愛しの関西。

2017-03-30 21:50:53 | Weblog


春近し。

最近は、関西の道路にも多少、通じてきた。

ラジオでやってる交通情報を聞いてても、何処がどれくらい込んでいるのかが

ある程度把握できる。

昔はちんぷんかんぷんだった。

大体・・・クルマの運転自体、あまり、得意ではなかったのだ。

っていうか単純に下手だった。今でも、上手くはないが。

バイクの方が100倍好きだった。

でも、今ではクルマも好きだ。

自分がオトナになってトラックに乗って、関西一円を廻ってる、というのはコドモの頃には想像もつかなかったな。

オトナになる、という事自体、想像つかなかったが。

コドモの頃・・・東京に居るときには、東京以外の土地で暮らす事も、とても考えられなかった。

だから福山へ家族で引っ越したときは悪夢だった。

初めからそんなのだから、その土地に馴染めるわけがないよね。

その頃は関西という土地にも、悪いイメージしか持っていなかった。

でも何故か関西に住む事になって・・・・何か奇蹟に近いような事が俺の身に起こって。

今では、関西以外の土地で暮らすのはちょっと抵抗があるな、と思っている。

(イザ、となりゃ何処にでも住むけど。)


関西は愛おしい。

奈良の帯解の近くを通るときは友達の眠る霊園が見える。

大阪の、南港に行くときには一時、何年かバンドのみんなと住んでいた長居を通る。

南港に着いたら着いたで、1年ちょっと働いていたATCの横を通る。

神戸の高架下でも半年ほど働いた。そこの前も、こないだ通った。

和歌山を通ったときは「バグース」の海岸の道を思い出した。

滋賀は、大型免許を取得するため、2週間ほど住んだ。そのときの道も通った。

阪神高速13号東大阪線を通るときには、何年か住んでいた森之宮の脇を通る。

14号松原に向かうとき通る天王寺あたりは一番懐かしい。


あ、京都。京都は、JR京都駅の高架をくぐるとき、ランブルで磔磔に出たときにここを通ったことを

思い出す。

通るたびに、いちいち思い出すんだ。記憶って執拗なとこ、あるよな。




挙げていけばもっともっともっといっぱいあるのだが・・・・・・・・・・・・・


関西のあちらこちらに、色々な思い出が散らばって染み付いている。


何だか不思議。

コドモの頃嫌っていた土地に、今では深い愛着を抱いている。


でも、まぁ思い返してみたら

そういう事って俺、多いかも。

初対面で嫌っていた人と後になってすごく親しくなった、という例がいくつもあるんだよね。


「敵」が翻って、「大事な仲間」になる、という

マンガみたいな例が。


IT'S THIN LINE BETWEEN LOVE & HATE



ってやつなのだろうか、などと


思う。















ああ、ところで


ROCA'66の次のライヴ、やっと決まったよ!



5月4日、大阪の、中津の、VI-CODEだ。


また近くなったら告知するけど。



・・・・・・中津にも勿論、思い出はある。


あそこは一種不思議な、いい街なんだ。



映画を撮りたくなるような街。





大阪の、中津で、ゴールデンウィークに


会おう。



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「傲慢さ」について。

2017-03-28 21:49:52 | Weblog


傲慢に・・・だけは なってはいけない、と

常々思いながら暮らしているのだが

フッと気を抜くとすぐに、一瞬で、いともた易く 

傲慢になっている自分に気付く。



傲慢になるのって、すごーーーーく簡単だ。



すべての生物が自己中心的なのは

生存本能から考えると、自然な在りよう なのかもしれないのだが、

それでも


傲慢に考えることを自分に許してはいけない。



他人の傲慢さに気付いたときは・・・・・・

うーん・・・。

許しがたいが、許す方向で考える。


だって「許せなかったら」、どうする?

議論して言い負かす?

手っ取り早く、殴る?

最終的にはその人を、抹殺するの?


