予感、雑感。

2012-01-30 16:50:35 | Weblog




俺の中で、何かが変わりつつあるような気さえ、するのです。

その反面、どうあがいても

俺は変われはしないだろう、という感じも

確固として、あり続けている。


何か変わっただろか?この十年、いや二十年でもいいや。

進化した?それとも劣化したのか?

その両方かな・・・・・・・・。

進化論では「退化」も「進化」ととらえる。

「無になった」としてもそれは「進化」なんだろうか?

まさかね。

羽根でも生えてくれるのならいいのだけれど、

そうでないなら、どんな「進化」が有り得るのだろう。


マホーが使えるようになれたらいいなあ。

マホー。

「手品」でもいいや。

「イカサマ」でもいい。

傍から見て「マホー」に見えれば、何でもいい。


「種」や「仕掛け」が知りたいんじゃなくて、

そういうの抜きで「マホー」みたいなことを

起こしたいのだ。


人間もセミみたいに、

「脱皮」できるといいんだけど。


メリメリメリ・・・・・って。




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2012年、1月の終わりに

2012-01-28 08:44:59 | Weblog




久しぶりに出演したハードレインは、

やっぱりとても雰囲気のいい、

居心地のいいハコだった。

お客さんはちょっと・・・・少な目だったけど、

外の気温が寒かったからかな。きっとそうだ。


これからはもうちょっとちゃんと、

ライヴ告知しなくちゃ。

一回一回が貴重な場なんだから、

自分でそれを自覚しなくちゃ。


ドラムの郁磨と俺の「シンクロ率」は

どんどん上がってきている。

あと一歩で、”とんでもない世界”が現出させられるはず。

「化けて」やる。

「化けて出てやる」。

そんなつもりでやるから、

少々無理してでも

これからのライヴは、その場で目撃して欲しい。


次は京都。

御池の、「夜想」。2月26日。

2.26事件のあった、歴史的な日だよね。

俺達が生きてることだって「歴史」では、ある。


だからこれからは毎回、

「自分史上最高値」を目指す。


そして現実に、更新していくのだ。




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ライヴ告知

2012-01-25 08:50:49 | Weblog



明日、

2012年

1月26日木曜日

梅田 ハードレインに

ROCA

として出演しマス。

ドラムの郁磨と二人、

当然ながら、自分でつくった歌ばかり。

30分ちょっとのステージ。

小さなハコだし、

他にも何バンドか出るけど、

俺(達)にとっては、貴重な

「ライヴ」なので、

平日だけど・・・・


来れたら来てね。


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「誰かの会った有名人(外タレ)」

2012-01-22 17:57:49 | Weblog




実は、こっちが本命だったりする、

「誰かの会った有名人(外タレ)」



友達から、聞いた話だから、細かいところは

キレイに忘れているが、事実関係だけを。


チマキさんの友達の話。

ある日、家(彼女か誰かと暮らしていた、アパート)に戻ったら

知らない外人が寝ていて、

それがジョニーサンダースだった。


・・・すごい。これは実話なのだ。・・・多分、本当だ。


次。



梅田・ハードレインの店長をやってたやっさんの話。

来日していたジョー・ストラマーについていって、

しまいにジョーが泊っていたホテルの部屋に、

入れてくれて、朝まで飲んで語り合った・・・・・・・・。


これもすごい。本人から聞いたのだからこれも実話だ。

大体、泊ってるホテルの部屋にグルーピーでもない客を

入れてしまう、なんて。ジョー・ストラマーがそういうことを

する人だ、というのをロック雑誌の記事とかで知ってなかったら

にわかには信じられない話だったかもしれない。本当なのだ。

むむむ、これもすごい。


最後に、もうひとつ。

昔の友達の女の娘。

彼女は何と、ジョン・レノンに会ったことがある。


・・・と言っても、彼女自身は覚えてなくて、

まだ赤ちゃんだった頃に、両親と訪れた軽井沢で、

「偶然会ったジョンとヨーコがアンタをあやしてくれた、

と親が言っている」のだそうだ。


確かに、軽井沢にオノ家の別荘があって、

ジョンとヨーコがお忍びで訪れていたらしい、というのを

何かで読んだことがある。

・・・だからきっと本当なのだ。


う、うらやましいぜ。



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ワタシが会った有名人(外タレ)

