明日の十三・クラブウォーター。

2018-06-23 16:44:47 | Weblog

高校生の時に、同級生とバンドを組んだ。

バンド、という接点がもし・・なければ、彼らと関わることはなかったであろう。

彼らは不良ぶっていたし、僕はその手のことには関心がなかった。

それはともかく。

そのバンドは高校卒業しても、存続した。

ランブルフィッシュという名前のバンド。

僕は高校を出たら東京に行くつもりだったのだが(高校は奈良だった)、

ランブルのヴォーカルの佐治が、「大阪で一緒にバンドやろうぜ」といって僕を引き止めた。

それで大阪に出て・・・・・さらっと書けないくらい色々なことがあって、

いつの間にか、「バンド活動を中心にして生活する」ということになった。

ライヴで休みにくかったらバイトなんかホイホイ変わる。とにかく、バンドを第一にした。

メジャーデビューが第一目標だったワケではない。とにかく「バンドやる」ことが第一だった。

その頃、

佐治が大阪芸大に通っていたので、僕も時々、芸大に出入りした。

アワタエイゾウに出会ったのはその頃だった。

芸大のヤツラは何だか浮世離れしてて可笑しくて、好きだった。

ボケロウも、そんな中にいた。

ランブルフィッシュはいつしか、解散してしまったが、

バンドやりながら生活する、というやり方が染み付いてしまったので、

その後もずっと、そんな風にして暮らしている。

こんな暮らしがこんなに長続きするなんて、あの頃は想像出来なかった。

いつの間にか、

ランブルフィッシュの不良ぶってた仲間に俺を引き入れた岩佐も、

そのランブルフィッシュの中心人物だった佐治も、

あのころ大阪芸大で必死に歌っていたアワちゃんも、

みんな鬼籍に入ってしまった。


そして僕は「ばるぼら」というバンドを経て、

今でもバンドを続けている。ランブルフィッシュ でも ばるぼら でもずっとギタリストだったのだが

その後結局、自分で歌うようになった。バンドの名前は「ROCA'66」という。

言うまでもないが、楽曲は全部、自分で作詞作曲している。編曲(アレンジ)はバンド全員でしている。

メンバーは4人。

僕と、ギターの赤井と、ベースの伊藤と、ドラムスの飛澤。

頼もしいメンバー。

明日、6月24日は  大阪の十三・クラブ・ウォーターで

毎年やっているアワタエイゾウの追悼ライヴに、

ROCA'66で、出演する。

佐治や、岩佐の追悼・・・も合わせて、っていうような、そんな気持ちで

演らせてもらおう、と思っている。

もしかしたら、僕が過去に在籍したバンドの楽曲も、演るかもしれない。

明日のウォーターは、あの頃の、大阪芸大周辺のバンドたち、

つまりあの「浮世場離れしたヤツラ」の30年後が、続々集合する。

ノーチャージ、つまり無料なので、

ぜひ覗きに来て下さい。

数多くのバンドが出るけど、俺達もちゃんと5曲くらい演るから。

昼2時半オープン、3時スタート。


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激震の後、ギターのサイズ感について考える。

2018-06-19 21:57:46 | Weblog

俺のギターは折れてなかったのだけれど、

今回の激震で手持ちのギターが折れてしまったよ、というような人も

この広い北大阪の中では、いるかもな・・・・と思った。

(片山陽一のフェンダー・リードは、ぎりぎりセーフで、良かったな。)


そういえば1995年の阪神大震災の時は俺も、ギターが・・・壁に掛けておいたのが落ちて、

折れた。一本だけだけど。

あれはAZUMIさんに頂いて大事にしていた「ピックギター」(F穴の、ピックアップの付いてないアコギのことをそう呼ぶ)

