思考システムの独自性

2017-12-26 21:53:08 | Weblog

思考システムの独自性こそが「心」である、と

大雑把に言うとそういうことが、僕の一番好きな小説の中で

さらりと語られている。


ふむ。


それってすごくドライな意見だが、

ユイブツロン的にきっと、そうであるのであろう。


例えば僕の独自性というものは世界中で僕だけが持っているもので、

それは

良くも悪くもあり、その逆でもある。


どう足掻いたって誰だってすごく「独特」な存在で、

その独特な個人同士が何とか折り合いをつけて

協力したり、

いがみ合ったり、

愛し合ったり、

反発しあったり、

嫉妬したり、

競争したり、

共感しあったり、

ケンカしたり

して

やっていくのが「社会」なのであろう。


大変だよな、そりゃ。

時々、幻滅してゲンナリしてしまうのも、むべなるかな。


そこに

「救い」はないのか?

いや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ある。



僕は僕の独自性を拡大解釈して「歌」をつくる。


そして仲間とやっているバンドで音を色々アレンジして、、少数だが不特定の人々の前で披露する。


大体は見向きもされないが、

時には、心ある人に気に入ってもらえたりも・・・する。


「楽曲」を、「詞」を、「歌」を、気に入ってもらえたならそれは、「心が通じた」ということで、


心ある他人と心が通じるなんて、

それは人生で最大級に嬉しいことだわよ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に。



それは「救い」と言っていいと思う。





ところで、その「心」って何?




思考システムの独自性こそが・・・(以下、冒頭からリピート)


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レクイエム

2017-12-25 22:18:28 | Weblog

おとといのライヴ、

最後の「カナリア」の前のMCで

「今年逝ってしまったヒトビトにレクイエムを捧げます」

と言って

名前を挙げたのだが

馬鹿だから・・・なのと緊張してたの(酔っ払ってたとも言う)・・・とで

チャック・ベリーとトム・ペティの二人しか名前を言えなくて、

あとで深く後悔していた。

ので

ここに名前を挙げて追悼の意を表すものであります。


順不同

チャック・ベリー

トム・ペティ

イトちゃん

加川良

J・ガイルズ

グレッグ・オールマン

ジェイムズ・コットン

マルコム・ヤング

諸口あきら

ファッツ・ドミノ

かまやつひろし

ウォルター・ベッカー

はしだのりひこ

山田のお父さん

チェスター・ベニントン

サム・シェパード

クリス・コーネル

伊藤耕

エンケン








上記に挙げた人の中でも

イトちゃんはトモダチだったし、

加川良さんにも、僕は面識があったのです。とてもとてもいい人だった。

グレッグ・オールマンは、大好きだったし、ライヴで本人を直接目撃したし、

J・ガイルズバンドのギターの、J・ガイルズにはすごく影響受けてる。

諸さんは大好きな、硬派の社会派ラジオ・パーソナリティだったし・・・・・

チャック・ベリーは言わずと知れた、

ロックンロールの光り輝く「始祖鳥」だ。格好良すぎ。永遠に色褪せることはない。


ここに名前を挙げた以外にも、尊い多くの魂が今年、逝ってしまってる。





その死を深く悼んで、レクイエムを捧げます。






2017年も、もう何日かで終わっちまう。


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謝辞・2017年12月23日・ROCA'66

2017-12-24 18:37:49 | Weblog

皆さん、本当にアリガットゴザイマッシた!

昨夜のライヴは自分的に「やりきった」感があり、

そして何よりトモダチが大勢、中津VIーCODEに集まってくれて、

感無量の夜になりマシた。

ちゃんと出来た・・・・と思う。一曲飛ばしたけど。

あの曲(「エントロピー」)はやっぱ・・・・赤井とギター2本で演りたいかも。

まあ、全曲そう、と言えばそうなんだが、もちろん。


さて僕がステージで

ギターの赤井不在の件について一切触れなかったのを

お気づきの人はお気づきデ・ショウ。

それは、俺なりに拙いアタマで考えて、

もし自分が今のギター赤井の境遇であればどんな風にして欲しいだろう?

