90年代の、ささやかなエピソード。(一部、加筆修正しまシタ。)

2018-01-31 21:31:14 | Weblog

世間のことなど どうでもいいようなもの・・・・なのだが、

ひそかに、世界的に

「90年代リヴァイバル」なのだそうだ。

・・・・・・・なるほど。


今が2018年なら、1990年代は大体、20年前になる。


僕等が若かった頃・・・・あれは1980年代だったのだけれど、

「60年代」に夢中だった。何よりもかっこよかった。

やっぱ、20年前・・・っていうような時間のスパンに意味があるのだろうか。

ビートルズ、ストーンズ、ドアース、ジャニス、ジミヘン、ヴェルヴェッツ、ディラン、

公民権運動、大統領暗殺、マリリン・モンロー、アポロ計画、ETCETC・・・・・・・・・・・・・・・。

ファッションも60年代が最高だった。


60年代のロックや、70年代のロックを一生懸命聴いたけど、その当時(80年代)の音楽の中にも、少数だが いいものがあった。

ストレイキャッツ、ポリス、プリテンダーズ、プリンス、デキシーズミッドナイトランナーズ、

U2、スタイルカウンシル、スザンヌヴェガ、カーズETCETC。


吉田拓郎から聞き始めたのだが、高校を卒業する頃には、「洋楽ロックファン」みたいになっていた。

もちろん、自分達のバンドも、オリジナル曲をガンガン演りながら。



そして訪れる90年代。

洋楽ロック好きになっていた、という必然と、バンドマンである、という必然と、

当時の仕事場(の休憩所)でMTVを録画できる環境だった、という偶然が重なって、

1990年代全般の僕は、当時のリアルタイムの洋楽ロックにどっぷり浸かって過ごした。

洋楽雑誌「ロッキングオン」を毎月買い、MTVのオルタナ系の番組を録画してしょっちゅう見ていた。

ラジオでも当時は今より、洋楽ロックがガンガンかかってた気がする。


あの当時、気付いていない人がほとんどだったし、僕自身も後になって気付くのだが、

90年代ってロック的に、とてもとても豊穣で、波乱万丈で、いろいろと面白い時代だった。


具体的には、

まず、「オルタナ」「グランジ」が出てきて、最盛期を迎えた。

音的にはノイジーでフォーキーな、服装的には小汚い・・・というか完全に普段着のロック。

ソニック・ユース、ダイナソーJR、ピクシーズ、ホール、フレーミングリップス、ニルヴァーナ、スマパン。

「ローファイ」も最高に良かった。ペイヴメント、ベック。

「メロコア」・・・というか、新しいパンク、グリーンデイ、ランシド。

「ブリット・ポップ」はオアシス、ブラー、スエード、レィディオヘッド。

「シューゲイザー」は、極め付きの、マイブラッディバレンタイン。

そして「ジャンク」出身の、ジョンスペンサーブルーズエクスプロージョン、ロイヤルトラックス。

「ミクスチャー」は、言わずと知れた、レッドホットチリペッパーズ、ジェーンズアディクション。


今でも続いてるバンドも多い。


懐古的になるつもりはないけど、90年代のロックって、つくづく、豊穣だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、突然思い出したのは、

今日の夕方ラジオでニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」がかかったからで、

やっぱこの曲って、90年代のオルタナ・グランジを代表する曲だと思う、良くも悪くも。

それで、あの・・・・この曲の、このタイトルって、由来は何だと思う?


「ティーン・スピリット」って、ニュアンス的には「青春」だから、

「まるで青春期のような臭い」みたいに否定的に解釈してる人が多い気がするのだが、


多分、違う。


これは恐らく・・・・肯定的で、感傷的で回顧的で、恋愛的なタイトルなのだ。


海外ロック雑誌で披露された、当時のエピソードというのが、ある。

(後に、「ロッキング・オン」が、翻訳して掲載した。)


