大晦日の雪

2010-12-31 10:46:19 | Weblog


外は寒かったが、列車の中は暖かだった。

俺達は、描きかけの絵みたいな気分で

のろのろと乗り込んだものだった。


俺は昔から、長距離移動ってのが嫌いではない。

移動している間は物事が、

保留されているような気になるから。

とりあえず、一時休戦・・・みたいな。

現実はもっとシビアなのかも知れないが、

そんな気持ちになるぐらい別に、構わないだろう。

それにしても「シビア」っていい言葉だな。


外を見たらついに、雪が降っている。

ほんのこないだまで暑い暑いって言ってたのに。

時が過ぎるのは早い。


振り返ってみればいろんな物事が、

結局のところ「自分自身がどれだけ乗れるか」

ってところにかかってきていて、

そしてそういう試練みたいなのはこれからも続くし、

そんな観点からみれば人生はやはり、

修行の場でしかないのだろうか。


雪は止む気配も見せない。

思うんだけど、

雪が何故ホーリーなのかという理由は、

全然音を立てずに降るからだと思うな。


たったそれだけのことでさ、

天国と地獄ぐらい違ってしまうんだから、

世界ってのはけっこう・・

単純なものなのかもしれないよね。






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また誰かにタイトル考えてもらおうかな。

2010-12-29 12:11:37 | Weblog




        昨日の歌よ

         何故

          今 

      俺を打ちのめす?


      小さな夜の中で

        音もなく

       立ちすくむ



    消えてしまいそうになるまで 

       加速する

    どこに意味などある?

