本日、京都「夜想」にて、ROCA’66のライヴだよ。

2013-08-31 09:34:03 | Weblog



本日、今夜のこの月を。

僕の涙で曇らせてやろうじゃないか。

・・・・・・・・・・・・・これは「金色夜叉」だ。


まあいい、

それはともかく

今夜!

京都、二条城近くのライヴハウス「夜想」に、

ROCA’66出演。

考えてみたら、ROCA’66になってから、

つまり、ドラムスの、もとEASY WALKERSの樋口君が加入してから

京都ライヴは初!だし、

鍵盤奏者のソヲラ君が加入してからも、京都初!


百戦錬磨のツワモノミュージシャン二人を俺が、京都に紹介できる、という光栄なのデスよ。


いや、ふたりともスゴイよ。

ROCAは完全に生まれ変わってマス。

以前の楽曲も、まるで別物のように完全総天然色化してるからね、

(前のは前ので、よかったんだけどさ。)


見に来てください。


台風も、どっか行っちまったんだろ?


俺も・・もはや、「雨男」ですら、ないのだ。


今夜の「夜想」、出演は

「不知火きりひと(ソロ)」、

「THE UP&DOWN TRIPS」、

「カーマ・スードラ」、

そして我々、「ROCA’66」




目撃しに、体験しに、・・・・・・・・・・・っていうか、単純に

会いに来てよね。



















「夜想」で待ってます。






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台風前の天候

2013-08-30 15:27:06 | Weblog



ビルとビルの間を風が、しかも強い風が吹き抜けてゆくのが好きだ。

その音を聴いてるだけで和むし、

「自分が今、正しい場所にいるのだ」、と思える。


夏の終わりごろの、こんな天気も大好きだ。

急に変わる天気、不穏な感じのする気圧の変化、

ラジオからは台風情報。

薄暗い午後、雨は降ったり、止んだりする。


こういうのが好きなのは、子供の頃、

夏休みの終わりには毎年、以前住んでいた「新宿」を訪れていたから・・・・なのだ、と思う。


そこは懐かしい「故郷」のはずなのに、数日しか滞在できない。

何日かしたら、あの泥臭くて人間関係のベトベトした「田舎」に戻らないといけない。

見渡す限りの田んぼと、カエルの大合唱、嫌らしい田舎の子供たち。


とても憂鬱なのだが、

「新宿」にいる間だけは、本来の自分でいられる。

忘れそうになってしまう懐かしい、自分自身。


いっそのことさぁ、

台風で新幹線とかそういうの全部、吹き飛んでしまったらいいんじゃない?

何もかもが何もかもが、

「終わり」になっちゃったらそれで、僕は帰らずに済むから。

そうなったらいいのになぁ・・・・。


そんなことを考えながら灰色の雲を見ていたのを思い出す。



気がついたらいつの間にか・・・僕は大人になっていて、

「新宿」も僕の中で、”僕の故郷”ではなくなってしまっていた。



田舎も今では、嫌いじゃないし、

カエルの大合唱なんて本当に、愛おしいくらいなんだがね。





でも台風前の天候だけは、変わらずに好きだな。







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ワクワクすること(しあさって、京都「夜想」でライヴ)。

2013-08-28 15:56:03 | Weblog



”誰にでも好かれるような奴”にはなれない。

俺は

万人に愛されたい、などと願わない(だってそんなの、手に負えないぜ)。

何が望みか?っていうと、

ただ「君」に伝わればいいな、と思っている。


不特定多数の「君」よ、

人生は短くて、我々が成し得る事には限りがある。

「青春」は終わったみたいだが(あたりまえだ)、

「ライヴ」は辛うじて続いている。



今週の土曜日、俺は「ROCA’66」というバンドのヴォーカル/ギターとして、

京都、御池の「夜想」という、小さいけど趣味のいいライヴハウスのステージに立ちます。

現在の心強い仲間、ドラムスの樋口和也と、鍵盤奏者のソヲラと3人で。


ギターを弾き始めてから、ずいぶんと年月が経つのだけれど、

ロックは今でも、昔と全然変わらない「ワクワク」を俺に、くれます。


切ないような、懐かしいような、泣きたくなるような、嬉しくなるような、

大暴れしたくなるような、ぜんぶ忘れてしまいたくなるような、

一瞬で恋してしまうような、そんな感じ。



「夜想」は、京都地下鉄の「烏丸御池」駅か、「二条城」駅の近く。

その日の出演バンドは「不知火きりひと」(ソロ)、

大阪の「THE UP & DOWN TRIPS」、

京都のギャルバン「カーマスードラ」、

そして我々「ROCA’66」。





夏休み最後の日、京都の「夜想」に、来てください。









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「他に選択肢なんかない」(8月31日は京都でROCA’66のライヴ)。

