I  HOPE   SO

2021-03-31 21:19:23 | Weblog

二千二十一年の三月は今日で終わりっ!

 

 

明日から何か、変わるだろうか?ほんの一ミリくらいでも?

 

「ほとぼり」は冷めるだろうか?

 

一歩、踏み出せるだろうか?

 

新しいことが動き出すだろうか?

 

古い愚かさは、死滅してくれるだろうか?

 

とにかく・・・・何とかなるだろうか?

 

「やっててよかった」とか「生きててよかった」とか

 

また思えるだろうか?

 

大事なものをちゃんと大事にできるだろうか?

 

苦手なことや、嫌なことを、乗り越えられるだろうか?

 

きちんと「再生」出来るだろうか?プラナリアみたいに??

 

そして僕は動き出せるだろうか?

 

災厄に立ち向かえるだろうか?

 

 

 

そして

 

 

また君に会えるだろうか?

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・いつの日か、近い将来に。



 

 

 

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詩ィが好きやねん放っとけや

2021-03-30 21:01:00 | Weblog

「ポエム」みたいな嫌な言い方で揶揄されたりすることもありがちだけど僕は

「詩」、もしくは「詩」のような言い回しって、好きだ。

言いたいこと言いっ放し。

論理的整合性もなしでいいし、韻なんか、踏んでも踏まなくてもいい。

5.7.5にする必要もないし5.7.5.7.7.なんて、言わずもがな。

ストーリー性さえなしでいい。

伝わんねー奴には伝わんねーでいい。

クサす奴はクサせばいい。

「詩」のかたちでしか、言えないようなことってあるのだ。

大体が人間なんて整合性の中でおとなしく思考してるばかりじゃなくて、

でも言語からはみ出すとそれは抽象思考になってしまうので

そのギリギリのはざまで思考する。

そうすると「てにをは」の的確性さえぶっ飛んだ「詩」になるのだ。

 

ああ?出来の良し悪しは知らん。オマエが判断しろ。

 

アフォリズム???そう言いたければ言ってもいい。

とにかく、整合性なんてクソ喰らえ、と言いたい夜だってあるのだ。

 

 

 

 

あ、でも言っておくけどコイズミの馬鹿息子の環境大臣みたいなのと、

頼むから一緒にしてくれるなよ。

あれは頭が悪いだけだ。センスも悪いが。

あれを「ポエム」なんて言ったら「ポエム」に失礼だぜまじで。

あんな恥ずかしい幼稚なヤツが「大臣」だなんて、この国は狂ってる。

答弁もマトモにできないヤツが首相だし。・・・言っとくがな、お前に「答弁を控える」権利なんてないんだよ。

そして、厚かましい大ウソツキが前首相だ。起訴して、逮捕して、投獄しろよな本気で。

 

 

ああ、つい腹を立ててしまった。

馬鹿馬鹿しい。

腹を立てたらタイトルが関西弁になってしまった。

 

たまにはいいか。

 

 

あ、ところで ちゃんとした「詩」も、好きだぜ。

ケルアックの「メキシコシシティ・ブルーズ」とかさ。

 

 

・・・・・・・・・・・・ちゃんとしてないかな。

 

 

 

 

あ、あと、宮沢賢治は大詩人だと思うぜ。

 

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音楽の話。

2021-03-29 20:56:51 | Weblog

今月の「ロッキング・オン」誌は何と、ジョニ・ミッチェル特集だった。

何と言うか・・とても意外だった。

だってジョニ本人はほとんど引退状態だし、大きなトピックがあるワケではない・・・・いや、

あった、

アーカイヴス VOL.1という初期の音源発掘物の発売が最近、あったのだな。

ちょっと前にピーターさんの「ウィークエンドサンシャイン」で、かかっていた。

そのせいもあるのだろうけど、今現在、ジョニ・ミッチェルの再評価の機運がものすごく高まっているのだ。

テイラー・スィフトがジョニのファンだ、と公言しているらしいし。

かのプリンスもそうだった。

っていうかリッキー・リー・ジョーンズもスザンヌ・ヴェガもそうだし、

ソニック・ユースだってすごい影響受けてるのだ、ジョニから。

ジョニ・ミッチェルは女性シンガーソングライターの始祖鳥であり、究極であり、希少なオリジンなのだ。

僕ももちろん、大好きである。ファンである。

とか言いながら、今回のこの「ロッキング・オン」の特集で、知らないことが山ほど書いてあって、

自分がすごくすごく中途半端なファンであることを思い知った。

そのうちの一つ、1979年のアルバム「ミンガス」についての話。

僕はこれはCDで持っていて、大好きな一枚。

ジャズミュージシャンのチャーリーミンガスのトリヴュート、というかミンガスに捧げたアルバム、というのは知っていたのだが

 

