ジェンダー問題(能町みね子著・「オカマだけどOLやってます」)を読んで。

2020-06-28 20:07:27 | Weblog

能町みね子 というひとが面白くて、

 

知ったのはNHKラジオ第一の朝の番組(のパーソナリティだった)で、なのだが、

このひとは「過去に男だった、現在は女」という経歴を持っていて、要は性転換手術をしているのだ。

まだ手術する前から女性としてOL生活をしていた、という面白い人である。

 

この人の出世作、ともいうべき本「オカマだけどOLやってます」を文庫で読んでいるのだが、

 

面白い。

 

実を言うと僕自身もわりと、

男であることが微妙に馴染めないような思いを少年時代にしたクチで、

成長してからも、遊びで女装してみたり、

髪の毛を伸ばしては女の子と間違われてそのことに喜んだり、

買う服も、スカートははかないが サイズの問題で(小柄なのだアタシは)、女物ばかりだったり、

強迫観念的・・・ってほどではないが明確な「女性変身願望」みたいなものがあったり・・・・とかしたので、

この人に、他人事じゃない、というような親近感を持っている。

 

しかし今回この本を読んでみて、

「切実さ」という点で、やっぱ全然違うんだ・・・と思い知った。

 

僕は自分が「男性」であることに今は全然、違和感はないし、

恋愛的に女の子が好きだったし、今でも好きだし、

男友達も好きだけど、その「好き」は、やっぱ「恋愛」とか「性愛」とかとは

何光年もかけ離れてたし、今でもそうだし。

 

中性っぽいスタイルや長髪は今でも好きだけど、

例えば「性転換手術」などというのは どう考えても、やりたくないし、

想像すると怖い。想像さえしたくないほど怖い。

 

自分自身は、わりに、面白くもなんともない「ストレートの男性」だったのだな、と

改めて気付く。

 

だけど

 

トランスジェンダーの人に、興味はあるのだ、何故か。

何かそれって、生物の根源的なところの問題のような気がするから。

 

問題、と言ったけど、間違ってるとかそういう風には思っていないのだ。

実感としてはわからないけど、そういうこともあるのだ、世界には。

 

でも「ストレート」であったことで、いろいろと面倒くさくなくて自分はラッキーだった、

とも思う。

 

身近に、そういう人がいないから、全然想像もつかないのだ、性倒錯の世界って。

 

こないだ「夜想」で出会った面白い男は

「皆で今からオナベの店、行きましょうよオゴるから!」と言っていた。

 

オナベ、というのは、オカマ、の対称語で、「フィメール・トゥ・メン」、

つまり、「男性化した(したい)女性」だ。

 

とても興味があったのだがいかんせん、僕はただのストレートの男なのだ。

 

・・・行かなかった。

 

でもやっぱ、

 

自分が「ただのストレートの男」でしかない、という普遍的事実は

 

精神的にタフでもなんでもない人間にはとても、幸運なことなのかもしれない。

 

 

「世間との違和感」というのは少年時代からずっと、ずっと、ずっと、ある。

 

 

僕はいわゆる「普通」ではないし、死ぬまで そんな風にはなれない、と思う。

 

 

でも性的には「ただのストレート」なのだ。

 

 

ちょっとがっかりする反面、ちょっとだけ、ホッとしたりも、する。

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昨日の日記、再読希望。・・・そして向日葵の生命力。

2020-06-27 21:45:45 | Weblog

今日は2020年の6月27日の土曜日である。

まだ梅雨の真っ只中だというのに我々はもう、酷暑との戦いに突入している。

・・・・・・・早くないか?

 

梅雨時の天気予報は全然あてにならないし。

今日は仕事で、和歌山に行っていたのだ。・・・「道の駅」で、桃は買ったぜ。

 

コロナのことは、わけがわからない。

色々な情報が錯綜する。

世界がこの先、どうなって行くのか全然予測が付かない。

我々のごとき存在は、とても無力だ、と つくづく感ずる。

だが「無力感」に支配されてはいけない、と強く思う。

 

ところで、昨日書いた日記、「究極のフェンダーギターがどうしたこうした」なのだが、

飲みながらほろ酔いで気分よく書いたので、

文章の「大意」は別にそれでオッケイなのだが、

細部の文章がすごく雑で、稚拙だった・・・自分で読み返してみたら。

 

なのでさっき、全体に手を入れてみた。

読みやすくなって、総合的な文意も、以前のものより伝わりやすくなっているので、

お手数ですがもう一度、

昨日の日記を読んでみてもらえないかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・よろしくデス。

 

 

 

 

ちなみに写真は本日の我が花壇の向日葵。

 

蕾が大きくなっていて、圧倒的な「生命力」を感じたので思わず写真を撮った。

 

いや、「花」に、撮らされた・・・・という感じだった。

 

 

ここまで来たら「開花」は、秒読み段階・デ・あろう、と思う。

 

希望的観測だが。

 

 

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究極のフェンダーギター

2020-06-26 21:24:57 | Weblog

 

究極のフェンダーギターは何か?

