2月2日土曜日、京都・烏丸御池「夜想」にROCA’66登場。

2019-01-31 20:18:50 | Weblog


何と言うか、最近、いろいろと面白い、いいことが続いて目まぐるしくて、

自分達の、直近のライヴのこと、書くのが遅くなってしまった。

面白い、いいこと・・・ってのは、

河村の新婚ライヴツアーだったり、

怒髪天とのライヴの告知解禁だったりとかさ。

ふふふのふ。


さてさて、もう、あさってだ!

京都の、最高のハコ「夜想」。

ちょっと久し振りにROCA’66、出演しマッス。

この「夜想」は、雰囲気も最高だし、出音もマジで最高。

とてもとても気に入っているハコです。


2019年2月2日  「夜想」


出演:The Lula / ROCA’66 / EL GASGAS / らんらんハッピー

OPEN 18:30 / START 19:00

\1800 (+1drink \500)



今現在の、とてもいい感じの我々ROCA’66をぜひぜひ、目撃してください。

言うまでもないことなのだが、バンドって生き物で、

刻々と変化を遂げている。

「今」の音は今しか出せないし、

それ以前に我々だっていつまで「生きて」いられるかわからないのだトゥモローネバーノウズ。

でも決まってるライヴの日までは、這ってでも生き続けるけどさ。

でも、青天の霹靂・・・ってこともあるし、

先のことなど一切わからないのだ。一秒先だってわからない。

そうそう、最近さ、もう、ズシーン、と実感したんだけど、

「過去」も「未来」も、ないよね。

「過去」は、ただの記憶だ。

「未来」は、想像でしかない。どっちにしろ妄想じゃねえかそんなもん。

本当に「在る」のは、今現在の、この一瞬だけだ。

いや、それすら・・・・認識しようとした瞬間に「過去」になっていく。

かえすがえすも「生きること」は、かくも不可思議だ。


そんな不可思議な世界で我々はどんな風に生き延びよう?

さしあたっては、何をしよう?


その答えは単純だが奥深い。

「ライヴ」だ。

ライヴのために生きたっていいのだ。

言葉だけ見ると「堂々巡り」してるみたいだけど、さにあらず。


我々は前進している。

もちろんアナタだって君だって、日々進化している。俺はそれを知っている。


何を言ってたんだっけ?

そうだ、ライヴだ。

話があっち行ったりこっち行ったりしているが、一貫性は、なくもない。


とにかくあさって、

京都・御池のライヴハウス「夜想」で会おう。



ROCA’66のTシャツも持っていくからさ。




写真は先月、1月5日のROCA’66.

撮影はカメラマン、大瀧くん。
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怒髪天、そして ランブルフィッシュのこと。

