三人組みバンドについて思うこと

2010-03-31 10:13:18 | Weblog



トリオバンドで俺がまず思いつくのは

・・・・やっぱり”ストレイ・キャッツ”かな。

あれは本当にかっこよかった。


そういえば俺は98年にテキサスのライヴハウスのトイレで

演奏が終わったばかりのリー・ロッカーに出くわしたことがある。

「痛ぇ~」みたいなこと言いながら

水をジャージャー流して手を冷やしていた。

ウッドベースは過酷だ・・・・


閑話休題。


トリオバンドで他に思いつくのは・・・”ゆらゆら帝国”か(笑)。

”クリーム”はあんまり好きじゃない。


やっぱり、”ダイナソーJr"かな。素晴らしくかっこよかった。

しかし、”ニルヴァーナ”もかなりよかった。

カートの自死が報じられた時には俺もけっこうショーゲキを受けたな。


さてさて、”ロカ”が三人組になりマス。

ベーシストとして加入してくれるのは、

もと”ダスト”のギターでもあり、

”三文からす”のヴォーカル・ギターでもあって

現在は”AUX"と”オイスター・ロウ”でグルーヴィなベースを弾いていて、

”バンスキング”では強烈なギターを弾きまくってる、

あきらくん。


「成り行きの力」と「必然性」が我々をこのような場所に運んできた。

あてずっぽの神様に感謝。


どんな風に発表しよかな・・・と思ってたのだが、

何だかなしくずし的にちょっと知れてしまって、

それはそれでなかなか良かったな、と思っている。


「歳喰ってからの結婚」みたいな感じで、

淡々と長続きしそうな予感がしているのだが

はたして、どうなりますことやら。


ストレイ・キャッツやニルヴァーナやゆらゆら帝国ともども、

3人になった”ロカ”をよろしくね。


三人になっての初ライヴは、4月10日土曜日、

西院・ウーララにて。





追記

あ・・・・・・ジミヘンの”エクスペリエンス”もトリオバンドだったよ。





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ライヴ前に天皇を見た

2010-03-30 07:07:48 | Weblog



3月27日の夜想でのライヴは盛況だった。

どうもありがとう。


ロカは次は、4月10日のウーララに登場します。

我々は3人組になっている予定。

見に来てね。


ところで。

27日に夜想の前で偶然、

天皇を見かけた(本当)。

偶然に天皇を見るなんてね、

なかなかあるもんじゃないと思うのだけれど。


あっちは手を振ってたけど、

俺は振らなかったぜ(笑)。


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ライヴやりマス

2010-03-24 11:55:07 | Weblog


ライヴの告知が出来ることに感謝したい。


しあさって、2010年3月27日土曜日。

京都・御池のライヴハウス「夜想」にて

ヴォーカル・ギター 片山道郎、

ドラムス・コーラス カミグチシンヤ

二人でやってるロックバンド

「ロカ」。

その日は他に、

バンスキングとコーヒーアンドシガレッツと

スモールアンドシスターズが出演。

ロカの出番は二番手。


実は

「二人だけ」のロカは見納めかもしれないのです

ふふふふ・・・・。

だから観に来て欲しいな。

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テレビ

2010-03-22 10:47:44 | Weblog


昔、「ばるぼら」をやっていた時に

テレビの深夜番組で放映するためのインタヴュー収録

というのがあって、

ライヴ前に心斎橋クアトロの楽屋で俺が受けた。

たまたまケルアックの本を持っていたので

インタヴューの中にその一節を朗読したのだが

放映時には朗読部分がまるごとカットされていて(笑)、

ずいぶんバツの悪い思いをしたものだった。


そういえばその時、仲の悪い友達から

「オマエはテレビ嫌いなくせに自分が出るのはいいのか」と

非難された。なるほどなぁ。

でも俺は、他人がテレビ見ることに関しては

けっこう寛容なんだぜ。くすくす。

俺が煙草をやめられないみたいに

悪習ってのはなかなか身から離れないからね。


しかし思うのは

そんなテレビ嫌いの俺でも、

素っ頓狂な面白いバンドが出てたりとか

誰かがケルアックの朗読(笑)してたりとかしたら

面白がって見るんじゃないかと。


なかなかそうもいかないみたいだけど。


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夢の世界

2010-03-21 19:00:05 | Weblog





俺はこのところずっと、

夜になったら可能な限り早く眠り、

それで朝は早起きするかというとそうではなく

眠っていられるぎりぎりまで寝ている。

睡眠時間はとても長い。

まるでミツユビナマケモノである。


何故そんなことをしているのかというと

怠惰だから・・・・ってだけではない。


そんな風にすると、

「明け方の夢」を見れる確率が一番高いのだ。


「明け方の夢」は不思議だ。

時々、それは夢ではないように思える。

だけど突拍子も無く非現実的で、

何度も言ってるけど

暗示的で深層心理的だ。

俺はその世界に一秒でも長く居たいのだ。


その夢の中で俺は

後悔するしかなかった出来事達と

少しずつではあるが、折り合いをつけていっている。

とか言って

本当は、

記憶にはほとんど残っていないんだけど。

それでもそうとしか言いようのない

手ごたえがあるのだ。





ところで

今日の夕方の月は綺麗だったよね。


夢の世界にいるような気になったよ。








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春雨

2010-03-21 07:13:58 | Weblog



