シド

2008-06-30 15:02:27 | Weblog



これは一般的な見方だし、けっこう感傷的でもあるんだけど・・・



”可哀想なシドニー”はやっぱり、

”最悪のグルーピー”、ナンシー・スパンゲンに

連れて行かれちまったんだろうなぁ・・・。


たかだか30年前の事だ。


ロンドン・パンクのメッセージは

「髪を切れ、化粧を落とせ、素面になって自分の頭で考えろ」

っていうものだったハズなのに

シドはドラッグ(しかもヘロイン!)のオーヴァードーズで死んでしまい、

パンクは”混沌そのもの”みたいになってしまった。


俺はずっと前に「シド・アンド・ナンシー」を観たんだけど

最後のシーンが良かったな。


ニューヨーク郊外の

あるはずのない廃墟の、あるはずのないピザ屋

(舞台が大阪だったら間違いなくお好み焼き屋だったなw)

を出たシドを、黒い大きな車に乗った

(死んだはずの)ナンシーが迎えに来る・・。


ちょっとゾッとした。


破滅的なロマンティシズム。


俺が共感し、感情移入するのは

「生き抜くロマンティシズム」、

パンクで言えばつまり

クラッシュでありジョー・ストラマーなのだけれど。


シド・ヴィシャスに憧れたことなんてないのだけれど。



・・・岩佐はシドと同じ21歳でこの世を去ったのだ。


でも岩佐だってポール・シムノンのことばっかり言ってたぜ。


そういえばさ。


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雨の物語

2008-06-29 20:59:50 | Weblog
土砂降りの夕方に踏み切りが「開かず」と化して

傘をさしたまま10分近く待っていた。


いかにも梅雨らしい雨、

ひとつぶひとつぶがそれぞれ違う方向を向いているのだ、

何故だかはわからない。

ビニール傘に耳をつけて、雨の音を聞いていた。


山奥か海辺にテントをはってキャンプしたいな。

雨の中のテントで本を読みたい。

そして夢も見ずに原初の混沌の中で眠るのだ。


原初の混沌は音もなく、記憶もない。

クラクションもないし、時刻表もない。

ケータイのバッテリーもないし・・・

とにかく俺を苛苛させる有象無象など何もない。

それでいいのだ。


電車に乗り込んで気付くと雨は止んでいた。

やっぱり、夕立だった。

例によって例のごとくの

ピンポイント雨男攻撃だったのだ。


まったく・・・どうかしてると思うぜ?

いや、俺じゃなくて世界の方だ、狂ってるのは。


俺はマトモだ。

いたって健全な

「健康優良引っ込み思案」だ。


はははは。






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「愛」についてまだ考えてる

2008-06-28 23:08:30 | Weblog


愛は執着  愛は自己同一化

愛はしち面倒   でも愛は素敵


君のこと、どの辺までなら理解できる?

どこまで自由を尊重できる?


・・まるごと全部はとうてい無理。


それが駄目だとしたら

君の言う「愛」って一体何?


愛は与え続けるもの

愛はガソリン  愛はニトロ・グリセリン

愛はオートマティック・ガン。


愛ってけっこう貴重なもの、そして

降りしきる雨のごとくに豊穣。


「恋」のほうがしっくり来る、

「恋」ならわかるような気がするよ。

それは物欲でもないし支配欲でもない、

権力欲でもないし・・・・・リビドーなんかではもちろん、ない。


誰かに(何かに)憧れる気持ち。

そういうのがきっと、「恋」なんだし、

その「強度」ってけっこうすごいんだぜ。

四分の一世紀を超えて輝く、

憧れのロックンロール。



ひとつわかった。

俺にとっての「愛」とは

「憧れ」のことでもある。



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愛の矛盾について

2008-06-27 22:52:55 | Weblog


「愛」の反対は「憎しみ」ではなく

「無関心」なのだそうだ。


ふーん、なるほどなぁ。

「するってえと何かい?君は俺に会えなくてもてんで平気、

いやそれどころか俺のことなんて思い出すかどうかもわからない、

って言うんだね?」


・・・てな感じか。確かにこれはあんまりだよな。

「キイィーッ!憎たらしい!」

って言われる方が100倍マシである。


もうひとつ。


「愛」とはエゴイズムなのだそうだ。


何となくピンと来ないような気もしたのだが

むむむ・・・・・。

(誰かを)愛するがゆえに

相手に自分の価値観を押し付けるようなことになってしまったら、

そらぁエゴですなぁ。・・・・・・親子間とか危うそう。


もっと行くと「自分」と「愛する対象」が

(その人の観念の中で)一体化して・・・・・

そうなるとそれはもう「自己愛」デスね、くわばら、くわばら。


でもムツカしいなぁ、「愛」なんて。


日本語に「愛」って言う概念は存在しなかったんだよね?確か。

明治になって外国から輸入されたんだよ。


いや、冗談じゃなくて本当に。





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父達よ

2008-06-26 22:30:08 | Weblog
変化の季節、

永かった停滞の日々の終わり。

魂は開放され、

流れは向きを変える。


消えてしまった心を悼み、

新しい始まりを思う。


荒野へ!