という疑問が突然浮かんでしまった。

 

僕的には、ストラトキャスターなのだ。

同好のご同輩も多いことと思う。

 

ロングスケール、3シングルピックアップ、

シンクロナイズド・トレモロ・ユニット。

とにかく使いやすい、重くない、チューニングも安定している、

そして丈夫。これはストラトだけではなく、フェンダーギター全部に言えることなのだけれど・・・折れない。

投げても踏んでも折れない(トラックに踏まれても無事だった、という友人の逸話がある)。

万が一折れたとしても、ボルトオンネックなので交換が容易(ギブソンではこうはいかない)。

故障も少ない。調整もしやすい。音色は太くて、よく伸びる。見た目も美しい。

 

唯一の難点は、完成度が高すぎて、かっこよすぎて、それゆえに後進’(・追随)ブランドにコピーされまくって、

その形がいつしか「エレキギターの代名詞」的存在になってしまったこと。

どこにでもある安物ギターが、みんなストラトの形をしているのだ、悲しいことに。

(レスポール型のクソギターも、多くあるがね。)

そんな風にして 誰もがストラトを「見慣れて」しまって、

デザインの凄さ、創造性が薄れてしまって、見た目が「凡庸に」見えてしまう。

 

だから・・・だと思うのだけれど、

世界的に 世間では、1990年代以来、ストラト以降のフェンダーギターに人気が集まっている。

 

グランジのロックスターたちの多くが使った、ジャズマスター、ジャガー、ムスタング。

 

これらはデザイン的には、ストラトより未来志向な感じがする。

1960年代前後のものだから、未来と言っても「レトロ・フューチャー」であるが。

 

でもジャガーのデザインなんか特に、スィッチ類の感じなどの

有機と無機の合体した風情が、後年(1980年代)流行の「サイバー・パンク」の趣きすら、あるのだ。

ジャガー最高。レオ・フェンダーの先見の明、恐るべし。

 

しかしジャガーは惜しむらくは、スケールが「ショート・スケール」なのだ。

むむむ。

そのせいでちょっとテンションが弱いし、ブリッジから「弦落ち」する。

そういうのって 好きずき・・・なのではあるけれども。

 

だから現在、人気が高いのは、ジャズマスター なのだ。ヴィンテージ価格も高騰してから、下がらない。

こちらは、ロングスケールで、ピックアップは「太巻きシングル」である。(ギブソンのP-90みたいなものかな。)

ただし、ジャズマスターでも「ブリッジからの弦落ち」は、あるみたいで

色々な人がそれぞれ、独自に、対策を講じているみたい。

・・・・・・・・まあ、完璧じゃなくったっていいのよ。

 

ジャズマスもジャガーも、ボディデザインはほぼ同一で、美しい。

流線型のような、サーフボードのような、女性のボディラインのような。

「デザイン」という点では最上であると、僕は思う。

 

でもここで登場する、フェンダーの「鬼っ子」ともいえる・・・・ムスタング。

 

これは発売当時(1950年代か?)、「スチューデント・モデル」という触れ込みで、

初心者や、子供、学生など向けに発売された。

だから多少安価で、指盤も短い「ショート・スケール」なのだが、

このギターが存外、魅力たっぷりだった。

音も多少チープだが決して悪くない。

いちばんの魅力はその小柄さと、シェイプ、つまりデザインだったかもしれない。

・・・・美しいのだ。

 

CHARの使用で、1970年代に、日本ではバカ売れしたみたいだが。

 

実は僕も、フェンダージャパンのモデルだが、ムスタングを所有していた。

20代の頃である。CHARは関係ない。楽器屋で新品を、ローンで買った。

ランブルフィッシュのライブで少し使った。

1990年代には ばるぼら のレコーディングで使った。

でもそのギターは1990年代のある日、正垣祐樹のアパートに侵入した「空き巣」に盗まれてしまった。

・・・・・・・・・・・・しくしく。盗人に「害」あれ。

 

