人生はサヴァイヴァル

2020-10-30 20:42:50 | Weblog

 

 

時々思うのだけれど、我々って、「文化」とか「物質文明」の恩恵を、

ものすごく、受けている。

 

極端な話だが、原始人は幸せだったであろうか?

 

いや、もちろん日々に、幸せなこともあったであろうが、

原始人の人生全般を見れば幸せよりも苦難のほうが多かったのではないだろうか。

 

だって、寒いよ?春夏以外は、いつも寒い。春夏だって夜は寒い。

そして、喰うもの・・・いや、喰えるものが、圧倒的に少ない。

ほぼ「ない」と言っていいくらいであろう、と推測する。

 

彼らは、朝から晩まで食い物を探して回っていたであろう、

野生動物の多くがそんな風に暮らしているように。

 

特に秋冬は過酷で、彼らにとっては「死なない」こと、「生き延びること」が最大のミッションだ。

 

原始人ってしかし・・・大雑把な仮定だな、我ながら。

えーっと、縄文以前??少なくとも農耕文明以前ね、俺が言ってる「原始人」って。

 

それじゃあ、ってんで、ずーーーーっと近代まで来てもらって、

江戸時代だった、としてもだぜ。

 

ないんだよ冬に、ストーヴなんか。それだけでも不幸だと思わないか?

何と、江戸時代なら布団も、ない。あの中綿の、ほわほわの、暖かくて柔らかい「布団」は、

明治以降なのだ。

もちろんだが ガスコンロもない、ガソリンエンジンもない。家にお風呂なんて、ない。

 

江戸時代の人々にとっても、最大のミッションはやはり、

「死なないこと」「生き延びること」であったのではなかろうか。

 

喰うものも、原始時代よりは遥かにマシ、とは言え

腹いっぱい喰えることのほうが少なかった。

 

ウールのセーターもヒートテックもないから絶対、寒いし。

 

野犬とかだって、うろついていたのだ。 医学も全然進歩してない、薬もない。

 

そうなるともう、「人生はサヴァイヴァル」である。

 

 

現代に暮らす我々は、恵まれている・・・ハズである。

 

もちろん、現代ならでは、の苦しみもある。

「生きづらい」時代でもあるのだ。一例を挙げれば・・・・・・・・・・・いや、挙げずにおく。。

 

「文化」や、「文明」のおかげで、寒くなくて、喰うに困らない。それなのに現代においても

「死なないこと」つまり「生き延びること」が最大のミッションであることに変わりはない。

 

今も昔も変わらず、「人生はサヴァイヴァル」なのだ。

 

 

 

 

 

 

ああ。

 

 

 

「馬鹿みたい」と、

 

(ピーナッツブックスの登場人物の)ルーシーなら言うだろう。

 

 

 

 

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現実と夢、その危うい境界線。

2020-10-29 21:10:06 | Weblog

 

 

「眠り」って不思議。

 

私の「世を忍ぶ仮の姿」は、トラックドライバーなので、

高速道路を運転していて、眠くなってしまって、パーキングエリアにトラックを停めて短い時間、

仮眠したりすることがある。

 

そうすると時に、

たった10分くらい眠っただけなのに、頭の中がきれいにリセットされてしまい、目が覚めて

「ここはどこだ?」とか「今はいつなんだ?」ってなる事が、たまに・・・・・ある。

 

自分の置かれた状況を把握するのに少し時間がかかったりするのだ、マジで。

 

ボケジジイ?・・・・・いや、そうではない(多分)。

若者だって、こんなこと、あるはずだと思うんだぜ。

 

常日頃から「天然ボケ」な私だが、老人ボケにはまだ早いと思う。

 

 

 

そういえば、

 

家の布団で寝ていても、そうなる時がある。

 

朝起きて、ここはどこだ?って・・・・・・・・・・・・家だっちゅうの。

 

 

自己弁護気味に言うが、きっと自分の中の、何処か深いところがリセットされてしまったのだ、そういう時は。

 

 

 

 

私は思うのだが、我々は「リセット」するために眠るのだ毎日毎日。

 

それが「眠り」の、目的のすべて・・・ではないであろうが。

 

 

