東京幻想

2021-06-30 20:58:57 | Weblog

こないだ読んだ能町みね子著「お家賃ですけど」に出てくる

加寿子荘は 東京の、神楽坂のあたりにある、と書いてあった。

それが具体的に東京のどの辺なのかわからずに読んでいたのだが

最後のほうでそれが新宿区だ、ということが判明した。

 

そっか、新宿区だったのか。それで一気に親近感が増した。

僕は7歳まで新宿の戸山ハイツにいたから。

 

でも子供だったので、東京の地理感覚みたいなのが全くない。まあ、しょうがないけど。

しかし・・・能町さんみたいに、新宿区で一人暮らしなんて、

やろうと思えば現実に、可能なものなのだな。

 

僕はなんだかんだあって、奈良の高校を出て・・・・東京に戻るのを断念した後ずっと、

もちろん自分の自由意志で、関西で暮らしているので、

なんだか東京に住むこと自体が僕の中でファンタジーみたいになってしまっている。

ありえない夢、みたいな。

 

でもそういえば音楽関係でいろいろお世話になったギタリスト、服部さんは

ずっと新宿区の端っこのほうで長いこと、一人暮らししてたのだった。

服部さんも今はもう東京にはいないのだけれど。

当時 一度、泊めてもらったことがある。しん、と静まり返った街で、

僕の想像の(記憶の?)新宿とだいぶ違ったので意外だったのを覚えている。

それはそれで愛おしかったが。

 

でも考えてみたら戸山ハイツだって住宅地だから、夜は静かだったはずなんだけど。

 

思い出したんだけど、

19歳だった夏、1986年に、ランブルの佐治と二人で長野県の清里に

合宿免許の旅に出たのだけれど(それは後から考えたら「運命の旅」だった)、

その時、長野に行く前に東京に寄って、

二人で戸山ハイツを訪れたのだった。

山手線の新大久保駅のからの方が近いのだが、そんなことすっかり忘れていたので、

JR新宿駅から歩いて行った。戸山ハイツに着くまで40分か50分歩いたと思う。

うろ覚えで、地図も見ず、僕の記憶と勘だけで歩いたのだ。・・・・よく着いたよな。

あの佐治が、よく付き合ってくれたなぁ、と思うのだが・・・彼も少しは興味があったのだろう。

 

その前だったか、そのあとだったか思い出せないのだけど

それとかなり近い時期に、

清治と二人で、戸山ハイツを訪れたこともあった。

あの時は二人でずいぶんぐるぐるとあの辺を歩き回った。

帰りに急に土砂降りの雨が降ってきて、二人で歩きながらずぶ濡れになって

妙に切なかったのを覚えている。

 

今のところ最後に僕が戸山ハイツを訪れたのは5年くらい前だ。

京都の某バンドに一時的に加入して、東京ツアーに行った。その時、一人で訪れたのだ。

その5年前当時、古井戸の加奈崎さんもそう言ったし、

こないだ会ったとき清治もそう言ったのだが、

戸山ハイツはもう、老朽化でだいぶ壊されてあまり残っていないらしい、と。

でも彼らは少し勘違いをしていたのだと思う。戸山ハイツ、広いからさ。

少なくとも僕の住んでいた地域は、5年前には全然残っていた。

鉄筋の補強は入りまくっていたが。

「通称・箱根山」の裏手にある古い古いキリスト教会まで残っていて、僕は本当にびっくりした。

そこは幼稚園も兼ねていて、僕の兄はそこに通っていたのだ。

 

こんなことを書いてる、という事は

僕はまだ東京への憧れ・・・・というか望郷の念を捨てきれていないのだろうか???

 

 

 

いつか帰る?東京へ?????

 

 

 

いや、もう・・・その方が非現実的だよ。

 

 

 

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音楽とのつきあいかた。加筆・訂正済み

2021-06-27 21:30:12 | Weblog

近所のブックオフで古着と古本と中古CDと中古楽器とユーズド時計を見て歩いた、

と前々回の日記で書いた。

 

ふと読み返して気付いたのだが僕は、

古着屋で働いたことがあるし、

古本屋でバイトしてた時期もある。

時計店員は、ユーズドではなく新品を扱っていたのだが、けっこう長くやったし、

中古レコード屋と中古楽器店だけ経験がないのね。

 

音楽的じゃないなあ。

 

ライヴハウス店員も、やってないよ。いい話は・・・あったのだけど

すっごく悩んだ末、丁重にお断りした。僕にはちょっと無理があると思ったから。

 

