略称

2016-02-26 23:13:04 | Weblog


「マギー」という呼び方は「マーガレット」の愛称・・・と言うか、略称であるらしい。


梨木香歩の「からくりからくさ」の登場人物の一人が

アメリカ人の「マーガレット」なので、そのことが小説中に出てきたのだ。

・・・・・・・・・・・びっくりした。

というのも俺は、ロッド・スチュワートの歌う「マギー・メイ」

という歌が昔から好きで、「マギー」は「マギー」でしかない、と思い込んでいた。


同じようなことで、


「芸能ニュース」みたいなのって世界で一番どうでもいいのだが、「ベッキー」関連のことで、

ひとつだけ収穫があった。

「ベッキー」の本名は「レベッカ・何とか・何とか」なのだそうで、

つまり、「レベッカ」の略称が「ベッキー」なのだな。

巻き舌発音の「R」を省略して、「べッカ」を強調したのかな。

ふ-ん、あたしゃあ、ひとつ賢くなったわよ。


「ミック・ジャガー」の本名が「マイケル・何とか・ジャガー」って知ったときもびっくりした。

そうか・・・・普通なのね。「ジャガー」は普通じゃないけど。


「ボブ・ディラン」の「ボブ」の元は「ロバート」なんだって。知ってた?

「ロバート」なら「ロブ」になりそうなものだけど、「ボブ」になるんだってさ、変なの。

「ロバート・ジンマーマン」という普通の名前を嫌って、「ボブ」と付けた・・・・・と、何かに書いてあったけど、

でもまぁ、そうだね、「ロバート」って普通っぽかも。「一郎」みたいな感じか?

「ジンマーマン」ってかっこいいけどね。「ユダヤ風味」が強すぎるらしい。・・よくわからん。


「トム」は、「トーマス」だっけな?


そうだそうだ、忘れちゃいけない、サリンジャーの「フラニーとズーイー」の「フラニー」は、本名

何だったと思う?

何と・・・「フランチェスカ」なんだよね、確か。本文中に、一回だけ出て来るんだよ、本名が。

「ズーイー」の本名は何だったっけ?・・・・忘れちまった。


最後に、大物。

「ジギー」。

何だそりゃ、宇宙人の名前じゃないのか?とか思ってたんだけど、

ジョン・アーヴィングの処女小説(ヨーロッパではベストセラーになったそうだ)、

「熊を放つ」に出てくる、主人公の相棒のバイク乗りの名前が、

「ジークフリート・ヤヴォトニク」で見事、愛称が「ジギー」なのだった。

パチパチパチ。


・・・・・・・・・・・・・・「ジギー」ってけっこう、ヨーロッパ的なのね。









え?

ミチの本名?




「ミッチ・ミッチェル・片山道郎」だってばさ。










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アヒルの子

2016-02-24 21:38:09 | Weblog




「もとが違う」っていうような人が憧れだった。

昔・・・・・・・・・・・もっと若かった頃。


もう、努力とか全然しないのに何でも「出来てしまう」、とか

「身づくろい」とか、「頑張ってお洒落」とか まったくしないのに、美しい・・・とか、

そういう人。


でも、いるよね、そんな風な人。



そういうのって 多分、本当に「もとが違う」んだろうから

憧れるほうが身の程知らずだ・・・・・って、わかってはいるのだ。








ところで、って言うか何と言うか、


「みにくいアヒルの子」っていう童話、あれは酷いよね。



・・・・・・・・・・・・・・不細工だ、何だって苛められてたアヒルの子が、

実はアヒルじゃなくて白鳥で、

成長して美しい白鳥になって、他を見返す・・・みたいな話。


あのさ、


それじゃあ、「本当にアヒルだった奴」の立場がないだろ?