「ここはどこだ?」って思ってしまう時は、その直前まで見ていた夢が、

 

リアル過ぎたとき・・・・・なのかもしれない。

 

 

どちらが夢で、どちらが現実か、わからなくなるのだ。

 

 

 

 

とか言って

 

こう書いてる今でも私は、「わかって」などいない。

 

もしかしたら、その時見ていた夢のほうが「本当の現実」かもしれない、と

 

少し・・・いや、濃厚に 疑っている。

 

 

 

 

この世の中において、いったい何が「本当」なのか?というのは

 

我々には死ぬまで、いや死んでもわかりはしない。

 

 

「蟻」たちが巨大な「象」の存在を知らずに死んでいくみたいに。

 

「惑星ソラリス」における唯一の生命体が、その惑星そのもの・・・であった、みたいに。

 

 

 

 

それにしても思うのだけれども、

 

猫ってよく眠るけど、

 

 

あれ、あいつら絶対、

 

 

眠って見てる「夢」と、起きてる時の「現実」の、区別がついてないと思う。

 

 

きっとそうだぜ。

 

 

 

猫語が話せる人はそこんとこ、猫に直接

 

 

 

尋ねてみてください。

 

 

 

 

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楽器演奏の習得について。

2020-10-27 21:04:40 | Weblog

 

どんな楽器でも、手にしたその日から見事に弾ける・・・・なんてことはあり得ないであろう。

演奏を習得する努力、というものは、どうしたって必要である。

どんなヒトでもね。

習いに行くにしろ、教則本で独学するにしろ。

 

ギターだって、ある程度努力しなければ弾けるようにはならない。

その学習過程を「面白い」と感じるか、面白みのない「苦行」と感じるか・・・は人それぞれなのだけれど、

弾き始めで、思ったように弾けなくて、悪戦苦闘の日々・・というのは

誰もが経験する。

でも考えてみたら僕らはそれ以前の幼児期に、

歩くことすら、そんな風に思うようにいかなかったはずだ・・・覚えてないけど。

話すことも書くことも、そうだったであろう。

 

まあ、それはいいとして楽器の話に戻って、

 

どこまで「弾ける」ようになれば、その楽器を習得した、と言えるのだろうか。

ギターに関して言えば、「コード」をふたつみっつ覚えれば、それなりに楽しめる。

スリーコードは奥が深いのだ。ツーコードも素晴らしい。いや何なら、ワンコードだって!!!

(ビートルズ中期の珠玉の名曲トゥモローネヴァーノウズは、ワンコードだ!)

楽しめればそれは「弾けてる」のかもしれない。

でも世の中には、見事なギターソロ弾ける人とか、難しいテンションコードをいっぱい知ってる人とか、

早弾き超絶技巧の人とか、悪魔に魂を売った人wとか、上には上が、きりがない。

 

でも例えばアート・リンゼイという有名なギタリストがいて、

彼は12弦ギターに8本だけ弦を張って、チューニングは「しない」のだそうだ。

チューニングしない、ということはそのギターから出る音は結果的に必然的に、不協和音である。

彼はその不協和音を一種のノイズとして、パーカッションのようにギターを弾くのだ。

ガシャ、ガシャ、というように聞こえて、とても素敵だ。

もうひとり。

アインシュツルツェンデ・ノイバウテンのブリクサ・バーゲルトが

ニック・ケイヴのバッドシーズにギタリストとして加入していた時期があるのだが、

彼のギターも完壁に不協和音で、ノイズだった。リズミックな、素敵なノイズ。

 

頭の固い人の中には、アート・リンゼイやブリクサ・バーゲルトを否定する人がいるかもしれない。

いてもおかしくない。

「あんなのはまともなギター弾きじゃない」みたいに。

 

でも、正統的に演奏しなければならない、というような決まりなど この世界の、どこにもない。

 

 

 

本日の結論。

 

僕は結局、「上手いギタリスト」には なれなかったが、

別にそんなモノになりたかったワケではないので、

 

それでいいのだ(自己肯定)。

 

 

 

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「戻る」

2020-10-25 16:47:27 | Weblog

 

 

着実に、そして確実に日々は進み行き、1ミリたりとも後戻りすることはない。

 