だったのに。

でも後から考えたらそのギター、チューニングをオープンEにしたままで

当分の間、壁に掛けてあったので、オープンEのテンションがきつすぎで折れた・・・という側面もある気がする。

そーゆー、耐久性についてまったく無知だったのだ。

オープンチューニングでスライドギターを弾いてみよう、という皆さん。

オープンEで弾いた後はギターのチューニングを緩めて置いたほうが絶対いいよ。

そんなの面倒臭え、なら、オープンGにしておいた方が身のため・・・というかギターのためだ。

オープンDとかね。


そんなんどうでもエエか。アイスミマセン。


関係ないのだが

ちょっと前にミニギターというのを何かの拍子で偶然手に入れて、

ピロピロと弾いていたのだが、何故か、全然楽しくない。

何故こんなに物足りないのだ?と考えていたのだが、

要はやはり、「サイズ感」の問題であろう、という結論に達した。

ギターの「大きさ」って、すごく絶妙なのだ。

ウクレレとかヴァイオリンでは小さすぎる。

あれでは、「小動物」だ。

チェロや、ウッドベース(コントラバス)くらい大きいと、あれはあれでとても魅力的なのだが

いかんせん、持ち運びが大変すぎる。

俺は一度、公道で、50CCのスーパーカブの背中にウッドベースを背負って走っている人を見たことがある。

やめときなはれ、と声を掛けたくなるような光景だった。上海雑技団じゃないんだから。

サイズ感の話に戻る。

ピアノだと、グランドでもアップライトでも、持ち運びは不可能だろう。

(軽トラがあればアップライトは運べるか?)

やっぱ、ギターのサイズって、ちょうどいいのだ。「抱き枕」くらいのサイズ(?)。

ミニギターは小さすぎ。生音の音量も出ないし。ネックも短いから、イラッとする。

許容可能な一番小さいサイズは、フェンダーのムスタングまで、であろう。

デュオソニックとかね。小柄で、美しい。

スタインバーガーのヘッドレスギターも、かなり小さいのだが

あれはちゃんとフル・スケールだし、いいのだ。

大きいのは?