と考えて、

ああいう風に「触れない」という結論に達したのです。

彼の不在が、痛くないわけがない。

だがちょっとでも痛そうな顔を見せることはお客さんに失礼だ、

という風に考えたんだよ。

酒に酔って演るのは失礼じゃないのかって?うん、別に・・・それは失礼じゃないと思う。

まあ、とにかく、

彼はきっと大丈夫。

また飄々と、「何もなかった」かのような顔で帰ってきてくれる予定。

すべてはまた、来年に持ち越しだわよ。

2018年1月14日、

ROCA'66は梅田ハードレインでライヴを、やる。

その時どういう状態であろうが我々は、「やりきる」のだ、それしかねえ。


昨夜

来てくれた一人一人に「ありがとう」。

嬉しかった。終演後、けっこうみんなと話せたし。

そうだ、マンガンズのジュウオさん、体調回復せず、と聞きましたが大丈夫でしょうか。

ちょっと心配デス。

僕も実は帰りの阪急電車で誰かの風邪ウイルスに感染したかもしれなくて、

気力は漲っておったのですが、いかんせん、腰の激痛と足の膝の古傷の悪化で、

ウイルスに対抗できるほどの体力は無かった。実は満身創痍で、

あえなくダウンしております。

マンガンズ、今夜の難波メレのステージ、乗り切ってください!

