2017年夏の謝辞。

2017-07-30 17:41:38 | Weblog

昨日は良い夜だった。

本当に・・・「ライヴハウス文化」って素敵。その中に長いこと居られてアタシは、すごいシアワセ者だわ。

昨夜は、京都のとても趣味の良い、小さな、気持ちの良い、PAも音もよい、

経営してる人たちの人柄も良い、という一種奇跡的なライヴハウス、「夜想」(名前も良い)で

出演させてもらった。

しかも競演、というか対バンがこれまた趣味の良いバンド、「フレイクスバーングループ」と

俺が去年・・だっけ?もう一昨年かな?に、一時、ギターで参加させてもらってた「地獄の季節」。

出演者が全員、知り合い、というか顔なじみ、というか。

あ、地獄のギターのヒロミチ君とは初対面だったんだけど。感じの良い青年だった。

我々はベースの「たんちん」がこのライヴを最後に脱退、という節目の季節。

ここ二年くらいで作り上げてきたバンドのグルーヴを一旦解体することになる。

ROCA'66は、新しいグルーヴをまたイチから作ることになる。そういうのって、とても楽しみだ。

新ベーシストは、「39AVRAGE」をやっていた、伊藤くん。とても素敵。何と、同い年なのだ。

しかも大昔に、俺がランブルフィッシュのギターだった頃に、対バンしてる。

ああ、昔から縁があったんだ。そういうヒトをバンドに迎え入れられるのは、大きな喜び。

この歳になって「新メンバー」だなんてね。楽しくて笑っちゃうけどこういうのも、

ライブハウス文化が成熟してるから可能なのだ・・・と思う。

昨夜の「夜想」は満員御礼。

我々も気持ち良く、ステージをやりきる事が出来た。

しかしちょっと「痛い系」かしらねアタシ?と自分で思った。歌いながら毎回泣きそうになってるし。

まあいいか。ジャニスだって泣きながら歌ってたさ(←自己弁護している)。

フレイクスもとても素敵。ポップで洒落た楽曲。上手いし、かっこいい。

地獄の季節は、自分が抜けてから初めて見たのだけれど、

やっぱり深い魅力の在るバンド。「魔力」と言ってもいいような。

そして異常に高い完成度。ライヴハウスって本当に凄いところだな、と改めて思う。

フレイクスにしても、地獄にしても、

大きなホールで演奏してても全然おかしくないようなバンドなんだぜ。

インターFMでかかっても全然おかしくない。

フジロックに出てても良いと思う。

俺ら?も(どさくさにまぎれて)そうだ、と言っておこう。


さて、新しいグルーヴを作り上げるためにしばらく、スタジオにこもります。

だから、この夏はもう、ライヴなし。


次回のROCA'66のライヴ、新ベーシスト伊藤くんお披露目ライヴは

10月7日土曜日、十三ファンダンゴにて。


まだまだ演れるのだ、と思うと目が眩みそうではあるが、とても嬉しい。



昨日来てくれた皆さん、どうもありがとう。

対バンの人たちもありがとう。

夜想の人たちもありがとう。

たんちん、今までありがとう。

俺が落ち込んでるときに「バンドやろうよ」って半ば強引に誘ってくれたのがたんちんだった。感謝してます。


ライヴは人生の中で最上の喜びだ。

ジエットコースターみたい。ブレーキのないクルマみたい。

願望と愛情と喪失と、孤独と「感情の共有」が炸裂する。

この世界にライヴがあってよかった。

ライヴハウスがあってよかった。

我々みたいなロクデナシと感情を共有してくれる人たちが居てくれて、本当によかった。






ああ、感情が不安定になる。

楽し過ぎると、そうなる。

はははのは。











写真は新メンバーの伊藤君が撮ってくれたものだよ。



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明日、2017年7月29日「夜想」。我々にとっては節目のライヴ。でもトゥモローネバ-ノウズなのよ人生は。

2017-07-28 22:23:22 | Weblog


そう、明日のことなんて当たり前だが、わかるはずもない。

だから俺は予定を立てるのが昔からすごく嫌いだ。

何一つ予定なんか立てずに生きていけたらどんなに良いだろう。

まあしかし、そうもいかない。

原始人じゃないんだから。

・・・・・・・・・・原始人は多分・・・明日以降の予定なんか立てずに生きてたんじゃないか?と思うのだが

本当のところはわからない。

分刻み、秒刻みのスケジュールで再来年まで予定がびっしり・・・だったりしてね。さすがにそりゃないか。

えーと原始人はいい、として、

一歩退化して(退化するなよ)、お猿はどうだろう?

