帰還

2012-07-31 11:46:20 | Weblog



「海」はやはり、素晴らしかった。今年はまた・・格別だった。

年に一回とは言え、

お気に入りの海に行くことが出来るのはとても幸せなことだ。

我々はいつまでこんな風に

変わらずにいられるのか?と最近よく思う。

少しずついろんなことが変わって行って、

大事な人に二度と会えなくなくなってしまったりとか・・・・・・・

そんな非道いことがいくつもあったよね。

でもその分確実に、世界、というか人生というか、

”時間そのもの”の「希少性」を切実に感じる。

どれだけ切実に大事に思おうが、

指の間から零れ落ちる砂みたいに「時間」ってやつは

過ぎ去っていくのでした。

何だか無常感・・というか「諦念」ばかりが濃くなっていく。


みなさん暑いけど大丈夫ですか?

俺は「夏の旅」から帰還したよ。

知ってるだろうケド、節電なんてしなくていいからね。

電力会社のやつら、大飯原発再稼動したあと

火力発電所を8基も止めやがったんだから。

電力会社はいい加減に・・ふざけたことやめないと、怒るよ?

♪「電力は余ってる、いらねぇ、もういらねぇ」って

歌ってたのは「カバーズ」期のRCサクセションだけど、

あれは真実だったのだ。

清志郎はどこまでも偉大だ。

しかし京都市は「瓦礫受入れ」を、結局は「しない」方向で動くことになったらしくて、

それはほんとうによかった。

電話しまくった甲斐が・・・あったのだ、と信じたい。

「草の根」的な動き・・・市民運動、みたいなものに効果があったのだ。

デモもやる気出るよね。

そうは言っても・・・問題は山積みなのだけれど。

少しでも前向きに考えたい。





ああしかし、せつないデスね。

いろんなことが、ただ過ぎて行くことがせつないデス。



まだちょっと先だけど、次の「ROCA」のライヴは

8月19日(土)大阪・十三・クラブウォーター。

来てくれなくったって気にしないけど、

来てくれたらそりゃぁ嬉しい。







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旅へ

2012-07-28 10:01:46 | Weblog


「ソングブック」とか言っといて・・・・・

またドトウのように自作曲作ってるんだけどさ。


昨夜はドラムの郁磨と二人で「ROCA」のスタジオ。

心から楽しかった。


それでさ、

今使ってるのは例のキリヒトの

レスポール・スペシャルなんだけど

フェンダー系と比べたらやっぱり「図太い音」なんだよね。

もちろんそういうのって「良し悪し」は状況が決めるものなんだけど、

ふと思い出したことがある。

G&Lのスカイホークをずっと使ってて、

ライヴハウスでリハのとき、PAの兄ちゃんが俺に、

PA「ミチローさ~ん」

俺「何?」

PA「あの~・・・」

俺「何?」

PA「無意識でそうなってるんやろうし、そういうのって

表現者として素晴らしいと思うんだけど」

俺「はぁ?」

PA「ミチロさんの声とギターの音域が全く同じなんでやりにくいです(笑)

ギターの高音絞ってください」

俺「爆笑」

ということがあった。

なるほど・・・と思ったね。

俺の出したい「音」は、声だろうがギターだろうが同じだったのだ。




その点、スペシャルは俺の声と全然違う音域だと思う。

だから上手く行けばお互いを引き立て合えるんではないだろうか。


しかし「図太い音」のせいで時々、自分の曲が

ハードロックみたいに思えるときもアル。

むむむ。大丈夫だろうか(笑)。


さて今日から恒例の「夏の旅」に出る。


アディオス、アミーゴ。












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ソングブック計画

2012-07-26 11:01:04 | Weblog



海とか(湖とかw)、花見とか。

野外でトモダチと飲むときにギター持っていったりする。


それはいいんだけど問題は

「何を歌うか」ということだ。


俺はインディながらミュージシャンのつもりだし、

その中でも「自作曲至上主義」なので、

「自分の曲」歌うか・・・?