 

 

 

 

さて、フェンダーギターの羅列の、とりあえず最後に記すのはもちろん、

テレキャスターである。

 

これはフェンダーギターの「始祖」であるのだ。

製作者レオ・フェンダーの「ファースト・ギター」なのだ。

だから「無骨」で・・・「ハード」で、「剥き出し」だ。

 

テンションもやたらきついし、僕からしたら「じゃじゃ馬」で、扱いにくい。

だから僕としては、今でも、一本も所有してないし、する予定もない。

 

やはり「使いやすさ」って大事なのだ。ある程度、思い通りに動いてくれる操作性。

テレキャスターはそこが少し欠けてる・・・・というのは僕の個人的な感想。

 

でも「究極」は、このテレキャスターでしか、ないような気がする。なにしろ・・・音は、最高なのだ。

いや、見た目も無骨で最高だけどさ、とにかく音が。

 

かのルー・リードは「テレキャスターでしか出ない音がある」とインタヴューで言っていた。

 

「始祖」がそのまま、現代においても「究極」だ、というのは

本当にすごいこと・・・・・だと思う。

 

 

このことは、創始者、レオ・フェンダーの「天才性」を如実に

 

表しているのだと思う。

 

 

さて、

僕が今現在、メインで使ってるギターは

フェンダーの「サイクロンⅡ」というもの。

 

「サイクロン」は、楽器屋とかヤフオクで時々見かけるのだけれど、

「サイクロンⅡ」は、ない。けっこうアレだ、というか・・・・・・・・「レア」なのだ。

 

これは わりと最近(2000年代)のギターなのだが、今はもう廃番になっているはず。

 

ボディ・デザインはムスタング、トレモロユニットはシンクロナイズド(ストラトのもの)、

スイッチ類はジャガーのもの、スケールはミディアム・スケール(ギブソン・スケール)という、

変態・合体・フェンダーギターなのです。

 

 

ムスタングの姿でミディアム・スケールでシンクロナイズドって・・・・・それ、最高。

しかも憧れのジャガーのピックアップとスイッチ。

 

僕にとっては見果てぬ、やっと出会えた、身の丈にあった、「夢のようなギター」なのです。

 

 

しかも色は「キャンディ・アップル・レッド」だ。訳せば「りんごアメ色」だ。

操作性もスイッチ以外はまあまあ良い(ジャガーのスイッチは見た目は良いが使いにくい)。

そして、

異論もあるかもしれんが、音はほとんどストラトだ(ちょっとハイがきついかな?)。

 

 

人それぞれで、それそれの「究極」があるだろうと思うけど、

僕にとっての「究極のフェンダーギター」は恐らく、コレなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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「反射」論。

2020-06-25 21:38:27 | Weblog

こないだ「会話」とは結局のところ「反射」なのだ、ということを書いたのだけれど、

考えてみたら

「会話」だけじゃなく、我々の行動ってほとんどが「反射」なのではなかろうか。

この人生の様々な局面において我々に

じっくり考えて行動するような余裕は、 ほとんど なくて、「行動」のほぼほぼ、すべては、

0.01秒くらいの時間で「考えずに」決定している。

「思考」などしていないように思う。

 

あ、これは僕だけじゃなくて、誰しもが・・・そうなのであろう、と推測する。

 

そして人生とはそれ(反射)の集積・・・でしかないのだ。

 

過去のことを思い返してみても どうしたって、

その時はそんな風にしか行動できなかったのだ。

 

今考えると「あちゃー」と思うようなことを僕はいっぱいやっているけど、

その時はそれが正しい「反射」だったのだ。

だって・・・それしかできなかったんだから「正解」も「間違い」も、ないだろう?

 

だからすべてがレット・イット・ビーというか、ケ・セラ・セラというか、

ネバーマインド・ザ・ボロックスというか。

 

とにかく、

 

我々は 自己の、「反射」による行動の結果を、受け入れるしかない。

 

深く考えてないにせよ、誰だって最善を尽くしている・・・・と思う。

少なくとも僕はそうだ。

 

意識的に手を抜いて、サボりながら生きてる奴も世の中にはそりゃ、いるだろうが、

ほとんどの人は「最善」を願いながら生きている。

 

そして行動する。・・・・・反射的に。

それしか、出来はしない。

 