2019-01-29 21:18:35 | Weblog

7月10日のFANDANGO、

怒髪天が我々、ROCA’66を呼んでくれたのだけれど、

はあ?誰それ?とか思ってるヒトもいるのではないだろうか、と思ったのだ。


全然、知らない人がこのブログ読んでくれてるみたいだし。


だから経緯をちょっと、書いてみる。


俺(片山道郎)は ランブルフィッシュという大阪のバンドのギタリストだったのです。


ランブルフィッシュは、1990年に、キャプテン・レコードから出た「ジャンキー ジャングル」という

オム二バスのCDで怒髪天と一緒になって、


ランブルフィッシュと怒髪天とルーシーグーシーというバンドと3組で

CDの発売記念でライヴハウスを何箇所か回ったのだ。


怒髪天とランブルは、主要メンバーが同い年、もしくは同学年だったこともあり、

初対面の時からすぐに、友達になれた・・・・ような気がしている。


ランブルフィッシュはヴォーカルの佐治朝吉というひとが特に・・・静かだが癖のある強烈なキャラで、

バンドの中でもヴォーカル同士、つまり

増子兄ィと佐治が特に仲良くなってた気がする。


大阪に怒髪天を、「一緒にライヴやろーぜ」、って呼んで、そのあと何日もグダグダ飲んでたり、

逆にランブルフィッシュが怒髪天に呼んでもらって東京でライヴやって、

増子兄ィのとこにメンバー全員(!)泊めてもらったりしていた。


当時の怒髪天は、バンド自体は今現在と変わらない完成度だったが、

まだインディーだったし(そうだったよね?)、お客さんもそんなに多くはなかった。

って言うか・・・少なかったよな(笑)。


その後のことは・・・・箇条書きで。


ランブルフィッシュは解散した。


怒髪天は活動休止した。


怒髪天は復活した。そしてメジャーにも復帰して、大ブレイクを果たした。


佐治朝吉は・・・2007年に、癌で闘病の末、亡くなった。









俺(片山道郎)はランブル解散後、ボケロウ、キヨシ、MAUと4人で

「ばるぼら」というバンドを組んだ。


6年間の活動後「ばるぼら」の活動を終えて、その後、

自分で自分の楽曲を歌うべく、ギタリストからヴォーカル/ギターに転向し、

ROCA’66を結成した。


そして現在に至る。








ランブルフィッシュの全盛期って、もう30年近く前のことになってしまうのだ。

時間が経つのは早い。




佐治朝吉という人は、ホントに

才能があって、優しくて、でも突っ張っててコワモテで、と、言いながらユーモアもあって、

・・・・・・・・・・・・・美しい人だったのです。



YOUTUBEに、ほんのいくつかだけ

ランブルフィッシュの動画が、アップされてる。


そのうちのひとつを、貼り付けてみよう。見れるかな?



ランブルフィッシュ「WHISKEY BOOGIE」


「ウィスキー・ブギ」。

作詞は、佐治朝吉、作曲は、佐治朝吉・片山道郎。

演奏はもちろん、「ランブルフィッシュ」。






冒頭の写真は、CD「ジャンキー ジャングル」のブックレット。





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7月のFANDANGOの件。

2019-01-27 14:59:59 | Weblog

ROCA’66、次回のライヴは2月2日 土曜日 京都・御池「夜想」

で、


その次は


3月2日 土曜日  大阪・天満 PARA-DICE


なのだけれど、


だいぶ先の話をするね。


今年、2019年7月いっぱいで移転してしまう十三FANDANGOで


あの場所では最後になるライヴが決定していて、


それは7月10日 水曜日。


出演は、怒髪天、ニートビーツ、ほろほろ鳥、そして我々ROCA’66。



昨日が情報解禁日だった。


増子兄ィ、呼んでくれてありがとう。心から感謝します。


もし、この話がなかったらもう俺達がFANDANGOに出る機会は、なかったかもしれない。


昨日も今日も、「音楽で頑張ってる友達」がらみの話。俺はすごくすごく嬉しい。




それで・・・・・チケット。


怒髪天の出演するライヴのチケットはけっこう早くに売り切れてしまう。


我々とは桁違いの人気バンド。


だから


「あのファンダンゴ」でのラスト・ライヴになるのに、


もしかしたらチケット取れないヒトもいるかもしれない。


そう思うと胸が痛むのです。


だから、せめて、先行予約の情報をここにアップします。




2019年7月10日(水)

十三FANDANGO


開場18:00  開演18:30


前売4500円(+D500円)



チケット先行発売

怒髪天FC受付: 2/1(金)19:00〜 2/11(月・祝)23:59 エントリー受付 【e+受付】

怒髪天HP先行: 2/15(金)19:00〜2/24(日)23:59 エントリー受付 【LINE TICKET受付】

一般最速先行:3/1(金)〜3/10(日) エントリー受付 【LINE TICKET受付】

一般先行予約:3/14(木)〜受付開始チケット先行発売




普通の、「チケトット発売日」は、4月27日。

夢番地大阪 06-6341-3525(平日11:00~19:00)





だから・・・・上の表見ると、・・・三行目の、「一般最速先行」、ってやつがいいのかな?


二行目の、「怒髪天HP先行」か?


・・・LINE TICKET受付って何?イープラスはわかるんだが。


あの、スマホアプリのLINEなのか?


えーっと、良くわからないことが多いこの世の中デスが、


何とか!頑張ってチケット取ってください!


俺達も頑張るから。


とりあえずは次回のライヴ、2月2日の「夜想」で会おうぜ!





写真は、2019年1月5日、難波メレでのROCA’66。大瀧くん撮影。
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「河村・ベチコの祝・新婚旅行ツアー」大阪・関目「我等の家」篇

2019-01-27 11:08:42 | Weblog

すばらしくハッピーで愉快で、音楽的に豊穣なライヴだった。

一秒も飽きさせない面白さ。

昨日から俺 「ペチコ」と書いているが、

「ベチコ」であるみたいだ。お恥ずかしい。ぺとべ、って、パソコンモニター上はとても似ているのだ。

磯部、の「べ」かな?

