出来事

2011-06-30 15:40:33 | Weblog



淡々と日々が過ぎてゆけばそれが一番良くて、

どうしたってそれこそが俺の望みなのだけれど、

意に反して浮き沈みは必然で、半ば諦め気味の日常。


最近の出来事を書き留めておく。

ボケロウがはるばるやって来た次の日・・・

十三クラブ・ウオーターで「アワタエイゾウ追悼ライヴ」。

懐かしい友達に何人も会った。

「ロカ」として出演もさせてもらった。

ずいぶん久しぶりに人前で歌った。

一時は歌を辞めよう・・・と思っていたのだが、

性懲りもなく、またやることにした。

全然上手くなんかないし、歌ってる顔が「ヘン顔」だ、

と言われたりするが(笑)、そういうもろもろのことはもういい。

ロカの新メンバー、郁磨のドラムは、

歌に寄り添ってくれるドラムだ。すごく敏感で、

柔和で実直で、意外と器用。

音は本当にその人を表わすなぁ・・・と思う。


そして昨日は、磔磔に「少年ナイフ」を見に行ったのだが、

着いたらもう終わってて、そのあと

チマキさんとユマちゃんと飲みに行ったのだった。

切実に楽しかった。最近ひきこもりがちな俺だが、

やっぱり、たまには出掛けるべきである。

「地球屋」から「うさぎ」へ。

京都にいるんだなぁ・・と実感したりする。


「夏の終わり」は、いつかそのうち訪れるのだろうか?

何だか今は、想像もつかないんだけどな。


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おみやげ

2011-06-26 11:51:21 | Weblog



昨夜、郁磨と二人で一時間だけスタジオ入りしたあと

家で一人で飲んでいたら

つれあいのひとが大阪から帰ってきた。

まるでおみやげのように、ボケロウを連れて。


ハードレインでボケロウのライヴだったんだな。

本人を「お持ち帰り」してきたのか・・・・・。


久しぶりに一緒にギター弾いたり、

バカ話をしたり、

とことん眠くなるまで酒を飲んだ。

底抜けに楽しかった。


朝6時にむっくりと起き出してボケロウは、

遠く兵庫県の山奥に帰って行った。


めったに出会えない精霊のような妖怪が

魔法のように一晩だけ出現したみたいで楽しかった。



「となりのトトロ」みたいな奴。

いや・・「座敷わらし」か?



あんまり人間ぽくないんだよな、あいつって昔から。


不思議なやつ。



今夜は俺も大阪に出かけて、

十三クラブ・ウォーターでの

昔の友達(アワタエイゾウ)の追悼ライヴに

「ロカ」として参加する。


でもそういえば、「アワちゃん」といちばん親しかったのって

ボケロウだったような気がするんだがな。


人間関係って複雑怪奇だ。








コメント (2)
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とりとめもなく

2011-06-23 21:25:32 | Weblog


我々が欲しかったのは何だろう?

「ささやかなハッピーエンド」だったかな?

それとも、「風の吹き渡る大団円」だったか。

「ファンファーレの鳴り響く終焉」だったかも知れないし、

でももしかしたら

「メビウスの輪」みたいな終わりのない終わり、

「金太郎飴」みたいに増殖する日常、

「ゆるやかに円環を描く宇宙の始まりと終わり」?

・・・何だかそんなの冗談じゃねえって気もするけど、

僕がここで何を考えたところで、

はっきり言って、どうって事ないのは知ってる。

君に「クスッ」とでも笑ってもらえたら・・・と思って

書いてるんだけど、

そんなの全然知らなかっただろ?

それはいいけどさ。

良くないのは・・・・何て言うか、

僕自身が「世界」にとりこまれつつあるんじゃないか?

ってことだ。そんなことはないんだけどさ。

「世界」なんて今さら、理解しようとも思わないし、

だってそんなの、面白くもクソもないんだよ。

僕は僕で・・・カイコが糸を紡ぐみたいにさ、

とにかく、やってみなくちゃわかんないだろ?

