5月12日 土曜日 ROCA'66、「夜想」 出演。

2018-04-30 19:41:38 | Weblog


バンドを、まだ演れているコト自体、とても貴重だし、

本当にありがたいことだ・・・と実感する。

自作の楽曲が、強力なメンバーの達者な演奏のおかげで、

ものすごく生き生きと立ち上がる。

「合奏」というもののチカラを感じる。

「いいもの」が創れている自負もある。

そして「観に行くよ」と言ってくれる人も・・・・ちゃんと居る。

ありがたい。とてもとても幸せ。

いつまで続けられるか、なんて辛気臭いことはもう、考えないことにする。

「今」を精一杯楽しんで生きるしかないのだ。

気付けば、世界は奇蹟で溢れている。

そこかしこに、奇蹟、奇蹟、奇蹟。

世界中の事象のすべてを、愛おしく感じます。

今日で四月は終り、明日から五月。

黄金週間を超えて次の土曜日、ROCA'66は京都の小さな素敵なライヴハウスに出演します。

烏丸御池の「夜想」というライヴハウス。

我々はまだ、いろんな事の、渦中に居る。

運命はまだまだ、激動している。

一瞬あとに、何が起こるか、皆目見当もつかない。

だけど・・・・・・・・・・いや、だからこそ

我々は会おうではないか。

すっごく贅沢で傲慢だけど、言う。ライヴハウスに来て下さい。

今更、もう・・・・・・・アタシは、「もてたい」とも思っていない。

「オンガクでお金が稼げる」とも、思っていない。

「有名になりたい」とかも、思っていない(これは昔から思ってなかった)。

でも

それ以上の「何か」があるのだ、バンドには、オンガクには、ライヴハウスには。

・・・・・・・・・上手く行けば、という注釈つきだが。

下手してこけた事もある。恥じかいただけ・・・・みたいなこともあった。

でも、きっと上手く行く。そういう確信がある。

2018年、5月12日 土曜日。

我々の名前は、ROCA'66。

京都、夜想。

出演:ドールハウス / ROCA ‘66 / ヒリューノリアキ (ゲスト:ライトニン栗田)  他

OPEN 18:30 / START 19:00

¥1500 (+1drink ¥500)
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無造作に生きなさい。

2018-04-27 21:44:59 | Weblog

もっと無造作に生きなさい。




閉塞した状況は打破されるために存在するのだし、

君は自分で気付いてないフシがあるが、まごうかたなき 

ディスティニー・チャイルドなのだから。


明日も今日も明後日も、

君なしでは存在し得ないのだ。

君が忘れちまったものはこの世界から消える・・・・何の痕跡も残さずに。


つまり君は

「シュレーデインガーの猫」の実験における

「観察者」ってワケだ。


そしてその「実験」こそが、世界のすべてだ。

この世界には君と、猫しかいない。あとは箱があるだけだ。


どうだろう?


それだったら もっと無造作に 荒っぽく、

いっそテキトーに生きたっていいじゃないか?って気がするだろ?



あ、ひとつ言い忘れたけど、

君が「観察者」だ、ってことはつまり、全ての事象における決定権は君にある・・・ってこと。



決定権は、猫には、ない。


運命の行き先はすべて、

君が何を見て、何を感じ、何を思ったか?ってことに逐一、左右される。



そしてその可能性と不可能性の数だけ、様々な未来が、

枝葉のように無限に広がっていくんだ。



そういうのってすごく、パラレルワールド的だよな。



多次元宇宙的?



