昨夜はありがとう。

2019-09-29 20:33:08 | Weblog

昨日の難波メレでの「ワイルドサタデーナイト」、来てくれたみなさん

ありがっとでした!

山あり、谷ありの人生ですが

アルコホリック・ジェット・コースターに乗って、

トラブル、またトラブルを乗り越えて、

派手にぶっコケたりして、

声を枯らしたりしながら、

いつもいつも上手くいくわけではないから面白いのですが

とにかくやっぱりライヴは刺激的で、

これからも続けられる限り続けたい、と

満身創痍気味になりながら

二日酔いの頭を抱えて、

でも嬉しい出会いも会ったりして、

何だかドサクサに紛れて友達が増えていくのはライヴ冥利に尽きるし、

対バンの友達ともゆっくり、たっぷり飲みすぎて(←あかんやん)、

まあ何というか、

人生がこんな風に過ぎてゆくのなら悪くもないであろう、

などと

思ふ9月の終わりなのでした。

とにかく、生き延びれるかぎり生き延びよう。

多少、みっともなくても構うもんか。

しがみつくようにロックして、しがみつくように生き延びるのだ。


お客さん、として来てくれた友達に最大の感謝を。

そして対バンの友達と、

出演させてくれた難波メレにも最大の感謝を。

メレ殿、アンプ壊れてたらごめんなさい。修理代、ちゃんと払いますので!








写真は前飲みも一緒に行ったカメラマン、大瀧くんのもの。

昨夜の、新たな試みの、アースカラーなアタシ達。

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タイムマシンについて、ライヴについて(明後日は難波MELEでライヴ!)。

2019-09-26 21:28:46 | Weblog

タイム・マシンといったものは存在しないし、

今後どれだけ科学が発達したとしても無理なのではないか、と僕は思う。

夢がない・・・って言われてしまうかもだけど。

タイムマシン、という幻想は、恐らく、我々人類だけが持つ(であろう)克明かつ鮮明な「長期記憶」と、

眠ったときに見る「夢」(これは多分、猫も見ている)の産物だ。

この僕にしたって、小学校の頃に住んでいた福山の家を、

ほとんど隅々までリアルに、手が触れられそうなほど細部まで思い出せるし、

夢の中では実際にそこを訪れている。

そこには何の不思議も、矛盾もない。ただの願望の自己実現の疑似体験だ。

でもそれは現実ではないのだ。

時間そのものは確かに、伸び縮みする。亜飲酒退院は相対性理論の中で確かにそんなようなことを言っている。

相対性理論に関しては、検証する実験が世界中で、様々な形で行われ、実証されている。

物体の速度が光速に近づけば近づくほど、その物体にとって、時間は遅くなるのだ。

つまり、SFで言う「双子のパラドックス」は実在する。

でも、だからと言って、それを乗り物に応用して、

行きたい時代に行く、なんてどう考えても無理。

あ、「ワープ航法」も無理だと思う。

物質が光速を超えるなんてどだい、無理なのだ。

しかしなあ。

ジェット機は、音速を軽々超えるよね。

ライト兄弟の時代に、いつか飛行機は音の速さを軽々超える、と予言したとしても

誰も信じなかったであろう。

しかし、相対性理論では確か、物質が光速を超えたら宇宙が爆発する、と言ってた気がする。

それって遠まわしに「無理」って言ってるんじゃないの?

比喩?暗喩?

まあいいや。

でも僕は時々、自分が「遠い未来から来たタイムトラヴェラー」のような気分になる。

(そう、あのジョン・タイターみたいな。)

ああ!自動車がまだ化石燃料で走っている!!!とか

海がまだ青い!!!!とか

国家間が無意味な対立を、未だにしている!!!!とか

活字を使った、紙に印刷された「本」が未だに流通している!!!

