列記

2016-11-30 21:28:00 | Weblog


僕の信じるものすべて









憎むものすべて







愛着あるものすべて




失ったものすべて





僕を 通り過ぎて行ったものすべて





僕が目にしたものすべて





僕が出会ったすべての人々






僕が傷つけたものすべて




悲しませたものすべて






苛苛させたものすべて





僕の足を引っ張ったものすべて





僕と関係したものすべて





僕に一方的に愛されたものすべて





共感できたものすべて




敵対したものすべて





僕のこと気にしなかったものすべて





僕のことが気になって仕方なかったものすべて





僕が競い合って負けたものすべて




逆に 僕に負けたものすべて




僕を欺いたものすべて




僕に失望したものすべて



僕を過大評価したものすべて





僕に まとわりついて離れなかったものすべて








以上が








僕に思い出せるものすべて


















オチもないが 句読点もなかった。















追伸





2016年の11月も、あと二時間ちょっとで終わる。




明日からは喧騒の、12月だ。



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サイオーが馬

2016-11-25 21:35:36 | Weblog


どこに行ったって気に入らない奴はいるし、ムカつくことはある。


人間万事サイオーが馬、とはなかなか行かなくて、

とにかくヤヤコシイ事からは、逃げるが勝ちだ。


テキに後ろを見せるのか?とか言うなよ、

テキに見せるのなんか 後ろだけでじゅうぶんだ。


俺は好きな人にだけ会いたいし、

そういう事に使う時間以外は、完全な無駄だ。


誰にでも好かれる人間になりたい、などと思ってたことも確かにあるけど

そんなの、努力したところで全然無駄だ。


センスのない奴、

話の通じない奴、

とにかくダサい奴、

やたらにコーゲキ的な奴。


そういう奴等には始めっから「救い」なんてない。

奴等は奴等のせせこましい価値観の中でみみっちく生きていけばいいし、

そんなのに俺が関わらなきゃいけない、なんて法はどこにもないんだぜ。


朱に交われば紅くなる、の伝で

ゴミに触れば手が汚れる・・・・のだ。


しかし、生きていくって事は

「好むと好まざるにかかわらず」っていうような側面が強くて、

選り好みとか、好き嫌いとか言ってられない・・・っていう部分はあるよね。


だから必然的にストラグルな日々は続いて行くのだけれど、

俺の個人的な感触のことだけ言えば、

少しずつ、マシになってはいってるんだ、いろんなことが。


悪くなっていくことばっかりじゃないだろうし、

それは心からそう願うけど。


そう、いつもいつも、「叶わなかった夢」を抱え込んでいるけど、

「叶った夢」だって、何個も何個も ある。


だからどう?とか言われても困るんだが。



ただちょっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言ってみたかっただけだよ。




言ってみたら、気が済んださ(←簡単な奴)。

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フォーエヴァー・レコード

2016-11-21 21:52:22 | Weblog


世界はすべてを飲み込んだまままで

何処もかしこも蜂の巣をつついたような大騒ぎの中で

始まり 終わる  終わりが始まる


よくあることだけど

君には君のやり方があって、あまりにも複雑な世界で

にっちもさっちも行かなくなりそうになる


・・・・哀しみに足を取られないように

(そんなのって)目の前を通り過ぎて行くからさ

思い切り蹴飛ばしてやりなよ

冷たい雨の中で 僕は 君の事を思い出してばかりいるんだからさ



フォーエヴァー・レコード

これはフォーエヴァー・レコードのための歌




どこまでも続く朝 光が差し込み始めて こんな季節に

何もしないなんて勿体無いような気になる


困難を乗り越えて すべてを軽やかにかわして

過剰な思い入れは全部捨てて行ったっていいんじゃないか


・・・・・誰もがみんなろくでもないけれど

僕や君もその例外ではない

完璧は空の彼方の夢だけど

落ち込んでる場合じゃない 僕は今でも君を尊敬しているよ


フォーエヴァー・レコード

フォーエヴァー・レコード


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無題

2016-11-17 22:15:11 | Weblog


君に関する出来事すべてに「輝く偶然の瞬間」が降り注ぐ。



それは余りにも・・・・・・・・想像を絶する壮絶さで、、


そんな光景をそれまで見たことがなかったから


僕の瞳孔はあれから開きっぱなしで、そのせいで世界が眩しくて仕様がない。



今思えば、一から十まで全部 説明のつかないことばかり。


僕等が真夜中に待ち草臥れたカーニバルは結局 始まった途端にピークに達し、


沸騰したままの脳味噌、血管の中を逆流していく血潮、


そうさ、馬鹿騒ぎは今も、終わる兆候さえ見せない。



・・・とは言っても今はもう二十一世紀でしかも、季節は最早「晩秋」だぜ?


でも君は知ってたのだ、そんなことは百も承知の上だった。



気圧も時間も次元も色彩も音圧も超新星爆発も


何ひとつ僕等に影響を及ぼすことは出来なかったのだ。



速度の中にいるときには何も感じない。


今になって理解できるようになったことも、なくはない。



まあいい。


どんなことであれ、


君なら


笑い飛ばすに決まってるから。





紙飛行機でも飛ばすみたいに


ひらっ


と。
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2016-11-13 19:09:19 | Weblog



哀しみの歌、というものは


「哀しみのための歌」ではなくて、


我々が


「実人生をタフに生き延びていくための歌」なのだ。




人生応援歌も、決して悪くはない。




でも俺が好きなのは、


そんな一見、「辛い」ような歌なのです。





でも、俺は今後は


ポジティヴに生きたい。





能天気に、


馬鹿みたいに、


楽天的に



生きたい。




ライヴも、



そんな風にやりたい。





来年、1月14日土曜日 梅田 ハードレイン




1月21日土曜日 天満 パラダイス




ROCA'66のライヴが決まっている。



底抜けに演るから、



来て欲しい。




だいぶ先だけど。



 
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世界は良くなっていく(希望的観測)

