それでいいのかもしれない。

2015-10-28 19:31:55 | Weblog

・・・・・?




・・・・どうして雨なんかが降ってるのだろう?



このところ 晴天続きだったので、

ちょっとした雨が降る光景がとても奇妙なものに見えた十月の夜。


でも、何で雨なんか降るんだろう?



それはさておき、私はこの朝また、ずっと考え込んでいた。


「ひとの幸せとは何か?」ということについて。


ひとの幸せ?そんなの決まってるじゃん、


どこも痛くなくて、寒くなくて、お腹が減っていなければ幸せ・・・・だぜ、そんなの。



そうか。



確かに、そうなんだけど


そこからもう一歩、踏み込んで・・・・・・うーん。


ありがちかも、だけど

自己実現・・・みたいなものこそ「幸せ」なのかもしれない。


ふむふむ、そうだよね。



あと、「物欲」みたいなのって、よく軽視するひとがいたりするけど


「物」だって・・・


「精神性が物という形を獲得した」と考えると、

欲しかった「物」が手に入ることは「幸せ」である。



なかなか・・・ないんだってば、


「本当に欲しかった物」が手に入ることって。





でも、手に入ったからと言って、それが帰結点ではない。


我々は「欲しかった物」とただ、一時的に同居しているだけなのだ。



例えば、ギター。例えば、バイク。例えば、革ジャン。


俺の欲しかった物は、ただ「お金を出せば買える」というような物では断じて、ない。




そんなの、売ってる所なんて・・・どこにもなかった。(金もなかったが。)






生涯をかけて探し回って(大げさだな)、やっと見つけたのだ。




そうして、手に入れたものと「同化」して、


自分をカスタマイズする。




そんな風にして俺は、進化したり(ずっこけたり)


退化したり(そしてまた、こけたり)してきた。



もちろん、自分に満足など、していない(「ずっこけ」が多すぎだ、とつくづく思う)。


まだまだ、変われるはすだ、と本気で思っている。





ただ、そういう風に



何かを「追い求める」という行為の中にしか


「幸せ」みたいなのは、存在しないかもしれない。




もし、そうなのだったとしたら、




・・・・・・・・・・それでいいのかもしれない。










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もうちょっとマシな結論

2015-10-27 18:52:28 | Weblog
はっきり言って、どうでもいい話なのだが・・・・・




女性に対しての「罵り言葉」の代表は「ブス」だろう。


これの語源は多分「無粋」で、

粋(イキ)じゃない・・・・・ってことだろう。

しかし、粋か、粋じゃないか、ってのは個人の価値基準で、だから放っとけよな・・・って気もするのだけれど、

でも「無粋」が「ブス」になると、

(一般論としての)見た目の「美しくなさ」のこと・・・・・・って感じがする。よね?


「ブス」に対して、男性には「ゲス」と言う。


これの語源は「下衆」かな。

下品な、嫌らしい感じ。

「ブス」が「ゲス」になると突然、「見た目のこと」ではない感じがする。

「ゲス野郎」とか、腹黒で、性質が悪そう。


女性に対して、性質の悪さを言うときは「性格ブス」みたいに、注釈が必要になる。


男性と女性とでは、世間的評価の基準が全然違うんだろーね。



しかし世の中には、ゲスな女もいるし、


ブスな男もいる。




うーん。




・・・・・・・・・・・・・・・もうちょっとマシな結論はないだろうか(暗転)。







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この「世界」という荒野

2015-10-21 18:51:31 | Weblog

誰もが心を痛めながら、この「世界」という荒野を行く。





我々は好奇心いっぱいな癖に、


余りにも無防備なので、


傷を負わずには生きてゆけない。


「生傷の絶えない旅人」、それが我々である。



だがこの「世界」は反面、


とても優しく、暖かい場所・・でも、あるのだ。



陽光が降り注ぎ、緑は柔らかく地表を覆う。


夜のうねりは、


かなり手ひどい痛みでも、跡形も無く消してくれる。



しかしそれって


「マッチポンプ」ではないのか?


とアナタは言うかもしれない。



でも、それでいいのだ。




途中経過・・・・って言うか


「プロセス」にこそ、意味は宿る。




アタシは少なくとも、そう信じている。








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行くざます。

2015-10-20 20:02:35 | Weblog


「世界」をさらに、活性化させるのだ。


答えはつまり、「イエス」しかないワケで、、


自作の「GO]という楽曲で言っているように


俺としては、


モロモロの物事を全部、背負ったまま、


闇雲に前進するのだ。


すっ転んだら転んだで、その姿勢のまま、ほふく前進する。


それくらいの覚悟はある。


だって、そういう宿命なのだ。


それは


生きとし生けるもの、すべてが背負った「宿命」なのだけど。





喜びも、


実感も、


手ごたえも、


充実も、


「そこ」にしかない。



















あたしゃ、まだまだ、行くざます。










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すべて「光」であったなら

2015-10-17 17:36:54 | Weblog




      最近、何かで目にした記事に書いてあったんだけど、


        最新の量子論(量子物理学?)によれば

「すべての物質は光で出来ていて、とどのつまり、人間とは精神生命体である」

               という。

(俺の理解が間違ってなければ・・・そういう意味のこと言ってるんだと思う。)




