無線連絡

2024-08-29 20:41:55 | Weblog

ピーッ。

回線が開いた。

君への手紙を、口頭で伝えます。

 

前略

八月は僕らから余りにも多くの物を奪ったまま、

まんまと逃げおおせようとしています。

夏休みの終わりはいつもいつもそうだった・・・よね?

台風が来ては去り、来ては去り、

荒れ果てていくのは我々の心だけではないことに気付く。

一瞬の光はすべてまやかしだし、

これこそは!と思えた栄光でさえ、消え失せてしまえば実体は定かではない。

でもそれでいいのかもしれません。

っていうか

それでしかなかったのかも。

僕が何かに生まれ変わるとしたらきっと、花壇に潜む藪蚊でしょう。

ボウフラが月に憧れ憧れて憧れて羽化して羽が生えて、

藪蚊になることに成功した。

でも、それはただ それだけのことでしかない。

僕はいちいち絶望するのに飽き飽きしてしまって、

それだからといって希望的観測は出来ないのです。

なにしろ十六夜の夜に君は平然と分水嶺を超えてしまった。

それはどんな意味を持つのでしょう?

僕にはわからない。

あと十年経ったらわかるようになる気もするし、

千年経ったって無理だろう、という気もする。

これはまたレクイエムだ。

懲りもせず、と君は言うかもしれない。

あ、言わないかもしれない。

でもレクイエムなんて、幾つあったっていいのだ。

いいことばかりは、ありゃしない・・・ってのは真実だが、

ものごとの良し悪しなんて、僕の主観でしかない。

だから僕は何もかも全部、笑い飛ばすことに決めたのだ。

しかも鼻で笑う。

そんな風にして何もかもが、吹き飛んでくれたらどんなにか良いのに。

逆に僕が風に吹き飛ばされないように、

だれか「支え棒」を立ててくれはしないだろうか。

明日、あさって、しあさっては台風に、僕は 無防備に晒される。

吹き飛ばされて、消え失せてしまったらお慰み。

辛うじて・・・生き残ったら祝杯を挙げよう。

だから君も、

無傷で生き延びてくれ。

 

連絡終わり。

回線を切る。

 

ピーッ。

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友達よ、我々は・・・・生き延びよう。

2024-08-27 20:27:54 | Weblog

「生」というのは本当に不思議。

 

我々の身体は「自動運転」で、

敢えて 生きようとしなくても、身体が勝手に生きていく・・・という側面がある。

例えば

呼吸なんか完全に自動だと思わないか???

あ、心臓の動きとかもね。全然意識しないのに動いてるもの。自動だ。

血流は絶え間なく全身を行き渡る。

もっとミクロなレヴェルで考えると

腸で微生物がそれぞれ勝手に働いてくれてるからこその消化・吸収である。

そして、白血球とか赤血球とかは外からの黴菌・雑菌を駆除してくれてる。

頼んでもないし、報酬もないのに、勝手にやってくれてる。

 

その自動運転(全自動、と言っても過言ではないだろう)の身体に乗っかって、

我々はただ、生きるだけだ。

ただ生きるだけ・・・って言っても、それは そんなに簡単ではなく、

 

とにかく生きづらいし、

世知辛いし、

面倒ごとは多いし、

外に出れば敵ばっかりだし、

みんながみんな僕の陰口を言ってるし、

台風は来るし、

コロナにかかったりするし、

働けど働けど暮らしは楽にならないし、

やりたいことさえ、必ずしもうまくいくとは限らない・・・っていうか、うまくいかないし、

愛する人との関係も簡単にこじれるし、

大事な大事な大事な人は静かに逝ってしまうし、

壊れやすいものは壊れてしまうし、

大事なもの(者)、(物)、(物事)、を大事にしようとすればするほど粗暴に傷つけてしまうし、

政治家は腐敗の限り、悪事やりたい放題だし、

戦疫は拡大する一方だし、

道路に出れば大渋滞だし、道路にごみは散乱するし、

致命的な病魔さえ、我々の身には 降りかかって来る。

 

