8月は終わり行き、9月の到来が。

2016-08-29 21:33:32 | Weblog


8月ももうすぐ終わり・・・・・・・・ってことは

9月の到来じゃないか?

9月!

9月は、いろんな意味で「特別な」月なのだ。

そうだったよな?・・・・・・・・・・・違ったっけ。


多くの「魔法」は解けてしまったみたいだけど、

「セプテンバーの魔法」はまだ固く、我々を呪縛したまま・・・・のハズだ。

解けない魔法はないんだ。それでもね、

「信じない者は救われない」のさ、アタシはそう思うね。

(信じるものが救われる、とは限らないけどさ。)



それはともかく、今年の9月はまた、「ハミングバード・フェスティバル」に出るぜ。



大阪の端っこの、貝塚の山の中で開催される、手作りの、野外ロック・フェス!

普段、ライヴハウスで活動してるバンドたちが

大自然の中のステージでロックする。

ココロ踊るアイディアだろ?

俺はまた、スタッフとして関わります。

ROCA'66も、もちろん出演するし。


他の出演バンドとか、その貝塚の山奥への行き方とかは、またこのブログでアップするよ。


貝塚市の「そぶら山荘」っていう所なんだけど、森の中の、素朴な、

本当に素敵な野外ステージなんだ。


実際に行ってみたら、絶対、目がハート型になるよ。


そして、その「ハミングバード・フェスティバル」の前祝イヴェントが、

9月3日に、十三のWATERで開催される。


その、前祝イヴェントに俺も、ギター一本持って出演するから、来て下さい。

あ、本編の「ハミングバード・フェス」に、参加できない人も、、

この前祝イヴェントに来てくれよ。




何かドシャメシャで、楽しい夜になりそうな気が・・・・しないでもないからさ。


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「雷撃バップ!」を終えて

2016-08-28 15:53:30 | Weblog

「電撃バップ!」だと思いこんでいたのだが、「雷撃バップ!」だった。

らいげき。

そうか、カミナリボルトなので「雷」なのね。


昨夜の、塚本エレバティでのライヴ・イヴェントはとても良いものだった。

好きな感じのバンドばかりだった。

とても贅沢な時間。

ご来場いただけた人に、心から感謝します。


ザ・マンガンズ は、いつもながらの、ユーモアたっぷりの楽しいライヴで、絶品だった。

THE ROTOR R C は、気合の入ったビートパンク。タイトで激しくて、いい感じ。最後まで革ジャン脱がなかったね。

フロム名古屋の 天狗”は、重心の低いハードなロック。重く、人間味があり、魅力的だった。

カミナリボルト は、心に響く轟音と、ハーモニーが美しく響く、貫禄のライヴだった。感動したよ。



我々を参加させてくれてありがとう。

色々な面で、迷惑をかけたり、イヴェントに貢献できなくてごめんよ。

でも出演出来て、とても嬉しかった。

心の中の情熱が続く限り演り続けたい。

またいつか、一緒にライヴやりたいデス。







どうもありがとう。



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来週土曜日は塚本エレバティで「電撃バップ!」

2016-08-21 10:46:45 | Weblog

この暑い中、皆さん、消耗してませんか。

蒸発しかけてませんか。

干物に、なりかけてませんか。

俺は、ぎりぎり大丈夫デッス。

もう少し頑張れば、「夏の最盛期」を越えられる、という今日この頃、

ライヴのお知らせデス。

何の?ってアンタ、アレよ、

ROCA66だよ。

来週土曜日!2016年8月27日土曜日!

塚本 エレバティにて、カミナリボルト主催のイヴェント「電撃バップ!」に

出演するのだ。


出演は

カミナリボルト、

THE ROTOR R C、

天狗(FROM名古屋)、

ザ・マンガンズ、

そして我々、ROCA'66。


イキのいいバンドが集まってる、とってもクールで熱い(どっちやねん)、ライヴ・イヴェント!