みんながみんな、白鳥になれるワケないのだ。



アヒルはアヒルなりに、


「みにくい」なら「みにくい」なりに


生きていかなくちゃならない、ってのが現実の人生なんだぜ。



昔の御伽噺には、(主人公が)実は王子(王女)さまでした・・・・みたいな話が多いが

(漫画とかにも多い)、


そーゆーのって本当に、


我々「庶民」に失礼だし、それ以前にすごく愚かだ、と思う。







でも、俺の抱えてた

”「もとが違う」っていうような人への憧れ”は


「王子様(王女様)願望」と、似たようなもの・・・・・なのかもしれない。


(血筋?そんなんじゃなくて、俺が憧れるのは「才能」だ。)



でも




我々にできるのは「努力」しかない。


努力すればほんの1ミリずつでも「そういう人」に近づける、と


信じ続けること、そこにしか「希望」は、ないのだ。



妬まないこと、スネないこと、希望を捨てないこと。


駄目なところはちゃんと直すこと。



地味でパッとしない「答え」だが、それしかないのであれば、そうするしかない。


「高望み」ばかりしながら生きるのは・・・どうなのか?と、思わなくもない。


だが、現状に満足していたら、止まってしまうのだ。









・・・・・・・・・ところで、俺は後年、


「もとが違う」っていう風に見える人・・・・・・と、友達になることが出来た。


俺には何人か、そういう友達が、いる。



それで実際に生身の、「そういう人」と心が通じ合って(それはとても幸せなことだった)、


判ったのだが、



そんな人も、そんな人なりの「焦燥」や、「憂鬱」や、「コンプレックス」を抱えていたりするのだ。





パリーン(←ガラスの割れる音)。





「もと」なんて、そんなに変わりゃあしないんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・。




今では、基本的には、そう思っている。







この文章は


世界中の「みにくいアヒル」の皆さんに、「共闘の意」を伝えるものである。


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年月

2016-02-21 18:51:35 | Weblog


しばらく会っていない友達のことをふっ、と思い出して、

特に連絡する気もないのだけれど

そういや、あいつは幾つになったんだっけ?