2013-08-26 16:19:18 | Weblog



「選択肢」ってあたしの場合、

あんまりない・・・・・・・・・・・・っていうか、

ほとんど「ないに等しい」のだ。

自覚してはいるのだけれど

”思い込み”が強すぎて、

他に何にも目に入らなくなっちまう。


そうね、

火のついたロケット花火みたいなもの。


・・・・・・・「馬鹿」だって?

そうさ、でもそれの何処が悪いのか?

あたしには全然、わかんないよ。


世間的モノサシ、なんてのがあたしの目にはね、

”道端で死んでるアリンコ”くらいにしか見えないから。

(アリンコよ、ごめん。)


まぁ、でも考えたみたら

「より良いほう」を選べないって、

不幸っっていえば不幸よね。


でも

あれこれ迷う必要がなくって、

その点だけ思えば幸せだ、って言えなくもない。


しかしね、

最終的にはさ、

どう考えるか、ってのは100%、

あたしの勝手だからね。


そうじゃない?

そう思わない?

あたしの言ってる意味わかる?


YOU KNOW WHAT I MEAN?

(もうええっちゅうねん。)


暗転





---------------------------------------------------------------------------------



告知。


2013年8月31日(土曜日)

は、記念すべき「夏休み最後の日」。

その日の夜に、京都・御池・ライヴハウス「夜想」にて、

ROCA’66出演。

宿題終わらしてから、おいでなさいね。


ROCAの出番は、最後・・つまり、四番手だよ。










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「不死願望」

2013-08-23 17:11:13 | Weblog



何かで読んだのだけれど、人間はみんな誰でも、

心の底では(心理の深層では)

「自分だけは死なない」と思ってるのだそうだ。


ふうん。


そういえば今は亡きイマーノ・キヨシローも確か

「年をとっても全く老けないので、自分だけちょと特殊で、不老不死なんだと思ってた」

というようなことを言っていたはず。


何だか、

そう思ってしまうのは、わかる気がするし、

「誰でも心の底ではそう思ってるんだ」なんて聞くと、

妙に納得してしまう。


若いころ(たぶん二十代)のミック・ジャガーが

「45歳になって”サティスファクション”を歌ってるくらいなら

死んだほうがマシだ」と豪語していたのは有名な話で、

誰もみな、”自分が年をとること”すら想像がつかない。

ミックも確か、もう70歳だぜ。


自分もいつかはヨボヨボになって、最後は死ぬ、というのは

「知識」としては知ってはいるけれど、「現実」としては誰も、

そのことを受け入れていないみたいだ。


僕は・・・・”若いころがよかった”とは、全然思わない。

誰でも、ある程度はそうなのではないか、と推測するのだが、

若い時って馬鹿みたいに傷つきやすくって、もうそのことだけで精一杯だった。

ズタズタな自分、というのが、バラバラにならないように保っているだけで。


今はそうではない。


完全に割り切って、開き直って、気のいいオッサンになってガハハ・・・

というところまでは、いかないのだが。

それはそれとして。

(そーゆーキャラには、一生なれないかもしれない。)