カートがまだ、コートニーに捕まってしまう以前の話。もちろん、ニルヴァーナがブレイクする以前の話。


カートは、当時、ツアーか何かで一緒になった女性ロックバンド、「ビキニ・キル」のメンバーの一人と

恋に落ちたようで、

ある夜、彼女と一緒に「消えた」。

その、「ビキニ・キル」のメンバー(名前は忘れた)が、普段から愛用していた香水・・・・・・・・・・

の名前(商品名)が「ティーン・スピリット」だったそうだ。


彼女とカートが消えた翌朝、カートと会った誰か(多分、ビキニ・キルの他のメンバー)が、

カートから、ほのかにその香水の匂いがするのに気付いて、

「あら?カートから”ティーン・スピリット”の匂いがするのは何故なのかしらね?」

と、(カートを)からかったのだそうだ。



この証言は、その「からかった」女の人のもの・・・・・だったと思う。



・・・・・切ない。

これはモチロン、「スメルズ・ライク・ティ-ンスピリット」が書かれる前の話だ。


この話を聞くと、あの曲とこのエピソードが無関係なハズはない、と思うよね。



カートの歌詞って、イメージの羅列だったりして、ばらばらで、わかりにくかったりするのだが、

これをタイトルにもってきた意図って、


どう考えても感傷的で恋愛的・・・・・としか俺には思えない。



切ないよな。



このエピソードのことを、全然知らずにほとんどの人があの曲を聴いているのだし、

そんなこと知ってても知らなくても関係ない・・・・・・とも思う。


でもやっぱり、

こういうのって面白いし興味深いし、

歌詞って、言葉って、いいなあ・・・・・などと思うのだ。



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「雪」でした、アナタの後を何となく・・・ついて行きたかった(←「猫」というグループの「雪」という歌。)

2018-01-30 21:50:20 | Weblog

昨日の朝は仕事で 豊岡、京丹後、舞鶴・・・・・と、あっちの方の

いわゆる「日本海側」に行っていた。

彼の地では何日か前に大雪が降っていて、

まぁ、ちょとぐらい残ってるかな・・・・くらいの軽い気持ちで行ったのだが、

予想に反してがっつり残っていた・・・・がっつり。

・・・・・・・・・・・っていうか全然融けてねえじゃんかよ、雪。

残雪、残雪、また残雪である。

思うに、降り積もって間もない雪なら ふわふわで、まだ可愛げがある。

だが何日か経った残雪は、一度融けかけて、また凍ってやがるから固いのだ。

落語風に言うなら、「固餅の焼き冷まし」っていうくらい固い。

そんなの、トラックが乗ったくらいでは壊れない。岩みたいで、トラックは雪のカタマリに乗り上げてしまう。

でも予測できないところでカタマリが壊れるから、ハンドルを取られて、簡単にコントロールを失いそうになる。

・・・・・・・・怖かった。

ひぃぃ、ひぃぃぃ、と情けない悲鳴を小声で上げながら時速30キロくらいで怖々運転して、

最悪の10キロくらいの区間を乗り切った。

とても疲れた。


乗り切ってからやっと、周りの真雪景色を眺める余裕が出来た。


説明するのも馬鹿みたいだが、真っ白なのだ、視界が。

一部、泥が混じってしまってる部分はあるが、基本的に純白である。

それで、つかぬことを伺いマスが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雪って、何で白いんだろう?

以前にもこんな疑問を抱いたな。あれは、ドブ川の底の、ヘドロが真っ黒だったのを目撃したときだ。

黒猫の黒は、ビロードみたいに美しくて もちろん、ヘドロとは大違いだ。

距離で言えば数万光年の差がある。

真っ黒いギターも素敵だ。

そう、雪のほかに・・・・・白いものって、何かあったかな。

空に浮かぶ雲も、白いときは真っ白だ。

他に何かあったかな。白髪のひと・・・・・・の髪の毛も白い。

俺は白髪は、好きだな。キース・リチャードの髪も、今では真っ白だ。かっこいい。

白・・・・・・・・・・・漂白されたものは白いよな。

Tシャツとかも白い

あ、そうだ、我々、脊椎動物が死んで後に残る「骨」も真っ白だよね、そういえば。

まあいいや、

青は?

空と海が青いのは偶然か?

空と海が青ければそりゃ地球は、宇宙から見て「青い」だろう。

他には?・・・・・・・・・・フィンセント・ヴァン・ゴッホの瞳は、青かったのであろう。自画像の瞳が青い。

ジョニ・ミッチェルの瞳も青だったかな。カートも。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる「一角獣」の瞳も青。

「羊をめぐる冒険」に出てくる「羊」の瞳も、青。

黄色はどうだろう?

黄と黒の組み合わせって、どう考えても「危険信号」だよね。

スズメバチ、そして日本には生息していないが、虎。

太陽?・・・・・コドモはよく絵を描く時に、太陽を黄色で塗ったりするけど、

俺は、太陽を黄色だとは思わないね。

あれは、無限の色を秘めた無色透明だよ。強いて言うなら「ゴールド」、もしくは「白」か。


赤は?

夕方の太陽は赤いな。

炎も赤い。

赤い花びらを持った花々は数々あれど、

それ以外に自然界に「赤」って、少ないんじゃなかろうか。

あ、そうだ、我々、哺乳類の血液は真っ赤だ。魚の血も赤いな。

爬虫類の血は・・・・・赤くなかった気がする。昆虫の血も。

そうえば、我々の血液の成分って、海水とほぼ同じ・・・という説がある。

でもそれなら色は、青でも良かったのにね。

赤と青って、近いのだろうか。


ああ、雪が何故白いのか、全然わからない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白?

