東京・新宿・戸山ハイツ

2011-04-26 16:46:43 | Weblog


加藤嶺夫という人が1999年に出版した

河合出書房新社

「東京 消えた街角」

という写真集を買った。

本の帯には

「懐かしの東京ブームの先駆けとなった名著」

とある。

東京23区の風景。昭和43年頃の写真が多い。

その頃俺は・・・1、2歳だ。

立ち読みしていたら新宿の「戸山ハイツ」の写真が

思いっきりでっかく載っていたので

昨日、この本を買って帰った。

今のような団地になる前の旧・戸山ハイツである。

俺もここで産まれた。(産まれたのは新宿の病院だけど。)

「団地になる前は長屋の集まりだった」

と、話には聞いていたが写真をみるのはこれが初めてだ。

RCサクセションのチャボさんも

ここに住んでいたはずだ。

あとになってそのことを知って、とても驚いた。

俺が産まれた頃、チャボさんは高校生くらいだったはず。

チャボさんとこも、ウチも旧・戸山ハイツの住人だったので、

新しく団地になったときに、優先で入居できたのだ。


写真の後ろの方に見えるキリスト教会は、

団地になってからもちゃんとあって、

俺の兄貴がそこの幼稚園に通っていたのを覚えている。


この写真集、

40年くらい前の東京23区の写真が満載で

これ・・・・ちゃあちゃん(祖母)といっしょに見たかったな。

俺は乳幼児だったから写真の風景に全然、

見覚えなどないのだけれど。

ちゃあちゃんは大正生まれだったから、

昭和43年なら、多分40歳台だっただろう。

すごく懐かしく見れたんじゃなかろうか。

東京に、畑や空き地がいっぱいあるよ。

たった40年くらいでこんなに変わるなんてね。

「高度経済成長」って、本当にすごかったんだなぁ。



今は21世紀。

しかしここにきてまた

東京は変化を強いられるかもしれない。


今ある巨大な街並みも、

廃墟になってしまうかもしれないよね。


先のことなんて全然わからないけど。






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ピンポイント雨男

2011-04-26 10:37:59 | Weblog



何だか

ちょっと気になるニュースが

チラホラと目に付いたりするけど、

自分が関東人だったらどうするかなぁ・・

とか考えつつ、

(もともとは俺だって1973年までは

新宿に住んでたのだ、そういえば。)