とか考えて

ひ、ふう、みい・・・

げっ、あいつももう40代だ・・・・とか思って

妙に驚いたりする。


気付けば・・・と言うか自分自身だって「いい歳」になっていて、


そういうのって


潮の満ち引きみたいだし、

空を雲が流れて行くみたいだ。


草原を風が吹き抜けてゆくのにも似ているよね。





人の一生、というのは気が遠くなるほど壮大な「旅」であるのだ、などと思う。




そういえば

旧知の、子供の頃から随分とお世話になっている小母さん・・・(俺より20歳以上、年上の女性)が

ある時、俺に向かって

「私だって昔は、若かったんだよ・・・想像つかないだろうけどね」と言ったことがあって、


その事は独特の「深み」を持って、

俺の中に残っている。



確かに

ひと一人が辿る年月の重さ、というのは


俺の想像を遥かに超えている。



誰もが重たい、重たい「人生」を抱えて生きている。


そう思うと「世界」というのは本当に、壮絶なところだ。




俺も、もっともっと歳を取ったらいつか、


心の通じる若い(幼い)人間に言ってみようかな。



「想像つかないだろうけどさ、俺だって昔は若かったんだよ」




と。



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私は関西に住んでいる。

2016-02-21 11:03:04 | Weblog


大人になったら東京に戻るつもりだった。

ぼんやりと、ではあったが、

そのことは、心に決めていた・・・つもりだった。

俺が「戸山ハイツ」に強い郷愁を持ち続けるのは恐らく、それが理由なのだ。


小学校一年生のときに東京を離れて、家庭の事情で

広島県福山市に一家で移住した。

言葉も通じないし、まったく馴染めなくて、

俺は元気な子供だったのに、内向的になってしまって、

そのせいだろうけど、身体も弱い子供になってしまった。

すぐに風邪を引く。学校は休みがち。周りはいつまで経っても「転校生」扱い。

何かあると(野球のフライを顔面で受けたり)鼻血が出て、それがまた延々と

何時間も止まらないので騒ぎになる。

今だったら「不登校」になってたと思うのだが昔だから、「その手」は、なかった。

毎日が「弛めの拷問」みたいだった。

中学を出て

関西の学校に入って(寮で暮らすために)家を出たのは、後から考えたら必然であった。

中学の後半、やっと出来た何人かの、尊敬できる友達と別れるのはとてもつらかった。

それでも、その土地を出たい・・・という欲求が勝った(友達とは今でも関係が続いている)。

あのまま福山に居たら駄目になっていただろう。

でも「関西」も、好きではなかった。

テレビでやってた「吉本新喜劇」のイメージ。

ガラ悪い、しょうむないギャグ、ベタベタ、安っぽい人情劇。

でも行ってみたら「関西」は意外と、素敵だった。

もう、何か・・・「とんでもない」ような人達とすぐに、友達になれたからか。

高校を出る、という時期になって俺は自然に東京へ、行き先を探していた。

でも結局・・・・・・

友達の情熱に引き連られて、大阪の専門学校を選んだ。

その情熱に俺もしっかりと感化されて、

最終的に「バンド中心にバイトしながら生活する」という生活形態を選ぶところまで行った。



これは何の話か、と言うと

「叶わなかった夢」と「叶った夢」。




叶わなかったのは、東京に戻る、という望みで、


叶ったのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


一口では言えない。


いろんな「夢」が叶った。


感動することばかりだった。


とても幸せだった。


その「幸せ」は、今でも続いてるんだけどさ。





戸山ハイツに郷愁は持ち続けては、いるけれど





「後悔」みたいな気持ちは だから、




微塵も抱えてないのですよ。





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オートマティック(皆さんありがとう)。

2016-02-20 11:12:58 | Weblog


「自動」という言葉は「オートマティック」の訳語なのだろう。

オートモービル・・・で自動車、か。このオートは、オートマティックの略語であろう。

オートバイ、のオートも(オート・バイシクルか)。

自分で動くから自動車。うん、明快でよろしい。


だが「オートマティック」という概念はもっと多岐にわたる。


「自動車」なのに・・・・、「オートマ」のクルマ って言うよね。これも、オートマティックの略・・・であろう。

(オートマティックのオート・モービル?・・それって・・・・アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクションだわよ。)

オートマのクルマとは、

クラッチペダルを踏んでギアをチェンジするのが普通だった従来のクルマ世界に、ある時代に登場した、

クラッチがなく、ただアクセルを踏めば前に進む、というもの。ギアは勝手に変わる。

これは年配の人なんかは「ノークラ」と呼んだりするのだが(ノーパンみたいで可笑しい)、

一般に「オートマ」で定着してるように思う。「オートマ限定免許」とか言うし。

ただ、英語圏でもそう呼ぶのかどうかは知らない。少なくとも「オートマ」とは言わないだろう。

ネイティヴが「ジミヘン」と言わないように。

クルマ関係のカタカナ語ってけっこう、和製英語(と言うか誤用)が多いようだ。

ウインカーとか。ウインクしてどうする。


そして拳銃世界においてのオートマティック(自動小銃)は、弾薬の装填と薬莢の排出が自動化されたもの・・・だと思う。

うん、まぁその点は「自動」だが、銃が勝手に人を殺すわけではない(あたりまえか?)。

銃で人を殺すのは、飽くまで「人」だ。

ロックバンド「ジャパン」の名曲に「オートマティック・ガン」というのがあったな。


そして、腕時計世界におけるオートマティックは何と、

時計の裏(内部)に振り子が仕込まれていて、腕の動きで振り子が回転し、ゼンマイを巻く・・・という

特殊な仕掛けの物のことをそう呼ぶ。訳語は「自動巻き」だ。

「手巻き時計」と「クオーツ(水晶発振・電池駆動)時計」の歴史の狭間に、世界中を一世風靡した機構である。

今でももちろん、数多く生産されている。例えば「ロレックス」の時計の現行モデルは90%以上が、これである。

しかし「自動」じゃないなぁ。腕につけずに、置いておいたら止まるし。


そしてもうひとつ。(本題はここから。)

「自動書記」というのがある。知ってますか?

オートマティック・ライティングの訳語だと思うのだけれど。

忘我・・・というか無意識の状態にある人間が書いた文章、と言うか、

そういう現象のことを「自動書記」と言うのです。

胡散臭いものではオカルト話で、「霊が取り付いて書かせた文章」とか。

「こっくりさん」なんかも、自動書記の稚拙な例、と言える。(「自動」ではなく、「他動」ではないか?という気もする。)

そんなのではなく、もっとかっこいい例ではあの「ビート世代」の記念碑的作品である名作小説「路上(ON THE ROAD)」。

ジャック・ケルアックがタイプライターで、熱に浮かされたように、熱狂的に、即興的に、

すごい短時間で書き上げた、という伝説が残っていて、

「自動書記」的・・・である、と言える。

他には、中島らも が、自身の文章のことを「お筆先」と自嘲的に言っていた。

酔っ払って書いてたからかな。

「お筆先」は「自動書記」とほぼ、同じ意味である。



誰でもそうかもしれないけど、

のめりこんで、集中的に文章を書いていると「自動書記」的な感覚に陥ることがある。

(歌の「歌詞」なんかも、そうだったりするけど。)

