「村上レディオ」の収穫。

2024-04-30 20:33:02 | Weblog

「村上レディオ」は毎月、最後の日曜日に放送していて、

全国ネットなので関西ではFM大阪が放送している。

僕はラジオ偏愛してるし、日常的にいろんなラジオ番組聴きながら生きてる

のだが、

月一回だと、ついつい忘れてしまう。

ので、一昨日・・・・リアルタイムで聴いたのも実はちょっと

久しぶりだった。

 

こないだの放送もそうだったのだけれど、

春樹さんとは世代が違い過ぎて、番組で彼がかける音楽に、

なかなか心から共感できないことが多い。

 

しかし、

一昨日聴いて、やっぱり彼はこの「村上レディオ」で、

重要なことをさらっと言ったりする・・・・ことを再確認した。

 

一昨日の発言の中で重要だったのは、

 

ます、これは前回のブログでも書いたから重複するのだが、

「京都の中古屋で手に入れたレコード(もしくはCD)」。

 

ここから推察されるのは、

彼は意外と、京都の(しかも伏見区の)ブックオフとかの、

しかもバーゲンコーナーでレコードやCDを漁っているのだ。

 

以前のエッセイでは、「鴨川ぞいをジョギングする」という

発言もあった。

あの人・・・・京都に家を持って、半分住んでる気がする。

 

もうひとつ、番組終盤で

「最近、カート・ヴォネガットの『スラップスティック』を読み直して、

やっぱり面白いなあ、と感心しました」というようなことを、

これまた、さらっと言った。

 

この、カート・ヴォネガットからは春樹さんは、多大な影響を受けている

はず。初期は、特に。

だからこそ、研究本ではよくカート・ヴォネガットの名前が出てくるのだが

本人がその名前を出すことは、ほとんど、なかった。

だから・・・・・ちょっとそのことで感動した。

僕は、と言えば日本語に翻訳されているヴォネガットの著作は

9割がた、読んだと思う。

今では心から、ヴォネガットのファンである。

 

そう、

あともう一つあったんだがな・・・・・・・・・・忘れてしまった。

思い出したら、また書くことにする。

 

やっぱ、「村上レディオ」も、まめに、ちゃんと聴かなきゃ

だな。


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5月3日の夜想ライヴについて。

2024-04-30 19:31:49 | Weblog

5月3日の出演バンドの中に PASSION  GOLDという見知らぬバンド名があって、

この魑魅魍魎だらけの京都にまぁ、俺の知らんバンドもあるやろ・・・

と深く考えすにいたのだが

このバンド、どうやら 

チェリーくんのバンドであるらしいことが

今日、わかった。

チェリーという人って関西のライヴハウスシーンに何人かいるのだが

このチェリーくんは

過去に まねはね  とか  ノーパンズ  とか

最近では GOD NEW  LOVE とか、

いろいろやって、京都ライヴシーンを騒がせている、あのピンクの髪の

ギターヴォーカルの

チェリーくんだ。

おお、華やかだ。

しかもこのバンド、歌っているのはあの京都の名物ロックバー「USAGI」

のミヤガワくんであるようだ。

そう、ノックダウンズのヴォーカルのミヤガワくん。

 

この日は直前まで、我々ROCA’66を含めて3組しか決まってなくて、

そのPASSION  GOLDが誰かわからなかったので

(3組では寂しいような気がして)、

こちらも近年のライヴシーンを賑わせているザ・マンガンズの

ヴォーカルのジュウオさんに、急遽、ソロで出演をお願いして快諾して頂いた。

それで結局、出演者は4組

我々 ROCA’66

   PASSION  GOLD

  ハルオ・アローン

マンガンス・十男ソロ

となったのだ。

 

結果的にこの5月3日・夜想は

かなり、過剰に・・・華やかな出演陣になったではないか(僕を除いて)。

 

僕は「ばるぼら」をやっていた時代に、

当時チェリーくんのやっていた「ノーパンズ」が大好きで、

十三ファンダンゴで共演してもらったこともあった。

それ以来?ってこともまさか、ないだろうけど

今回、ROCA’66で

チェリーくんと共演、というか対バンできるのは嬉しい。

しかも今回は見方を変えれば、

マンガンズ・ジュウオさんとチェリーくんの対バン、ということになる。

しかもミヤガワくんまで参戦、となると・・・・

これはもう、

昔の東映映画「三大怪獣、南海の大決戦」みたいではないか。

ゴジラ、モスラ、キングギドラと・・・・あとは怪獣ブースカかな。

 