生きてたってロクなことはない・・・・・と思ってしまったとしても仕様がない。

 

 

 

 

 

 

 

でも友達よ、

明後日か・・しあさってに、大きな台風が来るんだ。

だから僕は、

いい感じで育って、蕾をつけてくれたり、咲いたりしてくれている

花壇の向日葵たちの為に、

支え棒を立てて、麻ひもで茎をそれに結び付けて、

彼等が台風が来ても、生き延びられるように対策したんだ。

 

台風が来る前に帰って来れて良かった。僕は昨晩、広島の高速道路パーキングで夜明かししたのだ。

 

これ(花壇の世話)やってる時が、大変だけど一番楽しい。

「手のかかる子ほど可愛い」って感覚がわかる気が ちょっとだけ、する。

「生きてる」って感じが、濃厚にするのよ。

これやってる時と、バンドやってる時がいちばん「生きてる」って気がする。

スタジオで曲作りのときと、ライヴで演ってる時。

死ぬほど・・・・・、楽しい。

大事なことの全ては逆説的で、相反的なのだ。

 

そしてそれは「自動」の延長ではない。

自発的に、自発的に、自分で考えて、動くのだ・・・・それでしかない。

 

 

だから我々は、

台風の中で生き延びようぜ。

 

 

 

 

そうするしか、そこにしか、突破口はない・・・・・のかもしれない。

 

 

 

 

 

もう一度言うけど、

 

友達よ、我々は生き延びよう。

 

 

 

 

 

画像は、今日の、花壇。

全体は見渡せないが、実は30本近く「支え棒」が立っている。

 

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ギターも遺品。

2024-08-25 17:34:48 | Weblog

 

言うまでもないことだが、

僕が死んだら僕の所有ギターたちも遺品、だ。

 

金銭的に価値のあるもの(高価で売却出来るもの)・・・は、ないかな。

唯一のオールド、というかセミ・オールドになるのだが、ギブソンの

1977年製レスポール・スペシャルは友人の「きりひと」氏から

買ったものだが、いかんせん、僕が演奏中に暴れてコケて、ネックにヒビが(いつか直す)。

 

話はそれるが、手塚の「ブラック・ジャック」に登場していた「きりひと」氏は

安楽死専門の医者だった。かっこよかった。

(間違えた・・・「ドクター・キリコ」氏だった安楽死専門医は。)

 

ギターの話に戻る。

ちょっと以前に、ギター雑誌を見ていたら何と、

マッドギャング/サウスサイドシャッフルで活躍した 故「碇健太郎」氏の

ギブソン・ファイアーバードの写真が載っていて驚いた。確か1975年製。

今は、若手の新進気鋭のギタリストが使用してるみたいで、

遺族から、遺品として贈られたのであろう、と推測する。

僕は碇さんには死ぬほどお世話になったので、あのギターも懐かしかった。

 

僕が今メインで使っているフェンダー・メキシコの「サイクロンⅡ」は、

生産本数が割合に少なく、希少・・・・な面もあったのだが

近年、フェンダーが廉価版のスクワイアーでも同じのを生産したらしく、

いかん、希少性などもう、ない。近所のイオンの楽器屋で安価で吊ってあった。がっくり。

 

スキマノザラシの 故 「イトイガワ」氏が弾いていたギブソン・ファイアーバード

は、今は同じスキマノザラシの「アンボイ」氏が弾いている。

 

誰かの遺品のギターを、今は誰かが弾いている、という話、

他にもたくさんあった気がするのだが、思い出せない。

 

ああ、うろ覚えだが、故 「ボ・ディドリー」氏のギターを

ZZトップの「ビリー・ギボンズ」氏が一時、使ってたんではなかったか。

 

 

しかし考えてみたら、オールド専門のギターショップに並んでいる

そうそうたるヴィンテージギターたちって

そのほとんどが

誰かの遺品・・・・なんだろうね。

 