だから感情が必要以上に誇張されたり、大げさになったり、自己憐憫的になったりする・・・ことがある。



おとといの「肯定」という日記はそんなようなものなので、

アタシは全然、大丈夫ですよ。

根っから「あつかましい」し、まるで阿呆のように楽天的なのだ(←あかんやん)。

心配してくれたひとがいるみたいなんだけど、ありがとう。



おちこんだりもしたけど、私はげんきです。


・・・・・・・・・いい歳のオトコが「魔女の宅急便」を真似ると見苦しいですが。

















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肯定

2016-02-18 22:29:35 | Weblog

自分で自分に嫌気がさしてしまうときがある。


・・・・・・・誰にでもあるんだよね?そういうのって。

「何て駄目なんだアタシって奴は」と落ち込んでしまうようなこと。


自己嫌悪的に

(自分が)別の人間だったらもっと良かったのに・・・・・・・・・

などと考えてしまうこともあるのだが、

それは違うかもしれない、と今日思ったのだ。


俺が「俺」であるからこそ、「君」と友達になれたのだ。

それは大事なことだ。

「別の人間」だったら全く違う話になっていたのだ。

そうに違いないのだ。


だから、自分自身を、全部まるごと、

いったん

エイッと

「肯定」してしまおう、自分として。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あつかましい?




ふん、それぐらいじゃないとね、

生きてけないわよこの世知辛い世の中。


でも、もしかして

こんな風にしてヒトは「おっさん化」(もしくは「オバサン化」)していくのだろうか。

とも、思う。






でも、もし そうだったとしても、そんなんでも・・・

生きてる方がいいわよ。







そう思わない?



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在るのだ。

2016-02-16 20:13:59 | Weblog



平和に、穏やかに生きたい・・・と願っている私のような人間にとってさえ、

生きることは戦い、である。

その事を思うとき、

この先の人生の道のりが遠すぎて、頭がくらっ・・・としてしまうのだが、

こればっかりは仕様がない。

他者と争わずして誰一人、生きていくことは出来ないのだ。

そう言う私だって、誰かの「敵」になり得る。

誰かから憎まれたりすることだって、ある。

自分ではそんな気がなくとも、他者に「害」を及ぼしてしまうことは、ちゃんとあるのだ。

だから私は「イノセント」(無罪・・・・もしくは、無垢)ではない。

人が生きる、ということはそれだけで「何かを主張する」ことでもある。

主張するからには、「反対」されたり、「弾圧」されたり、

「競争相手」と見なされて、いわれなき迫害を受けたりする・・・こともある。

迷惑極まりない。でもそれは当然、と思わなければいけない。

ところで、

一般に「草食」は穏やかで争わない・・・と思われているかもしれないが、必ずしもそうではない。

「草食」からもう一歩進んで、「植物同士」でも激しい生存競争がある。生き残るための戦いは熾烈だ。

動植物に関わらず「生命体」にとって、

この世に存在する、という行為自体が「命がけ」なのだ。

「穏やかに生きたい」と言いながら私だって、他人を憎むこともある。

どうしても我慢ならない、というような考え方をする人が居たりもする。

「世界」のすべてを自分の中に受け入れる・・・というようなことは

まだまだ、出来そうもない。

それだったら、どうするのか?

どうすればいいのか?


