自戒

2011-03-31 12:56:17 | Weblog



他人を攻撃しても仕方がない。


・・・自分自身に言ってるんだけど。


ついつい、「東電は何やってるんだ」みたいな風に

なってしまいがちなのだけれど、

”こんなことになる”ってわかってたら誰も・・・。


「悪意のある人間」なんてきっと、

滅多にいないのだ(まれにはいる)。


コドモの頃、母親に散々言われたのが、

(誰かのせいで自分に迷惑がかかっても、)

「わざとやったんじゃないことなら、怒っちゃだめよ」

ということだった。


当たり前だけど人間なんてあまりにも不完全な動物なのだから、

間違いを起こしてばかりだし、

いさかいを起こしてばかりだし、

つまずいてスッ転んでばかりだし、

初歩的な失敗してばかりだし、、

大事な事を忘れてばかりだし、

チューニング狂ってばかりだし、

シールド抜けて音が出なくなってばかりだし、

酔っ払って醜態さらしてばかりだし。


あ・・後半は個人的な「露悪」になってしまったが、

俺みたいな「非・攻撃的」でおとなしくて内気な人間

(・・・そうじゃない部分もあるが)までもが、

さっきの日記で書いたみたいに「原発」に腹を立てている。

・・・・いかんなぁ。


もちろん自分自身に言うのだが(しつこい)、


他人のせいにしないで、

過去の間違いは正して、

目の前の問題に向き合って、

”可能性”に目を向けて、

何とかしていくしかない。


前向きに行くぞ、

生きてるうちは「生き抜く」しかないのだ。






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不安

2011-03-31 10:59:09 | Weblog


原子力発電計画というもの自体が

いかにズサンなものだったのかということが、

巨大地震と津波による大規模な放射能漏れ事故によって

明らかになりつつある。

ほんとうにひどい計画なんだな、と

あらためて思う。

いちばんの問題は「放射性核廃棄物の処理方法がない」

ということなのだけれど。

「地震国には向いていない」、ということも

わかっていたはずだ。

問題を先送り、先送り。

そんなことしていいことと悪いことがある。

いつかウヤムヤになってしまうようなことならいいけど

(よくないけど)、

今、進行しつつあるのは

多くの人々の健康と命にかかわること、

原発周辺が「今後100年立ち入り禁止」になるような

滅茶苦茶なこと。

原発周辺どころか日本の半分が、

いや日本全体が・・・・・・・

それどころか世界中が。

「汚染」されてしまいつつあるのだ。

廃棄物の処理方法もないのに、あれだけ大規模な

モノを考えられないような大金を使って、

しかも不安定な事がわかりきっている地盤の上に

建設して稼動させているなんて。

まともな人間が考えた計画とは思えない。

プルサーマル??