      ましてや

       救いなど


     現実など ないのに 

        君は

     永遠を歌うのか



      すべては時の中で  

       朽ち果てて

       移ろいゆく


      思い出せなくなる

        ような

       ことばかり



     無数の”さよなら”で出来た

         僕の

        砂の城

       夜はすべてを  

       同じように

       包み込む



     現実など ないのに

        君は

        永遠を

        歌うのか




「タイトル未定」    作詞・作曲 片山道郎





一番最近作った曲で、

先日のレインドッグス

ラストライヴ

「神山ロックンロール・ショウ」出演時に

一曲目にやった曲。

タイトル未定、サビの部分も未完成なまま

むりやり披露したのです。

来年からの俺の音楽活動が

どうなっていくか・・・は今のところわからないのだけれど

この日記を読んでくれている人達に

この曲を聴いてもらえる機会があればいいな、と

思っています。


とりあえず来年一発目は俺は

もとコンチネンタルキッズのギタリスト、

キッチさん追悼企画に参加します。

コンチの二代目ヴォーカルだったヨシカワさんと、

もとウルトラビデのドラム、チマキさんと組んで

出るのだ。

俺はギタリストとして参加するので、

冒頭の曲は、やらないけどね。


2011年 1月8日、場所は京都の

パーカー・ハウス・ロール。

十年位前に、浅川マキさんがライヴをやった店。

ギターパンダの、のりおくんも出演するそうなので

来れる人は来てくらさい。






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年の暮れ幻想

2010-12-28 19:46:23 | Weblog





冬至が過ぎたからそろそろ、夜が短くなっていくはずだ。

今朝は部屋の窓から、朝日が昇るのを見た。

一年中でいちばん、低くまでしか昇らない太陽。

いつものことだが、月と寸分違わない大きさの太陽。

いつか見た初日の出を思い出す。


ところで俺にしてみたら、、

大晦日も正月も、もはや何の意味もない。

でもそうすると今度は、

「意味がない」という意味が生じてしまう。

どんなにわずかでも「振れ幅」というのがあって、

プラスマイナスゼロにはなかなか、ならないのだった。


それにしても、新年というのはいつも、

無遠慮にずかずかとやって来るものだ。

1979年の大晦日の夜を覚えている。

俺は何歳だ?・・・・・・・13歳か。


子供の頃の記憶って冗談抜きでほとんど「ない」のだけれど、

あともうひとつ、

1976年の年賀状を書いていたことを

うっすら、覚えている。

ちょうどその頃はニューヨークではテレヴィジョンが、

ロンドンではクラッシュが。

唯一無二の音を鳴らしていたはずだ。


俺のまわりではまだ何も起こっていなかった。

物事が動き出すのは、その2,3年あとだ。

いろいろな出来事が、出現しては消えて行った。

そしていつしか、

クリスマスも大晦日も正月も、

その意味を失っていったのだ。


・・・・っていうか、はじめっからなかったのかな。

ただ「幻想」が、俺の目の前を通り過ぎた・・・

って事なのかもしれない。


七色に発光した、

とびっきりの、抜群の、見逃したらもう二度と出会えないような、

「幻想」ってやつが。









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人生の中の、とある一日

2010-12-25 09:25:20 | Weblog

こないだ、本を読んでて、

その中で誰かが言ってたんだけれど、


現代の人間の人生において

すべての時間を自由に使える時期というのは

学校に行く前の幼児期と

定年後の老年期だけである


って。確かに

・・・学校に行き出したら毎朝起きて行かなきゃだし、

夏休みとかはまぁ、あるけど

卒業したらそのままバイトし出したり、

就職したりするもんな。


人間って、不自由と言えばものすごく不自由なのかな。

カラスなんか見てたら一日中

好きに過ごしてるようだけど楽しそうには見えないし、

猫なんかも退屈してるように見えるけどな。


・・定年後の人たちも退屈してるように見える。


永遠の退屈の中でまどろんで、

飼い猫のように怠惰に生きてみたら、

どんな気がするのだろうか。




さて、こないだの「神山ロックンロールショー」。

眠気と酔いとの戦いで、渦中では実感出来なかったのだけれど

後から思い返してみると・・ひと晩じゅう、とても幸せで楽しかった。

予想通り酔い潰れてしまったがしかし、

懐かしい親愛なる多くの友達と会えて、本当に良かった。

レインドッグスというあの特異な空間が

本当になくなってしまうのだな、と

夜が明けてから気付いて、とても切なくなった。


またいつか、

あんなことがあるだろうか。




しかしオールナイトは無理だな・・・。




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今年最後の・・・。

2010-12-20 15:17:09 | Weblog





あさって、12月22日。

「神山ロックンロールショー」だったかな・・・

そんなタイトルで、大阪・梅田・レインドッグスで、

年内一杯でなくなってしまう、

大阪・梅田・レインドッグスでオールナイトライヴがある。

昔馴染みの友達みたいな奴らばかりが集まって、

「さよならレインドッグス」というような趣のライヴ。

それに出ます。

レインドッグスのスケジュールには

「片山道郎」って個人名で書いてあるけど、

俺と、チマキさん と、たんちん の三人のバンドで出ます。

名前?・・・「パーフェクト・ドランク」か?

名前は、もう何でもいいや。

とにかく!頼もしい仲間二人とともに、出るのだ。

いくつかのいい思い出のあるレイン・ドッグスに

さよならするために、

また

俺達自身が再生するために。

きっと俺はまた酔い潰れるけど、

それがどうしたって言うのだ。


「カナリヤ」という名の

レクイエムを捧げよう。


ついこないだ逝ってしまったあの人とお店に、

最後の敬意を表わそう。


今年最後の轟音を。






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偏愛

2010-12-20 09:28:21 | Weblog

夜の濃度は増すばかり


透き通った心の結晶が真っ暗な夜のそこかしこで

光を放っている。


でも

待てよ?と思うまでもなく、

それは幻想の風景でしかない。

”真っ暗な夜”などもう、どこにもないのだ。


ところで

年を経れば経るほど

「消滅してしまったもの」すべてが

偏愛の対象になっていく。

そのようにして人は偏屈になってゆくのだ。


僕だって、例外ではない。


ありがたいことに、

あきらかに過剰だった自意識は

永い年月の間に少しずつアク抜きされて、

今では

水揚げされたクラゲみたいに

無害なものに成り果てている。


毒にも薬にもならない奇矯さなんて、

どこからもはみ出してしまうし、本当に手に負えない。

でも そんなのとも、もうサヨナラだ。


あてずっぽうのやりかたで、さて どこへ行こう?

どちらに向かったとしても、その街の中で僕は

まるで夕方の影みたいに同化して、

君の記憶の中に溶けてゆくのだ。



もしかして 僕はまだ

君の夢の中にいるのだろうか?









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ギター、そして洋楽ロック。

2010-12-17 10:38:59 | Weblog


久しぶりに「GUITAR MAGAZINE」という

雑誌を買ってみたら、ギターの記事ばかりで(当たり前だ)、

面白かった。ジャズマスターというギターの特集ページに、

「78年、テレヴィジョン時代のトム・ヴァーレイン」

の写真があって、病的に痩せていてかっこよかった。

しかしジャズマスターを愛用のギタリストって、

トム・ヴァーレインはもちろん、サーストン・ムーアに

リー・ラナルド、J・マスシスにケヴィン・シールズ・・・・・

俺が熱烈に敬愛する人たちではないか。

今さら気付いた訳ではないのだけれど。むむむ。

深く考えさせられる一件では、ある。

俺が一番好きなギターは、ムスタングだし、

一番「使える」ギターはG&Lのスカイホークなのだ。

だからいいんだけど。

・・・でも今さらながら、ジャズマスターもいいなぁ。


そして「GUITAR MAGAZINE」を読み進むと、

「LOUD PARK」という

ヘヴィ・ロック系の洋楽ロックイヴェントの記事も載っていて、

いろんなメタルみたいなバンドの写真も見たのだが、

そーゆーバンドのギタリストってやっぱり

フライングVとかエクスプローラーとかの変形ギターを

使う率が非常に高い。何だかなぁ。

オルタナ系はジャズマスターで、メタル系はフライングV。

ストーンズ系はテレキャスターで・・・てな感じで

知らず知らずのうちに我々は、「棲み分け」をしているのだ。

ガレージ・パンクはビザール・ギターだな。

そう考えると、

俺が大好きなロック・バンドはやっぱり「オルタナ」と

呼ばれる範囲に入るものが多いみたいだ。

ロイヤル・トラックス、ソニック・ユース、ペイヴメント、

ニック・ケイヴ&バッド・シーズ

ダイナソーJR、J・S・ブルース・エクスプロージョン、

ニルヴァーナ、ホール。

(テレヴィジョンは、別格。)