・・・・「懊悩」や「不安」や「憂鬱」や「失望」を抱えたままで、生きていくしかない。

そして

それらをくるっと反転させる「魔法」の存在を信じ続けるしかない。

「それ」は、かつては

空から降りそそぐ雨のように存在したし、

今現在だって目には見えにくいかもしれないが、そこにも、あそこにも・・・・・・何処にでも在る。

まるで「湯水のように」、降り注いでいる。


私の手のひらの上にだって、在るのだ。



















まじで。



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戸山ハイツ、フォーエヴァー

2016-02-14 16:26:31 | Weblog

去年、仲井戸麗市関連の本が2冊、出版されている。

俺は2冊とも手に入れているのだが、そのうちの一冊

THE 仲井戸”CHABO”麗市 BOOK  は一般の本屋では売ってなくて、

ライヴ会場での販売のみ・・・・だったらしい。

ジミー・スターダストのVO.ジミーくんが

「道郎さんはこれ、持っておくべきですよ」と言って、ライヴ会場で買って、

俺に託してくれたのだ。

その本の4ページ目と5ページ目を使った見開きに、この写真が載っている。

「戸山ハイツ」だ。

この写真を見たとき俺は、一瞬、周りの時間が完全に止まってしまったような気がした。

これは、俺が生まれる前の、団地になる前の「戸山ハイツ」だ。

手前に写ってる子供のどれかが幼少のチャボさんなのであろう。

チャボさんが1950年生まれだから、この写真、1954年位か。

団地になる前の「戸山ハイツ」は平屋の、「長屋」みたいな感じだったそうだ。

俺もそのことは親から聞いて、知ってはいた。俺が生まれた頃もそうだったらしいが、

自分の記憶には、ない。

「東京・失われた風景」という写真集で、「長屋時代の戸山ハイツ」を見たことがあるだけだ。

その写真集の物も実に、これと同じアングルから撮った写真だった。

俺の親達は、「長屋」だった頃から住んでいたので、近代的な「団地」に建て替えられたときに

優先的に入居できたのだという。チャボさんとこも、そうだったみたいだ。

そしてこの写真、後ろのほうにキリスト教会の尖塔が写っているのが見えるかな?

この教会は、団地に建て替えられたあとも残っていて、何と、今でもある。

去年、訪れたときに この教会が今でも残ってるのを見て驚いた。

これに関しては俺も覚えているし、ここは幼稚園を兼ねていて、俺の兄貴はここに通っていた。

(俺は違う幼稚園に通った。)

この本には、チャボさんもこのキリスト教会幼稚園に通っていた、と記されていた。感動。

そしてチャボさんの「年表」には、”1957年、新宿区立東戸山小学校入学”、とある。

・・・・・・俺(片山道郎)も、この小学校に通っていたのだ。一年生の途中までだけど。

感慨深い。

この幼少のチャボさんの写真の後ろに写ってる大人はもしかしたら、俺の両親・・・もしくは祖母かもしれない。

その可能性だって、なくはない・・・のだ。

写ってる長屋の屋根のどれかが、俺の親達が住んでいた長屋かもしれない。

何よりも、この写真に写ってる「空気感」。

あそこだ、と俺は実感する。あの角度から写した、あそこだ・・・と。

やはり、この本は・・・俺は、手に入れるべきだった。ジミーくんの言うとおりだったよ。ありがとう。

この写真だけでも俺には千金の価値があるのだが、

メインであるチャボさんのロング・インタヴューもすごく良かった。

「古井戸」の話も、貴重だ。加奈崎芳太郎という人が「運命の男」なのだ、ということが実感として伝わる。

清志郎さんのこともやっぱり、切ない。

俺が2003年に梅田のタワーレコードであった、チャボさんの「ミニライヴ&サイン会」に出掛けて、

サインをもらうときに「俺も戸山ハイツ生まれなんです」と言ったらチャボさんは

「そうなんだ?へぇ~。俺の親もまだあそこに住んでるよ」と言ってくれた。

そのご両親も、清志郎さんの翌年に、続けて亡くなっている、ということも

この本を読んで知った。

チャボさんも「戸山ハイツ」をふらっと訪れたりすることが、あるだろうか。

去年、久しぶりに訪れて、随分老朽化していた「戸山ハイツ」。

この先、いつまで健在でいてくれるのだろうか。

もう一度くらい俺が、訪れる機会が、あるだろうか?

戸山ハイツ、フォーエヴァー。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さすがに、新宿には「田んぼ」は、なかったなぁ。
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田んぼ。

2016-02-14 12:02:02 | Weblog

ふ、と思ったんだけど

「田んぼ」って・・・・・・・・・・・・言うよね?

