年末と年始にロックンロール集会を。

2018-11-29 21:24:31 | Weblog


11月の終り、というのは実は毎年、切ない思いをするものだ・・と

相場が決まっているのです個人的に。

11月と12月ではもう、何もかもが変わってしまうから。

晩秋も終わるし、11月の清涼な、それでいて重たい空気も

12月に入ると一掃されてしまって、「何か」が始まるのだ、

それは「年末年始」という名の騒がしいジェットコースターである、と言ってもいい。

そのコースターに乗ってしまったが最後、

2018年など既に「終わったも同然」なのだ。

だから「今年」などせいぜい、あと2日くらいしか残ってないんだぜ。

「切ない」でしょう?そういうのって。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でもいい。

私はその、「年末年始ジェットコースター」の中に、

2つほど「ライヴ」という爆薬を仕掛けることに成功したのだ今年は。

もちろん、我々のバンド「ROCA'66」のライヴだ。

ここ十年くらいの年末年始には、自分たちのバンドは沈黙していた。

でも今年と来年アタマは違う。

こうなったらもう、無理矢理にでもいいから楽しもうではないか。

「年末/年始・ロックンロール集会」というような概念をブチ上げれば

そんなジェットコースターの中で絶叫しながら宴会をしているような気に

なれるかも知れない。

だから来て下さい、派手な格好したりして。いやもちろん普段着でも。子連れでも。

「年末ロックンロール集会」は12月29日

京都は京阪電車の「深草」、地下鉄なら「くいな橋」で下車、

国道24号線沿いの地下にあるライヴハウス「アニーズ・カフェ」。

出演は我々と、モンスター・ロシモフ というバンド。

夕方から飲み始めよう!

オトナの事情でROCA’66の出番は先なので、

我々のライヴのスタートは6時半くらいからを予定している。

2バンドだけの出演なので、いつもより長めに演れるハズ。

それで、終わったらモンスターロシモフを見ながら、飲もうではないか。

いいアイディアだ。

そうして、それが終わって何日か経てば自動的に年が明ける。

明けたら、新年の1月5日は今度は大阪・難波の

「メレ」で「新年ロックンロール集会」だ。

大阪の・JR難波駅からすぐ近くの、こちらも地下のライヴハウス。

対バン、出演時間なぞは決まったらすぐにこのブログにアップする。

どうだ?俺にしちゃなかなかいいアイディアだろ?この

「年末年始ロックンロール集会」。

だから2018年の12月29日と

2019年の1月5日は

我々のために空けておいてくらっさい!

ドゾ、ヨロシックお願いシマッス!



