良い夢を。

2017-10-31 21:45:19 | Weblog

今日は十月の終わりの日で、ハロウィンの日。

ハロウィンなんて、そんなの知らねえよ・・・・・・・・とか思ったりもしてたのだけれど、

(ピーナッツの)ライナスが「カボチャ大王」を信奉してるし、

そう・・・・・言ってみれば「百鬼夜行」の日なんだぜハロウィンは、とか言われれば、

まあいいんじゃないの、とも思う。

仮装する元気までは無いがね、勿論。

でも、ものは考えようで

俺なんか毎日、仮装してるようなものでもある。

第一次世界大戦の戦闘機乗りの格好(ゴーグル、B-3革ジャン)をしている日もあれば、

へたれパンク(白ライダース、チェックのボンテージパンツ、ラバーソウル)の服装のときもある。

ヒッピー崩れ(ベルボトム、花柄シャツ、ビーズアクセ、サボ(厚底サンダル))みたいな格好も好んでするし、

ライヴではたまに、女装(ワンピース、脛毛剃り、ハイヒール)もしたわよ。ほほほ。

女子高生の格好(セーラー服)をしてたらお爺さんに「お嬢さん」と呼びかけられたこともあった。

かと思えば・・・・以前の仕事場ではカチッとしたスーツを着ていた。しかし、あれも言ってみれば 仮装だ。

そういえばその格好(スーツ)でライヴを見に行った際、夕凪の伊藤せい子に「ホスト」と言われた。ひどい。

あんまりだ。でも長髪でスーツって・・・・・確かにそれっぽい・・・・・・反省。

でもそうだ、ランブルフィッシュのギタリストだった頃は

70年代ロッカーの格好してたんだ。

長髪、インディアンアクセ、ズタボロ革ジャン、ウエスタンシャツ、ベルボトム革パン。

懐かしい。

今は毎日作業着で、トラック運転手の仮装をしてトラックに乗っている(そのまんまやん)。

うーん、もう特に、服装で目立ったり、自己主張したりする気分じゃないのかもしれない。

なるべくなら目立たないように、そんな風に地味目に仮装してるのかも。

ジャングルにおいての、迷彩服みたいな感じで。

でもバイクに乗るから、ライダースは手放せないんだけどね。

「バイク乗り」の仮装。

・・・・・・・・・そういうのは、「仮装」とは言わんか。

ただの「実用」だわ。

とほほ。


でもまあ、いいや。

メリークリスマスのノリで、

・・・・・・・・・・・・・・ハッピーハロウィン。





良い夢を。





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懺悔

2017-10-30 21:58:24 | Weblog




え、こんなスナネズミみたいなちっぽけなアタシでもですな、

ほんのちょっとくらいは「機嫌の良し悪し」みたいな、

メンタルの波・・・・みたいなのがある、ってぇんだからお笑いで。



機嫌の良い時は少し「躁」も入りまして、

もう、何だ、「宵越しのカネは持たねぇ」くらいの勢いで

僅かな所持金(小銭ですな)を後先考えず、虚空に向かってばら撒いたり、

お札を燃やして煙草に火をつけたり致します(これは嘘。大体が煙草ヤメたっちゅうねん)。

バイクに乗ればアクセルは全開、

黄ィ信号でも止まりやしねえ(赤では確実に止まりマスが)。

お酒があれば、あるだけガブ飲み。

もうそんな、ろくでもない阿呆の一生でござい。


ライヴ後なんかにはそんな躁状態で酔っ払ってることも多々ございマス。

もう、有頂天で、調子いいことこの上ない。

そんなときにお会いした皆さん、ドモスイマセン。

ほとんど、何も・・・・覚えちゃぁいないのデス。

阿呆の極み、言うなれば「馬鹿の粕漬け」で御座いまっす。


そういうときのアタシはぜひぜひ、

柔らかい、「生暖かい目」で見てやってもらえまいか?

「躁状態」のアタシは、アタシじゃねぇんで。

いや本当に。



許してやっておくんなさい。





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宇宙さん。

2017-10-27 22:12:13 | Weblog


言うまでもなく、

この私の「身体」というものは、ひとつの閉じた小宇宙である。

(「私」だけではなく、「我々」なのだが、とりあえずここでは単数形で話す。)