そう、ジミー・ペイジの使用で有名な、ギブソンSGの形の、

6弦と12弦の、ダブルネックギター、というのがあって、アレはかなり大きい。

ランブルの庄治が一時、使用していた(グレコ製だが)ので、ちょと持ってみたことがあるのだが、

大きすぎて・・・俺が持つと、「ギターに持たれてるみたい」だった。

そうなるともう、

ギターが俺で、俺がギターで。

むむむ。


「騙し絵」みたいな話になってきたから、もう寝ることにする。


おやすみ~。

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激震。

2018-06-18 22:12:07 | Weblog


久し振りの「激震」。


こんな、取るに足らない私なんぞ(←謙遜している)に、

「大丈夫?」等のメールや、SNSでのメッセージなどくれた皆さん、

ありがっとございまっす。


私は平気でした。

・・・っていうか、揺れた時刻は兵庫県の明石市に居りまして。

だから震源地近く程は、揺れなかったようで。


でも「東の方が揺れた」というのは感じました。


まるで東方で「龍」が尻尾を一振りしたような・・・・感じが致しました、本当に。


揺れが収まってしばらく経ってから、カーラジオで

震度の強さや、

亡くなった方がおられる、との情報を得て、

遅まきながら急に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・怖くなった次第。

大丈夫かな?、と。


北大阪、枚方、京都南部とはこれまた、我々の生活圏を直撃したもので。


私の愛する輩が数多く生息している地域が正に「そこ」でありまして。


思わず祈りましたな、

私の愛する優しい人々が無事なら、私のギターなど折れていたって構いませぬ・・・・などと。


結果、私の愛する優しい人々も無事なようだし、

私のギターも折れてなどいなかった。


良かった。



でも・・・・

亡くなられた方々や、被害に遭われた方々には本当に、最悪の災害でした。

なくなられた方も、「誰か」にとっての「愛する優しい人」であったことは間違いないのです。

お悔やみ申し上げます。



この世で一番辛いことは「愛する人」を不意に、不条理なカタチで失うことだ、と

私は思っています。


今回、もしそうだったら・・・と想像するだけでも辛かった。




アナタ(達)が無事で居てくれて、本当に良かったよ、私は。


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昨夜のこと、28年前のこと。

2018-06-16 11:51:47 | Weblog

昨夜は近所のバー「MICA」で、南正人さんのライヴだった。

仕事終わりですぐ駆けつけて、最後二曲だけ聴くことが出来た。

年季の入った歌とギター。感慨深いものがあった。


又聞きなのだが

1990年に、青森県六ヶ所村で行われた「いのちの祭り」ライヴ、

南さんも出演されてたそうだ。

俺も、ランブルフィッシュで出演してたのだ。


懐かしい。


昨夜はMICAに、友達のスティーヴも来ていた。

スティーヴも、1990年の六ヶ所村の「いのちの祭り」に参加していた、と聞いて

驚いた。


あの時のライヴはけっこうすごかった。

山口冨士夫、ボ・ガンボス・・・・あ、あとは覚えてないや(他の出演者の方々、スイマセン)。

あの頃は、しじゅう酔っ払っていたからねえ。

でも、ステージ裏の楽屋・・・みたいな原っぱで、

どんと氏に、「ど~も~」みたいな感じでご挨拶できたのはよく覚えている。

俺は彼のこと、ローザ・ルクセンブルグの頃から大好きで、嬉しかったから。

彼はニコッと笑ってくれた。彼のコドモが、原っぱを走り回っていた。

よく晴れた日。


あれは出演させてもらえて光栄なライヴだった。

今でも俺は、誇りに思っている。

青森県六ヶ所村に行くことが出来ただけでも、すごいことだ・・と自分で思っている。


あのステージが組まれていた場所には今は

核燃料再処理施設が建っているのであろう。

地平線が見えそうなくらい だだっ広くて、美しくて気持ちの良い草原だったのにね。



ランブルフィッシュ一行はその日、六ヶ所村のキャンプには泊まらずに、

陽が暮れてから大阪に向けてクルマで出発した。

メンバーの誰かが、何か用事か仕事かあったのだろう。


泊まっていけたらよかったのにな、と

今でも思っている。


28年も前のことなのだが。

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パワーポリティクス

2018-06-13 22:04:07 | Weblog

歴史的な、史上初の米朝首脳会談。

様々なメディアで、様々な人々が様々なことを言い合っているので、

一体何が「事実」なのか?

ということが判りにくいデスね。


俺は普段、「映像」というものを遠ざけていて、

理由は勿論、イマジネーションの邪魔になるから・・・・なのだけれど、

興味本位で今回の米朝首脳対談の映像をあちこちで少しずつ、映像(動画)を、齧って見てみた。

・・・・・・・・金主席のコドモなこと。

あれはただの、甘やかされたコドモではないか。

凄いよなあ、あんなのが・・・・・・国家の代表としてアメリカ大統領と会見している。

片や、トランプ。

あの人もしかし、マトモな感じがしない。

あれがアメリカ大統領、ということに今でも違和感がある。

ペテン師っぽい、詐欺師っぽい。

同感の人は多いと思うが。


ペテン師とコドモの会見。


映像、というのはある程度、「事実」に近いものを写し出すのだ・・・と俺は思っている。

でも、だから嫌いでも・・・ある。


今回、俺がメディアに接した中で一番・・・すごいな、と思った意見は

MBSラジオで朝5時からやっている番組の

コモリというパーソナリティの言っていた意見で、

曰く

「トランプみたいな、ビジネスマンに政治なんかやらせるからこうなる。

ビル売って何億、みたいなセコいビジネスマンに。

今回の会談は

国家のことを100年、200年単位で考えている”政治家”である金首席に、

完全にしてやられた」

という意味のこと。


的を得た意見なのだろう、と思うのだが、反面、


あんなコドモみたいな奴が、

「筋金入りの政治家」なんだろうか本当に?・・・いや、違うだろう。


100歩譲って、100年、200年単位で国家(の維持)のことを考えている・・・・のかもしれないけど、

恐らく、考えてるのは自分の権力の維持のことばかりで、

肝心の「国民」のことを考えてないから(だって国民は飢えてるのだ)、

あんなのを「政治家」って認めるべきではない、と俺は思う。


・・・・・・・・・・・ゾッとする。


ついでに言うけど、あとで出てきたアベ首相も全然、

「信用できる人」の顔(表情)では、なかった。

「会談の内容は言えません」とか言うなよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何でも隠すの、やめろよな。


我々には「知る権利」がある。


あいつ(アベ首相)、ホンマ、ムカつくわ。



早く失脚してくれ。


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具象と抽象、「騙し絵」、双子のパラドックス。

2018-06-13 21:58:21 | Weblog


世界は具象と抽象で出来ている。


目に見えて、手で触れられるものが 具象で、

それ以外 が抽象 だ。



歌を作る上においては

言葉は具象、

メロディや楽器の音は抽象。


(少なくとも私はそう思っている。)