でもそういうのは、そういう場にふさわしくない。

自作曲聴いてもらうのはライヴハウスとかの

「発表の場」だけにしないと。


しかし俺、有名な曲のコピーとかカヴァーって

ほとんどしてこなかったんだよね。


それで本題。

わりに有名で、いい曲で、そういう場で歌うのに

ふさわしい曲ってどんなんだろう?


有名すぎると陳腐だ。

俺が今思い浮かぶのは・・・・・・・・・


喜納正吉「すべての人の心に花を」

あと・・・

ボ・ガンボス「トンネル抜けて」

それとか・・・「知床旅情」とかね?

「アカシアの雨が止むとき」なんかもいいか。

タイマーズの「デイドリーム・ビリーバー」とか!

清志郎だったら次は昔のRCの「あの歌が思い出せない」とかね。

拓郎だったら「襟裳岬」か?

泉谷で「春夏秋冬」はどうだ?

ムッシュで「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマとか。


そういうのをノートに詞を書いて、

コード進行なんかも書いておいて、

「ソングブック」って名前付けて持っていくと、

大昔のキャンプのイメージみたいな感じで

焚き火の周りでみんなで歌ったりとか(笑)出来るんでは

なかろうか。

・・・・・・そういうのってクサいのか?





「これはソングブックに加えたらいいのではないか?」

という曲があったら教えてくれないか。

でも

「ヒトの趣味」って気が遠くなるくらい多種多様なので・・・

却下されても怒らないで欲しいんだけど(笑)。


どうかな?







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思うに

2012-07-25 10:19:50 | Weblog




どういうのが「自分らしい」んだろう?

どんな風に生きたらいいんだろう?


自分が思う「自分らしさ」。

それに忠実に生きよう、とは思ってるんだけど。


弱虫で、すぐ絶望してしまうような情けない自分も嫌だけど、

でもそーゆーのって悪い意味で自分っぽい・・・とも思う。


それとは正反対に、

天啓を得たみたいに迷いもなく行動する・・・・

というような時もある。


そういう自分も「独善的」で嫌いだったりするのだが


どっちにしたって両極端なのだ。

中間というものがない。あったとしても自覚しえない。


急上昇、急降下、急上昇、急降下・・・を延々と繰り返すのだろうか。


それでどっちも嫌で、

結局はへとへとに疲れるだけ、だったりして。


はぁ。







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キャンプ

2012-07-23 09:19:46 | Weblog



突然だけど

我々のこの肉体がイコール「魂」だと思うのですよ。

唯物論的に言うとそうなるよね。

でも、もう一つ考え方があって、

それは我々のこの肉体は「魂」のための乗り物だ、という。

ほんなら「魂」って何?


琵琶湖のほとりでキャンプしてきたんだけどさ、

もうすごかったんだよ。

何が?って、虫とかが。すっごいいっぱいいて。


それで何だか虫に感情移入してしまって、

「羽虫」の目から世界を見たらどんなんだろう?

って考えざるを得なかったね、俺としては。

でもさ、小っこいケドちゃんと精巧な「目」を持っててさ、

羽虫でも、アリでもおたまじゃくしでも。

「目」がある、ということはその目で

「世界を見ている主体」が厳然とあるわけで、

そうするとそれはどんなに小さかろうが「主体」なので、

もしかしてそういうのを「魂」と呼ぶのだろうか?