再処理なんか、出来てないじゃないか。

そのあとの廃棄物だってどうしようもないし。


何だか・・・・・・・・・

今さらなのだけれど、原発に関するいろいろなことを

知れば知るほど、腹が立ってしまう。

きっと日本中、世界中の多くの人が

同じような気持ちでいるのだろうと思うのだけれど。

これからどうなるのか・・・・・・・

不安だ。


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今になって思うこと

2011-03-29 21:27:01 | Weblog


俺は東京生まれなのだけれど、

東京以北・・・つまり、東北の方にはあまり、

縁がなかったなぁ・・・・と

思っていたのだが、

昨日、強烈に思い出した。

一回だけ、東北に行ったことがあったのだ。

あれは確か1990年か1991年だったと思うのだけれど

青森県六ヶ所村の

核燃料再処理施設建設予定地で行われた大規模な

「いのちの祭り」野外ライヴに

ランブルフィッシュで出演するために

はるばる、バンドのみんなと

行ったことがあったのだった。


広々とした草原に作られた野外ステージ。

山口冨士夫、ボ・ガンボス・・それ以外の出演者は

覚えてないんだけど。

草原から遠くに海が見えていたのを思い出す。

津波はあそこまで到達したのだろうか。

きっともうあそこには、

我々の反対にもかかわらず、

核燃料再処理施設が出来ていて、稼動してるんだろうけど。


大阪から機材車「ランブル号」で

延々と延々と六ヶ所村を目指して行った。

もう、遠すぎて

永遠に着かないのでは?と半ば本気で思った。

当時は俺はクルマを運転しなかったから、

ずっと後部座席で爆睡していたので定かではないのだけれど、

今回、津波の被害を被った街とか村を、

きっと通っただろうと思う。

あの時に地震が起こっていたら、

間違いなく俺たちも津波に呑まれていたのだ。

そんな風に思って、

被災者のみなさんの痛みを、

我が事のごとくに考える。

当然だが、全然「他人事」ではない。

「愛する者との、突然の死別」は

人生でいちばんつらいことだ・・・・・・と

俺は本心からから思っている。

被災者の皆さんと、亡くなられた方々に、

心から、哀悼の意を捧げます。



そして

今になって思うのは、

もっともっと「原発反対」の声を

上げ続けるべきだった。



気を抜くべきでは、なかった。





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2011年3月28日に思うこと

2011-03-28 19:45:27 | Weblog




遠くに見える黒い雲みたいな感じで

原発の危険なニュースが流れてくる。


テレビとインターネットでは少し、ニュアンスが違う。

この期に及んでテレビは、

何か隠してるようにも見える。

大勢の人の命に関わること。

自分という生命体の維持に、直接関わること。


目をそらして耳を塞いで、

フテ寝をしてる間にすべてどこかに過ぎ去ってくれれば

いいのに。


まっすぐにこちらを突き刺すために様子を伺っている、

残忍な「刃」のような現実。


我々はどこに逃げればいいと言うのか。

九州?外国?

しまいには、宇宙へ?

どこへ逃げるにしたって、非現実的だ。



チェルノブイリの時にもあったのだけれど、

避難勧告された地域の住民が、危険を承知で

家に戻ってしまっているらしい。

でも何か・・・その気持ち、わかるような気がする。

・・・家。家がいいに決まってるじゃないか。

放射能は強力な毒・・・なんてこと、全然ピンとこないし。

家に帰ったっていいじゃないか、大体・・・・

「絶対安全」って言ってなかったか?




何だか世界は、半月前と全然違う様相を呈している。


”夢想的な日記”なんてのは

「何の心配もない世界」の産物なのだなぁ、と


痛烈に思うのだ。




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ものくるるひとは・・・

2011-03-23 17:11:27 | Weblog



誰が言ったのだか忘れてしまったのだが、

(確か日本の古典からの引用だった)

「物くれるひとは良いひと」なのだそうだ。


・・・即物的だが、

そういうものなのかも知れないな、とも思う。


我々ってずいぶん、「物質」に依存して生きてるから。

(被災地に、必要な物質が早く、ちゃんと届きますように!)


大体、服なんかいつも着てて、

着てない状態の方が特殊・・なんてね。

他の動物だったら考えられない。

(もちろん例外はいる・・・例えば、ミノムシとか。)


でも考えてみたら野生動物だって、

「食物(と水)」という物質がないと

生きていけないもの、ではあるのだ。


もっと つきつめて考えたら、

我々、生物の身体だって「物質」なのである。


そんなこと言えば何だって物質じゃないか、と

言われそうだが


「思考」は物質か?というと、そうではないし、

「時間」だって物質ではない。

「音」だって。

しかし、「光」は?

「光」は確か、「粒子」でもあり、

「波動」でもあるんじゃなかったっけ?

「粒子」なら、光だって、物質だ。



ところで、

猿から人間への進化の過程で、

「道具の使用」というのがけっこう

大きなステップだったんだよね、確か。


そうするとやはり、人間って

「物質」との関わりが深いのだ。






レッド・ホット・チリ・ペッパーズの名曲に、

「ギヴ イット アウェイ」というのがあって、

歌詞は

「オマエの持ってるモノを全部あげてしまえあげてしまえ」

という内容だった。

レッチリのみなさんも、かなり「良いひと」みたいだ。


ってここまで書いて・・・今突然気がついた。

「ギヴ イット アウェイ」が入っているアルバム、

「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」は当時、

佐治にもらったのだった。

借りパチなどではない、

「オマエにそれ、やるわ」ってちゃんとくれたのだ。





「良いひと」だなぁ。







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個人的な意見

2011-03-22 20:43:41 | Weblog



誰も悪くなんかないのだ、と思いたい。


あんな、”「冷やせない」くらいのことで自己融解して

大暴発してしまいそうになる怪物みたいな奴”を

飼いならす事を、

いつのまにか「容認」してしまい、

それどころか

そいつの「恩恵に賜っていた」のは他でもない、

我々なのだ。




「千年に一度の大災害」。

そんな風に言ってる人を、TVで見た。

そうなのかも知れない。

もし、それが本当なら

千年後には、このことの怖さも忘れられているだろう。

きっとそういうものだし、

それはそれでしかたがないかも知れない。


千年前のことなんて、誰も覚えていないから。




それにしても・・・・



原発は、不気味な怪獣だ。

そんな風に思えてしかたがない。




怪獣に(おそらく)「悪意」はない。

ただちょっと動くだけで、

この世界に大破壊を引き起こしてしまうだけなのだ。

大破壊と、大殺戮を。


ミサイルは、空飛ぶ怪獣だ。

リビアでは今、そちらが暴れている。

この空飛ぶ奴も、それ自体に悪意はないのだが

「何者か」に、遠隔操縦されて、操られている。


その「何者か」というのは、

懐かしの「ウルトラセブン」の劇中では

怖い宇宙人だったりしたけど

現実は

「家では家族思いのお父さん」だったり、

「理想に燃えた若者」だったりする。



「エネルギー」に、善も悪もない。

その方向付けをするのは常に人間だ。


でも誰だって、

自分たちの手に余るものを、あたかも

”出来るようなふりをして”、

(「安全です」とか、わかりもしないのに公言して、)