のん気な日記を書くことにする。



一昨日の夕方。

お店から出ようとしたときに、

それまで降っていた雨がふっと止んだ。

もしかして、永年俺にかけられていた

「雨男の呪い」がとけたのかも・・・・と思ったのだが、

そうではなかった事を思い知らされた昨日の朝のこと。


電車は、「急病人が出た」とのことで遅れていた。

俺はいつも余裕を持って出掛けるので、

15分遅れくらい、何ともなかった。

気にしない。そんな事でイライラしてはいけない。

だがしかし、15分遅れの電車が目的地の駅に着いたとたん、

急に空が真っ暗になるのを俺は見た。

そして、激しく振り出す雨。

雨宿りして待つほどの時間はない。

幸い、カサは持っていたので、すごい土砂降りと風の中に

俺は出て行った。

カサを打つ硬い音。

雨ではなく、ヒョウになっていた。氷の粒の土砂降り。

寒い。

頭の真上で稲光が閃き、雷鳴がとどろく。

真上にいやがるな・・・と思いつつ歩く。

ヒョウはやがて雨に変わり、でもそうなると強風で

斜めから吹き付ける雨粒で足元はびしょ濡れになる。

あひぃ・・・と思いつつ

10分ほど歩いて、いつもの巨大建造物の入り口に着く。

屋根だ・・・と思った直後、雨が小降りになる。


見上げると空の半分はもう既に晴れ渡っていた。

あとの半分は、ダーク・グレイの雨雲だ。

パキッとほとんど直線で区切られた空。

まだちょっと降ってるのでこれは「天気雨」だ。

見る間にその青空の領域が広がっていく。

俺が屋根の下に入ってまもなく、雨は止んだ。

そのあと一日、いい天気だった。


電車が15分遅れなかったら俺は、この

雷雨のことを知りもしなかったのではないだろうか。


こういうのを

「ピンポイント狙い撃ち雨男現象」と言う。


「呪い」は解けていなかったのか。




でも

珍しい風景が見れてよかった・・・と

負け惜しみ的に思うのだった。





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新聞って滅茶苦茶で面白い

2011-04-20 11:34:36 | Weblog

最近、新聞をわりと熱心に読んでいる。

俺はテレビ嫌いなので、

新聞の情報がけっこう貴重なのだ。


刻々と状況は変化しつつあるので

もう旧聞に属する話だが、

4月17日の朝刊に「放射性物質 吸着作戦」

「切り札はゼオライト」とあって、

おお、ついにハイテクの登場か、

と期待して読んだのだが

まぁ・・・そうでもないみたいだった。

”新型猫のトイレの砂”といったところか。

「ゼオライト」って名前がかっこよすぎるんだよな。

新聞紙突っ込んでるよりはマシか。


などと思いつつ次のページをめくると

キューバ14年ぶり”最後の党大会”の記事。

カストロ議長の写真。

キューバ革命・・・・と思いつつまたページをめくると、


神奈川県の41歳の主婦からの投書、

「なぜ生きるのか知りたい」。

むむ・・・・根源的なこと聞くなぁ。

それに対する、ドイツ文学者の人の答えも素敵だった。


ちょっと感心しつつその下を見ると

「年収一億円思考」という本の広告があってガクッとなる。

著者は”富裕層専門のカリスマFP”

だって。

嫌な感じ・・・・・・・・下品きわまりない。





かと思ったら次のページの書評欄には、

哲学者アラン著「幸福論」。






清濁ごっちゃ混ぜ。

本当に・・・・・新聞って滅茶苦茶で面白いわ。






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YOU‘RE  MY  MEDICINE

2011-04-17 19:17:34 | Weblog



君は医薬品

すさんだ心に突き刺さった棘を抜く万能薬

わだかまりを溶かす消化液

即効性の鎮痛剤

一瞬で終わる解毒剤

パラレルに高揚するメディシン

ダウナートリップするシロップ

アレルギーへの対症療法

世界中のあらゆる頭痛の種

痛む心を消毒するみたいに

経口投与する

ノイローゼ気味の悪意の街に

降り立った疫病

みんながみんなマスクをしてゴーグルをはめて

手袋をつけた手で握手する

毛生え薬に痩せ薬

リバウンドのリバウンドのそのまたリバウンド

でも酒は百楽の長

でも依存体質だったりして

何にせよ何にも

思い出せなかったりして


残念ながらこの歌、未完




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失われてしまった歌

2011-04-16 14:42:56 | Weblog



人間がひとり亡くなってしまっただけで、

本当にもう、驚くほどの歌が失われる。

これは比喩ではない。

いや、比喩でもある。


魂のこもった歌、

”まるで状況そのもの”のような歌。

泣きながら叫んでいるような哀しい歌、

心を濾過してくれるような優しい歌。


振り返ってみれば

あまりにも多くの歌が失われてしまったことに気付く。

今さらながら。


”失われてしまった歌”たちは何処へ行くのだろう?

昔、何かで「象の墓場」ってあったけど、

あんな所じゃないよね?


見渡す限りの荒れ野原、

スクラップ、鉄くず、見捨てられたトラック、

墜落した飛行機、動かなくなった象、

そして無数の「歌」。


いつかいろんなことが ひとつずつ終わっていって、

空に輝く無数の星に手が届くようになったら、

俺達はまた、「失なわれた歌」たちに

出会うことが出来るだろうか。

それには、あとどれくらい待ったらいいのだろうか。




俺はもう

半分、化石になったような気分だよ。


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今朝の新聞から

2011-04-16 11:47:57 | Weblog



今日(2011年4月16日)の

読売新聞朝刊の記事から引用。


大震災  世界の教訓(6)

