「痛み」についての考察

2021-04-29 13:59:50 | Weblog

この数日間、歯の痛みに悩まされながら生きていた。

歯・・・・いや、虫歯ではないのだ多分。

歯の根元あたりが化膿したのだ推測するに。

ここのところ疲れ果てていて、抵抗力も衰退していたのかもしれない。

そういうのって最大級の激痛ではないのだがそれに準ずるくらいの「準・激痛」ではある。

痛み止めの効果が驚くことに、長続きしない。

クスリが、効いた瞬間もわかるし、切れた瞬間もわかる。

感覚がそんな風に変に研ぎ澄まされていた。

その中で考えたのだが、

「痛み」って純粋に個人的なものだ。

これは、僕にしかわからない。他人には伝わらない。

例えばこれがもしも仮病で、「痛い」というのが嘘であったとしても

そのことの真相は、僕にしかわからない。

しかし痛いのは困る。

「痛い」、という以外のことが考えられないのだ。

「痛い」ということを考えたってなんの足しにもならないのだが考えてしまう「痛い」と。

痛みに意識が集中する。すると余計過敏になって、痛みを感じやすくなる。

悪循環なのだ。

痛みの記憶って、残らないようになっている、と何かの本で読んだのだが、

確かに具体的な身体感覚としての激痛は思い出せない。

子供の頃、ジャングルジムから落ちて脱臼した時はとても痛かった。

医者の話では脱臼は骨折よりも痛いのだそうだ。

8年くらい前に骨にひびが入った時も痛かった。

「骨にひび」は、医者によれば「骨折」ということになるのだそうだ。

無理して歩こうとしても歩けない。「痛み」に支配されたような気分だった。

激痛は身体感覚のすべてを凌駕するのだ。

しかし、「痛み」って何のためにあるのか?

身体からの重要なサイン、っていうのはわかる気もするが、

ただのサインがこれほどの苦しみになるなんて、おかしくないか?

最大の激痛は、歯医者で麻酔なしで虫歯を金属製のドリルで削られていて、

ドリルの先が神経に触れた時の痛みだと思う、今まで味わったものの中では。

しかしあれだって「神経」を殺してしまえば感じないのだ。

あれほどの激痛が、だぜ。

もう、わけわかんないよな。

 

そしてもっと言えば「痛み」だけではなく、すべての感覚が実は

「痛み」と同じように、純粋に個人的なものなのである。

快感も、空腹も、悲しみも、飢餓感も、切望も、絶望も、愛おしさも。

つまり我々は自分で思ってる以上に、

個人的な宇宙に生きているのだ。

 

ああそうですか。

何でもいいよ、この痛いのさえどっか行ってくれたら。

 

 

追記・もう痛みは去りましたゆえ、ゆめゆめご心配なさらぬように。

私は元気です。

 

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不可思議

2021-04-29 13:24:34 | Weblog

心動かす・・・というか、心が動いてしまうようなことは日々、あります。

ただそれを言語化できるかどうか?というだけのことで、

僕は今でも毎日毎日を迷いと煩悩の中で生きています。

今朝はゆっくりと、いつまでもいつまでも眠っていたせいで、

とてもとても面白い、不可思議な夢を見ることが出来ました。

でも、他人の夢の話は退屈だ、と思うよね。

実は俺も思う。

でも書きたいから書いておくことにする。

ちょっとした感動は、あったのだから。

あの・・・・・・・・・高校時代の「運命の女」T・Mさんが出て来たのだ。

彼女が夢に出てきたのは、冗談抜きで初めてだ、覚えてる限りでは。

(僕が最後に彼女を見たのは1988年の6月4日だった。)

全然変わってない。いやまあ、夢なのだからそりゃそうか。

夢の中の設定は現在だ。

今の僕を見て彼女はくすくす笑いながら「みち・・・なんかタイハイしてない?大丈夫?」と聞く。意味が分からない。

そしてその辺にいた近所の子供に「このお兄さん怖くない?気持ち悪くない?」

ってくすくす笑いながら尋ねるのだ。

ああ、彼女ってこんな感じだったな、と思い出す。リアルな空気感。

そして夢にしては珍しく、いろいろと具体的な地名が出て来た。

彼女は今、佐賀県に住んでいるそうだ。佐賀県の、鮪町・・・まぐろ町??????