って思うんだけど、

実際やってみても、よくわからなかったりとか

往々にするんだけどね。







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ROCAのこと

2011-06-21 20:17:49 | Weblog


ROCAとして、また動きを始めている。

スタジオに入って音を出しているし、

新しい曲もつくり始めている。

メンバーも固定した。

今度のロカは初心に戻って、

エレキギターヴォーカルとドラムの

二人組でやり始めてみる。

ドラマーは、もとストリッパー・キングスの

郁磨。

派手ではないが、実直で誠実な男で、

そんな風な音を出す。

我々が顔見知りになったのはこの十年以内くらいだが、

それよりずいぶん古くの、1990年の京都・磔磔で

ランブルフィッシュとストリッパー・キングスが

対バンしているのだ。俺はほとんど覚えていないのだが、

郁磨はよく覚えていると言う。

そしてそのあと、1997年(だと思う)の

吉祥寺・スターパインズカフェでも・・・

ばるぼらとストリッパー・キングスが対バンしている。

我々は、何かと縁のある・・・・と言うか、

近付きそうで近付かない、

ニアミスのようなことを繰り返してきていたのだ。

今回、初めて一緒にステージに立つ。

まずは、2011年6月26日

大阪・十三クラブ・ウォーターでの

「粟田エイゾウ追悼ライヴ」で何曲かだけ、やる。

そしてその後、10月1日に同じくクラブ・ウォーターで

和歌山の「コーヒー&シガレッツ」と共に、

この日は普通のサイズでライヴをやる。

ずいぶん久しぶりの、ライヴ。

うまくいくことばかりではないけれど、

なにかちょっとでも・・・・・・・

光明が見えればいいな、と思っている。





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疲れている場合ではない

2011-06-15 15:21:08 | Weblog


ほとんどのことは全然オッケーだ。


大体において物事は何にせよ「主観的」だから、

「いい」も「悪い」も、所詮・・「あって」「ない」ようなものだ。

どんな風に過ごしたって時間は過ぎてゆくのだし、

だからといって、何もかもが無意味なわけではない、もちろん。

ただ、下らないことにこだわったり、

ひっかかったりするのは止めよう。

心穏やかに生きられるのは、それだけで素敵なことだ。

他人の価値観なんかに振り回されるのは馬鹿げている。

小さな幸福を見つけ出しながら生きるか、

不平不満を並べ立てながら生きるか、

どっちだって好きなように出来るんだから。


人生はささやかなエピソードの積み重ねでしかない。

俺としては・・もうとっくに古びてしまった自分なりのエピソードを

消えることのないように何度でも 思い出しては留めておこう。

そしてまた、心に残るような出来事が起こるだろう。

風のない日の万国旗みたいにシュンとなってしまう時もあるけど、

俺にはありがたいことに

致命的な疾患は今のところ、ない。

暗い影のような負積もない。


だけど世界をとりまく状況ときたら・・・・

あまりにも多くの人々が恥ずかしげもなく

病的なエコノミック・アニマルだし、

嘘や言い訳や虚栄とともに、

大量の毒物がいまだに撒き散らされ続けている。

それぞれの価値観の押し付け合いで、

息が詰まりそうだ。


でもとにかく、最低だった運気から抜け出す。

疲れ果てている場合ではない。

ほとんどのことは、全然オッケーだ。

とりあえず今は、そういうことにしておく。








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アンチテーゼ

2011-06-13 21:46:01 | Weblog




君があさっての事を考えている時、

僕は昨日の事を思い出していた。

どこまでも未来は非・現実的で

過去だって結局、追憶の中にしか存在しない。

本当にあったことなのに、

現実としての生々しさは少しずつ、薄れていく。

「そんなことがあった」という事実さえ、

その意味性を風化させてゆく。

要するに、

そんなものに誰も興味をもたない、って事だ。

世界中で僕だけが大切にしている物事、というのは

ほかにもある・・・っていうか、ありすぎる。

そんなのばっかりだ。


