八月の魔物

2008-08-31 10:51:06 | Weblog


八月の魔物が君を連れ去っていく

クラシカルな太陽と

平面グラフィックの迷宮


君の摩訶不思議な性格が

凶暴化した人生の残骸に

照らし出されて輝いている


救済を待ちわびる日々

言葉だけがただ混迷して

何をどれだけ失くしたのかすらわからない

冗談の意味さえつかめない


僕にとって「それ」は目的で

何かのための「手段」なんかじゃないのだ


極めつけに悲しいことは

君に誤解されることだ


君は絶対、僕を誤解してると思う

いつもいつも


それはそれで

いいけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議なセンス

2008-08-29 13:12:04 | Weblog


身の回りで起こるさまざまな事を・・・

笑い飛ばしたりとかは出来ないのだけれど

流しそうめんみたいに

川(か何か)に流してしまうことは出来る、

つるつるっと。


そういえば昔ってそうめんの束の中に

1~2本必ず、

ピンクとかブルーとかの色つきが混じってたよね?

あれは一体何だったのかな。

お洒落?

前髪に一筋だけメッシュ(笑)みたいにして

色を入れた、みたいな。

そんな不思議なセンスだったのかな。

今でも街でたまに見かける、

一部、もしくは全部

紫色の髪をした、高齢のご婦人。

それにしても紫って・・・・・・・・。


髪の毛の色として妥当かどうか、は置いといて、

俺は紫なら赤っぽいのが好きだな。

「赤過ぎる君のその色と 憂鬱が混ざり始めてる」(キャンディ)

・・・・・・そうするとその色は、

紫になるのだ。


ところで。


昨日読んでた小説の中に

「愛とは記憶のことだ」

というフレーズが出てきて、ちょっとドキッとした。

「愛と記憶は同じものだ」とも。


そうなのかな。


しかしそれだと、

「曖昧な愛情」とか

「アテにならない愛情」とか

俺としてはちょっと・・・・・・

困りマスね。


しかし

他人の言うことをいちいち真に受けてたら

それこそ

キリがないんだけどね。



そうは思わない?



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間軸・証言・閉じた回路

2008-08-28 01:02:58 | Weblog

今日の朝は突然

何の脈絡も無く

中学校の理科室での出来事を思い出していました。


「スローターハウス5」みたいに我々は

記憶と言う名の時間軸の中を

まったくでたらめに行ったり来たりするのです。

現実はただ「現実」として目の前を流れていきます。

夢の中での出来事や

記憶の中の出来事の方が

リアリティを持つことすら、あるのです。

そんな風になればなる程、

「今」を生きている、という意識は希薄になって行きます。


もしくはその逆。


・・・ん?


でも俺は

「個人的でささいな出来事の数々」の

唯一の生き証人なのかも知れない、

いや

間違いなくそうなのです。


・・・・だけど

証言を求められることもない、

証言台の上で宣誓を強制されることもない。


何しろ俺にはもう、

宣誓すべき神聖なものなど

ないも同然だからです。


「ないも同然」というのはデリケートな言い方で、

”あるにはあるが、既にその意味を失っている”

とでも言うのか、

あるいはもっとストレートに

”ちょっとしかない、あと一回使ったら終わり”

とでも言うのでしょうか。


真意は、俺にしかわかりません(何しろ俺の真意だからW)。

でも

俺は聞かれても答えません。


そうなるとこれで、

「閉じた回路」の出来上がりです。


はははは。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白黒の朝

2008-08-27 01:00:31 | Weblog
ほんの少し雨が降り続いただけで

肌寒くなってしまった。

気が早いとは思うのだけれど

秋が訪れようとしているのだ。

九月はいつも特別な季節だった、

何もかもが・・・・・・

喪失の色を帯び始めるのだ。

色とりどりの森に迷い込んで、

永遠にそこをさ迷い続けている。

出口がどこか、なんてとうの昔に

どうでもよくなってしまった、

そんな感じのする

廃墟のような古いマンション。

住んでいるのは老人ばかりだ。

赤錆びた鉄のような灰色のコンクリート、

深い深い深い森、

真夜中に思い出すのは

今はもういない人のことばかり。

音楽さえその光を

奪い取られて行ってしまったような気になる。

でもそんなのは錯覚に決まっている。

それにしても

全ては一体何処に向かおうとしているのか?

理由のないヘヴィネス。

理由がないだけじゃなくて

使い道すら


ないのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再開

2008-08-25 22:17:13 | Weblog

まったくのところ、大笑いでしかないのだが

そいつときたらとにかく大仰に、

壮大に、

あらゆる物事を飲み込みつくし

崩壊させて 融解させて

ただ過ぎて行っただけだった。


俺達は同じようなことを何回も繰り返して、

でもそこにしか意味はないのだ。

反復、反復、反復。


俺はとにかく 後悔だけはしたくないんだ、

そう思いながら生きてるのに

しょっちゅう後悔しているのは何故なんだろうね?

どうしてそれを避けられないんだろう。


うつらうつらと眠りながら生きることが出来たら

どんなにいいか、と思うこともあるけど

そんなの楽しいワケないよな。


ちょっと今は疲れ気味。

そんなことぐらい誰にだってあるし、

それは「いい」とか「悪い」とかで

測るべき事じゃないと思うんだよ。

どっちでもいいと言えばどっちでもいい。


しかし新しいカンキョーに適応する、というのは

思ったよりずっとエネルギーを使うものなんだなぁと思った。

へとへとである。


いろんな事に対して

「心もとない」といった気分。

そんなの、あるときにはザクザクあったのに。

もう要らないや、ってくらいあったのに。

「ない」となったらとことん

「ない」のだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民族大移動

2008-08-12 18:49:47 | Weblog
ただ今民族大移動中(←大げさな)。

俺は本好きのオンガク好きなので

荷物がエライことになっているのデス。

まったく。

15年前の引越しは

引越し屋なんか呼ばずに自分達だけでやれたのに

今となっては・・・もはや不可能である。

しかし人間は

住環境に飽きたりするものなのだろうか?