とか考えたりしてさ。


そんな風に感情移入してしまうとなかなか

小さな虫でも邪険に出来なくなってきて、

キャンプ用テーブルに入り込んで気た蜘蛛なんかにも

「ほらほら、君は外に出なさい」とか丁寧に扱ったりして。


ちょっとだけ泳いだ時も、

どこからかおたまじゃくしが泳いできて

じっと見てたら浮上してきて、しばらく見つめあってしまった。

「ふん、そうかい」みたいな感じでおたまじゃくしは

泳いで去ってしまったのだけれど。


しかし「おたまじゃくし」がいる、なんてさすが琵琶湖だよね。

一瞬、「何で海におたまじゃくしが?」と思ってしまった。

海じゃないんだ、と頭ではわかってるつもりでも

水平線なんか眺めてるとどうしても

「海っていいなぁ・・・・・はっ!違う違う」

ってなってしまう。



写真は、琵琶湖のほとりで、クルマと合体させたテント。

「鉄コン筋クリート」のシロとクロはそういえば

クルマに住んでたなぁ。


彼らは元気かな。












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「かけがえのないひととき」 LOVE JOY

2012-07-19 10:08:42 | Weblog




僕は「LOVE JOY」のギタリストである服部さんと縁があって、

親しくさせて頂いてるので、

「LOVE JOY」のライヴは十年以上前から見ている。

関西、特に大阪でのライヴはほとんど見ているのではないだろうか?

とても好きなバンドだ。

松永さんのベースは、そりゃすごかった。

曲と一体化して、その曲の”根幹そのもの”と化す音。

静かな、グルーヴという魔法。

そんな風にしか言えない。

気付かない人はそのすごさに、全然気付かないだろうけど、

それでいい、というようなさりげない「すごさ」。

もうこの音を生で聴くことは出来ないのだ、と思いながら

「LOVE JOY」のCDを聴く。

「かけがえのないひととき」というタイトルのアルバム。

・・・・・・・「かけがえのないひととき」。

ちょっと愕然としてしまう。

何て直接的で、暗示的で、予言的なのだろう。

そして何て深みのある、美しい音楽だろう。


服部さん、きっと落ち込んでるだろうけど


元気出してください。







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新しい始まりと・・ 「さようなら」

2012-07-18 23:23:15 | Weblog


初めに憧れたギターがフェンダー・ストラトキャスターだったから、

ギターはフェンダー系にかたよって使ってきた。

しかし考えてみたら、あの初のギターは「TOKAI」だったし、

ランブルの初期に使っていたストラトは「YAMAHA」だった。

(でもすごくいい音だったんだぜ。)

それをステージで投げて折ってしまって、

それで(ローンを組んで)買ったのが

フェンダー・ジャパンのストラト。

そのあと「風の歌」結成して、ギターヴォーカルとしてどんなギター使うべきか

悩みに悩んで、結局(またローン組んで)買ったのが

ギブソンのレスポール・スペシャルだった。

スペシャルって・・要するに、レスポール・ジュニアね。

(単に「ジュニア」にピックアップが二つついてると

「スペシャル」という名前になる。)

あれが俺にとって初のUSA MADEのギターだったんだな。

それを1993年の新宿LOFTのステージ上でまた折ってしまって・・・

その後、「ばるぼら」結成時に(またローンで)買ったのが

G&Lだった。(そのG&LはUSA MADEである。)

