バラカンモーニングの終焉。

2014-09-30 18:00:07 | Weblog


FMラジオの大好きな番組、「バラカンモーニング」が今日で終わってしまった。

ピーター・バラカン氏は日曜の夜にインターFMで新たに

「バラカンビート」という番組を始めるそうなのだが、

朝7時から10時まで3時間、月曜から木曜までぶっ続けでやってた「バラカンモーニング」とは

物量的(時間的物量)に大違いだ。

それに・・・・・・・・・・・日曜の夜にインターFMなんて、

個人的に、聞ける環境にない。

悲しいけど、こちとら何の発言力もない一市民。

とくに近年は、デモの権利すら脅かされている、情けない存在である。

黙って諦めなければ仕様がない。くやしい。

ピーターさんも、今日の放送の最後の最後で声を詰まらせていた。

こみ上げてくる想いがあったのだろうが、「無念」というところも・・・・・少しはあったんじゃないのかな。

ピーターさんが「降格」になった理由は「原発のことについて番組で発言したから」

ではないか?と言われているのだ。真相はわからないのだが・・・・。

(ピーターさんは「そういう理由ではない」、と言ってはいる。)

まぁ・・・・インターFMからピーターさんが消えるわけではない。それが救いだ。


今日の放送(最終回)の聴取者からのリクエストでかかった曲も、

どれも良かったのだが(いつもいい曲ばかりかかる)、特に

MICHAEL FRANKSという人の歌、

「IF I COULD MAKE SEPTEMBER STAY」が良かった。

このタイトル・・・・自分で訳してみると

「もしも 私に「9月」を留めておくことが可能であれば」といった感じか?

リクエストした人のコメントも、

「もしずっと9月ならバラカンモーニングが終わらなくて済むのに」ということだった。

切ない。このコメントした人の気持ちはよくわかる。


しかし、現政府は本当に「メディアに圧力をかけている」のではないか?

そうとしか思えないような、不穏なニュースが多すぎる。

本当なら、恐ろしいことだ。

デモで首相のことを「独裁者」になぞらえたりしているが、あれは冗談ごとではないのだ。

奴らは、「戦争を出来る環境」に、確実に日本を持っていっている。

「経済を優先する」とか言いながら、着実に戦争準備してるんだぜ。

多くの人がそれに、気付いてない気がする。

本当に国民の大多数が「戦争支持」なら、俺は諦める。諦めて・・・・森の奥で暮らす。

でも、そうじゃないだろ?と思っている。

「そうじゃない」んだったら、今、「NO!」の意志を表明しないと手遅れになる。





俺は・・・・「非戦」という立場を堅持します。




「原発」も、もちろん駄目だ。

言うまでもないことだが、原発推進派の主張は、論理的に破綻している。

このことは俺は個人的に、20年以上前から表明してきた。


「高レベル放射性廃棄物」の処理なんて「不可能」なんだよ?



「どうしようもないもの」をこれ以上産み出してどうすんだよ。






しかもこの、「地震国」で。







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その頃の僕にはそれは「Zee-Zee」と聴こえたものだった。

2014-09-26 19:12:13 | Weblog


君の奇妙なテイスト













僕は洗濯機の中で永遠に回り続ける哀れな猫











まったく


7年前の今頃は


「夏なんてこのまま、終わらないんじゃないか?」って


本気で思ったもんだった。


(”ゼニヤッタ・モンダッタ”はポリスの3rdアルバムのタイトルだったよ)







ところで



僕が


「ある特定のアーティストの特定の楽曲」に


(例えば「ALL YOU NEED IS  LOVE」、他にも数曲)、


時々


自分でも妙に感じるくらいに


情緒的に反応してしまうのは恐らく


(自己分析してみると)、その歌を聴くと・・・・・・


「彼」がその歌を口ずさんでる光景を


自動的にありありと思い浮かべてしまうからなのだと



思い当たって、




少し楽しく、また少し寂しくも



なったのでした。











「彼」は、


IT’S EASY♪・・・・・・・・・


のとこ必ず、(ジョンと)一緒に歌ってたからね。















明日は「彼」の命日だ
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散文

2014-09-25 18:40:15 | Weblog


「最悪」は「最高」と、似たり寄ったりだった。



四重人格の君よ、

良かったときのことはまだ、覚えてるかい?




そんな風に無駄遣いされた年月を

風雨にさらされたまま無為に過ごし、

僕等はいつしか

軒下に忘れられた洗濯物みたいに、

ぱりぱりに乾いてしまうのだ。




そうそう、ひとつ言っておくことがあるんだけど・・・・・



あの「ストイック」って言葉は”あり地獄”みたいに、

その言葉を発した人間から、そういう要素

(つまり、禁欲的な要素・・・・ってこと)を奪ってしまう。




「ストイック」って口にした途端、「ストイック」でなくなるってこと。




だから、そんな言葉は口に出さないほうが身のためだぜ。




俺?




