーカリストは佐治・・・ではなく岩佐である。

佐治ドラム、庄司ベースで、

カヴァー曲を何曲かやっている。ギターは僕で、もう一人のギターはモ吉だ。

ビートルズヴァージョンの「ロックンロールミュージック」、

ブルーズブラザースヴァージョンの「エヴリバディニーズサムバディトゥラヴ」、

オーティスレディングの「フォーユアプレィシャスラヴ」とか。

そして中盤、何と僕がギター持たずに(!)真ん中に立って、

当時の自分の自作曲を歌っている。1曲だけ。

そして終盤にやっと佐治が真ん中に立って、岩佐はベース、

僕と庄司がギター、モ吉がドラムズ、サックス三太、というお馴染みの編成で

佐治の自作曲をやるのだ。

 

そうだったんだ、

一番初めのライヴではまだ編成が固まってなくて、

色々な形態でやってたんだ。そんなこと、完全に忘れてた。

 

もうひとつ、

その一番初めのライヴでは、女の子がキーボードを弾いている。

これは同級生の「軽音」の女の子で、メンバーの彼女だったTさんだ。

 

このこともすっかり忘れていた。

2ギターにサックスに、鍵盤まで入った6人編成のバンドだったのだ。

 

昔の事って、覚えてないものだ。

 

 

この、タイトルさえ ないドキュメンタリー作品「ネクスカ」は、

YOUTUBEにアップしたり・・・とかは するつもりはない、って言うか、

出来ない。

 

どう考えてもプライヴェート過ぎるのだ。

 

でも亡き人を忍ぶのにはとても有り難いものだった。

これが残っていたことに感謝。

当時、これを作ってくれた佐治くんに感謝。

膨大な遺品のカセットの中からサルヴェージして

業者に修復を依頼した自分自身もエライ。

 

 

 

って言うかもう何て言うか、「世界は素晴らしい」。

 

 

高校の時にやってたバンド「ネクスカ」の

発掘されたドキュメンタリー作品の話でした。

 

 

長々と、読んでくれてありがと。

 

退屈だったらごめん。

 

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ROCA’66の、2022年。

2022-09-17 21:15:51 | Weblog

2022年は衝撃的な出来事がいくつもあった。

っていうか、まだ全然今年は終わってないんだけどさ、

9月も半ばになると、そういうモードに入ってしまう。

何よりも大きかったのは、ロシアのウクライナへの侵攻開始。

ロシアはあの時が「我慢の限界」だったのだ、と言う人もいる。

しかしどう考えても軍事侵攻など時代錯誤な暴挙だ、と当然僕は思うし、

世論も概ね、その流れだ。

「東西冷戦」って終わった、と言われていたのだが実は全然終わっていなかったのだ。

多くの人の命が連日、奪われ続けている。本当に酷い。

そしてその余波で、世界中にエネルギー危機が訪れている。

そのことで、鬼の首を取ったかのように嬉々として、

「原発再稼働」が正義だ、と言い出す人たちもいる。

先行きは暗い。

 

そして、我が国では・・・・・・いろいろと悪名高かった元首相が、

選挙の応援演説中に、手作り拳銃で射殺される、という大事件があった。

政府の要人が銃で殺される、なんてことは世界を見回しても近年は、なかったのだ。

しかも場所は奈良の、西大寺の駅前である。僕からしたら近所だ。

電車に乗れば、30分くらいで着くところ。

その容疑者くんの供述から、旧統一教会というものの存在がクローズアップされている。

そしてその、反社会的な宗教団体と自民党との関係。

「組織票」というものの存在が、これ程明るみに出たのは初めてだと思う。

「組織票」は諸悪の根源だと僕は以前から確信してるので、

これはいいことだ。自民党はこれで、潰れたらいいのにね。

 

そしてエリザベス女王の死。

我々には直接関係がないが、「国葬」が重なったりしてとか、色々と興味深い。

英国国葬は、ちゃんと「議会」の承認を得ねばならないのだ当たり前だ。

あと、英国女王と言えば何と言ってもピストルズだしザ・スミスだし。

ジョンライドンの発言が大きく報じられたりすると、やはり楽しい。

パンクは死なず、とブレイディみかこ も言ってた気がする。

(そうそう、「パンクは死なず、ただ他国へ移民しただけなのだ」っていう一節が「オンガクハセイジデアル」っていう彼女の著書の中にあったよ。)

 

