プリテンダーズ「バックオンザチェインギャング」

2023-03-26 19:36:28 | Weblog

先週のピーターさんのインターFMのラジオ番組「バラカン・ビート」は、

聴取者からのリクエストでプリテンダーズの

往年の(1983年か1984年だと思う)のヒット曲

「バックオンザチェインギャング」がかかった。いい曲。

僕は当時から大好きで、確かこの頃、洋楽はまだ聴き始めだった。

クリッシー・ハインドは僕が、初めて好きになった

洋楽の女性シンガーソングライターだった。後にちゃんと、

ライヴも見に行った。大阪・フェスティバルホールに、佐治くんと二人で行った。

言って見れば僕は、プリテンダーズのファンである。

あとになって、1stの「キッド」も聴いたし、

セカンド・アルバムも大好きだ。その後のアルバムも、けっこう買っている。

デヴュー時のバンドメンバー二人がドラッグで死んでいたことも知った。

しかもその二人ともと、クリッシーは付き合っていたのだ。

二人とも、恋人だったのだ。

 

しかし、この「バックオンザチェインギャング」は、好きだったけど

歌詞の意味までは深く考えなかった。

当時、レコードの訳詞も読んでるはずだが、歌詞の意味は分からなかった。

「ウッ、ハッ」とかの掛け声が入っているのは、

サム・クックの「チェイン・ギャング」という、古いヒット曲からの

引用だ、というのは、ちょっと後で知った。

 

後になって古い黒人音楽が大好きになって、それで知ったのだが、

「チェイン・ギャング」は、黒人差別の象徴でもあったはずだ。

当時のアメリカでの話だが・・・白人は捕まらずに、黒人ばかり捕まる。

だから刑務所は黒人だらけなのだ。

当然、服役労務者としての「チェイン・ギャング」

(足が実際に鎖につながれていたらしい)も黒人ばかり。

サム・クックはそれを敢えて(?)陽気に歌って見せた。

でも問題提起は、あったと思う。

 

で、わざわざその「チェイン・ギャング」をタイトルにまで持ってきて

歌にしてるのだから、その辺のことを言ってるのかな?

少し思っていた。

でも違った。

先週の「バラカンビート」の中でピーターさんがさらっと

歌詞の意味について触れたのだが

「これは・・・”また捕まっちゃったわ”ってことでしょうかねぇ」

と言ったのだ。

 

そうか。これは、過去の、失った恋愛に心が縛られている状態を

「チェイン・ギャング」に喩えたのだ。

 

そうか・・・・そうだったのか。

 

高校生の頃にリアルタイムで大好きだった曲の、歌詞の意味が

50代後半になってわかる、というのもなかなか面白い体験だった。

 

このときのギタリスト、ロビー・マッキントッシュもすごくいい

ギター弾きで、

この編成で確か、あのライヴエイドにも出演しているのだプリテンダーズは。

で、そのときロビー・マッキントッシュは頭に、

例の「バンダナ帽子」をかぶっているのですよ。

(YOUTUBEで見られるよ。)

 

ふふふふ。

 

 

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ライヴ告知、そして「春と生死」。

2023-03-26 18:48:40 | Weblog

写真入りのフライヤー(ちらし)なんていうのを

作ってもらったのは久しぶりなので、

なんかとても嬉しくて、新鮮な気分。

 

2023年5月27日 土曜日

大阪.大正区の田中屋酒店でのライヴ「田中屋の乱」です。

 

今回の主催のバンドSHINY PINKのベースの人は

モダンチョキチョキズだそうで、おお、それって

昔のファンダンゴに出てたバンドだよね。1900年代に!