とか、思ってしまうから。

ただの馬鹿、と言えばそうです。


さてさて、明後日は、難波で、ライヴ。

肉声と、それを拾うマイクと、電気ギター2本、電気ベース、アコーステイック・ドラムズ、という編成で我々は演奏する。

この21世紀においてすら、この編成は古典的だ。

シンセもないし、シーケンサーも使わない。打ち込みも、パソコンも使わない音楽。

ワイヤレスケーブル、なんてものも使わない。エフェクターは使う。

でもサンプリングマシーン、なんてのも使わない。

自動調音器(オートマティック・ペグ)、なんてものも、存在は知っているけど必要ないから使わない。

そう、ハーモニカは使う。


こないだ、1966年のビートルズのライヴ動画を見たら、

今の我々とまったく同じ楽器編成だった。ははは。

でも、今の我々は今しか存在しないし、

10年後には今の形で存在してないと思う。

10年前には・・・・存在してなかったし。

だから明日のライヴは、明日しか存在しないのです。


タイムマシーンがありえない以上、

リアルタイムでしか見ることが出来ない。



そう考えたら、何だか貴重な気もするよね?





2019年、9月28日。

大阪、難波メレで会おうぜ。
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難波MELE、ROCA’66 、「ワイルドサタデーナイツ」、2019年9月28日。

2019-09-25 21:42:58 | Weblog

飛び切り気に入った新曲が出来るのは最高に最高に嬉しいことなのである。

のだけれど、

ライヴで演る曲のセットリストを考えたとき、

限られた時間の中で・・・・あの曲もすっごくやりたいし、

こっちの曲も今、どうしてもやりたい。

そうだ、これを外すわけにはいかない・・・・・・などと

悩みが深くなってしまうのは嬉しい悲鳴なのであろうか。

かと言って、

あまり長いライヴはやれない。・・やってもいいよ、ともし言われても、

1時間半とか2時間とかのライヴをやろう、という気は今のところ、あまり、ない。


やりたい感じは・・・長くても50分くらいではないか?