僕は眠りが浅いほうで、夜中とか明け方とかに何度も目を覚ましては時計を見る、

というような奴なのだが

今朝、目を覚ましたら4:15で、

ふん、と思い一瞬目を瞑って、すぐにもう一度時計を見たら5:20だったので

嘘だろう?って思ったのだけれど、

一瞬、って自分では思ってた間に寝てしまい、一時間がたっていたのだろう。

こんなこと滅多にないっていうか、初めての経験だった。

無意識のうちにタイムワープした気分。

でも眠った気もしないから、単に一時間、損した気分。

 

とかなんとか言ってる間に「世界」は時間の海の中をずんずん進み、

西暦2020年の10月の終了がもう目前に迫っている今日この頃(まだ一週間あるけどさ)。

ああ、11月に突入してしまうと

色んな物事が決定的に損なわれてしまうような気になってしまう。悪い癖だ。

 

でも、そういう面も・・・ある。

1年の12分の10が終わるってことは、「ほとんど終わってる」ってことじゃないか。

 

一年が終わって何が悪い?とも思うが、

何も悪くない、誰も悪くないのだ。

 

 

 

でもふと、元に戻せたらいいのに、と思う。

 

すべてをもと通りにするのだ。

 

それっていいアイディアだと思わないか?

 

 

「ドラゴンボール」の神龍(どんな望みでもかなえてくれる)が目の前に現れたとしたら、

俺はこう言うね、

「ぜんぶ もとに もどしてくれ」って。

 

 

さて問題は、どこが「もと」なのか?

 

 

 

コロナ禍以前?

 

 

原爆が開発される以前?いや、投下される以前?

 

 

アウシュヴィッツ以前?真珠湾以前??

 

 

いや、

 

火薬から「銃」が発明される前???

 

 

どこまで戻ったらいいんだろう???

 

 

人類誕生以前か???????

 

 

 

 

まさかね。

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90年代の、リアルタイムの、生き残り。

2020-10-22 20:49:49 | Weblog

東京のFM局「インターFM」が株を買収されて

全然違う放送局になろうとしているのだ・・・・と思う。

ジョージウィリアムズの番組「ジョージズメルティングポット」も今月いっぱいで終わる。

それどころかジョージがインターFMを去る。

 

まあ、ひどい話だが、

僕はここ2,3年の間、ジョージの番組を聞けて良かった。

自分では気付かなかったのだが僕は1990年代の洋楽が、相当、好きであるのだ。

そのことに、ジョージの選曲のおかげで気付いた。

いわゆるオルタナ、グランジ、ローファイ、シューゲイザー・・・とか呼ばれるようなオンガク。

その辺が、最高に最高に好きなのだ僕は。

思い返してみたら幸運にも、その頃・・っていうか1990年代は

リアルタイムでその辺の音楽に触れることが出来た。

MTVを見ることが出来る環境にいたし、

挙句の果てにはSXSWという全米最大の音楽イヴェントに、あろうことか出演者として参加して、

憧れのソニックユースやロイヤルトラックスと同じ土俵でライヴしたりしたのだ。

1990年代は、大雑把に言えば 今から大体・・・20年ちょっと・・・ってくらい、前のことになる。

そういえば僕が若かったころ、1960年代が大流行した。

あれは1980年代の事だった。

20年くらい前ってのが、時期的に・・・醸造されて「すごく良い」ものに見えるのかな?

 

1990年代以来、ロックは進化していないように見える。

っていうか本当に、進化していない。

近年の物ってどうも・・・・・共感できないものが多い。全然、新しくないし。

 

だから僕が・・・・・僕のスピリットが「1990年代」に留まっていた、としても

誰にもそれを責めることは出来ないのではないか?と思う。

 

僕はまだ音楽活動を続けるつもりだ。

でもその土壌、というか土台は1990年代の

 

「オルタナ」とか「グランジ」とか「ローファイ」とか「シューゲイザー」とかにある。

 

それらは全く、古びてなんかいないからだ。

 

僕はその時代を、リアルタイムで生き抜いてきた世代の「生き残り」なのだ。

 

 

ジョージウィリアムズもきっと、そんな「自負」を持っている・・・気がする。

 

違うかもしれないけど。

 

 

 

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ラジオは素晴らしい。

2020-10-21 21:19:48 | Weblog

https://file.www4.hp-ez.com/hotelrocknroll/file_20200807-110608.mp3

 

あれ?8月にオンエアされたラジオ「ホテル・ロックンロール」、10月7日で

アーカイヴのタイムリミットだと思ってたのだが、まだ聴ける。

むむむ。リミットは・・・・本放送から3か月だったかな????????

