大晦日に思うこと。

2015-12-31 13:47:04 | Weblog


年の瀬、大晦日。

今年、お世話になった人達に、最大限の感謝を捧げます。

どうもありがとう。そして、これからもよろしく。


1年前の今日と、地球が(太陽に対して)まったく同じ位置にある・・・んだよね?

きっちり1年経つ、ってのは、そういうことだよね。

感慨深い・・・とか言って、その事に何の意味があるのか?と言われれば、

「ない」かもしれないんだが、


一見無意味に見える世間の、世界の、いや宇宙の・・・出来事に、いちいち

「意味付け」していくのが我々、人類の存在意義なのですよ。


「シュレーディンガーの猫」の思考実験の結果が示しているのはきっと、そういうことなのだ。



しかし大晦日って何だかコドモだったときのこと思い出すなぁ。

そういうのって、俺だけだろうか?・・・・・・・・・・・。


コドモの頃の俺(小学校くらいから高校生くらいまで)は、

日本的なものがとにかく嫌いだった。

食べ物なら「おひたし」とか「煮付け」とか嫌で。「味噌汁」も貧乏臭かった。

ほとんど何も食べ(られ)なかった(その当時の我が家はほとんど、和食オンリーだった)から、

不健康に痩せた、貧相なガキだった。

他にも、「和式便所(特に汲み取り式)」とか「和風家屋」とかも駄目だった。

(幼児の頃住んでいた戸山ハイツが洋式の、水洗だった・・・という要因もある。)

「畳」も嫌だった。フローリングに憧れた。

そして「クリスマス」はいいけど「お正月」は大嫌いだった、徹底的に和風だから。

「着物」も、古臭くて不便で時代遅れ・・・と思い込んでいたし、

ひらがな、とか漢字も、ダサかった。アルファベットの簡潔で、記号的で、お洒落なこと。

あと、そうそう、その集大成みたいな「時代劇」も嫌だったな。


何故あんなに?と思うのだが、


あれはやっぱり、日本という国自体が「敗戦」ということに端を発した

強烈な「自己否定」の中にいたのだろう。

(明治時代の「脱亜入欧」の流れの名残もあったか。)

そういう風潮をコドモだからこそ、の無責任さで無意識に、敏感に感じ取っていたのだろう。


だが、

大人になってからやっと気付いた。

「畳」の便利さ、美しさ。「煮付け」の押し付けがましくない、優しい味。「味噌汁」の、美味、豊穣。

トイレだって「和式」の方がいろんな意味で合理的(姿勢とかね)だし、

「くみとり」して、それを肥料に使う、という思想が素晴らしくエコなこと(「エコロジジー」はつつましやかで、上品だ)。

服装に関しては普段はやはり、ジーンズに革ジャン、ということになってしまうけど、

女性の振袖なんか、この上なく美しい・・・と思うようになった。

もちろん、作務衣などの実用的な簡素さも素敵だ。

そして何よりも「日本語」というもの持つ、深さ、柔軟さ、面白さ。

「時代劇」は観ないにせよ、江戸文化に強い興味を持つようになったし。

そういうものたち(希少な、文化や風習・風俗)を大事にしたい、と思うようになった。

・・・・・・「憂国」とまでは、思いつめないんだけれども。


結局、コドモ時代の憧れのままに・・・ロックが好きになって、アメリカ製のジーンズをはいて、

アメリカ製のギターを弾いて、「アメリカ文学」に(翻訳ながら)没頭して、

出演できる、となれば嬉々としてテキサスやNYにノコノコと出掛ける・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(歌詞は、日本語で創作するけどね。)



というような人間になって、それは時代的必然でもあるのだけれど、

それってどうなのか?などと、思わなくも無い。

だけど「グローバル化」はいいことであろう、と思っている自分も居る。

「欧米化」が「グローバル化」ということではない・・・・のだけれど。


この「考え事」には、「答え」って存在しない。


でも、他の人も多からず、そういう部分ってあるよね?

そういうこと考えたりとか、するよね?