面白くなりそうなので、

ヒマな人もそうでない人も、四条大宮「夜想」に来てね。

 

 


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その「世界」についての文章。付記あり。

2024-04-29 14:25:52 | Weblog

古本屋で買った文庫本の中に、面白い文章を発見したので紹介する。

 

近所のブックオフで100円で買った、

別冊宝島編集部 編

『「村上春樹」が好き!』という

何と言うか・・・直情的なタイトルの、ちょっとミーハーな作家論みたいな本。

版元は、宝島社文庫だ。

 

引用する文章は村上春樹とは一切関係なくて、

ただこの文の筆者が、自分のいた状況を説明してるだけなのだが。

筆者は、五十嵐裕治というひと。少年マガジン編集者とか、いろんな仕事をしたみたい。

ちょっと長いが、引用して紹介する。

 

以下、引用

-----------------------------------------------------------------------------------------------------

「風」と「かげろう」の70年代末、共同幻想の世界へ移り住む

 

街の中心の聖なるひと坪に、「世界」の中心であることを示す柱が立っている。

そこから東西南北に800メートルの距離をおいて、

聖なる中心を守るように4層造りの建物が立っている。

それは城壁とも見てとれるが、囲み内部の人々の暮らしに役立つと思われる

様々な施設が内蔵されている。

その東の城壁の端から、午後2時になるとのんびりした旋律が1分間流れる。

この「世界」の存在を預言したその土地大和の赤衣を着た老婆が、

迸る水のように口ずさんだのどかな楽曲だ。

たたずまい自体は古代的なこの「世界」の住民は、「午後2時の旋律」

が流れると、みな立ち止まり、聖なる中心を向いて頭を垂れる。

この「世界」に移り住むためには、城壁の中の教育施設で、

今も魂が生きているという老婆の生い立ちと事歴と救済の言葉を、

9回連続して聴かなければならない。同じ話を9回聴くのだ。

70年代がたそがれて、「風の歌を聴け」で有望な作家がひとり忽然と出現した頃、

私はこのような「世界」の囚われの身となり、朝な夕なに聖なる中心の柱に向かって

歌と手踊りを捧げていた。

それがこの幻想共同体の「祈り」の形式なのだ。

 

以下略

 

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

引用終わり。

 

この文章の中には、この「世界」が何か?というのは書かれていない。

場所が特定できるのは「大和」という言葉だけだ。

「大和」、とは現在の奈良県の事である。

そこからただ推測するだけなのだけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

僕も、この「世界」の中に3年間、滞在した。

ただ、そこの高校に通った、というだけの話ではあるのだが。

そのことで僕に対して「引く」人もたまに居るが、

朝に参拝せねばならないことを別にすれば単に・・・普通の高校だったと思う。

 

 

付記:普通じゃないのは学校の、スポーツへの傾倒で、有望な選手をスカウトしていたし、

当時は高校柔道も日本一、高校ラグビーも日本一、高校野球も、

僕が卒業した翌年(1985年?)に甲子園で優勝し、日本一になった。

ちょっとクレイジーな程、「体育会系」だった。

 

 

この筆者の人は「囚われ」ていた、と書くがそれは大げさで、去るのは自由だったはず。

(多分、ご自身の心の問題で「囚われ」ているように感じたのかもしれない。)

この「世界」の人達はどう頑張っても穏やかで、人間を拉致するようなタイプではない。

 

で、

僕は、そこに居た当時も今現在も、その「世界」の信者ではない。

ただ実家の親たちが信仰していたから、

勧められて何も考えずそこの高校に行ったのだ。

あとから考えれば

どうしても馴染めなかった福山から逃げ出す格好のチャンスでもあったのだ、無意識に。

3年間、学生寮に住みこんで学校に通った。

そこの人達は、邪悪なところは何もないし、その「世界」も善意で溢れている。

 

でも僕は最終的に、何かに帰依することは出来ない、と思った。

・・・・・・1988年に起こった出来事の影響も大きい。

 