当初は共演アルバムになる予定だったのが、製作途中でミンガスが急死。

結果としてトリヴュート・アルバムになった・・・・・・とアルバム・レヴューに書いてある。

 

し、知らなかった。そんな経緯があったとは。

壮絶だ。しかも話は、ミンガスのほうからジョニに持ち掛けたらしい。

 

このアルバムの曲は、いわゆるポップからはかけ離れている。ちょっと難解・・・と言ってもいいかもしれない。

レコードレヴューの、1985年の「ドッグ・イート・ドッグ」のところに

”中でも「ミンガス」に次ぐ「問題作/鬼門」として物議を醸しだしたのが本作だ”とある。

つまり・・・・・「ミンガス」も、問題作/鬼門 扱いされたのだな、当時は。

 

現在では、少し難解ながら名盤・・・という扱いを受けているように思うのだが。

ジャコ・パストリアスのベースも、恐ろしいくらいかっこいいし。

 

 

 

 

 

もう一つ、音楽関係の話を。

 

 

 

 

今日の夕方、NHK FMの「夜のプレイリスト」という番組で

押尾コータローがYMOの「ソリッドステイトサヴァイヴァー」を まるまる全部、紹介していた。

それで突然思い出したのだが、これがヒットした当時、僕はこれを聴いていた。

友達の一人がレコードを買って、持ってきたのだ。

でも当時は全然いいと思わなかった。ぺらぺらのシンセ(当時は「シンセサイザー」すら知らなかったが)の音。

アレンジも、変に気取った感じがしてしまった。

今聞くと、その「変に気取った感じ」はニューウェーヴ風味なのだ、と感じる。悪くない。

それは、ビートルズの「デイトリッパー」のカヴァーに、顕著に表れている。

過去を壊す、新しいことをやる、という心意気。今はそんな風に聞こえる。

後々で聞くと、YMOは素晴らしかった。素晴らしすぎる。

 

それで、YMOと言えば・・・・先々週の、インターFMのピーターさんの番組「バラカンビート」の中で、

ピーターさんが「当時YMOが所属していたヨロシタミュージックの社員に僕はなって」と言った。

・・・ピーターさんがヨロシタの社員だったのは以前、書籍を読んで知っていたのだが、

YMOがヨロシタに所属していた、ということは全然知らなかったので驚いた。(調べたら確かに、そうみたいだ。)

あの・・・・ヨロシタミュージックには僕は ばるぼら でさんざんお世話になっているのだ(YMOよりだいぶ、後日だが)。

要は、大蔵さんが我々の面倒を見て下さったのだ。

1996年から1999年くらいの話だが。CDの契約をしに、本社ビルまで行ったこともある。

でも知らなかった。・・・YMO?YMOが所属してたの?ヨロシタに??????????

何だかもう、自分の無知が凄すぎてほんとに馬鹿みたいな気分である。

 

例え話で言えば、

「小学校の同じクラスに三島由紀夫がいたのに気付いてなかった」というような感じかもしれない。

 

いや、もしも三島がいたら・・嫌でも気付くかな?