無数の細菌やバクテリアやヴィルスや、

微小な、微小な、目に見えないサイズの生物達が私の中で、

ものすごい数、生きている。


この「私」すら生きている・・・ということを彼らは認識していないかもしれない。


私の体調が悪いとき、彼らは

「今日は何だか天候が荒れてるな」とか思っている。

つまり、「私」は彼らにとって「環境」でしかない。


そして彼ら(バクテリア等)同士で衝突したり、

手を組んだり、愛し合ったり、働きに行ったり、面接したり、消滅したり、再出現したり、トラック運転したり、

誰かを弔ったり、孤独感にさい悩まされたり、電話で話したり、バンドを組んだり、メシを喰ったり・・・・・・

している。


彼らにとって、私はただの「宇宙」である。


それ以上でもそれ以下でもなし。


それで、ふと思った・・・・・・・っていうか

ある朝、変にリアルに実感し、確信したのだが、


我々の考える「外宇宙」というものは

きっと、超・超・超・巨大な「誰かの身体」なのだ。


宇宙というものは、もうひとつ大きなスケールで見たら

生きて動いて生活している「誰か」、個人なのだ。


その個人、仮に名前を「宇宙さん」としよう、

「宇宙さん」から見れば我々のごときは、

目に見えない微小な、微小な、

バクテリアのごとき、細菌のごとき存在である。


そして我々・・・・・いや、「私」は日々、懊悩しながら暮らしている。










こーゆー発想って、特に珍奇でもなく、また斬新でもなくて、

仏教で言う「曼荼羅」みたいなものかも知れないね。


それとか、「フラクタル理論」とかさ。

そーゆーのに、近いかも。




でも、もし本当にそうだったら面白いんだけど、



我々にはどう足掻いても、知る術が、ない。






暗転
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とても限定的な人生。

2017-10-26 22:53:37 | Weblog


私なんかでも


生きてると けっこう、多くのヒトビトと


いろいろな「関わり」を持ちます。



バンドを一緒に組んだりとか


ライヴハウスで知り合ったりとか。


しかしまあ、当然のことながら


現世に60億もいる人間の中で、知り合えるヒトというのは


ほんのほんのほんのほんのほんのほんのほんの一部なわけで、


つまるところ


人生というのは実際の話、


とても限定的なもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・デスよね。



(生きてる間に)くしゃみをした回数すら、


カウントしようと思えば出来てしまう。・・・無理だけどさ。



そして気がつけば私は最早、初老の青年で、


あと何回くらいライヴに出演できるのだろう?


あと何曲くらい、自分で心から愛せるような「いい歌」をつくれるだろう?


あと何回、君に会えるだろう?










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。






そんなこと考えてもしょうがないのだけれど、




でも


そんな風に思えば思うほど、


人生そのもの が愛おしくなるので


それは、悪くない。







我々はこの人生において、



愛せるだけ 愛するべきだし、


やれるだけ やるべきだし、


笑えるだけ 笑うべきで、


行けるところまで 行くべきなのだ。




ああ、そうだ!ヤルわよ、あたしゃあ!



とか言ってリキんで立ち上がっても、


さしあたって することがなかったりして。


いや、でもそんな風に


空回り気味でもいいから真剣に、



この先、どこまでも行きたい・・・・・・・・・・・・・・と


願うものでアルヨ。























願う、限定解除。



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「カボチャ大王」を待ちながら。

2017-10-25 21:27:09 | Weblog


ここのところ、






(ひどい)悲しみ も(ひどい)痛み も少しずつ、感じなくて済むような日が増えました。

痛覚とか感覚が麻痺しただけなのかもしれないけど。


私が相変わらず、私であることは厳然とそのままで、

それはきっと、死ぬまで続くのでしょう・・・・・・・・・・ハァ(タメイキ)。


やたらドギマギしたりして、

そのくせ鈍感だったりする。


鋭利な刃物みたいに怖いくらい切れる気もするがその実、

錆びたナタみたいに ただ、ただ、鈍重なだけ。


でも


思い出すたびに「美しさ」は

増していくか、消えゆくか、のどちらかで、

その中間くらいのところで私は暮らしている。


そのことは どんな場合においても そうで、

「そうでない世界」には私は既に、いないのでしょう。


言っておくけど私は、世界を呪ってなんかいない。

むしろ、祝福したいくらいだ。

でも、そのどちらとも、

大したリアリティは ない・・・・・・・・・・・・のでは、ある。


かと言って、

微力(びりょく) は 無力(むりょく) では ない。


まるで「愛」と「憎しみ」が醜い双子のように似ているからって、

それを

いっしょくたにしていい・・・・ってものでもないのと同じ。


だから結局は私も、

途方に暮れて、また溜め息をつきながら

来るあてもない「カボチャ大王」を一晩中、畑の真ん中で待っている。

「セーフティ・ブランケット(安全毛布)」の端っこを

指が痛くなるくらい、握りしめながら。









もう一度言う。

「微力」は、「無力」では ない。




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「意味」なんか、これっぽっちもないだろう?