そんな街、本当にあるのかな??もしあったら驚きなんだけど、あえて調べずにおく。

過去に起こった、様々な出来事の話は、出なかった。

それでいいと思う。

でも何だか、今頃になって僕の夢に彼女が現れるって、どういうことなんだろう?って

つい考えてしまう。

もしかして、いろんなことが本当に終わりつつあるのかもしれない。

いや、とっくに終わってるんだけれど、本当に本当に終わるのかもしれない。

僕にはわからない。

でも何だか

軽いようで重いような、妙な夢だった。

もし何かが終わるのなら別の次元で別の何かが始まる予兆であるかもしれない。

いろいろなことを受け入れよう、と思う。

 

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「落とし穴」考

2021-04-23 20:47:49 | Weblog

本当に 落とし穴って奴は考えもしなかった方向から飛んでくる・・・・・っていうか

穴だから 飛んで来やしないな、

でも え!?こんなところに???っていうような所に その穴は掘ってあって。

まぁ、穴の身になってみりゃ

「落とし穴でござい!」って堂々と目立つところに掘ってあったんじゃ誰も

落っこちてなんかくれねえ。

だから人目を避けて目立たないところで

誰かが落ちてくるのを待つんだよな、そりゃフツー、そうだ。

でもハマる方はたまったもんじゃねえ。

「あれ?ここ道だったよな、何の変哲もない」って言ってるうちにズボッ!とハマる。

でもそう、ただ一つの救いは、穴の底から見上げる青空がやたらに澄んで、

手が届かないのは承知の上なんだが

ちょっと殊勝な気になったりする。

そんな風になれて良かった・・・と言えなくもない。

そうさ、転んでもタダでは起きやしねえ。

いや、タダでも起きるんだが・・・・そうじゃなくて

とにかく何か「得て」いくんだ。

失ってばかりの人生・・・・って悲劇的に思い込んだこともあった。

BORN TO LOOSEなんて、俺みたいな駄目な奴らの代表曲っていうか、

心のナンバーワン・ヒット曲だ。

誰?って、そりゃジョニーサンダースだよ言わずと知れた。

でもジョニーを疑うわけではないんだが、

そうでもないぞ?とも思う。

人生、失ってばかりでもねえ、とある日の俺は思った。

「得た」ことだって、あるよな?と。

・・・・・・・・・・・・・でもそれだっていつか失うじゃねえか。

いや、馬鹿言っちゃいけねえ。

俺の「得た」ものは俺自身と同化して、もう俺からそいつを奪うことは出来ない。

・・・・ほお。

そんな風に考えるとだな、「得る」こどばかりじゃないか人生は。

そしてそれは結局、俺の中にみんな居る、ってことでもあって、

そう考えるのって、楽しいよな。

 

この先も、もしかして落とし穴に落ちることがあるかもしれない。

まぁ・・・・十中八九、あるだろう、嫌だけど。

でもそんな時だって

その穴の中にいるのは俺一人じゃねえんだ、って思えたら寂しくもねえし、

悲しくもねえよな。

 

いや本当、冗談抜きでさ、

 

そう思うんだぜ。

 

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スイッチオン

2021-04-17 23:45:53 | Weblog

ON/OFF考などという日記を書きながら、

書いてる途中から思っていたのだが、

僕は、「草野球」というような意味で「草ミュージシャン」であって、

それ以上でもそれ以下でもないのだが、

「草」が付こうが何だろうが「ミュージシャン」であることに変わりがない。

だから僕のON時は当然、音楽をやっている時間であるし、そうあるべきなのだ。

OFF時は、それ以外の時間全て。

簡潔でわかりやすい。

しかしこの一年、ライヴが出来ないせいで少しアタマのねじが緩んでいたようだ。

自分が「草」とは言えミュージシャンであることを忘れがちなのではないか俺?

言っとくがこの「草」はネットスラングの草ではないからな。

それじゃ「お笑い草」ということになってしまう。

改めて言うまでもないが、俺のONは音楽を演っている時だ。

楽曲を作ろうとああだこうだと苦闘している時も含めて。

音楽がすべて、などとは口が裂けても言わない。

音楽は飽くまで、人生を彩るものの一部だからだ。でもとても重要なもの。

魔法の要素を含むもの。

ジェットコースターのようなもの。

ブレーキのないクルマのようなもの。

「世界」へとつながる、扉のようなもの。

 

 