 

 

そりゃそうか。

 

 

 

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蔵書が遺品になる。

2024-08-25 11:20:06 | Weblog

だいぶ以前のニュースだったのだけれど、

マリリン・モンローの遺品の中から かのスコット・フィツジェラルドの

名著「グレート・ギャッツビー」の初版本が出て来て、

サザビー(か何か)のオークションで高額で落札された、という話があった。

 

よく知られている事なのだが、マリリン・モンローは

彼女の一般的なイメージ「一世紀前のセックスシンボル」とは裏腹に、

実は熱心な読書家であったらしい。

 

だから僕は彼女に好感を持っているのだが、そう言いながら・・・・

主演映画は一本も観たことがない。

大体が映画って・・・僕にとっては縁遠いのだ。

 

で、マリリン。

その、初版本を彼女が手に入れた経緯を、いろいろと想像してみると楽しい。

「グレート・ギャッツビー」の発売日が1925年4月10日。

マリリンの誕生日が1926年6月1日。

産まれる前の本だから、普通にマリリンが新刊本屋に発売日に買いに行った

・・・・・のではない。

マリリンにとっては、親世代のベストセラーだ。

 

ところで

僕(1966年産まれ)にとってのストーンズは、完全に親世代である。

ミックとキースと うちの母親は同い年なのだ。

 

マリリンに話を戻すが、だから、親が発売時に買ってて(ベストセラーだから有り得なくはない)、

自然に家にあった・・・のを持っていた、のかもしれない。

 

それか、古本屋で希少本を、高額で買って、手に入れたのかもしれない。

思い入れがあれば、それくらいするだろう。

それに、今現在より、まだ手に入れやすかったのではないだろうか。

 

もしかしたら、

私生活での友人であった文豪・トルーマン・カポーティからプレゼントされたのかもしれない。

「ティファニーで朝食を」が映画化された際、主演女優にマリリン・モンローを・・・と、

著者であるカポーティは猛プッシュしたらしい。

 

 

どれをとっても、いい話だ・・・と思う。

 

 

 

 

 

僕の持っている本たちの中には、そんな希少なものはない・・・と思う。

僕が死んだらブックオフの出張査定とかで、一山いくら、の二束三文で売られるのだろう。

 

 

でもそういえば

 

村上春樹の初期のものは、今では初版本に結構な値がついているものもあるらしい。

僕は1982年(1983年?)ごろからの、古いファンなので、

お?と思ったのだが、

発売されて間もなく(発売日は1985年6月15日)、

19歳の誕生日のプレゼントして頂いて手に入れた(誕生日は9月4日)

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

は 、後年・・・・・

誰かに貸してしまって、その貸した人は行方知れず。

あれは初版本だった可能性が高い。

 

発売日に(1987年9月4日!何と僕の21歳の誕生日))、

自分で新刊本屋で買った「ノルウェイの森」は、

あれも初版本だったと思うのだけれど(買ったのが発売日だからねぇ)・・・・・・・

読んだ当時、結末(というか「直子」の扱い)に納得がいかず、

その時病院で長期の入院中(その後そのまま亡くなる)であった祖母の姉に貸した

(話題のベストセラーみたいだから興味あるかも、と思った)のだ・・・が、

「つまんないから途中で読むのやめたわよ」と怒られその後知らない間に破棄された。

ので、両方手元にない。

 

 

 

 

 

哀しい。

 

 

 

 

いや、もし今も所持してて、高額で売れる、としても

意地で、絶対売らないけどさ・・・・・・・・。

 

 

 

 

出来れば 僕の死後にサザビー・・・・・・いや、ヤフオクに出品して欲しいな。

マリリン・モンローみたいに。

 

 

あ、でももう、手元にないんだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(暗転)

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もしそこが袋小路であったとしても、我々は前に進もうではないか。