「発生54年 住民今も不信感」

「英国セラフィールドの核施設で核爆弾用プルトニウムを

生産していた原子炉が火災を起こしたのは1957年

10月10日。16時間燃え続け、多量の放射性物質が

撒き散らされた。ヨウ素131やセシウム137など

2000テラベクレル以上の放射線物質が放出されたと

推計されている。福島原発の数百分の一にあたる。」

引用終わり


この「福島原発の数百分の一」のレベルの事故で

「事故後、子供の白血病の発生率が全国平均の10倍に増えた」

と報道する地元紙もあった、とのことで

それが本当かどうかわからないのだが、本当だったら怖い。

で本当かもしれない。


「放射能」の影響でどうなるか、というのは

過去の実例が少なすぎて、また隠蔽されてたりして

よくわからないのが実情だから、

目にしたものはきちんと把握しておかなければ、と

思っている。


あと十年くらいして白血病の人が爆発的に増えたとしても、

「原発事故とは何の関係もございません」

って言われるのが目に見えるような気がする。






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こんな風に思う

2011-04-13 20:21:16 | Weblog




一時間なんて本当に「あっ」という間もなく

過ぎて行ってしまうけれど、

一生、というのはとてもとても永い・・・ような気がしている。


僕等の”暮らし”というのは何気ないようで、

実はとても危うい、貴重な物なのだった。


僕は今日も朝に目覚めて、

まるで普通みたいに仕事に出かけた。

でも、何だかそのこと自体、

「ありえないこと」のような気がしてしまう。


実は大変なことが進行中だと、頭でわかっていても

我々には我々の「生活」というものがあって、

「社会」の中で何とか機能していかなきゃならない。

でも

その「社会」自体がぶっ潰れちまうんだったら僕等も、

一緒にぺちゃんこになってしまうのかも知れない。

そんなものでしかないのかも知れない。


・・というようなわりに浅い無力感を抱いている。



何かが間違っている、とどこかで思いながら

いろんな事を放置してきたのと同じように

今だって、

こんなのどこかおかしいよな、と思いながら

特に何も出来ずにいる。


生きるの死ぬの、といった問題なんて、

じつはわりに身近に転がっているし、

問題が大きければ大きいほど我々はタフにならなければならない。


人生が有限なのは一応、知っているから、

そのことはかまわないんだけど、

例えば「放射能で・・・・・・」みたいな、

不自然な死に方はしたくないと


思うのだ。





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意味もなく小旅行

2011-04-10 15:47:04 | Weblog


突拍子もなく意味もなく、

必然性もなく内的動機もなく・・・・

我々は昨日、

琵琶湖に行った。

湖の浜辺から上がってすぐの、

完全にオフ・シーズンの「海の家」みたいな民宿に、

つれあいのひとと二人で泊まった。

当然、客は我々だけであった。

人っ子一人いない浜辺、閉鎖された屋台、

放置されたボート、「カキ氷」ののぼり、

風にさらされたバーベキュー台。

・・・・酔狂だとは思うのだが、

ひっそりしていて面白かった。

夏にはさぞ賑わうのだろうが、

ハイ・シーズンに行ったらきっと、

悪趣味なオンガク(世間のものは、ほとんどそうだ)

が流れていたりしてうんざりさせられるのだ。

オフ・シーズンがあたしたちにはお似合いよ。




でも琵琶湖って不思議。

水平線まで見えるのに・・・海じゃないんだから。

まだ小さい子供の頃に、彦根に親戚がいて、

琵琶湖に泳ぎに連れて行ってもらったことがあったけど、

「海じゃないのよ」って言われて、

信じてなかった気がする。

自分の事ながら、可愛くないガキである。


ところで琵琶湖のその浜辺の近くに04年くらい、

ミンククジラが座礁していたことがあるそうな。

ネットのニュースに写真も載っていたから本当みたい。

でも・・・クジラ?