抽象と具象を組み合わせて、混ぜこぜにして、こねくり回して、

「世界」を創作する。


「絵」で言えば

抽象画と風景画と人物画と群像画と「騙し絵」・・・・・そういうものがいっしょくたになったような

絵。


私はそんな「絵」を描きたいのかもしれない。



小説で言えばもしかして

「マジック・リアリティ」って呼ばれているものに近いかも。



・・・・・・・・・・・・・・ガルシア・マルケスとか。



それはそうと


「事実は小説より奇なり」ってよく言うけど、

まあ、それは否定しようがない。

でも「奇妙な現実」をそのまま小説に書いたって、

読む人にしたら「ただの小説」なんだから、それってパラドックスだよな。


パラドックス・・・・って昔から好きな言葉(概念)で、

今思いついたんだが「パラドックス」を「自家撞着」って訳したとしても一面、というか

あながち、間違いではない気がする。


・・・・・・・・・・・・・間違いかもしれない。



音楽って、パラドックス的要素を持つものが多く存在するように思う。




でも、SFによく出てくる「双子のパラドックス」、あれは 現実にありえない話じゃないんだぜ。


光速で飛べる宇宙船さえ発明されれば(←無理っぽい)。








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ロニー・ヴァン・ザントとニール・ヤングの話。

2018-06-10 18:23:49 | Weblog

昨日の朝の「ウィークエンドサンシャイン」では、「ロックの日」にちなんで(?)、

ドクター・フィールグッドがかかって、そのあとに

レイナード・スキナードの「スィート・ホーム・アラバマ」がかかった。

今日はいいのがかかる。

嬉しくて、嬉しナミダが出そうなのを我慢するのに大変だった。

いい曲。ランブルフィッシュの佐治はレーナードが大好きだった。


でもそういえばこの曲、歌詞中にニール・ヤングの名前が出てきて、

彼をディスってる。アメリカ南部人を批判したニール・ヤングの「サザン・マン」や「アラバマ」に対する

アンサーソングだ、っていう話が有名で(ラジオではその話は出なかった)、

そのことを佐治とよく話したことを覚えている。懐かしい・・・・・。


「ミスター・ニール・ヤング、覚えときな、南部人はアンタを一切、相手にしない」

({スィート・ホーム・アラバマ」の歌詞より)


確かに・・・・・身近に置き換えて考えたら、

一部地域が荒れてるからと言って例えば「関西人よ、あんたらダメダメじゃん」とかって

誰かに歌われたら、そりゃ腹も立つかな。

ニール・ヤングはカナダ人だし。他国のこと口出すなよ、って気も・・・するかな?


それで、実際どうだったんだろう?と思ってさっきググッてみたら、


大体はその通り・・・っていう話が多かったんだが、


ひとつ、知らない人のブログで、

「歌詞でディスってはいるが、レーナード・スキナードとニール・ヤングはお互い尊敬し合っていた」

という説があった。

レーナードのvo.ロニー・ヴァン・ザント(以下ロニーV.Z.と略す)はインタヴューで

「スィート・ホーム・アラバマ」の歌詞は誤解されている」と言っているし、

ニール・ヤングはレーナードのバンドTシャツを着て、ロニー.V.Zらの追悼ライヴに出演している。

決定的に「お?」と思ったのは、レーナードの

飛行機事故前の最後のアルバム「ストリート・サヴァイヴァー」のジャケットの写真で、

ロニー.V.Z.が着ているのは、よくよく見れば、ニール・ヤングのTシャツ!

上着の下に着ているのでちょっとわかりにくいのだが、拡大してみたら間違いない、

ニール・ヤングTシャツ。


・・・・・・・こーゆーのは、当時、近くに居ないと

本当はどうだったのか?ってことは、わからないよね。

ニール・ヤングは現在も元気なんだから、誰かインタヴューで聞いてみたらいいのに。


勝手な想像をさせてもらえれば・・・・


歌詞のことがあった後で、レーナード・スキナードとニール・ヤングは何処かで接触があって、

ロニー・ヴァン・ザントとニール・ヤングが罵りあいの喧嘩になって、

おたがい意見をぶちまけあって、最終的に・・・・

ニール「うん、まぁ、そりゃ南部人全部が悪いワケないよな、ゴメン」

ロニー.v.z「いや、こっちもカッとなってあんな歌詞発表しちまってゴメン」

となった・・・・・・のかも知れない。


そーゆーことって、世間には意外と、ありがちだし。


そういえばずっと以前のこのブログにもチラッと書いたけど

1989年か1990年ごろに、横浜の7th.アヴェニューで

対バンになったときランブルフィッシュと横浜ガンスリンガーズは危うく初対面で、

喧嘩になる寸前だったのだ。ヴォーカリスト同士が、だ。

後々に、すごく仲良くなったのにね。

あの時、ヤバイ!と思って、割って入って止めたのは俺だ。

ははは、誰も覚えてないから自慢しても虚しいけど。


それだって、あの時、あの場所に居なければ、

本当はどうだったのか?っていう真相は、わからないんだよな。




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六月はそんな月

2018-06-10 10:54:05 | Weblog

梅雨入りしたみたいだけど、元気ですか?