呼び方は何でもいいよ。






そんな風にしてディスティニー・チャイルドは軽々と世界を「決定」していく。



時には考えるが、

ほとんどの場合、何も考えちゃいない。




そして箱の中の猫は、


君が開けて見るまで とても不安定な形態で存在する。







「どっちつかず」みたいな。






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雑感。

2018-04-25 22:00:01 | Weblog
今日の夕方、ラジコでラジオを聴きながら色々なことを思ったので・・・・つらつらと書きマス。


毎日ではないのだけれど、ラジコのエリアフリー機能とタイムフリー機能をダブルで活用して、

インターFMの番組を聞いている。

ピーター・バラカンの「バラカン・ビート」と

ジョージ・ウィリアムズとシャウラの「レディ・ステディ・ジョージ」を。



今日の夕方に聞いてたのは「レディ・ステディ・ジョージ」のほう。

冒頭から3曲目でいきなり、怒髪天の曲がかかった。多分、新曲だろう。

なかなか・・・・・・・・・・・・・・・ジワジワと、良さが、来た。

「ロックバンドが”世界を変えられる”って信じないでどうする」

「ロックバンドが夢や希望を歌わないでどうする」みたいな歌詞で(正確な引用ではない、ゴメン)、

俺は・・・・・これは、社会的メッセージソングなのだ、と思った。

彼らは、痩せても枯れても(?)パンクバンド出身なのだ。

今の社会情勢、政治情勢に向けて放った、心に刺さるメッセージだ。きっと、そうだ。

流石だ。俺は、とても嬉しかった。


他にも、「シューゲイザー」と紹介して、スロウダイヴの曲もかかった。

シューゲイザーっていう「くくり」は、ちょっと違和感あるが・・・でもやっぱ、好きな音だ。

マイブラと比べるとちょっと・・・・アレだけど、

ノイジーギターとドリーミーポップな歌メロの組み合わせはやはり、良い。

俺もけっこうリアルタイムに近いくらいのタイミングでマイブラ聴いて衝撃受けたクチなのだ、そういえば。

ばるぼら の「アムネシア」のアレンジは(無意識に)それだったんだぜ。轟音ノイジーギター。


それはともかく。


他にも、「鼻歌クイズ」にディープ・パープルの「バーン」が使われていて、

やっぱ、滅茶苦茶カッコ良かった。

「バーン」は、いい。パープルは解り易くて、サービス精神旺盛で、素敵だ。




もうひとつ、思ったこと。

何か、日本語の女性ヴーカルで、フォークロックっぽい感じの、なかなかいい曲がかかった。

(調べたら、 あいみょん というヒト・・・かバンドの「満月の夜なら」という曲だった。)

それで、その歌詞が青々しくて、強く「青春」みたいな感じを受けたのだけれど、

あ、気がついたら俺の「青春」って終わってるんだよな、と今になって気付いてしまった。

・・・・・・100年遅いか。

でも、終わってて良かった・・・などと思ってしまった。

いや、だって、恥ずかしくて苦しくて、自意識過剰過ぎて、

本当に、ロクなことしなかったもの俺。後悔するコトだらけだ。


「青春」みたいなのが、あった・・・と思えるだけで

ゼイタクでシアワセだよな、とも思う。


しかし「青春」って言葉はダサすぎるよな。

何でも英語にすりゃいい、ってモノでもないが・・・・・・・・・・・・・・・

「ティーン・スピリット」っていう言葉のほうがリアルだし、

的を得てるよな・・・・・・・・・・・・・・・とも思う。



どうかな?



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「食」について。

2018-04-22 17:56:19 | Weblog

「食」に対する嗜好、というものが幼少の頃と随分違っている。

思い返せば、子供の頃俺は、何も好きではなかった。

「食事」という行為自体が面倒くさくて、

お腹なんか減らなければいいのに・・・・と思いながら暮らしていた。

中でも

「茄子」



「トマト」

が苦手で、逃げ回っていた。

だがしかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の好物は?と言えば「茄子」と「トマト」だったりする。

何なんだ?と本人としても思わなくはないが恐らく、

「食わず嫌い」であったのであろう、と推測される。駄目な子供である。

何故こんなことをブログに書くほど思いつめたか、というと

「香辛料問題」である。

茄子、トマトと共に、香辛料も大嫌いだったのですよ俺。

七味唐辛子とか、芥子とか、ワサビとか、コショウとか、タバスコとか。

もう、「この世の災厄」とばかりに忌み嫌っていた。

目にしたら即刻、破壊、破棄していた(←これは嘘)。

何が嬉しくて食い物を「辛く」しなきゃならないんだ?

「辛い」は、「ツライ」じゃないか。漢字だってよく似てるだろ。

カレーだって辛くないものを要望していた。要望は、ほとんどの場合叶えられなかったが。

だがしかし、

老青年となった最近・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

七味唐辛子が、異常に気に入っているのだ。

以前は気付かなかった、というか知りもしなかったのだが

七味唐辛子って「七味」入っているのだね?