2016-11-12 18:16:43 | Weblog


エントロピー理論によれば、

世界は悪くなっていく・・・・のだ。

それはつまり、エネルギーの劣化の問題で、

例えばガソリンが燃えると、エネルギーと排気ガスに変化して、

それは二度と もとに戻ることはない。

太陽だっていつかは燃え尽きる。全ての恒星がそういう運命を辿る。


だから、一億年前の方が一億年分、世界は新鮮であったのであって、

一秒後は一秒分、一年後は一年分、一億年後は一億年分、

世界は劣化していく。

最終的には宇宙全体のエネルギーが尽きて、

宇宙は「熱的死(ヒート・デス)」を迎える。


それは恐らく、必然であるだろう。


ただ、

生物の存在、というものが「反エントロピー」的な性質を持っていて、

我々は「再生」することが出来る。

猥雑な世界のものごとを整理整頓して再構築して、新しく「何か」を作り出すことが出来る。

良くないところは改めて、進化することが出来る。

宇宙全体のエネルギー劣化には勝てないかもしれないけど、

ささやかな抵抗として我々は

世界全体を良いものに変えていける、とアタシは

ちっぽけなただのオカマだけれど、信じている。

うそうそ、オカマじゃないけど、信じてるのは本当だわよ。


そういう我々人間が作り出した「社会」、というものも、

成熟すればするほど、良くなっていくのだ、と俺は信じている。

楽観的過ぎる、という批判はあるだろうが、

悲観的に生きていくより、希望的観測を持って生きていくほうが

より「反エントロピー的」である。


唐突だが、宮沢賢治だってそういう風に思っていた。

作品のところどころに、そういう思想が顔を出す。


ひとつだけ、それが、そのことがまっすぐに書いてある文章を紹介したい。


「宮沢賢治文学の極北」と、俺は呼んでいるのだが

「なめとこ山の熊」という素晴らしい童話がある。

淵沢小十郎という熊取名人の猟師が主人公の話で、

野生動物(熊)と人間の共存をめぐる戦いを描いていて、重く、苦しく、切ない。

本当にハードで辛い話なのだが(息を呑むほど美しい場面も数多くある)、

その話の中盤、強い男である小十郎が、町の荒物屋へ熊の毛皮と肝を売りに行く場面で

荒物屋の主人に頭が上がらず、てんで安い値段で毛皮と肝を買い叩かれてしまう場面で、

作者が思わずナレーションを離れて、自身の心情を吐露している部分がある。

そこを抜粋する。


以下引用------------------------------------------------------------------



いくら物価の安い時だって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。

実に安いしあんまり安いことは小十郎だって知っている。

けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかでなしにほかのひとへどしどし売れないか。

それはなぜか大ていのひとにはわからない。

けれども日本には狐けんと言うものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。

ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。

旦那は街のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。

けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりでに消えてなくなって行く。

僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつに

うまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。



(角川文庫クラシックス宮沢賢治選集「風の又三郎」収録「なめとこ山の熊」より)