2017-10-24 22:42:34 | Weblog

自公圧勝なんだって。ははははは(乾いた笑い)。

しかし、投票率53%じゃ、お話にも何にもならないよな。

しかしなあ。俺だって投票に行き出したのは二十代後半か、

三十代になってからだった気がする。はっきり覚えちゃいねえ。

だから他人のこと、とやかく言う資格なんて、ねえ。そんなの、誰にもねえ。

俺も、政治って、本当に興味が無かったし、それでいいと思っていた。

自分とは全く、別世界で動いているもののように思っていた。

知りたくもないし、興味も無い、俺とは全く関係ない・・・・と。

でもそれは大間違いだった。

大多数のヒトが、あの頃の俺みたいな感覚でいるのであろう、と推測する。

だから、無理もねえよなあ・・・・・・と思う。

「見ようとしなければ何も見えはしないのです」と言ったのはフォークシンガーのイルカさんだったが、

すべての物事について、本当にそうだな・・・・・と思う。

でもそんな風に、

いろんなことを(特に政治家選びを)「ひとまかせ」にしていると、

気付いたときにはもう、にっちもさっちも行かなくなってた、みたいなことになるかもしれないよね。

だがしかし。

俺はちょっと思うんだが、

もしかして本当に大多数のヒトが・・・・・・・・・・憲法改正するべきだ、とか

自衛隊を軍隊にするべきだとか、

海外で武器使用出来るようにするべきだ、

とか、もっと進めば

日本も核武装して「普通の国」になるべきだ、

とかね、実は

そういう事を望んでる人々って、俺が思ってるよりずっとずっと多いのかもしれない。

そうではない、と思ってるし、思いたいのだが、

投票率53%では、何もわからない。

選挙制度って、やり方が何か、古いよね?

一回の選挙に何百億円もかかる、って嘘だろ?って思わないか?

投票所だって、しょぼい小学校とかしょぼい公民館とかだし、

しょぼい選挙カーでしょぼいヒトが大声出して廻ってるだけだし、選挙ポスターなんて・・・・・安いものだし、

何処にオカネかかんのよ?

何か騙されてねえか?俺達って。

ああそうですか って見過ごしてたら駄目なんじゃねえか?こういうのって。

それに、小選挙区制って、「民意を反映してない」とか言われてるよね。

「自公圧勝」が民意だとは、俺だって思わない。

・・・・・・・・・・・それなら、もっとマトモなものに、変えられないのか?

あと、自民が公明と連立組んでるのは、「票」欲しさ・・・・のみ、なのであろうと言われて久しい。

そして公明にはガッチリと固い「組織票」がある、といわれている。

恐らく本当だろう、「組織票」の件は。

そういうのって、おかしくない?

っていうか、法に触れるだろう?

なぜ野放しになってるのだろう?「組織票」が。

もう本当に、ちゃんと「民意」が反映される選挙制度、きちっと考えて実施しませんか?

そうでないと選挙なんか何千億かけても、

そして何度やったとしても、

「意味」なんか、これっぽっちっもないだろう?



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ものは考え様

2017-10-22 16:22:01 | Weblog


僕が

昨夜、ファンダンゴに行ったのは、

最早数少ない「ランブルフィッシュ」の残党として、

もしくは「ばるぼら」の首謀者だったうちの一人として、

ちょっとした「義務感」を果たすために(大げさだけど)・・・・・・・・・・・・・。

という側面があった、自分の中で。

あれだけお世話になったのだから、誰か一人くらい顔出せよ、と。


誰もそんなこと期待してないし、

行かなくても誰も気にしなかったであろうことはわかってるのだけれど、

自分自身を納得させるために、

言い換えれば自己満足のために。

ものは考えようで、そんな風に自分をがんじがらめにして僕は生きている。

楽しいか?と聞かれれば、「ぼちぼち」と答えるしかない。

二十数年も大阪に住んでたんだから、それくらいの答えは出来る。

「ぼちぼちでんなあ」とまでは言わないが。


でも行って良かったな。

出演者と歴代ファンダンゴの店員外は知らないヒトばっかりだったけど。

100人以上入ってただろうし、雨とか台風じゃなかったら

もっとぎゅうぎゅうに集客出来てたんじゃないかな。

だって彼らは、ファンダンゴから輩出されたスター達だもの。

イヴェント大成功だよね。

あらためて、30周年おめでとう。










ああ、今日は勿論、投票してきたぜ。比例区は結局、リッケンに入れたよ。

名前がいいよね、ギターみたいで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういう問題ではないが。

でもそれくらいの動機で投票したりするモンなのだ、ヒトは。

(与党以外ならどこでもいい、という選択肢の中で、ね。)