対バンはしたことないけど、親近感湧くなあ。

 

ということで、楽しみなライヴのチラシでした。

 

でもスケジュール的にはその前、4月8日 土曜日に

大阪・難波 「Mele」に出演します我々は。

花見気分で、バンドを見に来て下さい。

この日は出番が一番手なので、我々の出番後には

Meleでそのまま、他の出演バンドを見ながら飲みましょう。

爆音・地下・花(バンド)見、と洒落込もうではないか。

きっと楽しいよ。

 

そしてそしてスケジュール的に、そのあとに訪れるのは

かのゴールデン・ウィークだ。

その最終日近くの5月6日には我々は京都・「夜想」に出演が決まっている。

 

春は楽しい。

冗談抜きで、生物としての我々のDNAに

「春は楽しい」というのが刻み込まれているのではないか?と思う。

暖かかくなれば、生存確率が高まるからだ。

 

生存率・・・・。

 

大先輩ロックアーティストである、「ひろしNA」氏の訃報に触れ、

春ながらいろいろと考えてしまった。

「生きること」の意味は一体何なんであろう。

「死ぬこと」の」意味は?

 

我々の遺品となる楽器たちも、

嬉々として弾く持ち主がいなければただの廃品と化す。

っていうか

命を失って動けなければ此の身体も自然の作用として腐って果てるのである。

ひとつとして大事ではないパーツがない、この

超精密機械のような身体。

盲腸ですら近年は切って捨てないのだ。臓器の機能の意味もわからないのに。

 

春なのにお別れですね。大先輩、残念です。

姫路の、アナタが経営してたライヴハウスに、泊まり込みで

行って出演させてもらったこともありましたね。

 

我々は、続けられるまで続けます。評価も名声も要りませぬ。

 

我々が欲しいのは・・・・・・・・・・・・・・・・・

何だろう?????

 

いや、本当にわからなくなってきた、

何が欲しくてやってるんだろう???????

 

 

えーっと、深く混迷したまま、

今日は終わります。

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怒涛のライヴ告知

2023-03-21 15:37:09 | Weblog

コロナ禍はついに風と共に去り、我々は自由の身である・・・と思う。

普通に、ライヴ出来るのだ。

これは素晴らしいことで、でも気は引き締まる。

演れる、ということはつまり 演るべき、なのであって、

何故「べき」なのか?というとそれは我々のような愚か者たちはやはり、

内なる表現欲求を開放すべく、そのために生きているからである。

簡単に言うと、ロックしながらこの世に存在したいのだ。

それ以上は望まない。それだけが私の望み。ロックとともに生きる。

この不条理でがんじがらめの世の中、我々の精神を開放してくれるのは、

酒もそうだし、文学もそうだが、やはり極めつけはロックなのだ。

フォークも、クラッシックもブルーズも、パンクも、ジャズも、演歌もレゲエも、

サイコビリーもロックステディもカントリーも、

グランジも、沖縄民謡もヘヴィロックも、EDMも、テクノも、

プログレもシャンソンも純粋ノイズも実験音楽も、

全部ひっくるめて、ロックなものはロックだ。

ロックを名乗るものの中には、ロックでないものもある・・ってか、多い。

でもいいのだ、偽物は偽物として存在すればいい。

我々は、本物を目指すのだ。

 

というワケで、2023年春~初夏、

怒涛のライヴ告知です。

 

まずは

4月8日、土曜日、難波「Mele」。

「WILD WEEKEND」

OPEN17:00、START17:30

出演バンドは

BULELET  HOLE    sore’078  SKULLS  キリングマネーズ、

そして我々ROCA’66。

我々の出番は何と一番手。だから夕方5時半に始まる。

他の出演バンドに関してはいっコもしらないのだけど、

我々の出番が終わったら飲みながら、じっくり見せてもらおう。

このハコはいいハコだから、きっといいバンドがいるはずである。楽しみ。

 

そして5月6日、土曜日、京都は大宮の「夜想」。

ここも最高のハコ。

この日の詳細はまだなのだが、「夜想」のことだから間違いなく、

面白いバンドと共演できると思う。楽しみ過ぎ。

ゴールデンウィークの最終日近くだから全国、いや全世界から京都に、

観光がてらおいでやす。きっと楽しすぎて”へべれけ”に・・・・いや、飲みすぎ注意。

 

