「戦わずに」生きて行くには?

2014-07-31 20:19:40 | Weblog

ある人は「貧困」と戦っている

ある人は「飢え」と戦っている

ある人は「差別」と戦っている

ある子供は「いじめ」と戦っている

ある人は「肉親」と戦っている

ある人は「自分の不完全さ」と戦っている

ある人は「自分のエゴ」と戦っている

ある人は「自分の傲慢さ」と戦っている

ある人は「社会」と戦っている

ある人は「抑圧」と戦っている

ある人は「向精神薬」と戦っている

ある人は「後遺症」と戦っている

ある人は「PTSD」と戦っている

ある人は「忘れられない過去の悲しみ」と戦っている

ある人は「絶望」と戦っている




このことを認めるのは哀しいのだが・・・・事実そう感じるのだからしょうがない、

「人生は戦いである」。



(だからと言って「戦争」を肯定するつもりはない。

むしろ、その逆だ。

この世は、ただ生きていくだけでも大変なのだ。

「戦争」だの「紛争」だの、やってる場合ではない。)



大体が

「生命活動」と「エントロピー(の増大)」は、

全く逆のもの、「相容れないもの」だと思う。



すべての地上の生命は、

それぞれの全人生をかけて「エントロピー(の増大)」と対決せざるを得ない。


老い

腐敗

劣化



死・・・・・・・・・・・愛する者の「死」。




もし我々が「植物」なら、

自己完結したまま生きていけるから、いいのだ。

(「植物」は太陽光と二酸化炭素と水があれば生きていける。)


でも

我々「動物」は

他者を殺して(「植物」も「他者」だ)、

取り込んで(食べて)いかなければ生きていけない。



そのことを否定するつもりもない(否定するなら自滅の道しかない)。








毎度のことで飽き飽きするが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結論は出ない。






















どうやって「戦わずに」我々は生きていけるだろう?