他人のこと言えば

初期のジーザスアンドメリーチェインのライヴは毎回15分くらいで終わっていたらしい。

一種の伝説である。希少価値がある、と言えなくもない。それは極端としても、

ライヴ観るには、40~50分くらいがちょうどいい気がする。

30分だと、あっけない。

気に入ってる楽曲が増えていくと、もっとやりてぇなぁ・・・・・と思うのだが、

そんなのって、どんなバンドでも抱えてる悩みなのであろう。


バンドはもちろん、前進していかないと意味がないし、存続できない。

生き物なのだから。

セットリストに登場する曲が少しずつ変わっていくのはとても自然なことなのである。


かのストーンズのミックジャガーは30年も前に

「”サティスファクション”にはとっくに飽きている」と公言していたが、

それでもその曲を演奏せねばならないのは幸せなのか不幸なのか、ビミョーだ。


でも古い、もう飽きてもおかしくないくらい馴染みの自作曲を僕等も持っていて、

そういうのも新しい曲と混ぜて、現在進行形で演奏しているが、


楽曲の中にある「生命力」というのはかなりシブトイもので、

僕としてはそれを、まるで小さな光のように感じるのです。



何回も何回もやってても、飽きかけても

演奏するたびに、その光が灯るならそれを、その曲を、演る意味は、きっとある・・・・と思う。


その光が、まるで炎のように、

聴いてくれてるひとの共感によって

まばゆいほどに「炎上」してくれることを願いながら我々は演奏を


続けていくのです。














次のライヴは9月28日 土曜日、難波MELE。


我々に逢いに来てください、

そして「献杯」しようではないか

マイフレンド。












写真はある日の楽屋の俺と、ギター赤井。



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哀しくも、有意義。

2019-09-23 18:58:39 | Weblog

中学二年で どいけん と出会って、

人生初のバンドを組んだのは、広島県福山市での話。1980年代初頭だ。


その後、事情があって、僕は家族と離れて一人で

奈良県天理市の高校に行った。

そこで出会った友達と結成したのが後のランブルフィッシュの前身バンド、ネクスカだった。


そのネクスカ ~ 初期ランブルフィッシュの

オリジナルドラマーだった、サイトウモキチと昨夜は奈良で会い、飲んだ。


もうすぐ佐治朝吉の命日なのだ。


ネクスカ~初期ランブルフィッシュのメンバーは6人だったのだが

1988年にベースの岩佐が亡くなり、

2007年にヴォーカルでリーダーの佐治が亡くなった。

メンバー6人中2人がすでにこの世にはいないのだ。

無慈悲だ。

あのずっと年上のストーンズだって死んだのはブライアンだけなのに(、あ、スチュももういないのね)。


同じバンドのメンバーが亡くなる、という状況に遭遇した心境は、

なかなか自分の中で整理がつかない。

誤解を承知で言えば、

もと恋人・・・を亡くすのに近い。


しかし考えてみたら、佐治が亡くなった2007年はもう12年も前で、

岩佐が亡くなった1988年はもう31年も前のことになるのだ。


昨夜のことだって来年には一年前のことになる。

来年のことだって、100年後には99年前のことになる。

過ぎたことは過ぎたことだし、起こってないことはまだ起こっていない、

それだけのことではあるのだけれど。


しかし旧友と何年か振りに再会して、昔の話や、今現在の話をするのはとても有意義だ。




過去の話に至っては、

もう30何年も前の話が「初耳」だったりして驚くこともあったりする。


30年も経たなければ出てこなかった話。

30年も経ったとは、到底思えないような話。


自分が、そして自分達が 若かった、というのは後悔でもあり、逆に一種の憧憬でもある。

戻りたい、なんて微塵も思わないにしても。


我々は最早、若くなんかないが、その事実は僕を、

心からホッとさせるのです。



思うのだが


思春期というのはやはり、誰にとっても「試練」で、

それを同時代的に、近くで、乗り越えてきた同世代の友人と言うのはやはり、


特別な存在なのだ。

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オトナは最高。

2019-09-20 21:19:57 | Weblog

今日のレディ・ステディ・ジョージの一曲目はザ・ジャムの「インザシティ」だった。

久しぶりに聴いたが、やはりかっこ良すぎ。

思い返せば 昔はこの、ジャムもパンクと言われていたように思う。

現代では誰も言わないが、ザ・ポリスもパンクだと、僕なんかは思っていた。世間ではそう言われていた。

コステロもパンク。プリテンダーズもパンク。

パンク・ムーヴメントに便乗して出てきた組、なのかもしれないけど、

さっきの「インザシティ」なんかやっぱり露骨にピストルズに影響されてるよな・・・・・・・

と今は思う。


「インザシティ」の歌詞の中に、

「街で輝いてるのは25歳以下の奴等ばかり」というようなフレーズがある。


60年代、70年代には「ドントトラストオーヴァーサーティ」という概念があって、

「30歳以上は信じるな」と言う意味なのだが、

「オトナ」というのがつまり体制側、と言う意味でやたらと敵視されていたのだ。

自分達が若かった頃のことを思い出すと、

特にオトナたちを憎んだりは、してなかったように思う。

ただ、センスの違いは絶望的なもので、

・・・・・・・・・・演歌とか、カラオケとか、パチンコとか、スナック文化とかバーコードアタマとか。

そういうのはもちろん敵視していた。くだらないテレビとか。

現代は、そういう前時代的なもののほとんどが消え失せてしまった。いいことだ。

カラオケは消えてないか?まあいいや。

今の子供達もやはり、大人を敵視しているのだろうか?