要するに太陽光の色か?

「プリズム」って具現化すると白く見えるのか?


雪ってつまり、空から降ってきた「プリズム」が実体化した物質なのか?





え?ただのCO2だって?











ちなみに、タイトルに記した「猫」というグループの「雪」という歌は

僕の好きな、吉田拓郎が作詞作曲して「猫」に楽曲提供したもの・・・・なのデス。

とてもいい歌。
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純アコとエレアコと純アコと。

2018-01-28 11:47:54 | Weblog

一番初めのギターは、家にあったオンボロのガットギターで、

あれは・・・遠いシンセキの兄ちゃんが置いていったものであったらしい。

「富士」とラベルに書いてあってダセエ・・・と思ったものだったが今思えばあれは

「富士弦楽器」、つまり「フジゲン」製だったのね。ダサくないじゃん。


次のギターは、中学生だった兄が親に買ってもらった「ARIA」のフォークギターで、これは「当たり」だった。

新品で2万位の値段で、ギターとしてはすっごく安いモノだったハズなのだけれど、

シャリーンとした素晴らしい音。後年も、随分使った。今でも好きだ。

高価なアコギと比べても全然負けていない音。

後年の「ほろほろ鳥」の「ウタウタウ」の録音も、そのギターだ。


そして僕はエレキギターを弾き始める。

中学で どいけん達とバンドを結成して文化祭もどき・・のイヴェントに出演したりする。

そして高校で、佐治たちの仲間に入って動き出す。「ランブルフィッシュ」の前身バンドだ。


リーダー格の佐治は、歪んだデカイ音のエレキが大好きな粗暴な(?)若者だったが、

反面、とても繊細でリリカルでもあったので、アコースティックの音色も好んだ。

だから、「ランブルフィッシュ」では僕は、基本的には「エレキギター弾き」だったのだが、

佐治の要請もあって、「エレアコ」を弾く曲も何曲かあった。

ライヴで「青の時代」をやるときには常にエレアコを弾いていた。


ここで「エレアコ」という楽器が登場する。


「エレアコ」は多分、1980年代に初登場したのだと思う。

あれかな?あの「オベーション」かな?初めは。

ボディのバックサイド(裏側)が何と、木製ではなくて何だっけ、あのプラスティックみたいな

樹脂?製の、常識を覆すギターだった。

そしてコレがスゴかったのだが、「ピエゾ・ピックアップ」というのが付いていた。

ピエゾ、というのはボディの振動を拾って音にするもので、画期的だった。

オベーションは高価でとても若者に買えるようなモノではなかったので、

僕が初めて買ったエレアコは「タカミネ」のものだった。

これは・・・・・・・・・・・・・・まあ、悪くはなかった。(「タカミネ」は、いいメーカーだ。)

ランブルで、ガンガン使った。

でも「エレアコ」って・・・・・・・・・・・使ったことがある人は皆知ってると思うけど、

全然「アコーステイック」の音なんか出ないのだ。

高価なオベーションでもそうだったハズで、

要はアコースティックの音って、我々の想像以上に複雑で繊細で、

ピックアップで拾えるようなものではないのだ。

でもエレアコの「非・アコースティックの音」でも、それを使うしかなかった。

何故なら・・・・

エレアコでない、本物のアコギではバンドの音に埋もれてしまう。

エレキの歪ませない音でシャラーンと弾いても良いのだが、

見た目の「アコギ感」だけでも・・・あって欲しかったのだ。「見た目」って大事だ・・・と僕は思う。

まぁ でも、それは「アコースティック」の音色を僕が欲していたから・・・であって、

聴いている人はそんなこと、別に何も思わなかっただろう。

それなりに頑張ってエレアコなりの「いい音」を追求したし、何よりも

佐治の「歌」がすべてを凌駕していたし。


それで、そのエレアコの次に「K.ヤイリ」の小ぶりなエレアコを買った。ランブルで使うために。

これはなかなか渋いギターで、木に塗装をしていなくて、

「コーティング」もしていなくて、おまけにピックガードも付けていないので

弾き込めば弾きこむほど木の表面が削げてボロボロになっていく。音もまあ、例の「エレアコの音」ではあるが、

まあまあ悪くない。

偶然か必然か、周囲のミュージシャン友達が何人か、同じものを使っていた。

ホーボーもこれ使ってたよな。


それでランブル解散して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ばるぼら」ではレコーディング以外、アコギは使わなかったな。