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夏、雑感。

2014-07-29 19:24:35 | Weblog


はっ!・・・と気付けば世間の様相は既に

「真夏」

で御座います。

いつもいつもそうなんだ、

「奴ら」は私なんかにゃ何の相談もなく、

否応もなく、

問答無用で。

その結果、「真夏」は

私と私をとりまく すべての事象の上に

覆いかぶさっている。

蝉は鳴くわ、

蛙は鳴くわ、で

エライ騒ぎでありんす。

それでも、こう・・・何と言いますか

「生命感」に溢れる感じは、悪くない。

「楽しめること」が無尽蔵に降る雨のごとくにやって来る夏。

しょうむない「軋轢」や「ゴタゴタ」は

通り雨のようにあっさりと去って行ってくれることを

アタシは望むばかり。

いつもそうなのだが、

「いいこと」も「悪いこと」も繰り返し繰り返し、

私のもとを訪れては去って行く。

「幸せ」だったときの記憶だけを胸に私は

生きて行くし、

それより他に道は ない。

それにつけても「夏」は

追憶するべき出来事がテンコ盛りで 大盛りで、

それだけでは足りずに

これからも「出来事」は私のもとを訪れるであろう、という予感もあって、

溜め息をつく暇もない

悲しみに浸る余裕もない。

それでもそんなものかしら・・・と

諦め気味の今日この頃。

それではお後がよろしいようで、

このへんで本日はサヨウナラ。






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正垣祐樹・ベートルズ・生音・生声ライヴ@中書島MICA

2014-07-28 20:36:22 | Weblog

2014年7月26日は

京都・中書島・ライヴ喫茶MICAにて

大阪の誇るオルタナ・フォーク・ロック・シンガー・ソング・ライター、「正垣祐樹」と

EX・コケッシーズのVO,ベーちゃんこと「ベートルズ」のライヴだった。

PAもマイクも使わない、生音・生声でのライヴ。

極上に良かった。

アコースティック・ギターの音はやはり、

PAを通さずに、生で聴くのが一番いい音。

それが実感できたし、

本物のボサノヴァを(ガットギターで)弾き、歌う べーちゃんの現在の音楽的スタンスもとても素敵だった。

あの大ヒット曲、「ピクミン~愛の歌~」もやってくれた(あれは本当にベーちゃんが歌ってるのだ)。

ヒット曲を持ってる、ってすごいなぁ。

そして

渾身のNEWアルバム「THE MOON」をリリースしたばかりの正垣の

はちきれんばかりの歌心が、素直に雄弁に響いたライヴ。

今まで見た正垣のライヴの中でも屈指!の良さだった。

率直に言って、感動した。


俺が正垣祐樹と出会ったのはもう、20年も前のことになる。

今や、我々は「盟友」である・・・・・と俺は勝手に思っている。

正垣祐樹の歌は、とても繊細で素敵だ。おまけに知的でユーモラスでもある。

ベーちゃんとの競演も、デリケートで、ほっこりして、とても素敵だった。

ベーちゃんとは俺が会うのは、テキサスでのSXSW以来か?

もしかしたら、本当にそうかもしれない。

(ベーちゃんの「コケッシーズ」と、俺が在籍したバンド、「ばるぼら」は

1998年のアメリカはテキサス州、オースティンでの「サウス バイ サウスウエスト」という

コンヴェイションで競演したのだ。)

それはまあ、それとして。


とてもとてもいい夜だった。

そしてそのあと

正垣と、

この日はお客さんで来ていた「ワームス」のギタリスト、赤井くんが

酔いどれてウチに泊まっていった。

次の日・・・・・夕方からまた飲みに、

近所の居酒屋に繰り出した我々なのであった。

ははは。飲み過ぎたですわよ。




正垣祐樹のNEWアルバム「THE MOON」については

近々、この日記でレヴューする予定。

すごくいいアルバムだぜ。









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散文詩 2014 夏

2014-07-25 19:44:35 | Weblog




幹線道路は「とにかく何処かへ」と逃げ出す人々の行列


君の「兎っぽい瞳」も この頃では暗く沈みがち


小さな声で発言したって誰も耳を貸してくれやしない


僕らの手は汚れたままで


どこで浄化すればいいのかってことすら わからない


決定的に大事なものを失ったまま 川は流れ続けている


もうあの頃とは違うんだ、


君はもう そのことを知ってしまったんだね?


僕等は少なくとも 自分の身くらいは守らなきゃいけない


映画みたいにエンドマークが降って来るような世界じゃない


そこかしこで囁かれているのは


愛の言葉じゃなく 陰謀論


倫理でがんじがらめにされた武器たちを解放してあげたいのかい?


誰がどんな風に生きようがそりゃ 勝手だけどさ


君だって僕だって自由なことに変わりはない


「愛」の市場価格なんて暴落したままで復活の兆しもない


そう


天文学者達は今年もペテルギウスの話をしてるよ


僕は今でも切れ切れの夢の中で非現実的な君と会うことがある


いつかすべての出来事を懐かしく思うだろう



いつかそんな日が来るだろう

























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平穏に生きるのはムツカシイ。

2014-07-23 17:15:01 | Weblog


世界はものすご~く複雑で、

僕にはとても、全部を理解することは出来そうもない。


でも 考えてみたら

「(誰もが)世界を理解しなければならない」という法があるわけではないので、


誰も彼もが

「世界」を誤解したまま生きていて、

それはそれで いいのだ。


それでも 時々はウンザリしてしまうよね。


つねづね、

「本質こそが大事なのだ」ということをテーゼみたいにしてて、

だから考え事はどんどん、

チューショー的になっていったりする。


そうすると 現実的なアレコレがオロソカになって、

何もないところで けっつまづいたりして、

恥ずかしい思いをせねばならなかったり、する。


平穏に生きるのはムツカシイ。


誰もが「ストラグル」を抱えて生きているのだろうか?


