「本性」もしくは「一銭ピー(いっせんぴー)」。

2017-06-30 21:31:33 | Weblog

ひとの「本性」っていうか、

・・・「素」っていうか。


そのひとが本当はどんな人間なのか?っていうのは


穏やかに物事が進んでいるときにはわからない・・・のかも知れない。



例えば


追い詰められたとき、


もしくは


けっこうヒドい痛みを抱えているとき、


それとか


何かと、精神的にギリギリのとき、


もしくは・・・一銭ピーのとき。


(「一銭ピー(いっせんぴー)」ってのは、「一文無し」と同義。)




そういうときにこそ、「本性」は現れる・・・・・のかもしれない。





そのひとが「他人に優しくしよう」と強く願っていたとしても


「本性」では全然優しくなかったりとか。



高潔でありたい、と心から思っていたとしても


土壇場で無意識に卑怯な、姑息な手を使ってしまったりとか。



いつもいつも、ゆったりと鷹揚に構えていたい、そういうひとしか好きじゃない・・のに


ピンチのときに大慌てして、ちゃんと対処出来なかったり。



正しく在るべきだ、と本気で思っているのに


道義的に間違った行動を 迷いも無く実行に移してしまったり。


(具体的には(一銭ピーだから)、食い逃げしてしまったり、とか。)






「本性」っていうか

そのひとの


底のほうに潜む「邪悪さ」みたいなもの。





むむむむ。







でも逆に

そのひとの底のほうに潜む「善良さ」ってのも



あってしかるべきだし、



きっとある  だろう?



と思うのだ。








それにしても





「ひと」ってそれぞれ


ムツカシイよ。























ところで本編の話とは全然関係ないんだけど





「一銭ピー」っていい言葉だよな。





よく一銭ピーの状態で俺は





街を彷徨ったりしてたよ。




・・・・・・・・・・・・・今?


今は、ジャラ銭くらいなら、持ってる。






だから心配ない。










今度、駄菓子屋でガムくらいなら、





おごるぜ。




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自己肯定、自己嫌悪。

2017-06-28 22:00:50 | Weblog

自慢ではないが


(自慢になるか、そんなもん)