我々ROCA'66は、塚本エレバティは初出演。

ここも、「音の良いハコ」だと聞いているので楽しみだ。


最強の音圧で良い歌を響かせる三人組、カミナリボルト。

そして面白くて素晴らしくかっこいい ザ・マンガンズ。

彼らと一緒にライヴやれて単純に嬉しい。


この、真夏のライヴに是非是非、来て欲しいデス。

オープン6:00、

スタート6:30


前売り1500円、

当日2000円。


「今」の、ROCA'66は、今しか存在し得ないのデス。


当たり前のようだが・・・当たり前ではない。


初披露の曲もやりマス。


待ってるので、来て下さい~。


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無題

2016-08-16 10:39:46 | Weblog



夏休みの終わり。

僕等はまるで木々にしがみついて鳴く蝉みたいに際限なく人生を

謳歌するみたいに懸命に、汗さえ流しながらも淡々と、

懐かしい人に会ったり海辺で考え事したり、忙しい中で昼寝したりして、

そうしながらも胸いっぱいの刹那さを研ぎ澄ましては取りこぼし、

歯の折れた飛び出しナイフみたいに、何のために存在してるのかわからない曖昧さで

それでもゆっくりと永遠は1兆分の1ミリずつ、カタツムリ並みのスピードで進んで行って、

何処まで行けばそれが「辿り着いた」ってことになるのかどうか、

誰も知りはしないのだけれどそれは当然過ぎるほど当然で、

僕の疑問は数限りなく、天文学的に増殖するだけ増殖して、

「ま、いっか」のひとことで霧散したり・・・をまた繰り返す。

ああ君と長いような、存外短いような遠大な旅に出たのはいつの夏だったか?

あの「旅」は実はまだ、終わっていないのではないか?

新しい歌、そして古い、古い歌。

忘れられないものはいつまでも忘れられはしない。

時計の針の動き方などここでは、何の意味も持ちはしないのだ。

それでもまた、始めようではないか最新の「日常」を。

光の速さで消えてゆく今、今、今。

でも夏だけがすべての季節の終わりではない。

始まってしまった以上、このジェット・コースター的な人生が「何処か」に辿り着くまで、

見届けてやろう、と思う盛夏のアタシなのであった。






結論。


夏休みの終わりってのはどうしてこう、切ないんだろうね。




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魂の水

2016-08-07 11:48:22 | Weblog



前を走っていた小さ目のトラックの荷室のドアに大きく

SOUL WATER

と書いてあった。


直訳すれば、「魂の水」か。なかなか・・・・・・濃いィ言葉。



でもSOUL WATERって一体何のことだろう?


まっとうに・・・・まっすぐに考えると、「血液」か?

生命の源、魂の水。でもちょっと、生々しいな。

血液の売買は、現代では法律で規制されているだろうし。


洒落っぽく、粋に行くなら

「ウイスキー」だね。

アイルランド人なら、そう呼ぶだろう。

我等のソウル・ウォーター、アイリッシュ・ウイスキー。酔っ払い万歳。


ちょっとお硬く考えたら、「聖水」か。

あ、でも「聖水」なら、ホーリー・ウォーターか。

それか、新手のスタミナ・ドリンクかな。油ギッシュでいいかも。

そういえば以前、どこかで「お嬢様の聖水」っていう缶ドリンクを見たなぁ。

度肝を抜かれるネーミングだった。中身は、薄い黄色だったりしてね?


SEOUL WATERなら単に、「韓国の、ソウル産の水」なのだが。

韓流ファンなら買う・・・かもしれない。


いやいや、今問題なのはSOUL WATERだ、と思い直してその小ぶりなトラックに接近してみた。


近くに寄ると、他にも文字が書いてあるのが読める。



ん?  



      SOUL WATER=牛乳



だ、そうだ。



確かに・・・・・・・・・・・「濃い」けど、ソウル??????


牛の乳がSOUL WATERなのか?