ずっとアレを使っていた、G&Lの「スカイホーク」。テキサスも、上海も、ニューヨークも、

「スカイホーク」と一緒に行った。


それで「ばるぼら」解散後、自分で歌うことにして、

2003年くらいにハードレインの「やっさん」のオススメで、「弾き語り」に再挑戦したことがあった。


このときのギターは、また別のエレアコで、「エピフォン」のもの。

でも、バンドでやるわけじゃないから、ピックアップの音も使いつつ、

アコースティックのナマの音もヴォーカル用マイクで拾う、という「合わせ技」でやってみた。


これは・・・・まあまあ良かったのではないだろうか、と思ってるのだけれど。


この辺の時期から実は、弾き語りスタイルで演るのなら、

エレアコのピックアップ使わずに、ナマの音だけでやるのが一番いいかな・・・・と

思ってはいたのだ。友達のシンガーソングライター、正垣祐樹なんかは、もっと早くから

そんな「純アコ」に切り替えていた。

でも、それだと・・少しだけ「音圧」が足りないように思っていた。

ライヴハウスに、バンドに混じって「弾き語り」で出演したりすると

当たり前だが「音圧」が負ける。その点、ピックアップ使うと、マシなのだ。


「エピフォン」というメーカーはいろいろとあって、

昔々の1950代年とか60年代とか・・は「ギブソン」のライバル的なメーカーだったはず。

(だからヴィンテージのエピフォンはすごく高価だ。)

でも、何処かの時点で倒産して、

最終的に「ギブソン」が「エピフォン」の商標を買って(多分ね)、

いわゆる「ギブソンジャパン」的な、ギブソンそっくりなデザインの楽器を、

比較的安価で公認で製作販売するようになった・・・・のだと思う。

要するに「ギブソン」の廉価版ね。中国や韓国で作られている。


僕はその後も「エピフォン」のエレアコを買った(よっぽど好きなのね)。

「ギブソン」の、TEXANという名器の復刻・・・というかコピーというか、そんなやつ。

でも惚れ惚れするほど美しい木目のギターで、見ているだけでシアワセ。

ピエゾ・ピックアップも多少進化している。また少し音がマシになっている。



そして、写真の黒いアコギ。

これはドラマーのコータローさんに頂いたもので、これも偶然か必然か、「エピフォン」製だ。

スタイルは完全にギブソンJ-45だよね。

一昨年に、キャンプの延長でコータローさん宅に泊めてもらった時に、

何気なくそこにあったこのギター鳴らしてみて、その音のよさにびっくりして、

感動していたら、頂ける事になった。

コータローさん、アリガットゴザイマッス!!!