何故かと言うと、

日常的に、仕事として音楽に関わっていたくない、という思いが強いのだ。

・・・・こういう物言いって僭越で、偉そうで、気が引けるのだけれど。

音楽はどこまでも「お楽しみ」であって欲しい。嫌なときは聴かない、嫌な音楽も聴きたくない。

 

そして、何にでも飽きてしまう傾向があるから、四六時中音楽の中に居たら、

音楽そのものにうんざりしてしまうかもしれない。それが怖かった。

「もう何も聴きたくない!!!!」みたいになるのが。

 

そして、常にお酒のある環境で働くことも少し怖かった。

 

だからライヴハウススタッフとか中古レコード屋店員とか楽器店員とかレコード会社社員とかは、

偉い、と思っている。 ある種、尊敬している。

 

僕は自分が

最大限に音楽を楽しむためには、普段から聴かないこと・・・かもしれない、と

思っていて、実際、今もそれを実践しているフシさえあるのだ。

 

決して音楽をBGMにしないようにしている・・・つもりなのです。

 

喰うことを楽しむために空腹で居る、というのに近いかもしれない。

 

でも面倒な話は抜きにして、

中古レコード屋の店員、というのは

純粋にかっこいいのだ。今でも憧れる。

 

でも、アメ村の古着屋の店員になれた時も嬉しかったな。

古本屋の店員も、純粋に楽しかった。

 

バンドが上手く行ったときの楽しさや嬉しさはもちろん、

それの比じゃなかったけどね。

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能町みね子著「お家賃ですけど」

2021-06-27 20:20:38 | Weblog

ブックオフで「ユービック」を買った、と書いたのだけれど、

もう一冊、手に入れていた。

能町みね子著「お家賃ですけど」である。

ちょっと前にこの人の著作「結婚の奴」を読んだのだが、

それが衝撃的に良かったのだ。

あの「結婚の奴」という作品を、多くの人がどうやら「長編エッセイ」みたいに思ってるみたいだが

違う。

あれは文学作品である、と僕は思う。

太宰も真っ青の、赤裸々な、自伝的な小説作品だ。

 

ずいぶん昔に、中島らもが”面白いエッセイの人”から突然、「今夜、すべてのバーで」という小説で

凄みのある”作家”に変貌した時のことを鮮やかに思い出した。

 

それくらい良かったので、この人の書くものはとにかく、全部読んでみよう、と思っていた。

そしてこの「お家賃ですけど」も、深く、しみじみと、良かった。

読み終わってしまうのが惜しい、と思った。

これは、加寿子荘(と著者が勝手に呼んでいるアパート)をめぐる、

そこに住んでいる能町みね子の日常を綴ったもの。

単行本が出たのが2010年7月、とあるから、書籍化からもう11年も経つのだ。

だからここに書かれている日常は、15年くらい前の物か。

実は先述の「結婚の奴」にも、この加寿子荘と、大家の加寿子さんがちらりと

登場していて、いきさつを知らないまでも、ちょっと切ない場面ではあった。

だから僕から見たら、その「前日譚」ということになる。

「スターウォーズ エピソード1」みたいなものだ。

 

この能町みね子という人は、男だったのが性転換して女になったという人で、

そのことはとても希少で、面白いのだが、

この本においてはそのことは重要ではない。

 

重要なのはこの人の、

「過去の建物や文化、そしておばあちゃんたち」を”愛でる”視点だ。

めでる。

愛という言葉、そして漢字は、明治期に言語学者によって作られたもの、

でしかないのだが、

「めでる」という言葉は日本に古くからあったのではないだろうか?

違うかな。愛の漢字は、日本語お得意の「当て字」だと思うのだけれど。

まあそれはともかく、

この人は愛でる。古いものを。

そして新しいタワーマンションなんかを執拗に嫌悪する、攻撃する、言葉で。

「爆破したい」とか物騒なことを言う。

そういうところも、とてもいい。

「愛でる」ばかりの優しい人なんて存在しない。嫌いなものは嫌いだ。それでいいのだ。

 

僕にだって、嫌いなものは多い。テレビ、テレビ番組、テレビドラマ、ジャニーズ、

ディスコ、ディスコミュージック。他にもいろいろあるけど。

 

でもやはり、「愛でる」話のほうが芳醇だし、好きだ。

僕も古い建物や、おじいちゃん、おばあちゃんが昔から大好きなのだ。

(おじいちゃん・・・については、簡単ではなかったけど、今ではちゃんと愛している。)