中学校でどいけんと出会い、初めてのバンドを結成した。

高校で佐治や岩佐やモ吉や庄司や三太とネクスカを結成し、

そのバンドはランブルフィッシュになった。

ランブルフィッシュは解散したが俺は

ボケロウやキヨシやマーボーと出会って、ばるぼら を結成した。

 

ばるぼら が1999年暮れを以て終わり、

それまでギタリスト専任だった俺はギター弾きながら自分で歌うことになった。

MITT’Sを経て、ROCAを経て、

今のROCA’66がある。メンバーは紆余曲折を経て、今の

俺、ギター赤井、ベース伊藤、ドラムズ飛澤、という布陣になった。

俺はとてもとてもラッキーである、こと人との出会いに関しては信じられないくらいラッキーだ。

 

今日はROCA’66のスタジオだった。

彼らが集まるだけで何か「気」の渦のようなものが生じる。

スタジオでの我々の出音は最高級だった。

1年もライヴやってないバンドとは思えない。

グルーヴも、発する「気」の強さも。

 

新しい歌がまた、出来上がってしまった。アレンジも今日ので完璧だ。

メンバーの「勘」がいいので、短時間でアレンジ込みで出来上がった。

 

タイトルは「リボン・ソング(仮)」だったのだがもう(仮)は取る。

「リボン・ソング」だ。

 

やっぱ音楽は良い。

どうあがいたって、これがONである、っていうか・・・・・・そうでしかない。

 

この疫病禍は、まだまだ先が見えない。

 

だから我々がいつ、ライヴのステージに登場できるのか?はまだ、わからない。

でも今日みたいにバンドが生き生きと生きていれば何の心配もない。

ああ、あとは、ライヴハウスが生き残ってくれれば。

それだけが心配だが、とにかく

バンドはこの疫病禍を生き延びてやるからな。

 

そして堂々と、ステージに登場して我々の楽曲を世界に向けて響かせてやるのだ。

それまで我々のことを忘れないでいて欲しい。

 

 

とにかくとにかく、今日のスタジオは最高だった。

メンバーも、彼らの音楽もピンピンに元気だった。

スイッチ・オンだった。

 

すごく嬉しかった。

 

 

写真は、本日のスタジオ帰りの、駅での我々。トビーは車で帰ったので写ってない。

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ON/OFF考

2021-04-17 12:48:26 | Weblog

 

OFFが休日の事ならONは、仕事やってる時の事である。

ONの時は、わりに過酷である。

トラックなぞ運転していると日々が「落とし穴」の連続だ。

ひょいっと落とし穴を避けながら暮らしているのだが、時にはハマる。

いろいろな落とし穴があるが・・・実際に地面に穴が掘ってあるわけではなく、

例えばバックし過ぎて街路樹にぶち当たる、とか

雪道でスリップして危うくコースアウトしそうになる、とかその類の事だ。

ボケていてはいけない、でも不可避なことも時には、ある。

 

とにかく、一日中緊張感を途切れさせてはいけないのだ。

そうなるとOFFがとても貴重な、リラックスできる時間になる。

しかし

ONの時は自分の時間でないゆえに、「自分」というものを存分に生きてはいない。

「自分」が「自分」であるのはOFFの時である。

そうなるとONとOFFが逆ではないか?

休日がONなのだ。

しかしさらに考えると、仕事中であろうが休日であろうが、

生きてる時間はすべてONなのではなかろうか。

眠って夢を見ている時間も含めて。

いやきっとそうだ。

「自分」が「自分」である、という自己認識をしている限り、

人生のすべての時間がONなのだ。

だから無駄にしたくない、と思う。

過酷な、落とし穴だらけの勤務中はそりゃあんまり楽しくはないけど、

それでもその時間が人生の無駄、とも思わない。

人生の全部の時間がもしも自由ならば僕は堕落するであろう。

きっと、ずっと寝ていて、しかも寝ることに飽きるだろう。

何をしてもいい、逆に何もしなくていいという世界に生きたなら。

そしてしまいには人生に絶望するかもしれない。

そうならないために存在するのだON・・・いや、OFFである不自由な、束縛された勤務時間が。

仕事して、落とし穴にハマらないように緊張感を持っている僕はONの僕ではない。

単に、社会に奉仕しているだけだ。そして自分から進んで歯車になっているだけだ。

ONの僕は歯車ではない。

一個の、完全に独自な、有機体である。

そしてその両方が僕であるのだ。

 

 

 