我々ROCA’66は、と言えば今年はハードレインで

2月、4月、7月と3回、配信ライヴ3部作を行った。

3回目の7月は限定人数で、お客さんに入ってもらった。

3回とも、かぶらない・・・というか同じ曲はやるまい、という思い付きで、

多くの曲を演った。

それで、「旧曲掘り出し」とかもやって、充実していた。

配信はYOUTUBEで、とても多くの人に見てもらえた。

一回、二回、三回、とやるたびに配信の画像も良くなっていって、

だから三回目はまだ残してある。ハードレインのHPから見られる。

「投げ銭」してくれた人も多かった。みなさんありがっとね。

 

次の動きは、10月9日(日曜日)に、

大阪・中津のライヴハウスVi-CODEに出演する。

ジミープロジェクト「GO!GO!GO!」と言う企画。

感染対策は万全にしての話だ、もちろん。

「ツイキャス」というもので、配信もする。

この「ツイキャス」を見るにはどうしたらいいか、僕はわからないのだが、

また聞いておいて、ここに書くね。

対バンは、ワービー&サービー。

2バンドしか出ないから、1時間くらいやれる。

Vi-CODEは広いから、「密」になる心配もない。

 

この10月9日が、今年、2022年の「締め」のライヴになる

・・・・・・と思う。

来年からはもう少し、普通にっていうか、

ライヴの本数をもっと増やせると思う。そうであって欲しい。

配信は、続けるかもだけどね。

コロナの、指定感染症二類から五類への引き下げを結局、

政府はやらなかった。岸田は本当に・・余計なこと以外、何もしない奴だ。

でも世間、というか一般での扱いは、もはやインフルエンザと同等だ。

だからと言って軽く見るつもりもないが、

コロナは終わる。先日、世界保健機構もそう言った。

 

だから10月9日は大阪・中津に来てください。

 

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九月

2022-09-14 20:22:28 | Weblog

九月になったのに いまいち・・・そんな気がしない。

僕ときたら擦り減った消しゴムで、

身を粉にしてみても何も消せやしない。

そんな無力感みたいなのが最悪なことは知ってても、

どんな風に動けば打破できるのか?は、わからない。

とにかく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あの、兎に角というのはウサギにツノ、とう意味なのかな?

それって何か意味あるのかな?ただの当て字???そうかな。

それはともかく、

嫌いだったことが好きになれてるのはいいことである。

「いいこと」をとにかく見つけて行かないと、気分が凹んでしまう。

嫌なこともあるけどその反面、いいこともあるのだ。

その割合が少し偏ってるだけだ。

いいこと、のひとつに

あらゆる物事が少しずつであっても、「過ぎ去っていきつつある」

ということが挙げられる。

これは間違いなくいいことで、でも考えてみたら

「いいこと」も同時に過ぎ去っていくのだ。

しょうがない、といえばしょうがない。

でも

しょうがない、とさえ言わなければどうなるのだろうか?

「しょうがないこと」は世界中の日常に遍在する。

「しょうがなくないこと」なんて、ほんのほんのほんの、少しだ。

 

僕に手が届くもの、

押しとどめていられるもの、

少しでも関われるもの、

会えるひと、

思い出せることがら、

柔らかな光、

その他もろもろ。

 

 

 

 

写真は、今年最後の向日葵。

少し遅れて、

小さいながらも立派に咲いてくれた一群。

咲いてくれてありがとう、そして来年まで さよなら。

 

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ストーンズの終焉を見届けよう。

2022-09-13 20:57:13 | Weblog

先月号の洋楽誌「ロッキング・オン」はストーンズ表紙の、

ストーンズ特集号だった。

非・文化的なこの近辺ではマトモな新刊本屋が全部つぶれてしまって

一軒もないので、買おう買おうと思ってるうちに店頭からは消える時期が来た。

だからわざわざ注文して取り寄せたのだ。

僕は80年代後半から90年代はどっぷり、2000年代に入っても

それなりに・・・忠実な、この雑誌の読者だったのだけれど、

注文して取り寄せたのなんか初めてだ。

最近はたまにしか買ってなかったのに、

ストーンズ表紙で特集だったら欲しくなるなんてね。

我ながら浅はかだわ。

土曜日に、六地蔵までバイクで取りに行くからまだ読めてないのだけど。

 

で、今日は夕方、トラックを運転しながら例によって「ラジコ」で、

ピーターさんのラジオを聞いていた。

ふくしまFMでやっている「GOING BACK」という番組。

何と、この番組・・・とてもいいのに、今月いっぱいで終わってしまう。

まあしょうがない。

で、最終月のテーマは「60年代のストーンズ」なのだった。

今日がその二回目。

 

運転しながらラジオのストーンズ特集を聞いてる時に電話がかかってきて、

(ハンズフリーなので会話しても大丈夫なのだ)

その電話は注文していたストーンズ特集のロッキングオンが入荷しました、

というものだった。

ははは、何だかなぁ。

 

