俺の中で、「佐治としか出来ない話」というのがある。
「佐治にしか通用しない話」というか。
杉浦日向子のことも、そういう話の一つだ。
あ、杉浦日向子ファンは全国に大勢いるし、
世界中見渡せば絶対、いっぱいいるのだけれど、
俺の身近ではこれは
「佐治としかできない話題」のひとつだった、ということ。
杉浦日向子は「ガロ」に描いていた漫画家で、
後年は「江戸研究家」として知られる。
口では上手く説明できない、江戸情緒あふれる
しかも時代考証もしっかりした漫画だった。
小説もあって、本当に!何とも言えない「いい味」が出ている。
情緒、諦め、風流、倦怠、生活感、ささやかな希望。
稀に見る個性派の作家だった。
2005年に癌のために亡くなっている。
その杉浦日向子を回想するような本が出ていて、
それを読んだのだ。
杉浦日向子は1993年に「隠居宣言」をしているのだが、
以下、対談の発言から引用
(初出は読売新聞「田中優子の平成問答」1998年8月15日)
田中「いつごろからですか、隠居志向は?」
杉浦「目覚めたのは高校二年、十七歳のときですね。
「あー、もう長く生きたなあ」と思ったんです。
その時から、三十四歳で
現役をリタイアすることを漠然と決めていたんですよ」
「隠居には隠居の覚悟があります。~中略~
隠居する以上は、生老病死を順繰りに受け入れる。
医者にはなるべく近付かない。ポックリ逝くためには、
心臓は弱いほうがいい。一方、頭はなるべく
使って鍛えておく」
「体にいいことはしない。それから体に悪いもの、
とくにアルコールは積極的に取るようにしています」
「田舎じゃ駄目ですね。隠居は遁世とは全然違う。
隠居は都市文化そのものなんです」
「仕事を労働とは思わず、道楽ととらえること。
それから、予定を立てない。その日その日の
ハプニングを楽しむゆとりを持つ」
引用終わり
杉浦日向子が実際に「隠居宣言」したのは、
病気のせいも大きかったかもだけど、
しかし素敵だ、「隠居」って素敵だ。
「粋」に近付いていきたい、と思う。
それに必要なのはもしかして、
「生き方の論理的整合性」なのかも・・・・って
ちょっと思うのだ。
久しぶりに杉浦日向子の漫画読みたくなったな。
やまだ紫の「しんきらり」とかも。
・・佐治がいっぱい持ってたんだがなぁ。
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