「世界」とはきっと、

そういうことの、そういう瞬間の、

気の遠くなる程の「積み重ね」なのだろう、と僕は思う。

 

だからそれは、結果論的に

「良くも悪くもない」のだ。

 

もしくは

 

「他に選択肢はなかった」

 

のだ。

 

 

 

 

 

 

だからどうした?と言われても困るが。

 

 

 

 

 

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ラヂオきしわだ~堺ファンダンゴ。 追憶への旅2020 その2

2020-06-21 17:16:05 | Weblog

2020年、6月20日のこと。

 

ラヂオきしわだ で無事、HOTEL R&Rの収録を終えた。

 

「話す」のって、やはり難しい。こういう風に言えば良かった、とか後で思うことが多い。

ある程度、質問内容を把握していて、こんなことを言おう、と思っていても、会話って結局は「反射」なのだ。

反省点はいくつもあるが、とにかく、まあ、良かった、とする。

 

ラヂオきしわだのみなさん、やまなかさん、ありがっとございました!

 

それでは、とお礼を言ってその場を辞して、僕が向かったのはもちろん、

十三から堺に移転した 我々にとって聖地のようなライヴハウス、「堺ファンダンゴ」である。

このコロナ騒ぎで営業自粛中なのだが、ここ最近は「ロック喫茶ファンダンゴ」として再開している。

ネットで、馴染みの、いくつかのライヴハウスのTシャツなどを買っているのだが、

ファンダンゴのはまだ買ってなかったのだそういえば。

飲んで応援、Tシャツ買って応援せねば。 

 

堺ファンダンゴを訪れるのは今年の1月13日に出演したとき以来である。

昼間のファンダンゴ。ロックバンドの轟音がないので、ドアも開け放しにしてある。

店長のツルちゃんと、ゆっくり話が出来て、とても嬉しかった。

我々は同い年で、初めて出会ったのは1990年ごろ、ツルちゃんはファンダンゴに入ったばかりで、

我々ランブルフィッシュのツアーのスタッフとして同行してくれたのだ。

90年だったとしたらお互い、まだ23歳か。

それは過酷なツアーで、九州に行った直後に青森・六ヶ所村に行っている。

全部機材車での移動である。遠かった。はてしなく遠かった。

ツルちゃんと話していて、その九州ツアーの途中で広島・福山にあった当時の僕の実家に

みんなで寄ったことを思い出した。一泊くらいした気がする。・・・・泊まってはないか?

 

ツルちゃんは福山のあの家に来ていて、ランブルのメンバーと共に、

僕の父母と会っているのだ。多分、祖母とも会っただろう。

ううう、それはすごいことだ。そんなこと、すっかり忘れていた。

父も、祖母も、今はもう亡い。

 

ツルちゃんは、あのツアーが自分にとっての「原点」だ、と言う。

 

ツルちゃんとこの話をしたのは、とても久しぶりだった。

 

我々は初対面で過酷なツアーに出て、そこですごく親密になったのだ、大昔。

いや、本当に、楽しくもあったが、かなり過酷なツアーだったのだ。

身体は疲れ果てたし、ココロが傷だらけになった。

 

ラジオで ばるぼら やランブルフィッシュをかけた後にツルちゃんとこんな話が出来るとは。

とても有意義で、楽しい・・・と思っていたらその後、更にスペシャルな出来事が。

それでなくても賑わっている「ロック喫茶ファンダンゴ」に、大物来店である。

小柄な女性と、そのマネージャーらしき男性がツルちゃんに挨拶して、お酒を差し出した。

お酒のビンに巻かれた祝い紙には「少年ナイフ」と書いてある。

山野直子登場。

 

少年ナイフは今や、超有名な日本のガールズ・ロックバンドだが出身は大阪で、

あの西成・エッグプラントでライヴをよくやっていたのだ。もう30年以上前の話。

僕等がまだ初期ランブルフィッシュ(岩佐も、モ吉もいる)で、

エッグプラントに出演させてもらった時、スケジュール表や、壁のチラシに「少年ナイフ」という名前があったのを

鮮明に覚えている。とても印象的で、かっこいい名前だと思ったから。

 

お酒も廻っているので僕は、直子さんにご挨拶に行った。我々ROCA’66のCDもお渡しした。

僕も以前のバンドでエッグ出てたんです、と。

直子さんは「その名前、覚えてる」と言ってくれた。ランブルフィッシュのことであろう。

とても光栄だ。

 