それから紆余曲折を経て十数年。

ここへ来て久しぶりに、ギブソンへ戻ることになりそうだ。

トモダチの「きりひと」が

「使ってみたらどうか?」と貸してくれた

ギブソン・レスポール・スペシャル・1977年。

今日、スタジオで、ものすごい音と、ポテンシャルだった。

1977年はギブソンの暗黒時代・・・なのだそうだが、

全然凄い音が鳴る。

ギブソン系久しぶりだから・・・ということもあるのだけれど、

ギターの「音」に、こっち(弾き手)がインスパイアされてしまう。

それくらいよかった。

何かが「変われる」かもしれない。

もう激情に駆られてギターを床に叩きつけるようなことはしない。

やっとこのトシになって、それをしないでも気が済むようになった。

だからオールドを使っても大丈夫。

大事なものを壊したりはしない。

「大事だからこそ粗雑に扱ってやる」みたいなことも思わない。

「愛するもの」とは一緒に、ココロを込めて歌うだけだ。

ギターは俺の「運命」を、くるくると翻弄してくれる。

「オールド」と対峙するのは、生涯初めてだ。

何か、・・・「面白いこと」が加速するように働いてくれたら、

笑いが止まらないくらい楽しいかもしれないぜ。




最後に。

現「LOVE JOY」のベーシスト、もと「MUTE BEAT」の

ベースだった松永孝義さんが、先週(7月12日)に亡くなった。

心から哀悼の意を表する。

俺みたいな「非・オンガク」的な人間が

松永さんのことを語る資格などないけれど・・・

オンガクを愛する心は一緒だ。

本当に素晴らしいミュージシャンだった。

とても寂しい。

松永さん、たくさんの「いい音楽」を

ありがとうございました。




さようなら。










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ギター的美意識

2012-07-16 19:44:42 | Weblog


俺が初めに美しいと思ったギターは

ストラトキャスターだった。

中学生だったのだけれど、当時「TOKAI」という

日本のギターメーカーがフェンダーを完コピしたギターを

がんばって作って宣伝していて、

あの頃から多分、今に通じる「オールド崇拝」が始まった・・・

というかヒートアップしたのだと思う。

それでその「TOKAI」のストラトの一番安い奴を

ローンで購入した。・・いや、してもらった。

(お父さんお母さんドウモアリガトウゴザイマッス。今でも感謝してます。)

一番安い奴って言ったけど、それでもやっぱり高価でゴージャスで、

俺は自分の部屋にキャデラックが置いてあるみたいな気分だった。

3トーンサンバーストというカラーのストラトキャスターは

ただただ美しくて、

俺は何時間も眺めていたものだった。・・・練習しろよな(笑)。

しかし・・・いつしかストラトはその完成度の高さゆえに、

コピーのコピーみたいなモデルとか、ストラトをちょっとだけアレンジした

ヘヴィメタギターとかが氾濫し始め、

いつの間にか「普通のエレキギター」化、と言うか

「あの素晴らしい愛をもう一度」的に、ストラトは・・・新鮮味がなくなってしまった。

(単に、「見た目」の話ね。・・でも「見た目」は大事だから。)

俺もいつしかフェンダーに「ムスタング」というモデルを見出し、

造形の美しさではムスタングのほうが上だよな・・・とか思うようになった。

そうこうしているうちに

時代は1990年代に突入。

新しい価値観を持った洋楽バンドが続々と現れてくる。

「ダイナソーJR」はぶっ壊れてて最高だった。

そして「ソニック・ユース」!

もうひとつ、「マイ・ブラッディ・バレンタイン」。


彼らの使用ギターは、同じフェンダーでも後発モデルで、

当時は廃れていた ジャガー、ジャズマスター、ムスタング。

新しい「ギター的美意識」。「ニルヴァーナ」もそうだったね。

俺はどうしよう・・・・と思っていた時期に、

大阪・心斎橋のイシバシ楽器店頭で、今でもメインで使っている

G&L スカイホーク(3トーンサンバースト)と衝撃的な出会いを果たす。

・・・今になっても思うのだけれどこのギター、

まるでストラトとムスタングの「あいのこ」だ。「音」はぶっといストラト。

「エレキギターの始祖」たる偉人、レオ・フェンダー作であるし。

ジャガー、ジャズマスターのような「エグさ」はないのだが、

そこがまた。

「マイブラ的ギター美意識」という観点で見ても・・・・・

例えばビリンダがこのギター抱えてたらかっこいいはず。




奇蹟の再結成、奇蹟の再来日と言われた

08年(だったよな?)のフジロックでの「マイブラ」演奏の動画を見たら、

ケヴィンは(当然)ジャガー(かジャズマス)、

ビリンダは多分、特製の改造ギターみたいなのを

使っている。シェイプはムスタング、でもジャガーやジャズマスの

トレモロ・ユニットが付いている。色はマッチング・ヘッドの

キャンディ・アップル・レッド。

もしかしてオールドのムスタングにフローティング・トレモロ・ユニットを

移植したのかな?

