・・・そして思うこと。

2011-11-24 18:13:03 | Weblog



杉浦日向子は病気がいよいよ進んで、

闘病のため、公けの場から姿を消したとき、

「念願の豪華客船で世界一周旅行に出た」

という理由にしていたそうだ。


粋だ。



亡くなってしまった後も、

まわりの人々は

「彼女は江戸に帰りました」とか言ってる。

・・粋だ。




しかし、こういう「言い換え」って、いいよね。

俺はついつい思いだしてしまうのだけど、


21歳の時に岩佐が突然亡くなってしまったこと。


佐治が岩佐のこと歌った「宝物の歌」の中で、

「オマエは今頃、どんな世界を旅しているのだろう」

と言っている。


その歌を演奏して、その箇所に来るたびに俺は、


ちょっと薄暗いジャングルみたいなところ・・・

もしくは星ぼしのきらめく月面のようなところ・・・・

を、興味しんしんな顔をして

(ちょっと嬉しそうに)探検する岩佐が思い浮かんで、


ほんの少し、心の慰めになったものだった。


岩佐の20年後に、佐治も探検の旅に出た。

さてさて、深海へ向かったか、

アマゾン川か。

はたまた銀河の辺境か。


本当に思う。

「今頃、どんな世界を旅してるんだろう?」と。


佐治の事だから、多少の困難は笑い飛ばして、

ニヤニヤしながら大冒険をしてることだろう。







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ビザール到着

2011-11-24 14:15:14 | Weblog




ヤフオクで落札したビザール・ギターが届いた。

すごい。

予想以上に「いいギター」だった。

(ビザールに変わりはないが。)

写真ではわかりづらいが、

ネックのごつい感じとか小さめのボディとか。

そして造りがしっかりしている。

普通、ビザールってどうしても弦高を低く調整できなくて、

そのせいで矢鱈滅多ら弾きにくいものが多いのだけれど、

これはとても低い。よって、弾きやすい。

そして

こういうのって「アームが欠品」しているのが普通なのだけれど、

ちゃんと純正(であろう)アームがついている。

しかも、使える!チューニングの狂いがほとんどない。

ビザール、ビザールって言ってるけどちゃんと名前があって、

PENKELというブランドだそうだ。

やはり60年代から70年代の日本のブランドで、

「テスコ」名義で売られていた時期もあるとか。

いいかげんで平和な時代デスね。

そーゆーノリは、大好きである。

こういうのを持つと無条件にファズかまして

「ジャンク・ロック」と言うか、

「片田舎のガレージ・パンク」みたいなのを

演りたくなるのは何故なのか(笑)。


以前にも言及したかもしれないが、「ビザール・ギター使い」

の中で、最大級のスターはジョン・スペンサーであろう。

もろにビザールギター、しかもそのまんまの音。

されにそれがトレードマーク、というか「男の一本」だ。

嫁さんがニューヨークの路上で20ドルで買った、という

日本製の安物ギター。もう最高である。

ずっと前に読んだインタヴューで

「ルックスが面白いから使ってるんですか?」と聞かれて

ジョンスペは「このギターは、音がいいんだよ」と

苦笑いしながら答えていた。

この人は徹底した人で、別でやってたボス・ホグでも

ギブソン・ブラザーズでも

ビザールしか使っていない(と思う)。

ジョンスペって、

もっと評価されてもいいアーティストなのではなかろうか。


今回入手した俺のビザール、PENKELは恐らく、

どこかの押入れで長く眠っていたものだと思う。

使用感がほとんどないのだ。

オークションだからタイミングの問題なのだけれど、

落札価格も恐ろしく安かった。

(いくらだったか、言わないけどさ。)

嬉しい。


しかし、ちょっとあとで気付いたのだがこのギター、

ジョンスペの「例のギター」に似ているのだが、

今、俺がメインで使っているG&Lスカイホークにも、

けっこう似ている。

って言うか、遠目でみたらわからないんじゃないか?


ということは・・・


ライヴでいつか使ってみたとしても

誰も違うギターだと気付かなかったりして。


・・・アリエール。


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杉浦日向子

2011-11-24 11:35:00 | Weblog


俺の中で、「佐治としか出来ない話」というのがある。

「佐治にしか通用しない話」というか。


杉浦日向子のことも、そういう話の一つだ。


あ、杉浦日向子ファンは全国に大勢いるし、

世界中見渡せば絶対、いっぱいいるのだけれど、

俺の身近ではこれは

「佐治としかできない話題」のひとつだった、ということ。


杉浦日向子は「ガロ」に描いていた漫画家で、

後年は「江戸研究家」として知られる。


口では上手く説明できない、江戸情緒あふれる

しかも時代考証もしっかりした漫画だった。

小説もあって、本当に!何とも言えない「いい味」が出ている。

情緒、諦め、風流、倦怠、生活感、ささやかな希望。

稀に見る個性派の作家だった。


2005年に癌のために亡くなっている。


その杉浦日向子を回想するような本が出ていて、

それを読んだのだ。


杉浦日向子は1993年に「隠居宣言」をしているのだが、


以下、対談の発言から引用

(初出は読売新聞「田中優子の平成問答」1998年8月15日)


田中「いつごろからですか、隠居志向は?」

杉浦「目覚めたのは高校二年、十七歳のときですね。

「あー、もう長く生きたなあ」と思ったんです。

その時から、三十四歳で

現役をリタイアすることを漠然と決めていたんですよ」

「隠居には隠居の覚悟があります。~中略~

隠居する以上は、生老病死を順繰りに受け入れる。

医者にはなるべく近付かない。ポックリ逝くためには、

心臓は弱いほうがいい。一方、頭はなるべく

使って鍛えておく」

「体にいいことはしない。それから体に悪いもの、

とくにアルコールは積極的に取るようにしています」

「田舎じゃ駄目ですね。隠居は遁世とは全然違う。

隠居は都市文化そのものなんです」

「仕事を労働とは思わず、道楽ととらえること。

それから、予定を立てない。その日その日の

ハプニングを楽しむゆとりを持つ」


引用終わり


杉浦日向子が実際に「隠居宣言」したのは、

病気のせいも大きかったかもだけど、

しかし素敵だ、「隠居」って素敵だ。


「粋」に近付いていきたい、と思う。


それに必要なのはもしかして、

「生き方の論理的整合性」なのかも・・・・って

ちょっと思うのだ。



久しぶりに杉浦日向子の漫画読みたくなったな。

やまだ紫の「しんきらり」とかも。


・・佐治がいっぱい持ってたんだがなぁ。






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