古本屋で買った文庫本の中に、面白い文章を発見したので紹介する。
近所のブックオフで100円で買った、
別冊宝島編集部 編
『「村上春樹」が好き!』という
何と言うか・・・直情的なタイトルの、ちょっとミーハーな作家論みたいな本。
版元は、宝島社文庫だ。
引用する文章は村上春樹とは一切関係なくて、
ただこの文の筆者が、自分のいた状況を説明してるだけなのだが。
筆者は、五十嵐裕治というひと。少年マガジン編集者とか、いろんな仕事をしたみたい。
ちょっと長いが、引用して紹介する。
以下、引用
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「風」と「かげろう」の70年代末、共同幻想の世界へ移り住む
街の中心の聖なるひと坪に、「世界」の中心であることを示す柱が立っている。
そこから東西南北に800メートルの距離をおいて、
聖なる中心を守るように4層造りの建物が立っている。
それは城壁とも見てとれるが、囲み内部の人々の暮らしに役立つと思われる
様々な施設が内蔵されている。
その東の城壁の端から、午後2時になるとのんびりした旋律が1分間流れる。
この「世界」の存在を預言したその土地大和の赤衣を着た老婆が、
迸る水のように口ずさんだのどかな楽曲だ。
たたずまい自体は古代的なこの「世界」の住民は、「午後2時の旋律」
が流れると、みな立ち止まり、聖なる中心を向いて頭を垂れる。
この「世界」に移り住むためには、城壁の中の教育施設で、
今も魂が生きているという老婆の生い立ちと事歴と救済の言葉を、
9回連続して聴かなければならない。同じ話を9回聴くのだ。
70年代がたそがれて、「風の歌を聴け」で有望な作家がひとり忽然と出現した頃、
私はこのような「世界」の囚われの身となり、朝な夕なに聖なる中心の柱に向かって
歌と手踊りを捧げていた。
それがこの幻想共同体の「祈り」の形式なのだ。
以下略
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引用終わり。
この文章の中には、この「世界」が何か?というのは書かれていない。
場所が特定できるのは「大和」という言葉だけだ。
「大和」、とは現在の奈良県の事である。
そこからただ推測するだけなのだけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕も、この「世界」の中に3年間、滞在した。
ただ、そこの高校に通った、というだけの話ではあるのだが。
そのことで僕に対して「引く」人もたまに居るが、
朝に参拝せねばならないことを別にすれば単に・・・普通の高校だったと思う。
付記:普通じゃないのは学校の、スポーツへの傾倒で、有望な選手をスカウトしていたし、
当時は高校柔道も日本一、高校ラグビーも日本一、高校野球も、
僕が卒業した翌年(1985年?)に甲子園で優勝し、日本一になった。
ちょっとクレイジーな程、「体育会系」だった。
この筆者の人は「囚われ」ていた、と書くがそれは大げさで、去るのは自由だったはず。
(多分、ご自身の心の問題で「囚われ」ているように感じたのかもしれない。)
この「世界」の人達はどう頑張っても穏やかで、人間を拉致するようなタイプではない。
で、
僕は、そこに居た当時も今現在も、その「世界」の信者ではない。
ただ実家の親たちが信仰していたから、
勧められて何も考えずそこの高校に行ったのだ。
あとから考えれば
どうしても馴染めなかった福山から逃げ出す格好のチャンスでもあったのだ、無意識に。
3年間、学生寮に住みこんで学校に通った。
そこの人達は、邪悪なところは何もないし、その「世界」も善意で溢れている。
でも僕は最終的に、何かに帰依することは出来ない、と思った。
・・・・・・1988年に起こった出来事の影響も大きい。
何かの用事(例えば高校の同窓会)でこの街に寄った時も、僕は
その中心部に参拝すらしない。お祈りもしない、寄付もしない。
思うに・・・そういう人(僕)は、「信者」ではない。
でもあえて言うけど、その「世界」を否定する気もない。
この、筆者の五十嵐というひとの経歴の中に「巨大宗教教団機関紙デスク」
というのがあるが、引用した文章は、その当時の記憶だろう。
面白いな、と思ったので、友達にも読んでほしくて、
引用してみた。みんな、これを読んで(高校の同級生は特に)、
・・・・・・・どんな風に感じるのだろう?
そういえば昨日の夕方はラジオで久しぶりに
「村上レディオ」をリアルタイムで聴いたのだが、その中で春樹さんは
「今からかけるこのレコードは京都の中古ショップで100円で買ったものです」
(CD、と言ったかもしれない)
と言った。
以前にもそんなことを言ってたし、「村上Tシャツ」の本の中では
「京都のブックオフで買った」とも言ってたからあのひと、意外と
しょちゅう、この辺に居るのかもしれない。
彼が生まれたのは京都市伏見区だったはずだし。
付記
考えてみたら、僕が村上春樹と出会ったのは、
「佐治の実姉」と「清治の実姉」が別々に同時期に、「道くんが本好きなら、これを読んだらいいよ」と
勧めてくれた(佐治の姉と清治の姉は同年齢だが特に、友達ではなかったと思う。)
のと同時期に、
まだアングラっぽいサブカル雑誌だった「宝島」に、「村上春樹ロングインタヴュー」が載って、
それですごく興味を持ったのだ。
僕は確か高校一年生で、
それは「羊をめぐる冒険」が出版されたタイミングだったはずなのでおそらく
1982年だ。
春樹さんは映画スター・ウォーズ「帝国の逆襲」の缶バッジをつけて
インタヴューに応じていた。
僕が高1だった、ということは「あの街」に住んでいるまっただ中だ。
「あの街」の商店街の中ほどにある新刊本屋で、
とにかくこの作家の、「初め」から読もう、と思い
「風の歌を聴け」からまず、その本屋で手に入れた。
(注文しなくても、ちゃんと、あったのだ。)
それで初期三部作にはまって、それ以後はとにかく、
お金がなくても、村上春樹の新刊が出たら即、買う・・・ というのが
僕のミッションのひとつになった。
スコット・フィッツジェラルドとかレイモンド・カーヴァーとか、
春樹さんの翻訳で知った作家は多い。
トルーマン・カポーティもそうだ。
J・D・サリンジャーについては、それ以前から読んで、大好きだったけど。
だから今また、「宝島」が、あの街と春樹さんを
僕の中で繋げてくれたことが、偶然とは思えないのだった。
とは言え・・・・・・・・・・・・きっと、ただの偶然なんだけどね。