引用終わり---------------------------------------------------------------------






この「なめとこ山の熊」という話、体裁は童話なので、そんなに長い話ではないし、

読んだことのない人には読んでみることをおすすめしたい。



そう、「ずるいいやなやつら」は、消えてなくなっていくのだ。


例えば、差別、ということをとってみても

実際・・・・身の回りのこと考えてみても、俺がもっと若かったころに比べて

あからさまな差別は、減っているように・・・・・・・俺は、思う。


(「富裕層と貧困層の絶望的な格差、というのは昔からあったし、今後もっと減ってほしいけど。)


人種差別については現代においては、

「ヘイトスピーチ」みたいな、恥知らずな行為もあるけど、

アレに近いようなことを昔は一般の、そこらへんの人々が口にしていたのを俺は覚えている。

今現在、そういう事を言う人は減った。ちゃんとした人は、言わない。

「ヘイトスピーチ」に対しては、「カウンター」の人々がちゃんと、居てくれる。





だから、だから。



希望的観測を持って生きて行きたい。





もう寒くなってしまったから、例によって・・・・風邪なんかひかないように。

暖かくして過ごしておくれよ。



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嫌な予感的中

2016-11-09 21:06:46 | Weblog

嫌な予感に限って的中しやがる。


偏狭な保護主義と、反グローバリズム。


・・・・・・・・・・・・・・時代に逆行している。



多くの人がきっと思ったことだろうが、


俺は、ちょっと前の「イングランドのEU脱退」を想起した。



こういうのは「反動」なのだろう。


社会全体が(良い方に)進化していく中で、時々は


「(急進に対する)反動としての逆行」ということが起こるのだ。


そういう事だ・・・・と思う。思いたい。




人間が弁証法的に進化する生き物であるとすれば、


今回のこともまた、「乗り越えるための試練」に過ぎない。



だから


「世界」に対する希望を失わずに生きて行きたい。




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2016年のアメリカ大統領選挙

2016-11-08 21:26:01 | Weblog



嫌な感じがするなぁ。


2016年の11月・・・・・・・というのは、

後年振り返って、人類史上 とてつもなく後悔するポイントになるかもしれない。

「何故あのときトランプを止められなかったのか?」ってことで。

(そうならないことを祈る。)


勿論、我々は日本国民であって、アメリカ大統領選挙の選挙権など ない。

しかし、世界全体が「保守」寄りに動いている気がしてならない。日本も・・・・ね。

アメリカで、トランプを支持してる人たちは

「ポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)なんてうんざりだ!」

というような思いが強い(らしい)・・・・と言われている。

恐らくは、単純に「強いアメリカ」の再来を望んでいるのだ。

そんなの、幻想だと思うけど。



選挙結果、どうなりますことやら。


いろいろ悪いことも言われてたけど、俺はけっこう・・・・・・

オバマ好きだったな。


カラード(有色人種)の大統領なんてね、

キング牧師に(時空を超えて)教えてあげたら、

ひっくり返って喜んだと思うんだけど。







”カラードの大統領”の次は、

”史上初の女性大統領”で行こうぜ。






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リ・インカネーション、そして浅川マキ。

2016-11-07 22:00:27 | Weblog

数日前に、「輪廻転生」は英訳すると「リサイクル」になるのか?