 

この本はしかし、唐突に終わる。

書かれてないけど、この人は最終的にこの加寿子荘を出るのだ、僕はそのことを知っている。

そして今はゲイの人と一緒に住んでいる。そのことは「結婚の奴」に書いてある。

その、出てゆく最後のエピソードまで、たどり着かない。

いつかこれの続編が出るのだろうか。出て欲しいなあ。

 

最後の最後に衝撃だったのが、なんとこの本、

もともとはあの、SNSのミクシィに投稿されたものを編集したものなのだ。

ミクシィ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

実は僕も、このブログのもともとはミクシィだった。

文章修行みたいな気持ちもあって始めた、というところも近い。

 

僕はミクシィはもう見限ってしまったけど、

でもいろんなことが「きっかけ」になり得るんだなぁ、としみじみ思った。

 

 

 

 

もうすぐ梅雨があけて、あの戦慄の「夏」が来ちまうね。

「もうじき暑い夏が来る」っていうのはあの土井健が初めて書いた歌のタイトルだよ。

 

いい歌。

 

 

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古本屋文化よ永遠に。

2021-06-27 14:50:18 | Weblog

近所のブックオフに行って古本と古着と中古CDと中古楽器とユーズド時計を見て歩いた。

 

しかし何だな、以上のものが一つの店舗にある、というのは便利でいい気もするが、

味気ない気もする。

以前ならどこの町にも何軒かあった小さな古本屋というものが絶滅しているのだ。

中古楽器店なんて・・・・もう探しても探しても、ない。

古着屋というのも、あまりない。中古レコード屋もほぼ絶滅している。

 

それはともかく。

今日はP・K・ディックの「ユービック」を発見してしまった。感動。

古本屋に並んでるのを、初めて見た。新刊本屋でも一度も見かけたことがない。

僕は既に一冊持っているのだが、素早く購入した。誰かに貸したり出来るから。

これはディックの最高作で・・・・・この中に書かれていることは

ぶっ飛んでいてファンタスティックでこの上なく不吉で怖くて不穏で、とにかく素晴らしいのだ。

こんなのが置いてあるなんて、ブックオフとても好きになってしまう。

ほくほくと「ユービック」を持って他の本を見て歩いていたら、

巨大な「村上春樹コーナー」があって、ほぉぉ、と見たのだが当然ながら

僕の知らない本は一冊もなかった。95%くらいは新刊が出た時にすぐに買ってるから。

大きな文字で「村上春樹、どれを読んでも面白い!」と書いてあって、

はぁ、そういう認識なのかな・・・。

でも思い出したのだけれど もう30年くらい前になるのかな、

「ノルゥエィの森」が出て、世間で大ベストセラーになった時、

一昨日の日記に書いた大叔母がちょうど寝たきりになってしまって入院していた。

出たばかりの「ノルゥエィの森」を持って福山に帰郷していたのだが、

その大叔母が「アンタ、何か面白い本持ってないの?」と珍しく僕に聞いて来たので、

僕自身は「期待外れ」という感想しか持ってなかったのだが、

世間でこれだけ売れまくっているし、まぁ、話題作なのは間違いないから・・・と思って

それを渡した。出たばかりの「ノルゥエィの森」ハードカバー上・下巻。

大叔母は途中まで読んだみたいだがお気に召さなかったようで、

「あんなつまんないの読まさないでよ」と後日、怒られた。

まあ、確かに。大叔母は一般的なミステリーや推理小説とか読んでた人だからね。

でもあの時もしもディックの「ユービック」を貸していたとしても無理だっただろうな。

あの人と僕は恐らくどうやっても心の接点はなかったのだ、残念だが。

でもしかし、最近顔が、似て来たんだよな・・・その大叔母に。

大叔母はつまり、祖母の姉なので、遺伝子的にはとても近いのだ。

祖母に似れば細面でシュッとしてよかったのに。

もしくは、父の姉は、大美人で、まるで女優のようだったので、

あちらに似れば良かったんだがな。僕は全然似ていないのだ。

 

さて、これでウチには「ユービック」が二冊あるので

読みたい人が居たら貸しますよ。返却確実が前提で。

まぁ、新刊本屋で注文して新しいのを買っても全然いいとも思うんだけど。

(廃刊になってしまってるワケではないのだ。ハヤカワSF文庫に今でも、ちゃんとある。)

「古本文化」というものを愛してるからさ。

 

だからブックオフだけでなく、昔からの古本屋にも頑張って欲しい。

何だったら、また、バイトとかするよ?古本屋で。

 

もう今じゃ、雇ってくれないかもだけど。

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脱却。

2021-06-25 21:04:54 | Weblog

僕は

 

わりにドジの多い子供ではあった。それは認める。

でも自己弁護するワケではないのだが・・・子供って誰でも、そんなもんだ。

アインシュタインだって、リンカーンだって、ガンジーだってきっとそうだ。

何一つ失敗せずに大人になれるか????

