J・D・サリンジャー死去!

2010-01-29 07:47:34 | Weblog



・・・・?何故新聞に載っていないのか?

(あ、間に合わなかったのか。)




サリンジャーが亡くなったそうだ。

享年91歳。

彼のこと考えるたびに、

「人間の幸せとは何なのか?」と考えてしまうのだけれど。


世界一有名な世捨て人、

ジェローム・ディビッド・サリンジャーの一生は、

幸せだったのだろうか、それとも

不幸だったのだろうか。


・・・どう見ても不幸そうなんだけど。




未発表作品は、少しずつでも

世に出ていくだろうか。






ちょっと喪に服した気分で黒ずくめで、

俺は今日から、

「冬の旅」に出ます。
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集合無意識、製作者の意図。

2010-01-27 20:44:41 | Weblog


眠っていて見る「夢」というのは実は、”集合無意識”を見ているのだ  

という説を、最近 見かけて驚いた。

・・・・本気で言ってるのだろうか。

もし、それが本当だったらスゴイことだ。

だってそれなら

我々の無意識は他人と、いや、万人と繋がっていることになるし

もっと言えば生物全体としての

共通の基盤(のようなもの)を持っている・・・

ということになる。


これは晩年の中島らもが作品の中で言っていたこと、

「人間は”島”である。はるか海面下ではすべてが繋がっているのだ」

というのと共通する。


と、ここまで書いてから気付いたのだが、これは

「個は全である」というような”ニューエイジ思想”にすごく近いな。

俺はニューエイジ思想は、うさん臭いと思ってるのだ。・・むむむ。

まあいいか。


ところで、「共通の基盤」というところで思ったのだが

無意識とかの精神の領域はともかく、

肉体としては我々人間・・・いや動物は

確かに、共通の基盤みたいなものを持っている。


だって目は二つだしその下に鼻の穴があって、口があるような顔をしているし、

造りはだいたい・・・左右対称に出来ているし、

手や足みたいな「四肢」を使って移動する。

例外もたくさんいるけどね、もちろん。

でも例外のないこともある。それはつまり、

間接的にでも「太陽光」を必要としない生物はいない ってことと、

どんな生物も、体の成分の多くは「水」だ ってこと。


大雑把にみたら我々は、誰であろうと・・・

大して変わりゃしないのだ。

ははははは。





ところで!

哺乳類のオスに何故、乳首があるのか知ってる?


哺乳類の体は、母親から直接産まれる関係で

メスをベースに出来ているからなのだそうだ。

だからその名残りがあるんだって。


だから(って事もないのだろうが)

鳥類とか卵から産まれる生物は、オスがベースになっているんだってさ。


何だか、

「製作者の意図」がわかるような話・・・・・・。

などと思ってしまうのだけれど。


どうなのかな。





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永遠の黄昏の国

2010-01-24 20:24:00 | Weblog



今日作った、

まっさらな新曲。完成までこぎつけることが出来るかな。


「永遠の黄昏の国」


失望が雨のように降り続くそんな日々

いまひとつ手の届かない今日


言葉だけが空廻る 僕は何が怖いのか?

夢の中で目覚めていたような


いまならばわかる 君の持つ空虚

失った光の ありえなさ


誰かが誰かに嘘をつく そんな連鎖の繰り返し

ガラクタとタカラモノが混ざる・・混ぜられる


永遠の黄昏の国で 君は静かに笑うのさ

何もかも手放してしまった


今頃わかる  リアルな空虚

鮮やかな光のはかなさ



何もかもが変わる

世界は止まることがない

君と僕が見たのは

ほんの短い夢



どこまでも続く夕方は

永遠の黄昏の国・・・。




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ライヴ、映画。

2010-01-22 19:58:38 | Weblog



昨夜は近所にある、

喫茶店のようなライヴハウスのような、

普通の家のような・・・お店、中書島”MICA"に

まあちんとおくだちんのユニット、

「虹色エレジー」を観に行った。

普通の民家みたいな外観なので、防音とか多分、

一切ないのでしょう、PAナシの

なんと生声ライヴだった。

でもすごく良かった。

おくだちんのピアニカも可愛かった。

幸せな夜だった。


お店には浅川マキさんのライヴのチラシとか、

マキさんのインタヴュー新聞記事とか張ってあった。

近くに良いお店があるんだなぁ。


ところで今日。

SFファンの俺としては、

これは映画館で観なければ・・・と思ってた、

「アバター」を観に行ってきたのだ。3Dの立体映画。

調べたら「IMAX3D」という方式の3Dが最強らしいのだが、

関西では大阪・箕面の「109シネマズ」というところしか

IMAXの映画館はないのだ。箕面は、ちょっとだけ、遠い。

ちょっと迷ったのだが、こーゆーの一緒に行くなら

佐治しかいないし、

(昔、「スターウォーズ”エピソード1”」も佐治と二人で観に行った)