・・・・・・・・・・・・・そうではない気がするのだけど、聞いて見なきゃわからないよね。

でも確実に、世代間のセンスの違い、というものが現代では、昔よりマシになっている(と思う)。


昔のオトナはハレの日には和服を着たりしていたし、

時代劇的なものをこよなく愛していたし、

食べ物は頑、と譲らず、和食だった。

ジーパンやニューシネマやハンバーガーは拒否されていたのだ。

・・・・・・・・・しかしこう文章化すると、

「それってただアメリカナイズされただけじゃん」という気が、自分自身・・・濃厚にしてきた。

今となっては和装って本当に美しく、素晴らしいと思うし(和服最高)、

時代劇のちょんまげだって愛すべきものだ(江戸時代最高)。

和食も、素晴らしいし美味しいしヘルシーだ(和食最高)。


そうだ、要は否定しなければいいのだ。

・・・・・・・・・・とは言え、パンクのエネルギーは前時代の文化の完全否定、にあったように思う。

古いものを否定して新しいものを創っていくのは、

いろいろな意味で健康だし、自然なことであるだろう。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わからなくなってきた。







とりあえず、冒頭のレディステディジョージに戻れば、

今日、怒髪天の「オトナのすすめ」の、35周年ヴァージョンもかかった。


これは驚くべきもので、

現代の日本の有名なミュージシャン達が怒髪天のあの曲を、

「ウィーアーザワールド」みたいな感じで、いろんな人がワンフレーズずつ代わるがわる歌ったりして、

カヴァーしているのだ。

バックの楽器も、大勢のバンドマンたちが弾いている。

YOUTUBEでビデオクリップも解禁されている。

俺は日本の、今の有名なミュージシャンってあんまり知らないので、

識別できた有名人だけ挙げるが、

ギターウルフセイジ、チバユウスケ、キッカワコウジ、斉藤和義、トモフスキー、ピーズのハル、内田カンタロウ、トータス、

ソウルフラワーヨーコ、キンブラのマーヤ、サンハウスのキク、山本ジョージ。

といった人々が確認できた。

ビデオクリップに、怒髪天のメンバーはまったく登場しない。

そうだ、レディステディジョージの、ジョージも一瞬、コーラスで参加していた。

ラジオ番組でそのことはジョージが、嬉しそうに語っていた。







こういうことが出来るのは怒髪天だけだろうな。





こないだは我々みたいな、世間では無名のバンドを対バンとして取り上げてくれた。

そして、

その直後にこんな面白い豪華な企画を用意していたのだ。





アンダーグラウンドもオーヴァーグラウンドも網羅する怒髪天。

まったく、彼らは・・・・・・・・・・・・面白いぜ。







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「バンドをめぐる旅」。次のライヴは9月28日、難波メレ!

2019-09-17 21:09:36 | Weblog

我々の「バンドをめぐる旅」はまるで、遥か彼方を目指すがごとく、

まだまだ続きます。

身を寄せ合うようにして炎天下の夏や極寒の真冬を越えてきたのですから、

いつの間にか、たかがロックバンドでしかない我々に、

植物の根のような堅固な「繋がり」のようなものが芽生えていたとしても、

何の不思議もありますまい。

そういうのって、本当に本当に貴重なもので、

私としてはそれを、その「繋がり」のようなもの、存在を

感じられただけで幸せ、なのではあります。

でも我々は更に「その先」を目指す。

この旅の目的はきっと、仲間を見つけること・・・・なのです。

あ、「音楽的達成」を別にすれば、ということですが。

達成された音楽を引き連れて我々は、仲間を探します。

仲間とは・・・・・

気の合う人、話の通じる人、美的感覚の近い人、音楽的趣向の近い人、

心を開いて話し合える人、

お互いに刺激しあって向上してゆける人。

尊敬し合える人。

話の通じない、傲慢で厚顔無恥なイヤなオトナで溢れかえっているようなこの「世界」の中で、

話と、センスの通じる仲間を見つけることは簡単ではない。

でも、数は少ないかもしれないけど絶対、仲間はいるし、

私はこの人生においてその仲間達にどれだけ救われたか。

いや、今でも救われ続けているのです。

そういう、仲間は、多ければ多いほどいい。

そんな思いで、飽きもせずライヴハウスに出演することを続ける我々であります。

だから

出来たら、面倒くさがらずに

ライヴハウスに、来てください。

共感し合えるかもしれないから。




次のライヴは大阪のど真ん中、JR難波駅から歩いてすぐの、

地下の、素敵なライヴハウス、「難波メレ」にて、9月28日、土曜日。

「ワイルドサタデーナイツ」。

OPEN17:30

START18:00

AD¥2000DOOR¥2500共にD別


出演

COOL CAT

NEW WORLD FIRST FINGER   

ROAR(北海道)