なれるわけがない。

人生というのは、特に子供の頃は、失敗の連続なのだ。

 

例にもれず僕もドジな失敗を繰り返しながらも天真爛漫に生きていた。

幼少時代の話である。

 

でも東京から広島県に転校したのをきっかけに、いろいろと転落していく。

学校には馴染めない、方言についていけない、喧嘩しても負ける、疎外される、嘲笑される。

そうなるとベンキョーも全然わからなくなっていく。

必然的に風邪なども引きやすくなり、学校も休みがち。

 

そんな下り坂人生の中のある時、父親が自分用に、一眼レフのわりといいカメラを買って来たので

僕もそれに興味を持って、そのカメラで様々な写真を撮るようになった。

小学校、高学年くらいの頃だったと思う。父親は確か、カメラにすぐに飽きたのだ。

そしてその次の年の正月。

家族写真を一眼レフで、僕が撮った。大人はみんな和服を着て、つんと澄ました顔で並んだ。

その3日後、現像に出したフィルムが全部真っ黒で戻って来た。

フィルムの装填の仕方が不味くて、カメラの中で空回りしていたらしかった。

 

一緒に暮らしていた「大叔母」が、静かに、深く、怒った。

その頃の一家のボスは、その大叔母だった。(父は婿養子・・・つまりマスオさんだった。)

彼女はその時多分、五十代半ばで、その時の写真を自分が死んだときの葬式の

「遺影」にしよう、という心づもりだったらしいのだ。

 

そして僕に言い放った、

「この子は何をやらせても駄目ねえ」と。

 

様々なことが上手く行かなくて自信を失っていた僕にとってその言葉は

とてもキツい、一撃だった。致命的、と言いたいくらい。

後で思ったのだが、それは言葉による「呪い」だった。

僕は呪われたのだ。

 

その後何かあるたびにその言葉を思い出して暗い気持ちになってしまった。

「呪い」だ。

 

「コノコハナニヤラセテモダメネェ」。これが呪いの呪文。

 

その「呪い」から脱却するのに 僕はずいぶん、努力をせねばならなかった。

脱却は、いつしか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・出来た。

 

 

僕は駄目ではない、と今は思っている。当たり前だ。

 

 

 

でも、そう思えるまでにどれほどの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあいいや。

 

 

 

 

だから、

 

子供に、子供じゃなくても他人に、

そんな、トラウマになるようなヒドいことを言ってはいけない、と切に思う。

少なくとも、僕は言わない。

 

 

言葉の「呪い」は重く、そしてとても執念深いものなのだ。

 

 

 

僕は大叔母が死ぬまでそのことを許せずにいた。

 

 

もしかしたら・・・・彼女がとっくに死んでしまった今現在でも

許せていないのかもしれない。

 

 

でもとにかく、僕は脱却したのだ、「呪い」から。

 

 

 

 

 

 

 

あ、今でもドジで不器用だけどさ。

 

 

 

そんなの、どうってことないっての。

 

 

 

 

 

 

 

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マシな日

2021-06-24 21:02:39 | Weblog

 

 

今日はマシだった

あまり嫌な思いをせずに過ごせた

ムカつかずに済んだ

他人を軽蔑せずにいられた

ヒドイことも言われなかった

ないがしろ にもされなかった

無神経な態度にも出会わなかった

 

偶然よありがとう

必然にもありがとう

 

毎日こんな風にマシに過ごせると

心がヤワになるかも知れない

でもヤワなままで生きられる世界であって欲しい

鍛えられたくなどない

ヤワで居たい

ヤワで居続けたい

 

ああでも

強くならなくちゃ

そうでなきゃ

 

まあとにかく

今日はマシだった

とりあえず

それだけでよかった

 

 

 

 

 

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ちょっとだけP.・K・ディック的な短い悪夢

2021-06-22 20:59:31 | Weblog

今日の昼間、待ち時間があったのでクルマの中で

ちょっとの間、眠ろうと思って

うつら、うつら、としていたら突然、

口の中にチューブがあってブブブ・・・と音を立てている。

何だこれ?と思った瞬間に

まるでフラッシュバックみたいに一瞬だけ見えた風景は病室で、

僕は全く動けずにベッドに横たわっている重病人だった。

口にはチューブ、腕には点滴が刺さっている。

耳元で「それは共時性遠隔装置によるものよ」と誰か女の声が言った。

え??????????と思って我に返るとフツーにクルマの中だった。

チューブなど影も形もない。

でも夢にしては異様にリアルだった。

 

もしかして・・・・・本当の僕は今、病院のベッドの上なのか?

