そうかと思えばオケラの気持ち

2011-02-27 00:09:41 | Weblog



少し前に読んだ「女性納棺師」の人の本の中に、

印象的な言葉があった。

「人間は、年を取るごとに、

”生きること”自体が目的になっていきます」

というような。


そっかぁ・・・・と思う。


もし本当にそうなら

年を取るって、すごくいいことじゃないか。


いつか俺も自然に、そんな風になれるだろうか。


いろんな物事が年月を経て、

雨風にさらされて磨耗して、

すべてのものが色褪せる。


そんな世界にあっって

”生きる”ということはやはり

それ自体が「目的」そのものであって、

何らかの「手段」ではないだろう。


そういえば

「♪ミミズだって、オケラだって、アメンボだって・・云々」

という歌があったが、

ミミズ・・・・・ミミズに感情移入するのは、ちと難しい。

目もないし、

土(のなかの微生物とか)を喰って生きる、なんてなかなか

壮絶ではあるが。

でも、オケラならまた話は違う。

オケラって鳴くんだよ、知ってた?

無性生殖のミミズに比べたらはるかに親近感が持てる。

しかし、何で「一文無し」の状態のことを

「オケラ」って言うんだろうか?

昔、よくボケロウがポケットの裏地を全部出して

「オケラ・アピール(笑)」(一銭もない、と言いたい)

というのをやっていたのを思い出す。


・・・まぁそれは置いておいて、


アメンボの人生もなかなか、良さそうではある。

(だって楽しそうじゃないか。)

しかしミミズもオケラもアメンボも、

「人生の目的は生きること」などと

考えてたりは、しないんだろうなぁ・・・・・・・・


いや、そうかと思ったら全部知ってて、

そんなことわかりきってるから、思いもしないのかな。

意外と毎日、そんなことばっかり考えながら

暮らしてたりしてね。


真相は、誰にもわかりはしないのだ。







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夢の傾向

2011-02-25 09:12:22 | Weblog
1999年までやっていたバンドの4人で

薄灰色の憂鬱の中

機材車で、また東京を旅している夢を見た。


夢の中では再結成することになっているみたいで、

下北沢のCLUB251で出演日の仮決めまでした。

(何故251?)


不思議。


「また始まるのか・・・」ってうんざりしているのに

何故やるか?


ある種、「悪夢」である。



最近は何故か、夢の傾向が少し変わってきていて、

ここのところずっと長い間、

深層心理的な・・・心が洗われるような夢ばかりで、

睡眠時間が至福でさえあったのに、


一昨日なんかずいぶん久しぶりに、

オバケ系の怖い夢を見てしまった。


こういうのも何かひとつの、啓示なのかもしれない・・・

つまり、「寝てばかりいないで(笑)、新しい事を始めなさい」

という。


決して、「再結成しなさい」ということではない。


万が一、そういう啓示だったとしても、

俺はやらないが。





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だからどう、ってこともないのだけれど。

2011-02-24 09:42:43 | Weblog

いろんな事があって、いろんな人がいる。

本当に鼻持ちならない・・というような

どうしようもなくイヤな奴がいたかと思えば、

とても純粋でしかもお人よしで・・・というような人もいる。


消えてしまいそうなものは美しいし、

消えてしまったものはもっと美しい。


最近、けっこう厭世的ではある。

人生があと「どれくらい続くか」はわからないのだけれど、

その間に、何回君に会えるんだろうね?