REKT

ザ・マンガンズ

ROCA’66




2019年の夏の終わり、難波のど真ん中で会おう。








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緑色の髪の毛の、ビリー・アイリッシュ。

2019-09-15 17:00:11 | Weblog

ちょっと以前から、ラジオで時々かかる曲が気になっていた。

淡々としたベースとドラム中心のバックにヴォーカルは

女の子の声で、ちょっと不機嫌に、囁くような感じで「バッドガイ」と繰り返す。

曲間のブレイクで「ダー」と言うのだが、これがまた倦怠感と虚無感たっぷりで素敵だ。

(ジョージとシャウラがラジオで真似していた。「ダー!」「ダー!」)

露骨にダルで、セクシーな感じ。

なのでこれはきっと、

リアーナを幼くしたような、不健康に痩せたの女の子がミニスカートはいて

踊らずにマイクスタンドに絡み付いて妖艶な感じで歌ってるのだろう、と想像していた。

レトロ趣味でないエイミー・ワインハウスみたいな。

なかなかいい声で、曲もいいし、気に入っていた。

最近、やっとラジオでアーティスト名を聞き取った。

「ビリー・アイリッシュ」。

懐かしのビリー・アイドル?ではないのね。

ビリーってしかし、女性名にもなるのか。(そういえばビリー・ホリディという偉大な先達がいたな。)

アイリッシュって・・・意味的にはどう考えても

アイルランドの~、とかアイルランド人の~、となると思うのだが・・・

「大阪ナオミ」、みたいなモノかな?・・・・・・面白い名前。

などと思いながらYOUTUBEで検索して、

出てきたヴィデオ・クリップや、ライヴ動画を見て、

あまりにも想像と違うのでびっくり仰天した。

若い、痩せた女の子、と言うのは合っていた。

髪の毛は長くて、色は青だったり、鮮やかな緑だったり。

それはいいのだが、ファッションと動き方・・・踊り方が、

全然セクシーじゃない。

服はダブダブの、子供のパジャマ(半そで、半ズボン)みたいなもので、踊る踊る。

その踊り方は子供がピョンピョンはねてるみたいな感じ。妖艶さなど、カケラもない。可愛いけど。

スエットパーカーをかぶって着たりする。

これは・・・ヒップホップなのだな、このファッションと動き方は。

歌詞も、

バッドガイに恋して翻弄されてるのだと思いきや、

アイム・バッドガイって言っている。

アタシはアナタの彼女を怒り狂わせるの・・・みたいなことを言っている。

「アタシは悪いヤツ」なのだ。

むむむむ。

新鮮な驚き。

ここまで想像と違うと、けっこう衝撃である。

もう、何だか自分が古臭い人間のような気になってしまった。

いや、実際そうなのかもしれないのだけれど、

今までそんな風に感じたことはなかった。




でも考えてみたら、

長髪で鮮やかな緑色に染める、という髪の毛的冒険は

20年以上前に我等がランブル・フィッシュのヴォーカリスト、佐治朝吉が

チャレンジしているのだ。


ははは。


佐治は偉い。





僕はヒップホップのセンスはわからないし、わかろうとも思わない。

それで全然、いいと思う。



しかし、服装の趣味が理解不能だからといって楽曲のよさが変わるわけではない。

大ヒットしているビリー・アイリッシュの「バッドガイ」は

いろんな意味で面白い、いい歌であると思う。






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究極のファッショニスタ。

2019-09-14 21:42:36 | Weblog

ファッション的なロックのナンバー・ワンは

ハノイ・ロックスかもしれない。いや・・・デヴィッド・ボウイか?