そのラジオでのストーンズ特集第一回めは

デヴューシングルの「カムオン」の話と、

ファーストアルバムを発売日にピーターさんのお母さんが買って来てて、

家の玄関で大音量で聞いていた、という話が印象深かった。

すごいなあ。

で、ふと思ったのだが

ストーンズだって仙人ではないのだから、いずれ死ぬだろう。

ミックかキースか、どちらかが死ねば、

さすがのストーンズも終わるはずだ。

キースも今年の12月で79歳。

で、もしストーンズが終われば我々はストーンズの終焉を目にすることになる。

そしてピーターさんに至っては、

ストーンズのデヴューから終焉までをリアルタイムで見届けた・・・・・

ということになる。

 

今日は1964年辺りのストーンズがいっぱいかかったのだが、

「耳タコ」の極致みたいな、ちょっと聞き飽きた気さえする、

ストーンズの人気を決定づけた大ヒット曲「サティスファクション」

も当然かかって、しかし、ピーターさんも言ったのだけど、

これ、改めて真面目に聴くと、すごく良くできたかっこいい曲だ。

(言うまでもないが。)

歌詞も面白いし、当時画期的だった「ファズペダル」を、

かなり初期に使った記念碑的作品、という面白さもある。

R&Bテイストなのだが、斬新で新鮮な感じが、今でもわかる気がする。

特筆すべきは、曲のちょっとゆったりしたグルーヴ感。

ストーンのライヴではこの曲、定番なのだけれど、ある時期から

すごく速いテンポで演奏されるのが常になってしまった。勿体ない。

このオリジナルの録音ヴァージョンはとてもいい。

ストーンズももう歳なのだから、これくらいのテンポに戻せばいいのにね。

 

次の土曜日に、注文していたロッキングオンを取りに行くのだけれど、

もしかして

ストーンズ現存中(存命中)の表紙・特集ってこれが最後になっても全然おかしくない。

この次の表紙・特集は「ストーンズ追悼特集」かもしれない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ先の話だが、

それが出たら買うのだろうなアタシ。

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時事のことを考える。

2022-09-11 18:37:13 | Weblog

今日は2022年の9月11日で、

戸外ではこの夏最後とおぼしきツクツク法師が

わりに小さな声で鳴いていた。

2001年のこの日、僕は失業中で、

朝から夕方までテレビのニュースに釘付けだっだ。

考えてみたら

テレビ嫌いの僕にとって、人生で一番長くテレビを見ていた日だろう。

僕が感じていたのは恐怖感だった。

世界秩序が崩壊するような気がしたのだ。

あの事件の3年ほど前にNYを訪れていたし、他人事ではなかった。

 

さて海を越えてUSAと関係の深いユナイテッドキングダムでは、

そのキングダムの頂点である女王が亡くなったそうだ。

その件で驚いたのは、

国歌「ゴッドセイヴザクィーン」のクィーンという文言ががキングに変わる、

ということで、つまり次の頂点は「王様」なのだ、女王ではなく。

無知な僕は何となく、英国というのは伝統的に

女性を王様に頂く国なのだ、とぼんやり思っていたのだが違った。

70年前にエリザベスさんが王様になったのは単に、

王位継承順位の結果だったみたいだ。

 

我々には国歌でないほうの、パンク・ソングの「ゴッドセイヴザクィーン」

のほうが身近、というか親しんでるのだが、

このクィーンはもちろん、エリザベスさんのことで、

でも歌詞を見たら単に、女王という権力にイチャモンをつけて、

絡んでるだけみたいに見える。「愛してるぜ」とか言ってるし。

もちろん、王制とか貴族制なんて差別の元凶だ。

当たり前の話だが 人に 貴賤は、ないのだ。

だからエリザベスさんが亡くなって、ジョンライドンは

ツイッターで哀悼の意を表している。

「勝利をささげる」と、国歌の歌詞を引用して。

 

でも「連合王国」の女王が亡くなって、

ウェールズとかスコットランドとか北アイルランドの人とか、

どう反応するのだろう?興味があるなあ。

 

あと、英国は今、そのこと以外にも大揺れで、

っていうか生活してる庶民には

来月から光熱費8倍!!!などという恐ろしいことの方が重大だろう。

新しい女性の首相が登場して、

この馬鹿馬鹿しい値上げを何とか「なし」にする、と言ってるみたいだけど

出来るのだろうかそんなこと。

 

僕は、その時その時で注目している作家、というのが

常にいるのだけれど、今注目しているのは 能町みね子と、

英国在住の ブレィディみかこ だ。

両者とも素晴らしいのだが特にブレィディみかこは

すごく社会的でパンクな視点で英国在住者としてさまざまなことを

発信している。

彼女が今、大揺れの英国でどんなことを思い、どんな風に行動しているのか。

すごく興味がある。

もしかしてツイッターで何か言ってるかな?と、ちょっと探してみたが、

本人のアカウントはないみたいだ。

 