「一味唐辛子」って何だよ?って思って、その事に気がついた。

すごい。ゴージャスで繊細じゃないか、七味唐辛子。昔はさぞ、高級品であったであろう。

七味じゃなくても、洋芥子も、ワサビも、タバスコも、今では大量消費者である。

辛ければ辛いほどいい。マゾか俺は。

しかし、「辛いもの」の何が、どう、「いい」のか?ってことは説明できない。

おそらく、文学的ではない理由なのであろう(そりゃそうだ)。

幼児の味覚は未発達で、ほとんど「甘味」しか感じられないらしい。

味覚というものは多少の鍛錬を要するものなのかも知れない。

今ではカレーも、ある程度だが、辛いものが好きだ。


そうだ、もう一つ、「葱」の存在も、子供の頃の俺が忌み嫌っていたものだった。

全然意味がわからなかった。何でネギ入れるの?って、本気で不思議だった。

だがそれも今では好物で・・・・・・・・・・・。

ほとんど何にでも、スライスされたあのリング型のいわゆる「カットネギ」を

大量に入れる。美味しい。ネギは素敵だ。

だがしかし、思うのだが「刃物」出現以前の人類はあの「カットネギ」を知らなかったであろう。

鋭利な刃物がなければあのネギの千切りは出来ない。

あんな風にカットされていなければネギも、こんなに魅力的ではないであろう。

包丁に感謝せねば。

現代では「ネギの千切りマシーン」という夢のようなものが自動的にネギを切ってくれているみたいだが、

江戸時代以前の人がそれを知ったら驚くだろうな・・・・とかつい、考えてしまう。

しかし、ネギだけではなく・・・

刃物がなければもしかして「刺身」というものは、存在し得なかったのではないだろうか?

包丁で切らずに生魚喰うのって、考えたらゾッとしない?


こんなのって、馬鹿馬鹿しいかな?

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断舎利の果て

2018-04-20 22:15:24 | Weblog

あれも捨て、これも捨て、

アタシときたら

どれも これも を 投げ捨てるだけ投げ捨てた。



と あるものはゴミ箱へ直行、


またあるものは 道端で落として拾いもしなかった。


居酒屋やバーに置いてきたものも多数、


少数だが、売っ払ってしまったものもある。


値段?・・・・・・・・・・二束三文に決まってるだろ。買い叩かれるだけ買い叩かれたさ。


誰かに、あげちゃったものもあるし、


自分で火をつけて燃やしたものもある。


川に流して捨てたもの、


深い穴を掘って埋めて、上から土をかけたもの。



そんな風に何もかも捨てて僕は


身軽になった、自由になった、体重も減った。


ああ とても いい気分・・・・と思いきや




その後の僕は後悔しながら暮らしている。



あれも これも、どれも それも、何から何まで、全部が全部



二度と手に入らないものばかりだったと、



後になって気づいてしまったからだ。



どれだけの代償を払っても、同じものは手に入らない。




何ということだ。








だから今の僕は



ゴミ箱の蓋を開けては中に


何も入っていないことだけを確認しては





深く重い溜め息をつき、


自己嫌悪の海にただ



沈んで行くのです。






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兎に角(うさぎにつの)

2018-04-18 21:47:16 | Weblog



奇蹟的な君、喜劇的な君、破壊的な君、底抜けに馬鹿な君。

刹那的な君、瞬間的な君、永続的な君。

不安定な君、全然変わらない君、変わり果ててしまった君。

音楽的な君、絵画的な君、装飾的な君、フォトジェニックな君。

感情的な君、いつも平静な君、心の内が読めない君。

万能な君、まるで無能な君、笑いをこらえるのに必死な君。

とても優しい君、うわべだけ優しい君、誰にでも厳しい君、誰にも何も求めない君。

確かに存在する君、幻想上の君、架空の君、夢の中の君、偽者の君。

笑ってばかりの君、僕を笑わせる君、作り笑いの苦手な君。



君のやることなすことすべてが僕を

心の底から

ナゴませる

もしくは

ヘコませる。


いつしか 何もかもが 歌みたいな星になって、

明け方の空に消えていってしまう。



大体がいつも、そんな風だったんだ、



とにかく



あの頃の君ときたら。

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夢のような現実はまだ続いている(昨夜はアリガットでした!)

2018-04-15 17:40:44 | Weblog


昨夜、大阪・梅田。HARDRAINでのライヴ

「FEEL SO GOOD」に来てくれた皆さん、アリガット御座いました!

マンガンズの皆さん、初期のアンドヤングの皆さん、

ハードレインのスタッフにもアリガット!

そしてお客さん!大勢の人が来てくれた!しかもみんな濃いィ!ありがとう~!