写真は、前回のPARA-DICEで配ったチラシ。

時間がなくて ものすごーく急いでいたから、ものの3分くらいで作成したのだが悪くない。

持っている手はベース・伊藤の手である。

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エピローグの訪れを待ちながら。

2018-11-28 22:14:22 | Weblog


日々は着実にその姿を古びさせつつあった。






私は自分自身も


若くして何らかの形でこの世から消えてしまうものだと永いこと思っていたのだ。


けれど、


気付けば鏡を覗き込む男の姿はすでに老青年である。・・・・永く待ちすぎたのだ。



ふむ。




私は子供の頃のことをほとんど覚えていないのだが



自分が子供であることにものすごく嫌悪感を抱いていたことだけは微かに覚えている。


周りの子供達のことも嫌いだった。子供っぽくて。


 自分だって幼稚の極みであったのだけれど、そのことには気付かなかった。




それでも いつしか、未熟な自分なりに「世界」に居場所を見つけるべく


悪足掻きを始めて、


そんな風にして私は多くの友達と出会い、別れた。




ずいぶんと色々な出来事があり、


いつか彼らと昔話でも出来たらいいのに、とか思うのだが



そんな友達の多くが既にこの惑星の大気圏内から去ってしまっていて、


残った者達は私を含めて


昔のことなど何一つ覚えてなどいない。




でも、それでいいのだ、と思うこともある。


だって私は私で今は、また新たな形での「渦中」にいるのだ。



「現在」のことは一瞬後には「過去」になって、消えてゆく。



だから、



先を続けられるうちは、先を続けようと思う。











いつかは私の許にも、「印象的なエピローグ」みたいなものが訪れるであろう、と信じて。



去年ではなく、来年を待ちながら。



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オトナ

2018-11-25 15:48:06 | Weblog

僕がコドモだった頃のオトナは

休日にはパチンコに行き競馬に行き、

徹夜マージャンなどにも時には興じ、

煙草は必須で、食事の時には必ずビールを飲み、

演歌や時代劇(またはメロドラマ)を愛し、

テレビで野球中継を見ていた。


ある時オトナの中の一人が

「君らもオトナになったらこうなる」と言ったが、

僕は 絶対ならない、と思った。


そして結局、ならなかった。煙草は・・・吸ってた時期が長かったけど。


考えてみたら

今やってることはほとんど、19の頃と変わっていない。

いや、もっと言えば本質的には14の頃から変わっていない・・・・

かも知れない。

漫画を読まなくなった ってくらいか。


しかし、

風邪を引いても仕事を休まなくなったし、

校舎の窓ガラスを割って回らなくなったし(←コレは嘘、もともとそんなのやってない)、

選挙には行くし、

サリンジャーの新訳が出たら買って読むし、

国会中継をラジオで聞くようにしてるし、ニュースも逃さず聞くし、

オイル交換とかちゃんとするし、

市民税とかちゃんと払ってるし、



ちゃんとしてなくもないのだ。


オトナに、なれたのだ、と思っている。

そしてバンドも続けている。







晩秋もそろそろ終わりかけ・・・・かもしれない11月、

昨日が十六夜で一昨日が満月だったみたい。

冷たい空気の中で月は、凛と輝いていた。


前回の日記でMA-1に触れたが、ここ数年、

冬になると僕はバイクでの通勤時にB-3を着る。

このB-3はホンモノではないが、UKの本革もので(でも安かった)、

暖かさで言えばこれ以上のものはない。

何しろ、冬の早朝のバイクは寒いのだ。寒中水泳してるみたい・・・と言っても過言ではない。

(ちょっと過言か。)

そろそろB-3を押入れの奥から引っ張り出すか・・・いや、まだ早いか。


そうそう、今日は「例の花壇」を整えて耕して、チューリップの球根を地中に埋めたんだぜ。

春には花が、咲くか知らん。




年末近くまで、ライヴはない。

だが12月29日の

京都・深草・「アニーズ・カフェ」でのROCA'66の今年最後のライヴは

余裕を持って、楽しく演れると思う。



まだ気が早いけど、予定空けといてください。



その次の(来年最初、ってことになるのかな)

2019年1月5日(土曜日)の

難波 メレ でのライヴもね。







オトナの皆さんのご来場お待ちしてマッス!

(あ、「子連れ」も、勿論、大・大・歓迎デッス!)









追記・そういえば今日は三島の命日・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

MA-1とかB-3とか言ってたら、三島が泣く(怒る)なぁ。

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風邪についての考察。

2018-11-23 17:47:30 | Weblog

いかんいかん、

予想通りというか想像通りというか予言通りというか、

私は また風邪を引いている。

私にしては珍しい、喉風邪で、咳が出ること甚だしい。

咳というのはしかし、誰かがしているのを聞くのも辛そうだし、

自分がするのも辛い。

咳というもののメカニズムは一体、どんな風になっているのであろう?

いや、それ以前に「風邪」とは?

とついつい考えてしまうのであった。

モノの資料によると、風邪は「飛沫感染」するものなのだそうだ。

そうすると、街中や電車の中や店頭で我々は知らず知らずのうちに

他人の体液を体に浴びているのである。細かい、目に見えないシャワーのように。

潔癖症のヒトでも結局は他人の飛沫からは逃れられないのであって、

ヒト同士って、繋がっているのだなぁ・・・などと

変なところで変な感心をしたりする。

しかし可愛い女の子の飛沫ならそう悪くもないが、

脂ぎった押しの強そうな親父の飛沫など御免こうむりたい・・・・・

などというのはもうそれが親父の発想なのであろうか。ミイラ取りがミイラ。

若い男の飛沫も嫌だけれども。

それにしても、ヴィルスの不思議さよ。

喉風邪のヴィルスは、喉がお好みなのであろうね?

どんな風に、巨大生物である我々の身体をコントロールするのであろう彼らは?

