すっかり世の中のことに疎くなってしまっていて、
村上春樹の新しい長編小説が出ることを昨日、知った。
昨日というのは確か、発売日のはずで。
もう読んだ、という人も大勢いるのだと思う。
今から書く文章は、資料とかを調べずに、うろ覚えのままで書く。
「街と、その不確かな壁」というのは
一作目の長編「風の歌を聴け」で群像新人賞を受けたあとに
村上春樹が、二作目として書いた中編だったはず。
(後日訂正・書かれたのは「ピンボール」の次だった)
当時の「群像」誌に掲載、という形で発表された。1980年?か。
(後日訂正・「群像」ではなく、「文学界」だったみたい。)
発表はされたものの、
本人が出来を気に入らなかったみたいで、
単行本化もされず、もちろん文庫化もせず、
全集にも入らず、「幻の作品」となっていた。
当時の「群像」のバックナンバーを探せば読める・・・はずなのだが、
文芸誌とは言え雑誌だし、古本屋業界では今では超高値らしい。
僕は、村上春樹研究本でその存在を知って、読みたいと思ったが、諦めた。
でものちに この「街と、その不確かな壁」という作品の構想は、
ターボエンジンみたいな「ハードボイルドワンダーランド」
と交互に語られる形で「世界の終わり」へと形を変えて合体して、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という
村上春樹作品の最高峰と言われる(僕もそう思う)作品に結実した。
初期作品の核心は、「直子」の存在だった・・・・と僕は思う。
一作目の「風の歌を聴け」も、文中で巧妙に隠されているが
核心は「直子」だ。よく読み込むとわかる。
二作目の長編「1973年のピンボール」では
ついに「直子」という名前も登場して、彼女のことが語られる。
初期長編においては ほかの登場人物は一切、普通の名前を持たないのだ。
物語の最後で「僕」が再会しているのは疑いなく「直子」だ。
三作目の長編「羊をめぐる冒険」では、直子のことは語られない。
「直子」から離れよう、と春樹さんが思ったのかな?
この物語の核心は「鼠」にある。そして不思議な羊。
それでも(「直子抜き」でも)、これは素晴らしい作品だと僕は思う。
とてもとても好きだ。
そして次の長編はさっきの「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。
これは「街と、その不確かな壁」の発展形として書かれたはずなのに何故か、
「直子」の影が薄い。
実は昔から、そのことが不思議だった。
「世界の終わり」の方の図書館の女の子はもしかしたら「直子」
なのかもしれないけど、記憶も失っているし、「心」も失っている。
「私の心を探して」とか言う。
「直子」だったとしても、彼女の抜け殻みたいな感じ。
でも「僕」は最後に彼女と森の奥で暮らすことを決断する。
それでも、その不可思議さも、この作品の魅力だ。
そしてその次の長編が、大売れに売れた、「ノルウェイの森」だ。
ここでは「直子」のことが正面切って赤裸々に語られる。
「直子」と、もう一人の女の子のこと。
もしかして装丁の緑と赤の赤の方は、「赤裸々」の赤なのかもしれない。
緑の方は言うまでもなくもう一人の女の子の名前と、
「陽光」のイメージの緑なのかもしれない。
でもこの作品は、赤裸々過ぎて・・・・たぶん、そうなのだろうけど悲しい。
何かちょっと「直子」の扱い方が違う気がするし。
だから僕は「ノルウェイの森」を、手放しに「好き」とは言えない。
春樹さんにとって(直子にとっても)、大事な作品だとは思うのだけれど。
大売れに売れたけど、それ以前の作品の核心を知らない人には、
読んでも何のことだかわからなかったと思う。
買ったけど読んでない、と言う人も多い、と聞く。
で、
春樹さんはここで「直子」について語るのをやめてしまった。
っていうか もしかしたら「語り終えた」のかもしれないな、と
僕は思っていた。
その後に出た、いくつもの長編小説は、今挙げた初期の作品に比べたら
ポテンシャルもテンションも「深み」も劣る。
ただ地の文章が濃密で上手いので、面白くは読めるのだが、
結局、何が言いたいのかわからないものばかりだ。
勝手に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
までを仮に「初期作品」とする、として、
僕は春樹さんの初期作品は全部、二十回以上読み直している。もっとかもしれない。
(今は話を長編小説に絞って話している。)
でも「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以降の作品は、
読み直す気がしない。
「ダンス、ダンス、ダンス」は五回くらい読んだかもだけど。
ただ春樹さん、短編小説とか、エッセイとか、
音楽に関したもの、とかインタヴュー集とか、旅行記とか、
ノンフィクション(あのサリン事件のやつ)とか、
僕は実はほぼ全部読んでいるけど、「長編小説」以外の作品は、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以降の作品も、どれも素晴らしい。
何回も読み直す価値もある。
やはり、長編小説は、作品の核となる
「磁力を持ったモチーフ」が大事なのかもしれない。
昨日発売された「街とその不確かな壁」では
モチーフとしての「直子」が再登場しているのに違いない、
と僕は思う。
こういう、最初期の作品のリライト(書き直し)を村上春樹が
やる、とは想像もつかなかった。
そろそろ、自身のキャリアの終わり、みたいなことを
意識されたのだと思うのだが、
初期からの読者としてはとてもとても、嬉しい。
明日買いに行くのだ、雨が降ろうと構わない。
ずっと、長いこと、読みたくて読みたくて、でも無理・・・と諦めていた
あの「街と、その不確かな壁」が何と、
(リライトされてる、とは言え)新刊として出るのだ。
文学的に、こんなに嬉しいことは、滅多にない。