僕から見ると「他人」というのは それぞれ、

「自分に満足している」ようにしか見えない。


「他人」がやたら良いように見えるときって、

自分と自分の状況が

「駄目駄目」としか言いようのないもの・・・だったりする。



どう頑張ったって「他人」にはなれないのだから、

とにかく

自分自身をアキラメずに行こう、


と思うのだ。








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キャンプ2014年・夏

2014-07-22 18:39:59 | Weblog

ザ・コーヒー&シガレッツの超絶ギタリスト、

ウエダマンさんとキャンプに行ってきたんだぜ。

場所は、大阪・貝塚の渓流園地。

それはつまり、今年の9月6日に行われる

「ハミングバード フェスティバル」の会場である

「そぶら山荘」の横の、キャンプ地だ。

俺と、俺のつれあいの人と、

ウエダマンさんは”R&Rレディオ”の仲間である「タッキー」を連れてきた。

たった4人のこぢんまりキャンプだったのだが、

最初から最後まで、最高に楽しいキャンプだった。

ウエダマンさんのつくってくれる料理の豪華なこと!

「タッキー」とは初対面だったのだけど、ナイスガイだったのですぐに友達になれた。

オンガクの趣味がいい・・・というか、

いろんなことに対して趣味がいい人。ギターも上手い。

夜は三人ともギターを持ち出して、セッション三昧だった。

ウエダマンさんのギターはやはり絶品である。

小さな川が流れる、水道すらないキャンプ場。

夜になってから鳴き出した鳥は、確実に我々のギターの音に反応する。

久しぶりにオンガクの話や、ラフなセッションを

ゆっくりと、心ゆくまで楽しんだ、という感じ。

9月も、楽しみだよ。

もちろん、コーヒー&シガレッツも、ROCA’66も出演するので

2014年、9月6日は絶対、

貝塚市の山の中にある「そぶら山荘」の野外ステージで行われる

「ハミングバード フェスティバル」に来て欲しい。

雨天中止(笑)。遠足みたいだな。

「そぶら山荘」への行き方は、またゆっくり、この日記でもアップするので。




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NEVER

2014-07-20 09:53:50 | Weblog



まだ何も終わってなんかない。

解決には ほど遠い。


そう

君は随分 長い距離を旅して来た、

でもまだ途中、道半ばだぜ。


「達成」なんて何一つしてないし、

「到達」もしてないんだってば。



投げ出したりするときじゃないよ、

まだまだ続くんだからさ、

君が望んだって、そうじゃなくたって、関係なく。


君はいつだって、

台風の日の屋外の

カラカラに乾いた小さな葉っぱでしかなかった。

これからも、そうなのだ。

外界の風によって運命を翻弄されるってこと。


それは 君だけじゃなく、みんなそうなんだけど。

だから そのことは、

あんまり悪く考えないほうが得策だと思うよ。


つまり・・・・

被害者的に生きることは出来るし、

そういうのが一概に「悪い」とは言えないんだけど 少なくとも・・・

僕らが目指してたのとは違うと思うぜ、ってだけの話。


まあ、とにかく

予言されてたように(されてたよね?)

陽はまた昇ったし、

そんなに悪いコトばかりじゃない、と思う。

そう願いたい、ってだけのことかもしれないけど。








それじゃ、また。









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HONEY

2014-07-16 16:42:13 | Weblog


驚くなかれ。


今月号のファッション雑誌「CUTIE」 08月号(宝島社)