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自己治癒の実感。

2021-04-14 20:35:26 | Weblog

先週の金曜日、夕方に仕事場の車庫で同僚が帰ってくるのを待っていたらやたら寒くて、

こら風邪ひくわ・・・・ということで早々に帰宅したのだが時すでに遅しで、

気が付くと僕は ばっちりと風邪をひいていて、次の日の土曜日は仕事だったのだがずっと鼻をかみながら車に乗っていた。

ティッシュ半箱くらい使ったと思う。そういうのってエコじゃないなぁ我ながら。

そして家に帰って速攻布団に潜り込んで眠った。

(熱が出なかったからコロナ風邪ではない。いちいち面倒臭えご時世だ。)

次の日の日曜日は一日中布団の中で、うとうとと眠り込んだり、二時間おきに目覚めたり、

喰えるだけ喰ったり、水分補給したり、

また眠り込んで汗かきながら怖い夢を見たりしながら少しずつ回復した。

 

だから 金 土 日 と、この日記も書いていない。書く元気がなかった。仕様がない。

でも

風邪のせいでせっかくの休みが無駄になってしまった・・・・という風には思わなかった。

逆に、とても充実していた気分なのだ。

何故かと言うと・・・・そういう時に見る夢って、多分に自己療養的だし、

この二日間、僕の身体は全力で「回復」しようともがいていた。僕には、それを感じることが出来た。

早い話、「生きてる実感」があったのだ、変かもしれないけど。

 

「生きてる実感」というのは僕にとってはとても大事なもので、

ライヴなんかはそのためにやっている・・・という気すら、する。

 

あと、もちろんリスナーとして音楽で感動してるときも、「生きてる実感」がある。

 

凄い、と心から思える小説を読んでいるときも。

 

心の通じ合える人と対話してるときも。

 

僕はもう、「感動」と「生きてる実感」を得るために生きている・・・と言っても過言ではない。

 

その「生きてる実感」がまさか、

風邪をひいてそこから治癒しようとしているような局面で訪れるとは、夢にも思わなかった。

 

これは進歩なのか、退行なのか?

 

もしかしたら僕自身の身体が年を取ってその分だけ衰退していて、

だから「回復」する実感が以前より貴重なものとして感じられるのかもしれない。

 

実際・・・14年前、病気の末期だった僕の友達が、心から欲したのはこの「自己治癒の実感」であったはずだ。

これは全然、当たり前のことではないのだ。

これが当たり前のことではない、ということに気付いたのだ きっと、僕の無意識が。

 

もしかしたら本当は 本当に、年を取って衰退しているのかもしれないがそれでも、

「自己治癒」することが出来る・・・・というのは奇跡的にありがたいことだ。

 

僕はこの期に及んで、「老衰」に憧れている場合ではないのだ。

 

本当に、風邪をひいたり怪我をしたりするたびに思う。

生きられるうちは、しがみついてでも生きてやる、と。

 

そしていつか死ぬときは大笑いしながら、「笑い死に」してやるのだ。

 

見てろよ。

 

 

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放射能汚染水の海洋放出を許してはいけない

2021-04-13 20:25:04 | Weblog

頭おかしいとしか思えない、メルトダウンした福島第一原発の放射能汚染水海洋放出。

政府が決定、だそうだが、何故彼らにそういう狂気の沙汰の決定権があるのか?

「アンダーコントロール」だったんじゃないのか?

そう言ってオリンピック招致したんじゃないのか?

海に流すしか手がないなら、それコントロール出来てねえよ。

そのオリンピックも、今やってる場合じゃねえよ。

オマエらが人を集めるなって言うからライヴだってやれてねえんだよ。

自分達に都合いいことばっかり言うな。

もう無茶苦茶だと思う本当に。

そして大阪の吉村知事だか何だかが、汚染水を大阪湾にも流していいとか言ってる。

福島からわざわざ運んできて、大阪湾に流すのか????

正気か?