とりあえず、話はここで切り上げて。





・・・来年も、我々は、会えるだけ会いましょう。

そんな風に切実に、生きていこうではないか。









などと決意する、2015年12月31日の片山道郎なのであった。





また来年。


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FENDER MEX ”CYCLONE Ⅱ”

2015-12-29 13:57:56 | Weblog


フェンダー・ムスタングがいちばん好きだった。

そのシェイプ。

少し小柄なところも、とても良かった。

だからまだ20代の初めごろ・・・・・あれはアメ村で働いてるくらいの時期だったかな。

ランブルフィッシュで使うために、新品のムスタングを買った。

7万くらいだったかな。思い切って、買ったんだ。

一人暮らしの、古着屋勤めの、食うや食わずの(←マジだって)貧乏暮らし・・だからもちろん、ローンを組んで。

でも、それは意外と「使えない」ギターだった。

後で聞くと、当時の、初期のフェンダージャパンのムスタングは評判悪いらしい。(出来が悪い、ってことか?)

そんなこと知らないし、フェンダーUSAの、オールドのムスタングなんて高くて買えなかった。倍くらいの値段だったかな。

俺が買ったのはフェンダー・ジャパンのムスタング。白くて、美しいギター。

何故使えなかったか、というと音が弱い感じがしたから。

だから、ランブルフィッシュではそれ以前から使っていたストラトキャスターを使い続けた。

ムスタングは、ランブルのワンマンライヴのときは一曲くらいで使ったけど、

あとは家で眺めていた。

あのとき、もし 倍くらいのお金を捻出して(どう足掻いても無理だったと思うが)、

オールドを買っていたらもしかしたら、

メイン・ギターとして使えるものが手に入ったのかな。

でも好きだったから、いいや。あれはあれでいいギターだった(と、日記には書いておこう)。

そうだ、「ばるぼら」の1997年の2ndアルバム「レイコとの夜」に収録されている「BQロック」の録音は、

そのムスタングを使った。ギターソロは3テイク録って、あとで「一番下手なテイク」を(自選で)採用した。

何しろ、ソロの途中でチューニングが微妙に狂っていく。滅茶苦茶、と言えば滅茶苦茶である。

・・・・・というような、とても愛着のあるギターだったのだが、

その後・・・・今から12年位前、正垣祐樹の家に入った空き巣狙いの泥棒に・・・・盗まれてしまった。

ひゅぅぅぅぅぅ(←風の音)。

それから、色々ありまして。

今年になって俺は

フェンダー・メキシコの「サイクロンⅡ」というギターを手に入れる。

これは見た目はほとんどムスタングで、

しかしスケールがミディアム・スケール(ギブソン・スケール)で、

ピックアップとピックアップセレクトスイッチがジャガー用のもの。

トレモロユニットはストラト用のシンクロナイズド、という

変態合体ギターなのだ。キャンディ・アップル・レッドのボディに、白いライン。

かっこいいし、便利そう・・・・と、わりに軽い気持ちで手に入れたのだが、

後になって気づく。これって、昔から(無意識で)探してた、

俺にとっての「理想のギター」なのではないか?と。

「サイクロン」は、ヤフオクなどで、他の個体も時々、見かけるのだけれど

「サイクロンⅡ」は、ヤフオクでも、楽器屋の店頭でも、ギター雑誌でも、見たことがない。「珍品」と言ってもいいだろう。

「他に誰も着ていない服」のように、ギターも、そういう要素って(俺にとっては)大事だ。

(ああ、20年前はほとんど誰も、シングル・ライダースなんて着てなかったんだぜ。)

ちゃんと、音も良い。

余りギターに詳しくない人には「ただのムスタング」に見えるみたいだけど、

それはそれでいい。何しろ俺は、ムスタングをこそ、愛していたのだ。

長年、欲しいと願っていた「使えるムスタング」。

当分はこれを使うから、いつかライヴに、実物を見に来ておくれよ。





追記

YOUTUBEにアップされてる、ランブルフィッシュの「ぼくらの世界」という曲の動画の、

終わり近くで、俺が、この話に出てくる「フェンダー・ジャパンの白いムスタング」を抱えてる場面が

あった。チラッとだけど。希少だ、レアだ、有難い。興味ない人も(?)ぜひぜひ、見て見てください。
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街のはずれで、本を読みながら暮らしている。

2015-12-28 12:30:20 | Weblog



いろいろあった2015年もそろそろ、終わりが近づいています。


個人的には楽しいことばっかりだった気がするんだけど、そうでもないか?

(社会的には酷い出来事も沢山あったが・・・。)

恐ろしいくらいのスピードで我々は「忘れながら」生きている。

忘れたくないことまで忘れる。(戦争法案の件は忘れないけどね。)

忘れたいことは忘れられなかったり・・・することもある。

眠れない夜に心の中に飛来するのは「過去のこと」ばかり。

だからこそ、「夜中の3時の考え事」は、やめたほうがいいのだ。

内省的になってみたところで(そんな時間には何処にも)、行き場などないのだから。




さて、ほかのことは何もせず俺は(やれよな)、また本ばかり読んでいる。

来年がのっそりとやって来て、大型トラック乗務、そしてスタジオで音楽浸け・・・の日々がまた始まる前に

げっぷが出るほど本を読んでおく心積もりである。

考えてみたら

我が家にはいつもいつも、「音」がない。CDやレコードはそれなりの数があるが、

(ほんの稀に来客のあるとき以外は滅多に)かけない。聴かない。

「BGM」のようにして音楽をかける習慣が無いのだ。

(聴くときはヘッドフォンで大音量で、集中して聴く。)

他に音の出るもの・・・・テレヴィなど、もう何年も、そのスイッチにすら触っていない。

電源は入るのかもしれないが、完璧に無用の長物である。

ラジオは仕事でトラックに乗るときだけしか聴かない。

そうだ、

ウチには楽器はたくさんあるんだな、そういえば。それも時々、忘れる(嘘)。


部屋で本を読みながら聴こえているのは窓の外の通奏低音のような街の音と、

ファンヒーターのファンの音。

私は空気を吸うみたいにして本を読む。すうっ、はあっ。


それでね。

10年前に読んだ「ダ・ヴィンチ・コード」を古本屋で(安価でw)発見したので、暇にまかせて再読してみた。

前回よりも時間をかけて、丁寧に読んでみた。(前回は斜め読みしたのだ)。

・・・・・・面白く読めたが、ハリウッド映画みたい、という前回の印象と全く同じ読後感であった。

読後感っていうか・・読みながら間中、ずっとそう思っていた。

この本を原作に映画が作られて、映画も大ヒットしたんだよね。

映画のほうは見てないんだけど。あまり、映像作品って見ない(ようにしている)ので。

ハリウッド映画が嫌いなわけではないんだが・・・・。

扱ってる主題は深く、シリアスなのに作品自体は・・・浅くて、薄くて、御都合主義的な感じが拭えない。

(歴史的史実は実に興味深いけど。例えば「黄金比に関するあれこれ」とかね。)

同じハリウッド映画でも以前読んだ「12モンキーズ」のノヴェライズ小説は良かった。

ノヴェライズ(映画の小説化)なのに、深く、重く、心に残る小説作品であった。

こちらは映画のほうも見ていて、すっごく良かったんだけどさ。

「ダ・ヴィンチ・コード」は、一種の、推理小説仕立てになっていて

(一番犯人らしくない人物が犯人で、みたいな)、

そういうのってちょっと、軽いよね。まあいいんだけど。




でも、その前に読んだ、梨木香歩の小説は、すごかった。

「からくりからくさ」、そして「りかさん」。

「りかさん」という一冊の本には2編入っていて、表題の「りかさん」ともう1編、「ミケルの庭」。

心にずっしり来る小説。

「マジック・リアリズム」という言葉・・・というかジャンルみたいなもの、について

ちょっと真面目に考えさせられた。

最近、村上春樹さんの小説が海外で「マジック・リアリズム小説」と言われたりするらしい。

他には例えば、ガルシア=マルケスの小説とかが「マジック・リアリズム」と呼ばれる。

大雑把に言うと、

描かれているのは日常なのだが、その中でさりげなく超自然的な出来事が起こって・・・・みたいな。

(「百年の孤独」とか確かに、そんな感じかも。)

梨木香歩さんの以前からの小説の多くも、そういう構造になっていた。

今回読んだ「からくりからくさ」と「りかさん」と「ミケルの庭」は、繋がっていて、登場人物も重複する。

時系列で言うと「りかさん」「からくりからくさ」「ミケルの庭」という順。

でも描き方が全然違っていて、「りかさん」はマジック(ファンタジー?)寄り、

「からくりからくさ」はリアリズムとマジックの融合、

「ミケルの庭」はリアリズム(マジックなし)。

「マジック・リアリズム」という観点に対してとても自覚的に

「描き分けられた」小説群なのかも・・・・と思ったのだ。




でもこういうのって、その「本」読んでないと伝わらないんだよな。

ごめんごめん。

わかってるんだけど、

「感動」があったから、その話をしたかっただけだよ。

やっぱ、「読書」っていう行為は少し、

「内向的」な側面があるね。






来年はたくさんライヴやるからさ。










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クリスマス

2015-12-25 10:51:29 | Weblog

本日はクリスマス当日でありんす。

エスさま(イエスさま?ジーザス・クライスト?)の御生誕の日、とされてるそうで、

前にもこの日記に書いたのですが

私としてはそれ以前のこの日の風習、「冬至のお祝い」の方がしっくりくるので御座いますよ。

それと個人的に、古い友人の誕生日が冬至と重なっている、

ということを何年か前に知り(教えてくれたSさんありがとう)、

遅まきながらその事をささやかに心の中で祝うだけです。

今年の「冬至」は、おとといだったんだよね。

しかしアレですね、、今思ったのだけれど

「冬至」を祝う、という風習はキリスト教以前(ってことは紀元前!)

から、世界各地で存在するらしいんですが、その切実な心境は・・・・・・

農耕民族のもの、なのかな。

季節の巡りが、いちばん「生きていくこと」に密接なのが「農耕の民」であったろう。

もちろん、どんな者でもそう、なのだけれど、特に。

実は俺もさっき、自分で管理してるささやかな「花壇」を見に行ったら、

来年春咲くはずのチューリップの球根が一個、誰か不届き者に掘り返されているのを発見して、

温和な私にしては珍しく、憤怒の中で丁寧に埋め戻す作業をしてきたばかり。

(不届き者には天罰が下ることを。)

球根はもう緑色の芽が、ちょこんと出ていて、愛らしいことこの上ない。

この子(←擬人化されている)がちゃんと咲くには、冬至を境にゆっくりと、

昼と夜の長さが逆転し、ほんの少しずつ、春に近づいて行ってくれないと。

「季節」にはちゃんと機能してもらわないと、生きとし生けるもの全てが困り果てるのです。

私は今現在、「冬休み」のような心境で粛々と暮らしておりますですハイ。

来年からは働き出す目途が立ち(先のことなんてわかりゃぁしないんだけどきっと、うまくいくであろう)、

近く「日常」が「日常としての顔」を取り戻す予定。

それで、どうなるのか?と言えばそれはそれで、また淡々と生きていくだけなのでありますが、

それだけで充分じゃ御座いませんか。

また新しい歌を創ったり、トモダチと逢ったり。

そんなことばかりが続くのかと思うと、嬉しくて眩暈で倒れそうな気になります。


さて、ここでひとつ、12月25日にふさわしい文学上のささやかな話を。

古い話なのですが

1979年に「群像新人文学賞」を受賞したのは

村上春樹氏の記念すべき第一作目の小説である「風の歌を聴け」なんですが

(俺はこの作品に個人的に、強い思い入れがあります)、

どうも、この作品、初めからこのタイトルではなかったみたいなのです。

確たる証拠はないのですが、

「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」

というのがもともとのタイトルだった、

という話が、関係者だけが知っている噂・・・として、存在するのです。

そう言われて見れば確かに、単行本の装丁は

佐々木マキ氏の描いた表紙画の上のほうに手書きの小さな字で

BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMASと書いてあるし

(「HAPPY」は後入れされた「風の歌を聴け」の文字で隠されてしまっている)

表紙カバーをめくると真ん中に

             HAPPYB
             IRTHDAY
             ANDWHI
             TECHIRI
             STMAS●


とだけ、印刷されています。

まぁ、真偽の程はともかく、「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」って

型破りで一種、素敵なタイトルだし(俺はこっちの方が好き)、

このタイトル(かもしれない)、ということを念頭において読むと作品もまた、

違った感じがするかもしれません。


・・・・うーん、今思ったのだけれど「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」ではなく

そのまま英語(アルファベット)で、

「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHIRISTMAS」

だったかもしれないよね。

真相を作者が公表することは恐らく、ない・・・・だろうから

本当はどうなのか?ってことはわからないんだけど。

(この話はもちろん、WIKIにも出てません。・・・そりゃそうだろうけどさ。)


(訂正。WIKI には、載っているらしい!)