それなら、しまいには、世界中のヒトを抹殺して回るハメになるぜ。

誰も彼も傲慢だから。

でもそんなの不可能だし、先にこっちが抹殺されるっての。


だいたい、自分だって、自分の傲慢さを

周りのヒトに許されながら生きてきたんだから。


だから

他人を、許せない とかって考えるのは止めよう。


そして

相手を許して、

こちらも許してもらって、


つまり「許しあって」、


ユルユルで・・・・行ったらいいんじゃないのかな。




ヒトなんて永劫の昔から

間違いだらけの選択をしながら手探りで歩いてきたんだし。




だから


他人の傲慢さは許そう。



そして


自分は決して傲慢になるまい・・・・と願おう。



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考察する。

2017-03-26 13:50:21 | Weblog

「騎士団長殺し」を、まだ読んでいない。

今は読む気がしないのだ。

最近のあの人の長編小説は実は俺は、そんなに評価していない。

文章はもちろん読みやすくて含蓄も深いし、楽しめるし、一級品なのだが、

長い小説だと話が必ず、混迷に入り込んでしまうし、大団円もない。

「あの人」の刊行物はここ数年、小説よりも誰かとの対談とか、自伝本的なもののほうが断然、面白いし深みがある。

「悩み相談」的なものも、とてもとても興味深く読めた。

あ、でも小説作品のなかでは、「色彩を持たない・・・」は良かった。短かったし、

何と言うか、ボルヘスとか、ガルシア・マルケスとかあっちの、南米の作家に

影響を受けたフシを感じた。

普遍的な小説を目指しているのだ、ということがありありとわかる感じ。

他の 彼の 近年の長編小説、

「1Q84」とか・・・けっこう、気持ちがすっきりしなかったんだよね。

「カフカ」も・・良かったんだけど・・・・・・最高、とは思えなかった。

「ねじまき鳥」も、BOOK3で、ちょっとないよな・・・・と思ってしまった。


長編は問題あるけど、短編は全部!素晴らしく良い。連作短編とか、とてもとても面白かった。


だから「騎士団長殺し」は、手を出しかねている。

「殺し」という言葉がタイトルに入ってるのにも違和感がある。


とにかく。


その代わりに・・・・という訳ではないのだが、ここ数日、三島を読んでいた。

俺は、いわゆる日本の巨匠・・・・というかその辺のものを全然読んでなくて、

どうも興味が持てなくて。(太宰はちょっと読んだ。面白かった)。

でも最近、仕事で本物の・・・金閣寺の近くを通る事があって(そうよ、アタシは京都に暮らしてるのよ)、

直後に本屋で「金閣寺」を見かけて、

これは運命に誘われている、と浅はかにも思い、

挑戦してみた。三島由紀夫の金字塔、と言われている「金閣寺」。

結果、面白く読めたし、良かった。感心した。心に残った。

しかしアレって、事実を題材にした小説だったのね。知らなかった。

金閣って実際に放火で消失してるんだ・・・・・・・・・・・・・・・。

まあいい。

それで三島に関しては彼のあの死に方がとても凄絶で以前から少し興味があって、

ちょっと資料を漁ったりしていた。

しかし、あれって誰がどう解釈しても、空前絶後の、

超有名作家による「クーデター未遂事件」だ。真っ直ぐな、国家反逆罪だ。

物凄いことをしたものだ・・・・とつくづく思う。

いい、悪い、はこの際考慮せずにおく。

だが凄い。すご過ぎる。頭痛くなりそう。


ところで、冒頭で俺が言及している作家、「あの人」の

三作目の長編小説である大傑作「羊をめぐる冒険」は

1970年11月25日に始まる。

この日は三島があの「クーデター」を決行した日、なのです。(小説内に三島に関する記述は一切ないが。)


その日、俺はまだ4歳で、新宿にいたはず。

戸山ハイツから市ヶ谷まで、全然遠くないっていうか、すごく近いらしいんだよね。

(げげ!今、地図でみたら本当に近い!歩いていける距離だ!)