 

 

あ、そうそう、ばるぼら はヨロシタミュージックに所属は、してなかったんだがね。

 

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「出会い」その2

2021-03-28 17:29:01 | Weblog

人と出会う、と一口に言ってもそれは簡単ではない。

 

例えば学校で偶然、同じクラスになったとしても 毎日卒業まで近くにいても

結局親しくならない(なれない)人のほうが圧倒的に多いのだ。ほとんどの人と、そうなのだ。

それはつまり、出会っているのに出会えていない。

 

例えば、

ふとしたきっかけで会話するようになって、あれ?何か、好きなものも一緒じゃん、

とか、話が合うなあ、とかなって、お互いが心を開くようになる。

そして、やっと出会えるのだ。

 

僕の場合は少し変わっていて、目立たない地味な子供だったのだが

中学生の時にギターを・・・・・買ってもらうことに成功して

(お父さんお母さんお祖母ちゃん、ありがとうございます今でも感謝しています)、

それを何とか、独学である程度弾けるようになったことがとても大きなことだった。

実際、それは巨大なブレイクスルーだったのだ。

真っ暗な浜辺で大きな花火を打ち上げたようなものだ。

土井健とも、それで出会ったし。

でもそういえば土井健とはそれ以前に、出会っているのだ・・・何と、生まれて初めて行ったロックコンサート会場で。

我々は多分、13歳もしくは14歳、場所は福山市民会館、バンドは、甲斐バンドである。

お互い、一人で来ていた。出会った、と言ってもその場では会釈をしたくらいなのだが、

後になってつくづく思ったのだが、あのことは大きかったな。

でも、後日、彼が窓から入ってきたのは「ギター弾いて見せてよ」ということだったのだ。ギターは偉大だ。

そして我々は生涯初のバンドを結成した。

僕が奈良県の高校に行くことになったのでそのバンドは活動できなくなったが、

解散した覚えもなく、我々は今でも親しいままなので いつかまた、

出来る日が来ると実は僕は未だに、確信している。

 

高校でも、軽音楽部で出会った岩佐が

佐治に「バンドに入れたい奴がいる」と言ったから、他のクラスからわざわざ僕のことを見に来たらしい・・佐治が。

そのことは後で聞いたのだが、見た目には全然感心してくれなかったそうだ。そりゃそうか。

でも結局バンドを一緒に結成することになって、それは後のランブルフィッシュになった。

 

佐治とは長い長い時間をかけて「出会えた」ように思う。

高校生当時、不良に憧れていた彼は、不良性などカケラもない僕のことを始めは多分、ナメ切っていたのだ。

・・・・・別にいいけどさ。

 

でも、一緒に曲を作ったり、演奏したり、校舎の裏山で一緒にタバコを吸ったり、ビール飲んでみたり、

バンドで学園祭に出たり、女の子のことでひと悶着有ったり・・・・。

 

何年も何年もかけて最終的に、とてもとても親しい友達になれた、と思っている。

 

 

 

 

全部「昔話」なんだけど、そこで起こった様々な出来事が僕にとってはすごくすごく重要だったし、

今でも忘れてないし、「それ」は今でも続いている。

 

その後も良い「出会い」はいくつもあったし、

そのことはもっと後になってから僕の中で言語化できるのかもしれない。

 

 

 

良い「出会い」はその一つ一つが、すごく貴重だから

ちゃんと大切にしたい、と

僕はいつも思ってるのです。

 

 

 

 

 

 

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「人生の醍醐味はすべて出会い」

2021-03-28 16:42:01 | Weblog

「人生の醍醐味はすべて出会いです」

 

雑音の向こうから誰かがそう言った。

一昨日の早朝、まだ暗いころ、僕はトラックに乗りながら

カーラジオをランダム・サーチ・モードにして、何か面白い音楽でもかかっていないかと

探していたら

どこの放送局かもわからないのだが、誰かがインタヴューを受けていたみたいで、

唐突にその言葉が耳に入ったので僕はそこでダイヤルを止めた。

 

その人は続ける。「どんな人に出会えるか?で、人生は大きく変わります」

「もっと言えば”良い導き手”に出会えるととても幸せです」

うん・・・・確かに、そうかもしれない。

 

この人は誰だろう?と興味がわいた。

その後しばらく聞いていてわかったのだが、作家のアラマタヒロシだった。

そうか。この人はこの人で実は興味深いのだが、その話はまた今度。

今日は彼が言っていたことについて。

 

そうだね、人生は「出会い」に大きく左右される。

「どんな人に出会えるか」は、誰にもわからないし、それが人生を決定づけることが多い。

 

僕にとっての重要な出会いは、いくつか・・・・いくつも、あった。

出会えた彼らは僕にとって”良い導き手”でもあった、と思う。僕はとてもラッキーだった。

 