ところでさ、

タマシイとか、天国とか、あの世とか、要するに「死後の世界」っていう発想は、

もしかして、

「自分は死なない(ような気がする)」という心理の、

”別の形での現れ”なのではないか?と、今思った。

肉体はなくなっても、存在は、する・・・のであれば

それは変形した「不死願望」だろう。


しかしまあ、

僕がいつか「死ぬ」としても、

”「僕の死」を、「僕」は知覚できない”ので(そうだよね?)、

それだったらやはり、

”僕は死なない”のだ。



それでよし、と・・・・・・しとこう。










やーねぇ。












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2013年8月31日は京都でROCA’66のライヴだ。

2013-08-21 17:03:36 | Weblog


夏も、盛りを過ぎたような感じが漂う、この頃。

相変わらずせわしなく、いろんなことが起こる。

まるで世界全体が「生き急いでる」みたいに見えるんだけど、

例によって気のせいかな。


高校野球、海水浴、夕方の公園、長距離移動する人々。

不吉な放射能と、ロックスターの死を伝えるラジオ。

ダンプの運転席に飛び込んできた蝉、海で一緒に泳いだ魚、

道端で息絶えていた狸。


俺の夏休みは終わったけど、”本物の夏”はまだ後半に入ったばかりらしい。


朝も昼もなく俺は、「夏の終わり」を夢見ながら眠るのだ。



さて、


ROCA’66が始動してる。

ドラムス「樋口和也」、

鍵盤奏者、「ソヲラ」、

歌とエレキギター「片山道郎」。


3人になっても、相変わらずドタバタしているバンド。

でも今はすごく、いい感じ。

以前よりは「音楽」っぽさが増しているはず。


8月31日は、京都・御池の「夜想」に出現するよ。


その夜の出演は、「不知火きりひと」

        「THE UP&DOWN TRIPS」

             
          「カーマスードラ」

      そして我々「ROCA’66」。



聴きにきてください。

聴いてほしい歌が、たくさんあるんだよ。

今しか歌えないかもしれないし・・・・・・・

今しか、できないかもしれない。



君は俺のこと、「ギタリスト」としてしか見てないんだろうけどさ、

今は「歌いたい」のだ。


歌がうまくないのはある程度自覚してもいるんだが、

そんなのを超えて、

伝えられるものがある、と信じてます。






「夜想」は、京都地下鉄「二条城駅」または「烏丸御池駅」の近く。

とても雰囲気のいい、しかも音もとてもいい、

小さくて親密な感じのするライヴハウス。

電話番号は075-211-0901。




2013年の、8月最後の日に、

「夜想」で、ROCA’のライヴ。

富士夫さん直系(自称)のロックを見においでよ。





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富士夫さんにまつわる来事を思い出してみる

2013-08-20 17:16:41 | Weblog



一番初めに、「村八分」および「山口富士夫」の名前を聞いたのは

高校生のときだった。

高校で友達になった、ベース弾きで、不良で、柔道黒帯で、強面でひょうきん者の

”岩佐”がたいそうなロック好きで、

そのころ、再発された「村八分」の、あの1973年の西部講堂での

ライヴを収録したレコードを買って、学校に持ってきたのだった。

戦闘的なロック。「全世界に対する反抗」とでもいうか。

何者にも屈しない反逆ロックの匂い。

俺の中で「山口富士夫」はそのときから、「ロックの聖人」として認識されることになる。


その後・・・・・高校を卒業するころ、

佐治と岩佐と庄治とモ吉と三太と俺とでやっていたバンドは

「ランブルフィッシュ」になって、俺たちはぎりぎりで高校を卒業して、

佐治と俺と二人は、大阪に移り住んで、

まだほかに友達もいないから二人だけであちこちをうろうろしていた。

そんな、20歳になったばかりのころ。

大阪の桃山っていう大学の学際のオールナイトライヴに、

山口富士夫が出る、っていうので佐治と出かけた。

でも「官憲にまつわる不穏な理由」で富士夫さんは出演出来なくて、

中島らもが目を真っ赤にしながらステージでそのことを告げた。



その何年か後・・・・・。

青森の六ヶ所村での「いのちの祭り」でランブルフィッシュは山口富士夫と

同じステージに立つことになった。

とても光栄だった・・・・のだけれど、

飲みすぎのせいか、ハード過ぎたライヴ・スケジュールのせいか、

そのときのことは、あんまり覚えていない。楽屋(、といっても裏の野原だ。)でも

富士夫さんには会わなかったし。


その年・・・・、

山口富士夫と碇健太郎グループとランブルフィッシュの3組で

東京クアトロ、名古屋クアトロ、大阪ウォーホールの三箇所を

ツアーみたいにして廻った。富士夫さんはリハのステージが素晴らしくて、

感動モノだった。いつも本番はヘロヘロだった。よかったけど。

このときに何回か、共演者として、打ち上げで同席している。

「ロックの聖人」の真向かいに座って、いろんなこと聞くのは至福だった。


そのあとランブル解散。


俺は自分で歌う「風の歌」というバンドをつくって、

出演するためにではなく、単に見に行きたくてキャンプしたくて、1993年、