俺に「禁欲的な要素」が皆無なのは、そのせいさ。

こんなこと、誰彼かまわず忠告して廻ってるからだよ。


もとから希薄だった俺の「禁欲性」は今や、

痕跡も残さず、海の藻屑みたいに消えちまった・・・・って訳。



「ミイラとりがミイラ」みたいな話。




ミイラのほうが100倍マシだよな。




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「愛」について

2014-09-24 18:05:30 | Weblog



「愛」って・・・もしかしたらね、「認識」のこと なのかもしれないぜ。

「アナタと私は、こんなにも違うんだ」っていう認識。

「私の中には無いものが、アナタの中には在る」

もしくは

「私にはこんな風にしか見えないのに、アナタには全く違って見えるの?」

というような。

そういうのを、受け入れて受け入れて、受け入れがたくても受け入れて、

それでも「他者」を必要とすること、そんな風に生きていくこと。

それこそが「愛」とか「恋」とか・・・もっと言えば

「人と人とが交わる意味」なのではないだろうか。

だからこそ「愛」は、たやすく裏返り、「憎しみ」へと変貌する・・・・なんてことが

起こりやすいのかも知れない。

「誰か」と敵対するのはとても簡単だ。

イヌだってほとんどの「他者」には吠えて威嚇するだけだし。

想像力ってのは

「他者になってみる(他人の立場で物事を考えてみる)」ために、あるのかもしれないよね。

だからきっと、

「自己中心的な考え方」っていうのは幼稚だし、

諸悪の根源・・・・なんだと思う。

人生において

我々に必要なのは「愛し合うこと」だけ・・・である、ような気がする。

そのための「認識」。

この地球上で、

60億だか何だかの人々がそれぞれ、違った価値観を抱えて今、この瞬間も生きている。

だから(ってこともないか?)、人と人とが違ってるのは、当然だ、とも言える。

それを受け入れるための「認識」。

もしも、そういう風に出来たら。

そしたら、そこからさ・・・・「愛」だって発生するかもしれない。













・・・わかんないけど。












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無題

2014-09-22 17:03:33 | Weblog


マイナスをプラスに(無理矢理) 転化して、

偶然を(チカラずくで)必然に変えて、

不安なんか不屈の意地で跳ね飛ばす。


だって「社会」がすべて「共同幻想」でしかないのなら、

それを内部から

打ち破ってやればいいだけの話じゃないか。


過去も未来も、

想像力の産物でしかない。

だから

ただ現在にのみ 生きたいのなら・・・そうすればいいよ。


発信するべき言葉は「世界観」であって、

それはそれでいいのだ。


それにしても

「右脳的世界」の美しいこと!


そこに「否定」は ないし、

空間的・時間的「制限」も、ない。


規則も、数字も、言葉も、ない。


在るのはただ、「感覚」だけ・・・・なのだ。


そういう世界に、近づいていけたらいいな、と思う。






全然関係ないけど、

10月11日土曜日はROCA’66のライヴのために、

予定を空けておいて欲しいよ。





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ROCA'66、新メンバーで再始動。LIVE@「夜想」10月11日土曜日!

2014-09-21 17:56:40 | Weblog


ROCA’66再始動。


新しくベースに「たんちん」(EX.DOWN HOME SPECIAL)

と、

ドラムスに「飛澤猛」(EX.はなれごま)


を迎え、


ヴォーカル/エレキギターはもちろんアタクシ、「片山道郎」、


トリオのロックバンドとして再出発。


ベースってやっぱ、スバラシイ楽器だわ・・・・・と実感しながら


10月に「顔見せ」的にライヴを、やりマス。


場所は京都、愛する「夜想」。


10月11日土曜日。


この日の出演は。


正垣祐樹AND THE MOON 

ROCA’66 

虹色エレジー

栗本英明


OPEN18:30 START19:00

¥1500(+1ドリンク¥500)

食べ物持込みOK!




「たんちん」は、こないだの「ハミングバード・フェス」のときも弾いてくれた、

俺の信頼するトモダチ。ROCA’66に正式加入してくれた。

「飛澤猛」は、10コ年下の、奈良のドラマー。

いいヤツで、彼も今回から、ROCA’66に正式加入。


どういう風に発展していくか、まだわからない状態の、

この三人の新しい「ROCA’66」。


第一歩としてのライヴに、ぜひ来て欲しいデス。



やっぱ、「ベース」がいいのを弾いてくれると、とても素敵だ。

「ベースレス」も、それなりの楽しみがあってよかったのだけれど、

「ベース」っていう楽器の産み出すグルーヴはやはり、奥深くて魅力的。


ちょっと短めのセットで、絶対いいライヴをやるぞ!と思っている。






10月11日は、ちょっと無理してでも

「夜想」に来ておくれよ。



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フラットに生きたい。

2014-09-16 18:08:00 | Weblog




「自分自身のルール」に従って生きれば、

それでいい、と思う。



俺はデスね、

人と人は、リスペクトし合うべきだ、と思ってるのデスよ

基本的に。



自分がそう出来ない時がある?のは、まあ・・・・・・・・・・・・

そうだ。


だからこそ、自戒を繰り返すのだ。

(開き直ればいい、ってものでもないが。)