カラッとした明るい音。しかもナマ音がでかい!家で弾いてたらトナリから苦情が来た。ははは。

他のギターだと、苦情なんか来たことないのに。

弦が古くなっても、音色があまり変わらない。これはボディが「鳴っている」のだと思う。

いわゆる「激鳴り」というヤツだ。


これは「純アコ」である。あの懐かしい「ARIA」のフォクギター以来の、

ピックアップの付いてない、「純アコースティック」。

しかも、色が真っ黒。自分で選んでいたらこの色でしかも純アコギ・・という選択肢は無かったと思う。

アコギは木目・・・でないと・・・という「思い込み」があったのだ。

でも、冷静なって見たら、真っ黒なアコギってとても魅力的。見た目も最高。

他の人のセンスを自分の中に入れてみることって、とても大事だ、と改めて思う。



2018年 2月17日に大阪・日本橋の「太陽と月」で開催される

弾き語りライヴ・イヴェント「ONE PLUS ONE&ONE」には、

この黒いアコギを抱えて登場するつもり。


「純アコ」から始まって「エレエコ」を経て、また「純アコ」へ。

アタシのアコギの旅はまだ当分・・・・続くと思うのだけれども

次はコレでやってみるよ。



聴きに来てくらっさい!
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氷の世界の、氷の話。

2018-01-25 21:34:32 | Weblog

僕は18歳のときに大阪に出てきて、それから20年ちょっと・・・くらい大阪に住んでいた。


今は京都に住んでいる。


大阪に居るときもクルマに毎日乗るような仕事をしていた時期がある。

5~6年。乗っていたのは、軽トラだった。

でも真冬でも、窓ガラスに氷が貼り付いて、落とすのに苦労したりすることはなかった。

今はそうしなければならない朝が、時々・・・ある。


やっぱり、京都は寒いのだ、確実に。


・・・・・・・・・・・・・・・・氷の話を聞いてくれ。


昨日の夜、いつもの中距離帰り道の、伊勢湾岸~東名阪~新名神・・・というルートを

トラックで走っていた。今は4トントラックに乗っている。

寒い夜。この冬一番の寒気。雪もちらつく。

雪で、フロントガラスが汚れるので、時々ウォッシャーのスイッチを押して、

フロントガラスに水をかけてワイパーを動かしながら運転していた。

と、ある時点で水が出なくなった。

ああ、タンクの水が切れたか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と思った。

でもまあ、しょうがないか、と、そのまま(フロントガラス汚れたまま)京都に着いて、

タンクに水入れよう、とトラックのボンネット開けたら、・・・・水は入っている。

すると故障か?やっかいだな・・・と途方に暮れていると

ベテラン大型運転手が「どしたん?」と声をかけてくてた。

ワケを話すと彼は、「凍ってるんだよ、俺のトラックもさっきから水出ねえよ」と教えてくれた。

・・・びっくりした。走ってる間に、トラック前部の温度が氷点下になり、細い管の水が凍ったのだ・・・という。

ちなみに、タンクの水は凍っていなかった。液体だった。

本当かな・・・壊れてんじゃねえの・・・とか思ったが、

今日の午前中、日が出て気温が少し上がったころ、水は出た。ピューッと。やはり凍っていたのだ。

疑って悪かったデス。年長者の話は聞くものだ。


もうひとつ、ウォッシャー関係で、氷の話。


二年前までは、僕は大型の、ダンプに乗っていた。

そのときの話なのだが、

一番寒かったある朝(朝三時)、車庫から発車してすぐ、フロントガラスが汚れていたので走りながら

何の気なしにウォッシャーのスイッチを押したのだ。

どうなったと思いマスカ??????????

水はピューッと出て、それはいいのだけれど

フロントガラスに付着した瞬間に、パリパリ・・・と音を立てて凍り始めたのだ。

ひぃぃぃぃぃぃぃぃ、、前が全然見えない。ホラー映画並みの恐怖。

すぐにハザードを点滅させて路肩に停まったから大丈夫だったんだけど、危なかったな。


水って、氷点下で凍るんだ・・・・・・・・・という至極当たり前のような事実だが、

目の前で、本当に目の前で水が凍っていくのは美しく、しかもとても怖い光景だった。






氷の世界の、氷の話デシタ。退屈だったらゴメンよ。

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もしも、「本」であったなら。

2018-01-23 21:48:42 | Weblog

僕等のことが・・・もしも、「本」であったなら

その本の

表紙はどんな絵だろうか?

帯には、どんな言葉が書かれていただろう?

「あらすじ」は?

プロローグの書き出しは?

エピローグの締めの一行は?

目次に書かれた、一章一章のタイトルはどんなだったろう?

「あとがき」は?

「解説」は、誰が書いただろう?

古本屋で売ってた?

紀伊国屋で平積みされてた?

誰か、読んだ人がいた?

発禁になった?(まさかね)

焚書になった?(アリエナイ)

図書館に寄贈された?

本屋で万引きされた?

「続編」は、書かれた?

パート2とかが出た?

芥川賞候補になった?

ノーベル文学賞は?(無理無理)

直木賞?

「よく頑張ったで賞」?

ん?すべての「賞」を落選した?

そのストーリーの結末は、ハッピーエンドだったかい?

それとも、とんでもない「どんでん返し」だった?

難解な、「開かれた」結末?

え?まだ「終わってない」の?

「悲劇」か「喜劇」か、もまだわからないってのに?