そして5月27日、土曜日。

大阪は大正区にある「田中屋酒店」に出演。

ライヴのタイトルは「田中屋の乱」。

OPEN17:00、START17:50。

出演は、SHINY PINK

  我々、ROCA’66、

そしてあの COZMIC SPOONである。

我々の出番は真ん中だが、全バンド面白いに決まっている。

ここに来るには、バスに乗るのが必要になると思うけど、来てほしい。

ここは何と、ライヴハウスではないのだ。本来は 酒屋・兼・立ち飲み屋。

でもそこでライヴをやってる。音はいいし、雰囲気は独特で抜群。

超・楽しみ。

どこのバス停留所なのか?とかは、また説明します。

道順は全然、面倒くさくないよ。むしろ新鮮。

 

そして6月17日、土曜日はまたしても大正区・「田中屋酒店」である。

そんなにそこが好きか俺達(好き💛)。

いやいや本当に面白い、いい場所なのですよ。酒は美味いし。

6月17日はあのザ・マンガンズ主催の「ロックンロール・ミーティング」

である。以前は「飲めや歌えやベロンベロン大会」だったかな?

あの、頭から尻尾まで楽しいロックイヴェントだ。

どっちにしても我々は、ベロンベロンにはなるのでしょう。

(7,5,調。)

乞うご期待、そして温かい目で必見。

 

そして7月を飛ばして

 

8月12日 土曜日は 京都・祇園の「シルバーウィングス」に出演。

ここも最高のハコ。新しく見つけた、最近の俺のお気に入り。

対バンは盟友の がらんどう が決定している。

夏の話だけど、いまからすごくすごくすごく楽しみ。

しかし、8月の話を3月にしてるなんてね。

こーゆー、「先走り」ノリって、久しぶりで嬉しい。

 

 

ってな感じのスケジュールどす。

こんな風に毎月ライヴ、なんてことが出来るのは久しぶりだ。

でももしかしたらこれで最後かもしれない。

燃え尽きる前の最後の疾走かもしれない。

えーっと、そうなりたくはないのだけれど、

明日のことは誰にもわからないTOMORROW NEVER KNOWS。

 

我々に会いに、もしくはベース・伊藤に会いに、

もしくはギター・赤井に会いに、

もしくはドラムズ・トビーに会いに、

奇特な人はアタシにも会いに来てください。

 

お互いが生きてるうちに、ライヴハウスで会いましょう。

 

 

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「喰えないオッサン」考

2023-03-17 21:37:47 | Weblog

だいぶ以前、

まだアメリカに住んでいた頃の村上春樹のエッセイで、

「アメリカのAMラジオのパーソナリティは何故

”喰えないオッサン"ばかりなのだろう?」

と言う内容の一篇があった。

 

それを読んで驚いたのは何を隠そう僕だった。

僕はAMラジオのヘヴィ・リスナーではないのだけれど、

でも思ってはいたのだ、

日本のAMラジオのパーソナリティも、”喰えないオッサン”が多い、

と言うか・・・そんなんばっかりだ、と。

 

”喰えない”というのはどういうことか???わかりやすく言うと

個性がきつい、他人の意見をあまり聞き入れない、

言いたいことをズバズバ言う、声がでかい、極端なことも言う、

批判を恐れない、

厚かましい傾向がある、良くも悪くも、ぶれない、

みたいな事か、と僕は思う。

へぇ、アメリカのAMラジオもそうなんだ・・・、と深く感心した。

 

でも、”喰えないオッサン”は、面白いのだ。

 

若い兄ちゃんでは、深みも説得力もない。

若い姉ちゃんでもそうだ。

子供さんでは、話にならない。

歳を喰ったお姉さん・・・も良いのだが、

女性はあまり、強い意見を言わない、という傾向は日本には確かにある。

だから、”喰えないオバサン”みたいなキャラは、存在しにくい。

(カミヌマエミコみたいなのはそんな感じなのかな?よく知らないんだが。)