フラットに生きたい。





誰に対しても、同じような態度で接したい。

「尊大」にはなるまい・・・・といつも思っている(本当に)。

でも、

「卑屈」に見られるのも嫌だ。



どうすればいいか、っていうとつまり、

いつだって「公正に」行動するべき、なのだ。



思うに、

「本当のリスペクト」なんて、めったに得られるものではない。

「愛情」にしたって、そうで、

「友愛」だってね、すごく難しいぜ。




だから

今、つながってる人のことを俺は、

もっともっと、大事にするべき・・・・・・・・なのだ。








そうしよう。



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九月は素敵

2014-09-15 10:37:17 | Weblog


自分自身の才能に見切りをつけて、

残りの人生を靴箱の中で過ごす・・・・・ってのも素敵、と言えなくもない。

少なくとも、他人に迷惑をかけずにすむかもしれないから。


そうだ、

いつか「本当に駄目だ」と思ったら、そうしよう。

靴箱の中か・・・・

深い森の中に消えよう。


でも、今はもうちょっと・・・足掻く。(悪あがき?それでもいいから。)

都市に残って、

あらゆる矛盾の中で、

吹き荒れる軋轢の中で。


他人と共感したり、

他人とぶつかったり、

他人を信じたり、

他人を愛したり、

他人を憎んだり、

他人と理解し合ったり。








とか思いながら、

九月はとても素敵な季節。



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無題

2014-09-12 19:06:37 | Weblog



「忘れたほうがいい」とか

「忘れたら楽になるよ」などと私に忠告するのは

金輪際、お止めくださいまし。


何故なら 私が

人生に求めているものは、「楽」などではないから。


私のこの、身を焼くような思いこそが

「愛」なるもの の片鱗であるならば、

「痛み」こそが私に必要なもの・・・・・ということになりはしないだろうか?


ええ、ええ、「マゾ」とでも、何とでもおっしゃいませ。


でもそうではない。


私は、「感触」が欲しいだけなのでございます。

「生きている」という感触が。


暗闇の中で絶え間なく

追憶に引きずりこまれて行くような夜、

私を救うのは「眠り」ではない。

まして「忘却」ではありえない。


出来る限り鮮明に過去を思い出してなぞること、

そこにしか救いは、ないのです。


そしてそれは日毎に、「不可能」という領域に近づいて行く。

思い出せることは一つずつ、減っていきこそすれ、

増えることはない。


私は結局、「私自身」という牢獄の中で暮らすしかなく、

光明があるとすればそれは、

それがいつか終わるもの、

永劫に続くものではない、

ということ だけ

でございます。



でも


もし、そうでなかったら・・・・・・と考えたら

怖い。










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そうなりたいんだけれども。

2014-09-11 18:07:04 | Weblog


自分自身を100%、思い通りにコントロール出来るか?と問われれば、

決してそんなことはない・・・・と答えるしかないよね。


「心」は、しょっちゅう ”暴走モード” に入るし、

「馬鹿スイッチ」は、自分で気付かないうちに”ON”になる。

「お通じ」だって、ままならない時はどうしても・・・・・・・・・ままならない。

(上品な言い方だなぁ・・・・『クソだって思うようには出ねえ』でいいのに。)

記憶だって、「ばっちり覚えたぜ!」って思ったことも あっさり忘れてるし、

逆に「忘れてしまおう」と固く心に誓ったことが忘れられなくて

困ってしまうこと、ってのもよくある。


「容姿」に至ってはもう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どれだけ願っても、願っても、自分の理想に近づけない。



しかし、思うんだけど

もし「鏡」とか「写真」とか、「ヴィデオ」とかが・・・なかったら、

(もしくは・・・そういうのがなかった時代は)

人は

自分が他人の目に、どんな風に映ってるか?ってことを知らなかっただろうし、

(例外的に・・・晴れた日の水面は、鏡のように自分の姿を映すけどね。)

したがって当然、気にもしなかったのではないか?



人間以外のドーブツや、昆虫や、魚や・・・その他モロモロは、

「自分がどんな姿をしているか?」ってことを意識しているようには見えない。

って言うかまあ・・・・・ほぼ確実に「意識してない」だろう。




本当は、それでいいんじゃないのかな。


















っていうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうなりたいんだけれども。
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