この国・・・っていうか世界全体が狂ってると思うけど、

政治の動きが今、特にひどい。

恐ろしく狂っている。

俺はこの日記で、こんなこと書きたくはないのだ。

過去の、自分が政治に言及している日の日記を読んでもやはり、心に響かない。つまらない。

でも、ほんの少しでも声を上げなければ、無茶苦茶なことがまかり通ってしまう。

本当に本当に無茶苦茶だよ?汚染水海洋放出は。

「処理水」なんて言い換えやがって。何も「処理」なんか出来てないだろうが。

しかも問題は汚染水の中のトリチウムだけではないはずだ。他の放射性物質だって山ほど含まれている。

それをあたかもトリチウムだけ、みたいな言い方してる。

汚染水は、100年保管して、放射性物質の半減期を待つしかない。それは、出来るのだ。

100年持つプールを多数建設するだけの話じゃないか。

海洋放出なんてな、浅はかな子供のやることだ。

そういう選択をするなら現政府は、子供だ。マトモな大人じゃない。

海洋放出は阻止せねば。

それでな、「風評被害」とか言うけど、「風評」じゃねえぞ。

あくまで「風評」って言いたいなら、薄めたその汚染水、飲んでみろよ政治家が。

飲めないだろ。人が飲めないものを海に流して、それで「風評被害」か?違うだろ?

もう政治の事なんか考えたくないし、日記に書きたくもない。

でもひどすぎる。

めちゃくちゃ過ぎる、特にここ最近。

すごくすごく嫌な気分、そして嫌な予感。

声を上げよう。意思を表明しよう。

汚染水の海洋放出は間違っている。許してはいけない。

 

 

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前に進んで行くためのメソッド

2021-04-12 20:42:53 | Weblog

様々なことが

思い通りに行かないのは言ってみれば当然であるからして

駄目ならすぐに「プランB」に切り替えるのだ。

 

そう、あっさりと「プランB」へ。

 

そんな風にしながら、とにかく前方へ、

前に近いほうへと進んで行く。

 

だってさ、アンタの「プランA」がすんなり通るワケないじゃん。

そ-よ、そーよ、誰だってそーよ。

 

でもそこで、一瞬でも凹んだら駄目なのだ。落ち込んでる場合じゃない。

失敗した としても3秒以内で立ち直り、 ふんっ!と鼻で笑い飛ばして

「プランB」へと、移行する。

 

事に当たっていく時には「成功」を確信しながら、

「プランB」だけは用意しておく。

 

俺は絶対にやり遂げる。でも絶対はありえない。

 

数限りない「プランB」を抱えて、我々は行く、この

可能性と不可能性がまだらに入り混じった荒野を。

 

そして、当初の希望に一番近い地点を目指すのだ。

 

理想を現実化させてゆく。

 

 

 

多少・・・・妥協したとしても。

 

毎日毎日が「プランB」「プランB」「プランB」の連続だったとしても、

 

 

それはそれで、いいのだ。

 

 

(いいのか?)

 

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記録媒体

2021-04-08 21:12:40 | Weblog

 

・・・・でもアレなんだよな。

 

別に、もういいや、みたいな気分も持ってるんだよね俺。

 

もう、静かに‥‥消えてゆくものは消えて行ってもいいんじゃね?みたいな。

 

(この「もの」は「物」であって、「者」じゃないぜ。)

 

そりゃ、美しい瞬間を多数、目撃したし、

 

それを創作するのに関わったことがある、という自負もある。

 

っていうかそーゆーことに全身全霊をかけてたし。

 

そしてその美しい瞬間は、ほんの短い刹那だったかもしれないけど

 

 

確かに存在したんだし、

 

 

それを再現することは・・・・・・・・・・・・・不可能だし。

 

 

 

 

でも、それを記録したものは、あるんだよな一応。

 

 

 

100%じゃないにしても、

 

 

そうだな、cdは、かなりのところまで上手く録れたと思う。

 

 

2ndと、3rdは。

 

 

それが残せて、ラッキーだった。

 

 

あのスタジオでの作業はすごく、意味深かった。

 

 

でももう、俺達のcdは、タワレコとかに並んでない。

 

っていうか、タワレコ自体、まだあるのか????????

 

 

まあいいけど、

 

 

ライヴの、あの狂騒は、何をもってしても再現不可能だ。

 

 

「生」だから。「生き物」だから。「刹那」だから。「奇蹟」だから。

 

 

記録なんて・・・・・・・なくたっていいんだ。

 

 

本当はそれでいいんだ。

 

 

ヴィデオなんてな・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

でもなあ。

 

 

 

みんなに、忘れられていくのも切ないな、確かに。

 

 

みんな確実に忘れて行ってくれるし。

 

 

むむむ。

 

 

やってみるか?