「引きが強い」と言ってしまってもいいくらいだと思う。

 

中学で結成したバンドの「彼ら」と出会い、

高校ではランブルフィッシュの「彼ら」と出会い

そのあとも ばるぼら の「彼ら」と出会えている。

 

・・・すごい。

 

 風の歌 

 MITT’S   にも何人ものバンドマンが出入りして、

その都度その「彼ら」と出会えた。

 

そして今は今で、ROCA’66の「彼ら」と出会えているのだ。

 

そのバンド活動を通じて、信じられないくらい多くの「ツワモノ」たちと出会えた。

対バンのメンバー、お客さん、ライヴハウスのスタッフ、レコード会社の人、ロックバーの人、ETC ETC.

 

最強にクルッた怖い人もいたし、最高に理知的で魅力的な人もいた。

 

「彼ら」、そして「彼女ら」。

 

 

その出会いは、僕の人生を決定した。

僕は「彼ら」に、心から感謝している。

今風の言い方をすれば(よしなさいっての)「感謝しかない」、ということになる。

 

僕も今後、誰かに何か聞かれたら迷わずにそう言おう。

「人生の醍醐味は、すべて出会いです」と。

 

次にラジオに出演する機会があったらそんな風に言おう。

 

そんな機会は・・・・・・・・・・・・・・ないかもだけど。(暗転)

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年齢について考えてしまう

2021-03-24 20:58:07 | Weblog

今日、何の気なしにラジオを聞いていたら何かのCMで、

「60歳以上の皆さん、シルバー人材センターに登録しましょう」みたいなことを言っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふと気づく。

俺まだ50代半ばだけどさ、

あと5年くらいしたら「シルバー人材登録センター」に登録できちゃうのだ。

それさ、一般的には「再就職」みたいな事なんだろうね?

 

普段あんまり意識しないのだが、もうすでにそういう年齢に近づいているのだ。

っていうか、片足は突っ込んでいる・・・と考えたほうがいいだろう。

 

「人生五十年」って言ったのはたしかオダノブナガか誰か武将だったと思うんだが、

実際、古典落語に出てくる「ご隠居」って、五十代くらいの人なんだよな。

そういえば昨日、興味本位で意味もなく、 谷崎の「蓼食う虫」という小説の頭のほうだけ読んでいて、

それに出てくる主人公の嫁さんのお父さんは「老人」と称されるのだが、その「老人」は何と、55歳くらいなのだ。

うーん・・・・。

ラジオでは新しく出て来た女性シンガーソングライターが今年、大学を卒業した、と報じる。

23歳くらいか。

それって、俺達にはもう30年前の出来事だ。いや、俺は大学に行きもしなかったのだけれどさ、

それでも、23歳だったことは あったよ。

 

年齢って面白い。いや、面白くないと言うべきか。

生きてきた年月がそのまま年齢として加算されているらしい。

でもそんな実感はない。

 

トラックの同僚で20代の奴もいるのだが、聞いてみるとどうやら、彼のお母さんは俺と同い年である。

はははは。ちゃんちゃら可笑しい。

 

 

「シルバー人材登録センター」かあ。

ピンと来ねえなぁ。

 

 

こないだまで19歳だったはずなのにな。

 

 

 

 

まぁ、関係ないけどさ。

 