2024-08-22 22:02:50 | Weblog

この先、何歳まで生きるのかわからないけど

僕はもう、自分が

「次のギター」を買うつもりがない、ということに こないだ気付いた。

今のメインギターは僕にとって一種、究極で

これ以上は望むべくもないのだ。

どうやら僕は もうこの後、ギターを買う気はない。

でもそれって、少し寂しい気もする。

物欲は何と言うか・・・・生きるエネルギーでもあるから。

物欲がだいぶ、失せて久しい。

昔なら、あれもこれも欲しかった。

実際、闇雲に何本も、手に入れたりもした。

でもある時気付く。

手に入れたのなら存分に使わないと、そのギターに対して失礼なのだ。

使いもしないで・・・・でも、眺めてるのもいいんだよね。

手に入れた、気に入ってるギターの形に見とれながらお酒を飲んだりする、今でも。

そういう使い方は、失礼ではない、と僕は思う。

でもケースに入れて、倉庫にしまっておくのなら失礼だ。

よもや・・・・投機目的でギターを買う?それは失礼だ。

ステージで雑に扱うのは失礼ではない。

ステージではほとんど使わなかったが、レコーディングで多く使った・・・というのも失礼ではない。

レコーディングされた音は永遠に残るのだ。

マメに拭いたり、ホコリを掃除したり・・・・しないけど、それも失礼ではない。

僕は尊敬しているのだ自分の所有ギターを。

あ、友達の持ってるギターも尊敬している。

今、ひとつひとつ挙げないけどさ。

あのひとのあれとか、あのひとのあれとかね。

ところで

もしも僕がある日、バンドをやることを諦めてしまったら、

ウチにある・・・というか「居る」ギターたちはきっと悲しむだろう。

いや、それだけだけが楽器の存在意義ではないのだけれど。

でもやはり、

僕にとってはバンドあってのギターであり、様々なチープな洋服たちである。

このブログだってもしかしたら

僕がバンドを諦めて、ライヴをやらなくなったら

全然違う存在になるのかもしれない。

っていうか存在し得なくなることだって有り得る。

ちょっと論理は飛躍するけど、

だから僕は 生きるべきだ、と思う。

生きようとして足掻くべきなのだ。

諦めている場合ではない。

しがみつくみたいに、傍からそんな風に見えたとしても、

我々は生きようではないか。

 

もしも 今居るここが、袋小路だったとしても ね。

 

希望的観測かもしれないけど、きっと、何処かに・・・・・抜け道があるぜ。

 

 

そう信じたい。

 

 

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「世界は素晴らしい」what a wonderful world 道郎訳。

2024-08-21 21:26:50 | Weblog

かの歴史的ジャズ・トランペッター、ルイ・アームストロングの

晩年の名唱、

「ホワット ア ワンダフルワールド」を自分で日本語訳したものを

載せます。

 

以前もこのブログに載せたことがあるかもだけど。

 

それと

 

どう頑張っても「意訳」でしかないんだけど。

 

まぁ、いいじゃん。

 

読んでくれよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界は素晴らしい」

 

木々は緑

薔薇の花は紅い

それはまるで

俺達のため

 

俺は思う

世界は素晴らしい

 

空は青く

雲は白い

光の後には

闇が訪れる

 

俺は思う

世界は素晴らしい

 

 

 

虹は空に輝き出す

人混みの中の懐かしい顔

友達が言う

「おお、元気か?」

でもあれは

本当はこう言ってるのさ

「オマエを愛してるぜ」

 

 

 

赤ちゃんは泣き

育ってゆく

彼等は俺達より賢くなるだろう

 

 

俺は思う

世界は素晴らしい

 

 

 

俺は思う

世界は素晴らしい

 

 

 

 

 

 

歌えるように、ちゃんと語呂・・・というか言葉のリズムを合わせてるので

この訳詞のまま歌えるのだ。

 

そのうち、どこかで演ります、俺が自分で歌いマス。今年中に。

 

 

 

ところで

俺も時々・・・というか、しょっちゅう思いマス。

 