「風の歌を聴け」、というタイトルはトルーマン・カポーティの

「夜の樹」という最高の短編集に収録されている

「最後の扉を閉めろ(シャット・ア・ファイナル・ドア)」の最後の文章から取った、と

村上春樹さんは説明しているのですが、

こちらも もちろん、素敵で御座います。





カポーティは本当に・・・・「天才」って感じがするよね。



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アタシは「飽きっぽい」ワケではない。

2015-12-22 13:22:55 | Weblog

しかしアレよね。

アタシ、今までの人生の中で、何回くらい「失業中」っていうジョータイを

ケーケンしたのかしらね。

冗談抜きで、数えたくないのよね。

15回くらい・・・?もっとあるか?

あたしが「飽きっぽい」とか、

「いい加減だから仕事が長続きしない」とかじゃないのよ、いや、本当に。

え?みんなそう言うって?そりゃそうかもしれないけどアタシの場合、

バンドだってばさ。バンドの予定を最優先してたらそうなっちまったんだよ。

今はそう、そんな「野心」も、落ち着いてしまってるけどさ。

やるだけやったから、それはそれでいいんだよ。

それはともかく・・・

いちばんヒドかったのはあの時だ、1998年にさ、

「ばるぼら」で、2月くらいにレコーディングで2週間、東京のスタジオに泊まり込んで、

そのあと4月にSXSW出演のために一週間くらい(だったよな?)、

アメリカはテキサス州オースティンに滞在して、6月に北京でライヴのためにまた一週間、中国へ。

中国から帰国して直後、そのとき働いてたショップ(時計、アクセサリー)は解雇。

君、休み過ぎやわ・・・だって。ははは。そりゃそうだ。

そのあとが悲惨だった。

同年11月に「ばるぼら」でのアメリカ、NYでのCMJミュージックマラソン出演と、

そのあとまた「ばるぼら」の3RDアルバムの録音が決定していたので

(録音となるとまた、東京のスタジオに2週間こもる)、

面接で馬鹿正直にそんなこと言うもんだから(「11月に1週間、そのあとまた2週間休みます」)、

いくら面接しても何処も雇ってなど、くれはしない。

60社以上、面接を受けた記憶がある。もう後半は、ノイローゼ気味だった。

もう面接受けすぎて、わけがわからなくなっていて、一度落ちた運送会社に知らずにもう一度行ったら、

面接する人間が違う人で、俺ももう懲りていて、「11月に長期間休みます」などと言わずにいたので、

何とか採用してもらえた。あの時は本当に嬉しかった。悪夢の3ヶ月求職状態であった。

今回はしかし、あの時みたいに悲惨ではない。

だって、(仕事の)面接に、受かるのは受かるのだ。運転手は人手不足らしいし。

でも行ってみたら・・・・・ちょっと話が違う、という場合が多くて、

それはそれで困るのだが、あのとき(1998年)みたいに、

「面接で門前払い」、ではないので、気持ちは平静で居られるのだ。

あたしだって、捨てたモンじゃないわよね・・・って感じで。

でっかいクルマだって今では、スイスイ運転できるぜ(←本当か?)。

・・・本当だってば。

捨てる神あれば拾う神あり、

八百万のカミサマの皆さん、

アタシを拾いなさいね(「捨てられた」ってこともないんだけど)。

そうそう、俺は失業中ではあるが「本業」のバンド、ROCA’66は充実稼働中。

ギタリストにもと「ワームス」の赤井を迎えたのは知ってるよね?