共産党は、「中国共産党」のイメージが悪過ぎるんじゃないかな。

いたしかたない、という側面はあるのではあろうけど。













選挙結果はどうなりますことやら。









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わりにフツーの日記。

2017-10-22 09:11:55 | Weblog

10月で、秋も深まりつつあって、

台風で、でも選挙には行かなきゃならない。


色々と憂鬱だが、昨夜はファンダンゴまで出掛けていった。

・・・・・・・・・・・・お客さんとして。

30周年の記念イヴェント。

出演は、榊いずみ、ウルフルケイスケ、リクオ、高木まひことシェキナベイビーズ。


榊いずみ は、大昔、ファンダンゴでバイトしてた子だ。

橘いずみ、っていう名前だったよな。

俺も当時は顔見知りだった。

「シンガーになるねん」って言ってたのを覚えている。

ちゃんとスターになるなんて、偉いなあ。

ファンダンゴで彼女の歌を聴くのは初めてだったのだけれど、心に響く歌だった。



ケースケくんは、爽やかでまっすぐなエレキ引き語り。

さすがの人気と貫禄。


シェケナベイビーズは、初めて見た。手堅い感じ。ロックンロール。


リクオさんのピアノ引き語りをファンダンゴで聴くのは何年ぶりだろうか。

このひと、月二回ペースでファンダンゴ出てたんだよな、そういえば。

あの頃と全然変わってない。


でも考えてみたら・・・・あれから30年近く経つのに、

全員、ほとんど変わってない。いずみちゃんも、ケーヤンも、リクオさんも、見た目も全然変わってない。

MUちゃんも、ツルちゃんも。

すごいなあ、と素直に思う。


楽屋に寄って、挨拶して帰ろうかな・・・・と一瞬思ったのだが、

思い直して、そのまま帰った。


雨の中帰り道、久し振りに京都・三条のバー、「ギャラクシー500」に寄った。

やっぱ、すごい店。

入ったらいきなり リチャード・ヘル&ヴォイドイズの「ブランク・ジェネレーション」が

大音量で鳴っているんだもの。タイミング良すぎ。

この曲・・・・・・・・・・・俺にとっては「運命の一曲」なんだよね、密かに。

大昔・・・この曲のことでボケロウと盛り上がったことが、「ばるぼら」結成の引き金になったんだよ。

「こんな滅茶苦茶なバンドやろう!」って。




「ギャラクシー500」は、はっきり言って、最高の店。

デイープで、パンクで、深くて、いい感じにマニアックだ。





とても楽しかった。


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2017-10-19 21:29:00 | Weblog

☆軋轢はつきものだ。

だから、それについては潔く諦めて、「それ用」に対策を立てること。




☆自分の身は自分で守るしかないのだが、

「捨て身」を気取って、ノーガード戦法、という手もある・・・・・には、ある。

多少、ケガしちまうが、面倒臭いことやヒキョーな策略とかが嫌いなら、

そんな風に生きることも出来る。



だけど



☆雨の中に、傘もささずに出て行くのはオススメしない。





☆人間は何故か、雨に濡れると風邪を引くのだ。





そんなの全然不思議じゃない?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、充分不思議だぜ。






ところで僕は

指をくわえて風の中でただ待っているだけ・・・・みたいにして

長いこと路上に突っ立っていた。




☆どんな風に時間を使おうが、一人ひとり、自由では、ある。




そして




☆無意味だと思えば無意味だし、そうじゃないと思えばそうじゃない。



だから



☆どんな風に生きるか、なんて


僕が自分で決めていいのだ。







雨降りなんてただの雨降りだし、


そんなこと気にしても仕様が無いのだ。




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過去はすべて幻

2017-10-18 22:29:16 | Weblog



「過去はすべて幻」なのだ。





                それはきっと、真実だ。



だからフラッシュバックみたいに過去の事を思い出して、

                          落ち込んでしまうなんて愚の骨頂だ。




      これは誰に向かって言ってるかというと自分に言ってます。




                         カコのこと、カコのこと、カコのこと。




そんなの、          今となってはもう、何もないのだ。



                               残骸もない、残骸のカケラもない。



私だけが思い出して落ち込んでいる。



                        それって



控えめに言って




                                   馬鹿みたいだ。



            馬鹿が見る豚のケツ

                             だ。










良いことだけを思い出そう。



      良かったこと、上手くいったこと、


                             嬉しかったこと、



          美しかった瞬間。




そういうもののためにこそ、生きてるのだ我々は。








あ・・・・・・・・・・・・・でも「過去がすべて幻」なら



                                      良かった過去も幻か。



                          そうなるよね。





だって、今はもう・・・・・・・ないんだもの。





                    ずーん。









うーん、鬱陶しい雨降りの水曜日には



                               思いつくこともロクデモナイなぁ。








                      





                              暗転










コメント (2)
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