いつかはこの世界にあるものすべてと

お別れしなくちゃならないなんて、ちょっと気が遠くなるよな。

念のために言っとくと俺は健康そのものなんだけど、

それでもね。


まぁ、それはそれとして。


ふと思ってしまうのだけれど

俺は

日常のいろいろな場面で

自我を押し通して「勝つ」ということに

昔から興味が持てない。

こういう奴は「強い人間」にはなれない。

”物事に執着して、その体験から学習する”

ということをしないから。


それでも時々は「強い人間」に憧れたりもする。

でもそうなりたい・・・と強く願ったりもしない。

イヤなことはすぐに忘れてしまう。

「すべてが終わった世界」に、漠然とした憧れを抱いている。


だからどう、ってこともないのだけれど。

そんなことを

ぼぉっと考えていたのです。

コメント (2)
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DO

2011-02-18 14:48:58 | Weblog

やりたいことがやれるのは幸せである。

やりたいことが思いつかないような時もあるのだ(多分)。

完璧に出来るかどうかは別として、

とにかく、やるのだ。

うまくいくかもしれないし。

そしてもっとうまくいけば、

誰も見たことのないような風景を、

この世界に現出させることが出来るかもしれない。

すごく嬉しかったこととか、

とてつもなく打ちのめされたこととかが、

全然別の形をとって、

同じくらいの熱量を放出するかもしれない。

そしてそういうのを誰か(心ある人)が、

気に入ってくれるかもしれない。


とんとん拍子にうまくいくとは限らないが、

考えてみたら俺だって、

とんとん拍子にうまくいったことあったんだぜ。

信じてくれなくてもいいけど、本当に。

そりゃ、ドツボにはまったこともずいぶんあったけど。


でもまた、うまくいくってば。

そんな気がする・・・ちょっと予感もある。

とにかく一歩、踏み出してみようぜ。


イメージを強固にして、

尊大なくらい自信を持って、

あてずっぽうの方角に狙いを定めて。


いとも簡単に。




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現在形

2011-02-17 09:32:17 | Weblog




絶望の低空から長い間、物事を見ていた。

そのうちに いろんな偶然が結びついて・・

君が僕の目に前に現れて、

それからすべての事がスピードアップしたんだよな。


思い出せることは、大してないのだけれど

早送りのビデオみたいに、

もしくは映画の予告編とか、ダイジェスト版みたいに。

ただ断片だけが浮かんでは消える。


もう、いろんな要素がごちゃまぜのいっしょくたになって、

ただ

僕の頭の中でスーパーノヴァみたいに爆発する。


それにしても

現在ってやつは、どうしてこんなにも 捉えがたいのか?