もう本当に道子は嬉しゅう御座いマシタ。

特に昨夜はとても暖かい反応を頂いて、

「心が伝わった」という手ごたえ、というか実感があって、

それが何よりも何よりも嬉しかったデス。

アンドヤングのステージも、マンガンズのステージもすごく良く、

いろんなことが全部上手く行ったような気になった夜だった。

「心が通じ合う」ってことは本当に稀で、

生きてると、嫌なことや面倒なことや、そんなことが多いのだけれど、

こんな風な輝かしい時間を体験すると、

今後も「人生」という難しい試練に立ち向かっていくパワーが

私の内側からゴゴゴッと音を立てて湧いて来るザマス。

ステージで次のライヴの予定を言うのを忘れてたことだけ、

ほんのちょっと悔やむのだけれど、

次は5月12日、土曜日、京都 御池の 「夜想」に出演なので、

次は京都で会おうよ。

昨夜は、現在は休養中のROCA'66のギタリスト、赤井の顔も見ることが出来て、

彼の復帰も近い!と確信して、

それもとてもとても嬉しかったことだった。

そのことは、ナミダが出そうに嬉しかった。


こんな風に

ライヴを、ライヴハウスでの暖かく、幸せなライヴを続行していくことが

僕の「夢」だった。

今は亡き「彼」の夢でもあった、と思う。

夢はまだ続いているんだ、と強く思えた夜。

この現実は「夢の実現」なのだ。

本当に皆さん、アリガットでした!




写真は、カメラマンの大瀧くんから頂いたもの。

感謝デス!
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あさって!

2018-04-12 21:44:27 | Weblog

4月14日(土)@梅田ハードレイン
Open 18:00 Start 18:30
前売り2000円 当日2500円(共にドリンク別)
出演)
ROCA’66
初期のアンドヤング
ザ・マンガンズ