今現在って実は、無理矢理見させられている夢なのか?

夢というか・・・3Dヴァーチャルリアル体験みたいなやつ???

 

何か それこそP・K・ディックみたいだけど今日、本当にそんな夢を見たし、

その直後は 本当に現実が疑わしかった。

 

ちょっと怖いけど面白い体験でもある。こんなのは初めて。

 

 

でもやっぱ、今更自分が、身動きできないほどの重病人ってのは・・・・願い下げだし、

願わくば、今現在の この現実が本物でありますように!!!!!

 

 

 

コロナとかオリンピックとか時短要請とか感染予防とか何やかんやとウザいけど、

それでもこの現実が本物であって欲しい。

 

 

 

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DAYS(難局を乗り切ろう)

2021-06-20 11:45:25 | Weblog

何も予定のない日曜日。

午前中をうつらうつら、と眠ったり起きたりして過ごす。

 

無音である。僕は音楽を愛するがゆえに逆に強く、無音も愛するものでもある。

家にいるときのほとんどの時間は無音だ・・・いや、

正確には無音ではない。窓の外を行く車の音、踏切の音、遠くまで行く電車の音、

雲の動く音、風の行きすぎる音を僕は聴いている。

そういうのが、とても好きなのだ。

それはともかく、予定がないのはバンドが動いてないからだ。

ライヴはまだ出来ない・・・。スタジオも休んでいる。

 

どんな状況でもポジティヴに捉える、という姿勢をとるために

あえて、「今の状況のいいところ」を考えることにする。

 

この状態は、誤解を恐れずに言えば「楽ちんである」という側面があるのだ。

 

音楽をやることは最上の楽しみな反面、いろいろと努力を要する。

時間通りに、いや予定の入り時間より30分早く着くために、

重い機材を抱えて電車に乗って出かけて(車ならもう少し楽なのだが・・・・飲むからさ)

楽器を正確に調整して、弦を新品に換え、歌詞も覚えて、曲順も考えて、

足元のエフェクターやコードが絡まったり抜けたりしないように

細心の注意を払って、髪の毛も寝癖を直して、髭も剃って、

少しでも見栄えのいい服を選んで、ピックやカポタストやチューニングメーターなどの

必要不可欠な小物も忘れずに持って。

そういう雑事を全部クリアして初めて音楽にたどり着く。

音楽にたどり着いても、弦が切れたり、声がカスレて出なくなったり・・・

というようなトラブルも日常茶飯事だ。シールドが抜けたり、アンプが煙を吹いたりもする。

そしてそれらがオッケイで音楽を奏でても、全然誰もニコリともしてくれないこともあるし、

拍手もなかったり、陰でぼろくそにけなされたり。

はははは。駄目だこりゃ、というようなこともしょっちゅうなのだ。

 

だから、何もないのは、楽。

音楽などやらなくても人生というのは豊かで、冒険に満ちたものなのだ・・・・

と当たり前のようなことを思う。

 

じゃあ止めちまえよ、などと言われるのは承知の上だ。

それでも音楽を止めないのは好きだからだ。

もちろん、好きでやってるのだ、マゾではない。

好きだけど、今はやれないのだ。

 

そんな悠長なこと言ってたら、

あんたみたいな中途半端な立場の人気のないバンドマンを出演させてくれる心優しいライヴハウスが

全滅しちまうよ、という意見もある。

確かに・・・・それは一番心配であるし、心が痛む。

 

それでも何とか、今の難局を乗り切りたい。

 

「楽」とか不謹慎なことを言ったが、

僕にとってもやはり、難局なのだ。

こんな風に、やらずに長いこと居ると・・・ただでさえ上手くないのに、

サビついてしまう。誰からも忘れられてしまう。

 

 

新しい歌がどんどん出来ていた時期だったのだ、一年半くらい前。

アレンジがすごく楽しかった。目が回りそうだった。

自分達としては、バンドとしての新境地、というような楽曲。

 