僕は元気です・・・・・・・・・・じゃなかった、

一昨日の朝、目覚めて

「あれ?」という感じ(初期の大友克洋の漫画の「あれ?」という感じ)で、

ばっちりと、風邪を引いていたのです。

特に何をしたわけでもないのに。ただ普通に寝てただけなのに。変なの。こんなの、初めてな気がする。

想像するに、風来坊のような風邪ヴィルスが偶然我が部屋の窓から侵入して、

私に取り付いたのでしょう。それ以外考えられない。

気付かないうちに少し弱ってたのかな俺?

しかし・・・・・・・・こんなこともあるのね。

とりあえず風邪を引くと僕の場合、耳鳴りがスゴイ音量になる。

あからさまに大きな音。

しかしこの音は僕以外、誰にも聞こえていないのだ、と思うと不思議。

そして発熱。「フィーヴァー」、と英訳すると景気良いが、

これは身体の発する警告なのだ。赤ランプが廻りこそしないものの、

警告!警告!のサインなのだ。


まあそれはいい。風邪引くとまた極端に面白い夢が見られたりするから。

・・・・・・今回も、いっぱい見た。

ランブルフィッシュが華やかに、再結成ライヴをやった夢も見た。

夢だから、ヴォーカルはもちろん、佐治朝吉。ベースは岩佐だった気がする。

いやあ、なかなか・・・・幸福感と達成感あふれる悪夢だったぜ。


さて六月は何時の頃からか、そんな月で・・・。

僕が心血注いでるロックバンド、ROCA'66の今月の出演先も、

大阪芸大によく出入りしていた頃の友達、アワタエイゾウの追悼ライヴなのです。

大体毎年、僕は出演させてもらっていて、

十何年前は、佐治朝吉と二人で出演したりもしてました。


だから何と言うか、

今月、6月24日の日曜日に

十三のクラブ・ウォーターで開催される

アワタエイゾウ追悼ライヴに出演する我々ROCA'66は、

アワちゃんだけでなく、

ライヴや、バンドや、オンガク・・・で知り合って、

我々より先に逝ってしまった全ての「友達」に向けての追悼の意を持って、

演奏させてもらおう、と思っています。


あの人や、あの人、そしてあの人、またあの人やあの人やあの人にも追悼の意を。


そして、

今も生きて頑張ってバンドやってる あの頃の仲間たちに、

今の俺の最強の仲間(バンドメンバー)を紹介出来る、という意義もある。

(まあ、メンバーはその時、その時で、常に「最強」と思っているのだがW、今回は特にね。)


出演バンドは


歯車ギアーズ

THE WORMS

ミライノス

らぶ・ひるたァ

(無礼人・奇島残月fromヰタ・セクスアリス)

1967

百鬼夜行

ROCA'66

ハッピーストーカーズ

バナナディーン

Sweet Joker Realtime Band



チャージは無料。夕方3時半スタート。

だから我々の出演は、何時になるのかな?日暮れ前だよね、どっちにしても。

ただ、出演バンドが多いので我々も、5曲ほどの短めのステージ。

まあしかし、5曲も出来れば全然ありがたいよ。

ギンギンの赤井のギター、ブンブンの伊藤のベース、バシバシのピシピシの飛澤のドラムス、

そして滅茶苦茶で調子っ外れな(←あかんやん)俺の歌とギター。

・・・・・滅茶苦茶な、ってのは嘘だってば。謙遜、謙遜(本当だったらどうしよう)。



どんな曲やろうかな・・・・と今からいろいろ考えてるので


ぜひ来て下さい。


他の出演バンドももちろん、見ごたえのある奴等ばっかり・・だし。



P.S.