岐阜県(だったと思う)の

山奥で開催された「いのちの祭り」に参加した。

富士夫さんが出演するのを見たかった、ということもある。

しかしそのときは台風の直撃にあってしまって、ひどい目にあった。

富士夫さんのライヴも結局、見てない。


でも台風が来る直前の夕方、深い森の中をさまよっていたとき、

奇跡のような偶然があって、一人でさまよってる富士夫さんに遭遇したのだ。

あのときの富士夫さんは森の妖精のようだった、マジで。

一生忘れられない光景だぜ。




最後に見た富士夫さんは、おととしの京大西部講堂でのライヴだった。

あのとき、現ROCA’66のドラムの樋口くんも会場にいたんだよな。





そうそう・・・・・・・

「ROCA’66」というバンド名は、

俺の中では”富士夫さんに関連する名前”なのだ。



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富士夫さん

2013-08-19 15:56:48 | Weblog




富士夫さんが亡くなった、というニュースを、

2013年の8月16日の逢魔ヶ刻に、

俺は大事な友達から伝え聞いた。


ずいぶんと波乱万丈な人生でした。

ゆっくりと休んでください、

「最高で最低の」

ロックンロールの体現者よ。




またいつか夢で、

お会いできることもあるでしょう。




そう願います。




















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「ラヴソング」と「ヘイトソング」

2013-08-12 17:19:56 | Weblog



歌の「歌詞」の題材・・・っていうかテーマって恋愛が多い。

何で世の中こんなに「ラヴソング」ばっかりなんだ?って

昔は、ずいぶん不思議に思っていた。歌の題材なんて、ほかにいくらでもあるだろ?って。


しかし、今では「ラヴソング」が、やっぱいいよな・・・・って思う。

「ラヴソング」の何がそんなにいいのか?っていうと、

それが「普遍的なものである」ということ以外にも、ちゃんと理由があって、

それは「ラヴソング」って基本的に、

「誰かが誰かにあこがれて、精神的に向上を希求する歌」だからであろう、と推察する。

「誰かの悪口」や「恨み言」を聞くより、そういうのを聞くほうがよっぽど、いいじゃないか。

いや、「誰かの悪口」ってのも、盛り上がったりするんだけどね。

でもそれが、・・そういう歌が、普遍的なものになるか?っていうと、そうではない。

「ラヴソング」の逆・・・「ヘイト・ソング」。


有名なのはピストルズの「EMI」か?タイマーズに「FM東京」っていうのもあったな。

ストーンズの「BITCH」は「ヘイトソング」なの?・・・単に、ひねくれたラヴソングかな。

あ、ひとつすごいのがあった。ガンズの「USE YOUR ILLUSION」のⅡに入ってる、

「GET IN THE RING」。

ガンズを批判した雑誌の編集者を何人か、曲の中で実名を挙げて罵倒している。

楽曲は結構いいのに、そんな歌詞だから何だか結局・・イロモノ扱いだ。

個人的な「怒り」って実は、稚拙な感情なのかもしれないよね。

クラッシュみたいに、政治的なものだったらそれはそれで、後になれば歴史的に

「この時代的にかっこいい」というふうに思えるのだけど。

(ヘイトソングじゃないけど、例えば とある国の、実在する反政府組織の名前を使った「サンディニスタ!」みたいな感じで。)

それにしても、クラッシュは偉い。何といっても、全キャリアを通して、

「普通のラヴソング」は一曲もないのだそうだ。・・・・・・そう言われてみれば確かに。




でも、やっぱ「ラヴソング」はいいな、とも思う。「恋愛」に限定したものではなく。

普遍的な、遍在的な、「ラヴソング」。・・・・・・・・・・「すべての人の心に花を」みたいな。

そういうのを、創りたい。






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動け、動け、動け。

2013-08-08 17:26:21 | Weblog



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思うに、


ゴリ押しでも、ズタボロでも、

ちょっと無理してでも。

「やったもの勝ち」・・・でしか、ない。


逆に、

「やらなければ負け」だ。


「勝ち負け」なんてそもそも、ないのだけれど。


でもとにかく。


「やって」しまえば、

その結果、負けようが何だろうが

「負けたもの勝ち」という

”逆転ロジック”を使うことができる。



とにかく、


動け、動け、動け。


動きながら考えろ。


それが今の俺の、テーマだ。



でも

動けば動くほど、

オイルは黒ずんでいくし、

タイヤは磨り減っていく。


でも、そんなの・・・何てことないのだ。


エンジンさえ生きていて、


あとは燃料がほんの少しでも残っていれば、


走れる。




どこへ行くのか?なんて、モンダイではない。


「走ること」こそが、目的である。




10トンの身体を軋ませて、




今日も、


行く。






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