その後、直子さんから昔のエッグのことや、それ以前の大阪のライヴハウス・シーン(マントヒヒ???)の話などが聞けて、

とても楽しかった。少年ナイフはあのニルヴァーナのカート・コバーンがこよなく愛したバンドで、

1990年代の あの煌めく「グランジ」のバンドたちと対等に活動してきたのだ彼女らは。

 

当時の三人組みで、今バンドに残っているのは直子さんだけなのだが、

辞めたお二人(姉妹であるベースの敦子さんと、ドラムスの美知枝さん)も、今も元気だ、と聞けて嬉しかった。

 

 

ラヂオきしわだ でROCA’66 や ランブルや ばるぼら をかけて昔話をして、

ファンダンゴでツルちゃんと、出会った頃の話をして、

少年ナイフの直子さんからエッグ以前の大阪のライブハウスの話を聞けて、

2020年6月20日の南大阪への遠征は、

出来過ぎなくらい、完璧な追憶の旅になった。

 

 

 

写真は、買って来た ファンダンゴ長Tシャツ。

帰って気付いたのだが、このTシャツのロゴとイラスト、何と、

ランブルフィッシュがファンダンゴに初出演したとき、つまり1988年11月の

フライヤー(スケジュール記載チラシ)のものなのだ。

それに気付いたとき、また背筋がゾクッとした。

出来過ぎだ、マジで。

 

 

 

 

YOUTUBEにアップされているランブルフィッシュの「青の時代」の動画。

あれが1988年11月のものだ。

 

 

 

 

 

 

追伸・ラジオで戸山ハイツのこと(新宿のこと)言うの、忘れてしまった。まあ、それはそれでいいよな。

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ラヂオきしわだ~堺ファンダンゴ。追憶への旅2020 その1

2020-06-21 12:52:06 | Weblog

昨日はラヂオきしわだの番組、HOTEL ROCK’N ROLLの収録のため、

電車に乗って出掛けた。岸和田で収録なのだ。

ずいぶん早くに家を出てしまったので、難波に着いたときにまだ、

約束の時間まで一時間以上あることに気づく。難波から岸和田なんて、すぐに着いてしまう。

それで僕は懐かしの「金龍ラーメン」を食べに道具屋筋まで行くことにした。

千日前通りを歩く人々は99%までがマスク着用である。今がコロナ禍の渦中であるであることをひしひしと感じる。

あと十年くらい経ったらこの風景を懐かしいと思うだろうか??????

 

金龍ラーメンは昔のままの味だった。

僕は二十歳ごろにこれに出会うまではラーメンなんてぜんぜん好きではなかった。

これを食すのは十年以上ぶりだったと思う。ライヴで難波には来るけれど、

わざわざ金龍ラーメン食べに来るような事はないから。

 

その後、道具屋筋を歩いてみる。22年位前、僕はこの商店街を台車を押しながら

店が発送する荷物を集めて廻っていたのだ。運送屋の仕事で。一年間ぐらいは やっていたと思う。

ここで毎日、「まいどー」と叫んでいたのだ。

22年も経つのに、あの頃とあまり変わっていない。新しい店舗もいくつかあるが、老舗がちゃんと残っている。

大したものだ。

でもあの頃の店主だったお爺ちゃんとかは多くが亡くなっていることであろうと思う。

知るヨシもないのだが。

 

そして南海線で岸和田へ。

番組パーソナリティであるT-ROLLSのやまなかさんは髪の毛が紫と白になっていた。素敵である。

ラジオの収録は少し緊張したが、とても楽しかった。

写真は、話す前に上げて、曲の間とかは下げておく「カフ」という機械なのだが、

古臭くてとても素敵だ、古いエフェクターのようではないか。

「カフ」の上げ下げはお約束のように何度か失敗した。

ROCA'66の音源をかけて、ばるぼら の音源をかけて、ランブルフィッシュの音源をかけた。

小一時間、昔懐かしい話(バンド結成の話)や、テキサスの話や、NYの話をした。

こんなふうに自分のバンド歴や様々なエピソ-ドを(かなりざっくりと、だが)まとめて話したのは多分、

生涯初の体験だと思う。とても楽しかった。

 

自分自身の「歌声」というものはCDにしてあったりするし、YOUTUBEにアップされていたりする。

そして「言葉」はブログで延々と書き綴っている。

だが、「話している言葉」が公開されるのは、なかなかない機会だということに気付いた。

僕は自分がどんな風に喋るのかを知らない。客観的に聞く機会がなかったから。

今回の放送を聞いたらもしかしたら、自己嫌悪に陥るかもしれない。・・・そうならないことを切に願う。

 