だから当然、一人で行ったのだが

佐治ならどうするか?と考えて・・・・・・

箕面まで観に行ってきた。


クルマで一時間ちょっとかかったのだが

その間ずっと浅川マキ初期作品集DARKNESSⅢを

カーステの、テープで(!)聴いていたので

道中、なんだか佐治と二人で

マキさんの追悼ドライヴをしているような気になった。


はるばる出かけて観たIMAX3D版「アバター」は、なかなかのものだった。

映画自体も完成度が高く、ハラハラドキドキさせてくれた。

3Dナシでも充分キレイでスゴイ映像だと思うけど。

異星の森とか、異星の動物達とか。人類の近未来兵器とか、

宇宙船とか。CGなんだろうけど、CGとは思えないくらいだ。




佐治なら、何と言っただろうか。



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そんな感じ

2010-01-20 15:23:12 | Weblog


「アングラの女王」と会談して、

パーティーは全部キャンセルした。


底冷えのする街に閉じこもって、

ナイーヴでヒステリックな自分を少し持て余し気味。


だけど悲しむのはやめよう、

僕が悲しむのを見て君が悲しむから。


すべてをそんな調子にして、

チューニングをロックして生きて行こう。


かつて俺は「女王」の横で、

例の調子っ外れのギターを大音量で

鳴らしたのだ。


「女王」は俺の背中を押した。


そのことは今でも、

はっきり覚えているんだぜ。


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あの女(ひと)が死んだ

2010-01-18 20:53:38 | Weblog


さっき彼女の

レコードをかけたら

一曲目のはじめから

「ゆうべあたしが死んだ」と歌ってた。




昨日、浅川マキさんが亡くなったそうだ。


彼女は最後まで歌い続けていたのだ。


ステージでバランスを崩して、

倒れそうになっても

「大丈夫に決まってんじゃないの」と強がっていたのは

ついこないだの京都でのライヴでのことだ。


「死」は彼女の歌の中でも、

大きなテーマであった。


彼女はいつも

「死んだ男たち」と共に生きていて、


だから何も変わることなどないのかも知れない。



俺は、何てことのない日常の一瞬に、

「マキさんは今、何をしてるんだろう?」

と思うことがあった。


この世界のどこかで浅川マキが、

生きて暮らしていることを俺は、

何か「心のささえ」にしてるようなところがあった。


でも もう彼女は眠りについたのだ。


さようなら、マキさん。

いつかまたお会いできるような気が、


まだしています。

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「虚構の庭」

2010-01-16 21:37:00 | Weblog



とてもぶ厚い「虚構性」という壁が

俺達の間にそびえ立っていた。


・・・だって言っとくけど俺は君の、

顔さえ見たことないのかも知れないんだぜ。


そんなこと言いながら俺はここでこんな風に

深海魚みたいに深く考え込んで、

いつの間にかそういうのが癖になって、

でも結局は指一本動かせやしないんだ。笑ってやってくれよな。


思うんだけど、結果としてわかり合えないんだったら

話なんかしたって無駄だぜ。


それだったらこの「虚構の庭」みたいな所で手探りで

垂直に井戸を降りて行って、

そこに存在するのかしないのか定かではない君に

抽象的だけど何かを伝えたような気になったりして、

そっちの方が100倍マシだ、そうじゃないか?


無理にわかりにくくしてるつもりはないんだ、

だってそんなことする必要はないもの。


でも抽象的にしか伝えられない事柄ってのはちゃんと存在するんだ。


俺は現実的な人間だし、

地に足をつけて生きているつもりではある。

ふわふわ浮かびながら生きる方が

そりゃよっぽど楽だろうけどさ。


ふわって空に向かって浮かび上がって、

そのまま、虚構の国の住人になるんだ。


そんな風に言うとちょっと素敵な気もするだろ?

そういうのもいいかな?って思ったりとかさ。


・・・でもちょっと馬鹿みたいだよな。(暗転)







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レコーディング

2010-01-15 22:00:39 | Weblog

今朝、電車で

「レコーディング ダイエット」という本の広告を見かけた。


・・・・いや、ダイエットの話をしようというのではない。

「レコーディング」の話だ。


「レコーディング ダイエット」という場合の「レコーディング」は

単に「記録する」というだけの意味合いだろうと思うのだが、

俺が「レコーディング」という言葉から連想するのは

何か もっと神聖で、大切で、デリケートで・・・・

一生のうちでそう何度も経験出来ることではない、というような。


・・・言うまでもなく、バンドの、曲のレコーディングである。


さかのぼって高校生の頃は佐治の部屋で、

しょっちゅうレコーディングをしていた。

4トラックマルチレコーダーなんてまだ普及してなかったから

佐治だって持ってなかったのに、

どうやって重ね録りをしていたのか?