・・・自己嫌悪に陥ってしまうことがある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多々ある。


そういうの、俺だけじゃないと思うんだけど。



でも、「人」のタイプとしては、

そうでないヒトより

そーゆーヒトの方が好きだ。


自己嫌悪に陥ってしまうようなヒトの方が、そうでないヒトより、好きだ。



だって、そういう人の方が「傲慢」の香りがしない・・・いや、薄いではないか。



自己肯定的なヒトって必然的に、

「傲慢寄り」な傾向って、あると思う。


俺は「無反省」ではあるが、「自己肯定的」では、ない。








でも


今日気付いたのだけれど(気付くのが遅いけど)、



自己嫌悪って行き過ぎたら


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「(セルフ)スーサイド」に行き着く


っていうか


そこしか行き着く先は無いのではなかろうか。



カートの「I HATE MYSELF AND I WANT TO DIE」を


例に挙げるまでもなく。






いかんいかん、






同志よ、



自己嫌悪的な同志達よ、




自己肯定しよう。




ありったけの精神力をこめて



自己肯定しよう。


厚かましくなろう。




ツラの皮を、厚くしよう。




厚顔無恥になろう。



恥知らずになろう。



嫌われようが何だろうが「この世」に、



のさばるように生きてやろうぜ。






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謝辞2017年梅雨時期、不屈のマジカル復活。

2017-06-25 13:27:57 | Weblog

昨夜PARA-DICEに来てくれた皆さん、

本当にありがとうございます。


最近は落ち込んでしまうことも多くて

もう続けられないんじゃないか などとマジで考える事もあったり

そんなことばっかり考えたり。


でも演っててよかった。

俺の事を忘れないでいてくれる人がちゃんといるんだ、と思えて

道子はとてもとても幸せで御座いました。


演奏する事には、そして歌う事には、意味がちゃんとある。

駄目駄目なこともあったけど、

潜り抜けてきて、続けていられるのだ。


トモダチのおかげだ、仲間のおかげだ。

見守ってくれてる、優しい人たちのおかげだ。


マジでその事を実感、そして痛感しておりますですよアタシは。


オオサカはやはり、優しかった。

天神橋筋商店街は昔のままの賑わいで、

わざわざヒョウ柄を着て来てくれた人も居たね(笑)。

トモダチよ、全員にありがとう。

あなた達のおかげで、マジカルが復活した。


光の粉みたいなものが輝きながら、空から降ってきたような夜だった。


まるで「乗客全員がワケアリの不審者の超特急」みたいな感じで(どんな比喩だか・・・)

俺達のバンド、ROCA'66はまだ続きます。

青息吐息だが全力で、ウスバカゲロウのように長生きする所存。

次のライヴは

7月29日、

京都、烏丸御池 「夜想」。


対バンは、フレイクスバーングループ、地獄の季節。


3バンドだけで、「密な感じ」で、演る。



昨日来れなかったひともぜひ、来月の「夜想」に来て下さい。

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本日夜、PARA-DICEにて。

2017-06-24 11:00:04 | Weblog


6月24日(土)扇町para-dice
open17:30/start18:00
charge ¥1,200 (+1drink)
act:
ROCA'66
オガサワラヒロユキ
NDARICCA
アンドロメルト(東京)
漁礁
くらげ




本日、大阪 扇町 PARA=DICEに

ROCA'66が出演しマッス。

NDARICCAさん以外は全員知らない出演者。

こーゆーのはライヴハウスの「通常ブッキング」で、

我々にとっては言ってみれば、ひとつの「挑戦」でもあるのデス。

(トモダチのバンド集めてもらってイヴェント的にやるほうがたやすいし、和やかだからね。)

でも刺激的なのはこっちの方が刺激的。

どんな出演者か、楽しみ半分、

不安半分(しょうもないときも、あるからさ)。

でもこーゆう、ハコブッキングがライヴハウス出演の醍醐味かも。

何と言うか・・・・

出たとこ勝負、というか。

ライヴハウスってところは良くも悪くも「ごった煮」っていうか

玉石混合・・・なのよね。

でもそんな「ごった煮」の中で過去に

例えば

イージーウオーカーズに出会ったのだし

怒髪天に出会ったのだし

ゆらゆら帝国に出会ったのだし

碇健太郎(サウスサイドシャッフル)に出会ったのだし

ソウルフラワーユニオンに、

ガンスリンガーズに、

ディ・ディ・ワ・ディディに、

レイジーブルーに、

車輪に、

コマーシャルドライヴに、

シニカルクランプに、

のぶせり に、

正垣に、

方々に、

サヨナラナイフに、

ホーボーズジャングルに、

花(フラワールートカンパニー) に、

鳥井賀句に、

MIDIレコードに、

夕凪に、

CCライアーに、

1967に、

ミライノスに、

フレイクスバーングループに、

ノーパンズに、

アップダウントリップスに、

バナナディーンに、

ほろほろ鳥に、

チェリーママに、

ごくつぶしに、

39アヴェレージに、

カミナリボルトに、

マンガンズに、

地獄の季節に、

アンドヤングに、

スキマノザラシに、

ジミースターダストに、

ダウンホームスペシャルに、

ワームスに、

ジェットペッパータワーに、

ストリッパーキングスに、

ちぇるしいに、

モンビジに、

ザ・たこさんに、

コーヒー&シガレッツに、

かかし に、

がらんどう に、

ミンカパノピカに、

ジャンクヤードに、

ウルフルズ・・・には出会ってないか。え?出会った?


挙げていけばきりがないけど、

もう、すごいよね。


だから今日も、何が起こるかわからないぜ。

我々の出番はラスト。9時過ぎくらいか?


