ユー・メイド・ミー・リアライズ

2013-01-31 17:15:45 | Weblog




MY BLOODY VALENTINEの結構重要な曲に、

「YOU MADE ME REALISE」というのがあって、

・・・・・・・・・・・・・・どういう意味なのかな。


「あなたが私をリアルにした?」

”「あなた」に会って「私」は覚醒した”というようなことかな。


そういう、リリカルな感性って

少女マンガ的ではあるが、素敵だ。


少女マンガのようにリリカルに生きたい、と願うような時期が

誰にでもあると思うのだけれど(そうでもないのか?)、

現実はどちらかというと「スポ根マンガ」だったりする。

もしくは「不条理ギャグ」か。



不思議な色をしたマーマレード製の空から、

星の粉のような細い細い、銀色の雨が降ってきて

地上を「感傷」ですべて、多い尽くした時

哀しみは全部消え、

僕はまた

「マカロニほうれん荘」みたいな感じで

ヨミガエルことでしょう。





来週はいよいよ、MBV来日。







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LIFE IS JUST TO DIE (SWEET JANE)

2013-01-29 18:05:46 | Weblog



10トントラックに積み込んだラジオカセットから

偶然みたいにして「SWEET JANE」が流れて、

何だか、「ずいぶん久しぶりに生き返ったゾンビ」みたいな気分になった。


いつ聴いても、とてもとてもとても素敵な曲。


ところでこの曲に、LIFE IS JUST TO DIEという一節があって、

「人生は死ぬためだけにある」と、

手元にある「ルー・リード詩集」梅泡葉子・訳にはあるのだが、

別の訳し方もあるよね。


JUSTに注目して訳せば、

「人生なんてどうせ、死ぬだけだ」という風に

ちょと捨てバチに言ってるようにも取れる。

多少、そんな風に「紗に構えた」ほうが、

”不良少年風味”、というか、”フォースの暗黒面”というか、

”エロスに対してのタナトス”、というか・・・・不健康で、いいのだ。


でもそーゆーのって、ちょっと古いか?

昔の不良は、よくこんなこと言ってたような気がする。

そうか、古いっていうより単に、「幼い」のか。


だって例えば

「随分いろんな生と死をくぐり抜けて生き延びてきた老兵」が、

こんなこと言わないよね。

(言うひとも、いるだろうが。)


やっぱ、こういうのが似合うのは、

飛び出しナイフを手に少女と逃避行を図るような、

十代の痩せっぽちの不良少年だけなのかも知れない。。


俺?俺はもちろん、言いません。

でも、もしかして

もっと「おじいさん」になってから言うともしかして、

「味」が出て、いいかもしれない。


よしっ!いつか言うぞ。

かっこつけて、「人生なんてどうせ、死ぬだけじゃ」って。

くくく。


この文章はその日のための、「前フリ」だからね。





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カセット復活(FUCK MD)

2013-01-28 16:38:56 | Weblog


カセット・テープを使わなくなって久しい。

ニホンオオカミみたいに、もう完全な「絶滅種」だと思って諦めて、

思い出すこともなかった。

っていうか「懐かしのガジェット」として、

ベルトのバックルになってるものを買って、使ってるくらいだった。


ところが。

先日、俺の好きな店(古道具、中古楽器、古着ETC)で、

CDラジカセが安く売っていたので買った。

CDプレイヤーはまあ、いいとして・・・

カセットが付いている奴って、今はあんまりないよね。

帰ってきて押入れの奥から捨てられずに取ってあったカセットテープを

かけてみたら・・・おお、全然いける。

しかもテープスピードがこれはジャストだ。

しかも音だっていいじゃないか。

ここ15年くらいはカセットの替わり、という感じで

MDを使っていたのだが、あれは本当に駄目だった。

ハードにしても、ソフトにしても、耐久性が全然ないのだ。

どれだけの数のMDプレイヤーが、買っては壊れたことか。

どれもこれも、すぐに壊れやがるのだ。磁気の問題だと思うのだが。

録音したディスクも、かなりナメている。

何年か前のモノって、聴けないのだ。さらに、その上に再録音もできない。

あんな壊れやすいチャチな家電ってアリか?ってくらいヒドかった。

それでも我慢して使ってたら、何年か前のニュースで、

MDは生産中止だと。

ははは、さよか。腹立つのを通り越して笑けてきたわ、ワシ。けけけ。

(町田康ふうに。)


でも本当に、マジで。

テープの方が全然、耐久性あるし、使いやすいし。編集とかしやすいし。

もうあれだ、「時代に逆行」してやる。

俺は「カセット・テープ擁護派」になる。

電器メーカーは、カセットプレイヤーをちゃんと発売しろ。

くだらないデジタル機器なんていらないぜ?