               すごい。




       それが本当なら、何て素敵なことか。



        俺は「唯物論」という考え方がけっこう好き・・・なんだけど、

      「量子論」のその記事って「唯物論」とは逆のこと言ってるよね。


     「唯物論」って、お堅くて、現実的過ぎて、面白みには欠けるんだよ。


         だって唯物論的に言えば「神」もいないし、

       「幽霊」もいないし、「あの世」も存在しないよね。


      いや、実際にそうだと思うし、それでいいんだけど、


               でもねぇ。


        「悪魔(に魂売り渡してギター上達)」とか、

         「八百万の神々」とか、

      「精霊」とか「妖怪」とか・・・・・・・・・・


         そういうのって、あったほうが面白いじゃないか。



        「量子論」の言うように、すべての物質が「光」であったなら・・・・・・



        もう、何でもアリのような気がするな。


  「宇宙人」もアリ、


        「瞬間移動」もアリ、


                     「光速超え」もアリ。



            そして


もし、我々すべてが「精神生命体」であったなら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





           結局のところ、


          「アート」がすべて、

           
            だよね。













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10年前、20年前、30年前。

2015-10-16 17:23:30 | Weblog



10年前の10月には、何をしていたのだろう?

と、僕は思う。


何をしていたか、っていうとね、えーっと

「ばるぼら」はもうとっくに無くて、「MITT’S」っていう名前のバンドをつくって、

自分で歌ってたはずだ。

仕事は・・・・・・・・・・例の、時計関係で、2005年なら、岸和田の店舗に通っていた。

住んでたのは大阪の、天王寺の隣の、美章園。

そこから 佐治に会いに・・・時々 奈良に行っていたな。

佐治は少しずつ、体調が悪くなっていってるみたいに見えた。

少しずつ、少しずつ、ほんの少しずつ・・・・でも確実に。


秋という季節は、いろんな物事が美しく衰退していくように見える。

枯葉は黄金色に輝くし、陽光の翳りにしてもそうだ。


一秒一秒が過ぎていくのを惜しむ季節。




その前、つまり今から20年前は?