雨が降るかもしれないけど、来て下さい、

槍が降るかもしれないから!





(「血の雨」は間違っても降らない・・と思う。)



(ホラー映画か?ちゅうねん。)




(あ、受付で、ロカ見に来た!と誇らしげに言って下さい、ドゾ、ヨロシク!)







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濾過されて濾過されて(あさってのライヴに君が来てくれますように!)

2017-06-22 21:06:04 | Weblog

今日

ペットボトルの「水」買って飲んだのさ、お茶と間違って買って。

まあいいいか・・ってんで素直に「水」飲んだんだ。

言い忘れたがアタシは今現在ね、まあ大層な肉体労働に従事してるんだってばさ。

「世を忍ぶ仮の姿」だけどね。

・・・・・・・・汗かくわよ、そりゃ。ここはサウナか?ちゅうくらいに。でも

着替えるし、

脱水症状にならないように、しょっちゅう水分取るように

気ィつけてるのよ。

でね、普段は「麦茶」飲むのさ。俺「麦茶」、好きで。「麦」つながりのビールより好きかも。


でも今日、間違って買った「水」飲んだら、これが当然と言うか何というか

「無味無臭」で。何の味も香りもしねえ。でも何か素敵。


本当、不思議よね「水」って。

飲んだ瞬間に、さっきまでコンビニの棚にあった「水」は、アタシの身体と同化する。

あたしの体を構成する物質となる。

言い換えれば「アタシ自身」になるのだ。さっき買った「水」が。

何て「流動的」なことか、我々の身体って。

とある「定義」によれば、「水」とは

「地球上でもっともありふれた物質のひとつ」ということなのだそうだ。

だから(というか何というか)、無味無臭なのは当然過ぎるほど当然だよな、と思ったのだ。


だって「水」って、我々自身なのだから。・・・味なんかしねえって。

もし味がした・・・としたら、それは何かが混じってるのだ、その「水」に。


マディ・ウオーターズは最高にイカしてるし、シカゴ・ブルースの帝王だけど、

彼の芸名の元になった「泥水」は飲めたものじゃない。濾過しなきゃ。


泥水を濾過する、確実で、手っ取り早い方法って知ってる?

蒸発させるんだって。そしてその水蒸気を捕まえて、「水」に戻せばそれでオッケイ。

簡単だよね。でも「火」がなきゃ無理だな。


濾過されて濾過されて、

挙句の果てに 無味無臭・・みたいになりたい・・って(本気で)思ってたこともある。

でも無理だよそんなの。

何でかって言うと、「水」以外の、言わば「不純物」こそがアタシの本質だからさ。

つまり、これは「取替え」が、きかないんだ。


ふーん、なるほどねぇ。

そんなら、そういうのって、「魂」って呼ばれるものと相似形かもしれないね。

「ソウル」って呼ぶと、さらに暑苦しくて、いいかもだわさ。


・・・・・・「水」。


今朝買って飲んだ「水」は、今でもアタシの中で、アタシの一部として流動している。

願わくば

今朝買ったペットボトルの「水」の中に「カビ」が混じってなかったことを(「いろはす」だったから)。


さらに願わくば

あさってのROCA'66のライヴに

君が来てくれますように。




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ギター(今週末は扇町PARA-DICEでROCA'66のライヴ)。

2017-06-21 21:51:44 | Weblog



ギターという楽器がこの世に存在して、

わりあい安価で、我々庶民にも手に入る・・・という状況は

すごくすごく、有難い事だ、と今更ながら思う。

言うまでもないが、江戸時代ではこうはいかない。


なぜギターか?


