自分が自分である、というのは
当たり前過ぎる前提のような気もするし、
そうではなくて それは、
それこそ「永遠の謎」なのかもしれない・・・・・と思ったりもする。
自分が自分である、というのは言い換えれば
自分は自分でしかない、ということでもある。
私はこの肉体に閉じ込められた「魂」であって、
この肉体の外から物事を眺めることは「絶対に」出来ないのだ。
自分を「客観視」しよう、と努力しても
完全な「客観視」など、出来るはずがない。
私は「私」という状況に、はまり込み過ぎているからだ。
何故こんなことを久し振りに考えたか?というと
今、自分達のバンド、ROCA’66で
自作曲を数曲だけ、レコーディングスタジオにこもって
録音しているからなのだ。
曲を作って演奏する、という行為は自然で、何の問題もない。
でもそれを「記録」する、となると
少しでも「いいもの」にしたいし、そうなるとミックスダウン時に
自分で自分を「客観視」する必要性というのが生じてくるのだ必然的に。
しかしその行為は、そんなに楽しいものではない。
ヒトは自分を客観視などせずに、「自己」に埋没していればそれはそれで幸せなのだ。
自己批判とか自己批評なんて、しないで済めばそれはそれにこしたことはない。
私は出来れば、無反省に生きていたいのだ。
でもそれではまるで「幼児」だ。それではいかん。人間は成長しなければならない。
人間だけではない。プランクトンだって、小エビだって、かたつむりだって、
成長しなければならないのだ。
私は、私の音楽を通じて出来ればあなた方に喜んで欲しいのだ。楽しませたい・・・のだ。いや、本当だ。
そしてもしも、喜んでくれたとしたら、それを見るのが私の最大の幸福なのだ。
恥ずかしながら このことは、最近になって気付いた(←遅い)。
自分を客観視しようとする作業は、時には・・うざい。
でもこの「うざさ」を克服した時、
私は何ミリかでも成長できているはずなのだ。
いや、「背」の話ではない。「背」なんかがんばったって伸びやしないがそうじゃなくて、
人間として、音楽家として、「魂」を、ほんの0コンマ何ミリかでも成長させよう。
さてそんな「私」が率いるロックバンド、
ROCA’66.
大の大人が4人も集まって、一心不乱に「楽曲」を奏でます。
全員が、別々の楽器でひとつの「歌」を歌います。
我々は今週末、4月27日、京都の誇る最強に趣味の良いライヴハウス「夜想」に出演します。
場所は文化遺産「二条城」の近くだわよ。
我々のほかには
THE LULA
DUST
たこボー
が出演します。
我々の出番は2番手。オンタイムなら19:30くらいから。
メリメリと音を立てて進化中の「魂」を観に来て下さい。
写真は、前回の「夜想」でのライヴ・・・での私。
撮影はカメラマン、大瀧くん。