世界は素晴らしい、と。

 

 

 

ああ、もちろん絶望してしまう時もあるのだけれど、

 

 

 

それでも。

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変節の季節に

2024-08-20 19:52:08 | Weblog

夏はまだまだ終わらない。だってまだ8月だって終わっていない。

でも9月が訪れたところで、焼け石に水なのは目に見えている。

何もかもが僕の手を離れて暴走しているかのようにも思えるのだ。

きっと・・・・・気が付いたらすべてが終わっている、そんな気がしてしかたない。

結局のところ我々は「生」に巻き込まれてしまった。

大きな大きな、宇宙規模の竜巻(それは銀河、と呼ばれる)。

気が遠くなるほどの変遷。

ちっぽけな、ちっぽけな、「自分」という名の生命。

でも僕からしたら、それが全て・・・・・でさえ、あるのだ。

そんな風にして僕は

夏が終わったところを想像してみる。

そこにはもう、何もないかもしれない。

もしくは、何ひとつ変わっていないのかもしれない。

どちらにせよそれは、想像を絶するほど遠い未来の話だ。

でも「時間」っていうものほどアテにならないものはなくて、

永遠も一瞬も、違うようで同じだったりする。

意地悪なのは時計で、1秒ずつ「時間」を刻みながら、僕等のすべてを規定しようとする。

もしも

世界中のすべての時計を破壊することさえ出来たら

僕等は少なくとも「時間」の制約からは逃れられるはずなのだ。

我々の一生とは、長いのか、それとも短いのか。

それは夢なのか、それとも現実なのか。

以前に・・・・・猫には現実と夢の区別がついていない(であろう)、って話はしたよね。

しかしそもそもそれって、区別されるべきものなのか?

僕にはわからない。

「わからないこと」のほうが圧倒的に多くて時々、哀しくなったりする。

でも「わかってる」ことだって、全然間違ってるかもしれない。

僕はこの夏、

いつもの海で、海月に出会った。発語すればクラゲだ。

驚いたことにそいつは、深く思索しているように見えた。

っていうか、そうとしか見えなかった。

脳すら、ないのに。

でも僕らにしたって、羽もないのに飛ぼうとしている、無謀なことに。

何の確証もないのに現実を夢と区別して生きている、無暗に。

何のアテもないのに、ただただ生きようとしている。

あああ僕は寝不足なんだ今日。

昨晩は満月のおかげでほとんど寝てないんだよ冗談抜きで。

分厚い雲の上で輝いてる満月が脳裏でギラギラしやがって、

もう眠るどころじゃなかったんだ。

だから今日は一日、トゲトゲしていた。

トゲトゲしつつも、完全に「諦念」」の中にいた。

何もかもが僕の手に余る。

何もかもが水を得て、もしくは水着を着て 泳いで行ってしまう、魚のように。

「春夏秋冬」で泉谷が言ってるみたいに、

「今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる」

ってことになったらどんなにいいか、とか

思うんだけど。

何かを始めるのは難しくないんだけど

何かを終わらせるのは至難の業だ・・・・・・と思うから。

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昨夜はありがとう2024年・盛夏。

2024-08-18 12:51:28 | Weblog

あんなにお客さんで込み合った田中屋酒店は初めてだった。

あれ以上来たら、大正区全体がR&Rミーティングのお客さんで埋まったかもしれない。

交通の便が良い、とは言えない立地なのに。

来てくれた皆さん、アリガットでした。

愉快で蒸し暑い真夏の夜だった。

バンドも皆、すごかった。

トップを切ったのは主催者のザ・マンガンズ。

大人数バンドなのに、さり気に音が整理されていて、ごちゃごちゃしない。

ユーモラスな歌。それでいてスタイリッシュなお揃いの柄物スーツ。

相変わらずのエネルギッシュさ。素敵過ぎだった。

そして、カミナリボルト。

彼等を見るのは久しぶりだった。やはり、確実に進化している。

無反省なほどwゴリゴリの音と音がせめぎ合って、ひとつに溶け込む。

混沌が一つの形を為す。

歌も以前より表情豊かで、良かった。素晴らしい。

そして、地下道を往く。

このバンドは初めて見たのだが、ちょっと驚いた。

女性がギターヴォーカルで、え?女の子がこんなの弾くの?というような

バキバキのギター。上手いし。歌も良い。自分の準備のため、途中までしか観られなかったのだが

なかなかすごかった。このバンドは人気者のようで、

これが終わったら帰ってた人も結構いた。そーゆーもんよね。でも寂しいわ。

そして我々、ROCA’66。

マンガンズのジュウオさんが盛り上げるMCで紹介してくれたのだけれど、

どうも盛り上げるのって苦手で・・・・申し訳ない。

イェーイとか言えないのよね。アーユーレディ?とかも言えないし。

盛り上がらないまま淡々とライヴは進んだ。

でも楽しかった。聞いてくれてありがとう。

ライヴの最後のほうで、久しぶりにギターが制御不能なノイズを出して、音が途切れたりした。

むむむ、いかんなあ。せっかくリボンソングの渾身のギターソロだったのにね。

もうこれからは俺もエフェクターなしで行こうか知らん。それか・・・暴れるのご法度、か。

両方無理だわ。

まあ、良しとしよう(あかんやん)。終わり良ければ総て良し(違う気がする)。

と、いう様な感じで田中屋のライヴは終った。

2024年の盆期間も終わりだ。

今年はしかし、海だ、花火だ、向日葵だ、ライヴだ、と夏を満喫したかのように見える。

そうなのかもしれない。

死ぬ前にはもしかして、2024年の夏を思い出すかもしれない。

あ、1986年の夏かもしれないけどね、思い出すのは。

 



 

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海、墓参り、飲み、花火、送り火、明日はライヴ。

2024-08-16 19:40:50 | Weblog

親、兄妹、そして友達に会いに行っていた。

広島県福山市。

「お盆の帰郷」と言う人もいるだろう。

自分としては帰郷のつもりもない(僕の故郷は新宿なので)・・・のだが、まあいい。

 

15で家を出て(家出ではない)、それから40数年。

盆正月に福山に行く、というのがルーティーンになっている。

行くとやはり楽しいのだが、

母親が少しずつ歳を取って、少しずつ弱って行ってるのが感じられて、

今回は切なかった。

(父は二十年も前に先に逝ってしまっている。)

母は、以前なら喜んで海にも同行したのだが、

今年は誘ったら、「もういいわ~」と言う。

 

墓参りにも俺一人で行った。母と二人で行くはずが、出発直前に母の体調が悪化したのだ。

(横になってれば治る、と本人が言うのでそんなに慌てない。)

昔なら・・・祖母、祖母の姉、父、母、兄、妹、と

片山家総出で墓参りに行ったものだが

その祖母の姉も、祖母も、父も、今では冷たい墓の下である。

兄も妹も、今回は何故か来ない。

ひとりで墓参り。こんなのは・・・・・・生きてて初めての事だった。

まあいい。充実感はあった。でも意味は・・・あったのかな。

 

海にも行った。

いつも人の少ない、以前は海水浴場だった浜辺。

今年は何と、本当に誰もいなかった。

ビーチ貸し切り状態。写真は証拠写真みたいなものである。

海にも一人で行った・・・・というのは嘘。妹家族と行った。

コロナ騒動以来だから、3~4年ぶりであろう。

水も綺麗で、浅瀬に水中眼鏡で沈むと、水はエメラルドブルーに見えた。

水中の風景が僕は大好きで、浅瀬のほうが光が降り注いできれいなのだ水の中は。

沖へは、間違っても行かない。沖は暗いし、何かいたらどうするのだ。

沖へ行ったら僕は多分、帰ってこないと思う。

 