しかし、その英国の光熱費の爆上げも、

どう考えてもロシアのウクライナ侵攻のせいである。

英国だけでなく、ヨーロッパはどこも苦しんでいる。

いやもちろん、一番苦しんでいるのはウクライナの庶民である。

日本も、あの無行動で無表情な首相が、

原発再稼働と新原発建設を宣言した。

そう来るだろう、と思ってはいたが。

でも我々はそれに、ああそうですか、と賛同してはいけないと思う。

問題は全然解決されていないのだ。

新世代の原発は小規模なので安全性は高い、と言う人もいるが、

放射性廃棄物の問題は全然解決されていない。

安全性は高い、というのも以前の原発でもさんざん言われてきたことで、

説得力もない。

被害が弱者にすべて押し付けられるような制度は最悪なのだ。

「エライ」人たちは誰も責任を取らない。

 

以前に出版された本のタイトルではあるが、

「東京に原発を!」造ればいいのだ、本当に安全なら。

 

 

話を女王に戻す。

僕は日本の天皇制は廃絶したらいい、と思ってるのだけれど、

それ以前の段階として、せめて「女性天皇」を認めたらいいのに。

女性が王様なら、何となく平和な雰囲気がするではないか。

 

「女王陛下の」みたいな感じなら、そんなに

殺伐としないんじゃないかな。

 

 

 

ユナイテッドキングダムは今後「ゴッドセイヴザキング」なんだな、きっと。

 

おっさん(お爺さん)が王様って・・・・・暑苦しくて嫌だなあ。

 

 

 

 

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ROCA’66  2022年初秋

2022-09-10 15:14:55 | Weblog

ROCA’66、

今年演った曲を書き出してみる。

 

2022年2月ハードレイン無観客配信

 

地上から何処へ?

トランジスタ・ガール

エピファニー

FLY  ME  TO  THE  MOON(カヴァー曲)

エントロピー

路上の光と誰かの痛み

MOTOR  BIKE  DIARY

 

4月23日ハードレイン無観客配信

 

ソシアル

逢魔

リボン・ソング

インディゴ

SISTER

追憶の発破’64

目の眩みそうな光が輝く夜

 

7月17日限定数有観客&配信

 

猫ダンス

54

P(PERFUMEを改題)

エカテリーナ・モノローグ

宝物の歌(ランブルフィッシュ)

GO 

 

真空管ベイビー(ばるぼら)

エピファニー

トランジスタ・ガール

MOTOR  BIKE  DIARY

カナリア

 

アンコール

目の眩みそうな光が輝く夜

 

 

 

 

メンバーは写真左から時計回りに

 

ベースギター、コーラス 伊藤克浩

ギター        赤井英俊

ドラムズ       飛澤剛

歌、ギター      片山道郎

 

 

 

7月17日のハードレインでのライヴは現在でも

ハードレインHPで視聴可能。

 

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LIFE IS FOOLISH

2022-09-08 21:38:26 | Weblog

人生は馬鹿馬鹿しい

人生は出たとこ勝負

人生は障害物競走

人生はイス取りゲーム

人生はまだ始まったばかり

人生は恥をかくことばかりが多い

人生は栄光の記憶

人生はただ続くだけ

人生を語ることは虚しい

人生は試練の連続

人生は修行

人生はノー・フューチャー

人生はご褒美

人生はプレゼント

人生は 次の人生のための準備期間(これはプリンスが言っていた)

人生は甘い

人生は苦い

人生はドタバタコメディ(SLAPSTICK)

人生はスピードレース

人生は晴れ舞台

人生は映画

人生は幻

人生はただの夢

人生は一瞬のきらめき

人生なんて棒に振るもの

人生は七転び八起き

人生は七転八倒

人生は福笑い

人生はシュールレアリスティック

人生はキュビズム

人生はオムニバスのレコード

人生はライヴ

人生はサーカス

人生は出口のない迷路

人生はガラガラに空いた真夜中の高速道路

人生は砂時計

人生はビーチパラソルの下の影

人生はトラッシュ

人生は三面鏡

人生は黄色の点滅信号

人生は明けの明星

人生は重力崩壊しつつあるベテルギウス

人生はハーフマラソン

人生は気楽なショッピング

人生は密林の中のキャンプ

人生は・・・・・・・・・どこまで行ってもキリがない。

 

 

 

 

質問。

君だったら人生を、何に喩えるだろうか?

 

 

 

 

LIFE IS  FOOLISHと言ったのは俺じゃなくて

メイシー・グレイだ。

 

 

 

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