何かの用事(例えば高校の同窓会)でこの街に寄った時も、僕は

その中心部に参拝すらしない。お祈りもしない、寄付もしない。

 

思うに・・・そういう人(僕)は、「信者」ではない。

 

でもあえて言うけど、その「世界」を否定する気もない。

 

 

この、筆者の五十嵐というひとの経歴の中に「巨大宗教教団機関紙デスク」

というのがあるが、引用した文章は、その当時の記憶だろう。

 

 

面白いな、と思ったので、友達にも読んでほしくて、

引用してみた。みんな、これを読んで(高校の同級生は特に)、

・・・・・・・どんな風に感じるのだろう?

 

 

 

そういえば昨日の夕方はラジオで久しぶりに

「村上レディオ」をリアルタイムで聴いたのだが、その中で春樹さんは

「今からかけるこのレコードは京都の中古ショップで100円で買ったものです」

(CD、と言ったかもしれない)

と言った。

以前にもそんなことを言ってたし、「村上Tシャツ」の本の中では

「京都のブックオフで買った」とも言ってたからあのひと、意外と

しょちゅう、この辺に居るのかもしれない。

彼が生まれたのは京都市伏見区だったはずだし。

 

 

付記

 

考えてみたら、僕が村上春樹と出会ったのは、

「佐治の実姉」と「清治の実姉」が別々に同時期に、「道くんが本好きなら、これを読んだらいいよ」と

勧めてくれた(佐治の姉と清治の姉は同年齢だが特に、友達ではなかったと思う。)

のと同時期に、

まだアングラっぽいサブカル雑誌だった「宝島」に、「村上春樹ロングインタヴュー」が載って、

それですごく興味を持ったのだ。

僕は確か高校一年生で、

それは「羊をめぐる冒険」が出版されたタイミングだったはずなのでおそらく

1982年だ。

春樹さんは映画スター・ウォーズ「帝国の逆襲」の缶バッジをつけて

インタヴューに応じていた。

僕が高1だった、ということは「あの街」に住んでいるまっただ中だ。

「あの街」の商店街の中ほどにある新刊本屋で、

とにかくこの作家の、「初め」から読もう、と思い

「風の歌を聴け」からまず、その本屋で手に入れた。

(注文しなくても、ちゃんと、あったのだ。)

それで初期三部作にはまって、それ以後はとにかく、

お金がなくても、村上春樹の新刊が出たら即、買う・・・  というのが

僕のミッションのひとつになった。

スコット・フィッツジェラルドとかレイモンド・カーヴァーとか、

春樹さんの翻訳で知った作家は多い。

トルーマン・カポーティもそうだ。

J・D・サリンジャーについては、それ以前から読んで、大好きだったけど。

 

だから今また、「宝島」が、あの街と春樹さんを

僕の中で繋げてくれたことが、偶然とは思えないのだった。

 

とは言え・・・・・・・・・・・・きっと、ただの偶然なんだけどね。

 

 


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5月3日は京都・夜想で会おう。

2024-04-28 20:16:07 | Weblog

日々は目まぐるしく進んでゆきます。

たった一秒前の事すら、思い出すのが困難な程、

我々の人生の速度は上がっている気がいたします。

我々はまるで、祝祭を探し求めて彷徨う民のように「音」に拘泥する。

音の世界は無限で、そして言葉で表現できる領域も無限だが悲しいかな、

我々の人生そのものは有限なのだ。

さてさて、ライヴがあるよ。一回一回が、すごく大事なライヴ。

2024年5月3日、祝日の金曜日。ゴールデンウイーク、後半の初日。

京都は四条大宮にあるライヴハウス「夜想」にて。

出演は、我々、ROCA’66

     PASSION GOLD、

     ハルオアローン

     マンガンズ十男

 

OPEN18:30、START19:00

2000円プラス1ドリンク

 

我々の出番は3番手。

 