2012-01-21 23:16:48 | Weblog

最近のアタシの日記って、

「自分で自分の歌を歌え」だの何だの、暑苦しいのよね。

・・・ということで、

今日の話題は、

「ワタシが会った有名人(外タレ)」。


二十歳の頃。

俺は大阪・アメリカ村の古着屋で働いていたのだが、

そこに、巨大な威勢のいい西洋人の客が現れた。

もう随分昔の話なので・・・うろ覚えなのだが、

カタコトの英語で喋ってみると、

彼はそのとき来日公演中だった

「ボン・ジョビ」(笑)のドラマーだった。

名前も忘れちまったんだけどさ、

後で「ぴあ」で見たら確かに、

そのとき「ボン・ジョビ」が大阪公演中だったので、

本当だと思う。写真も確かに、その兄ちゃんだった。

しかし・・・・そんなの自慢にもならん。

ショボい。


次。


1998年に「ばるぼら」で参加した、

USAはテキサスでのビッグイヴェント、

SXSW(サウスバイサウスウエスト)。

そのときライヴハウスに見に行った、「リー・ロッカーバンド」。

リー・ロッカーってわかりマスか?

「ストレイキャッツ」のベーシストだった、

あのひょろ長いひと。

ライヴ終了直後にトイレに行ったら、

リーロッカー本人がいて、「痛ぇ~」みたいなことを

(英語で)言いながら洗面所で思いっきり手を水に浸していた。

(スラップ・ベースというのは手を酷使する。)

俺と目が合って、苦笑しながらウインクをしてくれた。

これは実話だ。

嘘だと思ったらりー・ロッカーに聞いてみろよ。

・・・しかしなぁ、「もとストレイ・キャッツのベース」って。

知ってる人だったら「スゲェ」て言ってくれるかもだが。


もうひとつ、そのときのテキサスで、

別のライヴハウスに「ロイヤル・トラックス」を見に行った。

ボケロウとかも一緒に行ったのだが、

その会場に、「ソニック・ユース」のサーストン・ムーアも

いたらしい。単に、客として。(後で誰かから聞いた。)

すぐ近くにいたらしいのだが、俺は気付かなかった。

ああああ

・・・ってこれ、「会ってない」なぁ。




いかん、ショボい。







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「ハモる」、ということ

2012-01-20 22:24:26 | Weblog


「ハモる」という言葉・・というか、言い方があって、

これはもう、誰でも普通に使うよね?


日常では、

(誰かと誰かが)偶然に同じ言葉を、同時に発した時に

使ったりする。


ふと思うのだけれど・・・

その場合、厳密には「ハモって」はいない。


「ハモる」の「ハモ」は、言うまでもなく

「ハーモニー」の「ハモ」なので、その「音」が

ある種の「和音」になってないと「ハモった」ことには、

なってない。


さっきの、”(誰かと誰かが)同時に発語”した場合は、

「ユニゾった」ってことになるのか。


それはともかく、

3度とかの、わりに基本的な「ハモり」でも

実際にやってみると、けっこう難しい。

うまく「ハモ」れたら、その時はもう、

快感・・・・というくらい気持ちがいい。


俺はランブルフィッシュではエレキギターと(アコースティック・ギターと)

