2012年10月最後の近況

2012-10-31 19:40:17 | Weblog



本日で

「片山道郎松葉杖時代」目出度く終了。

限りなくギプスのようなサポーターはまだ装着中だが、

とりあえす嬉しいのは嬉しい。

そういうタイミングで

アマゾンに注文していたルーディー・ラッカーの

超ぶっ飛んだSF小説「ソフトウェア」と続編「ウェットウェア」が届く。

へへへ。わくわく。

でも読書耽溺の前に、バイクに乗れるのでさっそく・・・一ヶ月ぶりの図書館へ。

以前に読んでるけど、内容覚えてない「ブレード・ランナー3」他5冊借りる。

「ブレード・ランナー2」「ブレード・ランナー3」はディックの死後、

ディックとも関係のあったSF作家、K・W・ジーターの手によって

書かれた、映画「ブレード・ランナー」の続編の続編である。小説でしか存在しない。

ややこしいが、

原作「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」の人物も登場する。

ディックおよびディック世界への愛が読み取れるので好感大である。

それにしても

松葉杖卒業した、というのに全然変わらずにブッキッシュに

重度活字中毒継続中である。こればっかりはしょうがない。

あ、でも今日は映画も見た。ソフィア・ローレン主演の名画「ひまわり」。

「状況に引き裂かれる愛」を描いているのだな。・・・きっとそうだぜ。

でもこの映画の中の人物については、

もうちょっとお母さんを大事にしてあげなきゃ・・・・・

などと、よけいな事を思った。重箱の隅だろうか。

そんな、とても気持ちの良い季節。

いいことばかりはありゃしないがそれでもこの先きっといろんなことが

報われていくのだ、と俺は確信する。

それじゃね。


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一寸先は光。

2012-10-30 17:17:48 | Weblog



「ある種の奇蹟」は多分、このまま空気みたいにふわふわと僕の上を横切って、

遠い星の彼方へ不時着するのでしょう。

鈴の音みたいにりんりんと鳴く幾千の虫たちの野原を突っ切って、

迷宮の街へ、不夜の国へ。

そうして何回でも落ちてくる、重さ百トンの夜。

黒曜石で出来た地図を片手に、

永劫の国を探しに出かけるのなら君は、心に鍵をかけるべきだぜ。

そうして深い川にそいつを、キーホルダーごと沈めてしまう。

もしくはぎらぎらと音を立てて燃える草原の海の真ん中に投げ捨てる。

あと、太陽に命中させて溶かしてしまう、って手もあったな。

そのうちに

魔法にかけられたかぼちゃはお面の口から真実を語り出すし、

燃料切れの願い事なんて、闇雲に精製した薬品みたいなもので、

一見無害でも危険極まりないんだ。

僕は壊れたおもちゃの国で朽ち果てるほどやわじゃないつもりだ。

でもわかりゃしないよね。

「一寸先は光」かもしれないんだけど、

それだってあてになりゃしない。


ROCAのライヴは2012年11月9日金曜日。

京都「夜想」。


乞うご来場。




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装甲車のような人生

2012-10-30 13:17:21 | Weblog




あらゆるすべての物事を引きずって引きずって引きずって、

引きずり倒して進む装甲車のような我々の人生に、

「GO」も「STOP」もなかった。

あったのはただ、「ON」か「OFF」だった。


寒い季節が訪れる前に、

堅く乾いた確固とした小さな「種子」になって眠ろう。

目覚めた時はまた別の夢の中。

ハロウィン的な、チープでちっとも怖くないホラー・シネマみたいな

書き割りみたいな風景の前でまた、

かっこつけてくるくる回ったりとかさ。


僕は目覚めたままで冬眠する熊みたいに目を開けたまま眠るから、

そういうのってけっこうお似合いだったかもしれない。


巨大なる円環の、閉じていく音を遠い唄みたいに聴きながら、

僕はまたどうすれば「貝」になれるのかってことだけが知りたくて、

少しだけ哀しく思いながら遠くへ出かけたり、

心の中で「でんぐり返り」したり、とかを繰り返していくのでしょう。


君はもう、風邪引いたりとか・・しなくて済むのかい?

