思考システムの独自性こそが「心」である、と
大雑把に言うとそういうことが、僕の一番好きな小説の中で
さらりと語られている。
ふむ。
それってすごくドライな意見だが、
ユイブツロン的にきっと、そうであるのであろう。
例えば僕の独自性というものは世界中で僕だけが持っているもので、
それは
良くも悪くもあり、その逆でもある。
どう足掻いたって誰だってすごく「独特」な存在で、
その独特な個人同士が何とか折り合いをつけて
協力したり、
いがみ合ったり、
愛し合ったり、
反発しあったり、
嫉妬したり、
競争したり、
共感しあったり、
ケンカしたり
して
やっていくのが「社会」なのであろう。
大変だよな、そりゃ。
時々、幻滅してゲンナリしてしまうのも、むべなるかな。
そこに
「救い」はないのか?
いや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ある。
僕は僕の独自性を拡大解釈して「歌」をつくる。
そして仲間とやっているバンドで音を色々アレンジして、、少数だが不特定の人々の前で披露する。
大体は見向きもされないが、
時には、心ある人に気に入ってもらえたりも・・・する。
「楽曲」を、「詞」を、「歌」を、気に入ってもらえたならそれは、「心が通じた」ということで、
心ある他人と心が通じるなんて、
それは人生で最大級に嬉しいことだわよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に。
それは「救い」と言っていいと思う。
ところで、その「心」って何?
思考システムの独自性こそが・・・(以下、冒頭からリピート)