 

まあいいや、もう半分やけくそだが、まだ聴いてない人は聴いてください!

でも僕は今は、新曲を聴いてほしい!!!!

 

それでですね、

今回、ラジオ騒動に関して、強く強く思ったことがあって、そのことをまだ書いてなかったので書きます。

 

それは、「音だけの強さ」ということ。

 

僕も最近はパソコンとかのYOUTUBEとかを見たりしてることが多いのだけれど、

YOUTUBEだと、ほとんど当然のように「動画」込みなのだ。

でもやっぱ、「視覚」なしの「音」オンリーのほうが音楽って、絶対、いい。

はからずも自分の出たラジオ番組を聴いて確信した。

「音」だけのほうがいい。

いや僕がルックスが悪いとかそういう話ではなく(「良く」もないのだが)、

動画なんかないほうが人間の想像力が働いて、面白いのだ。

 

生のライヴは問題ない。それでいいのだ、「動画」じゃないから。

 

だいたいが僕は中学生の頃からテレビが嫌いで。

そのこととも、無関係ではないのだ。テレビは、ひとの想像力を奪うから。

この問題は根が深すぎて、簡単には書けない。

僕が「本好き」な理由でもある。

 

音楽は、動画なしの「音だけ」、がいい。

テレビよりラジオのほうが断然、いい。

 

僕は「ライヴ」と「音源」は、パキッと分けて考えていて、

ライヴは、「ショウ」なのだ。

でも正式録音した「音源」は、それだけで独立して機能する。

 

だから「音源」って、とても大事なのだ・・・僕にとっては。

 

8月7日のラジオ、「ホテル・ロックンロール」で流したのは

 

ランブルフィッシュ の物も、 ばるぼら の物も、 ROCA’66の物も、

全部スタジオでちゃんと録音した「正規音源」だ。

 

そういうものを聴いてもらう機会って、実はけっこう、少ない。

 

だからこないだのラジオ出演は、希少な機会を頂いた・・・・と後から気付いて、

海よりも深く、感謝しているのです。

 

11月7日には「アーカイヴ」は、本当に消えると思う。

 

だから、聴いてみてください、ラジオを。

 

出来たら、「喋り」の部分は恥ずかしいから、すっ飛ばして聴いてほしいのだが、

 

そうもいかないよな。

 

もう一回貼る(もうええっちゅうねん)。

 

https://file.www4.hp-ez.com/hotelrocknroll/file_20200807-110608.mp3

 

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オジサンたちって疲れる。

2020-10-19 21:47:23 | Weblog

風邪は治った。

 

お気遣いいただいた方々、ドモ、アリガットゴザイマッス。

こう見えても(って、どう見えてるか全然わからないのだが)僕だって中身はオジサンなので、

風邪くらいすぐに治るのです。

さて、

僕はバンドをやりながらずっと働いて来てて、

今は運送屋でトラックに乗りながらバンドをやっていたのですが

このご時世でライヴとか出来ないので・・・・・・・今はただの運送屋です。

このままコロナ禍から脱出出来なければ、このまま、いつか死ぬでしょう。

まあそれはそれで・・・・マヌケだが不幸ではない。

 

ところでそんな運送屋の日常なのですが今日の帰り際、同僚のトラックが、

会社の車庫に着くなり動かなくなってしまって、

積んである荷物を明日運ばねばならないので、別のトラックに急遽積み替え、とう

非常事態が起こりました。

オジサンの集団、というものはこういう時には頼もしいもので、

皆で力を合わせて積み替えたのです。・・・それはいいのですが

非常事態なので、殺気と怒号が飛び交う中での作業とあいなって。

 

あのさ・・・・・荷物積み替えるくらい、

怒鳴らないで、怒らないで、和やかに出来ないものか?