草葉の陰のような我が家の布団からお祈りしてマッス。

ネット上には

いろんな人が、写真とかいろいろアップしてくれてて、とても禿げ・・・ではない、励みになりマス。

もう半世紀近く(以上か?)もこの世に生存している厚かましい私ですが、

まだまだ、「ここから始まる」気がしています。

冗談じゃなく。


ありがとう。








PS

冬至、と言えばもちろん、「彼」の誕生日だったはず。


おめでとう。



君が居てくれたらこの世は、



もっと・・・・・・・・・何と言うか・・・居心地が良かっただろう、と思うぜ。



本当に。








付記。アップした写真はジミー君に頂きました。ありがとう。

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I'M FREE

2017-12-20 21:59:40 | Weblog


「やらなければならないから」やる、のではなくて

「やれるから」やる  のだ。

「やれる」というのは「やることが出来る」もしくは「やることが許されている」という意味でもある。

エーゴ(っていうか英単語)で言うと・・・・・・CANだ。

自分がそれを、自発性を持って、自分から進んで、「やりたくてやる」のだ。


バンドとかやることに関してずっと、僕はそんな風に考えて来た。もちろん、今もそう思っている。


ただ、今朝ふっと気付いたことにゃ、

バンドやることだけじゃなく、すべてのことがそうなのだ。


僕は、やりたいことばかりやって生きている。

とてもとてもとても自由なのだ。僕を制限するものは何もない。


だがしかし


「予定」というものを決めてしまうと、その「予定」という概念に縛られてしまって、

「やりたいこと」なのに、「やらなければならないこと」のように感じてしまうことがあって、


だから、あらかじめ予定を決める、という行為が嫌いだった。

でも

例えば(一時のケルアックのように)森の中で一人で生きているのならそれもいいかもしれないけど、

他人と関わりながら生きようと思ったら、

やはりある程度、予定は必要だ。

根源的に考えてみたら、「やりたくて」決めた予定なのだから、

それを「やらなきゃいけない」と感じること自体、オカシイ。

いや、オカシイのは俺だ。

だからやっぱり、自分を縛るのは自分でしかない。


自分は自由なのだ、ということを肝に命じる必要が、すごくあるよな・・・と思ったから

自分に言い聞かせるために、この文章を書いている。


僕は、アタマからシッポまで自由だし、

与えられたのは、チャンスだ。

今現在も、この瞬間も、チャンス、チャンス、チャンス、チャンス。


「与えられたもの」をゴゴゴッと動かして、

そう、ちゃんとチカラを利用して、

僕は困難を乗り越えてゆく。



困難は次から次へと現れる。インヴェーダーゲームのインヴェーダーみたいに(古いな)。

でも大丈夫、困難と同じくらい、いやそれ以上の確率で

チャンスは降って来る。

大粒の雨みたいにボタッボタッと、チャンスが降って来る。

そしてその、笑っちゃうような雨の中、

私は完全に自由だ。

私を縛る者は誰もいない・・・・・・・・・・・・・・私を除いては。


ははは。


自由って、いいものだわよ。










今週土曜は中津のVi-CODEでロカのライヴだからね。



忘れんじゃないわよ。





そーよ、今の俺は「予定」なんか、怖くもないし、痒くもないのだ。







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さにあらず(今週土曜はライヴ)。

2017-12-18 21:35:20 | Weblog



お立会い。


全部冗談みてえだが、実のところは・・・・さにあらず。


良くも悪くも、自分は自分でしか、ないからだ。


手持ちの能力を総動員して、コトに立ち向かう。


ナイモノネダリなんかしても、時間の無駄だ。


僕には、「悪いところ」や「抜けてるところ」とか「欠けているところ」が多いが、


それを上回る数と勢いの「幸運」のおかげで、


襲い掛かってくるあまたの危機を何とかカンとか乗り越えて


のほほんと、


「今・ここ」に存在している。



いや、ずいぶん危うかった。


あと一歩でオシャカ・・・・・・・・・・みたいなことも、何度もあった。



そうして、そのように切り抜けてきて僕が成長したか?と問われると



そうでもない・・・・って言うか、ほとんど変わってないかもしれない。



苦労とか経験が、身につかない奴もいるのだ。



でもさ、成長したり、賢くなるために生きてるのか?って聞かれたら、



そんなの、わかんないだろ?



切り抜けること、生き延びること。


そのことだけに、「意義」があったっていいんじゃないか。


「意味」だって、あるってば。ただ、ストレートにわかりにくいだけだ。


そうして僕は、そんな風にしか生きられなかったし、



これからもきっと、そうなんだぜ。



非合理と言うか、損ばかりするような性格だ、と思わなくもないけど。



でも、「損した」とか思わなければ



「損」も「得」も、ないんじゃないかな。










さて、今週土曜はライヴ。



2017年、12月23日。



お互い、せいぜい生き延びて、大阪・中津・Vi-codeに辿り着こうではないか、



兄弟姉妹たちよ、拡大家族の友達よ。



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12月23日は中津Vi-CODEに、ROCA'66出演。

2017-12-16 22:24:56 | Weblog

ライヴ告知モードに入るわよ。



2017年12月23日(土) 中津Vi-code

ジミープロジェクト「ロックンロール・ラブレター」

http://www.vi-code.com/

OPEN 18:30 START 19:00

adv:2000yen / door:2500yen

1drink 別途

出演:ロンサムロード / B-RATS / ブリュッセル・グリフォン / ROCA’66

https://www.youtube.com/watch?v=pyOZGd2-xRU



まるで何かの奇蹟のように、バンドは続いている。

自作の歌、手作りのアレンジメント、大好きなトモダチのようなメンバー。

出演させてくれるライヴハウスに感謝。ジミーくんに感謝。

さて、

知ってる人もいるだろうが、ギターの赤井が現在、再療養中。

だからROCA'66は今だけ、三人でやる。

トリオ編成も実は、オツなもので

ストレイキャッツ、ポリス、ジミヘンドリックスエクスペリエンス、ジョンスペ、ニルヴァーナ、と

素敵なバンドがたくさんあった。ゆら帝もそうだったな。

アクシデントやハプニングは無理矢理でも楽しめ、というのが我が家の家訓だ。

だから、そうする。

俺がいつもより多めに弾けばいいのだ、多めに廻ればいいのだ(独楽か?)。


この日の競演は、知らないバンドばかりなので、新鮮だし、楽しみ。

次の土曜日の祝日は、

中津のVi-CODEに、来て欲しいアル。
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馬鹿が見る、豚のケツ。