君は”「無意味」というエントロピー”に対抗する

唯一の力だ。言ってみれば君は、僕にとっての

「ユービック」なのかもしれなかった。

「老い」に対するアンチテーゼ、

「時間経過」にたいするアンチテーゼ、

「腐敗」にたいするアンチテーゼ、

「混沌」に対するアンチテーゼ。


ところで 

地球が逆に自転を始めるとそのせいで、

時間が巻き戻ってゆく・・・・という

能天気なファンタジーがあったけど、

世界がそれくらい単純だったらいいな、と

思うこともある。


そういうのを君がどう思うのかな・・って、

今でも時々、

考えてしまうのだ。






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無題(六月は淡々と過ぎてゆく)

2011-06-11 14:43:36 | Weblog


ある日突然

くるくると回転しながら墜落する凧みたいに

何もかもが制御不能であることに気付いてしまい

回復出来なくもないのだけれど

でもどうしたって揺れ動く

風の吹く方へ流される私にとって

出来ること、出来ないこと

前後を省みず、文脈からはみ出して、

この地上に存在する、ただそれだけの

物体としての自己をどんな風に認識するというのだろう?

変容する力場の中で、数ミリも動きを見せない心

失われたものすべて

失いつつあるものすべて




だからって言ってどうってことでもないのだ






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「優しさ」について。2011年6月3日

2011-06-04 20:23:00 | Weblog


6月3日。

毎年の恒例のように、俺は奈良にある友達の家を訪れた。


「毎年恒例」というような惰性の行為ではない。

「行かないと気がすまない」から行くのだ。


ある頃から気付いてはいたのだけれど、

この日のことって、何と言うか・・・・

我々にとって、

「神聖」な色を帯び始める。

(もちろんだが、特定の宗教色など帯びない。)


我々・・・この「我々」というのは

彼のお父さんと、彼のお母さんと、彼の弟と、

ランブルフィッシュのオリジナルメンバーだった

斉藤モ吉と、佐治と、俺と、庄治と、三太と。




梅雨の始まり頃の季節、

昼間からビールを頂き、

絶品の精進料理をご馳走になりながら、

最高に魅力的だった彼のことを思い出す。


他人の気持ちなんか、本当のところはわかりはしない。

でも、この日に集まる人たちの気持ちは、

俺にはわかる。


あれから23年経った。


あつかましいかも知れないけど、

今となっては、我々は

「家族」なのかもしれない、というようなことを思う。


岩佐トオルと、彼を失った哀しみを中心にした

「拡大家族」だ。


心の奥の奥の奥の、

とても大事な所に触れる。


「愛」について「強さ」について、「優しさ」について。

深く深く、考えてしまうのです。
















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無題

2011-06-03 00:17:15 | Weblog


さてさて。

もうすぐ、6月3日なのです。

この日記をアップする頃には、もう3日になっているかな。


ランブルフィッシュのオリジナル・メンバーだった

岩佐とおるの、

もう何回目だか・・・の命日。

何年経ってもこの日には、あの頃に戻ってしまう。

1988年だったから・・・・

二十数年経っているのだけれど。


最初期のネクスカ(後のランブルフィッシュ)は、

そういえば岩佐がヴォーカルだったんだよな。

佐治はドラムだった。

何だか今となっては、嘘みたいだけど。


明日は、毎年のように、当たり前のように

岩佐の家に行くんだけど。


岩佐も、佐治も、いまだに俺を勇気付けてくれる。

そういう人と出会えたことに、

俺は本気で本気で感謝している。


人生という荒野は、まだまだ続く・・と思う。

俺は、それを、彼らと共に、

乗り越えて行こうと思う。


どんなひどい状況になっても、

彼らだったら鼻で笑ってやり過ごすだろう。


俺も、そうする。


オッケイ、オーライ、

言いたいことは、わかったつもりだぜ。






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