俺は明日から、以前のようにカセットを使う。

懐かしい音源が、山ほどあるのだ。

MDにはションベンひっかけてやるからな。









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「嫌い」と「好き」

2013-01-27 08:20:01 | Weblog



「嫌い」と「好き」の境界ってきっと、けっこう薄い。

・・・っていうか

「嫌いなもの」って「好きなもの」だったりする、往々にして。

「もの」を「ひと」に置き換えてもいいかもしれない。


「嫌いなひと」って、くるっと裏返っちまえば

「すごく好きなひと」になるし、

「好きなひと」って

”幻滅するようなこと”があった場合、わりに簡単に「嫌い」になれると思う。

・・・・わからないけど。



それとはまた、ちょっと別の話で。


自分のことを否定してきたり、批判してきたりとか、

攻撃的に接してくるひとって、たまにいるよね。


そういうのって

あとになって冷静に考えてみたら「ありがたかった」り、する。


そりゃそのときは腹立ったりするけど。

もし客観的に見て「まちがってる」ならその間違いを自覚できるし、

「間違ってなかった」場合、「腹立つ」というエネルギーが沸き起こる。

もしくは、「アホを無視する寛容さ」を自分の中に育てる、

いい機会になる。



腹立てるにしても、無視するにしても、

これは「フリクション(軋轢)」というひとつの、

乗り越えるべき「轍」であるのだ。


だからそういうひとは、俺は好きです。嫌いだけど、好き。




でも、なるべくなら俺のことは気にしないで、

放って置いてやってくださいね。


面倒くさいからさ。




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フォボスとデイモス

2013-01-26 20:27:31 | Weblog




朝焼けがいつも美しく見えるのは、

これから起こるであろう出来事が

そんなに悪いことばかりではない・・・っていう暗示なのかもしれない。

(少なくとも僕は、そう思ってるってこと。)


動き出してからしばらくは、

これでよかったのかどうか、確信が持てない。

そんなことの繰り返しが結局、

自分の「歴史・・・・みたいなもの」を作ってきたのだけれど。


いろんなことの本質が見え始める頃には、

起こした行動は「過去のもの」として固定されている。

僕には「過去」は、変えることができない。

「世界」に対して僕が出来る事は、ほんのわずかでしかない。


でも

世界のどこかで蝶が羽ばたいただけで、

その風が最終的にハリケーンを起こすことだってあるんだぜ。

だから

「世界」VS「僕」の戦いで、

僕が敗けるばっかりじゃない、って思いたい。




会いたい人には、会っておくべきだし、

声だけでも聞いておいた方がいい。

だって関係は流動的で、

いつまでもいつまでも同じような感じでいられるかどうか、

本当にわからないんだから。






さて、それで。


フォボスとデイモスってのはいびつな形をした

火星の2つの衛星の名前だ。


ずいぶんな名前を付けられたもんだ・・・・・と思ってさ。





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見た目。

2013-01-24 16:27:35 | Weblog




「人は見た目が九割」っていうようなタイトルの本を見かけて、

ドキッとして買ってしまったが、読んでも全然面白くなかった。

でもドキッとしないか?そのタイトル。

そりゃぁ・・・・そういうことも、「無きにしも非ず」だけど。


それでなくても人間って種族は「視覚」に頼る割合が、

他の動物(や、昆虫)より多いと聞く。

面倒くさいから調べずに記憶のまま書くんだけど、

人間は確か、それこそ八割は、「視覚」で生きているらしい。

犬猫だったら、「嗅覚」と「聴覚」を、ずいぶん活用してるよね。

アリとかだったら「触覚」をフル活用している。

コウモリだってあれはほとんど目なんて見えてないよね。

自分の出した超音波を跳ね返らせて、それを聞いて世界を把握してるのだ。

・・・スゲエ奴。

ミミズに至っては、もともと目すら、ない。

貝類にも目は、ない。


・・えーっと、何が言いたかったんだったっけ。

ああ、見た目、見た目。



今、どこかの局のFMラジオで早朝に、「源氏物語」の現代語訳、というの

朗読を放送していて、とても面白いのだが(林望氏が現代語に翻訳している)、

どうも、「源氏」というのはそれはそれは「美しい男」だったみたいだ。

鎌倉時代だっけ?(平安時代だった・・・・・・)