我々の体内にはやはり、

「鼻水ボタン」とか、「下痢レバー」とか、

「方向感覚ハンドル」とか「微熱スイッチ」とかがあるのだろうか。

そうとしか思えない。

我々の体内で繁殖・増殖するヴィルス。

彼ら(ヴィルス)はそれで、それをすることによって何か「いいこと」が

あるのだろうか?単に「楽しい」のか?

「産めよ、増やせよ、野に放たれよ」みたいなことを

教祖みたいなヴィルスが言ったのだろうか?

それで、何日か経ったら風邪は収まるけど、その時彼らは

「絶滅」したのだろうか?それとも「満足」した?

それとも、もしかして・・・アタシに「飽きた」?

「飽きる」くらいなら初めからちょっかい出さなきゃいいじゃんかよ。

見た目?見た目だけが気に入ってたの?アタシの?

そんなの嘘だよ。そんなんだったらアタシもこんなに苦労したりしないよ。

せっかくの美しい11月が「だいなし」じゃんかよ。だいなしージュニア。

何処にも出かけられないし、ライヴも観に行けない。

ただただ、疲れた身体に風邪ヴィルスを繁殖させるだけ繁殖させて、

昼の野原や夜の歓楽街を遠く憧れつつ、

変にリアルな夢の20本立てや、その夢の続編の続編などを見ながら

うつらうつらと眠りながら暮らす、

そんな2018年11月後半の片山道子なのであった。



草々。
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徹底的に何者でもない

2018-11-20 21:28:55 | Weblog

急に気温が下がった2018年11月20日午後

俺は道路わきに停めたトラックの窓を全開にして、

作業着の上からMA-1を羽織ったままでシートを倒して少し眠った。

全然寒くなかった。

俺はあの夏の、暑すぎた日々を忘れられずにいて、

だから

こんな冷たい風なんて嘘だろう?としか、思えないのだ。

そのうちまた、風邪を引くだろう(あかんやん)。


MA-1は俺達が二十歳だった年に大流行して、

俺その頃はアメ村の店員だったので、実際に本物を、何着も何着も、売った。

自分では本物は買えなかった。全然オカネが無かったからだ。

去年(2017年)、今住んでいるところ(京都だ)の近所の古着屋で

本物を売っているのを見て、突然欲しくなって、買った。

今ではそれも、昔みたいに高価ではない。

あれから三十年も経つというのに情けないことに、

俺自身の金銭感覚は、あの頃とほとんど変わっていない。


俺自身の特性も、まるで変わった気がしない。


相変わらず、徹底的に何者でもないし、

得たものは、あらかた失った。

何一つ学んでない気がするし、

相も変わらず

引っ込み思案で

ネガティヴ思考で

不器用で

世の中に対して不慣れで


すぐに風邪を引いてしまうところも、まるで変わっていない。



だけれども気付けば


いろんな、いろんな雑多な物事や、物語が既に「終わって」しまっていて、

・・・・・・・・・・その事実は俺を

心からホッとさせるのだ。




もちろん、

まだ全部終わった・・・・・ってワケでは

ないのだけれど。

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謝辞・PARA-DICEライヴ。

2018-11-18 18:02:36 | Weblog


昨夜来てくれた皆さん、本当にありがっとございまっす!

心から感謝してます。

ベース伊藤の肋骨折れ事件で、

ハラハラしてしまったのだけれど彼は元気で、

良かった!いつもどおりの暴れベース!

存分にロック出来た・・・・と我々は思っておりマス。


それにしても扇町「PARA-DICE」は やはり、すごいハコだった。

対バンがなかなかクセモノ揃い。

ああいう魑魅魍魎が跋扈するような所に出演することって、

やっぱりすごく、いい経験になる。


この調子で、年末年始のライヴ何本かを駆け抜けていこうと思ってるので、

来れるヒトはぜひ来てね。


あわただしい12月の繁忙期を乗り越えて

次は12月29日!