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕等は、良くも悪くも

「ブッキッシュ」だったんだ、

1990年代ってのはそんなに悪くない時代・・・・・でもあったし、ね。

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雪。

2018-01-22 21:52:40 | Weblog

「俺達はただの魚さ、川の流れまでは変えられない」

という歌詞の歌を昔、柳ジョージが歌っていて、とてもいい歌だった。



確かに、我々は「世界」に対して、とてもとても微力だ。


先週末くらいから火曜日から水曜日にかけて雪が降る雪が降る雪が降るって予告されていて、

そういうのが的中するのは実際、大したものだけど、

それでも、何にも出来ない、っていうか全くの無力なのだ我々は。


コドモの頃に見てた科学雑誌なんかでは

21世紀には人類は天候さえ自由に操って・・・・みたいな話があった。

しかし、全然無理だ。

予報が正解なのはスゴイと思うけど、

何か・・・・・・・・・何とかなんないのかねえ?って、ついつい思っちまう。


昔、大砲を撃って、雲を吹き飛ばす・・・というような気象実験もあったらしい。

そうだよな、

巨大な強力な爆弾が高空で破裂したら、雲くらい霧散してしまうかもしれない。

それ、いいかも・・・とか一瞬思う。

しかし、それ本気でやり出したら・・・・・地球上の気候が、無茶苦茶の極みになるだろうなあ。


ちょっと前の大雪のとき、豪雪地帯(豊岡とか)をクルマで通って、つくづく思ったのだけれど、

雪って・・・・・本来はただの「水」なのに、

低温のために固体化してしまったがゆえに、地面に染み込むことも出来ず、

排水溝に流れ込むことも出来ず、みっともなくも・・・地上に残留してしまった。

本人(雪)にしても、きっと不本意なのだ。


地上に残留した大量の水、水、水。

雪、雪、雪、吹雪、吹雪、氷の世界。


コドモの頃、雪が積もったら犬のように喜んで野原を駆け回っていたものだが、

大人たちはそれどころではなく、


タイヤにチェーン巻いたり、雪かきしたり、電車止まったり、

いろいろと大変だったのであろう、と推測する。




明日の朝、路面状況はどうなっているであろう・・・・・などと考えるとゾッとするので

何も考えずに、寝ることにする。



おやすみ。




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「弾き語り」について その2

2018-01-20 13:39:56 | Weblog


「弾き語り」という言葉は柔らかく、悪くすると軟弱なイメージがあるかもしれない。

でも、違う。

「弾き語り」はパンク以前のパンクなのだ。

ディランもそうだったハズで、


つまり、

オンガクなんて、習わなくても、楽譜読めなくても出来るし

高価な楽器なんか持ってなくても、オンボロなギター一本で充分だし、

音響のいいホールなんか出られなくても全然OK,安いバーとかカフェとかで演る。

ケバケバしい衣装も、着ない。普段着でいい。


そして何よりも、

音楽家のセンセイの作った楽曲なんか演らない。

演るのは、自分で作ったシンプルな歌。言葉もメロディも自作する。

もしくは、古くから歌い継がれてきた民衆の歌(フォークソング)。

だからマイノリティのことも、マイノリティの立場で歌う。

反戦も歌うし、底辺からの社会批判もする。

個人的なことも歌う。ラヴソングだって歌う。


って、そういうのが「弾き語り」の原点だと思う。多分、間違ってない。


・・・・・・・・・ハードだ。


吉田拓郎だってそうだった。

拓郎の出てきた1966年前後は日本ではグループサウンズ全盛だった。

彼はそれへの、「アンチテーゼ」として登場したのだ。

スタイルこそディランそのまんまではあったが、独創的で戦闘的だった。


で、そのディラン。


ポップミュージックの歴史の中で、この人は重要人物!という人が何人かいる。

私見だが・・・・チャック・ベリー、エルヴィス、レノン&マッカートニー、ジェイムズ・ブラウン、・・・・・・etc,etc。


そしてディランも、間違いなく「超」のつく重要人物だ。

当時の、世界中の若者がディランの影響下にあったかもしれない。


現代でも・・・少なくとも、ギターを持って歌を歌ってる人間は皆そうだ。


彼は、しまいには「ノーベル文学賞」受賞者になってしまった、(平和賞でもよかったかもね。)


すごいなあ。


そして、今になって再び、アコギを持って「弾き語り」を演ろう、という私もまた、

多少間接的ではあるにせよ、ディランズ・チルドレンの一人なのだ、

我々は「大きな流れ」の中で泳いでいる魚のごとき存在でしかない。





「弾き語り」は、ハードなのだ。




2018年2月17日、

日本橋 太陽と月 で開催される弾き語りライヴイヴェント、

「ONE PLUS ONE&ONE」。


ワタクシこと片山道郎も出演します。

原点回帰の、「弾き語り」で。


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2月17日 ONE PLUS ONE&ONE、そして「弾き語り」について。

2018-01-18 21:06:12 | Weblog
ONE PLUS ONE & ONE Vol.1】

2月17日(土) 日本橋 太陽と月

出演)片山陽一、片山道郎、中原真司

Open 19:00 / Start 19:30

Charge ¥1,500(1drink付)




ONE PLUS ONE&ONEという素敵な弾き語りライヴ企画に、

私こと片山道郎を呼んでもらった。

このONE PLUS ONE&ONEの、記念すべき第一回目のゲストである。

とても嬉しい。


片山陽ちゃん、ナカさん、アリガットゴザイマッス!


