杉浦日向子

2011-11-24 11:35:00 | Weblog


俺の中で、「佐治としか出来ない話」というのがある。

「佐治にしか通用しない話」というか。


杉浦日向子のことも、そういう話の一つだ。


あ、杉浦日向子ファンは全国に大勢いるし、

世界中見渡せば絶対、いっぱいいるのだけれど、

俺の身近ではこれは

「佐治としかできない話題」のひとつだった、ということ。


杉浦日向子は「ガロ」に描いていた漫画家で、

後年は「江戸研究家」として知られる。


口では上手く説明できない、江戸情緒あふれる

しかも時代考証もしっかりした漫画だった。

小説もあって、本当に!何とも言えない「いい味」が出ている。

情緒、諦め、風流、倦怠、生活感、ささやかな希望。

稀に見る個性派の作家だった。


2005年に癌のために亡くなっている。


その杉浦日向子を回想するような本が出ていて、

それを読んだのだ。


杉浦日向子は1993年に「隠居宣言」をしているのだが、


以下、対談の発言から引用

(初出は読売新聞「田中優子の平成問答」1998年8月15日)


田中「いつごろからですか、隠居志向は?」

杉浦「目覚めたのは高校二年、十七歳のときですね。

「あー、もう長く生きたなあ」と思ったんです。

その時から、三十四歳で

現役をリタイアすることを漠然と決めていたんですよ」

「隠居には隠居の覚悟があります。~中略~

隠居する以上は、生老病死を順繰りに受け入れる。

医者にはなるべく近付かない。ポックリ逝くためには、

心臓は弱いほうがいい。一方、頭はなるべく

使って鍛えておく」

「体にいいことはしない。それから体に悪いもの、

とくにアルコールは積極的に取るようにしています」

「田舎じゃ駄目ですね。隠居は遁世とは全然違う。

隠居は都市文化そのものなんです」

「仕事を労働とは思わず、道楽ととらえること。

それから、予定を立てない。その日その日の

ハプニングを楽しむゆとりを持つ」


引用終わり


杉浦日向子が実際に「隠居宣言」したのは、

病気のせいも大きかったかもだけど、

しかし素敵だ、「隠居」って素敵だ。


「粋」に近付いていきたい、と思う。


それに必要なのはもしかして、

「生き方の論理的整合性」なのかも・・・・って

ちょっと思うのだ。



久しぶりに杉浦日向子の漫画読みたくなったな。

やまだ紫の「しんきらり」とかも。


・・佐治がいっぱい持ってたんだがなぁ。






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