その「完全体」の状態で、2016年は既に、いくつかライヴを決めてるのだ。

2月7日 日曜日 梅田 HARD RAIN

3月5日 土曜日 扇町 パラダイス

4月10日 日曜日 十三 CLUB WATER


まだ先だけど、来て欲しいよ。


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岡本おさみ

2015-12-18 15:15:53 | Weblog


今日は寒い日です。



昨日・・・



私が、心から敬愛していた作詞家、岡本おさみ氏が亡くなったそうです。



ああ。



謹んで追悼の意を表したい。




大好きな「歌」が、いくつも、いくつも、ある。



一曲だけ挙げることが出来ない。



どんな歌だったか、喩えることも出来ない。



巨大な詩人だった。






「言葉」に、人の心を動かす力がある、と初めて気付いたのはまだ少年だった頃、




彼の書いた「歌詞」を(多分、吉田拓郎の歌で)聴いた時だった気がする。







さよなら。



あなたは、多くの人の心の中に、「哲学」としての美しい言葉を残してくれました。






どうもありがとうございました。










安らかに。

















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無題

2015-12-18 14:52:07 | Weblog






幻のハイ・ウェイに乗っかって




                      君が探してたのは俺だろ?




血眼になって重箱の隅をいくら探したって「答え」(もしくは「納得の行く結末」)なんか




           そもそもの はじめっから 無かったみたいだ。









「失われたもの」だけが持つリアリティ



俺達ってば


         楽園に住んでたハズなのに。





でも確かに、



          もうちょっとだった、って気がするぜ。




   あとちょっと・・・・だったんだ、ベイビーブルー。





とは言え






 大事なことは何だって、最後にならないとわからない。




                              そうさ



時間がいくらでもある、って思ってたのは錯覚だった。





揺れ動く心を抱えて



         ばらばらになりそうな昨日、そして今日。






首をすくめて やり過ごしちまえよ。






 


嫌なことは全部、今日中に終わるからさ。  





         
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チューズデイズ・ゴーン(追記あり)

2015-12-15 21:19:18 | Weblog


ひぃっ。


YOUTUBEで今しがた、かなり心に響く動画を、偶然発見してしまった。


グレッグ・オールマンの歌う、レーナード・スキナードの名曲「チューズデイズ・ゴーン」。


(このへんのロックに興味ない人はあっさりスルーしてね。)


グレッグ・オールマンは言わずと知れた、「オールマン・ブラザーズ・バンド」の


メイン・ヴォーカル兼キーボード。


「オールマン・ブラザーズ・バンド」と「レーナード・スキナード」は、


1970年代のアメリカの「サザン・ロック」の2大巨頭バンド。


まさか、グレッグ・オールマンが「レーナード・スキナード」の曲、歌うなんて。


しかし、とてもいい。心に、まっすぐ届く。


「レーナド・スキナード」の曲って、ほかの人(ロニー・ヴァン・ザント以外の人)が歌っても全然良くないのに、


さすがグレッグ。・・・・っていうかこの人、この歌、大好きだったんだろうな。


そうじゃないとここまで歌えないと思う。


「火曜日は去ってしまった、俺のベイビーを連れて、永遠に去っちまった」(道郎意訳)


っていうような感傷的な歌。


グレッグの老け具合からして、わりと最近の動画なのだろう。


バンドは多分、「グレッグ・オールマン・バンド」だろう。


ギタリストがギブソンSGなんか使ってる。でもすごくいい音。


チューン・O・マティック・ブリッジじゃないんで一瞬SGジュニア?と思ったけど、


ブリッジだけ改造してる、多分。・・・・物好きな。(バー・ブリッジじゃ、オクターヴ調整できないだろうに。)


こういうのって・・・でも、ちょっと感慨深いよ。


佐治に教えたいな。


それで二人で、おおー!とか言いながら何度もこの動画見たい。


「チューズデイズ・ゴーン」は佐治が(俺も)、大好きな曲だった。






いろんなことが切ない。






追記


その動画のURLを載せておくよ~。


https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fyoutu.be%2F-EOD8w-3Tz4&h=lAQEvTwvr


