「振動」、もしくは「震え」。

2009-02-27 08:41:17 | Weblog



誰もが愚かで美しい。

そんな風に思えれば「世界」も

そんなに捨てたものではない。


俺達がこんな風に地表を這いずり回るのは

何のためだと言うのか?


理由など

一束いくらで

そこらのホームセンターにでも売っているだろうし、

何をそこまでして・・・。


だって

我々は「それ」に抗うことなど出来ないのだ。

ただ ただ 「それ」を受容するのみ。


種をまくだけまいたのに

収穫が何一つなかった農夫のように

我々は太陽を待ちながら

冬眠の季節をやり過ごすのだ。


凍りついた舗道の上で

いくつかの物語は未だ同時進行中。


何かと何かをつなぐ糸、

誰かと誰かをつなぐ糸。


ぴんと張っておかないと(切れない程度に)

振動は上手く伝わりはしない、


心の振動、もしくは、「震え」。


どうしてなのか未だにわからないのだけれど・・



俺はそれを伝えたい、と思うのだ


どこか遠くにいるであろう


君に。

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夢の中

2009-02-26 08:51:47 | Weblog
また風邪を引いていて(またかよ・・・)、

昨日は一日中寝ていたのだけれど。

そんなうつらうつらとした浅い眠りの中で、

ずいぶんいろんな人に会ったのです。

いろんな人。もう会えないはずの人達。


久し振りに

そのひと達が俺の中で

どれだけ重要な意味を持っているか、を

実感した。

会えてよかった。風邪引いてよかった(笑)。



カート・ヴォネガットが前に何かで言っていた、

何だったかな、「フォーク・ソサエティ」だったかな


とにかくそんな親密な精神的集団においては

生者と死者の間に明確な線引きはなく、

(亡くなった人が)まるでそこにいるかのように話題に出てくるし、

精神的な関係性も

(誰かが)亡くなったからといってあまり変わらない・・・

というような。

だいぶ昔に読んだときにはふうん・・そんなものかな、と

あまりよくわからなかったのだけれど

今ならよくわかる。


間違いなく我々は

亡くなってしまった大事なひと達と

共に今を生きている。



その事を確信した。



さて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それじゃ、ガンバリマッスかね!




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「思いつき」こそがすべて

2009-02-23 10:05:28 | Weblog

インスピレーション、つまり

「ひらめき」こそが一番大事なものだ。


それと

それを実行に移す「気力」と

実際的な「体力」。


それだけ揃えばはっきり言って

何でも出来るのだ。


・・・・ただし、「実務的なこと」は別だけどね。

いや、「実務的なこと」ももちろん大事なのだけれど

インスピレーションがなければ

「実務的なこと」も派生しないのだ、

そうじゃないか?


まあいいや、

とにかく






・「思いつき」で行動すること

・ 深く掘り下げて」考えたりしないこと

・「出たとこ勝負」に全てを賭けること

・「経験から学んだり」しないこと

・「リサーチ」など絶対しないこと

・宿題は8月31日になってもやらないこと

・ウィリーしてこけそうになってもアクセルは戻さないこと

・「忘れてはいけないこと」以外は全部忘れること

・3秒以上迷わないこと

・決定をひるがえしたりしないこと

・何ものも決して壊したりしないこと

・もう駄目だ・・と思っても続けること

・あてずっぽうでしか撃たないこと



・・・以上。

「馬鹿者の訓戒」である。






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2009-02-20 19:49:55 | Weblog

我々は暇を持て余していた。

我々というのは俺と、ウィノナ・ライダーで、

場所は、某ショップである。

(ちなみに、我々は店員。)




ウ「ヒマやね」

俺「・・・・・・・・・・・・」

ウ「何かすることないん?」

俺「・・・・・・・・・・・・・ない」

ウ「何かあるやろ?」

俺「・・・ずいずいずっころばし」

ウ「それは嫌、って前に言うたやろ?」

俺「むむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・明日出荷する荷物のための調べものしといたらいいんちゃう?」

ウ「そしたら明日することなくなるやん」

俺「・・・・それなら”調べもの”を今しといて、

メモ用紙に必要事項をぜんぶ書いておいて、

そのあとそのメモを”ついうっかり”なくしてしまったらいいねん」

ウ「・・はぁ?」

俺「明日また出来るやん、同じこと」

ウ「・・・・・・・・・・・・・・それは嫌」

俺「・・・・・・嫌なんや」

ウ「・・・・・・・」

俺「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



暗転




いつもいつもこんなに暇なわけではない。


写真は、本物のウィノナ・ライダー。

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永劫

2009-02-20 16:26:52 | Weblog


憧れが強すぎて

抗うことなど出来なかった


いろんなことが歪んでしまい

それでも

僕の欲しかった答は君だった


手も足も出なかったのに

どうしてこんな事になる?