 

などと平和主義・非戦主義の僕は思うのだが、

オジサンたちはいつもそうなのだ。

 

オバサンたちのほうが千倍、平和だ。

 

僕の昔からの「女性変身願望」も、根っこはそこにあったかもしれない。

 

オトコってやたら攻撃的、戦闘的なのだ。

 

自己防衛のために攻撃する、なんてのは僕には幼稚に見える。

 

「争い合うこと」自体が、幼稚な行為なのだ。

 

でも、これが「世界」なのよね。

 

 

政治家がすべて女性だったら戦争は起こらない、という説があるのだが、

 

 

僕は、それって本当・・・・・だよな、きっと   と思う。

 

 

女性を理想化するわけではないが・・・・・・・・・

 

 

オジサンたちって本当に、疲れる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、疲れた。

 

 

 

暗転

 

 

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年齢

2020-10-18 18:08:31 | Weblog

急に寒くなったので、お約束のように風邪をひいていた。

 

雨の中でバイクに乗ったりしたからだ。

まあ、時には いいのではないだろうか。

しかし、「回復」が遅いのには閉口する。

こういうのは実際に年齢のせいなのかもしれない。

まあ、多分そうだろう。

気分としては19の頃から変わっていないのだが現実は、そうもいかない。

 

そういえば昨日、久しぶりに買って読んだロック雑誌「ロッキングオン」は

ジョンレノン特集だったのだが、

ジョンは25歳くらいの時に「30歳になって”シーラヴズユー”を歌っていたくない」

と言ったんだそうだ。

ミックジャガーも同じようなこと言ってたが、70歳代の今になっても

”サティスファクション”を歌っている。

ジョンレノンは40歳のときに熱狂的なファンに殺されてしまった。

今生きていたら80歳である。

 

っていうことは、僕が生まれたときにジョンレノンは24歳だったのだ。

1966年はあの、ビートルズ来日公演の年で、

その時チャボさんは14歳だったはずだ。

 

年齢って不思議だ。

自分がいつか「老青年」になるなんて、19歳の僕は想像もしなかった。

多分、ジョンもミックも、そうだろう。チャボさんも。

 

いろんな意味で未熟、未熟、未熟なままで、歳なんか取れないと思っていた。

 

でもどんなに阿呆だろうが、精神的に未熟だろうが、年齢の分だけ、歳はとるのだ。

 

でもしかし、自分がもう若くない、という事実は僕を、ほっとした気分にさせる。

もうあんな風に頑張らなくてもいいんだ、と思ったりもする。

 

いや、老け込んでしまうには少し早いかもしれないが、

とにかく、

そういう時期は過ぎたのだ。

 

風邪がなかなか治らないから、といって

誰かに言い訳など、する必要もないのだ。

 

 

 

 

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堕落

2020-10-13 21:35:54 | Weblog

 

 

 

堕落したくない、と僕は思う。

 

あの、お前・・・・とっくに堕落してるよ。っていうか初めっから堕落してるじゃん。

 

などと誰かに言われたとしても、それでも願う。

 

堕落してはいけない。

 

 

 

それはつまり、重力や慣性(の法則)に負けたくない、ということでもある。

 

怠惰に、傲慢に生きることが堕落することなのだ。

 

 

 

 

既得権の上に胡坐をかき、

 

 

自分より立場の弱いものに威張り散らし、

 

 

 

ここぞ、という場面では逃げ、

 

 

ただ自分を守ることだけに執心する。

 

 

 

 

そんな風に堕落することは、誰にでも出来る・・・・・というか、簡単で、

 

 

そうならないほうが難しかったりするのだ。

 

 

 

他人を責めてはいられない。

 

 

 

だって、

 

 

 

優しくない時の僕は堕落している。

 

 

 

ズルをしている時の僕は堕落している。

 

 

 

もういいや、と思ってしまう時の僕は堕落している。

 

 

面倒臭くて、後回しにする時の僕は堕落している。

 

 

テキトーに扱う時の僕は堕落している。

 

 

 