僕は少しでも、時の流れを押しとどめたいだけなのだけれど。

ほんの少しでもいいから。


でも無理なのだ。


一秒経てばきっちりと「一秒後」がやって来る。

ふっと気付いた時に僕はもう、「明日」にいる。

その繰り返しだ。


僕はもう、

何ひとつ失うわけにはいかないのに。








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親和性

2011-02-16 09:42:00 | Weblog



僕から見ると何もかもが

圧倒的で壮絶で美しくて、

そんな風にしか言えないのが自分でも、

馬鹿みたいだし、歯痒かったりもするのだけれど。

「世界」って奴には全く、取り付くしまもなく

僕のアイデンティティはめりめりと音を立てて

崩壊していくばかりなのだった。

とか言って・・

そもそも そんなものが確立されていたかどうかさえ、

ちょっと怪しいんだけどね。


過ぎてゆく時間と、千もの色彩。

点滅を繰り返すのは、「まだここに居るよ」というサインでもある。

夜は凍りつけばつくほど親和性を増し、

そんな時はいつも、

不可思議な夢の中で迷子になったりする。


深みにはまって抜け出せない、その感じ。

決定的なことが起こってしまった時の、

奇妙に静かな、心の色。


僕は何もかもを追体験しようとしているのだ、

何もかもを。

そんなのが不可能だなんて、

小指の先ほども思わないんだ。


そんな風に現実を拡大解釈するみたいにして暮らしている。

そういうのが幸せなのか、それとも不幸なのか。

僕には

判断のしようがないのだけれど。




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巨大で鈍重な船

2011-02-15 19:37:43 | Weblog



とにかく、”物事”というこの「大きな船みたいなやつ」を

何とか水面に浮かべたままで、どうにかして

さらに前に進めるのだ。


小さなことは後からやればいいし、

細かいことなんて気にしてはいけない。


空振りしたり、ずっこけたりすることはそりゃ多いけど、

それは「宿命」だと思っておく。

だって、それ以外に考えようがないじゃないか。


「船」は、恐ろしく重い鉄で出来ているので、

大体が浮かんでいること自体、奇蹟だ。

そしてもちろんだが、少しずつ錆びていきつつある。


でも そんなものでも 俺にとっては「全て」なのだ。


他の奴らからどんな風に見えるのかはわからないし、

それはどうでもいい。


目標は、「航海を続けること」、それだけだ。


目的地なんか、もはや忘れた。

・・・さっきまで覚えてたような気がするんだけど、

忘れたものは忘れた。

行きたい所さえ、今はもう ないような気さえするのだけれど、

燃料はまだあるみたいだから、とにかく進む。


「灯」を絶やしたくないからなのかも知れない。

何もかもを忘れてしまうのが嫌だからかもしれない。


俺達の存在が実は、何の意味もないものだったとしても、

そんな風に思いたくないのかも知れない。




夜は深い。

陸地さえもう(まだ?)見えない。


僕は海の底のことを思う。

そこに沈んでいる”哀しみ”について考える。


深海の世界では、昼間も夜も、大して違わないのかな。


それとも 実は、

大違いなのかな。












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昨夜

2011-02-12 13:27:10 | Weblog


昨夜は近鉄電車で奈良まで出掛けて行って、

バンド関係の友達数人と飲んだ。

気のいい人達がいて、暖かい食べ物と

音楽とお酒があって、

そういうのって本当にいいものだ。

単純だけど、とても幸せに思う。

奈良は雪がたくさん残っていた。

とても寒い夜だったけれど、

心はほっこりしたのだった。

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遍在する、ということ

2011-02-11 07:14:39 | Weblog


ひとの一生、というものはもしかして、

壮大な実験なのではなかろうか。


「私」という一個人が、

どんな環境で、どんな容貌、能力、性格、才能・・

をもって産まれ、

それが社会の中でどんな風に変容し、

関わっていくか・・・という実験。


では、誰が実験しているのか。「主体」は、どこにあるのか?


我々は、「自然」な存在ではない。

何かしら、一定方向に向けて、

この世界で生きることをはじめから決定されている。

「生き残る」ことを期待されている。

何者かに、そういう操作をされている。


「何者か」という存在として人類は世界のあちこちで、

「神」という概念を作り出した。


さもありなん。


俺は「汎神論」みたいな考え方って、けっこう好きだ。

「神は遍在する」という。


「神は存在するのか?」という問いに対して、

いちばん説得力のある答えが、これではないだろうか。


「神は遍在」する。

空気のように、水のように、

アマゾン河におけるピラニアのように。

愛のように、嫉みのように、恵みの雨のように。


避けがたい痛みのように、孤独のように。

そんな風に、きっと神は遍在するのだ。


人生と言う実験には、成功も失敗もない。

勝ちも負けもない。

善悪も。


あるのは、ただ「それ」だけだ。





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そうなりたい

2011-02-09 07:58:21 | Weblog




生臭さだとか、生々しさ、涙とかそんな、

たっぷりとした水分にまみれた、現在。


水気なんか全部抜けて、

「観念上の思い出」みたいに、早くなれればいいのに。


全部が終わってしまった後にふっと、

いいことだけ思い出したりするような、

そんな風に。


でも無理かも知れない。

どれだけ考えて、

くだらない冗談を黙殺したとしても、

我々の本質はウェットだったりするからだ。


カラッカラのドライじゃあこの地球上に、

生命すら発生出来なかっただろうし。


おまけに我々、陸生動物は体の中に、

血液という海水の名残を循環させている。

そうしないと生きられない。

生命は水なしでは、ありえないのだ。




それでもやはり、ドライに憧れる。

硬質プラスティックのドライ、

からからに渇いたオールド・ギターのごとくドライ。


汗なんか一粒もかかないし、

花粉がいくら飛んでも

ハナミズなんか流れない。


そんなドライ。






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