友達とも会い、飲んだ。

「気の合う奴なんて、そうザラにいるもんじゃないぜ」と、いつも思う。

気の合う友達の存在は奇蹟だ、至福だ、祝福だ。

長い時間一緒に飲んだはずなのだが、本当に一瞬にしか、感じられなかった。

あっという間に終わってしまった。

また会える・・・・ことが救いだ。

 

最後の夜は、福山市花火大会を、兄家族と母親と共に、観た。妹も、妹の「孫」も来た。

孫は可愛い。1歳になったばかりである。

僕の母からすればその子は「曾孫」だ。ひぃいいいい。

妹はしかし、歳を取らない「バケモノ系」なので、孫をどこに連れて行っても

自分の子と間違われるという。・・・・・そりゃそうだろう。

「あたしバーバなんですー」と何度も言っていた。

 

楽しかった

とか言ってるうちに、あしたは大阪の大正区の、

田中屋酒店でライヴである。

呼んでくれて、感謝です。

目いっぱい、精一杯、演ります。

 

 

そして今、自宅マンションから「五山の送り火」を見た。

どうやら私は京都に住んでいるらしい。

 

明日は、大阪・大正区でライヴだ。

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昨夜はありがとう。

2024-08-11 20:08:03 | Weblog

昨夜はまた、格別に嬉しい夜になった。

京都は祇園のライヴハウス「シルバーウィングス」16周年。

いいハコ。

立地もいいし、音もイイ。何よりもハコをとりまく「人」がいい。

ハコの人も、もちろんいい。

昨夜も、リハはじめから最終まで、ずっと楽しかった。

皆 優しく、暖かかった。

 

 

しかし年々、ライヴを開催すること自体、困難さが増してゆく。

それは

ストーンズの「インディアン・ガール」で1970年代に予言されていたことではある。

(ミックは言った、「人生は続く、厳しさを増しながら」)

 

何故困難か?

恥なのだが 包み隠さず言えば、ライヴハウスに来てくれるお客さんが激減しているからだ。

でもこれは、しょうがない。

我々だって、歳を取るのだ。

 

お客さんだって昔・・若い頃みたいにライヴばっかり行くわけにはいかんだろう。

雑事が多いのだ人生には。

俺もそうだ。

雑事、雑事、雑事、雑事が終わったと思ったらまた雑事。

雑事こそが人生なのか????と思わずにはいられない。

いや違う、と思いたい。

雑事以外の事、例えば恋愛とか、交友とか、そういうのが人生なのだ。

食事も雑事ではない。排泄もだ。

雑事とは例えばお役所に行くとか、儀礼的なお付き合いとか、

無意味な仕事とかだ。

でも本当に大切なのは日々の生活と恋愛と交友とライヴだ。

 

ライヴと、それに関わる皆さん、

僕は今でも君に憧れてるし、もっと言えば今でも君に恋してます。

 

本当に、ライヴなんていう贅沢なこと、いつ出来なくなってもおかしくない。

毎回毎回、その覚悟で臨んでるのです最近は。

(緊急事態条項 なんてのがもし、成立してしまったら、なおさらだ。絶対阻止せねば。)

 

 

お客さんとして来てくれた人、本当にありがとう。感謝してます。

そしてシルバーウィングスありがとう。呼んでくれて嬉しい。

イッシーのBYE  BYE  GIRLありがとう。まじで、いいバンドだった。好き。

マンガンズ、ありがとう。憧れの先輩、健在、という感じだった。本当に素晴らしい。

がらんどう ありがとう。付き合いは長いのだが、劇的に進化していた。すごい。

らんちゅう ありがとう。新鮮で複雑で、クールなロックだった。個性的で魅力的。

そしてROCA’66の、メンバーにもありがとう。君たちのおかげがすごく大きい。

 

 

我々の次のライヴは

8月17日、大阪は大正区の田中屋酒店。

 

 

写真は昨日の我々。

スーパーギタリスト、ドンちゃんから頂きました。ありがとう。

 

 

 

 

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