 

 

再発掘作業。

 

 

 

・・・・・・・・・・・どうなりますことやら。

 

 

 

 

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4月7日、清治、誕生日おめでとう。そして甲斐バンド「HERO」のこと。

2021-04-07 20:57:36 | Weblog

今日は、

高校の時に学生寮で出会って、そのまま

三年間、同じ部屋で暮らした兄弟のような友達、西妻清治の誕生日なのだ。

よお、清治!俺達ももう、50半ばだな。

あの頃は来る日も来る日も16歳とか17歳だったのにな。

あの生活が永遠に終わらないような気がしてたよ俺は。

毎晩眠くなるまで話し込んでさ、冗談抜きで毎日が修学旅行みたいだったよな。

もちろん、使えるお金なんてちょっとしかなかったし、

古ぼけた規則でがんじがらめの学生寮。それでも我々は精神的に贅沢だったと思う。底抜けに楽しかった。

清治みたいな面白くてポジティヴで行動的で親切で優しくておせっかいな奴、他に知らないぜ。

内向的だった俺は、ずいぶん清治の影響を受けたんだ。

いろいろとありがとう。

今だって全然変わってないと思うんだぜ俺たち二人とも。

 

そうそう、4月7日ってことは、清治の誕生日であると同時に、

甲斐バンドの甲斐さんの誕生日だよ今日は。

だからかな?今日ラジオでいきなり「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がかかったんだよ。

ずいぶん久しぶりに聞いた。

懐かしの大ヒット曲。我々が甲斐バンドのことを知るきっかけになった曲。

でも俺は実はこの歌には、食傷してたんだ、長いこと。流行り過ぎた、聞き過ぎた。

でも今日は、久しぶり過ぎて 新鮮な気分で聞けた。そしたらすごく良かった。

この曲・・・キラキラし過ぎてて少しチャラいようなところもあると思うんだよ。今更なこと言うけど。

それが意図的なのかどうか?は、わからないのだが。

大体が、「「ヒーローになる時、それは今」という言葉自体、もともとは

セイコー時計の広告コピーだ。それをもとに甲斐さんが歌詞を作ったのだ。そのことは何かの本で読んで知った。

タイアップで楽曲を作る時は、よくある話なのだと思う。「赤道小町」も、「春先小紅」も、「燃えろいい女」も恐らく、そうなのだろう

(違ってたらスイマセン)。

でも別にそれでがっかりしたりもしない。何故かと言うと、

この「HERO」、本編の歌詞もすごくいいのだ。チャラく聞こえるのは曲調のせいなのかもしれない。

いや、でも曲もいいのだ。このシンプルな「突き抜け」感。

歌詞にジェームズ・ディーンが出てくるのもいいし、

「人生はいつも路上のカクテルパーティ」なんてのもストーンの引用だが、すごくいい。

ミックジャガーの、チャラくてしなやかでお洒落な感じをうまく引っ張っている。

そして極めつけは大サビで。・・・・・ベン・E・キングの「スタンドバイミー」風の破滅描写が出てくる。

曰く「空はひび割れ、太陽は燃え尽き、海は枯れ果てて月は砕け散っても」。

ゾクゾクしてしまった。昔はこの歌詞が「スタンドバイミー」とは気付かなかった・・・・

っていうか、「スタンドバイミー」の歌詞自体、中学時代は知らなかった。

今は、わかる。そしてそれゆえに、もっと深く心に響く。。

 

でもこの曲、

甲斐バンドファンの間では重視されていない気がする・・・といか、実際そうだろう。

甲斐バンドの曲って、もっと重いのだ。この曲はきらびやかで、軽い。だからなのかもしれない。

しかしこの曲は甲斐バンド最大のヒット曲なのだ。

でも「吟遊詩人の歌」や「翼あるもの」とか「きんぽうげ」とか「最後の夜汽車」とか「そばかすの天使」とか

忘れちゃいけない、「ポップコーンをほおばって」とか、

「敗れたハートを売り物に」とかの曲たちのほうが、バンド(や、お客)にとってはずっと重要である。

ライヴでも「HERO」は、やらない時のほうが多かった気がする。きっとそうだろう。

レィディオヘッドにとっての「クリープ」みたいに、バンドにとって重荷・・・だからやらない、のではない。

大ヒット曲だけど、特に必要ないからやらない・・・・って感じだったのだ。

でも今日みたいに偶然ラジオでかかると、ちょっと感動する。

ああ、やっぱちょっと(甲斐バンドにしては)チャラいけど、やっぱいいなあ・・・・と。

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