ロキシー・ミュージックだろうか、モット・ザ・フープルだろうか。

それか・・マリリン・マンソンだったりするだろうか?

スリップノットは違う・・と思う。

あ、アレだ、ジェーンズ・アディクションとか!


上記のどの人達も「ド派手」で、

常軌を逸している。

派手な格好、って故意にやろうとしても意外と難しいのだ。

悪趣味になる確率高いし。


でも実は僕の思う究極のファッショニスタは、

ファッションなんかどうでもいいいんですよ、と言う顔をして

下品にならずに、何かの真似にもならずに、ドツボにもはまらずに(もちろん「地味」になんかならずに)

ただ自然体でさりげなくそこに存在する・・・・・・というものなんである。


だから、誰かに「お洒落だよね」とか言われてしまったら駄目なのだ。


極度に服装とか小物とか色使いとかに気を使いながら、絶対に誰にもそのことを悟られてはならない。


そういうのが

「究極のファッショニスタ」だと僕は思っている。


とか言いながら私はステージに立つ身なので

常軌を逸した派手な格好、にも挑戦したい。それは一種の「夢」である。


思うのだが


ロック史上、一番「ハダカ」に近かったのはレッドホットチリペッパーズの

全裸にちんぽソックス姿、であったろうと思う。


あれはあれでファッショナブルだ。一種、究極に・・・・・・・・・近い。



ファッションは悩ましい。

僕にとってファッションは、

音楽や

文学や

アートや

恋愛


と同じくらいの「魔」である。







でも結局は、

ファッションなんかどうでもいいもんね(どっちやねん)。
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ファッショニスタ!!!!

2019-09-10 21:34:00 | Weblog

言うまでもなく、

ロックとファッションは密接に関わり合っている。

例えば?