さて、このライヴ、オオサカの日本橋の「太陽と月」という店で開催される、

アコースティック弾き語り企画である。


弾き語り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・については、いろいろと思うところがある。




まあ聞いてくれ。


僕は中一か、中二のときにギターを始めた。

そのとき強烈に憧れたのは 吉田拓郎で、

初期の彼のスタイルはディランの影響下そのまんまの、

アコースティック一本(と、時々ハーモニカ)の「弾き語り」だった。


だから、僕が憧れたギターも初めはエレキではなくて、いわゆるフォークギターだったのだ。


のちに僕はエレキギターをメインに弾く「ギタリスト」になるのだが、

一番初めはフォークギター弾きながら歌ってたのだ。


何でギタリストになったのか?というと

「カッコイイ友達」に出会って惚れてしまい、「彼」(ら) と一緒に演りたかったから。


一番初めに出会った「カッコイイ友達」は、ドイケンだ。我々は、中学生だった。

彼は声も良いし、カッコイイし、先生には反抗するし、歌も作る。とてもとても「ロック」な少年。

彼は、とても早熟だった・・・・・と今になって思う。輝ける天才的な早熟。

でも、ギターは僕の方が早く始めた分、ちょっとだけ先を行っていた。

必然的に僕はギタリストになる。興味は、エレキに移る。

でも自分の歌は作り続けていたし、ドイケンとバンドやれるのは何より「自己実現」だった。嬉しかった。

僕が関西の高校に行ってしまったせいで、ドイケンとはバンドを続けられなくなってしまったが、

我々のバンド(「草戸千軒」)が駄目になったわけではない。

我々の関係は今も全然変わらずに続いているし、「草戸千軒」も、いつかまた演れる、と思っている。

・・・・・・・・・そして僕は高校で佐治と出会う。二番目に出会った「カッコイイ友達」だ。

出会った頃の佐治はけっこう体育会系でヤンキーで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

僕とはタイプが違いすぎるか?と初期は思ったのだけれど(僕は文系で内向的)、

彼は実は詩人で漫画家で、素晴らしく繊細なセンスの持ち主だった。天才的。いい歌も作る作る。

我々はお互い、時間をかけて近付いていって、とてもとてもいい関係になれた。

(高校卒業後のある日、リーゼントだった彼が「俺達、長髪にしようぜ」と言ってきたときは、すごく嬉しかった。)

それが「ランブルフィッシュ」。これも大きな大きな「自己実現」だった。夢みたいだった。

そして、三番目に出会った「カッコイイ友達」は、ボケロウだ。

彼も一種の天才肌だった。

ボケロウと僕とキヨシとマーボーで作ったバンド「ばるぼら」  も、本当に大きな「自己実現」だった。すごい充実感だった。

一例だけ挙げるけど、

ニューヨークの、パンクの伝説のライヴハウス「CBGB」にも出演したんだぜ、「ばるぼら」 は。

革新的で驚異的な楽曲もCDに、ちゃんと残せた。悔いはねえ。やるだけやった、って感じ。


そして 「ばるぼら」 が終わったとき僕は、自分で歌うことに戻った。


ギタリストをやってた時代もずっと、アコギは大好きだった。

でもエレキの機材にオカネかかってしまうから、アコギの高価なものは買えなかった。

でも常にアコギは弾いていた。今でも、所持ギターはエレキよりもアコギの方が、本数は多い。

作曲はアコギでするし、レコーディングなどでは必ず、アコギの音を入れた。

アコギの音って、大事なのだ、僕にとっては。


あああ、「弾き語り」や、「アコギ」について、もっともっと言いたいことがある。




でも、また次の機会にするよ。



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2018年1月17日、「痛み」について。

2018-01-17 21:05:05 | Weblog


今朝は5時前に目が覚めてしまって、そのあと眠れなかった。


目が覚めたのは僕にしては珍しく、オナカが痛くなってしまったからなのだが、

あとでクルマのラジオで聴いて、

今日が震災の日で、目を覚ました時間も地震発生時刻に近かったことを思い出した。


それ(目を覚ましたこと)は偶然に過ぎなかったのだろうが、

僕にも震災の犠牲者の方々を悼む気持ちは、ある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・あのときは、僕もとても悲しかったです。