そのベチコ嬢の超絶的可愛さとヴァイオリンの超絶テクニック!

あんなにすごいヴァイオリンを聴いたのは・・・いつかのHONZI以来だ。

参った。すご過ぎ。

キャラはちょっと「不思議ちゃん」入ってて、可愛いことこの上ない。

あ、「不思議ちゃん」扱いされたら嫌なのかな本人は?でもそういうの、全然悪くないと思うけどね~。

嫌だったらごめんごめん。

アイリッシュの楽曲が、一番初めに河村とセッションするきっかけだった、というのを

MCで言っていて、ああ、なるほどな・・・と思った。

河村のソロアルバム「よろこびの歌」の中でアイリッシュ的なヴァイオリンがものすごく良くて、

とてもとても印象に残っていたから。

しかしその、ベチコ嬢が演奏したアイリッシュの曲、難しそう!マジで超絶技巧。

ジプシー・ジャズ、プラス、クラッシック・・・みたいな。

ああゆうののバッキングでギターなんて、河村だからこそ出来る芸当だよな。バッキングギターも超絶。

ベチコ嬢自作の歌も可愛かった。

そして、後半はベチコちゃんがバッキングに回って、河村の歌。

包み込むような優しい歌。真っ直ぐに心に届く感じ。

「いい歌」歌うようになったなぁ・・・・・としみじみ思った。

「よろこびの歌」の中からの楽曲と、「新曲」も、とても良かった。

アンコールでは「満月の夕」をやってくれた。やはりあれは、特別な歌だよね。

あれを、河村が歌っているのは、なかなか感慨深い。


ギターはフルアコのエレキと、アコギを曲によって持ち替える。

アコギにはマグネティック・ピックアップが取り付けられている。

ピエゾ・ピックアップのいわゆる「エレアコ」ではないのだ。

(この辺は個人的に俺が参考にしたい点なのです。河村は楽器・機材に関しても物凄い達人だから。)

エレキも、アコギも、どちらも「いい音」がちゃんと鳴っていた。さすがだ。


昨夜も演っていた、「よろこびの歌」の中にも入っている「ローリング・ビーンズ・ワルツ」。

この「ローリング・ビーンズ」という喫茶店が、

二人が出会った場所で、しかもその出会いにはあの、シンガーソングライター「小山卓治」さんが

関わっていた、というのを休憩中に二人の口から聞いて、とても感慨深かった。

俺は大ファンなのですよ、小山卓治さんの。彼を超えるシンガーソングライターは日本にはいない。

近年は河村も、卓治さんのプロデュースをやっていて、すげえなぁ・・・と思っていたのだ。

ベチコ嬢は、河村と出会う以前から卓治さんのバックでヴァイオリンを弾いていたようだ。

うらやましい。でも何と言うか・・・・その辺で「俺も関わりたい」とは全然思わないのだな。

卓治さんに関しては、ただのファンでいいのだ俺は。

まあ、それはそれとして、その「ローリング・ビーンズ」という喫茶店、

いつか行ってみたいな。


一緒に行ってくれたROCA’66ベーシストの伊藤かっちゃんを

河村とベチコちゃんに紹介できたのも嬉しかった。

前回のブログで登場したマツカワというバンド少女のように俺も、

少しでも「人と人をつなげる」ことがしたいのだ。

音楽仲間は全員知り合い、もしくは友達になれればいいのだ、と思っている。


そんなそんな、素敵な夜だった。

会場になった「我等の家」も、暖かく、素敵な店だった。店の人もいい感じ。


河村、ベチコちゃん、結婚おめでとう。

そして、豊穣な音楽をありがとう。
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友達のこと(今夜は関目で、河村博司とペチコのライヴ)。

2019-01-26 09:41:36 | Weblog

言うまでもないことだけれど、誰とでも友達になれるわけではない。

出会ったタイミングとか、そのときのお互いの状況とか、

そう、例えば年齢差とか・・・・もちろん「好み」とかが違いすぎるとなかなか難しい。

でも、簡単に友達になれることもある。

このブログを呼んでくれてるヒトのほとんどは僕の友達だと思う。みんな、元気ですか?