お猿は多分、予定を立てて行動しないであろう。

言語を持たないから。

だから「明日」という概念すら、ないかもしれない。いや当然、ないだろう。

そして、昨日とおとといの区別もつかないであろう。

それって・・・・・・とても素敵だ。

しかし私はお猿に憧れている場合ではない。

何故かというと、意外に深く、当初思っていたより、深入りしてるのだ、言語的森林に。

言語の森で私は、迷子になりかけている。

むう。

だがそれでも、明日以降の予定を立てるのは嫌なのだ。

不自由だからだ、窮屈だからだ、不自然だからだ。

私は

思いついたときに(即座に)思いついたことをしたい。

何一つ、制約を受けたくない。

新幹線の切符を予約したくなんかないし、

歯医者の予約も、クソ喰らえだ。

ああ、でもライヴはあらかじめ決めておかなければ、ライヴハウスに出演する事は出来ない。

大体、3ヶ月前には決めておかないと。

でも3ヵ月後に私は、生きてるのかしら?

明日の予定すら、立てるの嫌なのに。

まあいいさ、

でもそういえば3ヶ月前に決めたライヴが、明日に迫ってきているのだよ諸君。

時間が経つのは早いなあ。

明日だ、明日。

これは「明日の予定」ではない、

「明日の宿命」だ「明日の運命」だ。「明日の必然」だ。

今思いついた。明日は京都で会おう。

京都で、待ってるアル。






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国会が、聞いてて面白かった件について。

2017-07-26 22:09:48 | Weblog


 昨日、一昨日と、

国会での議論(?)が白熱して、聞いててすっごく面白かった。

問題自体はしょーもない、と言えばしょーもない。

だがここで事実を暴いて、政権に致命的なダメージを与えれば、あの偉そうなオッサン達を

政権の座から引きずり降ろせるかもしれないのだ。

わくわく。

仕事しながらラジオで聞いてたんだけどさ。


展開されたのは・・・・・・・・・・・・ぎりぎりのかけひき。

言葉を武器に、戦う、戦う。

いやぁ、マジで、手に汗握る攻防だったわよ。

「茶番劇だ」なんて言ってたヒトがいた(偶然見たテレビの街頭インタヴューで)けど、

あれを誰も、茶番劇とは言えないんじゃなかろうか。

ぶち切れてたもんね。

とりあえずしかし、厚顔無恥のオッサンたちが何とかカンとか、逃げ切ったか?

それはちょっと口惜しいのだけれど。

特に面白かったのは、(参考人で呼ばれた)首相秘書だった人物が

「記憶に無い」という趣旨の発言を、つごう7回も連発したこと。

「記憶に御座いません」としか言えないってのはしかし、

「事実は、存在します」って認めてるようなものだよね。

「(今治市の担当者と)会っていません」って言えないんだもの。笑っちゃうぜ。

そして、山本大臣の、あの無意味な出しゃばりと、無内容な発言。

多分、俺でもあの場に居たら「オマエ邪魔だから出て行け」って叫んだかもしれない。

しかし本人は身を挺して首相を守ってるつもり・・・なんだろうなあ。

でも「論戦」って、ああゆうのもアリなんだな。まあ何と言うか・・・・みっともなくて頭悪いけど。

「言葉のプロレス」みたいで、非常に楽しめた。

この後も皆さん頑張って、

偉そうなオッサン達を蹴落として下さい。

期待してます。





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世界は流動的

2017-07-25 22:03:30 | Weblog

・・・・・・そう、世界はとても流動的なのだ。


近視眼的には同じような毎日が過ぎてゆくように見えるけど、

ほんの少しずつ、形を変えて行く。だから少し遠目で見ると激変している事象の多いこと!