バンドは生き物なので、今また、小さな変換期のような気がする。

新曲が増え、今までの曲も少し、色合いが変わりつつある。

ただ、ありがたいことにメンバーは全員、健在だし

音楽は相変わらず素晴らしい。

我々は今でも、楽譜を使わずにほとんど「勘」で音楽をやっている。

ロックとはそういうものなのだ。

そしてやればやる程研ぎ澄まされて行くし、

音楽という快楽を享受するキャパシティも広がる。

我々は「世界」を受け入れるし、そのことでまた感覚も開かれる。

年々、歳を重ねていくのだけれど、我々は老けないのだ。

年齢とかそんなの、関係なくなっちゃったのだある時点から。

見に来てください。

 

 

 


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ギター破壊パフォーマンスについて。

2024-04-24 20:26:59 | Weblog

先日のコーチェラのライヴで、

ギタースマッシュ(ギター破壊)を行ったアーティストがいたらしくて、

その行為が賛否両論を呼んでいるらしい。

そうかー、と思う。

昔なら「賛」はあっても「否」の意見はあまり、なかった気がする。

「否」の意見が出るのはもしかして、

近年はヴィンテージだけでなく、ギター全般の価格が上昇してるから・・・かな?

まあ、値段だけの問題じゃないかもね。

ギター破壊と言えば僕らの世代では一番先に思い出すのが

ザ・クラッシュの名盤「ロンドン・コーリング」のジャケット写真である。

あれはポール・シムノンで、だからギターじゃなくてベースなんだけど、

美しい。

クラッシュはしかし、あんなこと頻繁にやってたわけではない。

ギター破壊を最初にパフォーマンスみたいにして頻繁にやったのは

その だいぶ祖先の、ザ・フーだ。ピート・タウンゼントだ。

そしてギター破壊の、歴史に残る名パフォーマンスはジミ・ヘンドリックスの

モンタレー・フェスティバルでのライヴだ。1967年だったかな。

録音されていたものがレコードになったし、

フィルムで撮られていた映像は後に映画にもなった。オーティス・レディングの名演と共に。

今見ても、ジミのあのパフォーマンスは奇蹟的に完璧だ。すご過ぎる。

 

もう、覚えちゃうくらい何度も動画(当時は映画のヴィデオ)を見たので、

思い出しながら実況中継してみる。

 

この日のライヴの最後の曲、その終盤、ギターにキスして床に置いて、ハウリングの音が

鳴りっぱなしのギターに、ジミはジッポーオイルを小便のように振りかけて

マッチ(!)でゆっくりと火をつける。

メラメラとオイルが燃えて、ギターが燃えてるように見える。

いや、そのまま放っておいたらギターが燃え出しただろう。

そして、床に叩きつけて、破壊する。

ドメスティックヴァイオレンスを目撃したみたいな感じ。

いちばんすごいな、と思うのが、これやってる間、シールドが抜けてないので

ノイズやハウリング音が大音響で鳴り響いたまま続く。

マーシャルアンプと、ずっと繋がったままなのだ。

だからまるでギターが悲鳴を上げてるみたいに見える。

叩きつけたら「ピー!」みたいな悲痛な音がする。

本当に・・・・ギターが殺されてるみたい。

これでシールドが抜けてないのは奇蹟だ。ご存じのようにwシールドって、抜けやすいのだ。

抜けると「無音」になって、何のこっちゃわからない。

耳をつんざく轟音の中で行われるからこそこの「儀式」は、意味があるのだと思う。

で、ジミが何度も何度も叩きつけたら最後にはギターが折れる。

やってみたらわかるのだけど、ギター折るのはなかなかチカラが要るのだ。

(僕は恥ずかしながらステージで、かなり昔、やってみたことがあるのです。)

後年のリッチー・ブラックモアは、ギター破壊パフォーマンスにおいては、

のこぎりで「切れ目」を入れたギターを折っていた、という話がある。

多分本当だ。

しかもそれは日本製のギターだったそうだ失礼な。

まあいい。

そんなこんなで、1967年のジミヘンのパフォーマンスは完璧だ。

観客席も映るのだが、多くの人々が、かなり「引いて」いる。

やってることが理解の範疇を超えている、そういう表情。

 

そして もし、現代にあれ、やろうとしても、消防法とかで、絶対できない。

出入り禁止になるか、捕まるかどちらかだ。

今となっては・・・ギターに火をつけ、破壊するパフォーマンスは、一種の夢だ、幻想だ。

関西弁で言うなら、「ありえへーん」だ。

 