華奢なビリンダにはムスタングがとてもよく似合っていた。


もうチケット取ってあるのだが

来年二月の「マイブラ」の単独来日公演。


どんな轟音が・・・と今から楽しみなのだが、

彼らがどんなギター持って来るのかも興味津々。



意表をついてストラトだったりして・・・・・そりゃないか。







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もうすぐ真夏

2012-07-13 10:43:38 | Weblog


コドモの頃、同居していた家族の中でただひとり、

おばあちゃんの姉であるH子さんという人が苦手だった。

そのひと以外の家族は全員、のん気で忘れっぽくて・・・・

要するに俺みたいな、ちょっとネジの2、3本抜けた、

よく言えば平和な(馬鹿な)人たちだった。

でもそのH子さんはわりに攻撃的で、皮肉っぽくて、

ヤな感じだった。二十年位前に亡くなったのだが、

そのときもあんまり悲しくなかったくらい。

(はは・・・ゴメンナサイ。)

でも今になって思うのだが、

世間なんて優しい人ばかりではない。・・・そうだよね?

自分自身に問題を抱えてるひとは怒りっぽかったりするし、

欲求不満を抱えてるひとは常にイライラしている。

自分を守ることで精一杯になるあまり、他人に対して

攻撃的な態度しか取れないようなひともいる。

そういうタイプのひとが身内に一人でもいてよかった。

そのH子さんのおかげで俺は、

ほんのちょっとはそういうのに、「慣れて」なくもないのだ。

今、そういうひとにぶつかっても、

ああ、H子さんもこんなんだったな・・・って

ほんのちょっとは「暖かい目」で見られないこともない。

そのひとは俺の幼少の家庭の「内なる世間」だったのだ。

貴重な教訓だった・・・・と思う。マジで。



時々思うんだけど、

「気が強い」とか「気が弱い」とかって、

簡単には言えないよね。

「どこまで他人や世界に譲歩して生きていくか」

という問題。

誰だって「気が強く」もあるし、「気が弱く」もある。




・・・メゲずにがんばって生きていくぜ、と

今さらながら思うのでした。




もうすぐ、真夏だ。


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女装

2012-07-12 15:28:59 | Weblog

ロックにはわりと昔から、「女装」の歴史があるように思う。

ストーンズ全員が女装した写真があったし、

デヴィッド・ボウイもあったよね。

ニルヴァーナもやってたし、

ルー・リードの歌に出てくる実在の人物、

「キャンディ」は、女装の麗人(おかま)だった。

大体、アンディ・ウォーホルが憧れたトルーマン・カポーティは

ゲイだったし(ゲイと女装には直接の関係はないけどね)、

そういう例を挙げていくときりがない。

ロックという表現のなかに、

「ジェンダーの境界線上の危うさ」とでもいったものが、

ある種のフォークロア的に、脈々と息づいているのかもしれない。

日本だと、「ストリート・スライダーズ」のギターの蘭丸が、

初期は特に、「女みたい」でかっこよかった。

全然女々しくない女。

「ブランキー・ジェット・シティ」にも女装のジャケットがあった。


俺も今まで何回か、女装をしたことがある。

っていうか普段から着ている物は女物ばかりなのだが。

スカートはいたりは、しないけどさ。

「男っぽく」もなく、「女っぽく」もない、というような

服装が理想だ。

「女性変身願望」みたいなのが、コドモの頃はあったように思う。

今はどうなんだろう?・・・・ないと思うけど。


ところで。

パウロ・コエーリョの書いた

娼婦マリーアの幸福と愛の追求の物語

「11分間」は

(単純ではないがそれでも)ハッピーエンドを迎えた。

ああ、よかった。

単純なハッピーエンドなんかこの世にありえないのかもしれないけど、

少しでもそういうのに近付いて行きたいし、

みんながみんな、そうなったらいいんじゃないかと

わりと真剣に思う。






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