例えば僕は


ある時は東京の団地住まいの小学生だった。・・・ついこないだのような気がする、マジで。

でもふと気付くと

広島の中学生になっていて、ギターを練習していた。

次に気付いたときは大阪で、古着屋の店員だった。髪の毛は腰まで伸びている。

でもハッと気付いたら病院に入院していて、丸坊主だった(救急隊員にバリカンで刈られたのだ、気を失っている間に)。

で、いろいろあって、気付いたら京都に居て、

あれ?こないだまで10トンダンプ乗ってた気がしたんだけど・・・・・・・

今は何故か4トントラックの運転席で日記を書いている。

(この文章は、朝、トラックの中で書いたもの。それを 夜、パソコンでアップしている。)

ここは兵庫県川西市で(←単に配達で訪れている)、

この時間(朝8時)、目の前を横切っていくはずの小学生の集団登校の行列は今日は来ない。

・・・・・そうだ、昨日か一昨日くらいから夏休みなんだな。


ほんのさっき・・・・いや、40年前なら僕も小学生で、夏休みは永遠に続くような気がしていた。

自分がいつか大人になるなんて考えもしなかったし、

ずっとずっと子供のままでいるんだと思っていた。


それにしても時間ってのはスゲエなあ、と思う。

何もかも、本当に何もかもが「時間」に集約される。

そしてそのくせ、時間がすべてを無化して行く。


ああ、そういうのって何か切ない気がするけど、

バンドのメンバーも変わる、替わる、代わる。


今まで何人の人と「バンド」を共有しただろう?

・・・・・一回、数えてみたんだけど、40人超えてるんだぜ。ひぃ。



そして、また。



ROCA'66でベースを弾いてくれてる「たんちん」が

今週末、7月29日の「夜想」でのライヴを最後に脱退する。


でも我々は友達のまま、だし、


「たんちん」は他にもバンドいろいろやってて、

「ポロリーズ」のヴォーカル/ギターだし、

「ダウンホームスペシャル」のヴォーカル/ギターだし、

「ダスト」のベースだし。

また頻繁にライヴハウスで出会うだろう。

たんちん、今までありがとうね。


ROCA'66は後任のベーシストも決まっていて、また別なグルーヴでバンドは続いていく。

少し寂しくもあるが、楽しみな面も多い。


だがこの4人、(ミチ、たんちん、トビー、赤井) でROCA'66としてライヴやるのは


今週末の「夜想」で最後だから、


出来たら是非、見に来て欲しい。














・・・・・・・・・・・・・・・・・世界って本当、流動的だわよ。


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打破。今週末はROCA'66のライヴがある。

2017-07-23 18:47:36 | Weblog

君はとても哀しかったので

その夜の端っこを少しだけ切り取って、

刺身醤油で食してみることにした。

だけど夜は硬くて固くて、とても噛み切れたものではない。

君は諦めて

目を開けたまま眠る事にした。

でもそうするとたやすく

現実と夢が入れ替わる という魔法が発動してしまい、

目覚めるべきだった君は夢の人となり

夢の中で好き勝手に暮らしていた君が この世の人となった。

それはそんなに珍しい事ではなくて、この世では頻繁に起こっている。

大阪市内だけでも昨夜は3件あった。

NYでは2件

京都ではゼロ

上海市内では何と27件もあったんだぜ。

さて君に質問。

君は、どっちの君なのか?

夢の人?それとも 夢じゃないほうの人?

今回以前に何回入れ替わったの?

そして、どちらの世界が本当の世界なのか教えて欲しい。

僕にはそれが わかんなくてわかんなくて

こんぐらがっちまった細く長い糸を今まで、

何度切っちまったことだろう。

切れたのを結ぶことは出来るんだ僕は固結びしか出来ないけど

それで何とか結んで、

だから僕の糸はあちこちコブだらけだ。

またいつ切れちまうかわからないし、

だからもう会えないよ。

現実の僕と夢の君が会ったとしても

それは本当に「会った」ってことにならない・・・・・少なくともこの世界では。

入れ替わって入れ替わって、

すべてを(現実と夢を隔てる壁ですら)「打破」しなくっちゃ

何も始まらない。何処へも行けはしない。











今週末はライヴだぜ。

京都のライヴハウス「夜想」で。






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2017年7月21日。そういえば昨日が俺にとっての「魔の記念日」だった。