 

オッサンはオッサンでも、優しい、腰の低い感じの人柄だと、

当たり障りのない感じになってしまう。

 

やはり、世界で一番面白いのは”喰えないオッサン”なのかもしれない。

逆に、世界で一番気に障る存在も、”喰えないオッサン”である。

 

 

言って見ればトム・ウェイツなど、”喰えないオッサン”感が少しある。

あの人も、近年はもうお爺さんだが。

他にいるかな・・・・あ、そうだ、ボブ・ディランなどは見事に一貫して

”喰えないオッサン”そのもの、である。この人も、もうお爺さんだ。

そうだ、U2の、ボノなんかも、近年は”喰えないオッサン”の資格があると思う。

関西のAMラジオで番組を持ったらいいのにボノが。

「U2ボノの、朝からすんまへん!」みたいな感じで。

”喰えないオッサン”達は自己主張も ある程度キツいのだ。

 

もしアナタが

”喰えないオッサン”ってどんな感じなのか?ともし思うなら

AMラジオをつけてみればいい。どこの放送局でもいい。

”喰えないオッサン”達が、まるで魑魅魍魎のように・・・・・いや、

まるで南蛮漬けにされた小アジのように、

ひしめいて、大声で自己主張してるから。

 

その光景は暑苦しくはあるが、まあ面白くもある。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・俺ですか?

俺はまだ修行が足らないので”喰えないオッサン”には、なれてません。

 

いつか、なりたいっす(嘘)。

 

 

 

 

追伸・

僕が一番好きだったamラジオの”喰えないオッサン”は、

20年くらい前に終了してしまった

mbsラジオの「諸口あきらのイヴニングレーダー」という番組の

諸口あきら  という人だった。

もう、亡くなってしまっているのだけれど、

一度くらい、お会いしたかったな。

 

この人は・・・諸口さんは、「リベラル」だったのだ。

僕が かの名著、辺見傭の「もの喰うひとびと」を知ったのは

この「諸口あきらのイヴニングレーダー」に、著者がゲストで出て

自著を語ったからだ。

辺見傭は、朝日のもと記者。バリバリの硬派なレフト。

 

 

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パラレルワールド

2023-03-14 21:11:40 | Weblog

P・K・ディックの「去年を待ちながら」を再読していた。

ごちゃごちゃしているし、難解なところもあるが、

SFガジェット満載で、やはりディックは強烈に面白い。

これがこんなにごちゃごちゃと難解になるのは、

この小説そのものが「並行宇宙(パラレルワールド)」という考え方を

現実のものとして描いているからだ。

世界には、どんな可能性もあり、、その可能性の数だけ実際に

その未来は存在する、という。

だから、未来と言うのは無限に存在する。

突き詰めて言えば、微粒子レヴェルでそうなのだから、

未来の数は、星の数ほど、どころの騒ぎではない。

それが一瞬一瞬で増えて行くのだ。

 

だから、この「去年を待ちながら」の中に出てくる

”服用者が強制的に時間旅行をしてしまうドラッグ”で

未来に行ったとしてもその未来はどの未来かは特定できなくて、

だから話はどんどん複雑になるしかない。

並行宇宙の考え方は素敵ではあるが、手に負えない・・・とも言える。

 

しかし、つまんないこと言うけど僕は、

SFでよくある、「時間旅行」というのは不可能だと確信している。

どう頑張っても、どんなに未来になっても無理だろう。

 

「絶対」とは言わないがね。

「絶対」だけは絶対に、ないのだ。矛盾してるみたいだけど。

 

 

でもだからこそ、タイムスリップSFは楽しい。

僕が一番好きなタイムスリップ小説は、ロバート・A・ハインラインの

古典的名作「夏への扉」だ。何と、1956年!アタシが生まれる十年も前!

