チャボさんの、ミニライヴ&トークショウ&サイン会、というものに僕がノコノコ出かけて行ったのはいつだったか。
ばるぼら のCDを持って行って、手渡した記憶があるので、
1999年なのかな。西暦2000年か?
場所は、梅田のタワーレコード丸ビル店だった。その場所はついこないだ、閉店した。
サインしてもらってる時に僕はチャボさんに、
「あの・・・・僕も、新宿の戸山ハイツに住んでたんです子供の頃」と言ってみた。
チャボさんは「ああそうなんだ?」と反応してくれて
戸山ハイツのどこだったの?と質問して来た。
「あの・・・12号棟に住んでたんですよね」」と言ったら少し興味が薄まった感じで
「ああ、新しい戸山ハイツか」とつぶやいた後、気を取り直して、
「俺のおふくろも、今もあそこに住んでるよ」と教えてくれた。
新しい戸山ハイツ・・・・・なのだ、近代的な団地の戸山ハイツは。
でも、僕はそれ以前の、平屋の、長屋みたいな戸山ハイツを実は覚えている。
もう、忘れかけていたのだけれど、今日突然、記憶がよみがえった。
僕と母親と兄貴と僕とで寝ていた部屋は何と、三畳間だった。前時代的。「土間」さえ、あった。
その、土間から三畳間を見ている景色が記憶として残っていた、辛うじて。
3歳くらいだと思う・・・・・その時の僕は。
だとすればそれは1969年だ。
たぶんそのちょッと後に、すぐ近くに建てられた、当時としては近代的な
四階建ての団地に引っ越すのだ我々は。それが「新しい戸山ハイツ」。
チャボさんの一家もそうだったであろうと推察するのだが、
それ以前から長屋の戸山ハイツに住んでいた家庭は優先的に団地に引っ越す権利を得たらしい。
加藤家も、ウチ(片山家)も、そうだったのだ。
あのとき、1999年(か、2000年)に「まだあそこに住んで」いたチャボさんのお母さんも、
恐らく、今はもう、戸山ハイツにお住まいではないだろう。
想像するに年齢的に・・・とっくに他界されていても全然おかしくない。
諸行無常である。
でも僕だって誰だって、ミックジャガーだって、ボブディランだって、いつかは死ぬのだ。
ブライアンジョーンズみたく早世してしまった友達もいるが・・・・・・早いか遅いか、それだけの違いでしかない。
ただそれだけなのだ。