風邪は、今日になって、やっと治ったよ。

耳鳴りも、いつもの「通奏音」程度の音量に戻った。

「回復」出来たからには、また精一杯生きねば。

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30年目の6月3日に。

2018-06-04 21:00:29 | Weblog

時々トラックで近くを通っては眺める霊園は、

いつの間にか私の中で、手の届かない場所のようになっていたので・・・・・・・・

(4トントラック停める場所なんかないからね)

電車の駅から徒歩で一年ぶりに、訪れてみたらそこはまるで

非現実の場のごとく感じられたのでした。

何もかもが非・リアル。

だけど「彼」の気配も、なかった。


向日葵は、花屋で買った。

私の蒔いた種はまだ、芽が出たばかり。

花が咲くのはまだまだ先だ。


それにしても昔なら

お墓に向日葵ってちょっと変・・・・って気もしたかもしれない。

でもお墓に向日葵、

供えてみたらぜんぜん悪くない。

いや、むしろ良い。

菊とかってちょっと湿っぽくて苦手なのよね。

昔だったらお墓には、菊が定番だった気がする。

昔は花なんか、これっぽっちも興味なかったし。


それはさておき。


昨日は

一人でお墓に参った後に、

友達の家にお邪魔して二人で思う存分、

今は亡き人の話しをした。

・・・・・・・・・・・・・・・思う存分。


この場合の「今は亡き人」は岩佐と、佐治のことだ、言うまでもないけど。


「彼ら」の話を聞いたり、「彼ら」が元気だった昔のことを思い出したりしていると、

「彼ら」の存在がものすごく身近な感じで甦ってきた。

それはとても嬉しいことだったし、

それこそが私の望んでいたことだった。


心がとても落ち着いた。

30年目のこの日に、どういう風に行動すれば自分自身が納得できるのか、

全然判らなかったのだけれど

結果的に、これでよかった、と思えた。





友達よ、どうもありがとう。心から感謝してます。


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6月3日の出来事

2018-06-03 01:06:41 | Weblog



6月3日なんだけど、感覚的には6月2日の夜なんだな・・・・・・・・・彼が死んだのは。

俺達が知ったのが、6月3日だったんだよ、多分。

30年も前のことだから、日付とか、細部は違ってる可能性は多いにあるけど。

6月3日の午前中、

俺は当時、大阪に住んでいて、バンドやりながら アメ村の、トムズハウスの中にある古着屋で働いていて、

そこに庄治が電話かけて来てくれた。

全然信じられなかったから、信じないままで、

きっと何かの間違いだ、でも、もしも、間違いでなかったら?そしたらそのときは、どうしたらいいんだろう?

・・・いや、きっと間違いだ・・・・。

その思考の延々、繰り返しだった。

多分仕事は早引けさせてもらって、夕方、佐治の部屋に行って、

佐治と一緒に、二人で、彼のクルマで、

奈良の岩佐の家を目指した。

クルマには、佐治も岩佐(俺も)も大好きな「THE CLASH」のミュージックテープがあって、

佐治がそれをカーステに入れた。

初夏の日差しのせいでそのテープは伸びきっていて、

グニャングニャンの、グロテスクなクラッシュ。

ほとんどオンガクですらないほどひどい音。

でもそのテープを取り替えることも思い付かなかった。

奈良に着くまでの一時間半、オートリヴァースで、ずっとそれを聴いていた。

我々は一言も喋らなかった。

グロテスクな現実にその音は 余りにも馴染んでいた。

微かに頭痛がし始めた。その頭痛はその後、何年も去らなかった・・・冗談抜きで。


そしてその夜遅く彼の家で、彼に対面した。

彼は人気者だったから、大勢の人が家に押しかけてきていた。大群衆・・・・みたいな感じ。


彼の・・・・前歯が折れていたのを強烈に覚えている。

綺麗な、立派な歯だったのに。

「目を覚ましなさいよ」と彼の母親が叫んでいた。

そのあとのことは全然、何も覚えていない。

どうやって大阪の自分の部屋に帰ったのかも、覚えていない。

それが1988年の、6月3日の夜。



そして今は、

2018年、6月2日・・・・からもう、3日に 日付は、変わった。



ジャスト30年。


歳月に、何か意味がある・・・・のだろうか。




写真は


佐治が、この日は毎年、彼の分と自分の分のバーボンを


グラスに注いでいた、と


彼の奥さんがツイッターに書いていたから


真似してみた。



バーボン飲むのは久しぶりだ。





明日はお墓に行く。


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