オンエアはだいぶ先の2020年8月7日の予定。

サイマルラジオというもので、パソコンやスマホで聞けるので、ぜひ聞いてください。

79.7MHZ「みんなで創るみんなの放送局」、ラヂオきしわだ。

HOTEL ROCK'N ROLL。

 

その2へ続く。

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「善」/「悪」問題。

2020-06-18 20:54:52 | Weblog

こないだの日曜日、ちょっとコンビニに買い物に出たのだが、

うっかりマスクをするのを忘れてしまった。

まあいいか、すぐ戻るし・・と思いつつ商店街を歩いていたら

誰かにドスン、とぶつかられた。

こういう場合・・・常識的には、

「失礼」とか「すいません」とか言うよな、と

無意識に思いながらぶつかった人を見たら

マスクしてジョギングしてるおじさんで、こちらのほうも見ずに何も言わず、

走り去っていった。

失礼な奴。でも後で気付いたのだがあれ、もしかして流行の「自粛警察気取り」だったのかもしれない。

マスクしてなかったからさ、俺。でも、

そうだったのだとしたら、不毛な奴だ。

 

 

 

何が「善」で、何が「悪」か?という問題は、微妙で難しい。

 

 

話は続く。

次の朝、トラックで、たまに寄るコンビニの駐車場に乗り入れた。

ここの駐車場は広くて、トラック運転手達が多く利用する。

ここではみんな、縦方向に駐車するからいつものごとく縦方向から入ったら、

横方向に停めているトラックがいて、少し迷惑だった。

まあいいか・・と思いながら縦方向に停めてしばらくそこにいたのだが、

少し後になって気付いた。他のトラックも横方向に停めるではないか。

つまり、しばらく来ないでいるうちに、その駐車場での「暗黙のルール」が変わっていたのだ。

 

この場合、迷惑なのは僕のほうだったかもしれない。

 

もっと言えば「悪」は、僕だったのだ。悪気は、なかったのだが。

 

もし僕が

血気盛んな奴なら、前述のジョギングオヤジに怒鳴ってるだろうし、

横方向に停めていたトラック運転手に文句つけに行っただろう。

そういう性格でなくてよかった。

 

しかし、それにしても、そうする(そうなる)可能性は・・・・・あったのだ。

 

「世界」は、小さな争いに満ち満ちている。

いや、大きなものも、ある。ひっきりなしに・・ある。

 

ある程度、牽制しあうのは仕方ないかもしれないが、

それにしても

争い合いながら、怒鳴りあいながら生きていくのは面倒くさいし、疲れるし、不毛だし、

とにかく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌だな。

 

 

 

 

 

 

そうそう、

 

 

そのコンビニに入ってさ、早朝だったし、朝ごはんのオニギリとか買おうと思ってレジに並んでたら、

前に並んでたオジさんが、ストロング9%のロング缶(チューハイ)をひと缶だけ(つまみもなし!)持って

並んでいて、

おお、朝からスゲエなあ・・・・などと一瞬、思ってしまったのだが

 

よく考えてみたらその人は夜勤明けなのかも知れず、

 

いや、もしかしたら今現在、職さえないのかも知れず、

 

一概にうらやましがるものではない・・・・のかもしれない、と思い直した。

 

 

 

それに、夜勤明けでもなく、職もあるのだがとにかく朝から酒飲まずにはいられない・・・・

という人だったとしても、

別にそれが「悪いこと」ではないのだ。

 

 

特に「善いこと」でもないがね。

 

 

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ラジオ!ラジオ!ラジオ!(世界は狭い)

2020-06-16 21:07:26 | Weblog

子供の頃からラジオが好きだった。

小学生の時、ラジオにショートコントをハガキで投稿して、

2.3回読まれたことがあるのだ。賞金ももらった。

その頃はリクエストもしていて、ある時 高石友也の「受験生ブルース」を

リクエストして、それがかかったのを覚えている。どんな小学生やねん。

(後年の僕は、大学受験すら、しなかったことを考えると少し皮肉だ。)

 

中学生の頃はNHK-FMでやっていた「サウンドストリート」に夢中になった。夜10時からの番組。

確か月曜日は佐野元春で、火曜日が教授こと坂本龍一かな。渋谷陽一は金曜日だったか?