2017-12-15 21:37:40 | Weblog


長時間一人で高速道路などという非・日常的な空間で 巨大な(大げさだ)トラックを運転していると、

時々、

ナチュラル・トリップみたいに瞑想モードに入ってしまって、

過去のことを思い出してしまう・・・ようなことが時々、ある。



(誰でも経験あるだろうが)大事なトコで決定的な失敗したなぁ・・・・・というようなこともあるが

全然望んでなかったのに、びっくりするくらいうまく行った・・・というようなこともある。

ただバット振り回してたらホームラン、みたいな。


時に、努力が実を結ばなかったこともあるが、

時に・・・全然努力してないのに楽勝だったこともある。


それにしても、

どう頑張っても、どう足掻いても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


我々は過去には戻れないのだ、という事実は、かえすがえすも、不思議だ。


だって


頭の中にはこんなにも鮮明にそのときの風景とか、

誰かの表情とか、

誰かの声さえ聞こえるのに。


「タイムマシン」という幻想はきっと、

この鮮明な記憶と、それに基づく(眠って見る)夢が、作り出したものなのであろう。


でも記憶って、どうしても個人的なものなんだよね。

記憶には「自分の主観」という強烈なバイアスがかかっている。


だから、同じ時に同じ場所にいて、同じことを体験したとしても

人によってその記憶は全然違うものになっている(はず)・・・・と思う。


人の数だけ違う過去が存在するのだ。


70億?・・・いつの間にか70億もいるの?人口って?

うーん、眩暈がするなあ。


その数だけ・・・いや、当然それ以上の「過去」が存在するのだ、この地球上に。


「逆パラレルワールド」か。





結論的には



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういうのって馬鹿みたい。






あ、「俺」だからね、馬鹿みたいなのは。


馬鹿が見るのは豚のケツ、と



相場も決まってるアルよホホホホホ。










おやすみ。



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絵に描いた餅を来年、喰おう。

2017-12-13 21:44:24 | Weblog

「愛」よりも、我々に必要なのは「親切心」だ、



というようなことを



私がソンケーするカート・ヴォネガットは言う。



ふむ。



確かに。



でも、愛もいいものなんだがなぁ、と私は思ふ。


そんなこと、


何も、私が言うまでもないが。



そしてやはり、


とてもとても大事で、我々に必要なのは


「他者をリスペクトする心」ではないだろうか。



「他者を尊重」でもいいけど。


ええい、合体させよう。



「他者を尊重し、リスペクトする心」。





「他者」を馬鹿にしたり、見下したりするのはとても簡単で、



我々は、そんな風にしてしまいがちである。



なるべく


他人を好意的に見て、


小さなことでも、「良いところ」を見つけて


ほんの少しでもリスペクトしてみる。



その人のこと、ほとんど何も知らなくても、闇雲にリスペクトしてみる。



「否定」から入らずに、「肯定」から入る。



そして勿論、考え方や行動、センス・・・・その他を、「尊重」する。




時々は「親切心」を発揮させてみる。



他人の足を引っ張ったり、他人を呪ったりは、極力(本当は絶対と言いたい)、しない。





お互いがお互いに対して、そーゆーことをすると、



世の中は何と言うかもっと



「柔らかく居心地の良い場所」になるのではないだろうか。





中東の問題だって・・・・・・・・・・・解決に近付くかもしれない。










そんなの、自分から始めろって?