「悼み」はおそらく、「痛み」であろう。







腹痛のこともあって(後であっさり治ったんだけどさ)、「痛み」について考えた。


「痛み」って不思議。

以前の、骨折のときにも痛感(!)したのだが

本当に、純粋に、個人的なものなのだ、「痛み」って。

肉体的な痛みも、精神的なものも。


穿ったものの見方だが、誰かが・・・「痛い」って大声で言って苦しそうにしていても、

究極的には、それは演技かもしれない。真実は、当人にしかわからないのだ。


「すごく痛い」 「シクシク痛む」 「差し込むような痛み」  「鈍い痛み」 「激痛」

色んな「痛み」の表現があるけど、その人になってみないことにはその「痛み」が本当はどんなものか、

わかりはしない。


もっと言えば、喜びも悲しみも、快感も失望も、

すべての感覚が個人的なもので、

我々が「他人」の感覚を知ることは無いのだ、恐らく永遠に。


ああ なんて限定的な人生。そんなの当たり前、と言われればそうだが・・・・でもねえ。

この問題はとても深遠だ、とワタシは思う。




現実に戻る。

今朝の僕の、腹痛の話。


喉もと過ぎれば熱さ忘れる、とはよく言ったもので

僕の腹痛は嘘のようにケロッと治り、治ってしまえば大げさに不安がってた自分がバカみたいに思えた。


でも痛かった一時間半くらいの間、僕の体内(恐らく腸の近辺)で

「何か」が起こっていたハズなのだ。

少なくとも僕の「痛覚」を刺激する何かが。

自分の体内のことって、わからない。わからないように出来ている。



「痛み」ってしかし、嫌なものだけれど・・・・・面白い、と言えなくも無い。

この「面白い」は、インタレスティング(興味深い)のほうの「面白い」だ。

「笑える」ではない。


激痛の場合 人は、「痛み」に支配されてしまう。


肉体的な「痛み」に人は(生物は)、抗うことが出来ないのだ、哀しいかな。


精神的な「痛み」も同じだ。抗えない。









願わくば、

すべての「痛み」が昇華されて大気の中に溶けて行かんことを。





草々
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謝辞2018年一月。

2018-01-15 20:51:43 | Weblog


ハードレインでの昨夜のライヴ、来てくれた人に感謝します。

どうもありがとう。

我々が音楽を、ロックバンドを続けられるのは

我々に賛同して、共感して、支えてくれるあなた方のおかげですマジで。

そういうことを痛感しマス、最近特に。

マジで 感謝しても し切れません。


昨夜は、

前回のVIーCODEに続いて

ギターの赤井が療養せねばならなくて、やむなく欠場、という

「不完全な完全体」であるところの3人ROCA'66だったのだけれど、

アクシデントを楽しむ、という精神のもと、我々は、3人ROCA'66をエンジョイすることが出来た。

きっちり、「良いもの」を演ったつもり。

何と言うか・・・・・・・・・・・・・・

「拡がり」が制限されるぶん、「速度」が出せるのだ。

・・・・無理矢理言葉にしたらそんな感じ。羽根のないロケットみたいなモノだわさ。

三人だけでこの状態までROCA'66を持ってこれた、ということは

赤井ギターという「羽根」がついたらもう、「ぶっ飛び」間違いない。

我々は一種「雨乞い」のように、ギター赤井の回復&帰還を切望する。


そーゆー事情で、2月、3月はROCA'66としてのライヴは、とりあえず、なし。


ROCA'66の次回のライヴは、4月14日土曜日までお預けだ。

その時どういう状態になっているか?・・・・は、まだわからない。

また「羽根なしロケット」で出演・・・になるかもしれない。

どういう状態であれ、ちゃんと演る。



それで、だからっ・・・てこともないのだが、

2月は久し振りに、道郎ソロ演りマス。

日本橋の「太陽と月」という店で。

ここで、カミナリボルトのナカさんとマンガンズの片山陽一が2人で、シリーズみたいにして

アコースティック弾き語りライヴをやっていくことにしたらしくて、

その栄えある一回目のゲストに、呼んでもらったのだ。光栄。

タイミング的にもギター赤井療養中なので、渡りに船、というか、とても有り難い。


それのことはまた、書くけど今日はとりあえず、昨夜の御礼ブログなので、昨夜のことを書く。


昨夜の対バンだった野伏も、鬼気迫る良い演奏だった。

野伏のVO/G のガタやんはその昔、PISSというバンドのヴォーカル/ギターで(中島らもさんのPISSとは別物)、

何とあの懐かしいライヴハウス、エッグプラントに出演していたツワモノだ。

俺も、ランブルフィッシュで、エッグプラントは何回か出演している。

そういう意味で、(今は亡き「場」の思い出を共有しているという意味で)同志なのだ。

おまけに、野伏の現ベーシストは、あの高山だ。

俺がMITT'Sという名前でバンドやってたときにベーシストで参加してくれてた、あの高山だ。

もとメンバーだ。とても嬉しい。

そして、

昨夜のもうひとつの対バン、ワームス。

知ってる人は多いと思うけど、現在療養中のギター赤井は、

長いことワームスのメンバーだったのだ。

昨夜のワームスのステージは、生まれ変わろうとしているバンドの胎動を感じさせてくれるものだった。

新メンバーのドラムが、すごい達者で驚いたぜ。

さてさて、

時空を隔て、「メンバーを共有している」我々は、まるで「親戚バンド」みたいなものではないか。

野伏にしても、ワームスにしても。

だからとても濃い、良い夜になった。


神戸の若いバンドも、なかなか良かったし、

女の子二人のユニットも、異種って感じだったけど、新鮮だった。


さあ、たった2ヵ月後の未来すらどうなるかわからないけど俺達はまだまだ頑張ろう。

素直にそう思っています。


重ね重ね、

昨夜来てくれて本当にありがとうね。





写真は、撮影に来てくれた大瀧敏和さんのもの。ドモアリガット!!!!!



コメント (4)
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