だって楽器なんて、

ピアノはちゃんと習わないと、とてもじゃないけど弾けるようにならない。

バイオリンだってそうだ。ただ音を出すだけでムツカシイ。

トランペット系の金管楽器も、まず音を出すのが至難の業だ。

木管楽器にしたって、やっぱり敷居は高い。


だがギターは

まず、コードをいくつか覚えれば、簡単な歌の伴奏はすぐ出来るし、

コードに対するスケールをある程度理解すれば、

アドリブでギターソロさえ弾くことが出来る。

そして更に音楽的に突き詰めようと思えばもちろん、どこまでも奥は深い。


ギターだけではない、ベースもそうだな。

(あと、ドラムセットというのもスゴイ発明だと思う。)


俺なんか、もしもギターがなかったら

今みたいにオンガクにどっぷり、というようなことには・・・なっていないだろう。

リスナーとしても、今のようには聴けてないと思う。

ギターを通して、オンガクへの理解度が深まってる、と思うのだ自分では。

もしギターが無かったら俺は・・・絵ばかり描いていただろう。

まあ、それはそれで全然悪くないのだが。

でも内向的な人間が絵に向かうと、世間との接触が希薄になる・・・ということが危ぶまれる。

そう、俺なんかきっと、誰にも会わず、部屋にこもって絵を描いていたかもしれない。

むむむ。

そうなのだ、俺が中学生のときギターを始めたのはただただ、

ギター自体が「かっこよかったから」で、

それを使って、何をどうするか・・・みたいなプランは何もなかった。

しかし、ギターがちょっと弾けるようになると、

誰かに聞いて欲しくなった。当たり前だと言われればそうだが。

そして、ギターをきっかけとして「仲間」が出来た。

これは予想外の事・・・・と言うか、望外の喜びだった。すごくすごく嬉しかった。

そして更に、「仲間」と共に「バンド作ろう」ということになった。

もう、何が何だかわからないが、嬉しいのは泣きたいくらい嬉しい。

(道子はその時、気付かないうちに、「ブレーキの無いクルマ」に乗り込んでいたのだ。)

そして!

バンドが出来れば、学園祭に出たり、

挙句の果ては、ライヴハウスに出演したりする・・・ようになる。


内向的な道子が、自室で絵ばかり描いていた頃には想像もつかないことになってしまった。


マジでけっこう「人見知り」だったのだ俺は。子供の頃。

「人見知り」だったし「内向的」だったし、「引っ込み思案」だった。

(自慢するような事ではない。)


しかーし。

バンドが軌道に乗って、ライヴなんかを定期的に演ったり、

東京のライヴハウスに「ツアー」と称して出掛けたりするようになると、

「人見知り」なんて言ってられない。

ライヴではほぼほぼ毎回、初対面の人間に会うし、

初対面なのに、親しげに話しかけてくる人間の多いこと。

・・・心を閉ざしてる場合ではない。


俺はいつからか、自分がかつて「人見知り」だったことさえ、忘れた。


どれもこれも、

(内向的な)中学生だったある日、

ギターを手に取ったことから始まっている。


ギター買ってくれた両親に感謝。

そのときの「仲間」に感謝。今、一緒にやってくれてる「仲間」に感謝。

そしていつも「お客さん」として来てくれる優しい何人かの人に最大限の感謝。

更には

「ライヴハウス文化」、そのもの・・・にも感謝を捧げます。





さて、その「ギター」を手に「仲間」と共に今週末、

いい歳こいて性懲りも無く、ライヴハウスに出演する。


2017年6月24日 土曜日

大阪、扇町のライヴハウス

PARA-DICEへ、来て下さい。





もしアナタと初対面だったとしても、今の俺は「人見知り」はしないので、


来て、


俺に


声かけてね。





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追憶、そして次の土曜日はROCA'66のライヴ。

2017-06-18 17:33:03 | Weblog

僕は今では京都に住んで、ROCA'66っていう名前のバンドをやってる。

以前はギタリストだったんだけど、今は歌も歌ってて、

だからヴォーカル/ギターってことになる。



高校を卒業するときに・・・僕としては東京に行くつもりだった。

(高校は、奈良の高校に行ってたんだけれど。)