僕はその辺は、全然駄目だね。

はははのは。




















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「ゆえに」

2012-10-25 15:09:12 | Weblog




秋だから、というわけではないのだけれどあたしはついつい、

センチメートル・・ではない、センチメンタルになっちまうのだ。

吹く風は心の亀裂に入り込み、スィート・ペインを誘発するのでござい。

斜めに差し込む陽光はあたしの心を照らしはしない。

現実はすべて灰塵と化した過去の中に閉じ込められたイノセンスのごとく。

あたしの中のとりとめもない空想は翼さえ持たず、

飛翔の幻の中できりもみ墜落していくのか知らん。

明日になればその分だけ、今日と言う過去が失われるというのに

我々は嬉々として

”エントロピーの飽和した静止宇宙”と言う「無」に向かって

はしゃぎながら進んでゆくしか術を持たず、

繰り返し繰り返す、レコードのような人生を謳歌すべく・・・行く。

そうしてそれは、それでいいのだ、全然、いいのだ。


あたしはすぐに忘れっちまう。

何もかもが、すぐにどこかに飛んでっちまう。

「無いもの」が「在る」ことすら忘れちまう。

「いつかあったこと」すら、

                     それすら。


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反重力

2012-10-23 15:09:09 | Weblog





回復は約束されている自己治癒過程の途中経過。

世界中のあらゆる物事が中途半端に進行する。

重苦しく降る雨の中で「レイン・ソング」を聴いていた。

僕は僕の内側の筋肉について想像する。

内側の精神についても、少し想像する。

落とし穴みたいな感じで穴掘りを続行して、

うまいこと掘り当てる、埋蔵記憶のガラクタの宝庫。

集中して砥ぎすまして、どうにかして築きあげるべき「暗黒のお城」。

不恰好だが綺麗に塗装して、うまいことライトさえ当ててあげればそれだって

そんなにひどいものではないはず。

俺の苦手なことのひとつに、「自分を信じる」って項目があるんだがこの際、・・・

ありったけの「自己正当化」を総動員して、

厚顔無恥な顔をして、突破口を目指す。

この秋にまつわるすべての出来事は、きっと「啓示」に違いない。

確かに俺は転んだけどさ、

すっげえ「弾み」をつけて起き上がってやろうって思ってるんだ。

反動でちょっと浮き上がっちまうくらい。

それでしばらく、落ちてこないくらい。

いっそ、「反重力人間」と化してやろうか、と思ってるんだよ。

「マン・オン・ザ・ムーン」みたいな。

そんな感じの。









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うまくいきますように!

2012-10-18 18:13:38 | Weblog



我々は大冒険をしてきたような気になっていたのだけれど、

冷静に考えたらそれほどのことではなかった・・・のかも知れない。

誰だってそうだ、と言えなくもないけれど。

とは言え

現実はいつも「小説より奇」なもので、

そういう意味で言えばフィクショナルな、「アタマで考えただけの物事」

なんてね、

薄っぺらく思えて当然では、ある。

いつもいつも、何が起こっても不思議ではない、

っていう態度を、崩さずに生きてさえいれば

不可思議な事や、

仰天する出来事にいつだって、

出会える。


「どうせ」とかね、

「しょせん」とか、

「たかが」

なんていう台詞を口から出した瞬間に、

「魔法」や「奇蹟」は、その発言者から逃げて行ってしまうものなのだ。

僕はいつもそう思ってる。


舐めてかかるとスッ転ばされるし、

無理だ・・と思ったらとっかかりを掴むことさえ出来ない。

「有り得ないこと」が「有り得た瞬間」のような、

美しい「奇蹟」を。

僕がどんな時も願ってやまないのは、そのことだけだ。


そう思い続けてたらいつか、そうならないとも限らない。



思い続けたまま、朽ち果てる・・・なんてのも

悪くは、ない。



どうかな。

とにかく・・・・・




いろんなことが、うまくいきますように!










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伝心

2012-10-16 18:15:30 | Weblog



自信をなくして自己嫌悪に陥ってしまうこととかさ、

昔はしょっちゅうだったような気がする。

でも俺達が過ごしてきた膨大な時間は

絶対その一秒一秒に「意味」があったはずだ、って

今は思えるんだぜ。

いや、無理に「思おう」としてるんじゃなくて。

ん?「絶対」は・・・ないんだっけ、まあいいさ、

とにかく、すごくすごく、貴重だったよね。

それで結局、

憧れてたような「何ものか」になれたわけではないんだけど、

それもそれでいいや、とか思ったりして。

だってどんな人から見ても・・・

上には上がありすぎるし、

下には下がありすぎる。(見方によるけどさ。)