うーん、



やってるつもりはあるんだが。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ムツカシイ。






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「また会おう」

2017-12-11 22:02:33 | Weblog

それは


角度を変えて見ただけの話


だから気にしないでスルー


遠くから


宇宙を旅するチリの気分で君に小さく手を振ってみた



そこそこの物件をそこそこの値段で


でもそれは馬鹿げてるよね


そうとしか思えないんならきっとそうだろう


後々になって判明する真実はあるにせよ


現時点こそが人生だから


過ぎ去った出来事はあんまりシリアスに捉えないようにして



反射と反射と瞬間の知覚と無意識で


この世間の荒波を


乗り切って行こうじゃないかキョーダイよ


僕は今朝夜明け前 突然風邪引いてしまったけど


今日一日かけて 気力とビタミンCで克服した


まったく油断もすきも無いぜ世の中


ふっと気をゆるめたらヴィルスとかビールスとか


そういう油断に付け込むヤカラたちがやって来てはズカスカと


私のプライヴェートに入り込もうとする


ああでもこちらには「ユービック」があるのだ


エントロピーを殺す最上のクスリ、「ユービック」


内幕をばらすけど、僕にとっての「ユービック」は気力とビタミンC


それで少なくとも「引き始めの風邪」に負けることはない


それが何より証拠には 今日も勝ったぜ


少なくとも 風邪には勝った


明日も明後日もその次の日も


僕はこの調子で行くだろう



アディオス アミーゴ




ごきげんよう


また会おう



12月23日に中津のVI-CODEで



また会おう
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里山は美しい

2017-12-10 18:04:38 | Weblog

山間部・・・と言うのか、「里山」と言うのか、

そういう、関西の山あいの地域をクルマで通るのだ、ここ2年くらい。

僕は関西に住みだしてからもう30年以上になるのだが、

一昨年以前はそういう、山あいの地域に全然縁がなかった。

だから全然知らなかったのだが・・・・・・・・・・・・・美しい。

今の仕事になって、関西の色々なところにトラックで行く。

高速道路ももちろん、ばんばん使うが、使わずに遠方へ行くことも多い。

そういうときに近畿各地の「里山」近辺を通る。

とても楽しい。

観光ドライヴをしているような錯覚に陥ってしまうことがある。

特に、今の時期の木々の紅葉は、圧倒的に美しい。

美しすぎて、その「意味」について考え込んでしまうくらい。

そろそろ紅葉も終わりかけで、鮮やかな色彩が少しずつ薄れていきつつあって少し寂しいのだが、

それでも美しい。

寂れてゆく美、みたいな。


京都から国道9号線をどんどん進んで行くと着く、福知山の辺りとか、

さらに日本海方向へ進んで、、豊岡とか。丹後も。

舞鶴の古びた街の情緒も素晴らしい。港も、海も。日本海って、独特だよね。


もしくは、亀岡から「デカンショ街道」を姫路方面に向けて進んだときに通る、丹波篠山。

深い、深い、山。

遠くに見える山あいの、頂上部がうっすらと雪をかぶっている光景は荘厳でもある。


そして京都にもっと近い、信楽のあたりの森も、鬱蒼とした重い雰囲気があって、

僕は勝手に「ボヘミアの森」と名付けて呼んでいる。

あのへんは常緑樹も多くて、ヨーロッパの森を連想させるから。

狐の夫婦を目撃したのはそのボヘミアの森だ。


一人で川遊びをしている小鹿を一瞬だけ見ることが出来たのは豊岡の森だ。


奈良を通って和歌山に向かうときに、五條とか橋本とかも通る。

この辺も好きだ。ただ山だけがある。山と、空と。


あと、和歌山と大阪の県境あたりの、犬鳴山が好きだ。

素晴らしく深い森。ここはじつは関西でも指折りの心霊スポットなのだそうだ。

確かに・・・・名前が怖いよ。犬鳴山なんてね。

でも、昼間行けば爽やかで、切ないくらいに美しい山だ。


あと、どこだっけ、そうそう、川西市の山のほうにある一庫ダムの近辺も、

見とれてしまいそうなくらい美しい。

湖面に靄がかかって、とてもとても幻想的な時がある。

通るのはいつも大体、明け方くらいの時間帯だから本当に、

目が眩みそうなくらい綺麗。





こういう、「里山」で暮らせたら良いなあ、などと夢想してしまうこともある。

そういうところで暮らしてる人々に、憧れを抱く。

農業・・・・・は、きっと過酷な労働なのだろうけれど、憧れてしまう。

僕なんかずっと「街」で暮らしてきたからそんなの無理かもしれないけど、

・・・・・・・土と共に暮らすのって、いいよなあ。










明日の目的地も、豊岡だ。

朝早いのが難だが(夜明け前に出発する)・・・・・・・・・・・・・美しいから良し、とする。


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