と書いたのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今日、トラックを運転していて突然気付いた。

輪廻は確か、「リ・インカネーション」だ。


ユーミンさんの歌で、そんなのが昔、あった。


ユーミンさんといえば思い出すのが、

1990年に、ランブルフィッシュで浅川マキさんと初めてお会いしたときの、

スタジオで雑談中のマキさんの発言だ。

彼女は「私なんかがレコード出せるのは(同じレコード会社の)ユーミンさんが

稼いでくれてるからよ」と言って笑っていた。


浅川マキさんのことは当時はあまり知らなくて、

その後、色々と音源を聞いたりして最終的には大ファンになったのだ。


後年・・・お会いしたときマキさんに

「僕は 昔、共演させていただいたランブルフィッシュのギターなんですけど、

ご記憶にないかもしれないですね・・・」

と言ったら

ニヤリと笑って

「ランブルフィッシュ!忘れやしないわよ」と言ってくれた。

涙が出そうなほど嬉しかった。



いろいろなことが「必然」だった、と

今では思う。



苦難も、喪失も。




ほとんど全ての物事がまるで「輪廻」みたいに、


巡りめぐって行くのだ。



今は11月。





2016年の、11月。



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教育

2016-11-06 15:37:27 | Weblog

学校に行ってた頃は、教育なんて無意味だ、と本気で思っていた。


だがしかし。

字が読めないと「読書」という快楽は得られない。

今の私が字を読めるのは教育のおかげであろう。

むむむ。

気がつくと世界の中の色々と楽しいこと、興味深いことは、

ある程度の知性がないと理解できない・・・・つまり、楽しめない。


音楽だってある程度の理解力がないとその素晴らしさが解からずに、

ただの騒音に聴こえてしまう。

まぁ、学校の音楽の時間が有意義だったとは今でも思わないが。

言葉に関しては学校で基本的なことを学べてよかったのであろう。

俺は勉強は嫌いだけど、国語と国語の教科書はけっこう好きで、

新学期に、新しい教科書をもらったら

大体、一週間くらいで国語の本だけは読了してしまっていた。

理科の時間も算数の時間も社会の時間も、国語の本を読んで暇つぶしをしていたから。

本当は一週間もかからずに三日で全部読めてしまうのだけれど勿体無いから

少しずつ読んでいた。

全部読んでしまった後は、気に入ったところを読み返す。

今思えば、ちょっとくらいは算数も真面目にやるべきだったのだが、

その時はどうしても嫌だった。

その「どうしても嫌」な感じは、今でも覚えている。


人が自分から学びたい、と思うのは

ある程度成熟してからなのだ、と思う。

コドモなんて放っておいたら、好きなことしかやらないものね。

義務教育というのはとても大事なものだと、今では理解できる。


俺もしかし、こんなに本好きなら

大学の文学部にでも行けばよかったんじゃないか?と

思うこともあるのだが、

前回の日記と同じで「好きなことを本業にすると・・・・」の呪いが発動し、

恐らく、ロクなことにならなかったろう。

だから

そうしないほうが良かったのだ、きっと。


最近は車の運転中、ラジオがつまらないとき、

教育チャンネル(!)のAMラジオを聞いたりするようになった。

タイミングがよければ「高校講座 現代国語」みたいなのをやってて、

文学を論じたりしているのだ。


多少退屈だが、楽しめる。

この感じは

小学校で算数の授業中に

国語の教科書を読んでた頃に似ていて、

ちょっと可笑しい。






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