2017-07-21 21:51:49 | Weblog


梅雨明けした7月。

今日の朝起きてパソコンを開いたらニュースが目に入ってきて、

それによると

リンキン・パークというラップ・ロック・バンドの、ラップじゃないほうの

ヴォーカル担当のチェスター・ベニントンという人が亡くなったそうだ。

自殺と報じられている、と。

リンキン・パークは特に気に入ってたワケじゃないけどこのチェスターというヒトの声と

歌い方と顔は、けっこうカッコイイな、と思っていた。

メガ・ロック・スターの自殺。

ニルヴァーナのカートの時のことを思い出さずには居られないのだが、それはともかく。

・・・何故 自殺なんかしたのだろう?という素朴な疑問にはきっと、答えが無いままなのであろう。

どんな自殺も、ものすごく個人的な行為だから(その実、とても社会的な行為でもある)、

最終的にはその当人にしか、真実はわからない。

たとえ、遺書があったとしても、巨額の借金があったことが判明したとしても、

重い病気を抱えていたことが判明したとしても、

学校とか職場で「いじめ」に遭っていたことが証言されたとしても、

彼(彼女)が死んだ「本当の理由」は、わかりはしないのだ。哀しいことに。

しかし・・・・・・・・・勿体無い。


話は少しだけ逸れるが、

中学生くらいだった頃、グレ出した、というか不良ぶって、悪行を始めた子供が親に対してよく言っていたのが

「(自分を)産んでくれって頼んだわけじゃねえ」・・・みたいなことだった。

・・・・・「好きで生まれてきたんじゃねえんだ」って言いたいのね。

こういうの、あちこちで耳にした(ような気がする)ので、

何か原典・・・というか「モト」があるのだろうと思う。

どうせテレビドラマか何かだろうけど。

(聖書?・・・・ってことはないだろう。)

(「マタイ伝ルカの書」だったりして。)

しかし、この種の物言いって・・・・・・・けっこう、考えさせられる。

いや、そうなんだよね、っていう面もある。人生ってけっこう「他動的」、というか。

結局のところ、何のために生きているか、というのは明確にはわからないし、

誰しも自分で自発的に、目標や希望を持たなければ・・・生きていくことは退屈だし、つらい。

でもさ、「産んでくれって頼んでない」って言うけどさアンタ、

自分がちっちゃな、一億分の一の「精子」だったときの事を覚えてないだけだよ。

精子には記憶する「脳」がないからさ。

必死に泳いでる精子の、あの映像(見たことあるよね?)を見たらさ、

泣いて頼んでるように見えるぜ。

だから、究極には、生きたくて生きてるのだ、誰もが。


でも・・・・「自殺する自由」があったっていいじゃないか、とアタマの中でもう一人の私が言う。

うーん、そうかな。

でもそういうのって・・・・・・

袋小路に追い詰められて、思考がおかしくなってしまった末のこと、なんじゃないかな。

あのさ、俺なんか

「生き延びるためなら何でもやる」ぜ。こーゆーのって、身も蓋もないけど、

ほとんどの人がそうだと思う。ヒトだけじゃなく、

それは生物の基本原理だ。

生き物は皆、まっすぐに「生」の方を向いて、とにかく「生きること」を希求している。

それでしかないし、

それでいい・・・・・のだと思う。


人生は他動的、というところに話を戻す。

「他動的」というのはつまり、

我々の人生は(自分ではない)誰か(・・・つまり「親」)に、与えられたものである

という側面がある、ということ。

ふむ。

それならば我々には「自殺する自由」は、ないかもしれない。

だって、人生自体が「もらいもの」なんだから。

もらったものを勝手に壊したり捨てたりするのって、良くない。それはどう考えても、良くないよ。

・・これって

ずっと前に増子兄いがラジオ出演したとき言ってたこと、

「もし自分のために生きられないなら、他人のために生きればいい」っていうのと

ちょっと近い・・・・・・・・ことないかな?