京都の、京阪電車だと「深草」、地下鉄だと「くいな橋」

にあるライヴハウス「アニーズ・カフェ」に出演。

その次は新年1月5日、

難波「メレ」。








写真は昨夜のPARA-DICE。カメラマン・大瀧君撮影。ありがっとデス!!!
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「バンド」が素敵。

2018-11-12 21:44:45 | Weblog

今更ながら言うが、

やっぱ俺、「バンド」が好きだな。

アコギで一人で弾き語り・・・・するヒトとかも魅力的ではあるが、

「バンド」が、やっぱ素敵。


運命共同体・・・的な感じ。


友人関係というのは「利害関係」がないほうがいいのだ、と俺は常々思ってるのだけれど、

バンドメンバーに関しては、別。


お互いが「ちゃんと」演奏出来なければバンドは成り立たない。

誰かが下手こいたら、全員がへたくそに見えてしまう。

これは立派な「利害関係」だ。



昨日見たブージー・クラクションのインタヴューでもちらっと言っていたのだが、


リズム隊、つまりドラムスとベースのメンバーがなかなか定着しない時期があって・・・・

というような話も、時々ある。


思うのだが、ドラムも、ベースも、バンドにとってはものすごーく大事なパートだ。


ドラムは、生音の音量がでかいし、ロックンロールにとっての「肝」であるリズムを

担っているので、

ロックバンドの音はドラムスにほぼ支配されていると言っても過言ではない。


そして、ベース。

バンドの曲のアレンジは結局、ベースによって決まる、というようなことを言ったのは

「ゆらゆら帝国」解散後の坂本慎太郎だ。

ソロアルバム製作時に、自分でベースを弾いてみてその事実に気付いたらしい。

さもありなん。

ベースという楽器はまた一種、特別で、

リズムをグルーヴさせるために存在する、と言っても言い過ぎではない。


最近、時々、ヴォーカルとギターの二人だけで「バンド」を名乗ってるようなヒトを見かける。

実際に出してる音はベースもドラムスも入った「バンドサウンド」だ。

グリム・スパンキーとか、俺の嫌いなビーズとか。他にも、いろいろある。

ベース、ドラムスは、その時々でスタジオ・ミュージシャンとかを起用するのであろう。

・・・・・・・・・・・・でも、何かそういうのって失礼だよね。

それって、ベースとドラムスの重要性を軽視してるような気がするのは俺だけだろうか。


確かに、リズム隊ってステージでは後ろの方にいる(ことも多い)から、キャラ立ちしにくいのだが。

しかし、「バンド」というものは有機的なもので、

ちょっと目立ちにくいからって、軽視していい、というものではないのだ。


でもそうだな、アレだな、

俺の今までの経験から言うとドラムス担当のヒトって

気難しいヒトが多いし、ベーシストは変わり者が多かったな、ははは。


でもそんなこと言い出せば

ギタリストはテキトーで無責任な奴が多いし、

ヴォーカリストに至っては・・気まぐれな、「唯我独尊」てなヒトの、どれだけ多いことか。


うーん、しかし今の話・・・我々「ROCA'66」には当てはまらない気がするなぁ。


どうなんだろう?


まあ、そんなのどーでもいいからさ、

今週土曜日はオオサカ・天満・「PARA-DICE」に出演するから、来てくれよ。


出番は、6バンド中4番手、

オンタイムで、我々の出番は20時頃から。
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ブージー・クラクションについて。

2018-11-11 13:46:11 | Weblog

ブージー・クラクションの「ふぁいとSONG」という曲が

インターFmの「レディ・ステディ・ジョージ」というラジオ番組でかかって、

すごくよかったのでYOUTUBEでブージー・クラクションを探して、

PVを、過去に遡って観まくってしまった昨夜。


(日本のバンドでそんなことって、滅多にないのですよ、俺。)


ブージー・クラクションは現在、

俺の友達の、増子くんが主催する「ノーザン・ブロッサム」というレーベルに所属しているのだが、

それとは関係なく俺はブージーの存在を知ったのだ。


(俺は彼らの「知り合い」ではない、念のため。)