「コーラス」担当だったのだが、

なかなかうまく「ハモ」れなくて、

むむむ・・・・・と落ち込むことが多かった。

「音程なんかちゃんとせんでもエエねん」と

佐治は言ってくれていたが・・・。


それでも、「宝物の歌」では時々、

ばっちり「ハモ」れたこともあった(と、本人は思っている)。


本当に大好きな友達と、

しかもその友達が魂を振り絞って作ったような歌で

「ハモ」れることって、

本当に・・・人生の中でそう何度も体験出来ない、ってくらい

幸せな体験だった。


俺はいろいろと、忘れっぽいけど、

そういう、「至福の体験の感触」だけは

忘れずに生きているし、

オンガクをやり続けて、今後、

「自分で自分の歌を歌って」生きるからには、

こらからもそんな、素敵なことが起こる・・・・起こるはずだ、と

確信しているのです。


・・・音が外れてようが何だろうが、

誰かと一緒に大声で(自分達の歌を)歌える、というだけで

それは「幸せ」だとも言える。


でももう、佐治と「ハモれる」ことはないのだなぁ・・・・

と、

思ってしまうこともあるのだけれど。






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自分で自分の歌を歌え・付記

2012-01-18 21:51:36 | Weblog


どうしても、本文に付記したくなった。


怒髪天が「全人類肯定曲」で言っているのと同じ意味合いで、

誰でも「生きている」だけで、「自分の歌を歌って」いる。

それはすごいことだ。




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もうひとつ、

以前にMIDIレコードの社長の、大蔵さんが

言っていたこと。

「自分でつくった歌を、自分で上手く歌えるなんて、

当然なことなんですよ。

そのひとのシンガーとしての技量を見極めるなら、

カヴァー曲を、どれだけ上手く歌えるか、ってことなんです」


・・・なんだって。


何だか・・・・いろいろと、奥の深い概念だと、

思いませんか。


その・・・・いろんな意味で。





俺は・・・・乱暴に言い切ってしまうけど、

「歌の上手いシンガー」とか、

「上手いギタリスト」とかが昔から、

”大嫌い”なんデスが・・・・・・・・・ね。




ははは。










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自分で自分の歌を歌え

2012-01-18 17:59:57 | Weblog



自分で自分の歌を歌え。

どうしたって結局、それでしかないのではないか?

と思う。

そうできないのなら、

死ぬほど楽器を練習したりして、

誰かのバックバンドに加わるしかないよな。

それが悪いわけじゃ、もちろんないし、

それはそれで美しい。ある種羨ましい面だって、ある。

そう出来たか?っていうと多分、無理だった。

どうも、そういうタイプじゃないみたいだ。

それでもオンガクやり続けたいんなら、

「自分で」「自分の歌」を「歌う」しかない。

自分で、「創れる」・・・って思えるんだったら。

全然、大したことないのかもしれないけど、

それはそれでしょうがない。

やれることを、やれるだけやる・・しかないだろ。

オンガクは大事・・・・みたいに思う反面、

オンガクなんて、そんなに大層なものじゃないとも思う。

粗さも、稚拙さも、正直さも、怠惰さも、

全部が全部、その「人」を表わすだろう。

「なってない」ところまでを全部、

しかもそれらを、恥じることなく剥き出しにする。

それしかないのだ。


自分で自分の歌を歌え。



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「かもしれない」

2012-01-16 08:39:15 | Weblog



「四十にして惑わず」という言葉の意味は、

「四十くらいになったら惑ってはいけない」ではなく、

「四十くらいになったら人は自然と、惑わなくなる」

ということなのだそうだ。

何に対してか?、というとこれはやはり、

「生き方」なのだろう。

「生き方」って、いろいろあるかもしれないな・・・と

今になって思う。

「選択肢」があったか?と言われれば、

「なかった」としか答えようがないのだが。

「生き方」というのはそういうものではなかろうか。

だとしたら人は、「惑い」など、

全然持たずに生きているのかもしれない。

あちにフラフラ、こっちにフラフラ・・・と

惑ってるように見えたとしてもそれは、

ただの「必然」でしかなかったんだぜ。

結果的に人は、生きたいようにしか生きられないし、

それはそれでいいのかもしれない。

もしくは、

良くも悪くも、ないのかもしれない。







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成人の日・雑感

2012-01-11 21:30:11 | Weblog


一昨日は世間では、「成人の日」だったみたいだ。

俺は京都の、わりに賑やかな通りで

一日を過ごしていたんだけど考えてみたら、

「着物」を着てる人間、ってのを2人くらいしか見てない。

「成人の日」の、「京都」で、だぜ。

たった140年位前の明治維新までは、

どんな人もみんな和服だったはずだ。

(それしか、ねぇんだもんな。)

その頃の写真を見たら、男はみんな、「ちょんまげ」だ。

「ちょんまげ」は、しかし、自国の(過去の)文化ながら、

「奇抜」だ、と思う。

みんなあれで当たり前だったんだよね。

言うまでもなく我々は、

ずいぶんと、ばたばた変わってゆく世界に暮らしている。

だからどうだ、とか、こうあるべきだ、とか言うつもりは

毛頭、ない。

俺だって、ハカマよりジーンズの方が好きだ。

髪の毛だって・・・おでこなんか、剃りたくない。

剃りたくないが・・・他人事として見て(笑)、

「ちょんまげ」は素敵、と思う。

時代劇の「まげカツラ」なんかでは絶対に再現できない、

本物の「ちょんまげ」。いいよな。


ところで俺は、二十歳のときに、

「成人式に行く」という、発想すら持たなかった。

誰かに、「行ったら?」とかも言われなかった。

そんな風に、自由に、野放しにさせてくれていた周囲に、

今さらながら、感謝するものである。

本当にね、「自由」って、いいものだ・・・と

しみじみ思う。


そういえば、某村上春樹氏が、半分冗談で

「成人三十歳説」を(エッセイか何かで)提案していたが、

確かに・・・・・・。

実感としては、「成人」なんて、四十歳でもいいんちゃう?

とか、思ってしまう。


オクテにも、ほどがあるかな?










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