君はその日、どこにいましたか?

・・・・・・・・・・・・・・まだ産まれてなかった?




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前進する意思。

2017-03-22 22:23:53 | Weblog

前に進む!


「良き」も「悪しき」も一緒くたにして。

清濁合わせて飲み込みながら。


とにかくその時その時の自分の「反射」を信じて動くしかないのだから。


間違うときはある。

ヘマをすることもある。

ずっこけてばかりの人生?・・・むむ、そうかもしれない。


それでも


(他人には迷惑を掛けない、ということを肝に銘じつつ)、


前進するしかないのだ。






ああ、私は確かに馬鹿で迂闊で自分勝手で

子供じみていて未熟で傲慢でどうしようもない。


でも そんな私にだって生きてる意味はある。

間違いなくそれは、あるのだ。


すぐ迷うしヘコタレるし挫折するし諦めるし根性ないしテクもない が

それでも前進する意思だけは

捨てずに行こう。


私は決して「正しい」とは言えないかもしれないが・・・

「私の理想」は正しいのだ、と信じるものである。





だから行く。



ゆっくりと、確実に。


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近況、懐かしのOL'55、そしてチャック・ベリー追悼。

2017-03-20 16:36:38 | Weblog

土曜日は、仕事が休みのときも多いのだが、

休みだともちろん ほとんど、夜はバンドのスタジオ入りに費やされる。


高校生だった頃は佐治たちと放課後に、ほぼ毎日と言ってもいいくらい、

私設スタジオ(佐治の自宅の部屋にアンプとドラムセット持ち込んだだけ)で

爆音で音を出していたのだが、


今はいい大人・・なので

バンドメンバーもそれぞれ仕事とか持病とか(苦笑)、あり、

スタジオ入りの日程調整するのもひと苦労なのです。

メンバーそれぞれ、かけもちでバンドやってるし。それはもちろん、いいことなのだけれど。

まあ、バンドやってられるだけで有難いのは言うまでもない。


さて、一昨日の土曜日は仕事アリ だったのでもともと、スタジオは入れてなくて、

仕事早めに終わって帰ってこれたら何処か、近所のライヴハウスに

知り合いとかが出演するのを観に行こう・・・・という心積もりでいたのだが、

三連休の初日、ということもあって道路が空いているはずもなく、

俺が家に戻って来れたのは夜の9時を過ぎた頃だった。


今から出掛けると・・・・京都の、御池でも、着いたら10時前だろう。

最後のバンドが演奏終了直後くらいか。

そーゆー時間にライヴハウスに現れるのってなあ。感じ悪いしなあ。

「何しに来た?」って感じよね。演奏見れないのは哀しすぎる。


それで、更に近所の、歩いていける中書島のバー、「MICA」に行くことにした。

ここは時々、生音でライヴなんかもやっているのだけれど、一昨日はバー営業のみで、

この夜は友達のチマキさんが一人でやっているのは知っていたのだ。


最近は俺の生活が世知辛くて、

一人でバーに飲みに行くようなことも、ほとんどなくなってしまっている。


だから楽しかった。


それで、


トム・ウェィツの話が出たので懐かしくて、ここに記録しておこうと思ったんだよ。



とあるレコードの話が出て・・・・


「Z]という店に置いてあったレコード。

「えーっとね、トム・ウェイツの、わりと初期のレコード」って俺が言ったら

チマキさんが

「”オール フィフティファイヴ”が入ってる例の奴やったら、それは俺のやで」と言った。


今、わざとカタカナで表記したけど、アルファベットで書くと「OL'55」で、

OL'は、OLDの短縮表記で、意味は

「あのお馴染みの55号線」とか「「懐かしの55号線」ということになる。

道路の名前なのだ。


まあ、好きな人なら誰でも知ってる事ではあるのだけれど。



トム・ウェィツのファーストアルバムの一曲目がこの「OL'55」で、


たしか二十歳だった頃に初めてこのアルバムを買ったときは、読み方も解らなかった。


(よく聴いたら、歌詞の中で「オールフィフティファイヴ」って言ってるのだけれど。)