これを読んでて、気に入ってくれてて、しかもまだ友達でない人は、ライヴに来てね。



それはともかく


今夜は・・・もとニューエスト・モデル、もとソウルフラワーユニオンで、

現在はシンガー・ソングライターとして活動している河村博司のライヴを見に行く。

我々は友達なのだ。

今日は、河村と出会った頃のことを思い出していた。、そのことをつらつら書くね。


1985年、我々は19歳だった。

僕は高校をぎりぎりで卒業して、東京に行くつもりだったのを

ランブルフィッシュの佐治に説得されて、大阪の専門学校へ行ったのだ。

今思えばその事が、現在へと続く色々なことを決定している。

専門学校で出会ったマツカワというバンド少女が、河村を紹介してくれた。

河村のことを「大阪で5本の指に入る凄腕ギタリスト」と言ったのだ、そのとき彼女は。


河村は確かに上手かった。当時全盛の派手な「速弾き」ではなく、

まあ速くも弾けたのだろうけどもっと深みのある上手さ。

佐治と僕と、二人でライヴを観にいったのだったと思う。

梅田の、「バーボンハウス」だ。

その後、河村が友達と二人で住んでいた借家に、佐治と一緒に訪れたりして、

我々はすんなり、友達になった。


河村を紹介してくれたマツカワは、その後アサタニという友達を通して僕に

アメリカ村の古着屋のバイトを紹介もしてくれた。

結局僕はあっさり専門学校を辞めて、その古着屋でフルタイムで働くことになるのだ。


マツカワには感謝している。彼女は僕にとって一種、「運命の女」の一人だった。


あまり深く考えていない19歳の僕だが、あとから考えればこの時期に、

人生の重要なことを選択している。


社会のレールから少し外れた生き方をする、ドロップアウト的な人生を。

でもそれでよかったと思う。


あの時期に、河村に出会ったことも実は重要なことだったのだ。

彼は既に「音楽で生きていく」という決心を固めていたように見えたから。

髪の毛も、肩あたりまで伸ばしていた。

僕も佐治も、その頃はまだ普通の長さの髪の毛で、

河村に刺激を受けた佐治が僕に「俺らも髪伸ばそうぜ」と言ったのをはっきり覚えている。

たかが髪の毛、と言うなかれ。そのことはとても、大きなことだったのだ。


その後・・・・・いろいろあって、

ランブルフィッシュのベーシストの岩佐が不慮の交通事故で突然この世からいなくなり、

佐治は大阪芸大でMAUという凄腕ドラマーを見つけ出し、

いろいろな偶然と必然が重なり合ってランブルフィッシュは

ファンダンゴでワンマンライヴが出来るようなバンドになれた。


河村はその頃、ニューエストモデルにベーシストとして加入していて、

その後、ランブルフィッシュを辞めたMAUはニューエストモデルに加入した。


いろいろと縁があるなあ。


ニューエストモデルがメスカリンドライヴと合体してソウルフラワーユニオンになったとき

河村はベーシストからギタリストになっって、

MAUはバンドを抜けた。

そして

僕とボケロウとキヨシとMAU、4人で「ばるぼら」を結成した。


いろいろあったけど、僕は・・・「ばるぼら」を思いっきりやれて良かった、と思っている。


その後のその後。

西暦2000年、「ばるぼら」は解散し、ギタリストだった僕は自分で歌うバンドを結成した。

MITT’S、そして今に続くROCA’66だ。

河村は、自分で歌うべく、ソウルフラワーを抜けた。


ランブルフィッシュ佐治は2007年、癌との闘病の末、亡くなった。




そんな「縁の深い」友達、河村博司が、

何と今回、ヴァイオリン弾きのペチコという女性と結婚(!)したらしく、

今回は「新婚ライヴツアー」なのだそうだ。これは目出度いよね。


だから、いそいそと出かけて行くのだ今夜僕は。


昨年からROCA’66に参加してくれている新しい友達、ベースの伊藤克浩も

一緒に行く。



こう書いていてつくづく思ったのだが、出会う人はすべて「運命の人」なのだ、

そして起こることすべてが「運命的に大事なこと」なのだ。


後になってみないと「見えてこない」ことの、何と多いことか。


だから懐古的になるわけではなく、

こんな風に過去のことを回想してみるのも悪くはない。


今夜の河村とペチコ嬢のライヴは大阪・関目の「我等の家」という店で行われる。

満員御礼!だそうだ。すごいね。


楽しみだ。

何着て行こうかしらアタシ(←結局いつもの革ジャンになる)。






写真は、昨年発売された河村博司のソロアルバム「よろこびの歌」。とても良いアルバム。

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「在り方」について思うこと。

2019-01-24 20:26:25 | Weblog

フォーク・ロックっていいなあ・・・などと思ふのだ。


フォーク・ロックって何?って話になると人によって、

様々な定義があるのかもしれないけど、

えーっと・・・・端的に言うと

弾き語りからバンドサウンドに移行した頃のディラン?