扱うのは・・・

間違ってるだろう。

止めたほうがいいだろう。



本当は、誰も悪くなんかないのかも知れない。


本当は、「良かれ」と思ってやったこと・・・・

なのかもしれないんだけどね。






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レーナード・スキナード

2011-03-18 20:46:45 | Weblog




"IF I LEAVE HERE TOMORROW

WOULD'YOU STILL REMEMBER ME?"

「もし明日 いなくなっちまったとしても 俺のこと、

忘れずにいてくれるかい?」(道郎訳)


1970年代サザン・ロックの最高峰バンド、

”レーナード・スキナード”の大名曲、

「フリー・バード」は、こんな歌詞から始まる。


レーナード・スキナードが、

”絶頂期に飛行機事故で

VO.のロニー・ヴァン・ザントを含む

メンバーの半数を亡くしたバンド”だ、

ということを考える時  この歌詞は、

暗示的・・・と言えなくもない。


バンドの、いちばん有名になった曲の冒頭で、

「俺のことを忘れないでくれ」と言っているんだから。


本当は・・ていうかこの曲が書かれた当時は、

「ツアーに明け暮れるバンドマンの心情」

だったのだろうけどさ。




人間は、一人で産まれてきて(双子は別)、

一人で死んでゆく。

そうなると、「別れ」は絶対、ってことになる。


一緒にいられてる事の方が「特別」なんだぜ、

俺達ってば 「当たり前」みたいな顔してるけどさ。


「当たり前」な事なんて、どこにもないのだ。


俺が時々、「当たり前だろ?」って言ってしまうのは、

「当たり前じゃないから」なんだよ。


・・・逆説でしかないんだぜ。







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これは啓示ではない

2011-03-16 20:32:49 | Weblog




見たこともないようなひどい出来事。

聞いたこともないような悲しいニュース。


誰もがみんな、そんなものに

日常を侵食されてばかりの毎日。


どんなことが起こったにせよ、

我々はこの地上で生きていくしかない。


それにしても。


天変地異には何か、意味があるのだろうか。


いや、きっと そんなもの「ない」に決まっている。

だとしたら・・・

考えてもしょうがないものはしょうがないのだ。

それでも、気付いたらやはり、考えている。


「どうして?」と。


これは啓示ではない。


我々はこれを、黙って受け入れるしかないみたいだ。


これまでも・・どんなひどいことも 

そうするしかなかったように。 


それにしても、ひどい。




他に言うべきことは、ない。







 


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アクセルを踏み込むのは悪魔

2011-03-09 11:06:19 | Weblog


とっくに解散してしまったけど

大好きなバンド、

”ロイヤル・トラックス”の最高作

「アクセラレイター」を買いなおした。

前に持ってたやつは

佐治にあげちゃったのよね、彼が入院してる時に。

ひっさしぶりに聴く、

ガサガサに荒れた声と音。

さて、俺も悪魔を見習って・・・

アクセル踏み込んでみますか。


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神聖視

2011-03-08 10:02:51 | Weblog


音楽誌でカート・コバーンの写真を見た。

1994年に自死した、ニルヴァーナのあの人だ。

27歳だったんだよな。

(多分)同い年だったから、より強烈に思うのだが

27年って・・何て短い生涯なのだ。

もう、あれから17年も経っているのだが、

その期間は俺にとってはものすごく大事な、

充実した時間だった。


でも、考えてみたら

俺(達)の大好きだった岩佐なんて、21歳で亡くなっているのだ。

改めて思う、この無念。

人生なんてまだ、始まったばかりだったのに。

シド・ヴィシャスも21歳で亡くなっているのだが・・。

21歳の奴なんて、今の俺から見るとまるっきりコドモだ。

コドモだからって悪い、ってことではないけれど。


佐治が亡くなってから3年半になる。

俺達は一緒に音楽を、やりたい放題 やりまくったから 、

悔いはない、満足だ・・と思っていた(思おうとしていた)のだが、

今になってやっぱり、

50歳くらいになってから(まだ50じゃないけどさ)また、

ブルースとか一緒に一緒にやりたかったな。


我々ならでは、の新しいブルースが、出来たかもしれない。

枯れ果てたロックンロール?とか、

パンク経由の、壊れかけたブルースとか。



・・・亡くなってしまった人のことはどうしても、

神聖視してしまうよね。


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