都市部に住んでる人でも普通に「田んぼ」って言うよね。

実際、都市部にもあるもんね、「田んぼ」。

この「田んぼ」っていう言葉って、実はとても古い古い、

「古語」の生き残り・・・・・なんではなかろうか。

それこそ「漢字」が入ってくる前の日本語。

「言語」はあったが、「文字」は、まだない・・・・頃の。

「たんぼ」。

ずっと前に言語に関する本を読んでて、「とんぼ」っていうのが、とても古い

「古語」の残りだ、ということを知った。

意味的なことを言えば「飛ぶ棒」、もしくは「飛ぶ坊」(漢字は表意文字なので、後からの当て字だ)。

「田んぼ」の「ぼ」は、棒でもないし、坊でもないのだろうが、

「~ぼ」という語感が、古語なのかもしれない。

「ち○ぽ」・・・・・・は違うか。いや、そうかも知れない。

「サンボ」・・・・はミライノスか。

しかしあらためて考えてみたら「田んぼ」ってすごく身近にあるものだよね。

いつ頃からのことなのか、というのは「考古学」になってしまうけど

日本に農耕文化が伝わったのっていつだったのかな。

学校の歴史でちょっとくらい習ったような気がしないでもない(ベンキョーは苦手)。

農耕するようになってから、爆発的に人口が増えてるんだよね。

人間って、「白くてふわふわした食物」に憧れてた・・・・のではなかろうか、と思う。

世界は小麦栽培地域と稲作地域に分かれるそうなのだが、

パンだって白くてふわふわしてるし。

現代の我々だって、「炊き立てのご飯」や、「焼きあがったばかりのパン」は、

恐ろしく魅力的だ。

「田んぼ」という古語が脈々と生き残っている理由は我々の、

「白くてふわふわした食物」への執着・・・・なのかもしれない。

「ご飯」は偉大だ。
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ライヴを観に行く、という至福

2016-02-13 15:27:50 | Weblog

東京で「スランキーサイド」というバンドをやっているナベジという男からメールをもらった、

(ナベジは何だか昔からの友達・・みたいな気がするのだ。)

2月12日に、京都「夜想」にソロで出演するよ、と。

それでその日は仕事が早く終われば行くつもりだった。

あ、アタシは例の運送屋で、悪戦苦闘しながらも働いている。大型トラックの運転は難しい。いつになったら上手くなれるのか。

・・・・・まあいい。

それで昨日。いろいろあって、終わったのが夜の八時半。

これは「早いほう」なのだが、ライヴ観に行くのは微妙・・・っていう時間。

だが俺は行った。この日の出演者は好きなアーティストばかりだったのだ。

「夜想」に着いたら九時半。

出番最後の「ヤバオカムーヴメント」から観ることが出来た。

とても良い。このバンドは、対バンしたりしたこともあって、今までに2回、見てるのだが

昨日が一番良かった。トリオバンドの一体感と、ロックの「やかましさ」満載。曲も良い。

ギターヴォーカルの隆太はフライングV。ひょろ長い身体にとてもよく似合っている。しかも上手い。

ドラムスも、音がでかくて良い。ロックバンドは、音がでかいほうがいい。

ベースの女の子の使用楽器は何と、ムスタングベース。あんまり、これ使ってる人っていないんだが

とてもよく似合っていたし、ムスタングとは思えないぶっとい音。ツワモノだわよ。

「ヤバオカ」のライヴ、半分以上観れたと思う。ナベジソロとか、タイチソロとか、ンダくんソロとか

観れなくて残念・・・・と思っていたら、「ヤバオカ」ライヴの最後に

本日の出演者全員登場してセッションをやる、という。おお、それは嬉しい。そういうノリって、70年代っぽい。

それで3曲観れたのだが、このセッションも、とても良かった。

「頭脳警察」の曲2曲と、RCの「カバーズ」に入っている、「明日なき世界」。

写真がその模様なのだが 左から、例のリゾネーターギター抱えたナベジ。

さすがのよく通る大きな声とモジャアタマが健在。独特なギター音。

そういえばナベジあの「ナショナル」のギター、立って弾いてるよ。重いだろうに。

そして「ヤバオカ」の隆太。セッションではギターソロを引いていたが、安定して上手い。

そして「ガルウイングス」のンダくん。抜群の存在感。良いヴォーカリストだ。

そして一番右側のタイチくんも、やっぱかっこいい。

俺はタイチくんヴォーカルだった頃の「FEE BEE’S」大好きだったのだ、そういえば。

ちょっとハスキーで金属的な声。ハーモニカも、ちゃんと音の中で活きていた。えらい。

で、終演後は皆さんと楽しく飲んでたら酔っ払ってしまった。まあ、たまにはいいか。

やはり、「ライヴハウス」は素敵だった・・・・・・・・・・・・・という話でした。

それでは、また。




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