そう、ジミヘンの演る(ディランの)「見張り塔からずっと」も、すごくフォーキーだよね。

ザ・バンドも、もちろんフォーキーだし。

あと・・・ランダムにいろいろ言うけど、

ディープ・パープル初期のヒット曲「ハッシュ」はフォークっぽい。

デヴィッド・ボウイにも「フォーク」を感じるときがある。

もちろんビートルズも「サイケ期」の直前はひどくフォーキーだ。

ストーンズはデリカシーがないから(←悪口)、フォークっぽい曲って少ない・・・・と思う。

そうだ、フォークロックといえば、S&G(サイモン&ガーファンクル)を忘れてはいけない。

後年のレモンヘッズもカヴァーしていた「ミセス・ロビンソン」という曲は一種、

究極にかっこいいフォークロックのひとつだと僕は思う。フォークギターの音色も繊細で美しい。


飛んで、90年代で言うと、ダイナソーJRはフォークっぽい。

ニルヴァーナだってそうだ、と言えばそうだ。

ベックだってそう言えば初期のあのひと、フォークブルーズ(+、脱力ラップ)そのものだ。

Gラヴだって充分フォーキーだよな、聴き方によっては。


そしてそして、あのマイブラだって、曲自体は繊細で、はっきり言ってフォーキーなのだ。


あと、REMって、すごくフォークっっぽい、と聴くたびに思う。


フォーク的な楽曲って、アレンジのやり方によって

轟音ノイジーなシューゲイザーみたくもなるし、

まっすぐに演ると、オルタナっぽくなるような気がする。

まあ、結局のところ「いい曲」を書かなきゃ、お話にならないんだけど。


フォークって僕にとっては「永遠のポップネス」みたいなモノである・・・のかも知れない。


甘ったるくなく、簡素で、複雑すぎず、適度にシンプルで、

それでいてある程度メロディックで、誰にでも親しみやすいもの。

「通好み」とか「マニアック」とか、ならなくてもいいもの。


そんな風になりたい。


「等身大フォークロック」に、轟音ノイジーと音楽的実験とビート・ポエティックの要素をまぶして。

初期衝動(と反社会意識)はパンクで。

でも根底は(チャック・ベリーから続く)D.I.Y.の精神を貫いてさ。


そうなりたい・・・って言うか、そうありたい。





・・・アリタリア航空(あ、いかんダジャレだ)。
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ROCA'66 Tシャツのこと、そして2月のライヴのこと。

2019-01-22 21:41:26 | Weblog


ROCA'66のTシャツが完成しました!

白、赤、黒(S・Ⅿ・L・XL)¥2,000-

2019.2.2夜想でのLIVEより発売開始。(数に限りがございます。)


デザイン・・・・というか、字と絵を描いたのはアタクシこと、片山道郎でっす。


次のROCA'66 LIVEは

2/2(土) 堀川御池 夜想

OPEN 18:30

START 19:00
¥1800 (+1drink ¥500)

w:EL GASGAS/らんらんハッピー/The Lula

ROCA'66の出番はトリ。来てねー
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大正区田中屋酒店でのベロンベロン祭り顛末記