一瞬、琵琶湖にはクジラが生息しているのかと

思いそうになったけど、そんなわきゃあない。

一歳くらいのコドモのクジラだったらしいんだけど、

恐らく、海から淀川かどこかに迷い込んで、

はるかに遡って琵琶湖まで来てしまったのだろう。

ありえなくはない。ありえなくはないが、すごく不思議だ。

そして・・・可哀想だ。

そのクジラになったつもりで考えたら、

すごく心が痛んだ。


・・・・それはともかく。


昨夜は

誰も居ないうらぶれた民宿のコタツで

つれあいと二人で酒を飲んで、寝た。

なかなか「微妙」な味わいがあったのは事実だ。


他人にお勧めは、しないけれど。



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4月8日の雨(アジの開き)

2011-04-09 12:12:41 | Weblog





「アジの開き」みたいな気分。

「開き直ってる」というか。

少し水分が抜けて、半分干物の感じでもある。

干からびつつあるのだ俺は。

でも、だからといって今日の雨に濡れる気は、

さらさらない。


「アジの開き」の暗喩にはもうひとつ、

”もう内蔵まで見せまっせ”という意味もある。

「隠し事」なんか、水臭いぜ。

水臭い・・・・・・

水が放射能臭かったりして。

そんなの最悪だ。


しかし、放射線物質は無味無臭だったと思う。

でも、誰か「テイスティング」したことあるのか?

いや、ないと思う。

そんなのの「味」なんて、本当のところは

わからないよね。

わかりたくもないけど。


しかし

この世の中には「不自然なもの」なんて、

何もないハズなのだ。

でもやっぱり、人間が「精製」したり、

「抽出」したり「反応」させたりしたものはダメだな。

コカの葉からコカインとか、

ウラニウムから核融合とか。


原子力産業は、いろんな意味で不自然だと思う。


隠し事してるんなら、やめて欲しい。

「アジの開き」で行こうぜ。








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2011年の大花見

2011-04-05 20:36:55 | Weblog




汚染水が、海にたれ流されているそうだ・・・・・・・・・・・。




我々は哀しい世界に生きている。

それは事実だし、

いろんなことを「自粛」しようという気持ちは

それは尊いもので、そんな風に行動する人々の事を

俺は尊重する。

だがしかし。俺自身は、そうしないことにした。

「自粛」しない。

何故かといえば、この期に及んで、

充分に生きたいからだ。


もしかして俺達だってすでに手遅れかもしれないじゃないか。

会いたい人には会っておくべきだし、

楽しいことなんて「やり納め」になってしまうかも知れない。

来年の桜なんて、見られないかもしれないんだぜ。


そうして俺は大阪のバンド友達が集まる、

「長居公園大花見大会」に出掛けた。

もう、おとといのことだ。


だいたい、八分咲きくらいの桜と、

そこに集まった人たちは予想以上に素敵だった。


俺はもう、京都の住人なので、大阪市の南端近くにある

長居公園まで行くには、一時間半以上かかった。

でもそういえば俺も昔、長居に住んでたんだよな。

もう十年以上前だ。


懐かしい街の公園で、これまた昔から馴染みの奴らと野外飲み。

そんなの、楽しくないわけがない。


帰りが遠いから、夕方ごろには退散するつもりだった・・・・

当初は本気で、そのつもりだったのだ。


しかし六時を過ぎて、空が暗くなってきて、

その空を覆う桜の美しいこと。

と・・とてもじゃないが、帰れない。

もう帰ろう、これ飲んだら帰ろう、あと一区切りで帰ろう・・

と居続けてしまい、結局「お開き」になるまで居た。

夜はもう遅く、気付くと十時半を超えていた。


電車の時間ヤバ目だったので、あわてて帰ったので、

あと片付け手伝わず申し訳ない。

前のときも泥酔してたから何もやってないよな・・・・

ごめんよ。


そして


美味しい料理作ってくれてありがとう、

寒い中、場所取りしてくれてありがとう、

ヤキソバ大量に作ってくれてありがとう、

こんなのを企画してくれてありがとう、

来てくれてありがとう、

呼んでくれてありがとう。



こんな楽しいの なかなかないぜ、ってくらい楽しかった。



しかし本当に・・桜ってさ、

「俺はあと何回花見が出来るだろうか?」

みたいなことを つい、

考えさせるよな。














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