それをバンドで せーの、で演奏したいし、

みんなに聞いて欲しい。

バンドのメンバーや、対バンや、お客さんや、ライヴハウスのスタッフにも会いたい。

 

だから「楽」とかアホなこと言ってても、

動けるようになったら、絶対動くつもりでいる。

 

加えて、気づいたらもうトシなのだ、今更気付くな・・・・とも思うが。

「いつまで出来るか?やってられるか?」というのは大問題だ。

 

そして肝心の、ライヴハウスには踏ん張って欲しい。

いっとき、ライヴハウスのTシャツやドリンクチケットとかを

買いあさった。その程度ではもちろん、焼け石に水にもならないのだが。

 

 

世界は、完全にもと通りには、ならないかもしれない。

もしそうでもそれはそれでしょうがない。

その、新しい世界で、厄介な雑事をこなしつつ・・・音楽にたどり着くしかないのだ。

 

音楽にたどり着こう、いつかまた。

 

その時まで生き延びよう、お互い。

 

 

 

難局を、乗り切ろうではないか。

 

 

 

 

追伸

 

ライヴも出来ねえ、って言ってるのに、

オリンピック、本当にやるつもりでいるのか?????????

アタマ大丈夫かしら???????

 

今更だが言う。

オリンピック、開催は断念すべきだ。

きっと、誰にとっても、その方がいい。

 




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自分自身の傲慢さについて

2021-06-18 21:55:56 | Weblog

人生はサヴァイヴァルだ。

命がけの、一度きりの、生き残りゲームだ。

俺は俺でしかないが、それでもそれで、持てるものを最大限使って、生き伸びるのだ。

 

 

特に・・・これと言って自慢できることなど俺には何もない。

背が高いわけではない。

お勉強が嫌いだったので当然、学歴もない。

見た目が美麗なわけでもない。

テクニシャン的にギターが上手いわけでもない。

博覧強記でも全然ない。むしろ「忘れ物大王」だ。

体が丈夫でもない。しょっちゅう風邪をひく。チカラもない。

当然のように裕福でもない。

 

 

そういう要素だけ抜き出して言えばどっちかって言うと駄目駄目だ。

 

 

でも自分を駄目駄目だなんて思ってはいけない。

俺は思ってない。思ったこともあるけど、今は思ってない。

 

 

自分は特別だ、と思い過ぎてもいけない。

傲慢さが顕著になるからだ。

 

俺はすごく謙虚なつもりなのだが、

時に他人から、「すごく傲慢だ」と言われることがある。

それは多分・・・・・当たっているのだ。

 

一人称単数が「俺」である時点でもう謙虚ではないかもしれない。

 

 

今日は自分の傲慢さについて、考えさせられることが続いた。

自分でも驚いてしまったのだが、

俺は未だに傲慢であるらしい。

認めたくないのだが、

認めざるを得ない。

 

 

 

傲慢だろうが何だろうが、それでもサヴァイヴは せねばならない。

死んでしまったら、それまで・・・・・だからだ。

 

傲慢だ、と罵られようが

卑屈だ、と馬鹿にされようが

 

俺は俺でしかないのだ。

 

えーっと、どうしたらいいのかな。

 

 

 

心を「低く」構えたらいいのか、それしかないのか。

 

 

でもこれ以上「低く」するのか????????

 

 

 

そう思うってことはやっぱり俺、傲慢なのか・????????

 

 

 

 

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肝心なところ

2021-06-17 22:10:23 | Weblog

前回の文章の続き。

 

その、「ものごとの本質」とは何だったか?

 

今はもうこの世にいない岩佐と、こないだ再会できた清治に、共通点があるのだ。

これは、土井健にも確実に言えることだが、

 

 

ピンチでも決してひるまない。

 

ギリギリのところでもニコッと笑える強さ。

 

どんな時でも弱い者の味方につく。弱い者の立場で物事を見る、考える。

 

そして強いものには歯向かっていく。

 

ユーモアと柔らかさを忘れない。

 

それが彼らの共通点。

 

 

何と言う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

もう絶句するしかないよね。

 

だから俺も、いつかそうなりたい。

 

いつもいつも、それを目指すのだけれども、

 

ピンチには焦ってドジってしまうし、

 

自分に余裕がなくて、優しくない時がある・・・・・・いや、そんな時ばっかりかもしれない。

 

まだまだまだまだ全然駄目駄目だ。

 

強くなろう、優しくなろう、彼らみたいに。

 

 

 

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