えーっと俺も、

ギターは大事に扱おう、と思っている。

火をつけたり、破壊するなんて、とんでもない、恐れ多い。

 

・・・っていうのは嘘。

 

1967年の時点ではあれは意味があったが、

2024年の今となっては・・・・・どうなのかな。

でもまあ、「賛否」がある、ってのはいいことだ。

いくらヴィンテージのギター叩き壊そうが、火をつけようが、

のこぎりで「切れ目」を入れようが、

・・・・・それを誰も気にしなくなったら終わりだもの。

 

 

 


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ROCA'66、次のライヴは5月3日、京都・夜想

2024-04-23 20:10:15 | Weblog

ゴールデン・ウィークに京都・四条大宮の素敵なライヴハウス

「夜想」にて、

ROCA’66のライヴがありマッス。

「夜想」は一種独特な、デカダンな雰囲気のハコで、

我々も、いつも出演を楽しませてもらってるのデス。

いい気候だし、ゴールデン・ウィークの後半戦のアタマだし、

近隣からでも、遠方からでも、京都観光に来て、

ついでにライヴを観に来て欲しいのだ。

5月3日、祝日の金曜日。

対バンはPASSION  GOLD、ハルオアローン、そしてぎりぎりで

マンガンズのVO,ジュウオさんのソロが決まった!

マンガンズとは何度も対バンしているが、ジュウオさんソロは見るのも初めて。

バンドとはまた違った面白さがあるハズ。

我々も、こないだとはまた違った感じで、自由に演りたい。

オープン18時、スタート19時。

2000円プラス、1ドリンク600円。

我々の出番は、オンタイムなら20時20分から。

オンタイム、というのは・・・予定の時間通りに行けば、という意味だ。

押したり(遅れたり)巻いたり(予定より早く進行したり)とか、するのが

世の常だが最近はオンタイムで進むことも多いよ。

押したり、巻いたり、って専門用語って言うか、業界用語っぽいなあしかし。

ライヴハウスは夜でも、その日初めて入るなら「おはようございま~す」って言うし。

ギョーカイの最末端なのだ、きっと。

ああ、そんなことはどうでもいいのだ、

大事なのはライヴハウスに君が、来てくれるかどうか?なのだ。

いや、ライヴハウスは本当に楽しいよ。

一言で言えば、玉石混合の極み・・・・というのはつまり、

すごくいいものも出るが、下らないものも出る、っていう意味。

落差がすごい。

ゴールデン・ウイークなんて、もうすぐそこだけど、

ぜひぜひ予定に「京都・夜想」行き を考えてくれ。

 

写真は前回の「夜想」での我々ROCA66。


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謝辞・2024年4月20日西成WATER

2024-04-21 19:30:31 | Weblog

予想以上に楽しすぎる集まりだった、この暖かくも寒くもない春の日。

この日にお会いできた人全員に感謝します。

音楽はやはり、人と人を繋げるもので、音楽やってて本当に良かったよ。

過去を思い返してみれば楽しいことばかりではなく、

どうしても気に入った曲が出来ない時とかもあったし、

その時代その時代のバンドメンバーと衝突してしまったり、

いくらやっても、誰も見向きもしないし聴いてもくれない、という時もあった。

(いや、今だって・・・・時々、あるよな。)

でもそんなこんなで我々はきっと、成長したのだ。

何年かぶりの再会だった友達も何人もいた。

みんなとてもとても素敵だった。

COFFE&CIGARETTESとはWATERで出会ったんだよね。

あれは千日前にあった時代のWATERだった。

25年前?とか、それくらいだ。まだ初期のCOFFE&CIGARETTES。

サイゲンさんとも,その時代のWATERだ。

マツケンさんと出会ったのは奈良の宝島かな。お互いまだ、10代後半だったと思う。

もしくは、20歳前後。

スラブさんとは2000年前後にベアーズで出会った記憶がある。でもそれ以前かも。

マンガンズの皆さんと出会ったのはそれから比べるとまだ最近だ。

それでももう、10年は経つかも。

でもあの時、「まだまだスゴイ出会いがあるんだ」と思った記憶がある。

コズミック・スプーンと出会った時も驚いた。「何者?????」と思った。

そして、最愛の、ROCA’66のバンドメンバーとも全員、ライヴハウスで出会った。

メンバーは家族みたいに感じる。

そして、他バンドの皆さんは「親戚」みたいに感じる。

メンバーを共有しているバンドのひとは「近い親戚」だ。

(「血縁」とかは一切関係ない、念のため。あくまで「感じ」のことを言っている。)