俺にとって引越しは

人生において大雑把に数えて

これが8回目である。

多い方なのか、少ない方なのか。

そりゃ転勤族のサラリーマンに比べたら少ないだろうけど、

一生、一つの地で生きる人間だってきっといるだろう。

そんな人、いないかな?今どき。

そういえば

前に何かの本で読んだのだけれど

「人間は移住する動物なのだ」そうだ。

だからアフリカで発祥した人類が

今みたいに世界中に生息するようなことになったんだってさ。

本当かな。

しかし今のところに引っ越して来た時には

いつかまた別の場所に引っ越して行くなどということは

チラリとも考えなかった。

当たり前と言えば当たり前だが

しかし「人間って結構、近い未来のことしか

予測できないのね・・・・」って思いマシタ。

次のところに着いたら

出て行くときのことをイメージしてみよう。

・・・何かの役に立つとも思えないのだが(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある

2008-08-08 11:40:48 | Weblog
俺は愛玩動物ではない

パグなんかでは

もちろんない

かといって

壊れた

機械でもない

公平に考えて

マトモですらない

今のところは 

食欲もない

でも

失われてしまったわけではない



本当のことを知ってる奴はいない

悪気なんてこれっぽっちもない

そうは言っても

 まったくの無実でもない



絶望もしていない

期待は・・・していないわけでもない

でも うんざりしない日もない

欠損を自覚していないわけでもない

過剰だと思わないこともない

それについて考えない日はない


俺はナイーブではない

センシティヴなんかではもちろんない

でも

デリカシーがあるわけでもない





あるのは

混乱と混沌と猥雑と乱雑と


「結論はない」 という

結論なのだ




句読点もなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅行の目的

2008-08-06 09:35:39 | Weblog
俺は世間を斜めに見ながら歩いた。


光と影はまるで無声映画にしか見えなかったけど、

「結局、心に残ることは残るけどただそれだけ」

って言う点で俺達は似たもの同士だった。

でもそういうのも自意識過剰から来るのだ。


俺は少し感傷的になっているのかも知れなかった。

でもそんなの、俺の勝手だ、そうじゃないか?


いろんな物が「最後の光」を放っている、

ばたばたと荷物をしまって次の宿へ急ぐ旅人みたいに。


・・えっと、何の旅だったんだっけな?

観光旅行なんてガラじゃないし、

温泉旅行なんてとんでもない、

俺はすぐにのぼせ上がっちまうんだ、いろんな意味で。

演奏旅行にはちょっと食傷気味だし、

逃避行でもない。

特に何かから逃げ回らなくちゃならないって訳でもないから。


・・・いや、でも結局は

オブセッションっていうモンスターから

逃げ回っているだけなのかも知れないな。

・・・・・・・何?



感傷旅行?????????????????





写真の絵はシャガール「白い磔刑」1938年。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オオサカ

2008-08-04 17:52:43 | Weblog

高校生の頃から(佐治の影響で)

ブルースやソウルが好きだった。

オーティス・レディング、サム・クック、ウイルソン・ピケット、

マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、エルモア・ジェイムスETC.ETC・・・・・・

高校を卒業して俺達は大阪に住んで、バンドをやることにした。

大阪と言えばブルース、ソウル!

というイメージがある(あった)みたいなのだけど

でもそのせいで大阪に来たわけではない。

俺が大阪に来たのは、

佐治が「都市」としての大阪に強烈に憧れていたからだ。

俺は、彼の情熱に感化されてしまったのだ。

大阪という地が独自のブルースやソウルを育んでいることは

全然意識しなかった。

住むようになってからも

例えば上田正樹を街で見かけるようなこともなかったし(笑)。

お笑い芸人はいっぱいい歩いていたらしいけど(興味がないので知りもしない)。


俺達が取り憑かれたように通った

日本橋の裏通りのブルース・バー「フォア・ローゼス」

でマスターに、憂歌団の1stアルバムの裏ジャケの写真が

天王寺だ、と教えられたくらいか。

でも「フォア・ローゼス」でも日本のは、かからなかった。

白人の・・もかからなかったな、そういえば。




日本のブルース、ソウルは全然、聴かなかったのだ。

今でも聴かないから、あまり知らない。


1980年代後半、大阪の街はハードコア・パンク一色みたいに見えた。

俺達はその中で、ブルースとソウルに根ざしたロックをやった。

それこそがロックの本道だと信じて疑わなかった。

今でも、そう思っているところが・・ある。

結局のところ、俺は何も変わっちゃいないのだ。


あれから20年以上経った。

いろんなことがあって、

いろんなことが変わってしまった。


事情は何もない、そうしたいからそうするだけ・・なのだけれど。


俺はこの夏で、大阪を去ります。



俺は東京で生まれて、少年時代を広島で過ごし、

奈良に住んでいたときにランブルフィッシュになって

佐治と一緒に大阪にやって来た。


そして今。

俺は京都へ行く。




どこまで流れて行くのでしょうか(笑)。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かけら

2008-08-04 13:57:26 | Weblog


俺達の「心のかけら」は

この街のあちこちに

まだ

残っている


谷町筋に 

御堂筋に

千日前通りに 

あびこ筋に


あの秋の日の悲しいパレードや

狂騒的な真夜中や

平熱的に白茶けた朝

これから飲みに行くぞ、って時の夕方

何にも予定のない真昼間


夏はやがて終わるだろう


そしていつか

全部

消えるだろう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする