ストーンズの新曲。

2020-04-30 20:39:27 | Weblog

ストーンズの新曲がヒットしている。

ラジオで、よくかかるのだマジで。

「ゴーストタウンに住んでいる幽霊だ俺は」みたいなことを言っている。

・・・別段、個性的な曲でもない。

僕は、1980年代後半のシングル曲「ハーレムシャッフル」を思い出した。

あの曲にちょっと似ている。

あれはカヴァー曲だったのだが、悪くなかった。

でもヒットなんか全然しなかった。ラジオでも全然かからなかった。

ストーンズの新曲が普通にヒットするなんて、いつ振りだろう?

もしかして、「スタートミーアップ」以来なんじゃないか?

あれは確か・・・・1981年だったと思う。リアルタイムでヒットしたのを聞いた記憶は、

残念ながら、ないのだ。僕が洋楽を聴き始めたのは、もうちょっと後からだ。

だから、「アンダーカヴァーオブザナイト」がちょっとヒットしてたのは、覚えている。

当時始まったばかりのMTVで、たまにPVが流れていた。

でもあの曲、全然好きになれなかった。

キースも確か、後のインタヴューであの曲嫌いって言ってた。まあいいや。

しかし

この21世紀の今日に、あのストーンズがヒット飛ばすなんて、

あのヒトたち、なんてしぶといんだ。

だって、何と、「世界最古のロックバンド」であるらしい・・・・のだストーンズは。

確かに、そういう風に言えば、そうだろう。

最古のバンドが歌詞を「時事問題」に便乗したものにしてヒットを飛ばすなんてなかなか・・・・渋い。

 

キースは酒(ウィスキー)を止め、ロンウッドはタバコを止めた(らしい)。

ビルワイマンに至っては、バンドを辞めて久しい。

 

しかしあのヒトたちがバンドを続けてくれているのは一種の救いであるのだ。

 

だって昔は30過ぎたらバンドなんかやってるのおかしい・・・ような風潮だったのだが、

俺が高校出た頃はストーンズなんか確かもう40代で、

50代、60代、とずんずん進み、いまや70代の、立派なお爺ちゃんバンドだ。

 

っていうことはつまり、俺達だってお爺ちゃんになってもバンド続けてもいいのだ。

 

いや、半分冗談だが、

 

半分は本気で・・・・・・・・・・・・そんなことを考えたりする。

 

 

このヒットに気を良くしてもらって、もう一発ヒットを狙って欲しい。

 

次は出来たら・・・・・・・

 

もっと乾いた、明るいブルーズっぽい奴で、もっとラフに行こうよ。

 

「メインストリートのならず者」の頃の感じで。

 

マイナー・ブルーズだと、気が滅入っちまう。

 

 

 

無理じゃないと思うんだがなあ。

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出演するライヴが延期になったので家で花壇をいじっていた私。

2020-04-27 19:37:07 | Weblog

昨日は、本当だったら、大阪・平野のライヴハウス「オルトラウンジ」で、

ORTO LOUNGE 5TH CELEBRATION

PURE ROCK PARTY !!!!

が開催されていたはずで、

僕は ROCA’66のVO/Gとして出演するはずだった。

 

THE DIZZY TONESや、

T・SUMITOMO BAND

といった、

 

大阪・ハードロックシーンのツワモノ(しかも先輩)たちとご一緒できる、希少な機会で、

かなり楽しみにしていたのだ。

 

しかし、、この状況では開催は無理だよね、どう考えても。

主催者のKONKIくんが開催か否か、に関して、意見を聞いてくれたので僕は

「延期したほうがいいと思う」と答えたし。

 

でも、

かなり先になってしまったとしてもこのライヴイヴェント、いつか出たいなあ。

 

 

 

 

さて、そんなこんなで昨日、おとといは結局、一日中、家(って言っても賃貸マンションだ)にいたのです。

従順な奴。いや、でも、これでいいのだ。

 