・・・・・・・・・そうだな、顕著な例はロンドン・パンクか。

ジョン・ライドンは自伝で、当時、ヴィヴィアン・ウエストウッドにファッションのアイディアをたくさんパクられた、

と言っている。・・・・・・・・・・・・さもありなん。

難を言えば、ファッショナブル過ぎて、

僕の目には、彼らがまるでファッション専門学生みたいに見える。特にピストルズは「着せられてる感」がある。

あと、そうだな、LAメタルは「ヘア・メタル」と揶揄されたように、

髪の毛が・・・・金髪で長かったり、立たせていたり。とにかく髪の毛に特徴があった。

言ってみれば・・・美容師専門学生か。

服、というか、衣装も相当奇抜だった。モトリー・クルーなんか、学芸会みたいだった。手作り感満載。

さかのぼって、70年代のアメリカのサザン・ロックは・・・長髪、ベルボトム・ジーンズ。

あれはあれで個性的だったし、渋かった。ベルボトムジーンズはあの時期に流行りすぎて、80年代には笑いものにされた。

もっとさかのぼって・・・・60年代の、あのザ・ビートルズの初期は、

お揃いのスーツだったんだよね(もっと初期は革ジャンにリーゼントだが)。あれの真似をした日本のGSは、だから、

お揃いのコスチューム着てたんだと思う。GSはダサいから嫌いだ、見た目も音も。

僕が面白いと思うのは1990年代の、グランジ。

ニルヴァーナなんかは、あのささくれ立った、ハードな音で、でも演奏者が着てるのは

あの緊張感のない、どこにでもあるような貧乏くさいネルシャツ、よれよれジーンズ・・・というのが

一般リスナーには衝撃だったらしい。

そういわれてみれば・・・確かに、そうだった気もする。

ネルシャツって、思考停止するような普遍的な庶民の服なのだ、アメリカにおいては。

アメリカの古着屋でも、一山いくら・・・みたいな安値で叩き売られていた。

ニルヴァーナのあの格好がどこまで意識的だったのか?は、わからない。でも、ズタボロでかっこいい、とは思う。

そういえばあの時期、本物の「モード」界隈で、破れたネルシャツやら、ズタボロジーンズやらが

「グランジファッション」として発表されていた。お笑い草である。俺も鼻で笑った。

現代に綿々と生き残っている「ダメージドジーンズ」はあのへんから定着したような気がする。

イングランドに戻って・・オアシスに関しては、曲はかっこいいのだが、服装はいまひとつ、センスがよくわからない。

特に何てことない普段着だ。ストーン・ローゼズもそうだな。

またアメリカに戻るけど、ソニック・ユース・・・・は、サーストン・ムーアが

Tシャツ以外の服着てるのを見たことがない気がする。それはそれで全然いいのだが。


Tシャツと言えば、

僕は、先日のライヴのリハに、自分で作ったROCA’66 Tシャツの白ヴァージョンを着て行って、

本番のライヴ出演時には同じく、ROCA’66 Tシャツの赤ヴァージョンに着替えた。


そういうのって、ファッション的に、何も考えてない、と言えば何も考えてない。

そういう姿勢って「非・ファッション的」だ、と自己批判的に思う。


だがしかし。


見方を変えれば・・・というか、自己弁護的(自己礼賛的)に言えば、

自分でデザインした服を着てる、と言えなくもないのだ。

あのTシャツの絵も、バンドロゴも、僕が描いてデザインしたものだから。

いや、地のTシャツは既製品だが、もろちん。


この行為は、「ファッション的」なのか、それとも

「非・ファッション的」なのか?


・・・・・・まあ、そんなの、どっちでもいいんだけど。




でもファッション的にはもっともっと、メンバーも巻き込んで、


いろいろ挑戦して、遊びたい・・・と思っている私も、いる。

それこそ、ファッション専門学生みたいに。

今思い出したが私は、グラフィック・デザイン専門学生であったのだ、昔(中退したけど)。









次のライヴは9月28日の、難波メレで、「ワイルド・サタデー・ナイツ」という豪華なイヴェント。

ザ・マンガンズも出るよ!!!


その次は10月13日の尼崎TORAで、

この日のライヴは何と「闇夜のグラムロック」というタイトルの豪華なライヴ・イヴェントだ。

あいちゃんのハーシーズも出る!!

それにしてもグラムロック・・・・。

何も考えずにTシャツ着て出てる場合ではない気がするので、

何か考えようと思ってマス。


夏だと暑すぎて何も考えられなくなる傾向にあるのだが、

もうすぐ待望の秋だし、

俺達も「ファッションごっこ」みたいな感じであれこれ服についても

いろいろやってみたい。



とりあえずは、9月28日の難波メレの、「ワイルド・サタデー・ナイツ」に、来てよね。








写真は、最高にオサレな、ポール・シムノン。
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昨夜のこと

2019-09-08 17:59:09 | Weblog

昨夜は京都・御池の「夜想」にてライヴ。

とてもとても幸福感あふれる夜。

こんなことはそう滅多にあるものではない。

虹色エレジー も、がらんどう も、サヨナラナイフ も、素晴らしかった。

我々も、ちゃんと演れた。

ぐしゃぐしゃに突進して、破綻する一歩手前まで行けた。満足。

いろいろなことがいろんな風につながって、結実したりすることって稀にある。

昨夜はその稀な例だった。そんな風な感触。

まだまだ演れる、という実感も得た。

お客さんとして来てくれたみなさんに心からの感謝を。

お店にも、対バンのみんなにも、メンバーのみんなにも感謝。

続けていて良かった。そして、

これからも前に進むことが出来る。

道子は本当に幸せ者DE・ゴザイマッス!

みんなありがっとね!




写真はリキッド・バタフライのギタリスト・ヤマダ氏撮影、昨夜のROCA’66。



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