表裏は逆かもしれないし、

もしかしたら位置的にはパラレルかもしれないけど、

そんなにハズれてないぜ、きっと。










ところで昨日が7月20日で、俺の「魔の記念日」だった。

24年前の昨日、俺は死の一歩手前まで行った(らしい)のだ、本人覚えてないけど。






想像するとちょっと怖い。













生きてて良かった、と少し思う。






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華美、実用、梅雨明け。

2017-07-19 21:32:05 | Weblog


「華美な感じ」は、あまり好きではない。服でも、バイクでも。


「華美」ってつまり、異常にデコラティヴだったり、装飾が必要以上に多かったり、デザイン過剰だったりするもの。

・・・そんなこと言ってオマエの好きなライダーズジャケットなんて派手派手で、「華美」じゃないか。

などと言われたことが過去にあるが、とんでもない誤解だ。ライダーズ、あれは実用の極みなのだ。

派手に見えるのはまぁ・・・・気のせいだ(気のせいか?)。

モノって実用を極めると、簡素で美しいものになる。

例えば、ちゃんとした工具って、とても美しい。ペンチとかスパナとか、ドライヴァーとか。

メガネレンチとかモンキーレンチとか、ハンマーとか。

一般的にオトコって大体みんな、「工具好き」なのだ。

「マイ工具箱」って持ってるよね。え?持ってない?・・・・・・・・・・・・ま、好みは人それぞれだから。

(「マイタコ焼き器」?は・・・・俺は持ってないよ。関西人失格か。)


話を戻して

フリルがついたような服・・・なんてのが「華美」の代表のように思うのだが、

でもしかし、グラムロックは色褪せず、カッコイイ。

「華美」なのに・・っていうか「華美」の極致なのに。あれはオッケイな自分が不思議だ。

ロンドンブーツとかって、馬鹿みたいなのに魅力的だ。あ、そういえば所有すらしている。

でも言いわけ的に言うが、

「実用しか許されない世界」ってのは恐らく、戦中の日本とか、今のノース・コリアみたいな感じだろう。

「華美の許容」というのは文化・・というか文明の開放度合いを測るモノサシなのかもしれない。

バイクの話だが、

時々、高速道路で、思いっきりハンドルを高い位置に上げたハーレーが走っているのを見かける。

あれは「無用の華美」に見える、俺には。

チョッパーっていうセンスは大好きなのだけれど、

ハタから見ていても風圧がキツすぎる。

あまりにも「運転」という実用からかけ離れているのではないか。

だがしかし、

俺のバイクみたいに「荷台をはずしてない」のも、ちと

「実用」に片寄り過ぎているかもしれない。

しかしね、あのバイクでちょっと頑張ったら、50Wのギターアンプくらい、楽々運べるんだぜ。

100Wのフェンダーツインリバーブだって、死ぬ気で頑張れば運べる(←そんな事で死ぬ気にならんでいい)。

自転車だって(折りたたみ自転車だが)荷台にくくりつけて運んだこと、あるのだ。

見た目だってね、レトロで良い・・・・と言えなくもない。

だって古い「メグロ」にも、同じような荷台が付いていたのを写真で見たことあるのだ。


そういうわけで

「実用」と「華美」は相反するようでその実、

・・・・・・・・・・そうでもなかったりして。


いろいろと面白いよね。









ところで今日で梅雨は、明けたらしい。

何だか意外と、短かったような気がする。




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芸名(偽名)と本名。

2017-07-18 21:27:20 | Weblog


中学生の頃に憧れたRCサクセションの、

忌野清志郎という名前と仲井戸麗市という名前が異常にかっこよかった。

いかにも芸名(偽名)、という感じだったけど、そこがまたよかった。

彼らの本名はだいぶ後まで知る機会がなかった。でもそれはそれでよかった。

本名が知りたい、とまでは思わなかった。

ジャッキーとか、ポッキー(?)そういうのはかっこいいとは思わなかった。

あまりよく知らないけど、グループサウンズの頃はそういうの多かったのではなかろうか。

でもさ、欧米人の名前つけても・・・・何かちょっと・・ね。。

それにひきかえ(と言うか何と言うか)、

同じ頃に憧れた 吉田拓郎とか、甲斐よしひろ(甲斐バンドの)、というのは本名だ(よしひろ、は漢字が本名だが)。

佐野元春も、本名だと思う。

ゲーノー界的なものに反発した世代がきっと、本名でデビューしたのだろう。

あと、本気の社会派も本名を名乗る。ソウルフラワーユニオンがそうだ。

偽名じゃなく本名で堂々と意見を言う。逃げも隠れもしない、という意思表明のように見える。

それもかっこいい。

でも芸名も、かっこいいものはかっこいい。

ミック・ジャガーなんて昔は本名だと思い込んでいたのだけれど、ミックはマイケルなのね。

ちょっとがっかり。でもこういうのも芸名って言うのかな?