1995年は「ばるぼら」を結成して まだ一年目で、

1STアルバムの構想を練っていたぐらいの季節・・・なのではないかな。

仕事は何してたんだっけ。・・・軽トラックに乗ってた気がする。

住んでたのは、大阪の長居だ。

1995年の俺は、まだ20代だったんだよ。


そうか、・・そうすると、その前・・・さらに10年前は

何とまだ、10代だ。

学生で・・・・大阪は西梅田のデザイン学校に通っていた。専門学校ってやつ。

それで 大淀の学生寮に住んでたはず。

そうそう、その頃って「それまでの人生で一番カネが無い時代」だった。

バイトもしてなかったし、ひどいもんだったよ。

靴下買うのも躊躇してたもの。

その学生寮の他の住民の多くが「金持ちのぼんぼん」だったから、よけいにそう感じた。

でも、バンドは「ランブルフィッシュ」で、すごくいい感じだった。

岩佐も健在で、ドラムスは斎藤モ吉、オリジナル・メンバーの「ランブルフイッシュ」。

言うまでもないが、佐治も10代。まだ、髪の毛を伸ばし出す前。

10月は、西成のエッグプラントとかに出る直前の頃・・・だったような気がする。

新宿のヘッドパワーには出た後かな。

もう、あまり はっきり とは思い出せないのだけれど。



そういえば今日(2015年10月16日)、

偶然に10tダンプで、大阪の堂島から阪神高速に乗ったのだけれど、

堂島の乗り口って「大阪デザイナー専門学校」のすぐ横を通って行くんだ。

学校の入り口とかがちらっと見えて、ほとんど変わってなくて。

一瞬、目が眩みそうになったよ。

あんな道(堂島乗り口)、混むから通ることなんてないのに。

ちょっとだけ道に迷ってしまった挙句の出来事だった。でも、迷ってよかったかも。

30年前の光景が目の前に現れるなんて、思いもしなかったからさ。






以前にも言ったことがある・・かもしれないけど、

10月は、いちばん素敵な季節、かもしれない。



去ってしまった「夏」と


きたるべき「冬」


の狭間で、


僕はまた、考え事をするのです。










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昨夜はありがとう

2015-10-13 19:05:40 | Weblog


昨夜はとてもとても、意義深い夜になった。


世界中の皆さんと、

中書島MICAに来てくれた皆さんに心からの感謝を捧げます。


片山道郎&佐治恭子で披露した楽曲は、

カヴァー曲も含めて全部、「大事な人達」にかかわる歌。


キョーコ嬢の歌った

サッチモの「(ホワット・ア)ワンダフル ワールド」、

ランブルフィッシュの「宝物の歌」、

浅川マキの歌詞で「ガソリン・アレイ」。

レナード・コーエンの「ハレルヤ」は俺は”レクイエム”と解しているし、

「あたたまり」は、佐治朝吉が生前、最後に書いた歌だ。


そして


俺の歌った自作の

「追憶の発破’64」、「インディゴ」、「意味論」もすべて、



”逝ってしまったひと達”も含めた、「大事な人達」のための歌だ。


我々と来たら・・・時間が経ってからしか気付けないことが多い。


でも、昨夜はすごく実感した。

今、この瞬間もとてもとても貴重で、

この上なく大事なもので、今、目の前にいる人たちも

本当に大事な存在なのだ、と。


「目の前にいる人たち」だけではない。

出会えて、心を通い合わせることの出来た人達のすべてが「大事な存在」なのだ。



皆さん、本当にありがっとでした。




鈴木タイチのソロも、とても良かった。

個性的だし、チカラ強いし、奥深い。心に響く歌。



AUXも、いつもながら素晴らしい。

ダンサブルで、お洒落で、アーシーで、ヒップ。

貫禄のファンクである。

昨夜は、いつもROCA’66でベースを弾いてくれてる「たんちん」が

AUXのゲストで参加してギターを弾いていたのが可笑しかった。

たんちん、ギターも上手い!




12月の5日にまた大阪・十三のWATERで、ROCA’66のライヴをやるつもりなので、

「大事な存在」の皆さん、

たまにはのぞきに来て下さい。









写真は

左上・片山道郎&佐治恭子

右上・鈴木タイチ

左下・AUXアコースティックヴァージョン(ゲスト、たんちん)

右下・俺、ドン・ユウジ、鈴木タイチ


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「地獄の季節」から脱退したよ

2015-10-12 15:25:45 | Weblog

えー、


ワタクシこと片山道郎は


2015年10月9日の


梅田HARD RAIN でのライヴを最後に


「地獄の季節」を脱退しマシタ。


応援してくれた人たちに、心から感謝を。


そして


今後の「地獄の季節」の更なる活躍を期待するものでアル。



今後は 「ROCA’66」のライヴにも、来てよね。




本日はこの後、京都・中書島 喫茶バー「MICA」にて


片山道郎&佐治恭子、


鈴木タイチ(ソロ)、


AUX(アコースティック・ヴァージョン)


の三組によるライヴ。



5時半スタートなので、・・今から走ってきたら間に合うよ。
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「調和」

2015-10-08 19:08:21 | Weblog


とは言うものの





何もかもが調子っぱずれ、って訳でもない。



時には「調和」することもある。




そういう時の「世界」は


静謐で低体温で


ひどく


美しい。





僕にとって君は そういう、


「調和した世界の住人」だったのかもしれない。





あれからずいぶんな時間が過ぎて、



「大切なもの」 の多くが 


失われてしまったかもしれないけど






「失われていないもの」 だって ちゃんと、



あるのだ。

































今 この瞬間も。
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2015年10月12日(祝)京都・中書島「MICA」に、佐治恭子&片山道郎 出演

2015-10-06 18:16:53 | Weblog


10/12(月・祝)


京都 中書島   喫茶バー「MICA」


出演

AUX(アコースティックバージョン)

鈴木タイチ

片山道郎&佐治恭子



open17:00/start17:30

1500円(+D代)

食べ物持ち込みOK





佐治恭子は ナチュラルで、とても良いヴォーカリストであるのだ。

今回、

俺がアコースティック・ギターを弾いて、佐治恭子が歌う。

この試みは初めてなので・・・・・・楽しみだ!


そして共演は


あの、もと「Fee Bee’S」のヴォーカリスト、鈴木タイチのソロ、引き語り。

パンキッシュかつ、パワフルな歌。これも楽しみ!


そして、もう1組  


京都ファンク・ロックの重鎮、「AUX」のアコースティック・ヴァージョン。

スタイリッシュでダンサブルな音。そしてソウルフルな歌。これも楽しみだ!


ちょっと他ではない組み合わせ。

異色・・・と言えば異色、豪華、と言えなくもない。


どんな具合かは来て頂いてのお楽しみ。


京都・伏見の喫茶バー「MICA」。

最寄の駅は京阪電車「中書島」。




ぜひぜひ、遊びに来ておくれよ。


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