心にもないことを言う時の僕は堕落している。

 

 

 

「気」を抜いた時の行動はどうしても、堕落方向に向かっている。

 

 

 

 

 

 

 

どうすれば自分を律することが出来るのか。

 

 

どんな風に生きれば、堕落せずにいられるのか。

 

 

 

そもそも

 

 

堕落せずに生きることは可能なのか。

 

 

 

僕にはわからない。

 

 

 

結論は出ない。

 

 

 

 

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年齢、そして「歴史」を生きる・・・ということ。

2020-10-11 20:40:04 | Weblog

ジョンレノンが生きていたらちょうど80歳になるのだそうだ。

「死んだ子の歳を数えるな」という古い言葉があるのだが、まあいいだろう。

チャボ、こと仲井戸麗市さんは70歳になったそうだ。

一昨日、ラジオで誰かが言っていた。

その数日前、エディヴァンヘイレンは65歳で死んだ。

ジョンレノンが撃たれて死んだのは1980年で、僕はぎりぎり、覚えている。

ただまだビートルズの魅力や、達成や、ジョン個人の凄さとかを知る前だった。

子供だったのだ。

最近気づいたのだが、僕の母親(まだまだ健在)と、キースリチャードはどうやら、同い年だ。

77歳?それくらいだと思う。

ストーンズやビートルズは年齢的にはほぼ、親世代だったのだ。

年齢って不思議だ。いつも思う。

カートコバーンは27歳で、自分の頭を散弾銃で吹っ飛ばして死んだ。

ジャニスも、ジムモリソンも、ジミヘンドリックスも27歳で死んだ。

マークボランは30歳の誕生日の手前だった。

オーティスレディングは飛行機事故で死んだが、あれも27歳の時だったんじゃなかったっけ。

エイミーワインハウスも27歳だったはず。

デュエインオールマンがバイク事故で死んだのは何歳の時なんだったっけ。

僕の友達の一人は自動車事故で21歳で死んだ。

もう一人の友達は癌で、41歳で死んだ。

そしてもう一人の友達は今年、心臓疾患で突然死んだ。53歳だったはずだ。

僕の父親は68歳で死んだ。癌だったが、

彼は孤児で、自分の正確な誕生日を知らなかった。だからもしかしたら68歳ではなかったかもしれない。

 

僕の身近な人で最高齢は91歳だ。

子供の頃からのお付き合いのタカハシさんで、

お元気で、91歳にはとても見えない。大好きなオジサンだ。奥さんも健在で、87歳。

僕が、大好きな、素敵な老夫婦だ。

帰郷した折に、飲みながら、彼らの話を聞かせてもらうのがとても楽しい。

彼はなんと、「戦前の浅草」なんてのを鮮明に覚えているのだ。

東京大空襲も覚えている。

過酷な「歴史」を生き抜いてきた証人だ。

 

かえりみて、僕は後世に語り継げる「何か」を見ただろうか???????

 

 

いや、見てねえ。

 

 

見てねえよ。

 

 

僕は今年、54歳になった・・・・っていうのに。

 

 

 

 

あ、1998年のニューヨークは見たぜ。

 

 

まだ健在だったCBGBも見た・・・・・っていうか、出た。

 

 

 

あの、NYの、WTCのツィンビルを、見ておくべきだった、とちょっとだけ悔やんでいるんだ。

 

 

まさか僕らが訪れた3年後にあんな事件(NY同時多発テロ)が起こるなんて知りもしないから(あたりまえだ)、

 

 

 

僕ら(「ばるぼら」御一行)は呑気に、

 

 

エンパイアステートビルなんかを見物に行ったのだ。センスが古い。

 

 

今となってはWTCのツィンビルが愛おしい。

 

 

そういえば僕は子供の頃「キングコング」の映画を見ているのだが

 

 

その、1970年代に制作された リメイク版の「キングコング」でコングが登るのは

 

ニューヨークの、

 

 

エンパイアステートビルではなく、

 

当時建てられたばかりで、世界最高峰建築物だったWTC・ツィンビルだったよ。

 

 

あれかー!と今では、思う。

 

 

 

ちとマヌケだが。

 

 

 

 

 

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