ダークでかっこいいバンドばかりだ。

しかし

1990年代は洋楽ロックの最後っ屁だったのだろうか。



蛇足だが、「ばるぼら」で参加した、

1998年のテキサスでの「サウス バイ サウスウエスト」

というロック・コンヴェイションは

”洋楽ロックのファン”という観点から見ても、

本当に夢のようなイヴェントだった。

他の出演バンドがソニック・ユース、ロイヤル・トラックス、

クラウドベリー・ジャム、特別ゲストがジョニー・ウインター。

まぁ、他にも100バンドくらいあったんだけど。


本当に・・・今考えても凄い。






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メタ・フィクション

2010-12-15 06:39:39 | Weblog


ほんのわずかに亀裂の入った

心のかけら


僕は悪足掻きを続けたが、

それで得られるものといったら

ちょっと信じられないくらいのものだった。


僕は挫折しても再び立ち上がったおかげで

ずいぶん痛い目を見たような気がする。

あのまましゃがみこんで泣いとけばよかったぜ(嘘)。


雨はいつか止むけど、

それで僕が雨男でなくなるわけではない。

その事実はまたひとつ、僕を滅入らせる。


いつもいつもメタ・フィクショナブルな君。

思うのだけれど

メタ・フィクションという概念は

この世界自体がフィクションであるという事実を

暴露するための装置でしかない。

だから僕は読者(作者?)にむかって、こう言うしかない。

「こんな役回りは好みじゃないんだけどね」って。


それにしても、今日の僕は少し疲れすぎている。

でもそういうのって

そんなに悪い気分でもない。




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貝の人生

2010-12-10 11:19:38 | Weblog

最近、「アサリの酒蒸し」という

簡単な料理を自分でつくるようになって、

”アサリの気持ち”を考えてしまうようになった。

だってよく考えるまでもなく、

あの料理ってアサリを「生きたまま蒸し殺してる」と言うか、

「アルコールの五右衛門風呂状態」というか。

そういうことをしている自分にはっと気付いたのだ。

夜毎の大虐殺・・・・・。

いや、「動物愛護」的なことを言いたいのではない。

言うまでもなく我々は残酷ではある。

命を取らなければ生きていけないのだ。

魚屋さんや肉屋さんや、スーパーマーケットの食品売り場は

生物の遺骸であふれているのだが、

その中でほとんど貝類だけが生きている。

生きているからって動き回るわけでもなく、

鳴き声をあげるわけでもないから意識しないのだけれど。

静かなること石のごとく。

ハマグリってのはその名のとおり、

浜辺の栗、という意味だろう。美味なること栗のごとく。

栗も貝も、はるか古代から日本人の食物であったであろうことは

容易に想像出来る。

それにしてもですね、

アサリってどんな気持ちで暮らしてるのだろう・・・

目はないから世界が見えるわけではないよね。

耳は・・あるのだろうか。

口は、ある。あの口でちょっと移動したりする。

触覚は・・あるのかな。あるよな。

「痛覚」というのはお持ちだろうか。

大体、「脳」はあるのか?

産まれたときから硬い殻の中で過ごして、

そこから出ることなく死んでゆく。

あああ何だか

・・・うらやましい、と思ってしまうのは俺だけだろうか。

こういうのって自閉的傾向だろうか。

貝の人生。

そんなこと考えながら

アサリの酒蒸しを味わったりするのです。

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永劫

2010-12-09 06:40:55 | Weblog


俺達の夜は冗談抜きで

どこまでも続くはずのものだった。


白く輝く高速道路の向こうには間違いなく、

俺達の憧れの世界があったのだ。


あとになって(眠れない夜など特に)俺は

よく思い出したものだった。


すでに白熱したかのような月、

その月と見間違えそうな街灯、

ネオンライト、

今にも消えてしまいそうな夜の光。


なぁ、今からでも出かけないか?

「もう手遅れ」なんて台詞は

とっくに聞き飽きてるんだ。

何もかも冗談だったとしても、ちっとも構いやしない。


「幻」が俺達の中から 永遠に去ってしまう前に、

最後の弾で奴等に、

とどめの一撃をくらわせてやらなくちゃならないんだ。


それで全てを失ってしまったとしてもそんなの、

早いか、遅いか、の違いだけだぜ。


誰もがとにかく、素敵だったこと全部忘れちまってる。

でもだからどうだって言うんだ?

いつか街じゅうの壁は崩れ落ちてしまい、

君のことを思い出せるモニュメントひとつ、ない。


「どうだっていいこと」が

「大事だったこと」を侵食していく。


そんなゆるやかな蟻地獄みたいなところで俺は、

まどろみながら夢の続きを見ている。


夜はまだ、終わってなどいない。





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