20年前、バンドやりながら軽トラックで配達の仕事をしてるとき

ラジオ・・(確かFM802のヘヴィ・ローテーションだったと思うのだけれど)で

彼らの曲がかかって、ノイジーなギターと印象的な女声と楽曲がとても心に残って、

バンド名を覚えていた。レディオ・ヘッドみたい・・・・と思った。

その翌年に、俺がギタリストで在籍していた「ばるぼら」が

音楽雑誌「ロッキングオン・ジャパン」のインタヴューを受けて、

それが載った本に、ブージーの記事もあり、

ヴォーカルの女の子がライダーズの革ジャンを着て公園のブランコに座っている写真が載っていた。

それが余りにも静謐で美しかったし、バンドの音も良いのを知っていたので

俺はそのページを切り取って、

家の壁に貼った。・・・・・あれから20年も経つのに、しかも引越しまでしたのに、

その写真はいまでも壁に貼ってあるのです。



何年か前の怒髪天の磔磔でのライヴ「響都の宴」を見に行ったときに

ブージー・クラクションも出演していて、俺はとてもとても嬉しかった。

初期とはイメージの違う感じだったが、真っ直ぐで、とても良いライヴだった。

ブージーが、増子くんが設立したレーベルに移籍した、という話をその時(増子くんから)聞いて、

随分驚いたものだった(嬉しい驚き)。



現在のブージーは、初期の、ノイジーな危うい感じではない。

現在の彼らの歌は「まっとうに」前向きで、ポジティヴだ。

その、まっすぐな感じが、とてもいい。

「パンク」のまっとうな進化、という感じがする。

ヴォーカルの女の子は、化粧っ気のまったくない、たぶん「すっぴん」だ。

それでいて、透き通るように綺麗。

でもショービジネスの世界で、バンドのシンガーで、「化粧なし」で通す、というのは

ある種の信念がないと、出来ないことだろう。「パンク」だ、と思う。

しかも彼女はフェンダーのムスタングを使っている。

すごく似合っている。ギタリストはグレッチだ。


ブージー・クラクションというバンド名も、初めてラジオで耳にした時から

すごくいいな、と思っていた。

ブージーって、「ブー」とかいうクラクションの擬音かな?と勝手に思っていたのだが

今回インタヴューをちらっと読んで

BLUEとEASYを合わせた造語だ、と知って驚いた。深みがあるなあ。

造語をバンド名にする、というのはものすごく賢いやりかただ。

何故なら「同じ名前のバンドが出現する」というイヤーな事が起こらないから。

しかし、造語は難しい。

それがサラッと出来てしまうのはやはり、ある種の「才能」であろう。


「ふぁいとSONG」は多分、彼らの新曲で、

すこん、と抜けたようなシンプルなメッセージソングだった。

「ちゃんと歳を取る」ことが大事、というようなことを言っている。

大人になったパンク、だ。

心に響くし、大ヒットすればいいな、と切に願う。


俺も頑張ろう、と素直に思う。

来週末(11月17日)は、俺達もライヴだ。

大阪・天満の「PARA-DICE」で通常ブッキングでの出演だ。


俺達も未だ、「渦中」に、いる。
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「今、この瞬間」の貴重さ・・・を。

2018-11-07 22:21:58 | Weblog

ジョン・スペンサーがソロ・アルバムを出したみたいで、

それのPVがYOUTUBEに上がっていたのを見た。

ブルーズ・エクスプロージョン名義でないのが・・ちと気にかかるが、

曲はいつものジョンスペで、

ジャンクと言うかトラッシュ・ブルーズと言うか、

軽快にスカスカでユーモアたっぷりなロックで、やはり最高である。

3種類あったPVの中の一編はジョンスペ本人がコックの格好をしたりして

ちゃんとビザール・ギターを手に、歌い、踊るのだが

さすがのジョンスペも、少し老けてきたように見えて(「おじさん」っぽい)感慨深い。

・・・・・・・・・人間、誰でも老けるのだ。

ちょっと前に見た、サーストン・ムーアの現在のバンド(これがまた、ソニック・ユースではないのだ)

のライヴ動画では、サーストンもだいぶ、老けていた。

ちょっと「おじいさん」っぽい感じ。かっこいいけど。

マイブラのケヴィン・シールズもだいぶ、老けた(ビリンダは老けないが)。


90年代に全盛を極めた・・・とも言える彼らは、考えたら俺なんかと(大雑把に言えば)同世代だ。

あんなに童顔だったベックも、最近はオトナの顔をしているし、

何というか、

時代の移り変わりを感じてしまう。

(ああ、カート・コバーンやシド・ヴィシャスは、永遠に老けないのだ!)