東京には叔母もいたし、何よりも生まれ故郷だったから。新宿に、また住みたかった。

でも「彼」が、僕を説得したんだ。一緒にバンドやるからオマエも大阪に出ろって。


「彼」とは、「ランブルフィッシュ」のヴォーカリスト、作詞作曲者、佐治朝吉 のことだ。


それで(説得されて嬉しくて)梅田の専門学校に行く事に決めて、大阪に住んだ。

専門学校はすぐやめちまって、友達の紹介でアメリカ村の古着屋で働き出した。

「彼」も、一年後、奈良から大阪に出てきた。

「彼」が住んだのは僕の一人暮らししてたワンルームから歩いて15分の距離のマンション。

その時代は、バンドがまだ活性化してなかったんだけど、

とにかく楽しかったな。・・・もちろん、今だって楽しいのだけれど、

二十歳になったばかりで古着屋で働いてて、一人暮らししてて、

友達も近くで一人暮らし・・・なんてね。理想的過ぎるだろ。二人で飲み歩いたりしたさ。


でも21歳だった6月、岩佐が突然、交通事故で死んでしまった。

岩佐は、「ランブルフィッシュ」の原型バンドを一緒に作った仲間で、

(大体が、高校で、佐治に俺を紹介したのが岩佐だった。)