それとギター、よく見たらやっぱSGジュニアだな。


ブリッジも、オクターヴ調整できるパダス・ブリッジに換えてるみたいだ。



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君は元気ですか。

2015-12-13 18:19:46 | Weblog




年末が近いからか、何となく内省的な気分で生きている。

君は元気ですか。


僕は珍しく体が少しだけ悪くて(大したことはない)、

そのせいで随分と、色んなことを思う。

君があの頃、どんな気分で毎日を過ごしていたのか、とか。


でも君は偉かったよな。

最後まで、絶望せずに生き抜いたんだから。









君と出会った初期の頃は、「こういう人とわかり合うのは無理だろうな」と

本気で思っていた。

タイプが違いすぎる、と。

それでも君は魅力的だったから、君について回ったりした(犬か?)。


でもそのうちに気がついたんだよ、僕等は結構似てるところがあるって。

・・精神的に。


でも考えてみたら、我々が出会ったのは確か16歳くらいの頃で、

だから人間的な「タイプ」なんて確立されてなかったかもしれない。


僕は君にすっごく影響されたし、

君だって、僕にそう言ったことがあった。「すっごく」とは言わなかったが。


そんなこんなで最終的には本当に、心の深いところまで、

センスを共有できた。

奇跡的なことだったと、今でも思う。


そんな風に思うたびに、心が温かくなるし、

自分に自信が持てる気がする。




僕はもう少しこの世界に留まって、悪あがきを続けるぜ。




時々、落ち込んだりとかしてしまうけど、

何とかなる。



何でまた君のことばっかり考えてるのか?いうと、



そうだった、久しぶりに夢を見たんだよ、それも鮮明な。



まだ二人とも高校生で、学生服を着てて、時間は朝で、

これから学校に向かう、っていう夢だった。



すごい新鮮な感じ。



「昔のこと」、ではなく、「それが現在」って感じ。



最高に楽しい夢だったんだぜ。




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洋楽よもやま話

2015-12-10 20:44:41 | Weblog


プリテンダーズ好きだったんだよね。


「だった」っていうのはおかしいか、今でもクリッシー・ハインドは


プリテンダーズのヴォーカリストとして健在だし。


でも最強のプリテンダーズは何と言っても、オリジナル・メンバーの頃だし、


それは・・・1979年までだったかな。


79年に、ギタリストもベーシストも、ドラッグのオーヴァードーズで死んでる。


二人ともクリッシーの恋人、もしくは元恋人だったはずだ。


今になってYOUTUBEでこんなに、


オリジナルメンバー時期のプリテンダーズのライヴ映像なんか見れてしまうと、


感動で、「もったいない」っていう気さえ、してしまう。


高校生だった頃なんて、洋楽ロックの映像が見たくて、


ほんの時々だけ、深夜の「ベストヒットUSA」とか


始まったばかりだったMTV(俺たちが見れたのはSONY MUSIC TVだったと思う)を


4時間くらい我慢して観てても、4時間のうち1曲か2曲、


いいのが見れるか、もしくは全然駄目か、といったありさまだった。


ワム!とかデュランデュランとか・・・・下らないものばかりだった。


プリテンダーズの「ミドル・オブ・ザ・ロード」は(80年代の「復活プリテンダーズ」の曲なのだけれど)、


ほんの時々、見れたな。大好きだった。とても貴重だった。


しかし、プリテンダーズの良さってなかなか微妙で、絶妙で。


クリッシー・ハインドがそんなに美人なわけでもなく、


サウンドにパンク的な派手さもなく、


でも最高にお洒落でパンクでニューウェーブで。いい歌で。


何というか、「粋」のカタマリ・・・みたいな。そんなバンドだった。



さて、洋楽話ついでに、ジミヘンのことを。


今月のPLAYER誌(ギターの専門誌デスね)に、ジミヘンの「ラストインタヴュー」


というのが載っていて、それはそれで感慨深いのだけれど、その冒頭の文章で語られていること。


そのインタヴューをしたキース・オルサムという人(当時のトップ・ジャーナリストだそうだ)が


何と、あの「ステージでギターに火をつけて燃やす」というパフォーマンスのアイディアを思いついて、


ジミはそのアイディアを彼からもらった、書いてあるのだ。


なるほど・・・・・・・・・・・・我々みたいな後年のファンは、(良くも悪くも)ジミを神格化しているので


あの「火付け」は、ジミが「霊感に導かれて」やったような気さえしているのだが、


そうじゃないのね・・・・・・・と思って、とても新鮮だった。


あれって、「酒の席での笑い話」だったのかもしれないよね、


「ステージでよ、ギターにジッポ・オイルかけて火ィつけたら最高にアタマおかしいぜ?」みたいな。


それ聞いたジミが真面目な顔して、「俺はそれ、やるぜ」みたいな。


何だか、ジミ・ヘンドリックスが身近に感じられて、嬉しい。





えーとそれだけなんだけどさ。


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