だから多分、どんな位置にいたとしても

満足できなければ満足できないだろうし、

何でもいいや、って思ってしまえば「位置」自体、

気にならないぜ。

それにしても、

ハッピーエンドのその後・・・みたいなことが延々と続く。

終わりだ、と思ったものは始まりだったし、

始まりだ、と思ったものは終わりだった。

どこまでも逆説的な人生。

パラドキシカルでしか有り得ないのならそれはそれで、

許容するべきだ、とは思う。

ころころと気が変わるのはいいことなのか、その逆なのか。

季節的にどうしてもあの頃の事を思い出すのだけれど、

それもそれで「いい」ことにしておく。

かと言って昔のことばかりで過ぎてゆくわけではない。

新しい歌が空気の中から魔法みたいに、

どこからか突然ワープしてきたみたいに姿を現す。

「新しい感情」を経験する。

透明で、驚きに満ちた出来事が

「青天の霹靂」みたいに空から落ちてくる。

どうしてもそんな気持ちになったから、

うまく行けば君に伝わるかも、と思った。

伝わればいいな、と思う。



次のライヴは11月9日金曜日。

京都・御池「夜想」にて。



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ガジェット

2012-10-15 13:56:06 | Weblog





おとといは松葉杖でよろよろと、

西院ウーララにライヴを見に行って、昼真スタートだったので

俺にしては珍しく日のあるうちからビールなぞのみつつ、

数多くの出演バンドを眺めた。

季節柄、懐かしい「大阪芸大の学園祭」などを思い出したな。

バンドは、ブロンド・ニュー・ハーフが抜群に良かった。

しかし、それにしてもライヴハウスっていうのは

玉石混合で、見に行くだけで本当に面白い。

俺から観るとわりに「若い」バンドも出てたんだけど、

思うのは・・・・大昔に比べると、ギターなんかも

安くて手に入りやすいし、ライヴハウスもいっぱいあるし、

バンドやってる奴もけっこう多いし、

バンドやってるからって、親や教師に白い眼で見られるようなこともない。

俺たちの頃とけっこう、「環境」は違うよね。

でも上記のこと、全部逆の方が絶対面白いよな。

ははは。

ところで。

こないだの話の続きなんだけど、

「レプリカント」が有機アンドロイドだ、というのは

作中でも言及されているのだが、

そのことを異様に感じてしまうのは何故か、と言うと・・・

同作品に出てくる「愛玩動物」たちのレプリカが何故か、

電気仕掛けだったり、金属部品だったりするから。

その「落差」が不思議で興味深くて、魅力的なのだ。

ディックの小説はその手の「SF的ガジェット」が

これでもか、ってくらいてんこ盛りに登場するところも好きだ。

最高のキャラクターは、

「ガニメデ(←土星の衛星)生まれの粘菌」で

名前は「ロード・ランニング・クラム」。

「粘菌」って要するに 『スライム』みたいな、不定形の生物。

それが知的生命体で、テレパスで、だから言葉抜きで意思疎通できたりする。

性格もすごいいい奴。

「あなたへの周囲の敵意が急激に高まっています。逃げる事をお勧めします」

などと(テレパシーで)主人公に忠告したりする。


俺も「ロード・ランニング・クラム」と友達になりたいね。


そう思わない?


・・・・・・・・・・・会ったら言といてくれないか?


ガニメデ辺りの交差点で。













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「所有」ということについて考える

2012-10-12 13:20:54 | Weblog





これも前々から思っていたこと。「所有」という概念とは一体、何なのか。





「子供」は、親・・・と言うか”保護者”の「所有物」に近いであろう。

「養育義務」というのがあって、放棄したりすると法律で罰せられる。

でもだからと言って、「子供」が親の思い通りにならないのはご周知の通り。

それはいいとして、

一体、いつから子供は親の「所有物」でなくなるのだろうか?


・・・自分のこと振り返ってみても、わからない。

自分の足で歩き出した時からだ・・・・・いや、違うか。

家を出た時からだ・・・・・そうとも言えないかな。

はっきりとした「この時から」って、区切りは・・・ないかも知れないよね。



全然違うんだけど、

家、って、「所有」するひと とそうでないひと と、いるよね。

思い起こしてみたら俺なんか「所有する家(持ち家)」に住んだことって、

(子供の頃から考えても)今までの人生で一回も・・ないかも知れない。

しかし、それでどう、ってことなどない。

ローン払い続けるのと、家賃を払い続けるのって・・そう大した違いはない、という説もある。

ヤドカリのように(笑)、いろんな所に住んで、

それはそれでとても楽しい。「家」を所有したい、とは思わないな。

キャンピングカーが家、でもいいと思うよ。

段ボールの家はちょっと・・・・嫌だけどさ。


次、クルマ。

以前の知り合いがポルシェ・カレラを所有していたことがある、と言っていた。

でも乗ってたのは何年かの間だけで、その間ずっとローン払い続けてたんだってさ。

維持費とかに音を上げて、結局売ったらしいんだけど。

・・・・・・それって、長期間の「レンタル」とあんまり違わないよね?「所有」なの?