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スタジオ

2021-03-21 21:56:48 | Weblog

久しぶりに今日はROCA’66で、スタジオに入れたのだ。

すっごく良かった。

言うまでもないことだが、少々間が開いたところでこのバンドはしっかり、生きているのだ。

それを実感した。

人間一人の持つ存在感と情報量は半端なく、でかい。

特にそれを音楽で表現しよう、などと目論む人間は個性的であって当然だ。

そんな人間が4人も集まって、

楽曲に集中するのだ。

それって、やっぱ、すごいことだ・・・と改めて思う。

ROCA’66はヴォーカルギターの俺、ドラムのトビー、ギターの赤井、ベースの伊藤。

我々は音楽をやってなかったら出会ってなかった。

そう思うと何だか、嬉しい。

楽曲を今回も一曲、新しく作っていったのだが

バンドは、俺の想像を超えた演奏をしてくれて、楽曲を新しく蘇らせてくれる。

それは人の持つ「チカラ」なのだ。

バンドが、この状況下で動けないのに、何食わぬ顔をして生きていてくれることがとても嬉しい。

バンドはやはり、俺の生きるための原動力である、と再認識する。

以前には出来なかったことが今、出来るようになっている。

そういうのって本当に、生きててよかった・・・と思わされる出来事だ。

昔は良かった、なんて言ってる場合ではない。

その「良かった昔」を、今、超えるのだ。

それは不可能ではない。

不可能だ、と思った瞬間にそれは不可能になる。

不可能性より我々は、可能性の世界に生きよう。

それでいいと思う。

俺は自分が、間違っていないと思う。そしてそれを、切に願う。

 

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目覚めると私はだだっ広い平原にいた

2021-03-18 21:03:11 | Weblog

小学生だった頃に読んだ漫画で、とてもとても心に残って・・・忘れられないものがある。

 

その内容は

男が20人、だだっ広い平原のようなところで目覚める。

全員、過去の記憶はない。

ただ、「戦わねばならない」ということだけはおぼろげにわかっている。

自分たちの「陣地」みたいなものもある。

遠くを見れば「敵」の陣地も見え、

「敵」の兵士も20人いる。

やがて必然的に戦いが始まり、彼らは「敵」と対峙し、殺し合う。

敵の「王」を殺せたら、もしくは自分たちの「王」を殺されたら・・・この戦いは終わりだ。それまでは終われない。

そして男たちは、なぜ戦うか?の意味も分からず、血みどろの戦いを続ける。

幾人もの兵士が死に、最後に「王」は殺され、戦いは終わる。

次の瞬間

また彼らは無傷で目覚める。そしてまた戦いを始める・・・・・・・。

 

最後の最後に明かされるのは、その世界は「将棋盤」で、20人の男たちは「将棋の駒」だったのだ。

 

がーん。

 

ひどい。

 

と思ったのだが、後々になって深く考えるとこれって、

現実の世界そのもののメタファーでもある・・・・というか、そう受け取ることもできる。

 

我々だって、何の説明もなくこの「世界」で目覚め、

寒さと戦い、飢えと戦い、野生動物と戦い、天変地異と戦い、

あまつさえ「敵」と戦わざるを得なかったりする。

 

書物とか、先祖の言い伝え・・そして「クッキング・レシピ」みたいなものが確定していなかった(であろう)原始時代では

この世界において、「我々に食べることのできるもの」はどれか?ということすら、定かではない。

 

無機物(石など)は、食べられない。

木・・・は、我々の胃では消化できないので、食べられない。

キノコは、毒があるものがほとんどだから、食べられない。

川の魚を生で喰っては絶対ダメ。理由はわからないが(本当は寄生虫のせいなのだが)、喰ったら死ぬ。

腐ったものも食ってはダメ。でもいい匂いのする腐った豆とかは例外的に喰ってよし。

腐った「牛の乳」とかもOK。腐った「米ぬか」もオッケイ。

ETC, ETC ・・・・・・・。

 

僕は今日、タケノコを食べながらこのようなことを思った。

人類は何故タケノコを食するのか?

だってそれ、「竹」だよ?「木」だよ?

フツーさぁ、そんなの、喰えるわけないじゃん。

 

でもタケノコは、ほんのりと美味しい。一番初めに「喰ってみよう」と思った人はエライ。

いや、「ウニ」だって。

あんなもん喰えると思わないよフツー。

僕は「魚」でさえ・・・食えないかもしれない、もしも「火」も、「包丁」も、「醤油」も ない状況なら。

 

もしも僕が「原始人的状況」に無知なまま放り出されたならきっと、

「果実」しか食えないであろう。他のものが食える、とは・・・・思い当たらないであろう。

 

チンパンジーは「果実食」なのだ。

 

だから、っていうか僕は思うのだけれど、

人類にとって一番自然な食べ物は「果実」なのであろう。

 

 

「お米」も、「麦」も、果実に近い存在だと言える。

 

だからきっと我々は「ご飯」や「パン」が好きなのだ。

 

それが「主食」と呼ばれたりするのだ。

 

 

違うかもしれないけど。

 

 

 

 