その頃の「美しい男」の姿って、どんなんだろう。

現代と違って、「西洋人みたい」なのではないはずだ(あたりまえだが)。

顔は、下ぶくれのふっくらした顔が「美し」かったはず。

食料事情は悪い時代でも「貴族」だから、痩せぎすではないだろう、

「貫禄のある」体型だったはずだ。

むむむ。想像したら「美しくない」な。


でも時代によって、流行は変わるとは言え、「美しい男」って、いるよね。

うまく言えないけど、遠くからでもパッと目を引くような、華やかな男。


ひとは見た目じゃわからない、というような説も、あるにはある。


ん・・・しかし、「見た目」というのはどうあがいても、不公平なものであることよ。



「富」とか、「才能」とかもそうだよな。


むむむ。




結論は・・・・・・・・・なし。






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「強さ」考

2013-01-23 16:59:01 | Weblog




「強い人間」って、どんな人のことをいうのだろうか。


単純に・・・チカラとか、ケンカとか強い人、かな。武道の有段者とか。

カラダの大きい人のほうがそういうのって有利だよな。


それとか、

社会的に権力を持ってる人・・か。「強力なバック」がついてたりとかして。

しかし・・・どちらも、どうも感じの良くない「強さ」では、ある。


「図太い」っていうか、精神的に「傷つきにくい人」は、「強い」のだろうか?

・・・いや、そんなのは無神経なだけだぜ、

もしそんなのが「強さ」だったとしても、

俺はそんな風に「強く」なんて、なりたくないね。


俺が憧れる「強さ」は・・・・・・・


逆境でも、涼しい顔をして微笑んでさえいられるような「強さ」。


それとか

いろんなことがうまくいかなくても、

いじけてしまわない「強さ」。


誰か他人に、分け隔てなく優しくしてあげられる「強さ」。



考えてみたら、俺の友達には、そんな人が何人もいる(いた)ではないか。




柔をよく、剛を制する「強さ」。


そんな風に、いつか、なりたいものであるよ。







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雨の日に

2013-01-22 15:59:04 | Weblog


雨が降れば、それはそれで嬉しい。

バイクはカッパ着て乗らなきゃだけど(かっこわるいこと甚だしい)。


でも世界はわずらわしいことばかりではない。


また何か、笑えることがあるだろう。

全部が全部、留保なしに「よかった」って思える時が、

きっとあるはずだぜ。



フラニーが「シーモアに会わせて」って言ったみたいに僕も、

”君に会えたらどんなにいいか”って思ってしまうときがある。


そんな、「どこにも持って行き場のない思い」

みたいなのを抱えてみんな、年老いていくのかな。



もし、そうだったとしたら「年をとること」は、

悲しくはないけど少し、せつない。








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思う

2013-01-20 13:45:05 | Weblog


「ものは言いよう」というのと

「ものは考えよう」というのは、けっこう近い。


言葉とはつまり「思考そのもの」である、と言えるのではないか。


「歌詞」って何だろう?と、時々 思う。


ひとりごと?・・・・・・・・・・でも、それだけじゃないよな。

姿勢表明?・・・・・・・・・・っていう時も、あるには、あるけど。

愛情(もしくは憎しみ)の吐露?・・・・・・・んー。

誰かへの手紙・・・とか?・・・・・・・・・これは、近い時があるよな。

心象風景?!・・・・・・・・・・・・・・・これが一番近いかな、俺の場合。

人物デッサン(!)、って時もあるけど。


そういういろいろに対して、

「歌」のないインストゥルメンタル曲は、

抽象画に近いものなのかもしれない。

言葉という「具体」が、ないから。


・・・・・・・・・・そうか、言葉は「具体」でもあるんだ。



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聞いてくれ

2013-01-18 16:05:05 | Weblog




今日はすごかった。

まあ聞いてくれ。


今日の夜明け前・・・俺は、猛烈な吹雪の中にいた。

場所は、あれだ、鈴鹿とか、伊勢とか、要するに名阪国道だ。

10tトラックの運転席からそんな天候を眺めていた。

呑気に眺めていたのではない、格闘するみたいにして運転しながらである。

猛吹雪の真っ白な嵐の内側は余りにも幻想的な光景で、

俺は「眠っちゃいかーん!」と自分に叫びながら、雪の中窓全開に開けて、

トーキング・ヘッズの「ROAD TO NOWHERE」

をヤケクソ気味に歌いながら(何故その歌?)、

何とかかんとか、切り抜けたのだ、褒めて欲しい。

でも一時間くらいはずっと吹雪の中だったぜ。

そしてそのあと、名古屋港あたりで夜が明けてきて、

吹雪だったのが嘘みたいな晴れ渡った空に、朝焼けを見た。

本当に綺麗だった。

大袈裟を承知で言うが、「生き延びた」って実感があった。


・・・・・・・・・・・ってな感じで最近は暮らしてるのだけれど。


あのさ、山の中の高速道路を走ってると「動物注意」の標識があるよね。

タイポグラフィ化されたその絵は、鹿だったり、猪だったり、狸だったりする。

あたりまえのようだけど・・そういう野生動物がちゃんと、いるのだ。

「野生の鹿」って・・・・・どんな気分だろう?何考えてるんだろう?

漠然としたこと言うけど・・・・・彼らって、どんな人生なんだろう?




「貝」もいいけど・・「野生の鹿」になってみたいぜ。



























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