いや、ポルシェがうらやましくてわざと言ってる・・・・のではある部分もあるけどさ。

それにしても。

「所有」とは何か、ということを考えさせられる話では、ある。




それでギターなんだけど。

ギターだけはしかし、「所有」したひとに、何らかのパワーと運命を与えてくれる物・・・・

だと思ってしまう。特にオールドギターは、そう。(オールドじゃなくても。)

・・・・ちょっと大げさではあるけどさ。

サーストン・ムーアいわく「魔法の剣」であるところの、ギター。

俺はギターを手に入れた日から、今の「俺」になったのだ、と言える。

ピーナッツブックにおける「ライナスの毛布」だった、

「シロ」と「クロ」にとっての「欠けたネジ」だった、




・・・・・・・・・・・・・・・ってまぁ、そんな話。




「所有」について最後に。

我々のこの、「人体」を構成する物質は全然、特殊なものではなくて、

互換可能である。そのほとんどを占める「水分」は、日々大量に、出たり入ったりしている。

そしてその「水」は、「地球上で一番ありふれた化合物」なんだって。

「水」は世界を大循環する。

我々は世界であり、世界は我々であるのだ。

この身体すら、本当の意味で「所有」などしていない、とも言えるよね。



「本当の意味で所有しているもの」って、それなら何?




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「なんにもない」のかな。
















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「ブレード・ランナー」考

2012-10-11 17:44:34 | Weblog


前々から思っていたんだが・・・


映画「ブレード・ランナー」に出てくる「レプリカント」は、

ロボットではない。

機械部品なんか一切使ってない、血と肉で出来た身体である。

だって、レプリカントか人間か、の判別方法って例の

「フォークト・カンプフ」っていう心理テストか、もしくは

骨髄液を取り出して調べるか・・・しかないのだ、劇中で。


P.K.ディック作の原作のタイトルは

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」なんだけど

「アンドロイド」の定義を、ディックがどう考えていたのかわからない。

普通・・・っていうかSFで「アンドロイド」は、

「外装が人間に近いロボット」である。「ロボット」よりソフトな感じ。

「サイボーグ」になると「改造人間」といった趣である。もとが人間。


ディックの他の作品に「シュミラクラ」という、

遠隔操作されたり、自動操縦で意思を持って動く「人間もどき」が出てくるのだが、

こっちの方がレプリカントに近いかも。

「電気羊・・・」執筆時に、「シュミラクラ」という名前をまだ

思いついていなかったのかも知れない。

「シュミラクラ」の語源は「シュミレーション」で、

「レプリカント」と言語的に相似している。

「レプリカント」というのはディック創作の言葉ではなく、

映画制作時に誰かが思いついたらしい。

だから「レプリカント」って、もしかして

「バイオ養育されたクローン人間」なのではないだろうかと推察される。

個体によっては「偽の記憶」を植えつけられている。

だから自分のことを人間だと思っている個体も存在する。

そして遺伝子情報はいじられている。

4年、という「寿命」が組み込まれていて、子孫は残せない。

タフで攻撃的で力が強かったり

・・・っていうのは、単に、もとの人間の個性のような気もするが、

本当のところ・・どうなのかは、わからない。

小説版「ブレード・ランナー2」(ディック作ではない)では

ロイ・バティのオリジナルの人間はもともと脳細胞に異常があって、

「恐怖を知らない人間」らしい。

だからレプリカントのロイ・バティもあんな奴なのだ。


でも重要なのは、結局、この「ブレード・ランナー」世界

(映画「ブレードランナー」、小説「ブレードランナー2」、

原作「アンドロイドは電気羊の・・・・」の3作品全部)において、

何が真実なのか、ってことが全然わからない、ってことだ。

主人公であるデッカードは果たしてレプリカントなのか?

プリスは?

「フォークト・カンプフ」も信用できない。

あんなのは、子供だましだよね。

”「共感」に対する反応としての瞳孔の収縮”なんて・・・・陳腐だ。

でも陳腐だからこそ「ディック的」で素敵だ。




「自分が何者かわからない」

「世界も自分も、自分の記憶すら・・・偽者かもしれない」

という感覚。


これこそが、ディックが追求し続けたテーマ。


それはとても、興味深いよね。






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