・・・謎だ。佐治にしかわからない。


初めてスタジオで、本格的なレコーディングをしたのは

21歳の頃、12インチアナログレコードで

ランブルフィッシュの「青の時代」を作った時だった。

大阪の本町のスタジオで、確か24トラック、

マスター音源はA-DATだった。

A-DATってわかる?音源を何と、ビデオ・テ-プに落とす、

デジタル・オーディオのこと。

今はもう消えてしまったかも・・だけど、

当時はオープンリールの次世代がこのA-DATだった。

懐かしい。


そのあたりの時代に、よく佐治の家のガレージで録音もした。

10曲くらい録って、カセットテープに落として

アルバムとしてライヴで売ったりしていたのだ。

ガレージだからラフなノリで録ったりしてたこともあって、

俺がベースを弾いてる曲なんかもあったりした。


ばるぼら ではMIDI CREATIVEから

アルバムが出せることになって、

東京のかなりいいスタジオをまるまる2週間借り切ってもらって、

友達の家に泊まりこんでそこに通って、録った。

すごく贅沢な気分だった。・・いや実際、贅沢だった。

いま考えてもそうなのだが・・・夢のような気分だった。

だって本当に・・オンガクのことばっかり考えてて、

しかも!それでいいんだぜ?


自分のアンプを持ち込んで、持ってるギターを何本も使って、

友達のギターも、女の娘のギターも借りて持ち込んで。

メインのギターは毎日、弦を新品に換えた。

録音はオープン・リールのデッキも使ったから、

必殺の「テープ逆回転技」も使った。


そうやって作った ばるぼら の3枚のCDは、

本当に大切な物だし、

今でも家で聴いたりする。


嬉しくなるのは自分のギターの、滅茶苦茶さ加減だ。

音楽教育を受けたこともない人間が独学でギターを覚えて、

テクニックなんかどうでもいい、とにかく

メチャクチャにやってやる!っていう音。理論もクソもない。


でも俺としては、やりたいことを思う存分やってて・・・・・

それで嬉しくなるのだ。



レコーディング。


俺はライヴがとにかく大好きなんだけど、

レコーディングも好きだな。

間違ったらやり直せるところなんか、俺にぴったりだしさ。


「ライヴレコーディング」は・・だから、

そんなに好きじゃないんだよ。

聴くにしても・・・やるにしても、ね。



だって「ライヴ盤」って、

缶ビールの「生」みたいじゃないか?





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無意識

2010-01-13 10:41:06 | Weblog


しかし思うのだが

我々の行動のうちで

無意識になされていることの何と多いことか。


無意識。

そしてそれらの行動は、記憶にも残らないのだ。


歩きながら考え事をしている時、

「歩く」という行為はほとんど意識されていない。

「自動操縦」みたいなものだよな。


でもそんなこと言ったら

息だって、意識してしているわけではない。

心臓だってそうだ。


「生きる」という目的とエネルギーを持たされて

この世界に送り出された存在、

それが我々なのだ。


今まで生きてきた膨大な時間のどれくらいを思い出せるだろう?

「生きている実感」を得にくいのは何故だろう?

「人生は夢」なんて半ば本気で考えてしまうのは何故だろう?

生きていくことがすごく困難に思えたりするのは何故だろう?

”何も思わずに生きる”ことが出来ないのは何故だろう?

他人と、本当の意味で分かり合えることが出来ないのは何故だろう?

自分だけが特殊なケースに思えてしまうのは何故だろう?




・・どうして「無意識で行動」出来たりするんだろうね?


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「ON」

2010-01-08 12:12:29 | Weblog



まずはじめに、「やる」か、「やらない」か、という問題がある。


言ってみればこれは根源であって、

「有」か「無」か、というくらい大事な事なのだが、

・・・さてどうするか。

我々は生きているのだし、

生きている限りは、前へ進むべきであろう。

「やる」を選択する。


次に、「どのようにやるか」という。

ちょっと絡んでみる、

片足を突っ込んでみる、

どっぷりはまりこんで全力でやる。


どうせやるなら全身全霊でやるべきであろう。

・・程度問題ではあるにしろ。


それで、やってみて楽しめるか、楽しめないか。


楽しめなかったら止める。

軋轢があろうと何だろうと、さっぱりと止める。


さて、「誰のためにやる」か。

当然だが、自分のためにやるのだ。

メリットもデメリットも関係ない、義理なんか重んじない。


不特定多数に向けた表現は、

自分自身の奥深くに突き刺さる。


その「感じ」。


崖っぷちから真下を覗き込んでいるような危うさと快感。


増幅された感情、非・本能的な欲求。


僕はそんな風にして「僕自身」として存在する。

存在し続ける。


「ON」か「OFF」かを選ぶなら、

「ON」を選ぶしか、ないのだ。


今夜、大阪・十三ファンダンゴに、

「ロカ」登場デッス。

全身全霊でやります。

よろしっく。



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