ジョンがジョニーになっただけ・・・みたいなものだから、芸名、とまでは言わないかもしれない。

ジョニーと言えば、

ジョニー・ロットンの本名はジョン・ライドンだった。

ロットンって名前は、ピストルズのギターのスティーヴ・ジョーンズがそう呼んだことから来ているとか。

ピストルズにおいてスティーヴ・ジョーンズはいろんな意味で重要人物だ。

しかしこれは、ロットンの意味がわからないと全然面白くない。

ロットンとは、「腐った」という意味なのだそうだ。・・・さもありなん。

ところで、ビートルズは全員本名?・・・じゃなかった、リンゴが芸名だ。このリンゴはアップルじゃなく(当たり前だ)、

指輪(リング)から来ているとか。

ピストルズに戻ると、シド・ヴィシャスっていう名前はかっこよすぎるけど、

これはもとは、ジョンが飼っていたハムスターの名前だそうだ。シドは、シドニーなんだって。

全然ひ弱だから、その名前を彼につけたらしい。ははは。

芸名の旅、もっと行きます。

ジョンつながりで、俺の大好きなジョン・スペンサー。

このジョンは何と、ジョナサンだ。だから表記もJONだ。ジョナサンもジョンなのか・・。

そして

ちょっと変わった・・っていうか奇天烈なのが、テレヴィジョンのトム・ヴァーライン。

ヴァーラインは(あの、詩人の)ヴェルレーヌの英語読みなのだそうだ。ややこしい。変な芸名。

そしてテレヴィジョンの創設メンバー、リチャード・ヘル。

このヘルが芸名でなかったらびっくりするが。

でも芸名っぽくて芸名でないのが、

マイ・ブラディ・ヴァレンタインの美しいギターヴォーカル/コーラス。

その名もビリンダ・ブッチャー。

ブッチャーって・・・本名なのか。すごいな。でも本人がインタヴューでそう言ってたのだ。

ビリンダってのも偽名っぽいよね。

そして意外だったのが、ソニック・ユースの、サーストン・ムーアって芸名・・っていうか偽名らしいのだ。

とあるインタヴューで

”「サーストン・ムーア」は俺のパンク・ネームだ”

という発言があった。

むむむ。そうだったのか。


ついでに、

W・アクセル・ローズって名前も、かっこよすぎるよな。もちろん芸名だったのだけれど彼は裁判をおこして、、

こっちを本名にしてしまったので、今は芸名とは言えない・・・・のかなあ。

W に、本名のウイリアムのカケラが残っている。






最後に・・・俺の名前?

・・・・・・・・・・・・もちろん本名だよ(嘘)。


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where we go?

2017-07-15 21:11:49 | Weblog
抱え込んだ虚無と喪失は

光学迷彩で偽装してあるので誰にも見えはしない。

あれから二十数年の時を経て私は薄青白い老青年と化した。しかも自己完結しつつある。

そうして日々、何をしているか・・と言えば

言葉の井戸から水を汲み上げることに熱中している有様だ。

どれだけ汲み上げても、井戸の底はまだ見えない。

もしも見えたら君に報せようと思っている。

君に報せてどうするのか?

・・・・・・・・・・・えーっとね、一緒に覗き込むのだ、深遠の淵を。

そこから見た光景はきっと「美しい」のではないか?と思うのだが、どうかな。

でも、どんなこともどんなことも「出たとこ勝負」で、

言わせてもらえるなら私は勝ち負けの在るゲームは苦手だ。

「どう足掻いても勝てない」みたいなほうがいっそ、私らしいのではないか?という気がする。

(例の、ジュードーみたいにね。)