そしてお客さんとして来てくれる人のことは「恋人」のような存在だと感じる。

(男性でも、女性でも、トランスジェンダーでも「恋人」だ。)

だって、そちらが「会いたい」と思ってくれなければ会えないのだから。

だから会えたら、すごくすごく嬉しい。

数々の貴重な出会いの集積が「今」を形作っている。

大事な人たちをきちんと、大事にしたい。

そして全員に、幸せになって欲しいと思う。ついでに俺も幸せになりたい。

リハの最初から本番の最後まで平和な空間だった。

平和が貴重で尊いものだ、とつくづく思う。

僕らが生まれる、たかだか20年ちょっと前は戦時中だったのだ。

冗談抜きで、焼夷弾の雨が町中に降っていたのだ現実問題として。

そして経った今でも、中東やウクライナでは戦時中真っ最中だ。

愛と、友好と、相互理解と「エンパシー」。大事なのはそれだ。

昨日の会場では誰かが連れて来た小さな子供が走り回って大騒ぎしていて、

楽屋にすら入り込んできたのだが誰も気にせず、もちろん無視もせず、

迷惑顔もせず、

転んだ時だけ、助けてあげていた。

「キャッチャーインザライ(「ライ麦畑でつかまえて」の原題)」とは、

そういう意味なのだ。

平和だ。

あれでいいのだ、と思う。

みなさんありがとう。お互い、まだまだ元気に頑張ろうぜ。


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明日はライヴだ♪

2024-04-19 20:54:05 | Weblog

今日は専門学校時代の友達から「久しぶりに明日飲まへんか?」とお誘いがあった。

彼は俺にとって「運命の男」の一人で

(何人かいるのですよ、僕にとっての「運命の男」って)、

19歳だった僕に、アメリカ村のバイトを紹介してくれたのが彼だったのだ。

古着屋、憧れの、アメ村の古着屋。

しかしバイトと言っても一日8時間、週6日だ。

そりゃバイトというより就職だ。(しかし時給500円だった気がする笑)

僕はもうその時、専門学校に見切りをつけたのだ。

 

で、明日飲もう、と言われたのだが明日は・・・・ライヴなのだ友達よ。近々、絶対飲もう。

 

 

 

さてここからはライブ告知。

明日、4月20日は

大阪・西成に再オープンしたライヴハウス「クラブ・ウォーター」にて

西成ロックンロールミーティング

 

出演は

THE  COFFE&CIGARETTES

タランチュラ

ザ・マンガンズ

コズミック・スプーン

ダイアモンド・リリィ

そして我々、ROCA’66。

 

17時オープン

17時半スタート

2500円プラス1ドリンク

 

我々の出番は3番手、オンタイムなら19時から。

明日は我々は、新曲を演るぞー。

「空電シンクロナイズド」という曲名。

作詞・片山道郎  作曲・赤井英俊・片山道郎。

 

明日、ライヴハウスで逢おうぜ。

 

 

西成クラブ・ウォーターの最寄り駅は地下鉄動物園前駅、

もしくはJR 環状線の新今宮駅。

 

俺の大好きな大阪・天王寺近辺だ。


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4月20日は大阪・西成・クラブ ウォーターに来てくれ。

2024-04-15 21:28:18 | Weblog

 