そうだ、

自分ではあまり、感じていないのだけれどきっと、

俺も歳相応に老けたのだろう。

嫌だけど、

色んな物事を、受け入れていかないといけないのだろうな・・・と思う。


そのうち、そう遠くない将来、

様々な理由で、「ライヴがやれなくなる日」も、来るのだろうと思う。


それは自然なことだし、そうなることも怖くはない。

でもやっぱ「今、やれてる」ことの貴重さ、有り難さを、

ひしひしと感じてしまう片山道子、2018年11月。


最近俺はまた、気を抜くと簡単に風邪引くようになっちまいました。


次のライヴは11月17日、

大阪・天満・「PARA-DICE」。



「今・この瞬間」の、貴重さを ひしひしと噛み締めつつ。







P・S

しかしビザール・ギターを有り難たがるのって、たいがい「おじさん」だよな。

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ライヴの「ブッキング」にまつわるエトセトラ。

2018-11-04 17:59:08 | Weblog

我々のようなインディーズの(「インド人の」という意味ではない)バンドにとって、

ライヴの「ブッキング」というのはなかなかに難しく、

悩ましいものなのだ。


以前在籍していたバンドでは「ジャーマネー」的な頼もしい存在に

ブッキングをまるごとお願いして(今更ながら、あのときはありがとう御座いました)、

だから多少ハードなツアーの日程とかでも勿論、一言も文句も言わず受け入れて、

仕事との兼ね合い的にそのスケジュールが難しいときは、ほとんど迷わず仕事を辞めていたものだった。

(外国まで行ってライヴやったり・・してたからね!)

そのために、幾つも仕事は転々とした。

(それは勿論、「好き」でやってたことだから後悔もないし、不満もない。)


今の「ROCA'66」のブッキングは、自分でやっている。

自分でやるから、自分の望むペースでやれるからイイといえばイイのだけれど、

もうあまり仕事を転々とする気はないし、

メンバーの仕事の日程も、個々のプライヴェートも、

「別バンド」で活動してたりすることも、もちろん尊重するので

なかなか、すんなりとはいかなかったりする。


そしてそう、時にはメンバーの健康問題が突如、勃発したりする。

(今回はベース・伊藤の入院、という事態が発生した。でも大丈夫!彼は、次のライヴまでに復活予定。)



しかも俺は、実はすごく「受身的な」ブッキングの仕方をしているのデスよ。


「受身的」というのはつまり、(基本的には)

「出演依頼」を頂いて出演する、という形。


何軒かの、大好きなライヴハウス、もしくは「イヴェンター」的に動いてるひとが我々に、

不定期に、突発的に、「×月×日にライヴ、やりません?」と声をかけてくれるのだ。


「チケット・ノルマ」なしでね。


これは本当にありがたいことで、

何故かと言うと、「求められてる」・・・というのは考えすぎ、だとしても

少なくとも我々の存在を認めて頂いてる、という証しに思えるだからだ。


時には自分達から「仕掛けて」行くことも大事・・・・では、ある。

たとえば、親密な、気に入っているバンドを集めて「ライヴ・イヴェント」を立ち上げる、とか

(そういうのは、タマに、やる。)


「ワンマンライヴ」をやる!と目標を立てて、宣伝と集客に務める・・・とか。


でも何か・・・「誰か」から、「ライヴやりませんか?」って誘ってもらえる瞬間って、

すっごく嬉しいんだよね俺。


だから誘ってもらえたときに、スケジュール過密のせいで「丁重にお断りする」ような羽目にならないように、

あまり自分からガツガツとライヴの話を取って来たりとかしないようにしてるのです。


まあ、大体が「年に100本(もしくは200本)」とかの過酷なライヴ・サーキットなんて(今は)ハナから

やろう・・・とすら思わないし(あ、もちろんやってるヒトを否定はしない・・・羨ましくもないが)、


自分達のペースで、自分達のスタイルで、自分達の「新曲作成速度」で、

そういう風に「好きに」やりたいし、

「好きに」出来るのが我々のようなインディーズ(自主独立)・バンドのイイところ・・・・だと思う。


どうも、この年末年始近辺に、うまいことブッキングできなくて悶々としてたのだが、

ツルツルッと上手いこと「出演依頼」を頂けたので、俺は今、すごく気分がいい。



もうちょっと後に、まとめてアップするのだけれど

関西圏で年末年始、いくつか、いい感じのライヴが決めれました。


日程的にちょっと(いつもより)過密になったとしても、

面白い、飽きさせないライヴをやるつもり満々・・・なのでぜひぜひ、来て欲しいデス。

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