この小説は、猫が大活躍するし、色々と最高。

新訳が出てるみたいなんだけど、そっちはまだ読んだことないんだよな。

読んでみよう。今決めた。

(旧訳は確かに・・・古臭い言い回しが多かった記憶がある。)

 

この名作「夏への扉」に出てくるタイムマシンは確か、過去への一方通行なのだ。

マシンで過去へ行った主人公がどうやって現代に帰って来るか?といえば

それは「コールドスリープ(冷凍睡眠)」なのだ。

ははは・・・・そんな無茶な。

でもそう考えたら、もしもいつか「コールドスリープ」の技術が完成したら、

それは、未来行きの一方通行のタイムマシンかもしれないな。

「コールド」でなくても普通に、深く眠ってしまった時は何時間も

時を飛び越えてしまうもの。

 

でも、可能性の数だけ無限に未来がある「かも」ってのは、

ちょっと僕には面倒臭過ぎる。

 

ひとつで充分だよ、「世界」なんて。

 

ああ、でももし・・・その無限の中に

「君」が生きてる世界がある、っていうのなら

それは素敵だな。

 

 

 

 

 

それは素敵だ。

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友達のバンドのライヴ。

2023-03-12 19:17:46 | Weblog

昨夜は、祇園・シルバーウィングスに、

友達のバンド「がらんどう」を見に行った。

やはり、ライヴは良い。いろいろと心に残る夜になった。

 

「がらんどう」は独特なバンドで、

何だろう・・・言って見れば「深く醗酵した」ような。

初めて出会ったのはもう20年くらい前だろう。

難波のベアーズで、対バンになったのだ昔。

ヴォーカル/ギターの「きりひと」氏の、初対面の印象は

「厄介そうなヤツ・・・・・」だったのだが友達になってみると、

すごくいいヤツだった。人って、わからないものだ。

彼とは時々会って、飲んでいるのですよ。

 

「がらんどう」の独特さで、一番に挙げられるのはやはり「歌詞」である。

しゃがれ声で語られる、人生の暗部・・・というか

どこか屈折したような男の物語、というか、独白。

チャールズ・ブコウスキー的、と言えば言えるかもしれない。

ブコウスキーに似ているわけではない。何にも似ていない。

歌詞が抜群に面白い。

そして、トリオバンドならでは・・・の、ドラムズとベースの

音の暴れっぷり。ものすごい存在感のリズム隊。

ベースは何と、エレクトリックのフレットレスである。

そういえば昨夜のライヴでは、とある曲で、

曲に入ってしばらくしてヴォーカルの「きりひと」氏が、

曲を止めた。自身のギターの音質が気に入らなかったようで、

曲を頭からやり直したのだ。

そういうことって、バンドにはたまにある。

5年くらい前に見に行ったあの「マイブラッデイ・バレンタイン」の

ライヴでも2回か3回、そういう「曲のやり直し」があった。

昨夜 素晴しかったのは、

曲をやり直すとき、ドラムズの「スラブ」氏が言い放った一言。

「このイントロに命かけてんねん」。

まあ、意味は「だから何度も演らすな」と言いたいのだろうが、

この台詞には感動した。

そういう言葉があんな風に、自然に出るのだ。

バンド演奏が、そして「歌」がもちろん いちばん素晴らしかったのだが、

この「スラブ」氏の一言が聞けて良かった。

このバンドとは、けっこう長い付き合いになるのだが、

昨夜のライヴ自体、僕が今まで見て来た「がらんどう」の

中で、いちばんよかったかもしれない、と後で思った。

 

8月には我々、ROCA’66が、この祇園・シルバーウィングスに登場するのだが、

僕の望みで、この「がらんどう」と対バンさせてもらうことになった。

2023年8月12日、土曜日。

今まで、何度も何度も「がらんどう」とは対バンさせてもらったが、

また、この歳になって、熟成した(当社比)我々が

同じステージに立てるのは、やはり嬉しい。

 