そして、(借りている)花壇をあれこれと、いじっていた。

水をやったり、眺めたり、

「密」に生えすぎてる奴を植え替えしたりしていたのだ。

それにしても、

種まいておいて良かった・・・・そして芽を出してくれて本当に良かった。

花壇の世話をしていると、じわじわと楽しいのだ。妙な充実感がある。

きっと我々の祖先のほとんどは、とある時代に農民だったであろうし、そうでなかったとしても、

「農業」は、地球環境的に、エコロジー的に正しい、と僕は思うのだ。

いや、今僕が育てているのは「ひまわり」で、それをとって喰うわけではないのだが、

それでも近い行為ではあろう。

 

壮大な話になるのだが、

太陽光と水と二酸化炭素で植物は育つ。地球が出来て、いちばん初めの「生物」は、植物だったはずだ。

そして地球はある時まで「植物だけの星」だった・・・・ハズだ。

植物は太陽光と水と二酸化炭素だけで「自給自足」している。言ってみればほぼ、自己完結しているのだ。

そこへ、自給自足しないで、他者を「喰う」ことで栄養補給する生物が現れた。

「草食動物」である。「草食動物」は、植物の種を撒き散らす役割もするし、その糞はいい肥料になった

からまあいいか・・・と思ってるところに今度は

その「草食動物」を喰う、「肉食動物」が現れた。ひぃ。

しまいには、草だろうが動物の肉だろうが果実だろうが竹の芽だろうが、

ほぼ何でも喰う「雑食動物」が現れて、それは我々、人間のことである。

「4本足のものは机以外なら何でも喰う」と言われたのは中国人だが、

日本人だって西洋人だってアフリカ人だって、他人のことは言えない。

 

 

えーっと、何の話だったか忘れてしまったが、

とにかく、

「植物を栽培する」という行為は地球環境的に理にかなっているし、

平和だし、

いいよなあ、と、しみじみ、そして、強く、

思うものである。

 

 

 

写真は、昨日時点での僕のひまわり。

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視覚的に地味、とか言ってる場合ではなかった。

2020-04-26 10:11:48 | Weblog

昨日の日記で、「疫病災害って視覚的に地味だなぁ」というようなことを書いた。

そのあとで、YOUTUBEで医療現場(受け入れ病院)の現状を映したドキュメントを見た。

そして、今、話題になっている医療従事者のブログを呼んだ。

 

・・・・・・・・・・・悲惨だった。

医療現場に目を向ければ、

僕みたいな奴が、のんきなことを言っていてはいけない、と思い直した。

 

マスクも足りてないし、防護服も足りてない。

そんな中で最前線のかたがたは戦っている。

手の届く範囲に感染者が見えないからといって、

安易に考えていてはいけない・・・と反省。

我々人間には「想像力」というものがあるのだ、きっと「お猿」にはない。

現状はわが国も、「医療崩壊」してしまっているのだ、ということを理解して、

自分は病院のお世話にならないぞ(感染しないぞ)、

万が一・・・既に、自分も感染している可能性が、「ない」とは言えないので(平日は毎日働いてるからね)、

 他人と接したりしないぞ(感染させないぞ)、

という思いを新たにした。

身近なところに、医療従事者は大勢いるのだ。

他人事みたいに考えててはいけない。

彼らの無事を祈る。

医療従事者の皆さん、どうしても駄目なときは逃げてくださいね。

「犠牲」になんか、ならないでください。

もう、すでに「犠牲」になってしまった人達(感染してしまった医療従事者)が大勢いるが・・・・・・

それは、痛まし過ぎる。

 

そして、来るゴールデンウィークに、オキナワとかへ、旅行の計画を立てている人が

実はすごく多くいる、というのを知って驚いた。

昨日書いた日記に出てきた、「僕はこの騒動自体、信じてません」というような人なら

そりゃ旅行くらい行くだろう。

でも、いかん。この騒動は「陰謀」ではない、現実だ。

もし本当に「信じてない」んなら、信じよう。

 

「私たちの家族は毎年5月に、オキナワ旅行していてこれは伝統だから、不要不急にはあたりません」

とかいう人もいるかもしれない。

 

でも、それもやめよう。

 

「お猿」には ない、我々人間だけが持つ「想像力」を最大限に働かせて、

現実を理解しよう。

 

 

僕だってもちろん、年老いた母親や、高橋さん夫妻や、岩佐のお母さんに会いたい。

会って話がしたい。

けど、今は、会わない。

 

感染させてしまう可能性がある。

 

当然だがそれは、恐ろしい。

 

ずっと家にいます。

 

 

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この災厄についてあてもなく考える。

2020-04-25 17:14:19 | Weblog

 

みんながみんな、この歴史的な災厄について考えている。

 

我々はただの魚・・・みたいなものだから、

水が濁ればその水の中で暮らすしかない。

まあ、魚は水質のことなど考えないだろうけど。

 

でさ、

僕は思ったのだけれど今回のこの災厄って、「視覚的に地味」だよね。

 

僕はテレビのドラマやバラエティが大・大・嫌いなので普段はテレビ自体、チラリとも見ないのだが、

こういう災厄のときのニュース映像は、嫌でも目に入る。

最近ならYOUTUBEでテレビの動画もアップされる。

 

事態は恐ろしく深刻だし、多くの人が亡くなった。

でも映像的に地味・・・というか、「見えにくい」のだ。

 

「人のいないタイムズスクエア」とか、「誰もいない心斎橋筋」とか。

うーん、早朝だったら普段でもこれに近いよな。

 

過去に僕等の体験してきた災厄、例えば阪神大震災なら

「倒れた阪神高速道路」が、まずショキングだった。

 

とんでもないことが起こっていることが一目でわかった。

 

NY同時多発テロは言うまでもなく、WTCという「高層ビルに突っ込む旅客機」。

度肝を抜かれた。

 

そして東北大震災は「巨大津波」。津波があそこまで恐ろしいものだとは、想像も付かなかった。

 

 

 

視覚的に、映像的に地味・・・・・「疫病災害」って性格的に、そういうものなのかもしれない。

 

そしてそれこそが、目に見えないコロナウィルスの怖さなのかもしれない。

 

だから論理的にちゃんと考えて行動するべきなのだ(教条的な結論)。

 

 

 

 

 

さて、マスクをする、という習慣は今、とても「いい」ことだ、と思う。

 

だって、自分を防御、というよりも「他人に移さない」という性格のほうが強い、らしいから。

「情けは他人の為ならず」か。・・・違うかな。

この、マスクをする、という習慣って、このあと延々と、残りそうな気がする。

もう何だか、「新しい常識」みたいにしてずっと続くのではないだろうか。

これはどっちかって言うと「嫌な予感」なのだが。

 

僕は本当はマスクは好きではないのだ。

他人の表情がまったく見えないのは、不気味だ。

 

言っとくけど僕が「他人の顔色を伺って生きている」のでは、ない。

我々、人間のコミュニケーションって複雑で、デリケートなのだ。

ちょっとした表情の動かし方で、微妙な感情のやり取りをしていたりするのだ誰だって、無意識に。

そういうのがマスクをしてると、ゼロに近くなってしまう。

 

だから不気味なのだ。

 

実はサングラスも好きではない。

サングラス・・・は、自分でも使うが、僕にとってのサングラスはほとんど「カチューシャ」だ。

それはそれで我ながら馬鹿みたいだが、

頭に載せているだけで、実際にかけて使うことは ほぼほぼ、ない。

 

帽子は好きなのだけれど。

 

でも例えば・・・帽子にサングラス、そしてマスク、となればこれはもう、「変装」だよね。

 

っていうか、マスクだけでもだいぶ、変装に近い。

 

誰が誰だか、わかりゃしないもの。

 

みんながみんな変装しながら生きて行くなんて、

 

別にいいんだけど、ちょっと変だと思う。

 

 

コロナ禍が終息したら、マスクなどつけないでも外出できるようになって欲しい。

 

今なんか何しろ、外でちょっとマスクはずしただけで

 

まるで路上でパンツ脱いだような気分になるのだ(路上でパンツ脱いだことはないのだが)。

 

 

 

 

追記・

 

レディステディジョージが終わってから最近、よく聴いているラジオ番組、

 

東京のインターfmの「デイブフロムショウ」は陰謀論を紹介したりするのだが、

 

その聴取者でひとり、

 

「僕はこの騒動自体、全部信じていません」という人がいて驚いた。

 

その人からのメールをデイブが読んだのだ。

 

「身近に感染者も死者もいないので」ということだったのだが

 

確かに・・・・・・・・・・・・・・・そういう人がいてもおかしくない。

 

テレビも新聞もネットも本当に、まったく信じなければ全世界的なコロナ騒動など、

 

「ない」も同然では、あるから。

 

そして もしも、もともと 「世間」とほとんど接触を断って生きているのなら、

 

その人が「関係ない」と言っても

 

べつにそれはそれで いい・・・・のかもしれない。

 

 

 

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モ吉へ。

2020-04-23 19:53:40 | Weblog

モ吉が突然亡くなってから、丸2ヶ月近く経つのだ。

早い。

顔を見に、お通夜に行った時にも僕はマスクはしていたから、

コロナの問題はあの時既に顕在化していたのだ。

でもまだ世界的なパンデミックではなかったし、緊急事態宣言も出ていなかった。

 

モ吉っさん、

あのあと、岩佐の家に行ったよ。5,6年ぶりかな。

岩佐のお父さんはもう亡くなっていた。そのことは、知らんかったよな?俺も知らんかった。

「命日の集まりを止めよう」っていう案は、お父さんが出したものだったらしい。

お母さんは、我々に来続けて欲しかったんだって。

そうか・・・・・・・・・・それだったら、

今年は命日に、皆で、家に行ってもいいんちゃう?とか思ったんだけど、

考えてみたらもう、モ吉も佐治も・・・・・おらんのよね。

そう考えたら寂しさが少し、重さを増した。

 

それでさ、

今日思い出したんだがモ吉っさん、そういえば以前に、

「いつかあの(岩佐が亡くなった)事故現場に皆で行こうぜ」って

言うてたよな。

モ吉もさすがに、事故以来、行ったことは、なかったんよな?

場所が遠すぎるから(俺は地理には、かなり疎い)、当初はその案は「突飛」に聞こえたけど、

俺は・・・・本気で、行くつもりだった、いつか、モ吉と一緒に。

正確な場所は、

一緒に吹き飛ばされたモ吉が案内してくれないと、わからないだろう。

だからもう、行くことは、叶わないかもしれない。

 

でも、このコロナ騒動が終わって、次に岩佐の家に行けたとき、

(岩佐の)お母さんに場所・・・・だいたいの場所くらいは把握してはると思うので、

聞いとくよ。

 

そうしておけば いつか、行けるかもしれない。

 

東北やったよな、確か。

 

ずいぶん遠くまで行ったんやなぁ、しかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サイケデリック・バー「ガンジャ」閉店の件。

2020-04-22 19:40:23 | Weblog

大阪・ミナミの、ほとんど伝説化している、

まるで いにしえのHONG-KONGの九龍城のような雑居ビル、

「三つ寺会館」の中にある(あった)、

アンダーグラウンドの名物店、

サイケデリック・バー「ガンジャ」が既に閉店してしまってるそうだ。

むむむ・・・・・・・・・・・・・・・寂しい。

 

俺は・・・10年以上前だがいっとき、ほとんど「常連」と化していた時期があるのだ。

 

大して長い期間のことではなかったかもしれないが、

毎週一回、一人で、 

夜遅くから行って、朝まで飲んでいた。

 