いよいよ、明後日に迫った、ハードレインでのライヴ。

この、マンガンズ主催イベント、というのは去年からの宿願であったのだ。

実現して嬉しい。

出番は、マンガンズがトリで、

アンドヤングがアタマ。

我々、ROCA'66は真ん中に出演する。

ぜひぜひ来て欲しい。


今週の土曜日は雨の予報だけど、

カメハメハ大王の子供たちじゃないんだから、雨なんかどうってことないぜ。

我々は当日、リハ終了後から、どこか近くの飲み屋で

飲み始める予定である。多分、マンガンズも一緒に。

あの、・・・もし、当日ヒマなら、

その「前飲み」から、参加できる人は参加してね。

ツイッターとかフェイスブックとか、時々見ながら飲むことにするから、

そこ(SNS)で連絡取り合えたら会えるハズ。現代社会って便利だわ。


俺だけがそう思ってる・・・んじゃない、と思うんだけど、

歳を経るごとに、一回一回のライヴが、大切になってくる。

マジな話、後何回演れるのだろうか?と思うからだ。

いやもちろん、まだまだ生きるつもりだから、

生きてる限りはライヴも演るんだけど。


それでも、何もかもが貴重で、希少だ。

子供の頃は時間なんていくらでもあると思っていたのだけれど、

老青年になった我々は、

時間には限りがあることを知ってしまっている。


君とだって、あと何回会えるか、わからないのだ。

切ないが、

切なければ切ないほど・・・輝くものも、確実にある。

そんな「輝き」のために我々は生きてきた気がするし、

これからもそんな風に在り続けよう、と思う次第。



あさって、大阪・梅田の


ハードレインで会おう。

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回復系。

2018-04-11 21:58:25 | Weblog

アタシときたら

今朝になっても疲れたままで、

これはいかんいかん、何か「ドーピング」出来る飲み物はないのか?と

自販機を何台か渡り歩いて発見した「回復系アミノ酸入り」という文字の入った

スポーツドリンク(?)のペットボトル。

これだ、今の疲れた私に必要なのは「回復系アミノ酸」だ!とばかりに飲み干せば、

ほんの少し元気が出た気がした。

きっと気のせいだろうが、それはそれでいいのだ。

「回復」という文字(活字)がプラシーボ効果となって、アタシに僅かな元気をもたらしてくれたのだ。





しかし「回復系」とは言いえて妙だ。







「系」と言えば


昔、

ランブルフィッシュを(現役で)やってた頃、

一般世間のロックバンド間ではガンズとか再結成エアロとか日本ではジギーとか

そういうのが隆盛を極めていて、

ランブルもそういう人達と一緒くたに雑誌(か何か)で紹介されたこともあって、

「バッドボーイズ系」って書いてあって、

それを見て苦笑したことを覚えている。


もうハタチも過ぎてて、

全然「ボーイズ」じゃないのに・・・・・・・って思って。


まあ佐治とかは高校時代、「ヤンキー」に片足つっこんでたし、

日本では「ヤンキー」こそが意味的には「バッドボーイ」であろうから、

別にそれで問題なかったのかもしれない。


ハタチ過ぎてて、当時の当人達は随分、歳食った気でいたんだが、

今、ハタチすぎ(くらい)の若者を見ると、まるで子供みたいに感じる。

どう見ても「お子ちゃま」だ。

もしかしたら俺達もあの時期、あんなに子供っぽかったのか?と思う。




でも「バッドボーイズ系」ってねぇ。

気恥ずかしい。








今の俺は、何かの「系」に入れられとしたら何なんだろう?






・・・・何にも属したくないなあ、とは思う。


勿論だが、何にも「属して」など、いないし。


(ランブルの時だって、そうだったんだがね。)







カテゴライズなど、何の意味もないのだ。










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御立派。

2018-04-10 21:28:08 | Weblog



ここ何日か、様々な日々の雑事(仕事とも言う)にひぃひぃ追われ、忙しくて

日記が全然書けなかった。

身体もクタクタのヘトヘトで、擦り切れそう。


しかし「忙しい」などと口にしないほうが絶対いいのだ、と何かで誰かが言っていた。

心を亡くす、と書いて「忙」という字が成り立つ。むむむ。確かに。


「忙殺」なんて恐ろしく呪わしい言葉もこの世には存在するが、

過労死などは本当に「忙殺」の果ての悲惨な事態であろうと思う。可哀想だ。他人事じゃねえ。


思うに、忙しくて忙しくて、身体も限界を超えて疲労して、もう何だか思考すらぼんやりしてしまうような

「境地」に達すると、ひとはたやすく「死」に接近してしまう・・・ような気がする。

それが「過労死」なのであろう。

そういうのって、とても危険だ。気をつけて、疲労の限界を超えないようにしなきゃ。


でも僕は時々、

忙しすぎて限界超えて、ヘトヘトに疲れ切って・・・・・・・・・・・・・・・・って、

そんな状態になって、

だけどそんな状態が「嬉しい」・・・・みたいに思ったりもする。

マゾ体質、とかそんなことを言いたいのではない(ちょっとはそれも、あるやもしれん)。


嬉しいのはつまり、

例えば足を折って

動けない、歩けない、バイクにも乗れない、仕事にも行けない、日がな一日、布団の中・・・・・・


と、そんな時のコト、その時の「焦燥」をリアルに覚えているからだ。




とりあえず動ける身体と、何かに対する「情熱」みたいなものがないと、ひとは

へとへとになるまで動いたり、出来ない。





僕が今、こんなにヘトヘトになっているのは、

オンガクと、「喰っていくための仕事」を、両立させるためだ。


アタシは、そのことに今、情熱を持っている。



・・・・・・・・・「両立」って、いい言葉だなぁ。


やはり、「立つ」っていうことが、人間にとって大事なのかな。



僕は、しょっちゅう転ぶけど、考えるまでもなく、その都度、立ち上がる。


確かに、暇があれば寝転んでうつらうつらしているが、

起きるべき時には、立つ。立って、出掛けて行く。


今週末は、ステージに「立つ」。


愛するバンド、マンガンズ主催のライヴイヴェント、「FEEL SO GOOD!」に、

ROCA'66が出演するのだ。


マンガンズと、ROCA'66と、アンドヤングと3バンドで、やる。


マンガンズも、アンドヤングも勿論、良いバンドだ。

彼らは、立派だ。



立派・・・・・・っていう言葉も、いいなぁ(いちいち言葉に引っ掛かる)。



「無頼派」みたいな感じで、「御立派」って名乗るのはどうだろう?


ゴージャスな感じしない?



いや・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嘘だってば。


しょーもないギャグだっての。



俺だってマレには、ギャグだって言うっての(滑ってるけど)。



嘘だから怒るなよ。







ああ、何だか腰砕けで今日の日記が終わってしまうが、



まあいいか。




ライヴにはぜひ、来てくれ。







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