2019-01-20 17:03:10 | Weblog

その店は想像していたより100倍くらい素敵だった。


外観は本当に古びた、ただの酒屋兼立ち飲み屋で、

立ち飲み屋は好きな俺だが、「大丈夫なのか?」と一瞬、思わないわけには行かなかった。

でも一歩店内に足を踏み入れた瞬間、もうそこが大好きになった。

店の人の笑顔もとても良い。店主にいたってはマンガンズのリハで、(代理で)ドラムを叩いている。


駅から市バスに乗って行かなきゃならない、と知って当初、「遠いな」と思ってしまったのだが、

マンガンズのジュウオさんが、あそこで、あの店で

「ベロンベロン祭り」なるライヴイヴェントをやる、ということが今ではよくわかる。

あの、大正区の「田中屋酒店」にしかない雰囲気が、音が、あるのだ・・・確実に。


しかも「音」も良い。これは意外だった。

PAスピーカーはけっこう大きなものを取り付けているのだが、

それ以外は、大きなモニタースピーカーもないし、設備自体は大げさなものではない。

それでも、音が良かった。

大きな音を出せない・・・というようなストレスも一切感じなかったし、

モニター環境も充分だった。

やっぱ、「いい音」って、センスの賜物なのだ。


大正駅の待ち合わせで30分くらい寒風の中で立っていたので俺は珍しく、

というか久し振りに、

店についてすぐに日本酒の熱燗を頼んで、ちびちび飲みながらリハをやって、

その後もマンガンズのリハも、スリーバントのリハも、

暖かい日本酒を飲みながら見ていた。はっきり言って、その辺から既に楽しくて仕様がなくなっていた。

酔っ払い始めていたのですね。

本番始まる前に四合は飲んでいたはずである。

別に、「ベロンベロン祭り」だから積極的に酔っ払おうとしたのではなく、

大正駅の寒風と、ほっこりした田中屋酒店の雰囲気のせいである。


ライヴは、良かった。

正垣の「ザ・スリーバント」も「ザ・マンガンズ」もリラックスした演奏で、

とても良かった。

我々、「ROCA'66」も、良かったのではなかろうか。

でろんでろんに近いくらい酔っ払ってますが俺。

帰り道の電車で気付いたのだが右手の爪が、少しだけ剥がれかけていた。

ちょっとだけ痛かったが、帰ってからアロンアルファを爪に塗って、それで解決した、簡単。


「飲めや歌えやベロンベロン祭り」、呼んでくれてありがとう。出演させてくれてありがとう。

そして、遠くなのに来てくれたひと、本当にありがとう。


酔っ払えて良かった、みんなと喋れて良かった。ロックできて良かった。

日本酒の熱燗も、久し振りに飲んだのだけれど、とてもとても美味しかった。

お客さんは、知らない人が多かったのだけれど我々のライヴをとてもとても暖かく迎えてくれた。

うまく行く時ゃ行くのだ、というポジティヴな気分に浸ることが出来ましたデスあたし。


写真はカメラマンの大瀧君のもの。いつもありがとう。

今回は動画も撮ってくれてて、それもアップしてみます。

今現在の我々はこんな感じ・・・・ちょっと酔っ払ってはいるけれど。

ROCA'66「路上の光と誰かの痛み」


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音楽を続ける、ということ(本日は大正区で「飲めや歌えやベロンベロン祭り」)。