もちろん意味も。


でも大好きで、何度も何度もターンテーブルにレコードを載せ、飽きずにずっと聴いていた。



あれから30年も経って、センスの合う友達に「トム・ウェィツの初期のレコード」って言ったらちゃんと、


「OL'55]の曲名が出てくるんだ、こういうのって、「同世代感覚」でもあるような気がする。


と思って嬉しかったのだ。


しかも「俺のやで」だって。くすくす。



ああ、京都の繁華街の片隅で、あの頃、



この人もアレを聴いていたんだな・・



と思って


ほっこりしたのでした。




それだけの話。













ところで



偉大なるチャック・ベリーがついに他界してしまった。


90歳か・・・・。本当に、わりと「ロング・リヴ・ロックンロール」だった。


ほとんど究極の、ロックンロールの開祖中の開祖。


最高のロックンロール詩人。



最強にいかしたイカサマ師。


我々ロック系のバンドマンは一人残らず、チャック・ベリーのフォロワーである、と言っても過言ではない。






彼の死を、心から悼みます。




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また日記を書く。

2017-03-19 19:56:51 | Weblog


相変わらずまるで無愛想な工場みたいにシスティマティックな世界ではあるが

哀しくても、嫌気が差しても、先が見えないような気になっても、

生き抜くことを諦めてはいけない、と自戒する。

・・・・・・・・・君の暖かな微笑みは健在だからだ。

(健在って、いい言葉だなぁ。)

