真冬のような晩秋に。

2015-11-26 19:30:46 | Weblog


晩秋を飛び越して真冬の寒さ。

こういう日には生きていくことの困難さが身にしみる。

古代の人々はどんな格好をしてたのだろう。


想像するだけで、寒い。


最近、ふと思ったのだけれど、「魚」を人間が当たり前のように

食べ出したのは、いつ頃のことなのだろう。


例えば・・考古学者の研究によれば「縄文人」の主食は、貝と栗だった、という。

落ちてるものを収集する、それだけが彼らの食料調達手段のすべてだ。

主食、と言ってももちろん ふんだんにあるわけは無くて、

古代人はいつもいつも「飢え」との戦いであったろう。

「餓死」なんか、普通だっただろう。

餓死せずに、凍死せずに、生き延びることが

「生きること」の ほとんどすべて・・・だっただろう。

過酷だ。


・・・・・・・・・・・・・魚の話。

古代人も「海に何かがいる」ことは知っていただろう。

でも捕らえるのは不可能に近い。

だって「魚」は、網がなければ捕まえることは難しい。

海に潜って、モリとかで突いて捕らえることは可能だろうが(手掴みは至難の業)、

縄文の時代には「鉄器」はないはず。

縄文時代最新のテクノロジーは「土器」だ。


「釣り」は、もっと高度かもしれない。

「糸」が必要だし、小さな小さな「釣り針」を作る事は、とても難しい。

「船」というハイテクな乗り物に乗って、「網」というこれまた繊細なものを

作れて、初めて「魚」をある程度の量、捕らえることが可能になったことと思う。


そういう風に社会が発達する以前は、一般の人々は「魚」の味なんて知らなかったはずだ。

「魚」自体、じっくり見たことすらなかったかもしれない。

海女さんの祖先みたいな「海の民」は別・・・かもしれないけど。


あ、でも今思ったんだけど

河で鮭なんかを手掴みで捕っていた人々はきっと、いるよね。

木彫りの熊みたいな感じで。

でも(人類が)「火」を手に入れる以前であればナマでは食べられない(川魚には寄生虫がいる)。

うーん。どうしてたのか。


過去のことって考えれば考えるほど興味深い。


タイムマシンがあれば・・・・みたいなこと安易に考えてしまうけど、

タイムマシンって、どうがんばっても無理だ、と俺は思うのですよ。

「失われたもの」が戻って来ることはない。

「エントロピー増大の法則」でも、常にそう。

「相対性理論」では時間は、伸び縮みする・・・けど、

「(相対性理論で言う)ウラシマ効果」はあったとしても、それ以上は無理だろう。

「過去」は、記憶と想像の中にしか、ない。

考古学的なことって、

どうがんばっても「答えの無い」こと・・・だからこそ、面白いのかもしれない。


しかし、もしかして、現代においても・・・「路上で暮らす人々」にとっては、

餓死ぜず、凍死せずに「生き延びること」が

最大のテーマかもしれない、

特にこれからの季節は。


(求職中の俺は心なしか、他人事ではない。)


・・・頑張ってください。俺も頑張って、生き延びます。



って言うか、誰だって(家がある人々だって)、「生き延びる」ことに必死だ。



皆さん、この真冬のような晩秋を生き延びて、


来月5日、大阪は十三のCLUB WATERで逢いましょう。



ROCA’66の、赤井加入後 初ライヴがあるのです。



我々は、逢いましょう。











そうしましょう。










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ROCA’66の新展開について

2015-11-24 20:29:50 | Weblog


晩秋に突入しようというこの頃、皆さんお元気にお過ごしですか。

風邪なんか引いてませんか。

痔・・・なんか悪化させてませんか(俺は違う)。

酔いつぶれて道端で寝たりしたら確実に風邪ひきますよ、今の季節。

俺はいまだ、無職。

もし(あぁまた「もし」って・・・・・)今、通り魔連続殺人放火強盗事件なんか起こしたら俺、

新聞に「片山道郎 4?歳(無職)」って載るのだろうな。

「自称ミュージシャン」とか書かれそうで怖い。

「二十数回も転職を繰り返してあげくの無職 云々」とか。

ひいぃ。






と、


それはともかく


しばらく低空飛行を続けていた俺のバンド、「ROCA’66」が復活&活性化中。


新しいメンバーが入ったんだよ。


大好きなギタリスト、もと「ワームス」の赤井。


奴の「繊細」でいて、時に「破壊的」なギターは、

ずいぶん前からの俺の大好物。


もう彼を含めてのメンバーで、何度もスタジオ入りしてるのだが、

音楽的に確実に、何倍にも何倍にも向上した手応えアリ。


大体において彼(赤井)とは以前から何度も、一緒に飲み歩いたりしてたのだ。


いいメンバーが出揃った。


ベースを弾いてくれてる「たんちん」も絶品だし、

ドラムの「トビー」も痛快。


俺・・・こと片山道郎も、少しずつ・・・思うように歌えるようになってる(本当だってば)。


新曲もある。かと言って、旧曲を「ないがしろ」にしたりはしない。


新しくなった「ROCA’66」である我々に、会いに来て下さい。



2015年12月5日土曜日、


十三 CLUB WATERでのライヴ。




今年はこれが「締め」のライヴ。



是非。








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無題

2015-11-24 19:59:07 | Weblog


数多くの出会いと別れがあって、

僕の神経は麻痺したかのようだった。


そうこうしてる間に晩秋の日々は過ぎて行き、

今になって、何を惜しむと言うのか。


僕の中の心象風景は、君と飲んだくれてた頃と寸分変わりはしない。

そして、これからも変わりはしないだろう。


そういえば 

「時間なんて ない」というのが、ひところの僕のテーマだった。

伸縮可能なものなら、どんな風にでも在り得る。


在り得ないように見えた物事だって、考えもしなかった形で現実化する。


そういうのは誰にも、止めようがない。

いつだって誰だって、手の施しようが無い。


だから

僕はまた、 気を失うみたいにして眠ろう。


そしてまた記憶の奥底で、あの失われた町で君と再会する。

そうする以外に「手」はない・・・と思うんだが、

それについて君はどう思う?