そうなのか?
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続き

2016-08-04 21:03:54 | Weblog



「上京」の、もともとの意味である大叔父が亡くなってから数年後に

祖母たちが福山への帰郷を決めたのは

(他に色々な要素がからむ・・・のではあろうが、それを差し置いても)

・・・・・わかるような気がする。


俺も大阪で、似たような気分を味わって、今は京都に住んでいるから。



そもそも、俺が大阪に来たのは・・・佐治の気迫に押されてのこと(笑)だったのだ、そういえば。


俺と佐治が出会ったのは奈良の高校で、

近畿圏の若者の多くがそうであろう、と想像するのだが

高校のときの俺たちの望みは、

「大阪のライヴハウスで活躍するバンドになりたい」、というもので、

当時は 夢のまた夢・・・だった。


佐治と俺は高校時代の最後、

「大阪の、天王寺近辺でそれぞれ、一人暮らししようぜ」と約束して、

実際にそれを実行した。

それは、俺にとっては本当に、夢のような暮らしだった。

だって俺はそれまで、奈良の学生寮に住んでたんだぜ。それも、規則のきつい寮だ。

一人暮らしの自由なこと!


そこから、何年も何年も大阪に住んで、大阪にトモダチも出来て、

バンド仲間とも大勢知り合い、行きつけのバーなんかも何軒も出来た。

二十代、三十代をそんな中で、バイトと、バンドをやりながら暮らした。






三十代の半ばのある時、佐治の病が発見されて、いろいろなことが一変する。
































佐治がいなくなって、ある日ふと、俺は思った。

「何で俺、大阪にいるんだろう?」と。

大阪は既に「大好きな街」になっていたのだけれど、それでも。







今さら、東京へ帰れはしなかった。そういう発想もなかった。

でも京都って、思ってた以上に素敵なところだ。

何かちょっと・・・・「昔の東京」に、似てる気がする。

















「関西」なら、どこでも住めると、思うんだけど。









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東京(付記・訂正アリ)

2016-08-01 21:05:03 | Weblog

東京に住んでいた頃は、「東京以外の、その他の街」があることすら、知らなかった。

・・・って言っても

俺が東京に住んでいたのは小学一年生までで、

東京に限らず、子供なんてみんな そんなもんだろう・・・とは思う。

だけど東京の人って他所より、そういう意識が強いような気がする。

地方のことなんてあまり、考えることもないんじゃないかな。


・・・だから我々が一家で、ヒロシマ県フクヤマ市へ引っ越したときの衝撃は強かった。

見渡す限りの風景は田んぼだし、子供が自分のこと「わし」って言ってるし。

何だか「非友好的な日本昔話」みたいだった。


俺は自分の母親が東京生まれだったから、

自分のとこは(少なくとも母方は)、先祖代々からの江戸っ子なのだろう・・・と思い込んでいた。

でも全然違った。


祖母の兄・・・俺からみたら「大叔父」にあたるひとが、福山の画家で、

彼が東京の画壇に挑戦するために上京したのだ。

妹である俺の祖母(まだ女学生だった)も、一緒に福山から東京に出て、大叔父の画業を助けた。

そして祖母は東京で子を産んだ。それが俺の母。

母はやがて、千葉から出てきた、みなしごの青年と結婚する。それが父。

新宿・戸山ハイツで兄が産まれ、俺が産まれる。

そしてある日、

大叔父は突然の病に倒れ、医者の誤診によって帰らぬ人となる。享年58歳。


当時の俺は知らなかったのだが、福山への引越しは、

大叔父が亡くなったから(祖母の)郷里へ帰ることにした、という側面があったのだ。


・・・・・・・・・・・・・大叔父。

豪放で、冗談好きで、気性の激しい、男前の画家。

俺はその人のことを、カケラも覚えていない。

赤ん坊だった俺と、その頃50代だった彼とは会っているはず なのだが。

記憶がないのは・・・しょうがないことだけど、かえすがえすも残念だ。


しかし思うのは

我々の一家って「彼」に振り回されたんだな、良くも悪くも。


「彼」の名前は、片山公一 という。


福山市に、「彼」のお墓がある。

祖母も今では、そこで眠っている。








付記

何の気なしに大叔父のことを書いたのだけれど、

アップしてから一応・・・という感じで資料を当たってみたら、

大叔父の享年は58歳だった。本文は訂正済み。

1969年の8月3日に亡くなっている。

8月3日?

・・・・命日のすぐ近くに、こういう事を書く気になったのはちょっとだけ不思議。

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