コンクリートと鋼鉄の荒野へ。


父達よ、人の心はあまりにも・・・・・複雑だ。


でもすべては始まったばかり、

俺は何にも慣れてなんかいない。

痛みにも、君の存在にも、ギターを弾くことにすら。


大事なことは忘れてなんかいないし、

やらかしたヘマだって取り返しはつく。


取り返しのつかない事なんてない、

俺達はそのために生きているのだから。


みんな帰って来るし、何もかもがもと通りになる。


そう思ったら

悲しむことなんか何もないんだ、


そう思わない?



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悼む

2008-06-24 10:10:04 | Weblog

やはり「運命(みたいなもの)」はその物語を

今になってさえ

前に進めつつあるのだ。


いろいろなことがいろいろなことに呼応しあって

共鳴する。

そして「事実」がその足跡を

真新しい雪のような現実の上に残してどこかに去っていく。





いろいろな意味で重要なひとが

一昨日亡くなった。

最後にお会いしたのはいつだったか・・・・。

長いこと床に伏せっていらした。俺達にはもう、

気配さえ感じることは出来なかった。


「彼」が

呼びに来たのかなって思った。

例によって

はにかんだみたいに笑いながら。



ひと一人の人生はあまりにも重い、と

つくづく思う。

若くしての突然の死も

お歳を召されての緩慢な死も

「死」は「死」だ。



俺は悼みます。




さようなら。

優しくしていただいて

ありがとうございました。


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歳月

2008-06-23 09:10:51 | Weblog
何の覚悟もなく僕たちは

その七色の夜の中

虚しさをひた隠し

歩き続けていた頃に。


星くずが落ちてきたような雨、

君が何かを象徴するというのなら

それは一体何だったんだろう?


華やかな季節の終わり


僕のやってることは

起こってしまった事への再検証にすぎないのかも


そういう

自分にしか意味を持たないこと

なのかも知れないんだけど


そうだとしても


誰にも、何一つ、伝わらないのだとしても



僕は


書き

描き

歌い

奏でるだろう、


君を。



二十数年の歳月と

万感の想いを込めて


君を。



要するに

君と僕はもはや

分かちがたいくらいにつながってるからさ。


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「夜遊」を終えて

2008-06-22 10:06:44 | Weblog
京都「夜想」でのピカレスク・イヴェント

「夜遊」は満員御礼で

楽しかった。

来てくれた人々に感謝を捧げます。

予想以上にダンス!ダンス!なパフォーマンスの数々。


我々はもっと貪欲に、猥雑に、ごった煮的に・・

・・・面白い存在になれたらいいな、と思いマス。


ピカレスク、次は何と

大阪・難波ロックライダーでのライヴが決定。

7月24日木曜日。

京都以外でピカレスクを演るのは初めて。


みなさん、スケジュールを空けといてくらっさいね。
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明日はライヴ

2008-06-19 22:58:19 | Weblog
2008年6月20日 金曜日

我々「ピカレスク主催のイヴェント

その名も「夜遊」

いわゆる「バンド」は我々だけで、

ナベガンチはジャンベ集団だし

MISS Xはダンスパフォーマンス(そのバックバンドに俺も参加します)。

ちょっと京都っぽいイヴェントだと思いマス!

ピカレスクのミニアルバムも無事完成。

「夜想」はとても気に入ってるハコだし、

もう・・・いろいろといい条件がそろってマス。

ぜひ、遊びに来てね。



明日の夜、「夜想」で会いましょう!


出演

MERI&RYOTARO
舞々
MISS X
ピカレスク
ナベガンチ

オープン19時 スタート20時
チャージ2000円(1ドリンク付)

夜想 TEL075-211-0901

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「見果てぬ夢の完璧」

2008-06-18 10:52:42 | Weblog

誰一人完璧な人などいないので、

誰だって時にはハズします、スカッと。


「魂の高貴さは苦悩の深さで決まる」

のだそうですが

それなら「ハズす」ことの多い俺などは

さぞかし高貴な魂に・・・・・なっていないのは多分、

ハズしても苦悩しないからだ、と今気付きました。

次からは何かハズすたびに苦悩・・・しようと思ったのだが

止めました。そうすると俺なんか四六時中、

苦悩していなければならないかもしれないからです(←絶望的観測)。


ところで、これはあまり他人には言ってないので

あまり知られていない事実なのですが、

俺は・・・自称「完璧主義者」なのです。


(笑)



”自称”と付いてるところが何とも言えないですね。


その実態はどんなのか、と言えば

「絶対などない、完璧などありえない」と

念仏のように唱えながら物事にトライしては敗れ去る、

”見果てぬ夢の彼方の自称「完璧主義者」”なのです(長いな・・)。


いや、しかし真面目な話、完璧には憧れます。

英語で言うとPERFECT。

俺はSCHOTTのPERFECTOという革ジャンを持っているのですが

PERFECTOですら

完璧ではありません(水は漏る、エンストはする、道に迷う・・・・)。

それではなにが完璧なのか。


・・・例によって逆説みたいになるのですが、

「この世界」は穴だらけで、それでいてなんと言うか・・・・

間違いなく「完璧」ではないか?とよく思います。


全然完璧なんかじゃないのに

その「完璧じゃない」という事実が逆に

その「完璧性」を証明する。

・・・結局、「世界」は「完璧」なのです。


そして


完璧な世界に住む誰一人、完璧ではない・・・という事実。


これはまた逆説の逆説。

・・アタマがこんがらかってきました。

それはそうと。


そしてまた俺は今日も完璧を目指すのです。


「見果てぬ夢の完璧」を。





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