あの墳飯ものの、「ドタバタ喜劇」についてはどうなんだ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


前にも言ったかもしれないけど、

僕はいつも、「君ならどうするだろう?」って考えてしまう。

「もし」は、ない・・・のに。


でも、だからと言ってそれが、そんなに無駄なことでもないんだ。

どんなに無駄に見えたとしても実は「世界」には

無駄なんて、それこそ0,01ミリもない。


「もし」、そうじゃないとしたら、(そのことさえ否定されるとしたら)・・・・・・・・・・・・


それこそ100%、何処もかしこも無駄だらけだぜ。


白か、黒か。

100%か、0%か。

どっちかしかないんだ。










ああ、また「もし」って使ってしまった。
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デクラレーション・オブ・マイ・ライフ

2015-11-17 20:23:35 | Weblog



秒刻みで過酷な労働を強いられていた先月までのアタシの、最大の願望は

「ゆっくり、ダラダラと、いつまでも(家のフトンで)眠る」ことだった。

どれくらい深くアタシがそれを求め、熱望し、憧れ、欲したか。

ああ、眠り。その甘美な言葉、そして概念。

冬休みの子供のように、我に怠惰な眠りを!という欲求が一線を越え、

アタシは欲望の命ずるままに、身辺を整理した。

身の回りの火薬をあつめ、導火線になけなしのマッチで火を点けさえ、した。

「さよなら」の手紙も書いた。

そして・・・・・・・・・・・・・・・・訪れた自由!何と素晴らしい。

さあ、行くわよ・・・って感じで

バンジージャンプ台から飛び降りるつもりで、

「眠り」の世界へ溺れること一週間。

何と言うか・・・・

何と言ったらいいのか・・・

そう、正直に言おう、アタシゃね、何を隠そう、「飽きた」ぜ。

眠ることに飽きた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

誕生日のケーキをだよ、でっかいのひとつ、まるごと喰いたい・・・・って

思ったことあるよね?

俺は・・・・いや、アタシはあるわよ。

それ実際、やってみたことってある?

っていうかそんなこと実際はしたことないんだけど、

寝すぎて寝られなくなったら、実にそんな感じがした。

おっかしいよな、子供の頃なんて朝から晩まで眠ってても、そのまんま夜まで眠ってて、

次の日学校行って授業でまた熟睡してた、っていうくらいの「眠り好き」だったのに。

もしかして、もう子供じゃないのか?

いつの間に?

「冬休み」は、何処行ったんだよ。











まあいいさ、そろそろ目を覚まして、

ROCA’66のための新曲を書くのだ。




かっこいいギタリストをひとり、メンバーに加えて

ROCA’66を演る。



我々はこの期に及んで、「調和の幻想」を夢見る。



2015年12月5日、十三CLUB WATER。



また、そこから始めるつもりなんだ。






12月5日は、意地でも来てくれ。





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身辺のこと

2015-11-07 16:27:12 | Weblog


父親が亡くなってちょうど十年経つ。




それで「法事」みたいなものに参加しに行っていた。


ダンプ運転手は先月一杯で、辞めた。


このあと、何をするのかは決めていない。


先月まで本当に・・・ほとんど秒単位で時間に追われる生活で、


「奴隷」みたいな気分で生きるのにはホトホト、うんざりしていた。


だから今はいい気分。


大体において人は、「急ぐ」必要などないのだし、


本当に、世の中って頭がどうかしてる。



それにしても、「何もない」のは久しぶりで、とても素敵。


しかも窓の外は


1年の内で2番目に素敵な季節である11月が、


ゆっくりと鷹揚に通り過ぎようとしている。


ちいさく「ゴォォォォ」という音も聴こえる。「シュゥゥゥ」かな。


これは都市の「通奏低音」で、


子供の頃に新宿で、戸山ハイツの片隅で・・・この音を聴いていたのを覚えている。


新宿も今日は少し、曇り空ですか?





あ、そうそう、この後「何もない」わけではない。


俺の率いるバンド、ROCA’66の活動はちゃんと、続いている。



今日は、スタジオ入り。


来月、2015年の12月5日の土曜日には


おなじみ、十三のCLUB WATERで


ライヴやることが決まってるのだ。


その日には 我々のバンドの、ちょっとした「大変化」を


見せることが出来るかもしれない。


だからその日は空けておいてよね。







黒い、巨大な10トンダンプからは


「スパイダー」のシールも、剥がしておいた。



だからもうこの世に


「10トン・ブラック・スパイダー」というクルマは、ない。



今は
 

それだけが少し寂しい気がするんだけど、


そーゆーのってやっぱ、感傷的かな?




















ははは。








コメント (4)
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