運命はまるで切り刻むナイフだし

呪われたかのように

まるで変わらない君


生きる事が苦痛であるかのような日々

だけど本当はすべてが

祝福されるべきだったんだよ


「喜び」と「痛み」など

同質のものでしかなくて


「喪失」っていうなら僕はまだ何も

手に入れてなどいない




この先も



未来永劫。

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思考回路

2009-02-19 23:04:17 | Weblog


泥のように疲れて、

深海まで潜るみたいに眠った。


馬鹿馬鹿しいのか、それとも意義深いのか

どちらとも判断がつかない出来事たち。


「満足できたこと」や

「完璧に出来たこと」なんてほとんどないのに・・

まるで分解寸前の不恰好な重戦車みたいに「時」は、

進む事しか知らないのだ。


進むこと、続けること、とにかく「やる」こと。

そのような傾向を、我々は持っている。


「やらなかった後悔」は虚しい。

「やってしまった後悔」は・・・・・・・・


いや、「やってしまったこと」に後悔などしないのだ。

少なくとも今は、しない。


俺は「新しい歌」のことを考える。

そして同時に

「古い夢」について考える。


・・・・考えてどうなる訳でもないんだけどさ。


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明日は木屋町・アバンギルドでピカレスク!

2009-02-14 20:35:11 | Weblog

昨日「夜想」に来てくれたみなさん、

どもありがっとでした。

何だか、知らない人たちの前で

自作の曲を一人で歌うって

けっこうすごいことだよな、と

当然のような事を思いました。

聴いてくれてありがとう。

呼んでくれる限り、これからも

とにかく一生懸命やろう・・と

何かスポ根みたいですが

そんなふうに思いました。

一人でやる「弾き語り」って

”自問自答”、もしくは ”一人遊び”みたい。

それはそれで楽しくていいのデスが

内側へ、内側へと向かう自分がいて、

ちょっと自閉的。

だが明日はバンドだ!

馬鹿ばっかり・・・・いや、

素敵でスゴ腕のミュージシャン揃い(笑)の

PICARESQUE。

リョータロの主演した映画、「JELLY FISH」

の監督でもあるナディアが、おフランスに帰ってしまうらしくて

さよならパーティーライヴです。

俺はまた髪を切りすぎているし(泣)、

ピカレスクはちょっとしか演奏しないけど、

それでもきっと楽しめると思うから

遊びに来てねー!



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明日の夜は

2009-02-12 09:46:11 | Weblog


不思議な気持ちの余韻をひきずったまま

明日の夜は、片山道郎ソロ。

形式は昔ながらのアコースティック弾き語り。

場所は京都・御池の「夜想」。


最近やってなかった曲とかをやってみよう、と思ってマス。

最近は「ピカレスク」でのギタリストとしての活動が面白くて

ちょっと夢中になってたんだけど

だからこそ逆に

自分が歌うことが新鮮で楽しい。


鉛筆で描くスカスカの線画みたいな

「アコースティック弾き語り」。


あ、そうか明日の他の出演者たちはバンドかな?

だったらよけい

”スカスカさ加減”が強調されて

面白いのではないか、と

手前味噌ながらそんな風に思っていマス。


騙されたつもりで(笑)、

観に来てくらっさい。




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友、遠方より。

2009-02-11 20:37:05 | Weblog

友達が福山からやって来た。


ちょっと特別な友達で

中学生の時、彼とバンドを組んだのだ。

生まれて初めてのバンド・・

こないだの日記に書いた「草戸千軒」の

ヴォーカリスト、土井健史。


俺が福山を離れてからもずっと

手紙のやりとり(長い長い手紙!)をしていたし、

俺が福山の実家に帰ったときは必ず会う。

それどころか

彼が東京に住んでた時代は東京に会いに行ったし


あっちも

俺が奈良に住んでたときは奈良に来たし、

大阪にも何度も来た。

そして今回、京都にやって来たのだ。

昨日は飲みながらいろんなこと話した。

とてもとても有意義だった。


彼がいきなり訪れてきた俺の部屋に

窓から(笑)入ってきたのは何年前になるんだろう?

・・・・にじゅうウン年前だな、時の経つのは早いな。

俺達のカンケイは本当にまったく変わらないのだ、

不思議といえばすごい不思議。


もうすぐ俺も福山に行くから

「大叔父さん」の絵を一緒に見に行こう!



彼が帰るのを駅で見送ってからウチに戻るとき

ものすごく不思議な気分になった。

ぜんぜん言葉に出来ない。

満たされたような、寂しいような。

漠然とした感じ。



その「感じ」はそのあとも

ずっと残ったままなのです。



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それがこんなに大事なものだとは

2009-02-09 17:25:34 | Weblog



おばあちゃんがよく、してくれた

「画家の叔父さん」の話、

細部をほとんど覚えてなくて・・・・。

くそー、あの頃こっそりカセットテープか何かを回して

録音しておけばよかった。


あの頃は「それ」がそんなに大事なものだとは思わなかったのだ。

「それ」が失われてしまうなんて想像もつかなかった。

って言うか、考えたくもなかった。


「録っておく」という行為は

「それがいつかは失われる」という事実を認めてしまうことになる。

無意識にそれを恐れていたのだ。


でもそうなると

愛着あるもの全てを「記録」していくことになる。

それはそれで哀しい。


そういえば

ジョン・レノンは一時、生活の全てを録音したり

写真をとりまくったりしてとにかく全てを

「記録」しようとしていたそうだ。

・・・その気持ちわかる。


佐治も昔、そんな時期があった。

テープもビデオも回しっ放しだった。




・・・・・そっか、ふたりともわかってたんだな。









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