京都のライヴハウス・シーンもなかなか、面白いことになって来た。

磔磔、拾得、という二大「蔵」ライヴハウスばかりでなく、

独特の美意識とネットワークを持った「夜想」。

(ROCA’66は5月6日に「夜想」に出演が決まっている。)

そして祇園という超観光地の真ん中に立地する、

居心地の良いこの「シルバー・ウィングス」、

そして少し京都の中心から外れた伏見区・深草に存在する

「アニーズ・カフェ」。

 

僕が20年以上住んだ大阪から、京都に引っ越してきたのは

もう15年も前のことになる。

 

大阪にも愛おしいライヴハウスが、いくつもある。

ROCA’66の、

いちばん近いライヴは、そのうちの一つ、難波メレだ。

ここも大好きなハコ。

4月8日、土曜日。

久しぶりだし、当日の我々の出番は、一番手である。

 

楽しみなことが多くて、アタシは幸せだわよ。

 

 

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私は時々、嘘をつく。

2023-03-08 21:08:09 | Weblog

前回の日記で「僕には自殺願望はない」と書いたがあれは嘘だ。

 

飲み過ぎた次の日の朝などはいつも延々とその方法について考えている。

考えるだけで満足である。実行するつもりはこの先も、ない。

何故なら、えーっと、面倒臭いからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

「生」もよりも「死」の方が面倒臭いと思うのだ。

これは直観による推測でしかないが、多分当たっている。

だから私は、死ぬまで死なない。

 

それで、私はもう一つ、前回の日記で

さらっと、「自分はプロではない」ということを言った。

私にとって音楽は純粋な「お楽しみ」である、と。

だが後になって少し考えた。私は決して、アマチュアではない。

無料で音楽を提供することもあるが、そうでない場合の方が遥かに多い。

そうでない場合・・・というのはつまり、我々の音楽は有料なのだ。

そういう意味でプロである。プロでしかない。

お金を払って見に来てくれる人々だって、ちゃんといてくれる。

音楽の「稼ぎ」で生活してるわけではない、と言うだけの話だ。

 

そうなると、あの発言も嘘だったことになる。

だから、自己認識・・・というか「設定」を変更する。

 

私は、プロフェッショナルのミュージシャンである。

少なくとも片足は突っ込んでいる。

どこに突っ込んでいるのか?と言われればそれは、

生き馬の目を抜くほど厳しい、プロの修羅場的世界に、である。

 

ただ私は、音楽に対していつまでも新鮮な気持ちを持ち続けたいのだ。

まるで初恋のように、

まるで初デートのように。

まるで初キッスのように。

そのために、普段から音楽の、厳しい鍛錬などは意識的に・・・

しないようにしている。

リスナーとしても音楽を、聴き過ぎてしまわないように心掛けている。

BGMなどもってのほか。普段は極端なほど無音の環境下に居る。

ライヴも、演り過ぎてはいけない。

年に100本も演れば、ほぼ三日に一度ライヴである。

そらはちょっと、我々には多い。やるひとはやればいいのだけれど。

 

中学、高校の頃はライヴがやれるのは学園祭、と相場が決まっていて、

それは年に一回だった。それが普通だった。

 

その頃のワクワク感を私は、まだはっきり覚えているし

今でもライヴのたびに、そのワクワク感は戻って来る。

 

それだから「私はプロではない」なんて言いたくなるのだ。

 

 

まあ、私が何を言ったところで、

そんなの誰も、気にしやしないのだけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バンドやるために生きるのだ。

2023-03-05 17:40:04 | Weblog

新聞とか、今ならネットの記事なんかで

誰か知らない人の死亡記事を見かけるたびに僕は、

口にこそ出さないが心の中で指をくわえて、

いいなあ・・・・・・

と思っていた。

 