2019-01-19 09:39:36 | Weblog

NHK-FMで毎週土曜日の朝7:20からやっているラジオ「WEEKEND SUNSHINE」。

今日は良かった、「当たり」だった。

いや、もちろん毎回素晴らしいからこそ毎週聴くのだが、

「特にいい」時と、「そうでもない」時がある(単に好みの問題だけど)。

今日は特に、エディ・リーダーの新しい作品が流れた時に、

「音楽をやり続けることって素晴らしい」と、心から思った。

誰だって、感動と音楽的冒険と自己革新なくしては、音楽を続けられない。

持続するためには革新が必要なのだ。

エディ・リーダーという人は、かなり繊細な人のようで、

(これは過去のインタヴューなどを何本か読んで知ったのだが)、

音楽業界にいること等々が彼女にとって相当なストレスになっていた時期があったはず。

推測するしか出来ないのだが・・きっと彼女はそれらを克服して、

彼女の「歌」を、今でも歌い続けているのだ。

とてもとてもいい歌、いい音楽だった。


先日、俺にとっての大恩人であり、大天使の一人でもある

某MレコードのOさんにお会いして、ROCA'66のライヴも見てもらう機会があって、

その時にOさんが俺に、しみじみ言ってくれたのも、

「アナタが音楽を続けていてくれて、とても嬉しい」ということだった。


そう、エディ・リーダーみたいなスターと並べて論ずるのはちょっと気が引けるが、

俺だって、俺なりの

感動と冒険と革新を持って音楽を続けているのだ。


そういうことを、強く思った。

そういう思いが、ラジオを通じて、空からドスンと、

俺の頭に落ちてきた。


いい気分。


ピーター(・バラカン)さんに感謝しつつ、

今日は大阪・大正区の「田中屋酒店」に出掛けて行って、

音楽を続けてるからこそ出会えた、「今」の音楽仲間たちと

「飲めや歌えやベロンベロン祭り」なるイヴェントで歌い、ギターを弾く。


来れるヒトは、今日でなくても、いつでもいいから

ライヴに来て下さい。




俺はまだ音楽を続けています。


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夢の話、そしてギターの話(明日は大正区で会おう)。

2019-01-18 20:58:05 | Weblog

久し振りに奇妙で不思議な夢を見たのでその話から。


その夢の中で僕は紛れもない僕なのだけれど、

時代設定が近未来で、

着ている服がカラフルでタイトな宇宙服みたいな感じで、

何よりも持ち歩いているギターが、

見たこともない、まるで「未来のギター」なのだった。

奇妙な形。流線型で、あのESPの名作ランダムスターにちょっと近い形。

6弦にもなるし、12弦にもなる。はぁ?と思うけど、確かにそうだった。

大きさは小ぶりで、AUX端子とか、MIDI端子とかが付いていた。

パソコンも合体していたような気がする、そのギター。

そしてそして!ギターケースがまたすごい。

「自走」するのだ、ケースが。流線型の宇宙船みたいなデザインのケース。

素材は何なのかわからないけど、ひどく軽い。

そのくせ、モーターで自走するのだびっくりするよな。


夢から醒めて考えた。

そういえば・・・・・今でこそ、「レトロ趣味」みたいに、

とにかく「古いもの」を珍重する僕では、ある。

所持しているバイクもまるで「旧車」だし、

一番気に入ってる革ジャンは、第二次世界大戦時のものだ。

ギターだって、今使ってる「サイクロン」は

フェンダーの1960年代の傑作「ムスタング」のデザインそのまんまだ。

サリンジャーだって1950年代だし、

とにかく、古いものが好きなのだ。

古ければ古いほどいい。


でも思い返してみれば中学生のときに憧れたのは、

妙に「未来的」なデザインだった・・・・・・そういう時期が、確かに、あった。


ギターは変形の奇抜なものがかっこいいと思っていた。

アームはもちろん、フロイド・ローズ。

ピックアップはハムバッキング、しかも太巻き。

宇宙服みたいなファッションもかっこいいと思っていたし、

ゴーグルみたいなサングラスとかも。


思えば1980年代は、奇抜な、妙なギターが全盛だった。

一番多かったのは、ストラトのボディにピックアップはハムバッキング、

フロイド・ローズのアームで、ヘッドが変なバナナ型。


ガンズのイジーでさえそんなのを使っていた。

ヴァン・ヘイレンもそうだった。

LAメタルはあんなんばっかりだったな。

僕は当時も今も、ああゆうのは好きではないのだが、

あれはあれで、「ロックギターの新しい潮流」みたいだったのに。


その後、突然、「オールド・ギターの大復活」みたいになって、

現存するオールドの値段が軒並み、高騰した。


えーっと、何の話だったかな。

要するに僕が言いたいのは


あの時期、あの「変な」ギター使ってた奴等が、

流行遅れになったからといって、あきらめなければよかったのに、と思うのだ。


バナナ・ヘッドのストラトタイプ、

メーカーでいえばシャーベルとかジャクソンとか・・・・・・


ああゆうのを普通に見かけることは今では皆無と言っていいと思う。


僕だって今見てもダサいと思うのだが

ひとつ大事なのは・・・あれはあれで、「未来志向」だった、ということ。


ダサかろうが何だろうが、「未来志向」に向かうほうが健康だと思う。


僕みたいに、「過去のフェンダー」に憧れ続けるような奴は一握りでいいのだ。



・・・はあ(タメイキ)。



明日はその「過去のフェンダー・ムスタング」の復刻物のようなキャンディ・アップル・レッドの

「フェンダー・サイクロンⅡ」を持って僕は、

えっちらおっちら、オオサカは大正区の「田中屋酒店」に登場します。



ROCA'66のギター担当の赤井が使うのは

「フェンダー・スクワイアー」の、ジャズマスター・シェイプのギター、「ジャグ・マスター」。



歌い手がムスタング(のカタチ)でギタリストがジャズマスター(のカタチ)、と来たらこれはまるで


ぱっと見、「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」ではないか、はははのは。



懐古的なんだか、はたまた 未来志向なんだか。



明日は、大正区で会おうぜ。


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