星の大半は流れて落ちた

花のほとんどは枯れ果てた

ついえてしまった情熱のかけら

いつも雨降りばかりの空模様

ブーツには穴が開いているし

見上げると傘にも穴が開いている

俺には見えないどこかの死角で

エントロピー大魔王がよくない魔法をかけるのだ

「すべてのものは劣化せよ」

「あらゆるものは拡散せよ」


だけど情熱のかけらがこう言った

「エントロピー理論は全部嘘だよ」と


そしたらすぐに春が来た

復活の季節

生命の季節

雨降りでも恵みの雨なら我慢しよう

君の微笑み

柔らかな夢

始まりの季節

夜の鼓動




僕はただただ眠いのだ


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僕とコアラが春の日に

2010-03-19 10:42:49 | Weblog





我々ニンゲンは「雑食」という、何でも食べるドーブツである。

何でも・・・って言ってももちろん、有機物に限るし、

我々の胃で消化出来る範囲内なのだけれど。


主食として栽培された穀物、果実、野菜、芋などの根菜類。

魚、蟹とか海老などの小動。、鳥や、その卵。動物の肉。

毒のないものならキノコも食べる。

猿とか熊も雑食(オランウータンはベジタリアンらしいが)。

猫や犬なんかは、祖先は肉食だったんだろうけど、

今は雑食。

言うまでもないことだが雑食の方が、タフに生き延びていけるのだ。


さて、そこでコアラである。

天王寺動物園には確か、いた。

「驚かせると死ぬので絶対にイタズラしないで下さい」

という張り紙があったな・・・。

それはまぁ・・・ともかく。


有名なのでよく知られているのだがコアラという動物は、

ユーカリという木の葉っぱのみを食べて生きている。

それしか食べない。水さえ飲まないそうだ。

食い物の山の中にいても、その中にユーカリの葉っぱがなければ

奴等は飢えて死ぬのだ。


しかしそんなの馬鹿みたいだよな。

何がどうしてどうなってそうなったのか、

コアラに聞いてみたいような気がするんだが。


しかも、ユーカリの葉っぱには軽い毒性(!)があって、

それを体内で分解するためにコアラは長~い時間(一日のほとんど)を

じっとして過ごさないといけないのだそうだ。


・・・ラリ公のヒッピーみたいだな。


ラリ公で、ヒッピーで、超偏食で、頑固で、怠惰・・・。


むむむ







コアラって・・・・・・・・・・・・・・・・・。



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2010-03-18 07:04:26 | Weblog




春は炸裂する閃光のように

まっすぐに俺を直撃した。

世界は柔らかく揺らぎ、

何もかもがまた始まるという幻想の中で

誰もが

それぞれの自分勝手な夢を見ていた。

どんなに深くまで潜れたとしても、

そこで目当てのものを見つけられるとは限らない。

でも俺の願いはそんなに大それたものではなくて、

だから明け方の夢はいつも

暗示的で、深層心理的なのだ。

前にもそのことは言ったよね。

春にはその傾向が

より顕著になるんだよな。

春の浅い眠りって何かに似ているなぁ・・・・と

思ってたのだが、

もしかして、あれかも。

「夏の暑い暑い日の海の浅瀬に

ちょっとだけ沈んで、

海中から見上げる空」。

光と、色と、生命と、ちょっと怖い感じ。

底知れない深いところの存在を

真近に感じつつ、

それだからこその生命感。









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「意味」についての再考察

2010-03-17 09:46:07 | Weblog

すべてのことに「意味」は、ちゃんとあった。


俺が

酔っ払ってバーの床で眠ったり

ずっこけたり

絶望で立ち尽くしたり

夜を全力で駆け抜けたり

やみくもに

全方位に向けて哀しみを撒き散らしたり

石で出来た豆腐みたいに眠ったり

刺々しく誰かに当たったり

救いを求めてみたり

大騒ぎの限りを尽くしたり

笑うしかなかったりとか

そういうことのすべてに。


「意味」はちゃんと、あったのだ。

俺は今ならそんな風に思える。

そして、そう思うことが

とりもなおさず

「まだ成就していないこと」に立ち向かっていくための

原動力になる。

俺は俺の希望や絶望に火をつけて、

発光させてみたい。

そして

「意味」ってやつに

光をあててみたいのだ。




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楕円

2010-03-14 16:41:53 | Weblog

「楕円」      詞・曲・片山道郎





青白い夜の交差点で 何となく君は立っている

目の前の街は河のように 少しずつ姿を変えてゆく


僕は電波をかいくぐり 迷路のような街に住む

時計ばかりが増えていくが

時間が足りなくなっていくばかり


君は果てしなく複雑で  僕の理解を超えていた

朝から雨が降り続き 夜になっても止まなかった


気付かないうちに僕等街の中で

袋小路に迷い込んでしまう

柔らかい泥に足を取られながら

考え事も途中で放り出して

笑う





否定に否定を重ねても 結局肯定することになる

いつも不思議に思うのは 何にも選んでいないこと


あるべきものはありのままに やるべき事はやるだけさ

目に見えるものが全てと 時々思ってしまうけど


何億分の一の確率で最終的にここにいるのだろう?

結局僕等 流れ流れのままに 限定された選択肢の中で

泳ぐ

だけ

泳ぐ

だけなのか




僕が見たのは幻 逆さまになった空の夢

月は地上に近付き過ぎ

粉々になって消えてしまった









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