君の好きな・・・いや、私の好きなソニック・ユースに

「勝者のブルーズ」という曲(サーストンの引き語り)があったが、

確かにブルーズは勝者にこそ、ふさわしいのかも知れない。

「敗者のブルーズ」なんてね、ちょとゾッとしない。

でもどちらにしても我々全員がいつかこの世から消えていなくなる のが決定付けられた運命ならば、

そんなの、勝ちも負けも、ねえよな・・・という気がする。

言い換えれば、消え去ってゆく栄光になど、何の意味もないのだ。

消え去らないものって、この世に存在するの?って君は尋ねるだろう。

まっすぐに答えるけど、

ある、

と私は思っているし、そうあって欲しい。

つまりさ、あんまり、「病んだ」風になりたくないんだ。

拗ねて考えてしまうのってけっこう、簡単だったりするから。





耳も聞こえるようになって来たし、

ラジオでは知らない誰かが「そろそろ梅雨明けか?」なんて言い始めてるし。






まだ、これからだぜ。

さあ、

明日は何処へ行こう?






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耳の聴力、友達の誕生日・・・・・そして夏。

2017-07-14 21:38:27 | Weblog

まれに・・だが

片方の耳の聴力が著しく低下することがあって、今日と昨日はそんな状態で過ごしていた。

いや、大したことはありゃせんがね(←おじいちゃん喋り)。歳のせい?・・・そんなんじゃないよ。

それで、いろいろ気付いたのだが、

普段、我々はとても立体的な音像の中で、あたりまえのように、それを利用しながら生きている。

例えば、自分の声の反響を無意識に聞いて、今居る場所の広さを(視覚とは別に)再確認してたりする。

・・・今はすごく広い野原にいる、とか、けっこう狭い部屋だよな・・・とか、

音で視覚情報を補強している。

雪が降りしきる中にいて、いつも何か不思議な気がするのは「音がない」からだと思う。

雨降りだったら随分大きな音がするよね。

そういうこと(聴覚による補強作業)って、誰もがいつも、無意識でやっている。

コウモリが暗闇の中で超音波をたよりに(自分の声の反響)自在に飛んだり、虫をキャッチしたりするのを

すげえなぁ・・・と前々から思っていたのだけれど、

あれだって拡大解釈して考えてみたら 我々が普段、無意識でやってることの延長線上にある。

そしてそして。

俺なんかそういえば(ってこともないが)音楽をやっているのだ。

だから(ってこともないが)言うまでもなく、聴覚はとても大事だ。

ミュージシャンとかでよく、長年轟音に晒され続けたせいで難聴を患ってしまい、

引退せざるを得ない・・・っていうような人が過去に何人もいたが、

そういうのって本当に無念であろう、と心情をお察しする。

俺は

この、「片耳がほとんど聞こえない」状態で、とあるバンドの、ライヴ前のリハーサルをやったことがあるのだが、

全然「わや」で、びっくりした。

自分の音も聞こえないし、周りのメンバーの出す音も聞こえない。

聞こえないのは片方だけで、もう片方はちゃんと聞こえてるんだぜ?

それなのに、そんなんだった。

多分、立体的に聞こえないと、ちゃんと把握できなくてカオスみたいに聞こえてしまうのだと思う。

両耳が機能してると、「ステレオ」で聞こえるから、どんな音も立体的なのだ。

「ステレオ効果」って、すごくすごく便利。

それで思い出したんだけど、ちゃんとした録音スタジオで、バンドの音源を録るときは、ミックスダウンのとき、

それぞれの音を、立体的に、「場所決め」する。

例えば、歌は真ん中の前のほう、とか(そうしない場合ももちろんある)、

ベースは左よりの、奥のほう・・・・とか。ギターは右上ね、思いっきり前に出して!とか。

冗談抜きで、本当に仮想3Dで、「立体」で音を振り分けるのだ。

あれも、「ステレオ効果」があってこそ可能なことで、

今の俺はミックスダウンに参加しないほうが良さそうだ(今のところ、その必要もないのだが)。



つくづく

「普段の状態」って、つまり健康で、それって いかに有り難いことか・・・・・と痛感する。


しかし参ったなあ、耳。

他人と話してても何言ってるかわからないから・・・・つい、

イライラしちまうんだよね。俺にしては珍しく。




早く治れ治れ。










追記


今日は友達の誕生日なのだった。

ああ、いつも夏やったよな、君の誕生日。

前にも言うたけど、君が17歳になる、って言う年の「今日」のこと、

何だか変に覚えてるねん。

・・・・・・・・・・強烈に鮮烈だった夏。










あんな日が、

また戻って来るか知らん?



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