話は突然冒頭にもどるけど、

我々が「将棋の駒」ではない、という確証は 、

 

   ない。

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年相応に・・なんて、一生なれないだろう。

2021-03-15 21:10:16 | Weblog

一緒に働いている30代の同僚が言う。

「60歳代になったらいつ死んでもおかしくないっすよ~」と、明るく、あっけらかんと。

いや、実は最近、彼の父親(60代半ば)の身体に、致命的な病気の存在が判明したらしくて、

きっとそのショックを隠すために強がりを言っているのだが

半分は本気でそう思っているようにも見える。

 

うーん、どうなんだろう。

そういえば、というか何と言うか、僕の父は68歳で亡くなった。癌だった。

でも身内の素直な感想を言えば、もっともっと「お爺ちゃん」になった父の姿も見てみたかった。

というかストレートに、もっと生きて欲しかったのだ。

 

68歳なら「早世」とか「早死に」とかは、言わないかもしれない。

 

画家だった大叔父は58歳で病気で亡くなっている。

医者の誤診だったそうで、現代ならそういうのって、大問題にされているかもしれない。

その、大叔父が58歳で亡くなった、という話を聞いて

子供だった僕は祖母に、「早死にではないし、悔いはないんじゃない?」みたいなこと言ったら

祖母は少し怒った顔で、「画家の50代なんてね、まだまだこれからだったのよ」と言った。

僕はすごく無神経なことを言ったのだ。

想像力と共感力が欠如していたのだ、子供だったから。

・・・・・・・・・・・・・・・・今でも後悔している。

 

それはともかく、

実の親や、近親者の死んだ年齢、というのは妙に意識してしまうものである。

 

僕もしかし、あと5、6、年もすれば60歳代に突入するのだ。

突入すれば、「いつ死んでもおかしくない」、ということになるのであろうか。

 

そういう風に、意識的に「準備」し始めたほうがいいような気もするし

逆に

そんなこと一切考えず、19歳だった頃の精神年齢のままで死ぬまで、

馬鹿みたいに生きていくほうが僕らしくていいかもしれない。

 

あああ、考えるまでもなく後者だ。

 

 

 

「年相応」に・・なんて、死んだってなれないのだ、きっと。

 

 

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「事情」について。

2021-03-12 21:12:08 | Weblog

我々は基本的に、とても「自由」な存在である。

どこへ行ったっていいし、

何をやったっていい。

 

・・・・とか言いながらこの世では

様々な「事情」が我々の行動を制限している。

 

例えば、

たった何分間かの間、酸素のない状況が続けばそれだけで我々は

生き続けることが出来ない。

そして(当然ながら)一度死んでしまえば二度ともと通りにはなれない。

死者が蘇るのは神話か御伽噺かホラー映画の中だけの事だ。

 

酸素だけではない。

何日か、水や食物が調達できないだけで我々は死ぬ。

 

それだけではない。

ある程度以下の、もしくはある程度以上の気温が一定期間続けば、

やはり我々は生きていられない。

 

基本的な事柄であるが、これらは全部「事情」である。

 

日々、その基本的な「事情」をクリアしながら我々は生きていて、

それだけでもエライのだがその上に、

 

集団で生きる動物 としての社会的な

法律

とか

常識

みたいなものも、ある。

 

これらも「事情」だ。

 

何だ、そんなの・・・・全然「自由」なんかじゃないじゃんかよ、などと思ってはいけない。

 

 

それらの「事情」をクリアしたうえで我々は「自由」になれるし、

「自由」でい続けられるのだ。

 

 

「自由」とは、与えられるものではなくて、

戦って勝ち取るものだ、などと言うとまるで革命戦士か社会派パンクスのようだが、

でも本当にそうなのだ。

 

だから我々の日々は 自ずと、

「事情との闘い」ということになるし、

 

でもそれは「自由」を勝ち取るためのものであるから全然悲劇的ではないし、

むしろ楽しんでしまっていいのだ。

 

 

 

 

 

 

そんな風にうじうじとアレコレ考えながら僕は、日々の「試練」に立ち向かっているのです。

 

 

 

 

 

 

でも本当は怠惰に一年中・・・眠って暮らしたいのだけれども。

 

 

 

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