その原型バンドでは初めは岩佐がヴォーカルだったのだ。

佐治は、ドラムだった。つまりは岩佐はそういう、華のある人だったってこと。

俺達のそのときのショックと落ち込みと自己嫌悪はとてもじゃないが表現できない。

今も忘れられない。


でもいろいろなことが同時進行していて、

岩佐が死んだ年(1988年)の11月にランブルフィッシュは

大阪の、十三に出来た、まだ新しいライヴハウス、ファンダンゴに出演することが決まった。

そのときの「青の時代」という曲(作詞作曲佐治朝吉)を演奏した映像は、今でも

YOUTUBEで観ることが出来る。


ランブルフィッシュでその後は、いろいろと状況が加速して、楽しい事がたくさんあった。


浅川マキのバックバンド役(一夜限りだったが)をやったり、

山口冨士夫と碇健太郎とランブルと三組で東名阪まわったり

横浜で後のディディ・ワ・ディディの村上と友達になったり、

キャプテン・レコードからのオムニバスCDに参加して、それの発売ライヴで

怒髪天(のメンバー全員)と仲良くなったり。

ああ、今名前を出した人たち、 怒髪天(のメンバー全員)以外、みんな故人だ・・・・。


でも「ランブルフィッシュ」は1991年に、解散した。


僕はその後

ボケロウ、キヨシ、マーボーと僕と4人で「ばるぼら」を結成した。

それはそれで目まぐるしくて刺激的で大変で、忙しくて楽しい日々。

東京行ったり、テキサス行ったり、北京行ったり、上海行ったり、ニューヨーク行ったり。


それで佐治と疎遠になったか?というとそんなことはなくて、


お互い、天王寺近辺・・・から長居、あびこ、あのへんの

大阪市内南部に住んで(二人ともあの辺で何度か引越しした。引越しも手伝いに行った)。

時々、二人でサケ飲んだり、

単発的にメンバー集めてバンドやったりした。ジョー、一蔵、高山、マツヨシ、

ロニオ・・・・。あれはあれで楽しかったな。


でも佐治はその後、例の病気が発覚して・・・・・。

入院、療養のため、奈良に戻った。引っ越して行ってしまったのだ。


寂しかったな。奈良から、彼に説得されて、一緒に大阪に出てきた・・ようなものだったからね。


それからの日々は、大変だったはずだ。僕も、心穏やかではなかった。

でも「ランブルフィッシュ」再結成したりして、楽しめたことも多かった。











2007年に佐治が逝ってしまって、

僕はふと、大阪にいる意味がない・・・ような気がしてしまった。

でも今さら、東京にも行けない。

二十年以上、大阪に住んで、関西が大好きになっていたし。


だから(というか何というか)、京都に引っ越した。


京都もなかなかいい所だ。物価は高いけどさ。





それで、


今週末。僕は、今の仲間と共に、


物価の安い(笑)、大阪は天神橋筋商店街の中にある、素敵な小さなライヴハウス、

「PARA-DICE」に出演する。


ROCA'66のヴォーカル/ギターとして。


ROCAにはROCAの、確固たる世界がある。


それは僕の見てきた聞いてきた「あれこれ」を僕なりに咀嚼して消化して

コラージュして・・・・・・まあいいか。


とにかく


「今」の


僕のバンドを見てほしい。





佐治が亡くなって、10年経つ。



そういう「何やかや」を全部引きずって・・・いや、引き受けて、


僕は行くのです。




次の土曜日の夜、あの宿命的な「オオサカ」で、


オオサカの扇町のライヴハウスで。






僕は歌います。




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昨日の夢は

2017-06-17 14:11:23 | Weblog



フェーン現象みたいな夕方、

まるでシアトリカルな朝。

すべてが逆回転して行く世界、

どこの誰が馬鹿面下げて、そんなこと望んだって言うのか?

究極のドタバタ悲喜劇を繰り広げた挙句、

明け方の空にロケット花火のごとくに消える、最低のオールド・ファッション。

そうだ、

あの土砂降りの動物園、外国語の説明文。

三千億の失われた夜と、手の中に残ったほんの1グラムの感触。

でも思ってしまうんだが、

君が生きてた頃は俺も生きてたよね実際。

そういった日々はことごとく

風に引き剥がされるみたいにして・・・・あの懐かしのトタン屋根みたいにさ、

飛んで行っちまうことも出来ずにただバタバタ鳴ってるだけなんだ。

一晩中そういうのを聞かされたらさすがの君も、気が滅入ってくると思うぜ。

仕様が無い、と言えば全部そうで、

やれることはやったんだ、俺も、君も。




さて、

暗闇にうずくまる黒猫みたいな君よ、

昨日の夢は、冗談だったんだったけ?


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また強行採決しやがった。

2017-06-15 21:27:01 | Weblog


まともに議論なんか、ハナッからする気ないから、

野党議員からの質問には一切答えない総理大臣。

他の大臣も、総理を見習ってるのだろうけど、

最近は質問に答えない傾向が顕著になってきた。


・・・彼らに、政治を任せるのってもう、やめませんか?マジで。

ヒトとして、信頼できない。

誠実さのカケラも、見受けられない。








散々、問題が指摘されてきた「共謀罪」、本日の強行採決によって、成立。




国会軽視、国民軽視、

何よりも彼らは、「人権」を軽視している。

人を、つまり我々を見下している・・・・としか思えない。






最低。






現状を、合法的に「引っ繰り返す」にはどうしたらいいのか、

誰か教えてください。







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現状報告

2017-06-14 21:39:01 | Weblog

とりあえず現状は、大丈夫。

この先も・・・何とかやっていける。



いや

細かいトラブルは 雨、アラレのように降ってくるし、

過去の「どうしようもないこと」は、どうしようもないままだ。


それでも


僕はこの「現実」がとりあえず気に入ってるし、


言い換えればしかし、「この現実」しか、ないのだ。



僕に出来るのはこのあと、どこまでも・・・・「失わず」、

言い方を変えれば「変わらずに」行くこと、それだけだ。


たとえ低空飛行でもいいから、

軟着陸ギリギリでもいいから、空中に浮かび続けることだ。


「推力」はとうに、失われてしまった。

でもまだ、羽根は・・・昆虫の薄い、セロファンみたいな透明の羽根は、

誰がどう見ても痛痛しいが、それでも羽ばたくことは可能だ。


微風だが、まだ風は吹いている。

俺の触角は確実に、それを感じる。









すべてがゼロになる時まで

我々は、

風に向かっていくしかないのだ。






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