オオサカ・ミナミのディープでどろんとしてちょっとだけ危険な感じのする真夜中を

大音響のロックと馬鹿話とバーボンウィスキーで過ごすことに退廃的な楽しみを見出していた。

 

言っとくが店名が店名だけに、(逆に?)「その手のモノ」は、なかった。あたりまえだが。

 

その代わりに・・・・・ものすごく個性的な連中が出入りしていた。

 

ワイルドで、粗雑で、それでいて繊細で、

正体不明で、

唖然とするような奴等。

 

すべては、真夜中・真夜中・真夜中の出来事だった。

 

 

ある時、例によって真夜中に飲んでいて、ふと、日付を跨いだら自分の誕生日であることに気付いた。

すっかり忘れていたのだ。

でもそんなこと口に出したりせず、いつものように馬鹿話で夜を明かした。

次の日の朝は水曜日だった。

 

そして、その晩のことを歌にしてみた。

誰も知らないと思うけど

俺の持ち歌の「火曜の夜と水曜の朝」は、ガンジャでのこと・・・なのです。

 

 

またひとつ、コロナのせいで・・・・・貴重な灯が消えてしまった。

 

「貴重な灯」、とは言っても「ガンジャ」って中に入っても真っ暗な店だったな、そういえば。

 

灯りなんか燈っていない店で飲み明かして、

 

朝になって店を出たら外はやたらに明るい。

 

 

そういうのが、やたら楽しかった。

 

 

 

 

 

 

さよなら、「ガンジャ」。

 

 

 

 

 

退廃的に楽しかった幾つもの 真夜中と朝を、ありがとう。

 

 

 

 

 

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ライヴハウス文化よ、永遠なれ。

2020-04-21 21:34:44 | Weblog

僕は

30年くらい前から関西のライヴハウスに出演するようになったのだけれど、

その頃は

少なくとも・・・・大阪にあるライヴハウスは全部把握していた。

絶対数が少なかったからだ。

その全部に出演したわけではない。

あの有名なバハマには出たことがない。

キャンディホールも、俺達が出る前に閉店してしまった。

でも、

バナナホールもバーボンハウスもヤンタ鹿鳴館もブロウダウンもエッグプラントも出た。

ベアーズにも出た。

1980年代の大阪の主要なライヴハウスって・・・そんなもんだったのではなかろうか。

80年代後半に、ファンダンゴが出来た。ここは根城にさせてもらった。

1990年代には心斎橋クラブ・クアトロが出来た。ここも出た。ロケッツにも出た。

 

21世紀の現代、ライヴハウスは大小含めて、把握できないほど、ある。

これはきっと、いいことなのだろうと思う。

誰にでも音楽を、演奏、披露できる場所が多くあるのはもちろん、いいことに決まっている。

「敷居」なんて低いほうがいいのだ。

 

でも何だか

あの頃の「危ない」感じも少しだけ、懐かしかったり・・・・する。

 

本当に、こんなの馬鹿みたいだけど

昔は、ライヴハウスに行くときは喧嘩に巻き込まれることを覚悟で行ったのだ。

全然、友好的な場ではなかった。トゲトゲして、ギスギスしていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・今のほうがいい。

音楽をやりたいのに、喧嘩になんか巻き込まれたくない。

我々は、出来れば「共感」したいのであって、「敵対」は、なるべく・・・したくないのだ。

 

現代の「ライヴハウス文化」の継承者たちよ、

コロナになんか負けずに

 

ライヴハウスの灯をともし続けてくれ。

 

 

微力・・・・いや、ほとんど無力ながら、

応援してるので。

 

 

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憎しみに支配されるな、って、君が言うのを俺は聞いたんだ。

2020-04-19 19:15:59 | Weblog

 

 

今回のことは陰謀論なのか、そうでないのか が、とてもわかりにくくて、

困る。

情報が、偽情報も含めて多すぎるのだ、ということを

今更ながら認識してしまう。

 