もちろん、毎週、全部の曜日、聞いてたわけではない。

いちばんよく聞いてたのは、甲斐バンドの甲斐よしひろの曜日だった。何曜日だったかな、木曜日?

甲斐さんは話も面白いし、選曲もすごくよかった。

中学生の僕には知らない曲ばかりだった。ストーンズはこの番組で知ったかもしれない。

 

高校の頃の僕は学生寮暮らし・・・つまり、いつでも友達が一緒にいる、という環境だったので

夕方だろうが夜だろうが夜中だろうが朝方だろうが、遊ぶのに忙しくて、

ラジオをじっくり聞くようなことは なかった。

 

でもたまには聞いたな。その頃聞いたラジオで、

何かの番組にゲストで出てきた忌野清志郎のボソボソした喋り方が

あまりにもイメージと違うのでびっくりした。チャボの喋り方も、すごく優しい。

あと、スライダーズのハリーと蘭丸の喋り方が、すごく東京弁で、軟弱に聞こえて、驚いた。

 

 

喋り方って・・・・・・・・・・アレだなあ、と思う。

僕も今度の出演の時には、多少は気をつけて喋らないと、特にラジオだと、軟弱に思われてしまう。

でも虚勢を張ってもダメだしなぁ。難しい。

 

 

そういえば、ついこないだ何かで出てきた斉藤和義の喋り方も、かなりアレだった。・・・コドモみたい。

 

 

僕自身のことだが、以前にラジオに出演したことはあったけな?と考えたら、あった。2回だけ。

 

両方「ばるぼら」をやってるときで、

 

一度はまだ開局したばかりのFMココロ、まだミナミの道具屋筋の近くにスタジオがあった頃で

メンバー4人で出た・・・・と思う。インタヴュアーのお姉さんの超早口に感動した。

 

もう一度は、これも「ばるぼら」時代、

KBS京都で、アコーディオン弾きのリョータローがやってた番組に、

ボケロウと僕の二人で、出た。

 

どちらのときも、何を喋ったかぜんぜん覚えていないし、

出演時の音源を自分で後で聞く機会もなかったので、自分自身の喋り方について

自己批判せねばならないようなこともなかった。

 

 

 

 

 

今の僕がいちばん好きなラジオ番組はやはり、

ピーターバラカンのNHKでの「ウィークエンドサンシャイン」と

東京のインターFMのジョージウィリアムズの「ジョージズメルティングポット」だ。

 

ジョージの番組のほうには友達の、怒髪天の増子くんが、時々ゲストで出てくる。

前回のブログの話の続きじゃないけど、

「つながってる」感があって、すごく嬉しい。

 

そうそう、ピーターバラカンは、MIDIの大蔵さんと「つながって」いるのだし。

 

 

世界は狭い。

 

 

 

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ラジオで何を話すのか?(ラジオ番組HOTEL R&R出演決定の件)

2020-06-14 19:55:11 | Weblog

今度、ラヂオ岸和田というコミュニティFMの

ホテル・ロックンロールという番組に出ることになって、

一体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何を話せばいいのか?と考えていた。

ホテル支配人(番組DJ)のやまなかさんは当初、

NYのCBGB出演のことを話して欲しいと言っていたのだが

CBGBのこと話すならその前のSXSWのこと話すことになるし、

そうなるとミディのこと話すことになるし、

そうなると「ばるぼら」のことを話すことになる(当然だっての)。

「ばるぼら」のこと話すとなれば「ランブルフィッシュ」のこと話さないわけにはいかない。

そうなると・・・・・・・・・・・・・・と延々と考えてていたときに

ラジオから「古井戸」の大ヒット曲「さなえちゃん」がかかった。

 

「古井戸」、つまり、加奈崎さんとチャボさん。

当時のチャボさんの家が東京・新宿の 都営団地、戸山ハイツだったので

加奈崎さんはよく戸山ハイツに泊めてもらってたらしい。

戸山ハイツの最寄り駅は山手線「新大久保駅」だが、ちょっとがんばれば「新宿駅」からも歩ける距離なのだ。

世界で一番便利な「地の利」だ(・・・そうでもないかもしれない)。

1973年までは僕も戸山ハイツ在住だったので、

当時、お二人と、都営団地の道端で、すれ違ったことぐらいはきっと、

何度もあるはずだ、と僕は思う・・・・・・その頃の僕は幼児で、もちろん何の記憶もないのだが。

 

 

 

ラジオで何を話そうか考えているときにラジオから「古井戸」がかかった、ってことは

これは僕に「産まれ」から話せ、っていうメッセージか?