友達だって、居てくれてる。

嫌な事や、駄目駄目な事が続いたって「時間」がやがてそれらを、薄れさせて行く。

良い事も薄れていくのは考えものだが、

「時間」は、全てに対して平等に作用する。

人生というのは有限のもので「時間」だけでなく、何もかもすべてのモノが有限なのだ。

そして有限の時間の中で、数多くの人と知り合うが、

誰とでも友達になれるわけではない。

どうしても「合わない」ような人間は、いる。

・・・それも、数多くいる かもしれない。

でもそんなことで気落ちしている場合ではない。

気の合う人間を見つける旅に出るのだ。

っていうか人生そのものが、そのための「旅」なのかもしれない。

気の合う、センスの合う人を見つけるととても嬉しいし、心からホッとする。

自分自身が存在を許されたような、もっと言えば「祝福」されたような気になる。

音楽、特にロックに関わる人の中にはセンスの合う人が多い・・・様な気もするのだが、

そうでない人もいる。まあ、それはそれでいい。

この「旅」を通して俺は、様々な感情を経験してきたし、それはこれからもまだ続く。

困難もまた、訪れるかもしれないが、

「ほぼ何の問題もない」という日だって訪れるかもしれない。

そういう日の訪れを、心から待ち望む。

何もかもが大丈夫な世界。

そんな世界でいつかまた、君に会いたいと切に願う。

だが「旅」は、まだ途中だ。

今は険しいガケ道を歩いている。先も見えない。

春はすぐそこまで来ているはずなのに

やたらに遠く感じてしまうのは何故だろうか。



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ポジティヴィティ

2017-03-14 22:34:23 | Weblog

世界って、ただそこに存在しているだけで美しいし、

本当に・・・「ただ在るだけで」素晴らしいのに、

生物がそこで生きていくのはやはり、楽ではない。


軋轢や競争や嫉妬や悪意や妬みや衝突や・・・・・・・・・・・・


そういう面倒臭いもの達が手ぐすね引いていつでも、我々を待ち受けている。


我々の武器はただ、「なけなしの楽天性」と、

「痩せっぽちのポジティヴィティ」・・・・・・・・・・・・・・だけだ。


ああ、あと 「あてずっぽの偶然性」 ってのもあった。


何度でも転びながらも我々は「その先」を目指す。

未だ見ぬ風景の中で生き抜くために。



「理由」を、「意味」を、見つけるために。


もう一度、始めてみるために。




我願う・・・・


最悪でも、ネガティヴィティに負けまい と。





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昨夜はとてもいい夜でした。

2017-03-12 15:59:34 | Weblog

昨夜は私は幸せでした。


ご来場いただけた皆さんに心から感謝の意を捧げます。


優しい、優しい 夜。


随分長く会ってなかった昔の仲間も、何人もいてくれて、


タイムスリップしてみんなと再会したような気分になったよ。


もっともっと、個別にゆっくり話をしたかったし、


ひとりひとりとサシでサケ飲みたかったな~。





ああ、名残惜しい。





でもこのあと続けていけば、



きっとまた会えるのだ。




生きてりゃ、いいことあるのだ。



ありがとうありがとう。






アンコールなんてマジで想定してなかったので



本編に入れるか入れないかで悩んで外した



「宝物の歌」をやりマシタ。



ああ、佐治が書いた、ランブルフィッシュの歌。



俺がやると、下手っぴな歌だったし(難しい歌なんだよ)



歌いながら泣いてしまってみっともなかったけど



やって良かったのだ、と思ってマス。




友達よ、本当にありがとう。



ムジカジャポニカに感謝。


セイちゃんに感謝。


佐治恭子に感謝。


當房信一ブルースバンドのメンバーに感謝。


リカさんに感謝。


昨夜はお客さんとして来てくれた、何人もの友達に感謝。



感謝します。


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今夜、梅田 ムジカ ジャポニカで。

2017-03-11 08:21:46 | Weblog


我々 ROCA'66、ライヴやります。

場所は 梅田のムジカ ジャポニカ。

他の出演は NDARICCAさん、當房信一ブルースバンド。



そう、今日は3・11の日なのだな。

あまりにも運命的な日。

そんな日に我々が集まって、

我々が心から大切にしている「音楽」を奏でる事ができるのは、

きっと何かの意味が在ろうと思うし、

とてもとてもヤリガイがある。



気持ちのいい初春の日、まだ寒いけど、

梅田まで出てきておくれよ。


我々の周囲の状況は激動しつつある・・・気がする。

日に日に変わり行く毎日。


「祝福」の歌を奏でたい。




大阪市北区神山町1-24 扇町ビル101
梅田 ムジカジャポニカ
tel & fax:06-6363-0848
(全線/梅田駅から泉の広場M10出口へ)
(堺筋線/扇町駅から
A2出口へ扇町公園抜けて)

出演
當房信一ブルースバンド
NDARICCA
ROCA'66

http://musicaja.info/2036
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嬉々として行こう。

2017-03-07 22:03:25 | Weblog



人生ってやっぱり「障害物競走」なのかもしれないが、



それだったら

自分から志願して「障害物競走の選手」になれば・・・いいのだ。





嬉々としてそれに向かうのだ。


決して「やらされてる」感があってはいけない。










我々は時々、


自分が、生きたくて生きていることを忘れてしまう。






1億もの精子が卵子に向かって必死に泳ぐ映像を見たことがある。


卵子に辿り着いて「生」を得る事ができるのはもちろん、



1億のうち一匹だ。




それは我々の過去の姿である。





その事からも推測されるように、


間違いなく我々は「生」を欲していたし、


時々忘れてしまうにしても・・・今だって確実に、そうなのだ。





誰もが志願して、障害物競走の選手になったのだ。





だから、障害物が多いのは当たり前だ。


だってそれを望んだのだから。




そうだ、


嬉々として行こう。


我々はラッキーだったのだ、



もっともっと酷いことに・・・なってたかもしれないのだ。








嬉々として行く。


・・・・・・・・・・・・・・それってきっと、大事なことだ。
















バンドも もちろん、嬉々としてライヴに向かう。



ROCA'66 の次回のライヴは2017年3月11日、土曜日




梅田 ムジカ・ジャポニカにて。










P.S.

「キキとして」って・・発語的にもいいよね。
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