中国・武漢が一番初めのパンデミック地域だった、というのは間違いではないのだろうか。

 

それだって、もしかしたら情報操作かもしれないのだ。

 

中国側は、アメリカが武漢に持ち込んだ、という主張をしていたように思う。

 

今日、いみじくもアメリカ大統領であるトランプが

「中国がこのウィルスについて意図的に情報を隠蔽していたのなら

それ相応の報復を受けるだろう」

という趣旨の発言を、記者会見で していた。

 

何となく・・・・・こういう流れになる嫌な予感がしていた。

これだけの死者が出て、

「誰のせいなんだ?」というような、

”怒りの矛先探し”が始まったら怖いな・・・・・と思っていた。

 

2001年の同時多発テロみたいな。

 

 

 

欧米としては、「中国のせい」にしか、思えないだろう。

 

実際に余りにも多くの人が死んだ。そしてそれは、続いている。

 

「愛する者を突然、理不尽な理由で亡くす」こと以上の悲しみ、苦しみ、後悔は、ない。

そのことを僕は知っている。

 

 

 

でも、ここで「ヘタレ」と言われても全然いいから、僕は言う。

 

「憎しみを持ってはいけない」。

 

英語で言うなら、オアシスのヒット曲のタイトルになる。

 

「ドントルックバックインアンガー」だ。

 

誰かを憎んだって、何の「足し」にもならない。

 

蛇足ながら、(もしも)そうなったときに自分を責めても・・・いけない。

 

 

 

最悪の方向に行ったら、これで本物の「戦争」が勃発する。

 

 

「アジア」対「欧米」の、宿命的、歴史的な対立構図(それは今に始まった話ではないのだが)がここに来て

 

あからさまになってしまう可能性がある、と僕は思う。

 

 

それの根本は「憎しみ」だから、

 

 

それを避けよう。

 

 

 

人間は、人類は、「理性的に」行動できる唯一の動物だから、

 

 

そうしようぜ。

 

 

誰かを、憎むのはやめよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルの「憎しみに支配されるな、って君が言うのを俺は聞いたんだ」

っていうのはオアシスの「ドントルックバックインアンガー(アイハードユウセイ)」

の道郎訳だ。

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とりとめのない日記。

2020-04-18 19:33:47 | Weblog

そういえば

「ほろほろ鳥」の持ち歌に「生産しない日」というのがあったけど、

 

「消費する」だけではなく、些細なことでもいいから「何かを生産する」のは、

精神的にとてもいいことだ、と誰かがネットで書いていた。確かにそうだと思うし、

特に今みたいな自粛の日々には、そうかもしれない。

例えば・・・短い読書感想文を書いてみたり、簡単な料理を作ってみたり。本を読んでみたり。

「読書すること」は 僕は、消費的ではなく、生産的な行為だと思っている。

自発的に読み進めなければ本を読むことは出来ないし、読後の自分が進化していることすら、あるのだ。

 

僕にとってはこのブログを書くことも、生産的な行為です。自己満足に過ぎなかった、としても。

そして僕にとって、文章を書くのと同等に生産的な行為は

歌を書くこと・・・・・なのだけれど、何となく この塞ぎ込んだ状況ではそんな気になれない。

 

今は、「発表の場(ライヴハウスでのライヴ)」もないし、

バンドの現状は最近、新しい気に入った歌たちが形になったばかりなので、

その歌たちを大事にする意味でも、今は作らないでおく。

「歌」は使い捨てではないし、何にせよ、時期って大事なのだ。

いつまでもいつまでもこんな状況が続く・・・って決まってるわけではない。

ライヴハウスも人類もこの僕も、あと少しの間くらいは絶滅せずに生き延びられるはずだ。

だから今は、その時を待つ。

 