1966年の、戸山ハイツ。

もう、そこから始めるしかないのか?

そういえば俺、紆余曲折あって結局は、現在やっているバンド名にも「産まれ年」を表記している。

ア・ポストロフィー付きで。

むむむ。

 

 

 

・・・いや、きっと考えすぎだ俺。

「アタシの人生のストーリー」の大風呂敷を広げてどうする俺。

 

 

 

 

だけどやっぱ、そこにしか辿り着けなくて、

さらっと、そこから話を始めるかもしれません俺。

 

 

ラヂオきしわだ、の番組「ホテル・ロックンロール」。

周波数は79.7メガヘルツ。南大阪なら普通にFMで聞けるのかな?

それ以外の土地でも

サイマルラジオ、ということでPCやスマホでも聞けるそう。

来週収録で、放送日が決まったらまたこのブログで知らせます。

乞うご期待。

 

https://www.radiokishiwada.jp/data/html/index.php/

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つながり、つながり、つながり。

2020-06-11 21:31:22 | Weblog

いつも午前中に聞いていたラジオ番組(NHKの「すっぴん!」)が終わってしまって、

その後、その時間帯に始まったNHKの番組は予想通り、

クソみたいな、毒にも薬にもならない、屁のような内容。

悪い予想通りだ・・・・・・そうなると思っていたのだ。聞く気にもなれない。

 

だから最近の僕は午前中は、ラジコプレミアム(日本全国のラジオが聞ける)で東海地方のCBCラジオの

つボイノリオの番組を聞いている。

馬鹿全開で下ネタも全開だけど、硬派なところもあって、政治的な(批判的な)こともちゃんと言うし、

信頼が持てる。

昨日は何と、そのつボイノリオの番組で、古井戸の「さなえちゃん」がかかった。

おおお・・・。感動した。

 

実はこのブログは、御本人、と言うか・・・・古井戸の加奈崎芳太郎さんも(時々?)読んでくれてるのです。

 

加奈崎さんとは、一度対バン(前座?)させて頂いて、面識を得たのだ。お会い出来て、ラッキーだった。

(ジミー(スターダスト)くんありがとう。)

 

加奈崎さーん、つボイさんは、エレックのレーベル仲間だったんですか?

 

それにしても

平日昼間のAMラジオでかかった古井戸の「さなえちゃん」はユルくて、ラフで、

時代を先取りした「ローファイ」具合が素晴らしかった。

 

しかし、今更思うのだが、古井戸、と言えば「さなえちゃん」がかかる、

というか ほとんどそればっかり・・・なのは、

ご本人達からすれば、とても歯がゆいのではなかろうか。

「ポスターカラー」を筆頭に、他にも、叙情的な名曲が多いのに。

やっぱ、大ヒット曲って、色々と運命に作用してしまうのだなあ。

カート・コバーンも、もしかしたら「スメルズライクティーンスピリット」の

大・大・ヒットがなかったら、自殺などせずにすんだかもしれない。

 

 

 

 

その、「さなえちゃん」がかかった後、つボイノリオは何と、

ローザルクセンブルグ時代の どんと とのエピソードを語ったのだ。

 

何やかんやで、少しずつでもみんな、関わっているのだなあ、と思う。

 

僕も どんと さんとは一度だけ、至近距離でお会いした。

1990年か、1991年かどちらかの

青森県六ヶ所村で行われた「いのちの祭り」のときの、楽屋代わりの原っぱで。

僕等は、ランブルフィッシュで出演したのだ。僕等の出番の後が、ボ・ガンボスだった。

簡単にご挨拶だけしただけなのだけれど、

とても感じの良いひとだった。

 

ボ・ガンボスも、もちろん最高なのだけれど僕は、

ローザ・ルクセンブルグの大・大・ファン(後追いなのだが)なので、

つボイさんがローザ時代の どんと のエピソードを語っていたのが、とても嬉しかった。

 

 

身体がゾクゾクゾクっ!とするほど、嬉しかった。

 

僕の中でここで、つボイノリオを通して

古井戸の加奈崎さんと、ローザルクセンブルグの どんと が繋がった。

 

加奈崎さんはもちろん、チャボさん(仲井戸麗市)とつながっていて、

チャボさん、と言えばもちろん、

戸山ハイツが故郷・・・という点で、僕(片山道郎)とつながるのだ。

 

 

はははは。

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