の誌面のそこらじゅうにフィ-チャーされている

「HONEY」という名のモデルの女の子は何と、

あの

ランブルフィッシュの佐治朝吉の

娘さんなのだ。



33ページに載っている「HONEY」のプロフィールには

彼女の「宝物」として、

在りし日の 佐治朝吉の写真!まで載っている。


HONEYさんの年齢は18歳だそうだ。

そうだ、俺、この子がまだ赤ちゃんのときに、何度も会ってるぞ。

コドモが成長するのって、ゆっくりなようで、早いものだ。


それにしても、

時間なんて アッ!という間に過ぎ去ってしまったように見えるけど、

そうではない。

それくらいの膨大な「時間的距離」を我々が、

想像を絶するくらいのスピードで

駆け抜けて来た、というだけのことなのだ。


「追憶」と「予想」という行為がなければ

「過去」も、「未来」も存在しえない。



「この一瞬」という

ほんの微小なヴィークルに乗っかって

我々は、

行くのだ。


行けるところまで。








それにしても

モデルのHONEYの可愛いこと。


そうそう、おとといは佐治朝吉の誕生日だったんだよ。

ふふふ、おめでとう。










雑誌掲載の写真を載せるのは控えたので、

売り切れる前に本屋で「CUTIE」08月号を買って見てね。



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偏屈

2014-07-15 16:02:40 | Weblog



何を始めるにしても、何を終わらせるにしても・・・・・・・・

遅すぎる、ということはない。


「生きていくこと」が試練であれ、ご褒美であれ、

どちらにしても 我々は

その時、その時を生きねばならないのだ。

だから 躊躇している場合ではない。

「ダメもと」で行くのだ。


恥なんかもう、嫌ってほどかいてきたから

この先、「恥をかくこと」なんて怖くはない。

恥をかいたくらいで傷つくこともないし。


そう、俺はもう『傷つく』ことも止めたのだ。


「図太く」なれたのか?と聞かれたら 自信はないが、とにかく

他人がどう思うか?ってことに惑わされるのは馬鹿馬鹿しい。

心からそう思う。


俺が正しいってことは、俺だけが知ってりゃいいのだ。


正しいって言うか・・・・

俺はそういう風にしか出来ない、ってこと。


年々、偏屈になって行ってる気はするのだけれど、

それはそれでOK、ってことにする。


ある種の開き直りってのは

少しでも生きやすくするための「手」ではあるから。










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長く生きること

2014-07-11 18:39:26 | Weblog


ずっと前に

電車の中で

「ギャー!オバンになりたくないー!」と

絶叫している女子高生を見たことがあるのだが、


多くの若い人が思ってるほど、

「歳を取ること」は、悪いものではない。


俺なんか逆に、

若い頃(幼い頃)はやたら不自由で、窮屈で、

嫌だったよな・・・・と強く思ってるくらいだ。マジで。


・・・・・・・・・・・・・そう思ってる人も、いるよね?


っていうか

そういう人のほうが多いんじゃないか、と思ってるんだけど。


「他人が『本当は』何を考えているか」というのは実は、

永遠にわからないので、

もしかしたら「若かった頃は良かった」などと本気で思いながら

日々を過ごしている人も、いるかもしれない。


確かに

「人生のロマンティシズム」みたいなことに限って考えると、

その点だけは、若いときのほうが、良い。


何しろ、先のことがすべて未知なのだから。


いや、今だって明日のことすらわからないものではあるのだけれど、

「経験してないこと」より「経験済みのこと」のほうが

アットー的に多いのは明白な事実で、

「(未経験の)楽しいこと」なんてみんな終わっちまったんだ、などと

考えるのは哀しい。


しかし明日が「未知」なことに変わりはなくて、

それならばこの先に、

何か驚くような素敵な出来事が待っているかもしれない。


大体、人生があと、どれくらい続くか・・・・・・・・・

それさえ全く、わかりはしないのだ。


科学や、医療技術の進歩で、俺達くらいの年齢の人間でも

「あと100年生きられる」ってことに

ある日、ならないとも限らないんだぜ。


そーゆーのはちょっと、希望的過ぎるかな。


でも「長く生きること」は、果たして『希望的』なのか?


・・・・・・・・・・・・うーん。

わからない。



でも

きっとそうなのだろう。



そう思いたい。














でも少なくとも

下らない「放射能」や、「戦乱」のせいで死にたくはないな。









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