さて今朝、ピーターさんのラジオ番組、「ウィークエンドサンシャイン」でかかった

「ケ・セラ・セラ」のことを前回のブログで書いた。

Aメロのところは普通の歌い方で、サビからソウルフルになって魔法が発動した、と書いたのだが、

僕は、「ソウルフルに歌い上げる」歌い方より、実は

普通の歌い方のほうが好きなのだ。

 

僕の大好きなスザンヌ・ヴェガが以前にインタヴューで言っていたのだが、

「私の歌い方はその辺の小さな子が歌っているのと変わらない、普通な感じ」と。

僕はそっちのほうが好きなのだ。

アレサ(アリサ)・フランクリンがちょっと苦手・・・と思ってしまうのは

彼女の歌い方が終始熱く、ほぼ完璧で、しもかもソウルフル過ぎるからである。

 

だから今回、、「両方あるといいのかな?」と思ったね。

普通の・・・あえて言えば「素人っぽい歌い方」と、

ソウルシンガー的な「声を張った」歌い方。

 

そんな風になりたい。

 

・・・・・・ここで思い出したのだが僕は何故か

「声楽的」な声の出し方が異常に嫌いなのだ。いわゆる、「オペラ歌手」的なのが。

理由はわからない。

でも「虫唾が走る」くらい嫌い。

 

 

lこれで終わりなんだけど何だか、

今日の日記は、とりとめがなかったな。

 

 

 

 

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音楽の魔法。

2020-04-18 13:35:56 | Weblog

音楽を聴いていて「ぶっ飛んだ」経験など、いくらでもあるのだけれど、

ついさっきのことを備忘のために、記しておく。

 

毎週土曜の朝にNHK-FMで長いことやっている、ピーターバラカン氏のラジオ番組、

「ウィークエンド・サンシャイン」。

今日の放送は寝床の中でまどろみつつイヤホンで聴いていた。至福。

今日はキャンディス・スプリングズがノラ・ジョーンズと共に歌ってたのがいちばん良かったなあ。

とか思いつつ、

最後の曲が紹介された。マーカス・ミラー「ケ・セラ・セラ」。ドリス・デイのヒット曲。とても好きな歌だ。

僕は昔、この歌はスライのオリジナルだと思っていた。

このマーカス・ミラーは凄腕ベーシストで、ちょっとジャコパスっぽいライン。とても素敵。ベースっていいなあ。

歌は女性ヴォーカルで、Aメロのところは声を抑えて、ちょっと普通っぽい感じの歌い方。

それがサビのところで歌いかたが豹変して、

すごい声でソウルフルになった。ホーンとかも入る。そこでドカン!と魔法が発動して、僕はぶっ飛ばされた。

目が眩みそうなほどかっこよかった。

例えて言えば

道を歩いていて、わりに趣味の良い絨毯がひいてある所を通りがかって、

ああ、いい感じの絨毯だな、と思いつつその絨毯に両足が乗った瞬間に

その絨毯が空を飛び出して、一瞬で街が見下ろせるほどの高空まで連れて行かれた感じ。

魔法の発動。

音楽ってやっぱ、すごい。

このヴァージョンはマーカス・ミラー名義だが、歌はセラ・スーという白人の女の人だった。

ちょっとググッてみたらPVが出てきた。ヴィデオ・クリップも、とても良かった。

アフリカン・アメリカンの「庶民」って感じの人々の表情がとても素敵だった。

この歌の歌詞も、本当に素敵だよね。

いつか独自の訳詞をつくってみよう。そして、歌えたら歌ってみよう。

 

それはともかく・・・・・

 

 

 

 

 

音楽には魔法が宿るのだ。

いつもいつもそうではないけれども、そういうことって、あるのだ。

ウィルスも陰謀論も愚鈍な政府も、

全部、音楽で ぶっ飛ばしたい。

 

 

 

 

 

 

あ、今は らじるらじる の聞き逃しサービスで、パソコンか、スマホを使えば、

今からでも今回のウィークエンド・サンシャイン、聴けるみたいだよ。

 

 

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