昨日は真昼間から

少し久しぶりの、ROCA66の、練習スタジオ入りだったのです友達よ。

ちょっとぐらい期間が開いたとはいえ、

音楽の強度は全然衰えていなくて

僕は安心すると同時に音楽を演奏することを心から楽しんだのだった。

次の土曜日、4月20日はライヴだよ。

大阪・西成区に再オープンしたライヴハウス「CLUB WATER」にて。

今さらながら・・・・本当に素晴らしいと思う、ロックバンドって。

僕らは、ドレミでなく、コードで音楽をやってるので、

知らず知らずのうちに結果的に、「和音」で音楽やってるのです、ほとんど無意識に。

そしてそのことがすごく豊穣な結果を生んでいる。

もう・・・・本当に複雑な「和音」の暴風雨まっただ中である。

それだけでなくノイズ、つまり「不協和音」も意図的に使うのだ我々は。

そして無敵の「ビート」。

そして・・・・・・・・・・・・・「言葉」。

ロック音楽は最強である。

今週末・4月20日は

大阪・西成区に復活したクラブ・ウォーターに来てくれ。

僕はもう、それ以上の贅沢を言わない。

グラミー賞をくれ、とか芥川賞をくれ、とかノーベル文学賞をくれ、とか言わない。

ただ君が

ライヴハウスに戻って来てくれたらそれだけでいいのだ。

昔が良かった、などと僕は思わない。いつだって、次の新曲が生涯最高傑作だ。

あの頃と今と、実は何も・・・変わってなどいない。

音楽は素晴らしいし、

ライヴハウスは最強に刺激的で、お洒落な場所だ。

そしてロックンロールは現代最高の音楽だ。

 

ライヴハウスで逢おう。

 


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RCサクセション「まぼろし」について。

2024-04-10 20:55:18 | Weblog

ひとは14歳の時に好きになった音楽から特別に強い影響を受けて、

生涯、その影響から逃れられないのだ・・・・・・・という説がある。

 

根拠は不明なのだが、これはすごく当たってる気がする。

「中二病」とかいうのも結局はこの「14歳に好きだった音楽最強説」の延長かもしれない。

 

先日、トラックでラジオのチューニングを合わせていた。

結構、長い距離を走るので、地域によって受信できる局が変わるのだ。

それで、知らないローカルFM局からいきなり、RCサクセションの曲が流れて来た。

瞬時には、曲名が浮かばなかったが脳裏にはアルバム「BLUE」のジャケットが鮮明に出て来た。

痛々しい音、そして歌詞。

最後近くの歌詞で、やっとタイトルを思い出した。

「BLUE」に入っている、「まぼろし」という曲だ。

随分ひさしぶりに聴いたのだが・・・・背筋がぞっとするくらい痛々しい曲だった。

僕はこの曲、アルバム「BLUE」を発売時にリアルタイムで買って、「耳タコ」っていうくらい聴き込んでいた。

たぶんあれは14歳だった頃だ。

当時はもちろん、何も関連情報など皆無の状態で、音楽を聴き込んでいた。

そして、その後いろいろとRC関係の書籍などを読んで、今では彼らのことを以前より、ずっと知っている。

 

今の知識で聴くと

この「まぼろし」は・・・・どう聞いても「日隈くん」のことを歌ってるではないか。

「日隈くん」は、キヨシローの少年時代からの友達で、

キヨシローの信奉者みたいな存在だったという。

3人時代のRCの曲に「日隈くんの自転車の後ろに乗りなよ」という佳曲もある。

いろんなことがいろいろとこじれて彼は・・・・・・・自殺した。電車に飛び込んだらしい。

葬式では彼の親御さんに、キヨシローが責められる場面もあったという。

「オマエが殺したんだ」と。

「まぼろし」の歌いだしの歌詞は「ぼくの友達は いってしまった」だし、

最後の方の歌詞は

「幾晩も幾晩も昼も夜もわからず まぼろしに追われています」だ。

ひぃいいいい。

リアルタイムで「BLUE」を聴きまくっていた14歳の頃は、日隈くんの存在すら、知らなかった。

もう、ラジオで偶然、この「まぼろし」を久しぶりに聴いてから、

アタマの中でずっとキヨシローがこの歌を泣き叫ぶように歌い続けている。

絶唱、って感じ。

でも、この頃のキヨシローの歌は、上手いし、気合が入りまくっている。

最強のソウルシンガーだ。

僕は「カバーズ」の頃のキヨシローの歌が何故か下手に聴こえる。

「カバーズ」は結局、RCサクセションという最高のバンドが崩壊するきっかけになってしまった。

悲しい。

この「まぼろし」という歌も悲しいし、痛々しい。

14歳だった頃はこの悲しさ、痛々しさがわかってなかった。

こんなにも切実な歌だったとは。


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