自殺願望は(多分)ないし、

それどころか「生」への執着は激しいほうだ、という自覚がある。

それでも、誰かの死亡記事はとても甘美なものに見えるのだ。

 

生きることは「面倒」をひとつひとつ、片付けてゆくことでもある。

「面倒」は次から次へとやって来る。

それは多分、死ぬまで終わらない。

でも、目の前に出現してくる出来事は「面倒」だけではない。

「ご褒美」みたいな偶然のラッキーも多々あるし、

自発的な、「やりたいこと」だってある。

でもその「やりたいこと」にも「面倒」は いちいち、もれなく、ついてくる。

例えば・・・日程が合わなかったり、メンバーと出会えなかったり、

時間が合わなかったり、いい曲が出来なかったり。

やっと出来てステージに立てたとしても、弦が切れたり、声が出なかったり、

ぼろくそにケナされたり、全然誰も見に来てくれなかったり。

でも困難あっての喜びでしかないのだ。

乗り越えて乗り越えて、それでも「困難」や「面倒」はやってくる。

それでもいちいち、あのプチプチ(梱包材)を丹念につぶすかのごとく、

「面倒」をやっつけて行くのだ。それしかない。

 

僕はだいぶ以前に決めた。

バンドやるために生きるのだ。

プロでもないし、音楽で喰ってるわけでもない。

音楽は、バンドは、ロックは、「お楽しみ」だ。それでいいのだ。

生涯かけて、「お楽しみ」のために全力を尽くしてやる。

平日は長時間労働のためにヘトヘトになってしまうが、それだっていいのだ。

トラックの中で音楽に浸れるから、その時間は全然苦にならない。

歌詞の構想だってじっくり練れる。一人っきりでいられるからね。

 

バンドが、音楽が、自身の「ライフワーク」である、という発想は、

佐治くんが病に倒れた頃から持っていた。

そして、その後深く考えもしなかったが、

そんな風な生活習慣はもう、19歳でデザイン学校を辞めた時から

ほとんど変わらない。ずっと、そんな風に生きて来た。

 

今はもう、50歳代も半ばを過ぎた。

同世代のまともな人たちは定年後の人生設計について

真剣に考えているらしい。

 

きっと僕は要領が少し悪いのだ。だがそれは・・まあいいとしよう。

 

そのせいで嬉々としてバンドやれるのだから逆に、いいではないか。

 

ということで昨夜は我々のバンド、ROCA’66のスタジオ入りだった。

やはりバンドは最高。

他にこんな創造的な楽しみは、ない。

今までの曲を研ぎ澄ませていくのも楽しいし、

新曲を少しずつ形にしていくのも、スリリングで楽しすぎる。

 

次のライヴは一か月後、4月8日 土曜日 大阪・難波の「メレ」にて。

全然知らないバンドたちに混じって出演する。

 

そしてその次は5月6日 土曜日 京都は大宮の「夜想」に出演。

対バンとかは未定。

ゴールデンウィークだから・・・遠くからの人も来れるよ。

 

そしてその次、

6月17日 土曜日 は、大阪・大正の 「田中屋酒店」での

ロックンロール・ミーティング。

ザ・マンガンズ主催の、あの楽しすぎるライヴ。

 

月イチでライヴ・・・というのはコロナ禍以前のノリだ。

イイと思う。

 

ライヴをやるたびに、バンドは進化する。

メンバー間の関係性は濃くなってゆく。

我々には利害関係なるものが、あるようで、ない。

いや、ないようで、あるようで・・・・やはり、ない。

利害関係なんて、「ない」ほうがいいのだ。

 

 

我々はただの、「真剣な遊び仲間」であるのだ。

それがいいのだ。

 

 

我々のライヴを目撃しに、来てください。近日、来てほしい。

死ぬまで・・・もしくは、やれなくなるまでやるけどさ、

その日がいつ来るか、なんて誰にもわかりなしないのだ。

 

 

 

写真は、前回ライヴの我々。撮影者は、ドンちゃん。

 

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